Fate Zero After ##   作:焼肉大将軍

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王と聖女

 時は少し遡り、雑居ビル内部。

 倒れ伏すイルにとって、眼前の光景は全く絶望的な物であった。

 凡そ数メートルの距離に、恐るべき戦闘能力を有するホムンクルス、アルファとそのサーヴァント、白銀の英霊、セイバーが立っている。屋上でルーラーと戦っていた筈のセイバーが、壁を切り裂いて雪崩れ込んで来たのだ。それだけではない。その足元に横たわる女性の姿。

 

「ルー……ラー?」

 

 イルは血反吐を吐きながら呻いた。

 セイバーの前で倒れているのはイルのサーヴァント、ルーラーに間違いなかった。

 絶望的な状況である。

 魔術戦で負傷、サーヴァントも敗北となれば、最早この状況は覆し様が無い。

 だが、覆さなくて良い。イルはこれを好機と見た。

 敵の優勢は絶対。そして、話が通じると思しきサーヴァントが現れた。

 

「なぁ、あ……んた……ぅ……」

 

 イルは口を動かそうとして、呂律が上手く廻らない事を知る。血液を失ったせいで顔は蒼白、唇は紫色に変色し、身体は血塗れでそこら中が傷だらけだった。立ち上がろうとしたが足に上手く力が入らなかった。身体が鉛になった様に重い。

 彼の使い魔の神経毒の症状であった。

 アルファは自らの血液をウォーターカッターの如く撃ち出す事で、攻撃と同時に神経毒を排出し、解毒を成した。で、あれば、それを撃ち込まれたイルが神経毒に侵されるのは当然である。

 それだけではない。

 

「ぐぅ……うう……がッ……ぁ……ぅぁ……ッ!!」

 

 イルは神経毒のせいで叫ぶ事も出来ず、眼を剥いてのた打ちまわった。アルファの血液を撃ち込まれた事で、彼の体内で血液の凝固と拒絶反応が生じ始めたのだ。

 人に在らざるホムンクルスの血液である。拒絶反応は人のそれとは比べ物にならない。更に、アルファの強大な魔力が宿った血液は、撃ち込まれた周辺部位の魔術回路にまで影響を及ぼしているのだ。自らが内から焼かれていく地獄の苦しみであった。

 その様を冷やかな視線で見下ろし、アルファは無慈悲に言った。

 

「セイバー、アレが死ぬ前に腕を刎ねて。令呪とルーラーは回収します」

 

 セイバーが頭を掻き、何か言おうとして、

 

「そ、そうは、させません……」

 

 ルーラーがそれを遮った。

 彼女は蹌踉めく足をその気力で支え、起き上がる。何と凄まじい光景か。起き上がったルーラーの、その身体はふらついているにも関わらず、イルを護る様に水平に構えた剣の切っ先は微動だにしていないのだ。血と埃に塗れながらも眼光鋭く剣を掲げ、その括られていた髪が解けて風に靡く様は如何にも凄絶で美しい。

 これには生物学的に同姓であるアルファですら、暫し見蕩れた。それは彼女の隣に立つセイバーもまた同様である。彼はじっとルーラーを凝視していた。否、ルーラーの手にした剣を、彼は食い入る様に見詰めていた。

 ルーラーが手にしているのは黄金の細剣。レイピアと呼ばれる刺突剣である。神々しさすら感じられるその美しく神聖な威容はルーラーの宝具と見て間違いあるまい。

 

「ハハハ、成る程、素晴らしい。僕のコイツの一刀を防ぐとは、良い剣だ。そして、美しい」

 

 セイバーは笑いながら、自らの腰に差した剣の柄を指先で叩いた。

 その賛辞に嘘は無い。セイバーの宝具は至高の聖剣とも言うべき物。真名解放こそ無かったものの、セイバーの、剣の英霊の宝具による攻撃を凌いでみせたのだ。並みの名刀ではその身体毎両断されていた筈である。そう、この雑居ビルの外壁を横一文字に切り裂いたセイバーの一斬を、ルーラーは咄嗟にその剣で受ける事で両断を免れていたのであった。

