衛宮士郎が白髪になるまでのお話   作:ぽぽりんご

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第12話

 

 

 地に落ちる。

 技巧を凝らした術も、肉体が朽ち果てれば意味は無い。

 

 シエルは剣を下ろした。

 自らの剣で倒したわけではない。

 彼は、自滅だ。

 

「……肉体が、持たなかったのですか」

 

 視線の先で膝を折るのは、かつて老齢だったはずの執事。

 見た目こそ若返ったが、彼はどうしようもなく朽ちている。

 肉体と同様。夢も希望も、生きる意思すらも消えてしまっているに違いない。

 

「そのようで。せめて、一夜程度持ってくれればよかったものを」

 

 自嘲気味に嗤い、目を閉じるウォルター。

 もはやその声に覇気は無く。指に繋がれたワイヤーは力を失い、地を這った。

 

「あなたは、死徒ではありませんね」

「死徒だよ。この力を手に入れるために、化け物に成り果てた」

「いいえ」

 

 シエルはかぶりを振った。

 そして真っすぐウォルターを見て、こう告げる。

 

「化け物ではありません。あなたは、人を喰らってはいない。あなたは、心を失ってはいない。ただの人だ」

 

 私と違って。

 そう口にしかけたが、シエルは口を閉じた。

 それは、余計な情報だ。余計な感情だ。

 今、口にすべきではない。

 今すべきことは、ただ事実を述べるだけ。

 

「だから、死ぬ」

 

 化け物の体に、人の意思。

 酷くちぐはぐで、不適切だ。

 化け物の体に宿るべきは、化け物の魂。

 シエルには、それが否が応にも理解できた。

 

「……そうかも、しれないね」

 

 ウォルターは、僅かに笑みを浮かべて目を閉じる。

 シエルは手を組み、神への祈りを捧げた。

 死にゆく命への祝福。

 だがウォルターは手を挙げ、それを制した。

 

「祈りは必要ありません。人は死ねばゴミです。ただの、ゴミになる。弔いは不要」

「……考え方の相違ですね。私は自分がしたいから、そうしている」

「ふむ──なるほど。確かに、死者が生者に口出しすべき事ではないかもしれない」

 

 ウォルターは懐に手を入れる。

 煙草だ。武器(ワイヤー)がある時点で、ふと脳裏をよぎったが。まさか、本当にあるとは思っていなかった。いや、もしかすると夢や幻の類かもしれないが。それすら区別が付かない。

 

「どちらでも、かまわないか」

 

 慣れた手つきで口に加え、火を付けた。

 煙が肺を満たす。慣れ親しんだ、ロンドンの香り。

 

 息を吐く。

 満たされたものが抜けていく。

 少し、寂しい気持ちになった。

 

「……夢を追い求め、あの一夜の戦いにすべてを賭け。そして敗れた、敗残兵。覚めない夢などないのだ。私はここで、再び死ぬ」

 

 ああ、消える。

 そうだ。消えるべきだ。

 無理やり引っ張り出されるなど、無粋な真似を。

 演じた舞台は既に幕を下ろした。

 なら、役者も退場すべきだろう。

 

 

 だが、最後に一つだけ。

 伝言ぐらいは、残してもいいだろうか。

 あの日は、このまま死のうと思った。

 全てを捨て、決して後戻りはすまいと思った。

 

 だが、せっかく蘇ったのだ。

 気まぐれに一つぐらい、足跡を残してもいいではないか?

 

 

「──伝言を、お願いしたい。お嬢様に」

「はい」

 

 シエルは、待っていたと言わんばかりに返答した。

 生前、主にすべてを捧げた男。

 彼が最後に望む事など、直接彼を知らないシエルでも容易に予想できた。

 

「私は──」

 

 シエルは、彼の言葉を一字一句違わず記憶した。

 とても不幸な事に、記憶力には自信がある。

 忘れたい事すら忘れられぬ身だ。

 

「請け負いました。必ず伝えます」

 

 それを聞いたウォルターは、安心したように力を失う。

 手から煙草が零れ落ち、地に着く前に崩れて消えた。

 

 

「眠りなさい、ウォルター・C・ドルネーズ。願わくば、あなたの行く末に安寧がありますように──Amen」

 

