同刻、戦場から遥か彼方。
燭台の明りに照らされ、木製のテーブルに向かい合う二つの影があった。
元代行者サヴィオとそのサーヴァント、キャスターである。
ダン、と音がして真っ二つに机が割れた。サヴィオが握り締めた拳を振り下ろしたのだ。
「あの馬鹿共、市街地で戦闘を繰り広げるとは、何を考えているッ!?」
サヴィオは我慢ならぬと語気を荒げる。
聖杯戦争は秘匿され、秘密裏に行われなければならない。複数の英霊の市街地での戦闘は、その大前提が崩れかねない事態であった。無論、それを阻止する為の動きが存在しない訳ではない。聖堂教会より派遣された監督役がその秘匿の為に今頃は奔走している筈である。恐らく、上手くいけば局地的な竜巻、さもなくばテロとして情報統制される事になるだろう。
しかし、彼の怒りはそんな事ではなかった。
聖杯戦争の隠匿は元より、あそこまで大々的に戦闘を行っては周辺への被害は甚大である。これより更なる激化を見せれば、周囲は地獄の様相を呈すだろう。事実、戦場となったデパートは既に、半壊している。夜半とは言え、多くの住民が被害にあった筈である。
多くの何も知らぬ人間が……。
サヴィオの握り込んだ拳から血の雫が落ちた。爪が恐るべき力で掌に食込んでいるのだ。
「安心しなさい、サヴィオ。問題ありません。ランサーの人払いの結界に、誰ぞのそれぞれ術式の違う認識操作結界が二つ、そして私の空間剥離魔術によって、あの一帯は無辜の民には認識も、近寄る事も出来なくなっていますから」
向かい合ったサヴィオのサーヴァントが諭す様に言った。
漆黒。艶やかな黒髪に黒のローブ。背は高いが、整った細面に華奢な体躯は如何にも武勇に優れた英雄のそれでは無い。
魔術師の英霊、キャスターである。
「とは言え、被害は零ではない。デパート内部にいた人間はアサシンに喰われた様ですね。戦闘に備えて力を付ける為、腹を満たしたのでしょう。あのアサシンは、相当に弱い英霊だった様ですから」
キャスターは淡々と言った。
魂喰い。魔力に拠って出来た存在であるサーヴァントは、その顕現に必要な魔力をマスターから得て現界を果たしている。しかし、薄弱なマスターからの補給を補う時、また、更なる力を得ようとした時、人を襲って多人数から魔力を補充しようとするのは非常に理に適った方法である。
聖杯戦争の常ではあるが、サヴィオにはそれは許し難い暴挙であったらしい。
憤怒の形相で押し黙り、一層強く拳を握り締めている。
「アサシンが許し難いですか? それは構いませんが、冷静に成りなさい、サヴィオ。今はその怒りを仕舞っておきなさい。貴方の正義が必要なのは今ではない」
「いえ……、違うのです。そうではありません。正義などでは決して無いのです」
サヴィオは首を振って続ける。
「申し訳ありません。話を戻しましょう」
「そうですね。続けましょうか」
キャスターが指を鳴らすと、まるで時が逆様に巻き戻るかの如く、割れたテーブルが起き上がり、元の位置へと戻った。それだけではない。破損部位が何事も無かったかの様に復元しているのである。続けてキャスターが指で机を叩くと紅茶の入った茶器が出現した。
「マケドニアの征服王イスカンダルにエリンの賢人王フィン・マックール、共にかなり強力なサーヴァントである様ですね。緒戦にてその真名が割れたのは幸いでした」
サヴィオは目の前に映し出された映像を見ながら言った。
水鏡。テーブルの上の空中に拡がった水の膜に、遥か彼方で繰り広げられているライダー達の死闘が映し出されているのである。それだけでは無い。中央の大きな水鏡に連なる形で円形に拡がった水の膜はその数実に十余。それぞれが別の映像を映し出している。その中には、セイバーと対峙するルーラーの姿もあった。キャスターの遠見の魔術である。
彼等は既に街の全域に魔術的な仕掛けを施してある。起こった戦闘風景を映し出す事など訳は無い。であれば、直接戦闘能力に劣るキャスターが自陣から出る理由は無かった。
キャスターは優雅な仕草で一口紅茶を啜り、一頻り香りを楽しんでから、マスターであるサヴィオに答える。
「特にランサーはキャスターに選ばれてもおかしくないレベルの魔術の使い手の様ですね。対魔力も高く、油断のならない相手となるでしょう。相手がフィン・マックールであるのなら、かの白指を封じる為に敵の拠点を迅速に潰す必要がありますね」
「その際は私にお任せを」
サヴィオは自らの胸板を叩き、頭を下げる。それは臣下の振る舞いに他ならない。