 彼等の背後、そのコンクリートの壁面は真っ直ぐ五メートル程横に奔った切断痕と、人一人優に通れる巨大な穴がある。それらは皆、セイバーの一撃に寄って出来た物であった。

 先程、飛び掛ったセイバーの一斬に対し、ルーラーは咄嗟にビルの外壁を足場に構えて剣を抜いた。セイバーの振るった刃はコンクリートを易々と切断しながら横薙ぎに奔り、受けたルーラーは衝撃に跳ね飛ばされて壁面を砕き、ビル内部へと転がり込んだのだ。

 宝具である彼女の細剣は耐えれても、彼女が足場としたコンクリートの外壁が、セイバーの放った一刀の衝撃に耐え切れなかったのである。

 

「何にしても、君が無事で良かった。で、まだやる気かい?」

 

 セイバーは打って変わって優しく問うた。そこに先程までの鬼気迫る物は無い。ルーラーの剣を見るや、セイバーは臨戦態勢を解いてしまった。元々どこか掴み処の無い飄々とした男ではあるが、アルファは益々以って自らの英霊の事が分からなくなる。

 

「セイバー、貴方、何をやって――」

「申し訳ありません。偉大なる我が王よ」

 

 アルファの言葉を遮る形でルーラーが言った。そして、彼女は深々と頭を下げると、手にした剣を鞘へと戻した。

 

「最早、私は貴方に剣を向ける事は出来ません。さりとて、退く訳にも参りません」

 

 ルーラーは続ける。哀願と言うには、真っ直ぐにセイバーを見据える目は苛烈に過ぎる光が宿っていた。それはどこまでも純粋で、愚直な精神の発露であった。イルが最も忌み嫌う物である。

 

「ではどうすると? 無駄だよ。分かっているだろう?」

 

 セイバーが剣を抜く。

 それは何とも不可思議な剣であった。引き抜かれた剣の刀身が陽炎の様に揺らめいて、その輪郭すら杳として知れぬのである。しかし、その揺らぎから洩れ出でる神聖にして不可侵の輝きとそこに込められた恐るべき魔力の気配から、その剣が人の鍛えし物ではないと直感的に、本能的に理解出来るのだ。

 その揺らめく切っ先を、セイバーはルーラーへと突き付けた。

 同時に空気が一変した。セイバーの発する剣気が恐るべき圧迫感と成って辺りに突き刺さる。パン、と音がして頭上の蛍光灯が砕け、ガラス片が舞った。彼は本気だ。本気で意に沿わぬと在らば、ルーラーを切り捨てる気でいるのだ。それもまたその場の全員が直感的に理解出来た。

 イルは何も言えなかったし、アルファも何も言えなかった。

 しかし、ルーラーは臆する事無く言った。

 

「無駄ではありません。仮初とは言え、彼は私の主なのです」

 

 当然とばかりに、愚問とばかりに、彼女は言った。

 

「何よりも、彼は今死の淵にあって、私の助けを必要としている。見捨てる訳にはいきません」

 

 嘗てそうであった様に、今もそうである様に、どこまでもルーラーは聖女であった。

 そして、その言葉には奇妙な説得力を持っていた。本気、だという事が言葉から感じ取れる為であろうか。また、死に掛けて弱っていたの事も手伝って、すんなりとイルの耳へと入った。

 対するセイバーは、剣先でルーラーの顎を上げ、その瞳を真っ直ぐに覗き込む。

 ルーラーは目を逸らさなかった。

 暫し、沈黙が辺りを包み、やがてセイバーが言った。

 

「迷いは、無いようだね」

 

 状況に焦れたアルファが檄して叫ぶ。

 

「セイバー、死なない程度に痛めつけなさい!! 私があの男の腕を――」

「駄目だね。残念だが、それは出来ない相談だ」

 

 それを遮り、セイバーは笑った。彼は鞘に剣を収める。

 

「祖国に、我が神に、その身命を捧げた忠臣を斬る剣を、僕は持ち合わせていない」

「セイバー、貴方、一体何をッ!?」

「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません」

 

