ライダーが手綱を引く。それと同時に『神威の車輪』が大きく揺れ、雷牛は弧を描きながら地面へ向って落下を開始した。自然落下を遥かに上回る速度故に、戦車上の二人の身体は重力のくびきより解放され、その足が浮き上がる。
雷牛の背に乗るランサーは当然上方、ライダーの元へと吸い寄せられた。
雷牛を操ると同時に手綱を掴むその手に力を込めて身体を支えるライダーとは裏腹に、不意の方向転換によって反応する間もなく足場を失うランサー。最早ライダーに切り捨てられるより他は無い。勝負はあった――相手がランサー、フィン・マックールでさえ無ければだ。
ランサーはその白指の叡智に拠って知っていた。ライダーが方向転換を掛けるタイミングを。そして、それに合わせて飛び上がったのである。
銀の影が弾丸の様に奔り、蒼月が瞬く。
ライダーの剣が如何なる宝具であろうとも、その速度を前に真名解放を行う隙は無い。
「ぬうぅううううううん!!」
ライダーが吼え、火花と共に鮮血が散った。
駆け下るライダーは戦車と共に下へ、跳び上がったランサーは上へ。剣と槍の一瞬の交差と共に、赤銅と蒼の影が交差する。
落下する戦車が地面に激突する直前に、ライダーは急制動を掛けて反転し、壁面へと着地したランサーを見上げた。其処へ、血の雫が落ちてライダーの頬を朱に染める。
彼の、ライダーの血であった。
ランサーの槍は鎧を貫き、ライダーの脇腹を抉っていた。
深い傷ではない。
ライダーが咄嗟に振るった一刀が、槍の軌道を逸らした為だ。
で無ければ、槍は心臓を貫いていただろう。
しかし、掠り傷に過ぎぬ、と断じる事もまた出来なかった。ライダーは確かに全身から力の喪失を感じていた。血と魔力を啜る魔槍の効果である。
「はっ、やりおるではないかッ!!」
しかし、奥歯を噛締めて笑い、ライダーは手綱を引く。雷牛達は戦慄きながら、ランサーを追って魔空へと駆け上がる。魔力のパスに拠ってまだマドカが無事である事は分かるものの、アサシンとあのランサーのマスターが相手では長くは持つまい。
状況は切迫していた。
ライダーは即座にランサーを叩き伏せ、マドカと合流を図らなければならなかった。
「退いてもらうぞ、ランサーッ!!」
壁面に垂直に空を駆け上がりながら、ライダーが吼える。合わせてその戦車を牽く二頭の雷牛が戦慄き、蹄が一層強く稲妻を迸らせて壁面のランサーへと迫る。蹂躙疾走。全てを呑み込み踏み潰す二頭四対の剛脚は宛ら削岩機の様である。
そしてその後に待つのは二本の車輪とそれに取り付けられた大鎌だ。車輪にひき潰されるか、大鎌に八つ裂きにされるか。この恐るべき戦車の前に立つものには、死、あるのみ。
その恐るべき戦車を駆るライダーの胸中にはただ一つ。
直ぐに助ける。
その想いを、その焦りを、ランサーは嘲笑う。
「勝負を焦り過ぎだよ」
壁を蹴り、反転しながらランサーが落下する。弧を描いたその軌道は、猛スピードで迫り来る雷牛を跳び越え、手綱を握る戦車上のライダーへと迫った。咄嗟にライダーは手綱を引きながら、逆手で剣を振り上げる。
落下の勢いをそのままに槍を突き出すランサー。その穂先を打ち払わんと剣を振るライダー。飛び降りた槍兵と駆け上がる騎兵の姿は先程の一合を逆様に描き出す。
しかし、彼等の得物が互いに打ち鳴らされる事は無かった。
交差の瞬間、ランサーの槍の穂先が、ライダーの振るう刃に触れる直前に蛇の如く畝った。槍の柄の撓りを利用した回転突きである。刃を潜り抜ける形で弧を描いた穂先は打ち払われる事無く、そのままライダーの肩へと奔った。
