油断なく周囲に視線を走らせ、何らかの魔術をその身に纏わせるシエル。ワンアクションで行使した魔術だが、士郎では構成を欠片すらも読み取れぬ高位のもの。埋葬機関の名は、伊達ではないようだ。 魔術をあまり使わないという話だったはずだが、眉唾か。それとも、臓硯を警戒してのことか。
「カ、カカッ! お主が来るとは思うておらなんだわ。教会の犬どもは、ずいぶんと鼻が利くと見える」
少し離れた場所に虫が寄り集まり、新たな臓硯の体が生み出される。
不死身ではない。だが、もはや不滅に近い。
間桐臓硯は、正真正銘の化け物だ。
臓硯が手をかざすと、蟲が濁流のように押し寄せてくる。
だがシエルは慌てず、左手に持った二本の黒鍵を投げつけた。
地面に刺さった黒鍵は爆発し、二人に襲い来る蟲どもは、残らず消し炭と化す。
「ほぉ、やりおる。これでは、圧殺するまでにどれだけの蟲が犠牲になることか……儂とて無尽蔵に蟲を生み出せるわけではない。このまま戦うと、危険かもしれんの」
少々不自然な語り。
あからさまな誘いだが、士郎は攻撃を続けるべきだと判断した。
間桐臓硯は、間違いなく攻撃されるのを嫌がっている。
でなければ、わざわざ駆け引きなどするものか。
士郎は素早く弾倉を交換し、銃を構えた。
遠坂凛特製の弾丸は、もう尽きた。
残っているのは、切嗣の魔術を模倣しようとし失敗した、不完全な物のみ。
自壊の術式が込められた弾丸。魔術に反応し、周囲の魔力を糧に力を発動させる。
失敗作だが、効果がないわけではない。一発の弾丸で、多くの蟲を殺せるだろう。
引き金を引く。
放たれた弾丸は、間桐臓硯の体に迫り──
「!?」
突然、体を引っ張られた。
同時に、弾丸が斬り裂かれる。
キリキリと僅かに震える音。
切り裂かれた弾丸。
その欠片が地面へと落ちる。
いや、切られたのは弾丸だけではない。
先ほどまで士郎が立っていた場所。その周辺にある建物に、線が走る。
幾重もの線。自重を支えきれなくなった建物は、轟音と共に崩壊し、あたりに砂埃をまき散らした。
士郎も。
あの場に留まっていれば、斬り刻まれていただろう。
「危なかったですね。一歩遅れていれば、首ちょんぱする所でした」
「あ、ありがとう……ございます」
士郎を抱えて後方に跳んだのは、シエルだ。
まさか、助けられるとは思わなかった。
魔術師と教会は仲が悪い。
それこそ、殺し合いに発展してもおかしくないほどに。
礼を言った後にシエルから離れ、状況を確認する。
臓硯の気配はない。砂埃に紛れて逃走したのだろう。
相変わらず、逃げ足が早い。
だが、一つ。
強烈な気配が残っている。
士郎の弾丸を防ぎ、一瞬で反撃にまで転じた者。
使う武器は、おそらくワイヤー。
弾丸が効果を発揮しなかった所から考えるに、あれを防いだのは物理的な力だ。
見えなかったという事は、目に見えないほど速いか。目に見えないほど小さいか。おまけに、音もなく攻撃が可能。この条件に当てはまるものは、そう多く無い。
砂煙が晴れた後に残ったのは、執事服の男。
若く、細身の体。だが、それに似合わぬ戦慄するほどの殺気。長い黒髪をざっくり後ろでまとめ、古風な
「──ウォルター・C・ドルネーズ?」
ぽつりと、シエルが呟いた。
士郎は、すぐ脇にいるシエルの顔を伺う。
知り合いという雰囲気ではない。
ということは、名が知れた相手……つまりは、強敵という事。
「知っているのか」
「ええ。吸血鬼専門の殺し屋……だった男です」
吸血鬼。
人を超えた力を持つ化け物。
それを殺せるという事は。
「手強そうだな」
「そうですね。まぁ、並みの吸血鬼よりはよほど強いでしょう」
相手は、動く気配を見せない。
向こうから攻撃を仕掛けてくるつもりはないようだ。
彼の役割は、時間稼ぎだろう。となると、待ちの姿勢は当然だ。
「困りました。ただの旅行中だったもので、残念ながら物騒なものは持ち歩いていないんですよ。さすがの私も、連戦を重ねた上で臓硯を殺し切るのは難しい」
「物騒……?」
先ほど山のように繰り出した黒鍵は、物騒なモノに含まれないのだろうか。