 ルーラーはセイバーに再び深々と頭を垂れると、倒れたイルを抱き起こす。

 

「お待たせしました、マスター。もう大丈夫です」

 

 そう言ってイルの顔を覗き込むルーラーは、一点の曇りも無い晴れやかな笑顔をしていた。

 翳した手から温かな光が溢れ、次第にイルの身体を蝕んでいた激痛が引いていく。温かさを感じながら、イルはルーラー、それからセイバーへと視線を動かした。

 彼の口元が自然と緩む。イルは初めて、自らのサーヴァントに感謝した。

 最高の展開だ。

 彼は自らの勝利を確信する。

 アルファは自らのサーヴァントを御し切れていない。見る限り、彼等の主導権を握っているのはマスターではなくサーヴァントであるセイバーである。最早、こうなってはサーヴァントの意見を無視して、イルを殺す事は出来まい。増して、アルファには元々自らの令呪を切ってまで、取引を持ちかけているイルを殺すメリットも無ければ、度胸も無いのである。

 先程までの狂態も、間が空いた事で、既に成りを潜めていた。

 篭絡出来る。

 否、ルーラーがセイバーと所縁のある英霊であるのならば、弱い事はマイナスとはなるまい。当初の予定以上の値でラドクリフに令呪とルーラーを売り付ける事も可能である。そして、セイバーを自らの王と称するルーラーもそれに反対するまい。

 それはイルにとって非常に重要な事だった。

 敵がそうである様に、イルもまた自らのサーヴァントを御し切れてはいなかった。

 ルーラーは高潔にして慈愛に満ち、正に聖女と呼ぶに相応しい精神性を有するが、それ故にその信仰、騎士道に悖る行動は頑として取ろうとしない。更に厄介なのは、彼女が自らの勝利を、自らが聖杯を手に入れる事を、何故か確信している事である。

 セイバーに捕捉され、真っ向から挑む事になったのも、ルーラーのこの気質のせいであった。

 恐るべき夢想家。それも、他者にまで犠牲を強いる最も厄介な手合いである。無論、この手の輩の扱い方はイルとて心得ている。何も問題は無い筈であった。彼女のその瞳を見るまでは。

 ルーラーのその何処までも澄んだ瞳を向けられると、イルは自らの内の不可侵の部分、誰にも触れられぬ様に厚く創り上げた仮面と滑らかな舌の遥か奥にある彼自身を見透かされている様に感じるのだ。それはイルにとって堪らない恐怖だった。

 そして、彼はその初めて味わう恐怖に対する術を持たなかった。

 相手が英霊でなければ暴力に訴えていたに違いない。しかし、如何にルーラーが今聖杯戦争最弱と思しきステータスとは言え、相手は英霊、イルでは逆立ちしようと勝ち目が無い。また、令呪を一つたりとも使う訳にいかないとあっては、無理矢理言う事を聞かせるというのは不可能である。

 結局、イルは彼女とは直ぐに売り払ってお仕舞いの関係だと自らに言い聞かせる事で、恐怖を直視しない様にやり過ごすしか無かった。彼は安易な道に逃げたのだ。

 結果として、イルはその内心とは裏腹に、表面上はルーラーの意思を最大限尊重するという態度を取っていたのである。故に、売り抜けについても、ルーラーに話をご破算にされないよう彼は頭を捻らなければならなかった。

 それだけではない。イルはルーラーの真名すら未だに知らないのだ。

 幾らイルが問い質そうとも、ルーラーは頑としてそれに答えなかった。彼女は理由すら述べず、ただ、申し訳なさそうに謝るだけだった。その度に、イルは必死に怒りを静めねばならなかった。

 その馬鹿馬鹿しい苦悩からも、ようやく解放される。

 イルは笑みを深くする。全てが彼にとって都合良く廻りつつあった。

 しかし、血液の凝固と魔術回路の暴走による想像を絶する激痛と解放の最中にあって、猶、冷静に勘定を優先するイルの精神もまた尋常では無い。こと生き汚さという点において、彼は紛れも無く今聖杯戦争一のマスターである。