蒼月と銀光の瞬きと共に二人の英霊が交差する。中天に、ぱっと鮮血が散って、しかし、重なった影は別たれる事は無い。ライダーの肩を抉ったランサーはその勢いのまま傍らを通り過ぎると同時に反転し、戦車の御者台の欄干へと着地したのである。
ランサーの槍がその腕の中で回転し、同時にライダーが手綱を引いた。
「ふん、貴様の騎乗を許した覚えは無いぞ、ランサーッ!!」
天空へと突き進んでいた戦車が突如としてその進行方向を変える。暗闇に奔る稲妻の線がデパートの壁面に巻き付く様にカーブを描いたと同時に、ライダーが剣を横薙ぎに反転する。その横薙ぎの一斬はランサーの首へと吸い込まれる様に奔り、寸前槍の柄に防がれた。
咄嗟にランサーは槍を立て、その柄で受けて見せたのだ。正に驚嘆すべき反応速度と言えよう。しかし、遠心力と衝撃に、踏ん張る事も出来ずにランサーの身体は戦車を放り出されて宙を舞う。
振り払った。
そう確信し、ライダーは手綱を引く。雷牛はその脚を緩める事無く空へと向って舵を切り、戦車の軌道が弧を描こうとした瞬間、がくり、とライダーの乗る戦車の速度が落ちた。
突如、二頭の神牛が失速したのだ。その直後、衝撃が彼等を襲った。
神牛が不意に何かに弾かれたのだ。彼等は踏鞴を踏んで蹌踉き、当然背後で牽かれる戦車は衝撃に大きく揺れた。上下に激しく揺さ振られながらライダーは前を見る。
何が起こったのか理解した時、ライダーは自らの顔に獰猛な笑みが浮かぶのを感じた。
「まずいのぅ。状況が状況だと言うのに――愉しくなってきおったわ!!」
見よ、魔術によって編まれた靄がタールの如く雷牛に絡み付いている。否、それだけでは無い。眼前に迫っているのは不可視の壁だ。避ける間もなく雷牛は真っ直ぐ壁に突っ込み、自らの速度と重みに押し潰される。恐るべき『神威の車輪』の威力がそのまま自らに返っているのだ。
再び戦車が大きく揺れる。しかし、その疾走を止めるには至らない。血を噴きながら雷牛が嘶き、稲妻を纏った剛脚が不可視の壁を蹴り砕く。同時に――
「Eolh――Nyd――Rad」
その背後の中空に浮かび上がり謳われる原初の三文字。その詠唱を聞く瞬間まで、ライダーは失念していた。この槍兵が恐るべきルーン魔術の達人だという事を。束縛魔術と魔術防壁、そして、移動魔術。
ライダーが振り返ると同時に、陣風と蒼月が奔った。
戦車の速度が落ちた瞬間を見計らい、ランサーが背後から強襲したのである。ランサーとライダー、互いの剣と槍が瞬き、二つの影は戦車上で交差する。
その禍々しい蒼月は水面に浮かぶそれに等しい。捉え様とも形無く、ただ歪みながら輝くのみ。ライダーが咄嗟に上げた剣を避ける様に、ランサーの魔槍は弧を描いてその肩を抉った。
先程の傷口を、より深く。
物理法則すら無視した軌道を描き相手の血を吸う魔槍。
その穂先が咽を鳴らし、刃に付着した血を、魔力を吸い上げる。
「ぐうぅうぅうおおおおおお!!」
ライダーの苦しげな唸りが咆哮に転じると共に、槍を受けるべく掲げた刃が敵を切り捨てんとランサーへと奔る。しかし、そこに先程までの剛雷の如き凄まじさは無い。肩の傷の影響である。
ランサーは身体を捻りながら迫る刃を潜り抜け、跳躍の勢いのままライダーの脇を通り過ぎる。交差の瞬間、正に刹那の攻防。そこに在ったのは紙一重の、しかし、致命的な差であった。
無傷のランサーと手傷を重ねたライダー。
このまま続ければ、先に待つ光景は火を見るよりも明らかだ。
「さぁ、空中戦といこうじゃないか」
故に、ランサーは止まらない。
ランサーの身体が空中で反転すると同時に、ルーン文字描かれ、彼等の向う先に不可視の壁が顕れる。それは神牛に停止を、ランサーに足場を齎した。
