衛宮士郎が白髪になるまでのお話   作:ぽぽりんご

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第9話

 

 

 どこからか沸いて出た蟲が寄り集まり、やがて人の体を成す。

 しわがれた老人の体。不死身に近い肉体。

 体毛は無く、暗い目だけが闇の中、不自然に浮かび上がる。

 

「意外そうな顔じゃの? 五百年に渡る儂の研鑚、そう簡単に打ち破れると思うてか」

 

 士郎の呆けた顔を、心底楽しそうに眺める臓硯。

 冷や汗が止まらない。

 士郎は一歩前に出て、リアをその背に隠す。

 リアは体を縮めて、士郎の服を握りしめた。

 

「……なぜ、今。姿を現した」

「なに、また儂の計画にちょっかいを掛けて来おったようなのでな。挨拶と──それ(・・)の回収に来たまでよ」

 

 臓硯が数歩、前に出る。

 建物の影から、月明りの下へ。

 光が強くなればなるほど、臓硯の闇が深く浮かび上がる。

 十年前と、なんら変わらない姿。

 家族だったはずの者達を手にかけても、変わろうとしなかった姿。

 

 士郎は、外套の下で武器に手を掛けた。

 背後のリアが、小さく震えているのを感じる。

 子供というのは、悪意に敏感だ。

 生まれたばかりのリアは、隠す気すらない悪意を受けて萎縮してしまっている。

 

「それは、儂とエインズワースが作り上げた器。よもや、今の時点で起動するとは思うておらなんだが──何事も、予想外の事象とは起こりうるものよな」

 

 予想外の事態だが、これで合点がいった。

 没落したはずのエインズワースに、突如として復活した力。

 あの程度の魔術師が、アインツベルンの遺産を手に入れた経緯。

 すべて、この悪魔の差し金だ。

 

「ウィリアムに力を与えたのは、お前か」

「いかにも。エインズワースの置換魔術は特別性でな、少々利用したかった」

 

 それを口にした後、唐突に。臓硯は笑い出した。

 懐かしむように、愛おしむように。

 本当に楽しかったのだろう。底を見せぬ男だが、それだけは分かる。

 

「カカ、あやつめ。魔術回路をエサにすればすぐ協力するかと思ったのじゃが、存外強情でない。挙句の果てに『魔術回路などもういらん。子供達には、普通に生きてほしい』などと血迷い事を抜かしおった。雁夜(かりや)を思い出したわ」

 

 笑いを堪えながら、自らの頭に指を当てる。

 雁夜というのは、臓硯の息子──だったはずだ。少なくとも、表向きは。

 

「だから、儂の蟲を植え付けてやったのよ。雁夜のようにな! そうしたら、奴め。すぐに素直になりおったわ。やり過ぎたのか、ときおり狂ってしまうので調整に難儀したが……まぁ、魔術を使えるのであれば問題ない」

 

 士郎は武器を握りしめた。

 戦いは避けられない。

 

 臓硯が会話を続けているのは、遊んでいるだけだ。

 猫が獲物をいたぶるように。

 もとより、会話をするつもりなどなく。

 士郎達を、逃がすつもりもない。

 

 

「臓硯」

 

 弾丸を入れ替える。

 遠坂の宝石を溶かし、魔術を刻んだ特別製。

 臓硯のような者を相手にするのに、普通の弾頭では意味がない。

 

 士郎は、怒りを乗せて右腕を突き出した。

 放たれる弾丸は必中。

 どこに逃げようと、その命を摘み取る魔弾。

 

 

「お前は、俺の敵だ」

 

 放たれた魔弾は、臓硯の頭を撃ち抜いた。

 空いた穴から、どろりと黒いものが流れ出る。

 通常の生物であれば、即死は間違いない。

 だが。

 

「か、カカカ。カカカカカ!」

 

 臓硯の笑いが止まることはない。

 連続して放った魔弾が無数の蟲を焼失させるが、それを嘲笑うかのように、地の底から無制限に蟲が湧き出てくる。

 倒すより増える方が早い。もはや、士郎の前方は蟲で埋め尽くされている。

 

「さて。さてさて、ここからどうする? お主に打つ手はあるのか?」

 

 爆発。

 いや、蟲が膨張した。

 

 天まで吹きあがった蟲。

 星々が、夜よりなお暗き蟲により覆い隠される。

 蟲同士が擦れ合う耳障りな音が、士郎の不安を煽った。

 地獄の方がまだマシだと、そう言いたくなるような光景。

 