 成すべき正義が無いから悪にも転じ、殉じるべき信念が無いから死ぬ必要が無く、護るべき他者が無いから身軽に動き、語るべき理想が無いから手段を選ばない。彼の行動を縛る摂理は何も無く、彼は最適解を誤らない。それがイル・バナードという魔術師である。

 ルーラーの治癒の腕は確かな物だった。凡そ数十秒、蒼白だった顔色は血色を取り戻し、腹の風穴は愚か、腕の傷さえも消えている。イルは何度か手を握り、開き、自らの回復を確認すると視線を上げた。すると、

 

「ふむ、顔色も戻った様ですね。大丈夫ですか、マスター?」

 

 心配気に顔を覗き込むルーラーと視線が合い、咄嗟にイルは目を逸らす。

 

「セイバー、どういうつもり!?」

「どういうつもり、とは?」

「あの魔術師は敵よ。それもこちらを殺そうとした」

「殺しかかったのはこちらだ。それに、これだけやられれば、向こうも下手な真似はしないだろうさ」

 

 激するアルファを宥めつつ、セイバーはイルへと言った。

 

「さて、そっちの魔術師殿よ。頼めるなら、ルーラーの治癒をお願い出来るかな? どうも今の状況、僕のマスターには頼み辛いんでね」

「そりゃあ、勿論構いませんがね」

 

 セイバーの言葉に、イルは首肯する。

 

「ありがとうございます、マスター」

 

 ぱっとルーラーが微笑む。正に華の様な笑顔だった。

 

「ああ、これは正に、正に主の導き。私がこの聖杯戦争に参戦する事になったのは、貴方にお会いする為だったのですね」

 

 彼女はセイバーを見上げて続ける。

 

「ここに偉大なる王は再誕し、偽りの歴史は正される」

 

 成る程、カムランにて倒れた騎士王はアヴァロンより戻るという伝説か。

 聞きながら、イルはセイバーを見た。

 セイバー、光を操る至高の聖剣を持つ騎士の王。

 実際に、我が目で見て、イルはその正体を確信する。

 騎士王アルトリウス・ペンドラゴン。

 選定の剣を抜き放って王と成り、ブリタニアを纏め上げて円卓の騎士と共に侵略者と戦った騎士の王。今猶世界中で語られる伝説のアーサー王その人である。これが剣の英霊のクラスを得て現界したとあらば、正に最強の英霊と見て間違いあるまい。

 そして、セイバーが騎士王であるならば、セイバーを我が王と仰ぐルーラーの正体も自ずと見えてくる。即ち、円卓の関係者、若しくは後年のブリタニアの英雄に間違いあるまい。

 そして、彼女の持つ他者を癒す回復能力。

 イルは一つの解に行き着く。

 聖杯の乙女ディンドラン。

 円卓の騎士パーシヴァルの兄妹にして、聖杯へと導き手。

 彼女の正体がディンドランであるのならば、その聖女の如き精神性、ルーラーという特異なクラスでの召喚も納得出来る。しかし、それも最早関係が無い話だ。

 イルはそう結論付け、それ以上の思考を放棄した。

 

 

   #####

 

 

「どうか我等をお導き下さい。聖王よ」

 

 互いの治療が済むと、ルーラーは片膝を付いてセイバーへと頭を下げた。セイバーは暫し真剣な表情でルーラーを見ていたが、不意に破顔しイルに向って口を開く。

 

「との事だが、同盟の申し入れと受け取って構わないかな?」

「セイバー、あなた勝手に――」

「そりゃあ構いません、と言うよりも私としても望む所だ。元々こちらに戦闘の意思は無いですしね。御三家の一角、そして何より、最優と名高いセイバーと組めるならこれ程ありがたい事は無い」

 

 セイバーを咎めようとするアルファの言葉を、イルが切った。しれっとした顔をしているが、言葉を重ねたのは間違いなくワザとであろう。イルが続ける。

 

「不運にも戦闘となってしまいましたが、まぁ、事故の様な物です。お互い水に流しましょう。状況が状況ですから。それより今はこれからの事に付いて、建設的な話し合いをするべきだ」

 

