怒髪天を衝く、とはまさにこのことだろう。紅蓮の髪を燃え上がらせ、怒りの形相を浮かべるリアスに対し、涼は状況が呑み込めずにいた。なんせ目の前に立つのはあのリアス・グレモリー。突然現れた来訪者が学園どころか駒王町一の超有名人なのだから、度肝を抜かれるのも致し方ないことである。
しかし、なぜ自分とは縁もゆかりもない人物がこうも怒り狂っているのだろう。はっきり言って意味が分からない。確かにクラスは一緒だが、ただそれだけで面識は皆無だ。なにが原因でここまで怒っているのか、その理由がまるで理解出来ない。
とにかく、訳を説明しなければ。このままではスーパーサ○ヤ人と化したリアスに殺られる可能性が限りなく高い。もっとも説明したところで矛を収めてくれるかは大いに疑問だが、今はそんなことは言ってられないのもまた事実。おそるおそる涼は口を開いた。
「え、えーと……グレモリー………さん? なぜそんなお怒りに…………」
「へぇ……あくまでシラを切るつもり?」
「ひぃ!?」
まずい。火にガソリンを注いでしまったようだ。訳を言おうと試みるも、余計に怒りが増してしまっている。現に彼女の背後には憤怒を体現するかのような真っ赤なオーラ(比喩にあらず)が滲み出ている。なんという迫力と恐怖感だろうか。
背中にイヤな汗が流れ落ちる涼を見下しつつ、リアスは迫る。その目はとても冷たく、まるで豚を見るような眼差しだ。冷酷極まりない視線に涼は心臓を射抜かれたかのような錯覚に陥った。怖い、怖過ぎる。
「あなた、名前は?」
「か、かかか加賀美、加賀美 涼です」
「そう、加賀美くんね。で、加賀美くんは私の朱乃を連れ込んでなにをしていたのかしら?」
「リアス! 加賀美くんはなにも悪くないわ!」
「あなたは黙ってて頂戴、朱乃。今は彼に聞きたいことが山ほどあるの。さぁ加賀美くん? じ っ く り 話し合いましょうか?」
(あ、死んだな俺)
朱乃の静止も聞く耳持たず、リアスはさらに語気を強め詰め寄る。もはや逃れることは出来ない……。涼は腹を括り、黄泉の国へ出発する覚悟を固めた。享年十八という短い生涯ではあったが、こんな絶世の美女にあの世へ送られるのならばそれも悪くはないだろう……。なんだかもう色々吹っきれた涼はいつも通り、至っていつも通りな声色で語り始めた。
「────てなわけで、俺は姫島さんに絵を描いて見せてるってわけなんですけど……。頼むから一思いにやって下さい」
「…………」
あらかた経緯は話し終えた。そこに嘘偽りはない。ありのままの真実を涼は伝えた。あとは処刑されるだけなのだが、なぜかその執行人は押し黙ったままなにも喋らない。なにか深く考え込んでいるかのように、顎に手を当て眉間にシワを寄せている。
………どんな刑を執行しようか迷っているのだろうか………ゾッとするようなことを想像していると、リアスは朱乃を呼び奥の方で話し合いを始めた。無論、涼に聞こえない程度の距離で。
「リアス、考え直して。加賀美くんは悪い人じゃないわ」
「………ふぅ………そうみたいね。変な下心があるわけでもなし、確かに悪い人間ではなさそうだわ」
「だったら」
「いいこと朱乃」
優しく諭すようにリアスは告げた。
「私たちは悪魔よ。人間とはなにもかもがかけ離れすぎている。気のいい友人としてなら別に構わないけど、もしそれ以上の関係になった時……どうするの?」
「それ以上の関係なんて……そんなのあり得ませんわ」
加賀美 涼という人物は悪い人間ではない。話した限りではそう判断せざるを得なかった。彼ならば朱乃に手を出すなんてことは到底かなわないだろう。そもそも手に掛けるような気概も感じられなかったし、単に絵が得意な一生徒という印象しか抱かなかった。なるほど、確かに彼ならば男嫌いの朱乃でもそれなりの友好関係は築けるだろう。
だからこそ危ういのだ。彼と朱乃の関係は。