士郎は疑問に思ったが、口には出さなかった。
「だが、時間も無い。女の子が捕まってるんだ、助けないと」
「女の子……? ああ。私が来た時に離脱していった蟲は、そういう事ですか」
シエルは僅かにうつむき、思案する。
今後の展望。こちらと相手の手札を比べて、次の一手をどう打つべきか。
「衛宮君は、臓硯を殺し切る手段を持ち合わせていますか?」
「いや……って、俺のこと知ってるのか?」
「ええ、有名ですから。聖杯戦争の勝者。戦場のスナイパー。正義の味方……最後のは、よくわかりませんが」
まぁどちらにしろ、と呟き。シエルは視線を敵へと向けた。
「臓硯の事は、後回しですかね。
少しいたずらっぽく笑い。
シエルは、士郎の目を見る。
暖かな瞳に隠された、冷たい眼差し。
その目は、どことなく衛宮切嗣を彷彿とさせた。
「私が前に出るので、衛宮君は周辺警戒をお願いします。あの臓硯が、駒一つ置いて満足するとは思えませんからね」
「ああ、わかった」
士郎は、数歩後ろに下がる。
自分が後ろに下がる事に対し、思うところが無いわけではない。以前の士郎であれば、危険な役割を率先して引き受けていた。が、互いの戦力を考えると、これがベストだろう。士郎は、接近戦が得意というわけではない。
シエルが大地を蹴った。
きしむような音が、その軌跡をなぞるように這い回る。
斬り刻まれ崩壊していく建物をくぐり抜け、シエルは執事服の男への接近を試みた。
またたく間に、周辺は瓦礫の山だ。人は残っていないと思いたいが──
瞬間。
士郎は、前方へ身を投げ出した。
◇◇◇
「避けられた」
魔弾の一撃。
それは、標的の頭を掠めて飛び去った。
弾道を曲げれば当てられないこともなかっただろう。
だが、どういうわけか。その気にならなかった。
しいて理由を挙げるとするならば。
その弾は、外れるのが自然な気がした。
そう表現するほか無い。
ともあれ、殺気も予兆も感じさせぬ一撃だったはずだ。
いや、仮に気配を隠そうとしていなかったとしても、離れた箇所からの狙撃。
通常であれば、回避できるはずがない。
であるならば、通常ではない事が起こったという事だろう。
魔弾の射手は、口笛を吹いた。
「……死の臭いを感じ取った」
彼は、ずいぶんと死に近い場所に身を置いてきたようだ。
人間であるはずなのに。
人を捨ててまで争いの中に身をおいた、自らの魔弾の一撃を凌ぐ。
彼女は、笑みを浮かべた。
本来なら、どうでもいい仕事だったはずなのに。
どうでもいいからこそ、放った弾丸だったはずなのに。
今は、とても楽しい。
「見事ですわ、見事ですわ。彼は生きながらにして死んでいる。であるゆえに、いまだ生き長らえている。果たしてその生に意味はあるのか……滑稽極まりない」
そばかすが唯一特徴的な、平凡と言える顔だち。黒く長い髪に、黒いスーツ。
手にしたマスケット銃が、ひどく不釣り合いな姿。
だがその骨董品とも呼べる銃は、彼女にひどく相応しい。
「私は殉教者。たとえ亡霊と化しても、生きる意味を失ってたとしても、それは変わらない。ここは狩り場で、獲物もいる。ならば」
呪われた我らの旗を。
失われた我らの
既に墓標にすぎないとしても。それでも掲げるのだ。
我らは信奉者。我らは狂信者。
たとえ時代に取り残されようとも、望まれ、恐れられる通りに振る舞おう。
あるがままに命を奪い、あるがままに命を散らそう。
そうして、墓標にその証を刻み込む。
ここは猟場で、私は猟師。
さぁ、狩りの始まりだ──
「ああ、待ち遠しいですわ。待ち遠しいですわ。その脳髄が赤く花開くのを、楽しみにしておりますのよ」
さようなら、私の恋人よと。
そう彼女は歌い上げる。
彼女は、魔弾の射手。
最後の大隊の亡霊。
吸血鬼の王に殴殺された、狩人。
彼女は手にしたマスケット銃をまっすぐ突き出したまま、息を吐く。
「さぁ、終曲まで踊り続けましょう──有象無象の区別無く。私の弾頭は許しはしないわ」
鷹のような視線で、獲物を射抜いて。
彼女──リップヴァーン・ウィンクルは、そう宣言した。