 イルはそう言って、アルファへと笑いかけた。

 まるでこちらは気にしていない、とでも言う様に。

 サーヴァントとマスターは魔力のパスに拠って繋がっている。それに拠って彼等は互いの状態を大まかに把握する事が可能である。先の戦闘、セイバーが駆け付けた時には、確かに趨勢が決まっていた。彼が見たのは地に伏したイルと、それを見下ろすアルファの姿である。しかし、戦闘中にアルファは一度危機的状況に陥っていた筈なのだ。

 これは挑発だ。そして、我がマスターが冷静に受け流せる筈が無い。

 

「水に流す? ふざけないで。信用出来ない」

 

 案の定、アルファは顔を真っ赤にして否定する。とは言え、それだけだ。自らのサーヴァントが戦闘の意思を見せぬ以上、短絡的な手段に出る訳には行かない。アルファが如何に激していたとしても、その程度の分別は残っている。否、敵の傍らに控えるルーラーに絶対に敵わないという事が本能的に理解出来てしまっているせいもあるだろう。

 アルファの言葉に、イルは大仰に嘆いてみせる。

 

「信用出来ない? それは少々心外だ。ルーラーの気高い精神は見たでしょう? 彼女が王と仰ぐそちらのセイバーを裏切るとでも?」

「私は貴方が信用ならないと言っている」

 

 イルはアルファのその言葉に満足そうに頷いた。

 

「成る程、私が信用出来ない。ルーラーは手に入れたいが、そこが問題な訳だ。では、こうしましょう。私は聖杯戦争を辞退します」

「「なッ!?」」

 

 アルファとルーラーの声が重なる。彼の提案は、彼のサーヴァントであるルーラーにとっても寝耳に水だったらしい。

 

「待って下さい、マスター。どういう事です!? それでは――」

 

 慌てるルーラーをイルが片手を上げて制する。

 

「ああ、落ち着いて。勿論、これには条件があります。私が聖杯戦争から辞退する代わりに、貴方達にルーラーと令呪を買い取って頂きたい。つまり、同盟ではなく、委譲だ」

 

 イルは続ける。

 

「私は元々商人でね。ああ、名乗るのがまだでしたねェ。イル・バナードと申します。聖杯戦争参加者に触媒となるアイテムや礼装、他の参加者の情報を売りに来たのですが、他の魔術師に襲撃されたせいで、ルーラーを召喚してしまった。事故とは言え、召喚した以上はマスターとして彼女の願いを叶えてやりたかったが、私では勝ち抜けそうに無い」

「さっき言った事は本気だった、と? 信じられない。万能の願望器が手に入るというのに、そのチャンスをみすみす捨てるなんて」

 

 アルファがイルを睨む。未だ懐疑的であるらしい。アルファの言葉にイルが苦笑する。

 セイバーは笑えなかった。それを言ったアルファが最も万能の願望器と関係の無い所で命を賭けている事を知っているからだった。恐らく絶対に手に入る事の無い願いを追っているのだ。そして、セイバーはそれを笑う気にはならなかった。

 

「人間、それぞれ器という物がある。私は無駄に死ぬ気はありません。だから丁度良かった。心配なら自己強制証文も用意しましょう。ただ、そちらもルーラーの願いは無下にしないと約束して頂きたい。ルーラーも王と仰ぐセイバー殿の元で戦うなら文句は無いでしょう。どうです、ルーラー?」

「……はい、分かりました。マスターがそれで良いと言うのなら、私はその判断に従います」

 

 ルーラーがイルに深々と頭を下げた。

 成る程、役者が違う。この眼前の魔術師の思うままに話が進んでいるではないか。

 そう思ってセイバーは薄く微笑む。相手の提示した条件は幾点かに目を瞑れば非常に魅力的に思えた。恐らく、アルファの創造主であるあの男に話を持っていけば、直ぐにもルーラーのマスターとして次のホムンクルスを用意してくれるだろう。

