士郎は、足を踏ん張り転倒を避けた。
視界が歪む。間近を通り過ぎた弾丸。軽い脳震盪の状態だ。
だが、今倒れるわけにはいかない。
次の一撃が、すぐに来る。
士郎は、そう確信していた。
どこから撃ってきたのかはわからない。
だが、今すぐ対処しなければ危険だ。
視線を戻すと、既にシエルは接敵している。
そこに横やりを入れさせるわけにはいかない。
士郎は、視線を後方に向けた。
狙撃手はそちらにはいない。それはわかっているが、確認しておかなければならない事がある。
飛び去ったはずの弾丸。ただそのまま進み、やがて地に落ちるはずの攻撃。
だが、空を切る音は鳴り止まず。
先ほどまでは鳴りを潜めていたその殺気を押し殺すこともなく。
魔弾は空を縦横無尽に切り裂き、やがて士郎を射抜かんと迫ってきた。
「執念深いな」
先ほどのように、体をひねって回避しようとする。
が、魔弾は士郎の動きに併せてその軌道を修正。
逃げられない。魔弾は、まるで影のように付いてくる。
だが、それは予想できていたことでもある。
縦横無尽に空を飛び回るのを見ていれば、当然だ。
もし、初見で軌道を曲げられていたならば。為す術もなくやられていたであろうが。
ガキン、と金属音が響きわたる。
手にした刀剣に響くのは、重い衝撃と振動。
弾かれた弾丸は、地面にたたき落とされ──
「……ぐっ!?」
速い。
地にたたき落とされた魔弾は、地面すれすれを這うように進み、士郎の脚を撃ち抜いていた。
とっさに避けたため動脈まではやられなかったが、出血を放置すればやがて致命傷へと至るであろう。
士郎の身に纏う服は、ただの服ではない。魔術礼装に強化魔術を重ね掛けした、特別製だ。
それをたやすく貫く弾丸。やはり、何らかの概念武装。
走りつつ、地に落ちた二刀目を回収。リアが使った剣だ。士郎は足を止め、魔弾を迎え撃つ。
投影を使えば迎撃の手助けにはなるが、手の内を見せるのにはまだ早い。臓硯から士郎に関する知識を与えられている可能性もゼロではないが、可能性は低いだろう。術式というものは、結果が曖昧になるほど強度を失うものだ。余計な手を加えて、呼び出した霊への支配力を低下させる。そのような手を、臓硯が好むとは思えなかった。
光が交錯する。
士郎の剣と、狙撃手の弾丸。共に黒い金属ではあるが、月明かりを受けて、僅かに銀の軌跡を描いた。
軌跡は、嵐のように。幾度と無く弧を描き、そして再び激突する。
◇◇◇
リップヴァーンは、笑みを深めた。
獲物の健闘に。自らの力を振るえる喜びに。
自身の放った弾丸では、威力が不足しているらしい。
「ただの人間ではない……素晴らしいですわ、素晴らしいですわ。獲物の抵抗を受け止めるのは、猟師の勤め」
ただの人間を殺すのであれば十分であったろう。
だが、人間でないモノを殺すには不十分。
化け物を殺すには、相応の意志が必要だ。
「しかし。獲物の抵抗を無惨に食い破るのも、猟師の勤め」
舞うように剣を振る彼ならば。
やがて弾丸は力尽き、地に落ちてしまうのだろう。
ならば、もう少し強く。
遊びは無しだ。今の自分の全力を持って、獲物をしとめよう。
さて、どこまで逃げられるか。こちらの思惑を越えてくるのか。
リップヴァーンは、マスケット銃を構えた。
長い間、リップヴァーンの手足となってきた銃。
あまねく全ての命を狩り取ってきた、自らの分身。
力を失った弾丸が地に落ち。
そして、まっすぐ突き出した銃から二発目の魔弾が放たれ、獲物へと向かう。
そして同時に、獲物と目が合った。
「──ッ!?」
距離にして2km。
おまけに、夜だ。月明かりがあるとはいえ、人の目は暗闇を見通せるようにはできていない。
やはり彼は、特別な人間のようだ。
代行者か、魔術師か。あるいは──英雄か。
◇◇◇
目が合った。
士郎は、敵の姿を確認する。
そばかすが特徴的な、どこにでもいそうな女性。
だが、その目だけが異質。
あれは、兵士の目だ。武器を手にすれば豹変する。