 思わず、足を一歩引きそうになる。

 しかし、背後の守るべき存在が、士郎に力を与えた。

 ちらりと視線を後ろに向ける。

 リアは無事だ。身に纏う魔力風で暴風を受け流しているのは、無意識か。

 

投影、開始(トレース・オン)

 

 視線を前に戻す。

 出し惜しみができる相手ではない。

 士郎は己の魔力回路を最大限回し、自身が生み出しうる最高の幻想の一つを作り出した。

 士郎の右手に生み出されたのは、何の飾り気もない黒く錆びた刀。

 

 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)

 神代三剣のうちの一振り。建御雷神(たけのみかずち)が所持したという、神代の剣──の、レプリカ。

 (いわ)く。この剣は一振りでいかなる毒をも打ち払い、率いる軍勢を勝利へと導くと言う。

 

 士郎に率いる軍勢などいないが、毒を払うというのが重要だ。

 間桐臓硯は、毒蟲を使う。毒を喰らえば致命的。

 また、神性を帯びた剣は邪悪を祓うのにも適している。

 

「ほぉ。その貧相な刀で、儂を打ち払うというのか?」

「できないと思うか?」

「出来ぬな。たとえどんな武器を持とうと、お主では足りぬ。力が、積み上げてきた歴史が。儂とは違うのだ」

 

 士郎が剣を振るう。

 一振りで、数千の蟲が薙ぎ払われた。

 数度振りかざせば、万の敵を。

 振るうたびに、神剣は邪悪を祓う。

 

 

 だが、足りない。

 億にも迫る邪悪を薙ぎ払うには、まったく足りなかった。

 

「くそっ!」

 

 激痛。右腕に食いつかれる。

 痙攣した腕は跳ね上がり、指先の自由が利かない。

 思わず切り落としたくなるが、構っている余裕はなかった。

 次の蟲が、来る。

 

 

「──告げる。我が意に従い、世を満たせ」

 

 呪文詠唱。

 その声は小さく、か細く、震えていた。

 

 リアの魔力が、士郎を覆う。

 単純な風の魔術と、魔力放出の組み合わせ。

 だが、問題はその魔力の質だ。

 リアの白く輝く魔力は、魔を祓う性質を持っている。

 結果として、士郎の体に食いついた蟲はその魔力をたっぷりと吸い込み、そして破裂した。

 

「すまない、助かった」

 

 士郎の言葉に、リアはこくりと頷く。

 白い手が更に白くなるほど強く拳を握り、その体は恐怖と緊張でガチガチだ。

 

 もしかすると、目覚めた直後のリアであれば。

 恐怖も感じず、ただ淡々と力を振るえていたのかもしれない。

 だが、今のリアはただの子供だ。

 人と接し。士郎と接し。純粋な魂を持つホムンクルスは、地に堕ちた。

 

 

 背後にリアを庇いながら、士郎は考える。

 蟲に囲まれたこの状況で、逃げることはできない。

 また、不死身に近い臓硯を殺し切る事も難しい。

 

 最後の手段を使えば、この場にいる蟲すべてを殺し尽くす事は可能だろう。

 だが、それまでだ。この場にいない蟲が押し寄せて、再び同じ状況に陥るのみ。

 ウィリアムにしたように、魂に直接ダメージを与えるというのも難しい。

 なにせ臓硯は正真正銘、使い手による宝具の一撃を受けても存命だったのだ。

 士郎に、あのライダーの騎英の手綱(ベルレフォーン)を上回れるとは思えない。

 

 臓硯を殺すには、彼の魔術の急所を見極める必要がある。

 おそらく、分身をいくら殺した所で、本体を殺すには至らない。

 臓硯の本体。きっと、彼が最も安全だと思える場所に隠されているソレを見つけ出さなければ、この悪魔は殺せない。

 そして、用心深い臓硯が本体の居場所を晒すとは、とても思えなかった。

 

「数が多い!」

 

 リアの叫び声。

 彼女の魔力風により近づけなかった蟲が、徐々にこちらに迫ってきている。

 圧倒的な魔力量による障壁。それすら、圧倒的物量で迫る蟲には及ばない。

 

「これ以上は、もたないか!」

 

