「………」
父が出て行った後、一人ベットに寝転がりながら涼は再び天井を見つめていた。電気も消し、このまま寝てしまおうとも思っていた。しかし、あんな話を聞いた後では到底寝る気分にもなれず、かといって絵を描く気分にもなれない。今は父の言葉の意味を考えるべきだ。
「……俺が姫島さんを……ね」
ポツリと漏らした言葉は虚空へと消えていく。
"好き"
果たしてそれが本心なのかどうか、涼自身も定かではない。だがそれに近い感情がふつふつと心の奥底で湧き上がってきているのは、はっきりと分かる。言葉では形容出来ないその感情は日を追うごとに増していき、胸を締めつける。
世間一般的に言えば、まさにそれが"恋"そのものなのだろう。そんなことは誰にだって、それこそ涼にでも理解出来る簡単なものだ。
しかし、客観的な恋と主観的な恋では天と地程の差がある。恋は盲目とはよく言ったもので、傍から見れば判断が容易なことであったとしても、それが本人にはまるで分からない。誰かに指摘されてようやく気付くものなのだ。ゆえに今自分を苦しめる熱い感情は、恋に他ならない。
(…………違う、のかな)
その結論まで達しかけた時、涼は頭を振って否定する。確かに朱乃のことは好きだ。だがそれはあくまで友人としてのもの、間違ってもこれが恋だとは思ってはならない。そうだと認めてしまえば、朱乃との関係は一体どうなってしまうことだろう。少なくとも今までのようにはいかないのは必至。なんとしても、それだけは嫌だった。
だから認められない。認めたくない。熱く迸るこの感情がそうだとは。屋上での時間を永遠に葬り去るよりは、心の片隅にしまっておく方が賢明なのだ。涼は必死にそう言い聞かせた。
だがその否定には必ず限界がくるだろう。いつかは心の内に巡るこの気持ちに気付き、どうしようもなくなる。"違う"という言葉に疑問を感じる時点で、最早答えは出ているも同義だった。
頭の中は混乱し、思考が一つに纏まらない。こんな状態では父の言葉の意味など、とてもではないが考えられない。
「……なんか飲むか……」
ここのところ爆発的に増えた溜め息をまた一つ漏らしながら、ゆっくりと起き上がる。思えば喉がカラカラだ。母自慢の料理にもまともに手を付けていなかったのもあって、腹の虫が今になって鳴り始めている。放心していたとはいえ、少しくらいは食べておけばよかっただろうか。そんな後悔を覚えつつ、居間へ行こうとドアに手をかけた、その時だった。
「うおっ!? な、なんだ!?」
突然、まばゆい光が部屋いっぱいに満ちる。目も眩む程の閃光に涼はたまらず目を覆った。やがて光は収まり、目を開けると、なんとそこには背中から羽根を生やした女性が現われたのだった。そしてその女性は……涼もよく知る人物だった。
「……ごきげんよう、加賀美くん」
「……姫島……さん……?」
他ならぬ姫島 朱乃その人が、目の前に立っていた。
◇◇◇◇◇
「………」
「………」
聞きたいことは、山程ある。なんで突然現れたのとか、なんで羽根生えてるのとか……。涼の眼前で起こった出来事はあまりに現実からかけ離れており、未だに受け入れ切れていない。とりあえずそれは置いておき、二人はベットに腰掛ける。が、一言も言葉を発しようとはしなかった。固く口を閉ざし、お互い押し黙ったままだ。
「……えぇっと……と、とりあえずなにか飲み物でも……」
「待って」
痛いくらいの沈黙と、この狭い空間に朱乃と二人きりという空気に耐えかねた涼は気を紛らわす為に飲み物を取ってこようとするが、服の裾を朱乃に引っ張られ足を止めた。困惑顔で振り向くと、なにか決意を固めたような、そんな面持ちの朱乃が目に飛び込んできた。
「ひ……姫島……さん? どうし……」
「ごめんなさい」
「え?」
「あなたに、隠していたことがあるの」
普段とは全く違う雰囲気を纏った朱乃の言葉に面食らいながら、おそるおそる涼はベッドに腰を下ろす。
「隠してたことって……その……羽根のこと、とか?」