「そうかしら? でもあなたが彼と一緒にいる時、すごく穏やかな顔してたわよ? ……あぁなんで知っているか、なんて聞かないでね? あなたには悪いけど、使い魔に見張らせてたの」
「いつの間にそんなことを……」
「ごめんなさいね。でもこれは主として、なにより友人としての忠告よ。あなたが誰と友人になろうが、そこは私が踏み込める領域じゃない。けどね、私たち悪魔とただの人間に出来る繋がりがなにを意味するのか………よく考えて頂戴」
大きな前提として彼は人間である。対するこちらは悪魔。平和な日常を送る彼らとは真逆の、いわば陽の当たらない闇の存在だ。本来ならばただの人間へむやみに干渉していい立場ではない。祓魔師や教会の連中ならともかく、涼は普通の、それこそどこにでもいるような平凡な人間だ。
そんな涼と悪魔である自分が親しい仲になる────それが表す意味を朱乃はよく知っている。自分の両親がまさにそうだったからだ。もし仮に、自分が原因で涼が巻き込まれることになってしまったら? ……想像しただけで悪寒が走る。
無論、涼と朱乃がそんな関係になることはない。この先もずっとこうしていたとして、二人は三年生。卒業するまでのほんの僅かな間でしか交友は続かない。
だがリアスは気づいていた。涼に対する朱乃の気持ちを。単なる友人とは言うが、明らかに朱乃は涼に特別な感情を抱いている。でなければ男嫌いの朱乃がこうも簡単に男子と親しくなる筈もない。もちろん現時点ではそういう男女の気持ちには至っていないようだが、それも時間の問題だろう。
「さて……脅したりして悪かったわね加賀美くん」
「は、はぁ」
「朱乃、部室で待ってるわよ。……紅茶をよろしくね」
「………ええ」
紅蓮の長髪をたなびかせ、リアスは去っていく。残された二人の間にはただただ痛い沈黙が漂っていた。
「……なんか顔色悪いよ、大丈夫?」
「……なんでもないわ」
「人ってのはなんでもなかったらそんな辛そうな顔はしません」
「…………ごめんなさい加賀美くん。私……」
「あーいいよ。言い辛いことなら無理には聞かない」
あまりに悲しそうな朱乃を見て、たまらず涼は口走った。なにを話していたかは知らないが、彼女にも踏み込んで欲しくない部分があるのだろう。他人のプライベートなのだから自重はすべきだ。それ以上深く涼は聞かないことにした。
そんな何気ない涼の言葉に、朱乃は複雑な心境だった。
涼の優しさはもちろん嬉しかった。だがリアスの忠告が頭に反響し、収まってくれない。
悪魔と人間────それは本質的に相容れることはない光と闇そのもの。もし明かせば、彼は必ず拒絶する。そして二度と絵を描いてくれることはない。
この先、どれ程親しくなったとしても真実を明かすことはないだろう。この心地のいい関係を壊したくはない。これくらいの距離感でいいのだ。彼が綺麗な絵を描き、それを見ては互いに笑みを交わす、ただそれだけの関係でいい。朱乃は自分に何度も言い聞かせた。言い聞かせるしかなかった。
「続き、やめた方がいい?」
「……そうしてもらうわ。本当にごめんなさいね」
「謝んなくったっていいよ。どうせ描くなら笑顔の姫島さんがいいし」
「加賀美くん………」
「ほら、笑って!そんな悲しそうな顔しないでさ。大したことも言えない俺だけど、今は姫島さんの味方だから」
朱乃を勇気づけようと涼は優しく笑った。
あぁ、なんて心優しい少年なのだろう。その暖かさに朱乃は救われる気がした。同時に彼を騙している自分に、それでいて彼との繋がりを失いたくない自分に嫌気が差す。なんと浅ましく、そして卑しいのだろうか。それでこそ悪魔。人の欲を利用し蜜を啜る闇に生きるもの。しかし例えそうだとしても、朱乃は涼との間に出来た光り輝く糸を途切れさせたくはなかった。
溢れる感情は波となり、心を覆い呑み込んでいく。押し寄せる悲しみをせき止めることが出来ずに、朱乃は一筋の涙を流した。そんな彼女に対し、涼はその背中をさする。彼女が泣き止むまで、努めて優しく。ただの人間である涼には、今はそれしか出来なかった。