ただ無心に。心のスイッチを切り替えて標的の命を狩り取ることのできる、機械の瞳。
敵の発見に成功した。
ならば、次に打つべき手は。
己の最大限の力を持って、敵を殲滅する。
情報がない以上、それが最善手。
だが、時間切れだ。索敵に時間を使いすぎた。
次の手を打つ隙はない。
士郎の視界に、弾丸が迫る。
「──ッ!?」
剣が飛ぶ。
響くのは、破砕音。剣が砕かれたのだ。
飛散した刀身が、月明りを反射してキラリと輝いた。
先ほどまでの弾丸とは、威力が違う。
人の身で立ち向かえるレベルではない。
もっと手の内を晒してほしくはあったが。
これ以上、様子見で済ませるのは不可能だ。
士郎は、迫る弾丸を残った左の刀剣で弾く。
苦し紛れの一刀。なんとか弾道を逸らすことには成功したが、やはり一撃で刀身が砕かれた。
二本の刀剣を砕かれ、士郎に残された手段は。
破裂音。
武器が砕けたわけではない。そも、砕ける武器が士郎には残されていない。
音を放ったのは、手にした拳銃。そこから放たれた.454カスール弾が、魔弾と激突した。
「
手は止めない。
引き金を引くたび、魔弾が弾け飛ぶ。
弾切れとなるまで、わずか二秒あまり。
だが、十分だ。
幻想を生み出すのには、十分だ。
士郎は、新たに手にした刀剣で。
魔弾を両断した。
◇◇◇
「!?」
魔弾との接続が強制的に解除され、リップヴァーンは息を飲んだ。
剣や銃で魔弾を迎撃したのは、まだいい。
曲芸どころの技術ではないが、リップヴァーンとて迫り来る銃弾の雨を迎撃するぐらいの事は可能だ。
だが。
「私の魔弾を、塗りつぶすか! ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」
怒りのあまり、唇を噛みしめる。
甘美な血の味も、今は怒りを掻き立てる材料にしかならない。
と。
ゾワリと全身の毛がそそり立つ。
生理現象とは無縁の体だ。ただの錯覚であろう。
だが、生命の危機を感じ取った事は事実だ。
視線の先。
そこに佇むのは、魔弾の標的たる人間。
彼は、どこから取り出したのか。大きな弓を構えていた。
黒い弓。光を奪うようなまがまがしさ。
つがえられているのは、先ほど魔弾を両断した剣。
「──」
敵の唇が、何事か呟いた。
同時に、剣が無数の矢に変貌して空へと広がる。
流星のような光。それが無数の雨となりて、リップヴァーンへと迫る。
あと二秒もすれば、その身は無数の矢に撃ち抜かれるであろう。
「schieBen!」
だが、そうはならない。
魔弾の射手が、撃ち負けるわけにはいかない。
ドンと音を立て、三発目の弾丸が放たれる。
チキチキと耳障りな音を立てて空を切り裂く弾丸は、無数に飛来する光の矢を、残らず撃ち落とした。
弾丸の結界。彼女の周囲には、何者も近づけない。
どんな武器も。たとえミサイルが雨のように降り注ごうとも。それは変わらない。
だが。
それを覆してこそ、魔術の到達点。最大級の奥義──
「あ、」
リップヴァーンは悲鳴を押し殺した。
獲物の周囲の空間が歪み、そこから
この世ならざる物。
存在しないはずの物。
無限の軍勢。
駄目だ。同じだ。
あの化け物と。あのアーカードと。
「
世界を侵食し、塗りつぶす。
元はただの一個体だった存在が、世界を喰らい尽くす超常現象。
あれは、危険だ。
あれと、撃ち合ってはいけない──!!
「あ、あああ」
震える手で、次の弾丸を込める。
いまだ空を舞う魔弾は、放棄した。
あれでは、勝てない。
マスケット銃を、強く握りしめる。
すがるように。恐怖から逃れるように。
そして、己の意志を弾丸へと込めた。
イメージするのは、最強の魔弾。
全力を持って。全身全霊を持って。己の全てを、魔弾へと。
「ああああああああ!!」
駄目だ、弱すぎる。
何故だ。自分はもっと、強かったはずだ。どんな障害も、自らの魔弾の前には無力だった。
もっとだ。もっと、もっと。さらなる力を!