空を蹴ったランサーがライダーへと迫る。
ライダーが突き出された穂先を辛くも払い除けるも、跳躍の勢いのままに傍らを通り過ぎたランサーは即座に反転し、空中に張った魔術障壁を蹴って再びライダーへと襲い来る。
空中に銀光と蒼月が瞬き、十余の火花と共に、血潮が舞う。
ここに至って、両者の速さの差が明確に浮き彫りになった。恐るべき速度で天駆ける『神威の車輪』ではあるが、短距離ならば最速の英霊の跳躍速度が上を行く。増して、白鮭の叡智による先見とルーン魔術によって、敵に先んじて空中を自在に跳ね回るランサーの始動性、旋回性には敵うべくも無い。対照的に戦車はその速度をルーン魔術によって減じられているのだ。
状況を打破出来るとすれば宝具の解放だが、それには一瞬の溜めが必要となる。
この槍兵の前に、宝具の真名を謳い上げる一拍の間は長過ぎた。
結果、空を蹴って跳躍を繰り返し、十方より襲い来るランサーの蒼槍を、ライダーは戦車上でただ防ぐのみ。しかし、如何にライダーと云えど、物理法則すら無視した軌道を描くランサーの蒼槍を凌ぎ切る事は不可能であった。交差の度に傷は増え、次第に戦車の御者台はその鮮血に染まっていく。
その速度の前に宝具の解放を封じられた今、最早ここは空中に築かれた槍兵の狩場であった。
しかし、その絶望的状況に在って猶、ライダーは不敵に笑う。防御の為に掲げた剣に隠れたその眼は、虎視眈々と反撃の機を窺っているのだ。
唯一にして最大の誤算は、それをランサーが十二分に理解している事である。英霊たるの性であろう。彼等は互いの技量に対して、敵同士でありながら、絶対の信頼を寄せていた。
故に、魔術を紡ぐランサーに油断は無い。ルーン魔術を併用してライダーの足を止め、自らの最速を以って死角を取り、その恐るべき魔槍で仕留める。
宝具解放の隙が無い以上、速さで劣るライダーにこれを防ぐ術は無い。
「Eolh――Nyd――Rad」
すれ違い様に放った槍での攻撃と同時の詠唱。魔術に拠って編まれた靄がタールの如くライダーに絡み付き、同時に空中に現れた壁を蹴って、ランサーは跳躍を繰り返し、ライダーの背後を取る。
薄い微笑みと共にその手の槍の穂先が蒼く瞬き、空中の魔術障壁を蹴って跳んだランサーは一陣の旋風となってライダーに迫る。その姿、速度は正に蒼き弾丸の如し。
ランサーの動きに無駄は無い。一瞬の後に、魔槍はライダーを背から貫くだろう。
ただ唯一の誤算は、宝具の存在。
「ふん、見事な手際。だが、少しばかり余を侮ったな、ランサー!!」
ライダーは右手の剣を横に薙ぐ。そのただの一振りで彼の巨体に絡み付いていた魔術の靄は幻の様に雲散霧消する。そして間髪入れず、手綱を引いて雷牛の進行方向を変える事で戦車を傾け、振り返ると同時に剣を振り上げて背後より躍り掛かるランサーを迎え撃つ。
ライダーの持つ剣はゴルディアスの結び目を断ち切った逸話が具現化した宝具である。
ただの農民に過ぎなかったゴルディアスが神託を得て王となった際に、ゼウス神へと納めた『神威の車輪』を神殿へと括り付けた轅の紐。これを解き、『神威の車輪』を手にした者は遥か東方、アジアの覇者となる事を予言された不朽不解の結び目。
結び目ごと運命を切り開いたライダーの剣は、あらゆる束縛、封印の類を一刀両断する正に快刀乱麻を断つ利剣である。如何にランサーが恐るべきルーン魔術の使い手であったとしても、拘束魔術、魔術障壁等この剣の前では意味を成さない。
大きく弧を描いて振り下ろされた槍の一撃をライダーが剣の腹で受ける。衝撃に戦車が揺れ、その肩の傷口より血が噴き出た。ライダーの顔が苦痛に歪み、そして不敵な笑みへと変わる。