 単純に考えて、戦力は倍増する。しかし、そこから先が気に食わない。

 恐らくこのイルという男は新しいホムンクルスの餌として殺されるし、サーヴァントが増えれば無茶な命令も増えるだろう。私を王と慕ってくれるルーラーを捨駒として使い潰す破目にも成りかねない。アルファの精神性から鑑みるに、その功名心から彼女と新しいホムンクルスは互いに互いを邪魔者だとして相争うだろう。

 それ等はどうあっても許せる事ではない。

 如何様にするべきか、とセイバーが暫し思案していると、ルーラーが言った。

 

「しかし、マスター、あなたは何か願いが――」

「私は一度あなたに命を救われた。これで元あるべきだった形に戻る。だから、これで良い」

 

 イルはルーラーの言葉を遮って笑いかける。笑顔ではあったが、その言葉には反論を許さない力強さがあった。一方、その言葉にセイバーは笑みを深くする。

 成る程、万能の聖杯を前に、望みは無いと言切るか。

 

「一つ聞かせて欲しいんだがね、ルーラーのマスターよ。不運にも戦闘になった、と君は言うが、君にその意思はあったのか? それとも、君は最初から商談をするつもりだったのかい?」

「ハハ、戦闘の意思なんてありませんよ。最初は同盟の為に、そちらの拠点に向う途中でした」

「へぇ、同盟、ね。では何故、迎え撃ったんだい?」

「逃げ切れそうになかったので。殺気を向けられて動揺したのもあります。そちらが臨戦態勢である以上、正当な自己防衛かと思いますがね。それに、そちらがラドクリフの代表だという事に気付いたのも戦闘開始後の事でした。ラドクリフの代表はノイマン氏だと思っていましたから」

「私が迎え撃つべきだと主張したのです。マスターは撤退するつもりでした」

 

 ルーラーが堪らずといった様子で横から口を挟んだ。

 

「別に責めてる訳じゃあないよ。それじゃあ、この展開は君の思い通りと言う訳だ」

「……ええ、そうなりますね。身体を張った甲斐があった様です」

 

 一拍の間があった。しかし、イルは笑みを崩さない。

 セイバーはイルを見る。痩せぎすの幽鬼を想わせる容貌なのだが、崩れる事の無い微笑が印象を和らげている。その言葉は筋が通っているし、とても理性的だ。ルーラーの事を気に掛ける態度も好印象。ルーラーも彼を信用している様に見える。

 しかし、どうにも得体の知れない処がある。

 否、明らかに異常なのだ。

 理性的過ぎる。彼は先程アルファに殺され掛けていたのだ。地獄の苦しみに呻いていた筈なのだ。それが何故、即座に笑いながら令呪とサーヴァントの委譲等と言い出せるのだ?

 令呪を渡した瞬間に、殺されない保障など何も無いと言うのに。

 余程の愚か者か、でなければ、どこか壊れている。破綻している。

 彼は信用に足るべきか。信頼に値するか。

 セイバーは暫し思考に耽っていたが、ルーラーの顔を見て、遂に憂慮であると悟った。少なくとも彼女に嘘は無い。それに、自己強制証文を用意すると言うのなら、万に一つも無いだろう。

 自己強制証文とは彼等魔術師が重要な契約を結ぶ際に、それを違える事が無い様に自らの魂を縛る呪術契約術式である。原理上いかなる手段を用いても解除は不可能な代物だ。

 と、そこで、稲光と共に雷鳴が轟いた。近い。雷音と共に肌に刺さる巨大な魔力の畝りは、そう遠くない距離で今猶戦闘が続いている事を示していた。そして、何より今、何処の誰とも分からぬ魔術師の張った結界の中にいるのだ。悠長な事をしている暇は無い。

 そう考えたのはイルも同じだったらしい。彼は話を引き戻す。

 

「悠長な事をしている暇は無さそうだ。で、どうですかね、先程の話は? ラドクリフには他にも魔術師やホムンクルスがいる筈でしょう。彼等に――」 

「それは~~ッ!!」

 

 アルファがイルの言葉を遮った。それは駄目だ、と言いたかったのだろう。言葉を続けられず、歯噛みする彼女の表情からそれは察せられた。彼女は今、本能と理性の狭間で揺らいでいるのだ。

 それは自らの存在理由への葛藤であった。

 