 吐き捨てながら、士郎は勝負に出る。

 創り出した弓に、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)をつがえた。

 宝具を自壊させ、周囲の世界を巻き込んで消滅させる。士郎の切り札。

 

「──壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 放つ。

 侵食された世界が景色を歪めながら、尾を引くように伸びる光。

 

 文字通り、世界を切り裂く一撃だ。

 間桐臓硯の心臓に直撃したそれは、耳障りな悲鳴を上げながら世界を暴食。

 広がった歪みは手を伸ばし、億を超える蟲を次々と食い尽くす。

 

 

「ぐっ!?」

 

 士郎は、その場に膝をついた。

 脳の指令を無視した脱力。視線を落とすと、地中から湧き出た蟲が士郎の足に食らいついていた。傷は脚の腱にまで達している。リアの魔力により、蟲はすぐさま剥がれ落ちていくが、もう遅い。士郎の足は、もう使えない。

 

 死して地に落ちた蟲の死骸。

 破裂した腹部からは毒々しい体液が染み出し、地中に染みて黒い影を作る。

 

 

 

 そして、その影に臓硯の頭が生えた。

 

「ほほお。ほう、ほう。小僧にしては、強力な魔術……意外ではあった。これほど蟲を消費させられるとは思うておらなんだわ」

 

 慌てて飛びのこうとするが、遅い。

 いや、一足早く行動していたとしても同じ結末だったろう。

 今の士郎には、文字通り足が無いも同然なのだ。一足早かろうが、意味はない。

 

 士郎は臓硯の手に捕まり。

 そして地面から生えた触手のような黒い泥が、士郎の体に絡みつく。

 

「シロウ!?」

「待て、来るな……っ」

 

 駆け寄ってこようとしたリア。

 士郎の静止に従い一旦は足を止めたが、その顔には恐怖と迷いが混在している。

 いっそのこと、一目散に逃げてくれたらとも思う。

 が、泥に口を塞がれ、士郎は言葉を発する事もできなくなってしまった。

 

(まずい、か)

 

 リアは、迷っている。

 何を迷っているのか、士郎にはよくわかる。

 生まれたばかりの雛鳥が、どんな危険があろうと親鳥に付いていくように。

 すべてを失った士郎が、切嗣に付いていったように。

 リアも、士郎の元に来てしまうのだろう。

 

 怖くて、怖くて、怖くて。足が前に進まない。

 でも、それでも。

 自分が、どうすればいいのかわからなくて。目の前は真っ暗で、前を歩く人がいなければ、どこに行けばいいのかもわからない。

 自分の心を唯一占める存在を失う事の方が、もっと怖かった。

 

 

 

「ほれほれ、どうする? このままでは、小僧が死んでしまうぞ?」

 

 臓硯の言葉を受け、決心したかのように足を踏み出すリア。

 

 だが、その表情に絶望はない。

 わずかに涙を浮かべながらも、臓硯の方を睨みつけている。

 

 臓硯は、リアを追い詰めすぎた。

 戦う選択肢以外残っていないのであれば、腹を括るしかない。

 決意は、力となる。

 彼女は決意した。戦う事を。

 士郎の想いとは、裏腹に。

 

 

 リアの体を覆う魔力が、その光を増した。

 縦横無尽に走る魔術回路が最大駆動し、紫電が走る。

 

 荒れ狂う魔力風が、周囲の蟲を吹き飛ばした。

 彼女が歩みを進めるたび、体に纏う魔力はその濃度を増していく。

 もはや、目に見えるほど濃密な魔力。

 暗闇の中、リアの体が白く浮かび上がる。

 まるで、地上にもう一つの月が生まれたかのように。

 

「……なるほど。一部とはいえ、さすがに英霊の力を宿しているだけはある。力だけなら、大したものといえよう」

 

 臓硯が静かに呟く。

 声のトーンが落ちたのは、脅威を感じているからか。

 

 リアは、大地を踏みしめた。

 両の手を構え、視線は敵へ。

 士郎が教えた、剣の振り方。

 呼吸を整え、己の全力を一瞬で出し切ための所作。

 

 

「ああああああああっ!!」

 

 叫ぶ。

 ただの、魔力の放出。技術も稚拙。うまく伝えきれなかった力が周囲へ霧散し、そのほとんどが無為に消えた。

 だが、その量は圧倒的だ。たとえ一部だろうと、敵に向けて突き進む魔力は全てをなぎ倒し。地面から上半身を生やした臓硯を押し潰し、士郎を捕らえる泥を消し去った。

 