 シエルは、祈りを捧げた。

 人の死には、慣れている。

 死は救いだ。人にとって、死は救いになる。

 終わりのない夢など、悪夢でしかない。

 

 

 少なくとも。

 かつての自分にとっては、そうだった。

 

「……ま、もうちょっとぐらい夢を見たいという気持ちも、ないではありませんが」

 

 以前であれば、考えられなかった事。

 人の気持ちなんて、そんなものなのかもしれない。

 

 心に残るものがあれば。

 願い、渇望するものがあれば。

 人は、生きていける。

 

 だから、心を燃やすのだ。

 たとえその対象が、愛でも。友情でも。

 

「……それが、たとえ。アーパー吸血鬼に対する嫉妬でも」

 

 天真爛漫なクソ笑顔を思い出し、シエルはわずかに笑みを漏らした。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 弓を自壊させる。

 歪な幻想は、あっという間に空気に溶けて消えた。

 

 士郎は、こちらに歩いてくるシエルの方に目を向けつつ思案する。

 見せすぎたかもしれない。

 並の魔術師であれば、他者との戦闘中に術式を解読する事など、できやしない。

 偽装さえしてやれば、士郎の特異性を見抜ける者は少ないだろう。

 だが、彼女は埋葬機関の七。化け物殺しの頂点に君臨する存在。

 化け物の臭いには。特別、敏感だ。

 

「ああ」

 

 士郎の視線を受けたシエルが、ふと思いついたように声を漏らした。

 そして、苦笑しながら続ける。

 

「私の相手も、亡霊とは思えぬほどに強かったですからね。衛宮君の戦いに目を向ける余裕がありませんでした。ですから、心配はご無用ですよ」

「……それは」

 

 あからさまな、見て見ぬ振りをします宣言だ。

 先ほどまでの殺気に満ちた雰囲気は霧散し、殺しの専門家とは思えないほど落ち着いた空気を放っている。

 仮に、小さな町でパン屋の店員をしていたとしても違和感を覚えないだろう。

 

 それが、少し恐ろしい。

 好意的に接してもらっているのにそう感じてしまうのは、教会の連中に良い記憶が無いからだろうか。士郎にとって教会の人間といえば、人の苦悩を至上の喜びとするあの男だ。彼は、士郎の記憶の深いところに刻まれてしまった。

 

 士郎は頭を振り、嫌な記憶を振り払った。

 

「っと、悪い。さっきは助かったよ。危うく死ぬところだった」

「いえいえ、こちらこそ。もう一人を抑えていてくれて、助かりました……とはいえ、臓硯には逃げられてしまいましたね」

 

 シエルが視線を下げる。

 士郎の怪我の具合を見ているのだろう。

 ほとんどはかすり傷だが、脚に一発。直撃してしまった。

 

 

 治療を申し出たシエルを、士郎は受け入れる。

 敵意は感じないし、傷が深いのも事実。

 臓硯を追撃しようというのに、ろくに脚が動かないのでは話にならない。

 

「やや深いですか。術式は固定しておきますが、表面を塞ぐだけでもあと二時間程度はかかるでしょう」

「二時間……」

 

 長い。それでは、臓硯の追撃は難しい。

 士郎は唇を噛んだ。

 

「ああ、ご心配なさらず。臓硯は、私が追いますので」

「君が?」

「最初からそのつもりですよ。衛宮君は、私の知り合いと合流して下さい。もうすぐ、この町に到着するはずです」

「聖堂教会の人間か」

「ええ。まぁガラは悪いですが、むやみやたらに噛みつく習性はないので安心して下さい。彼らに馬車馬のごとく働いて貰いましょう」

 

 シエルの話をまとめると、こうだ。

 士郎は、シエルから受け取った術式を教会の連中に渡す。術式の中身は、シエルの位置を知らせるもの。これがないと、気配を断ったシエルを追う事などできやしない。

 彼らには、後詰めの戦力。そして、装備の運搬を担当してもらう。

 そして士郎は、教会連中が臓硯と争っている間にリアの居場所を特定し、救出する。

 

「五百年の時を生きる大魔術師、万全を期してなお危うい。負けるつもりはこれっぽっちもありませんが、勝つとなると断言はできません……殲滅と救出は、別の者が行った方がいいでしょう。目的がはっきりしている方が、動きやすい」