「は、はは。そうだ、この力だ。これこそが、私の全て! 私の魔弾!」
相手も、自分と同類。
紛れもなく、魔弾の射手。
物量では敵わない。
世界を塗りつぶすような存在に、勝てるはずがない。
だが、ただの一発ならば。
ただ一つの弾丸であるならば。
私の魔弾が勝つ──!
リップヴァーンは、引き金を引いた。
至高の魔弾。
それは、迷うことなくただ一点を目指し、突き進む。
距離の概念を越えて。時間の概念すら縮めて、ただひたすらに。
敵の魔弾が自らの身を滅ぼす前に、敵を打ち倒す。
リップヴァーン・ウィンクルは、既に死滅している。
ここにいるのは、ただの亡霊。残留思念。
間桐臓硯の降霊術によって呼び出された、幻想に過ぎない。
だが、確信を持って言える。
今の一撃は、紛れもなく自身の会心の一撃であると。
だが──
「──
空中に展開された三枚の花弁が、リップヴァーンを押し返す。
激突の衝撃で空気は弾け飛び、急激に変化した気圧が周囲に霧を作り出した。
士郎が投影したのは、ギリシャの大英雄アイアスが用いたという盾。
かつてのトロイア戦争において、英雄ヘクトールの一撃をも防ぎ切ったという伝承を持ち、投合武器に対して絶対的な耐性を誇る宝具。
「ぐ、が……ッ!」
リップヴァーンの体に罅が入る。
砕け散らんとしているのは、魔弾か。それとも自身の体か。もはや、区別が付かない。
「届かない……!」
身を滅ぼす覚悟をしてなお、貫けない。
屈辱的で、絶望的だった。
己の全てが。自身の歩んできた道のりが、否定されたような気がして。
「ああああああッッ!」
弾丸を引き戻し、あらゆる方向から盾を食い破らんと迫る。
数十。数百。
十秒にも満たぬ間に、千に迫るほどの激突を繰り返し。
ようやく、花の盾に陰りが見え始める。
花びらが、一枚散った。
弾丸を大きく引き戻し、渾身の一撃を。
ピシリと。致命的な音を響かせながら、二枚目の花びらが散る。
あと一枚。あと一枚を撃ち抜けば、魔弾は標的を討ち滅ぼす。
そうして、満身創痍の体で最後に残った盾と激突し。
リップヴァーンの体は、砕け散った。
「あ──」
パキンと音を立て、砕ける弾丸。
自らの全てを込めた弾丸。
魔に落ちた人生、化け物としての存在全てを捧げた、魔弾。
それが、砕け散る。
そして、敵が魔弾を放つ。
リップヴァーンは、敗北を悟った。
もしかすると。みっともなく喚き、地べたを這いずり回って逃げ回れば生き残れたのかもしれない。
魔弾など捨てて、最初から逃げていれば、助かったかもしれない。
だが彼女は、もう決めたのだ。絶望に立ち向かうと。
あの日、
だから彼女は、迫る絶望から目を背けなかった。
敵の放った矢は、込められた幻想を自壊させながら突き進む。
現実を浸食するほどの幻想。それが自壊するということは、現実世界をも巻き込んで滅ぶという事だ。
それを喰らえば、どんな生物も。どんな化け物も、無事では済まない。
リップヴァーンは、マスケット銃を握りしめた。
そして、祈りを捧げる。
迫りくる光を受け入れ、死を受け入れ、そして敗北をも飲み下す。
──ああ、来る。
死神が、鎌を引きずりながらやってくる
暗い瞳でこちらを見据え、ゆっくりとやってくる
その手は獲物を地獄に引きずりこみ、そして深淵の谷底へと無造作に放り捨てるのだ。
彼女を駆り立てたものが、消えていく。
狂信者が信仰を失えば、何も残らない。
何も。
「……私は、敗れたのか」
燃える。燃える。
体が朽ち果て、消えていく。
再び暗い谷底へと吸い寄せられる。
彼女は、両の手を広げて。自らを打ち倒した魔弾を受け入れ。
光の渦に飲み込まれ、その身を煉獄の炎に焼かれ。
こうして。
リップヴァーン・ウィンクルは、三度目の死を迎えた。