 

 解放された士郎は、息を吸う。

 呼吸が荒い。

 いまだ流れ出る血は肉体への酸素供給を阻害し、痛みで額に汗が浮かぶ。

 特に、脚へのダメージは致命的だ。自由の身になったとしても、ろくに体を動かせない。

 その場に倒れこみそうになる。しかし、駆け寄ったリアによって抱きとめられた。

 

「シロウ、怪我が! 血を、止めないと」

「大丈夫だ、止血は自分で……」

 

 静止しようとする士郎だが、途中で言葉をつまらせる。

 体を無数の剣で串刺しにされたような感覚。痛みで視界が点滅し、意識が遠のく。もしかすると、本当に一瞬意識を失っていたかもしれない。

 

 

 そして、痛みが消えた。いや、今だ鈍く体に残ってはいるが、先ほどの一瞬に比べれば随分とマシだ。

 大きく息を吐き、自らの体を見下ろす。

 血が、ほとんど止まっている。それどころか、急速に塞がりつつある。

 

「リア……これは?」

「わからない。わからないけど、大丈夫そう。よかった」

 

 傷だけではない。失われた魔力すら戻りつつあった。

 食い破られたはずの脚の腱も。まるで、何事も無かったかのように。

 もはや、回復という次元ではない。時間の逆行と呼んだ方が近い。

 

 一昨日と同じだ。あの時も、リアの眠るポッドに手を振れた途端、急速な再生が行われた。

 前回と、今回。その共通点。

 おそらく、リアとの接近・接触がキーとなり発動する力。

 記憶を漁るが、このような魔術は覚えがない。時計塔の文献にも、このような魔術は──いや。士郎はこの力を知っている。経験として知っている。かつての物より劣りはするが、間違いない。

 

 これは、かつての聖杯戦争の時に発現した再生能力。

 第五次聖杯戦争において、士郎の命を幾度となく救い。

 第六次聖杯戦争において、大聖杯に侵入する際の切り札となった力。

 

 

 ──全て遠き理想郷(アヴァロン)

 全てが変わってしまった、あの日。

 衛宮切嗣が士郎の体に埋め込み。今もなお士郎の半身として眠るもの。

 この世全て──時間の干渉すら遮断するそれは、持ち主に文字通りの不老不死を与える宝具。

 

 

 士郎は、遅まきながら理解した。

 見覚えのある、リアの魔力。そして、臓硯の言葉。

 それらを踏まえれば、アヴァロンが発動した理由は明白だろう。

 アヴァロンは、彼女(アルトリア)の魔力に呼応して発動するのだ。

 

 つまり、リアは──

 

 

「失敗作だとばかり思ってたのが、よもやここまでとは。しかも、他者の傷まで拒絶できるのか? そのような文献は無かったが……まぁいい。儂が求める力を宿していることが分かったのだ、これほど喜ばしい事があろうか。カ、カカ! それは儂の物だ。儂が作り上げた物だ。それ(・・)を、その体を、早く。よこせ、よこせ、よこせ!」

 

 先ほどと一転。

 興奮した臓硯が、こちらに手を伸ばす。

 

 蟲が迫る。絶望的な数だ。

 だが、ほとばしるリアの魔力に触れた途端、絶望はその全てが消え去った。

 鎧袖一触と呼ぶにふさわしい。

 

「おお、これはこれは。少々相性が悪いか? ならば」

 

 地面から湧き出た蟲達が、大きく二つに割れる。

 そして、その隙間からズルリと人影が零れ落ちて、地面に広がった。

 

「失敗作の器にも使い道がないわけではない。この世に残された残留思念をより集め、降霊術を用いて器に押し込める……サーヴァントシステムの元となった術よ。少しの間しか命令を出せぬし、実物と比べれば酷く弱いが、些細な問題だ。何しろ、人よりは間違いなく強い。化け物の類を呼び寄せればな……いや、今回はそれすら考慮はいらぬか」

 

 生み出されたのは、右半身に無数の文様を刻んだ女性。

 生気のない肌に反して、圧倒的な暴力を感じさせる肉体。

 見ればわかる。間違いなく、死徒だ。人を超えた力を持つ、化け物。

 

「シロウ、これ借りるね」

 