そこに偽りは無かった。彼は自ら頭を垂れ、自らの召喚したサーヴァントに忠誠を誓っているのだ。否、忠誠等と言う生易しい物ではない。その瞳に映るのは信仰の熱だ。狂信の輝きだ。この若き修道士が自らのサーヴァントに抱いているのは、神に抱くのと同種の崇敬の念である。
キャスターは満足そうにサヴィオへと微笑を返す。
「ええ、期待しています。ですが、ランサーとの直接戦闘になる様な事態は絶対に避けて下さい。無用な危険を犯す必要はありません。それに、その必要も無い。彼の能力は攻撃と離脱を繰り返し、敵の戦力を削る戦法でこそ最もその真価を発揮します。それは彼も、否、彼が最も理解している。ランサーには他の陣営の戦力を削ってもらうのが良いでしょう。彼のマスターも手段を選ばぬ手合いの様ですし、幾人か削ってくれるかも知れませんね。サヴィオ、ランサーのマスターには勝てますか?」
「無論です。今の私が負ける理由がありません」
サヴィオは至極当然だ、と頷いた。はったりではない。そう確信させるだけの力強さがそこにはあった。とは言え、それも当然である。如何に超人的な魔術師であろうとも、所詮は人間。本物の超人に勝てる道理は無い。凡そ、人間である限り、今のサヴィオに勝てる魔術師など存在するまい。
聞いたキャスターの方も、その答えが返ってくる事は承知の上であったらしい。
「結構。ライダーはあの宝具の剣に注意が必要ですね。魔術防壁は意味を為さない様だ。とは言え、あの程度の対魔力であれば恐るるには足らない。マスターも未熟。さて、サヴィオ、彼等のステータス、宝具の値はどうなっていますか?」
「どちらも最上、Aランク以上です」
「成る程、ならばどちらも、まだ奥の手があるようですね。此度の聖杯戦争、存外に縛りが緩い。いや、自分が複数宝具を持っているというのに、敵の宝具を単一と見るのはどうやら傲慢が過ぎた、と言う事でしょうか」
キャスターは言いながら楽しそうに笑う。
直接戦闘能力に劣り、敵が対魔力スキルを備えるが故の最弱のクラス、魔術師の英霊でありながら、このキャスターにはあの尋常ならざる敵を前に、まるで臆する所が無い。ライダー達の恐るべき戦闘風景をその目で見ていたにも関わらずである。
「バーサーカーのステータスはどうです?」
「今は大した事はありません。軒並み最低のEランクです。狂化のスキルも発動していません」
「そうですか。信じ難い事に、彼女は狂化のスキルを任意で発動出来る様ですね。マスターの異常な戦闘能力と言い、スキルか宝具か、何かしらの種があるのでしょう」
「はい、あのマスターの男。つい先日、私が小競り合った時には、あれ程の力はありませんでした。異様な魔力と言い、あの瓢箪はバーサーカーの宝具と見て間違い無いと思われます」
「ふむ、成る程。出で立ちからして東洋の英霊でしょうが、あの狂化後の姿、真っ当な英霊とは言い難い。何か思い当たる英霊がありますか?」
キャスターの問いにサヴィオは暫し考え込み、頭を下げた。
「申し訳ありません。私も東洋の伝承には疎いもので」
「ふむ、まぁ、分からない物は仕方ありません。ステータスは低く、対魔力も無い。少々懸念事項もありますが、バーサーカーに対しては自滅を待つのがベターですかね。それよりも、やはり問題は――」
「雑居ビルで戦闘を行っているセイバーですか?」
サヴィオの呟きに、キャスターは頷く。
「ルーラー、エクストラクラスの方は大した事が無い。とは言え、セイバーはかなり余力を残して圧倒しています。やはり、我等の最大の障害はセイバーと見て間違い無いでしょう」
水の膜の一つが楕円形に拡がり、セイバーの姿を映し出す。
白銀の威容。陽炎の如く揺らめく宝剣。サヴィオは息を呑んだ。
剣の英霊、セイバー。最優のサーヴァントと呼ばれる存在。
最もバランスが良く、全てのステータスが高いランクで纏まっている。高い対魔力スキルに機動力を確保出来る騎乗スキルを併せ持ち、更には剣に属する宝具を持つ。近接戦闘において、間違いなく最強の一角であろう。何より魔術師の英霊であるキャスターにとって、高い対魔力で魔術を無効化する剣の英霊、セイバーは最も相性の悪い存在なのだ。
「王よ、貴方ならば倒せますか?」
「直接戦闘では無理ですね。全く勝ち目が無いでしょう」
キャスターは自らが及ばぬであろう事をあっさりと認めた。しかし、と彼は続ける。
「とは言え、殺す方法は幾らでもあります。逆にサヴィオ、貴方はセイバーのマスターに何分程有れば勝てますか?」