「……それも、あるわ。けどそれよりも大事なことがあるの」
「で、でも……なんで?」
「……もう、あなたに隠し事はしないって決めたから。だから……」
静かに立ち上がった朱乃。その背から蝙蝠のそれにも似た羽根、そして堕天使の象徴でもある漆黒の翼を伸ばし、覚悟を決めたような……それでいてとても哀しそうな表情を浮かべ、言葉を紡ぐ。
「全部話すわ。私の、全てを」
とつとつと、朱乃は語り出した。
悪魔・天使・堕天使という三陣営の関係。
自分は堕天使と人間のハーフだということ。
その堕天使に襲われ、母を失ったこと。
あてもなく彷徨っていた時、リアスが手を差し伸べてくれたこと。
そうして自分が、リアスに仕えるようになったこと……。
伝えるべき事実を、全て伝えた。
「…………そ……うなんだ……」
一言呟くと、涼はなにかを考え込むかのように目を閉じていた。
あぁ、やはり受け入れては貰えないのだろう。この事実を話せばおのずとそうなることは覚悟していた。しかしいざそれを受け止めるとなると、目の前が真っ暗になるような錯覚に襲われるようだった。やがて彼が別れの、いや拒絶の言葉を口にするだろう。はたまた恐怖の言葉か。いずれにしろ、朱乃にとっては耳を塞ぎたくなるようなものだ。
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪え、来たるべき終わりを待っている朱乃だが、あまりにも予想外な言葉が飛んでくる。
「……凄い」
「…………へっ?」
予想の斜め上どころか地球を一周して回ってきたような答えに思わず素っ頓狂な声を朱乃は上げた。
「いや、なんというかさ。昔に絵の参考になればいいかなーって悪魔やら天使やら神話やらを漁ってた時があってさ。それが現実に存在してるってなると……まぁ驚きっていうのかな?もうとにかくスゴイ、それしか言葉が出ないって感じだよ」
よく分からないことに、涼は非常に興奮していた。
というのも中学生辺りでそういうものにハマってしまい、それに関連する絵だったり設定だったりを書き殴っていた時期が涼には存在していた。所轄中二病というやつだ。悪魔だとか天使だとか、如何にも中学生が好みそうな要素がたっぷり詰まった設定なのだ、嫌いになれる訳がない。無論今となっては黒歴史にも等しい過去だが、その題材が実際に存在しようとは全く予想していなかったのだ。
何故だかテンションが上がる涼に対し、朱乃は釈然としない面持ちだった。
「……信じてくれるの? こんな荒唐無稽な話……」
「え?あー……まぁ正直あんまり実感湧かないけど。でも羽根生えてるしいきなり現れるし。そんなの見せられたら納得するしかない、かなぁ」
「で、でも……怖くはないの? 私は人間じゃないのよ?」
「って言われても見た目はまんま人間だし、それに魂取ったりしないんでしょ? だったら別に」
いつもと変わらぬ笑みを浮かべ、涼は言う。
「……でも……でも……!」
「姫島さん」
次第に涙ぐむ朱乃を諭すかのように、涼はそっと肩に手を置いた。
「俺、なんとも思ってないよ。そりゃ自分が悪魔です、なんて誰にだって言えないでしょ? だからその、泣かないで」
「でも……私は加賀美くんを……」
「俺は気にしてないし、怒ってもない。姫島さんが誰であっても、それでも俺は大丈夫。いつもの姫島さんだって、思ってるからさ」
「加賀美くんっ……!!」
涼の優しさが、今までずっと押し殺していた想いを溢れさせる。押し寄せる感情の波に逆らえず、朱乃は涼の胸に飛び込み、泣いた。その涙は決して言葉などでは表せられない、雁字搦めになった感情の総意。それを涼の心臓の鼓動が、その暖かさがゆっくりと解いていく。
静かに涙を流す朱乃に困惑しながらも涼はそっと手を回した。暖かい毛布で包むように、優しく。朱乃の涙が枯れる、その時まで。
真っ暗な部屋の中、ただただ響くのは一人の少女が泣く声だけ。それを包むのは、心優しい一人の少年。
窓から差し込む満月の光が、二人を優しく照らしていた。