 リアは士郎の外套の中に手を差し込み、剣を取った。

 士郎は止めようとするが、再生途中の体はいまだ動かず。ろくに声すら出せない。

 

「大丈夫。私、戦えるから」

 

 目が合う。

 不安を押し殺し、決意で上書きした瞳。

 

 だが、駄目だ。

 確かに、迷いのない想いは力となる。

 けれども、やはり。彼女は生まれたばかりの子供であり。

 戦いに耐えうる経験など、まるで積んでいない。

 

 彼女は、まだ。

 戦えない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 新たに現れた人影──死徒は、まっすぐリアめがけて突っ込んで来た。

 その目に宿るのは、狂気か憎悪か。

 血走った目を、ただひたすらリアへと向けて。

 ただ、ただ。真っ直ぐ、突き進む。

 

 あまりに直線的で、リアは少し迷った。

 このまま剣を差し出せば、間違いなく敵は串刺しになる。

 罠かも、とも思うし。

 殺してしまうかも、という不安もあった。

 

 が、リアに時間など用意されてはいない。

 いつだってそうだ。彼女には、何も与えられなかった。

 少なくとも、今回目覚めるまでは。言葉も。愛情も。時間も。生きる意味すら。

 

 

 だから、リアは行動する。

 選択肢があるのに選ばないなど、あり得なかった。

 後悔なんて知らない。経験したこともない。

 

 

 そうして突きだした剣は、そのまま死徒の胸を貫き。

 リアに肉を貫く感触と、溢れ出る血の熱を与えた。

 そして、体を貫かれた死徒が、リアに手を伸ばし。

 

「捕まえた」

 

 思ったより、声は耳元付近で聞こえた。

 風が駆け抜けたかのようなざわめきが、リアの体を通り抜ける。

 同時に死徒の体に刻まれた文様が広がり、リアの体に接触。

 その瞬間、リアの周囲から光と音が消えた。

 

「──え?」

 

 何が起こった。

 わからない。

 

 唯一残った手のひらの感触に注意が集中する。

 血の暖かさ。ぬるりとした液体が、腕を伝い落ちる。

 

 どうしてか、手を伝う感覚に覚えがあるような気がした。

 血の赤。蟲の体液とは違う、リアに流れるものと同じもの。

 

「──私と、同じ」

 

 それは、文字通りの意味で。

 胸を貫かれた人形(・・)から流れ落ちる血は、まさしくリアと同じものだった。

 

 姿形は違う。いや、違ったはずだ。

 無理やりこねくり回され、降霊術を掛けられ。

 だがまぎれもなく、目の前の相手はホムンクルスだった。

 先ほど、臓硯も言っていたではないか。"失敗作の器にも、使い道はある"と。

 

 いつの間にか。目の前には、鏡写しのような人形の姿があり。

 彼女の頬に、血濡れの手の平を差し出している。

 

 

 慟哭。

 心臓の音が、やけにうるさい。

 手足が痺れる。耳鳴りがする。何も見えないし、何も聞こえない。

 そのはずなのに、自分が殺した相手の事だけは、やけに鮮明に見える。

 

 凍り付いた手を、上から握られる。

 瞬間、リアは大きく体を震わせた。震えが止まらない。ガタガタという事のきかない体。そんなリアの耳元で、再び囁きかけてくる声。

 

「イタイ、イタイ、イタイ──死にたくない。どうして、私を殺すの? あなたは、私と同じなのに。何も違わないのに。ここにいたのは、あなただったかもしれないのに」

 

 人形の体がドロリと解け、黒い泥となりリアの体を汚す。

 触れた部分から、相手の意識が伝わってくる。妬み。苦しみ。絶望。

 脳裏をよぎるのは、無数に横たわる自分の姿。

 失敗作だとみなされ、破棄され続ける自分。

 いつ自分の番がくるのかと震え、それでも動くことすらできなかった。

 ただ恐怖を胸に、待つしかなかった。

 

「あ、ああ」

 

 思い出した。

 思い出してしまった。

 

 記憶の底に蓋をして、決して外に出ないようにしていたのに。

 むりやり漁られ、こじ開けられ。一度こぼれてしまった絶望は、もう元には戻せない。

 

「あああああああーーーーッッ!!」

 