 

   #####   

 

 

 父様を危険には晒せない。

 私の代わりも必要無い。

 私は全て上手くやってみせる。

 だから、だから……。

 アルファの心の中で色々な感情の畝りが逆巻いていた。まるで嵐の様に。

 彼女は全く自分が分からなくなっていた。

 以前はもっと冷静に、機械的に物事を見れた筈だ。

 彼等を、兄妹を、同胞を、私自身を自らの血肉にした時、彼等は私の一部になる事で、その役目を全うしたと、そう思えた筈なのに。たった数週間前の事なのに、今はそうは思えない。

 それもこれもセイバーのせいだ。

 鬱陶しいこの男のせいだ。

 サーヴァントのくせに、私を助けると言ったくせに。

 彼女は気付かない。自身が今、自らの変化にこそ苛立っているのだと。戸惑っているのだと。

 

「まぁ、待って下さい。そうは言うがどちらが有利かは分かり切った事でしょう? そもそも、令呪を持ち帰ろうとした以上、貴方だって分かっている筈だ」

 

 ルーラーのマスターが宥める様に言う。それがまた気に障る。

 煩い。分からない。分かりたくない。

 そもそもこの男の腕を食べてしまえば良いのだ。

 それで私の令呪が増える。サーヴァントも増える。

 大丈夫だ。私なら二騎の英霊だって従えて――

 

「ふむ、そうだな。えーと、ルーラーのマスター君、すまないが彼女のマスターは続けてもらえないか? 君は私が雇おう」

 

 その時、アルファの頭上から言葉と共に手が下りた。セイバーの言葉だった。セイバーの手だった。その掌が優しくアルファの頭を撫でた。

 アルファは抗議の声を上げようとして言葉に詰まる。

 

「大丈夫だ、マスター。僕に任せてくれないか。君に悪いようにはしない」

 

 頭を撫でながら、セイバーは優しく微笑む。

 

「どうかな? ルーラーのマスター君。君は魔術の心得もあるし、それなりに腕も立つだろう? 当初は戦おうとしていた様だし、なに、戦闘は私に任せておけば良い。マスターとは違うが、私としてもあの男とはあまり関わりたく無いのでね」

 

 セイバーの言葉は聞き捨てならない物だったが、提案自体はアルファにとっても歓迎出来る内容だった。しかし、

 

「待って、セイバー。そんなお金どこに?」

 

 アルファの問いは至極当然の疑問だった。彼等は召喚されたサーヴァントだ。生前ならいざ知らず、金銭の持ち合わせ等あろう筈も無い。

 しかし、セイバーは微笑むと、懐から巨大なサファイヤが装飾されたネックレスを取り出した。

 

「私を召喚するのに使った触媒だ。魔術的に非常に強力な護符でもある。売れば結構な値が付くだろう。今の持ち主はマスターの家だが、元々は私の物だ。これでどうかな? 命を賭けるには足らないか?」

 

 ルーラーのマスターは暫しセイバーが手に持つネックレスを呆然と眺めていたが、やがて大声で笑い出した。それの持つ途轍もない価値に気が付いたのだろう。彼は一頻り笑うと、薄い笑みを浮べて言った。

 

「成る程、十分命を張るに足る。今更、キャンセルは利きませんがよろしいか?」

「無論だ。ただし、死ぬ気で働いてもらうがね」

「セイバー、勝手に話を進めないで」

 

 私が睨むと、やっとセイバーは頭を撫でていた手を放す。

 

「おっと、それは失礼。だが、これからの戦いに向けて同盟を組むというのは既定路線だろう?」

「最初の条件は同じ御三家同士だった筈でしょう?」

「それはそれでやれば良い。旅は道連れと言うだろう? それに時間切れだ――」

 

 言葉の途中でセイバーは背後、ビルに開けた大穴から外を見る。そして、言った。不敵に、愉しむかの様に。

 

「敵が来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今回はセイバー組とルーラー組の話でした。
2章も折り返し地点は超えた感じです。


既に凄まじい勢いで読者が脱落している気がする。
何かしらテコ入れ考えます。
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