「今の私ならば二分もあれば」
「結構。では、我が大神殿で戦う限り、我々に敵は無い」
キャスターは満足そうに微笑む。
「予定通り計画を推し進めましょう。彼等は好きに戦わせておけば良い。その為の手助けもしましょう。あと数日もあれば、我等の勝利は確定します」
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同刻、ライダー、ランサー、バーサーカー、そして各々のマスター三名、彼等三組のマスターとサーヴァントが睨み合う大通りの傍ら、消滅したアサシンの腕を癒着させていた魔蛭の背に一筋の亀裂が入る。亀裂は次第に大きく拡がりその背が二つに裂けて、その内より出でたモノが顔を出す。
蛾だ。
魔蛭より生まれ出でたのは禍々しき有毒色の羽を拡げ、闇夜に羽ばたく蛾であった。
この新たなる魔蟲は、彼等魔術師達の相対する戦場を横切って空中へと舞い上がる。
その飛ぶという動作。羽根の上下運動と共に禍々しく瞬く鱗粉が、夜の闇の中空気に乗って戦場全体へと降り注ぐ。それは空気と共に標的の身体の内へと至り、肺中に留まる発信機とも言うべき物。標的を破滅へと導く布石、静かな致死毒であった。
戦場より遥か彼方、御形邸。
魔蟲の繰手、マキリは薄い笑みを浮べる。
「種は撒き終わりました。これで彼等の居場所は常に把握出来るでしょう」
「結構。こと聖杯戦争、生存戦においてその潜伏拠点の情報は千金の価値を持つ。特にそれが彼等の様に特定の拠点を持たない外来の魔術師とあれば猶更だ」
マキリと御形、同盟を組む二人の魔術師は、その拠点である御形邸からテーブルの上の水晶玉に映る遥か彼方の戦場を様相を鳥瞰しているのだった。
だが、と満足気な顔だった御形の顔付きが曇る。
「しかし、一体使い潰して一人も殺れないとはね。強力なサーヴァントであるライダーとランサー、この二組を脱落させる好機だったと言うのに。少々、期待外れと言わざるを得ないな」
御形がマキリを、否、その背後を睨んだ。
「宝具を切ってこれでは暗殺者の英霊の名が泣くと思わないか? アサシンよ」
御形が睨み付けた虚空、部屋の暗闇の一部が不意に輪郭を形作り、人型を形作る。中空に浮かぶ白面と闇に溶ける威容、そこには先程消滅した筈のアサシンの姿があった。
「名など暗殺者には不要ですよ。敵がアサシンを脱落したものと考えてくれるなら、この状況は悪くありません」
物言わぬアサシンに代わってマキリが答える。
「と言うよりも、見切られていた、とみるべきでしょう。敵はかの賢人王フィン・マックール。敵魔術師をアサシンが運悪く殺し切れなかったのでは無く、殺せない事が分かったからランサーはライダーを優先した」
「そんな馬鹿な、と言いたい所だが、成る程、万物を見通すという白指か」
御形は言いながら顔を手で覆った。身震いと共に、彼は聖杯戦争という物を真に理解する。古今東西の伝説に語られる英雄英傑が戦うというその意味を。彼等は正に尋常ならざる存在なのだ。
「ええ、敵がフィン・マックールである限り、可能性は高いと言えるでしょう。しかし、彼は殺されて死んだ。この世全ての知見を得る白指を持ちながらも死の運命からは逃れられなかった」
ぞわり、とマキリの身体が波打つ。それは身震い等という生易しい物ではない。皮下で蠢く魔蟲が宿主の精神に呼応するかの様に活性化しているのだ。それはおぞましくも凄まじい、恐るべき光景であった。
御形は暫し息を呑む。本来異物である魔蟲の体内活性は地獄の激痛を伴う筈である。しかし、眼前の青年が苦しみ悶える様子は無い。興奮し心拍数が、体音が上がる。皮下で醜悪に蠢く魔蟲が、そんな当然の代謝反応と同じでしかないと言うのか。
だとすれば、彼は最早人では無い。
「ならば、当然、殺せるが道理。アサシン、予定通りだ。行動を開始しろ。隙在らば、狩って良い」
マキリの言葉と同時に空中へと白面が浮かび上がる。その数、実に六。六つの白面がそれぞれ同時に無機質な言葉を返した。
「「心得ました。我が主」」
言うが早いか、六体のアサシンの姿が霊体化によって掻き消えた。
これぞ自らの分体を創り出すアサシンの恐るべき宝具である。
御形は笑い出した。壁面に映ったその影が、不意に歪み、同時に笑う。
「敵も味方も、皆尋常ならざる怪物揃い、と来たか。ワンサイドゲームに成るかと思っていたが、成る程如何して、全く、愉しませてくれる」
今回は動きなし。
次回はちょっと動きます。