 頭を抱える。

 白い髪を穢す血の色だけが、やけに鮮明だ。

 視界が赤い。赤くて、鮮やかで。

 ただただ、怖い。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「リア……? くそっ、動け。動け!」

「クク、他愛なし。あれは儂が作った人形ぞ。何に苦しみ、何に絶望するかなど手に取るようにわかるわ。もうあの人形は立ち上がれん」

 

 幻術に捕らわれたであろうリアを救うため、士郎必死に足を叩く。

 既に傷の修復はあらかた終わっている。あとは、血さえ通えば動かせる。

 だが、なかなか血が通わない。じわりと広がっていく感覚が、もどかしい。

 

 

 やがて、やっとの思いで立ち上がる。

 視線を前に戻すと、崩れ落ちたリアが蟲に包まれ、運ばれていく所だった。

 臓硯の言葉。それを踏まえれば、即座に殺されることはないだろう。

 だが、もしかするとそれは、殺されることより恐ろしいのかもしれない。

 

 間桐臓硯。

 この悪魔は。五百年の間、他者の体を乗っ取り生き続けた化け物は。

 次は、リアの体を乗っ取るつもりなのだ。

 

「お前は、イリヤを……桜を、奪っただけでなく……彼女からも、奪うのか!」

「これは儂の物だといったはずじゃ。不完全とはいえ、英霊の力を宿す体。さぞかし居心地が良いであろう……か、カカカカッ!」

 

 周囲を囲まれる。

 先ほどまでより、漂う臭気が濃い。

 リアがいなくなったため、遠慮はいらないという事だろう。

 

「終わりだ、小僧。儂の糧となるがいい」

 

 蟲が、士郎を喰らおうと迫ってくる。

 宿命の敵を前にしたというのに、士郎は太刀打ちできない。

 士郎は絶望の淵に立ち、唇を噛みしめる。

 もはやこの世界には、希望はないのだろうか?

 

 否。

 この世界に希望が無いなら、人の世などとうに絶望に塗りつぶされているであろう。

 希望はある。

 

 どんなに強く願い、追い求めたとしても、手にできるかはわからない。

 しかし、求めなければ手にすることはできない。

 

 士郎は手を伸ばす。

 彼は、手にできるかどうかもわからないものを。ずっと追い求めてきたのだ。

 

 

「──体は、剣で出来ている」

 

 

 自らの身も顧みない、渾身の一撃。

 おそらく、身の破滅は免れない。

 だが、それでも。

 その手に掴み取れるものがあるというなら、士郎は──

 

 

 

 と。

 希望は、あらぬ方向からやってきた。

 

 暗闇を切り裂く、黒い刀身。

 雨のように降り注いだそれは、引き寄せられるように。間桐臓硯の体に深々と突き刺さる。

 

「が……これはっ!?」

 

 苦悶の声を上げる臓硯を貫いたのは、魔力と聖書で編みこんだ刀身。

 死徒を撃ち滅ぼすために作られた、概念武装。

 

 黒鍵。

 聖堂教会の武器だ。

 

 

「──いい夜ですね。願わくば、慎ましやかな活気を味わうために訪れたかったものですが。この怒りはあなたで晴らすとしましょうか、間桐臓硯」

 

 

 声が終わると同時に、爆発が巻き起こる。

 臓硯に突き刺さっていた黒鍵が、炎をまき散らしながら破裂したのだ。

 ただの炎ではないのか。その炎は、士郎の周辺にいる蟲を舐めるように這い回った後、空中に掻き消えた。

 

 

 士郎は顔を上げ、その攻撃を放った者へと視線を向ける。

 月明りの下、建物の上に立ちこちらを伺う女性の姿。

 修道服を身にまとい、その淡々とした視線は間桐臓硯へ。

 髪は星空のような色を称え、左手に握った黒鍵が鈍い光を放っている。

 

 彼女の事は、士郎も知っている。

 敵に回してはいけない人物として、記憶している。

 

 堕ちた魂を持つ、神罰の代行者。

 一度は異端として断罪されながらも、異端狩りの頂点。埋葬機関の序列、第七位に君臨する者。

 

「人に仇為す悪魔の徒が、大手を振って歩ける道などありません。祈りを知らぬ者、感謝を知らぬ者に鉄槌を──眠りなさい。あなたには絶望すら生ぬるい。あなたの五百年に渡る渇望も、ここで終わりです」

 

 

 ──"弓"のシエル。

 彼女は、両手に持った黒鍵を十字に構え。そう宣言した。

 

 

 

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