槍を受けると同時に剣を立て、その穂先から柄を滑らせる形で切り落とす。押されたランサーの槍が逸れ、ライダーの一刀は真っ直ぐにランサーへと迫った。
高速で跳ね回り、背後より迫ったランサーの槍に切り落としを合わせてのけた技量は見事と言う他は無い。跳躍の勢いのままに前に出るランサーにその一斬を避ける術はない。瞬きの間も待たず、刃はランサーを唐竹に両断するだろう。
しかし、それでも、相手は最速。
ぱっと鮮血が舞ったと同時にライダーの身体が横へと跳ねた。咄嗟に身を捩じり頭部への斬撃を避けたランサーは、交差の瞬間にライダーの膝を蹴って横手へと跳んだのである。肩口へと喰い込んだ刃は、一瞬の手応えだけを残して空を切る。
辛うじて窮地を脱したランサー。対して、絶好の好機を逃したライダーは、にやりと笑った。
「その動き、益々以って見事、と言いたい所ではある、が少々迂闊であったな」
窮地を脱すべくランサーが跳んだ先、其処は窮地ではなく、死地であった。
空中に血の軌跡を残しながら御者台から空中へと躍り出たランサー、そこに待ち受けていたのはデパートの壁面だ。壁面とそれに並走する戦車に挟み込まれた形である。
咄嗟に身体を反転させ、壁面へと着地しするランサー。同時に、戦車が傾いた車体を立て直し、ランサーを挟み潰さんと壁面へと迫った。ランサーの眼前で、その車輪から飛び出た大鎌が削岩機の如く回転する。
しかし、舞ったのは血飛沫ではなく、紅色のルーン。
「Nyd――」
車輪が着弾する直前、刻まれたルーン文字に従って空中へと浮き上がった魔術障壁に拠って、ランサーへと迫った大鎌の刃はその眼前数センチの距離にて静止した。圧倒的なエネルギーの塊と魔術障壁とがぶつかり合い、周囲に余波を撒き散らせながら互いに拮抗する。しかし、
「甘いッ!!」
咆哮一閃。ライダーの一刀が魔術障壁を切り払い、戦車はライダーを押し潰すべく壁面へと迫る。
如何にランサーの魔術障壁が強固な物であろうと所詮は魔術。
ライダーの宝具の前では意味が無い。
しかし、戦車が止まった一瞬の隙に、ランサーは上へと駆け出していた。旋回する大鎌の刃先が大腿を抉り、鮮血が回転によって血風となって周囲に撒き散らされる。だが、ランサーは止まらない。彼が地を蹴った一瞬の後、その影を追って着弾した戦車が外壁をぶち抜いて、その車輪の半ばまでがビルの壁面へと埋まった。一瞬離脱が遅かったならば、ランサーは大鎌に引き裂かれ、壁面と戦車の車輪とに圧し潰されてバラバラになっていただろう。
正に間一髪。とは言え、彼にその余韻に浸る様な暇は存在しない。
コンクリートの壁面に埋まった車輪が外壁を押し潰し、足を掠めた大鎌がそのままビル壁を抉りながら追走を開始したのである。コンクリートの塊を砕き、斬り飛ばしながらもルーン魔術の頸木から解放された『神威の車輪』がその速度を緩める事は無い。
壁面を駆け上がるランサーを追って、壁面を抉りながら戦車の大鎌が迫る。足に傷を負った状態のランサーはただ逃げるのみ。最早戦車を振り切る事も、束縛のルーン魔術を張り直す事も不可能であった。
勿論、咄嗟の回避行動とは言え、デパートの壁面と並走していた戦車から、ランサーが壁面側へと跳んでしまった事は偶然では無い。猛攻を凌ぎながら巧みに誘導し、ランサーが跳び掛かると同時に戦車を傾け、切り落としに拠って、戦車と壁面に挟まれた死地へと跳ぶ方向を限定する。自ら動き、戦場を操るライダーの狙い通りの展開である。
ここに攻守は逆転し、彼等は主の待つビルの屋上へと直走る。
第2幕終了したら全員の判明ステータス表出します。