「……すまない。恩にきる」

 

 士郎は頭を下げた。

 言い方を変えてはいるが、リアを助け出すことに全力を尽くせと言われているのだ。この人は、殺し屋をするには優しすぎるのではないかとも思ったが。そういば自分もそう言われていたなと思いだし、士郎は苦笑した。

 

 

「ああ。臓硯を追う前に一つ、尋ねたいのですが。その子は、あなたにとって大切な人ですか?」

「……大切かどうかは、関係ないだろう。子供を助けたいと思うのは、自然なことだ」

 

 少し言い淀む。

 あまり、意識はしていなかった。

 庇護を必要としている。だから助ける。そこに、それ以上の理由なんてない。

 イリヤに似てはいるが、仮にリアが普通の子供だったとしても士郎は助けようとしただろう。

 出会ってまだ二日だ。彼女が何を思い、何を望んでいるのかすら士郎にはわからない。

 

 だが、もしかすると。

 あの子は、衛宮士郎にとって特別なのかもしれない。

 そうでなければ、今の問いに対して迷いを抱くことも、なかったはずだから。

 子供を助けたいと思うことは、自然な事だなどと。言い訳じみた言葉を重ねてしまったのも、自分に対する誤魔化しなのかもしれない。

 

「返答として適切ではないですが、まぁあなたの心情と信条は伝わったので良いとしましょう。お人よしなんですね、衛宮君は」

 

 いたずらっぽく笑い。

 彼女は、そう答えた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

『間桐臓硯の出現に加えて、代行者──それも、あの"弓"と共闘とはね。もう何が出てきても驚かないわ』

 

 シエルと別れてから。

 士郎は、遠坂に状況を伝えた。

 士郎が知恵と力を借りるとしたら、遠坂凛を置いてほかはない。

 

 ただ、例のうっかりが発動している気がするので、無条件で頼り切るのもまずそうではある。

 以前遠坂が、魔術師教会・聖堂教会が動かない根拠として挙げた理由。

 "衛宮士郎は、遠坂凛の思惑に逆らって動いている"という話。

 今さらになって考えてみると、部外者である聖堂教会にわかるはずがない。

 気づかぬ士郎も自省すべきだが、普段の遠坂ならそんなポカはしないだろう。

 

 ちなみに、シエル自身は偶然この辺りに居合わせただけらしい。

 なんでも、スパイス収集旅行中に緊急招集が掛かったのだとか。

 目的を隠すにしても、もう少しマシな言い訳があると思うのだが。

 

 

『で、士郎はどうするの? 聞くまでもないでしょうけど』

「リアを助けに行く」

 

 溜息。

 電話越しではあるが、士郎には遠坂の表情も。その仕草も。手に取るように分かった。伊達に、長年苦労をかけてはいない。

 

『……聖堂教会と、利害が一致する事はある。協力する事もある。神秘の秘匿より自身の目的を優先する臓硯はもはや、魔術協会・聖堂教会双方にとって共通の敵。アインツベルンのホムンクルスなんて、もう眼中にも無いでしょう。けど、共闘は出来ないわ。"弓"一人ならともかく、その町に向かってるのは第八秘蹟会。集団戦闘を専門とする連中よ。部外者を招き入れて手の内を晒すなんて、ありえない』

「ああ、わかっている。敵の拠点に着いたら、俺は単独行動するつもりだよ。弓とも話がついている。俺には、お姫様を救い出す役割をしてほしいんだとさ」

『あくまで向こうは殲滅、こっちは救出を目的として動く……要は"邪魔をするな"という事ね。ま、落とし所としては悪くないか。とはいえ、士郎が臓硯と相対する可能性は非常に高いわけだけど』

 

 それは、士郎も覚悟の上だ。

 臓硯が、シエルを懐に入れるとは思えない。全力で妨害するであろう。

 逆に言うと。士郎は、比較的容易に臓硯の懐へ潜り込めるということ。

 

 

『それで? 士郎としては、私に力を貸して欲しくて連絡してきたってわけかしら』

「ああ。俺一人の力じゃ太刀打ちできない。だから力を貸してくれ、遠坂」

 

 ふふん、と遠坂は嬉しそうな声を漏らし、得意げに続けた。

 

『そう? そこまで言うなら手を貸してあげてもいいけど? 並行世界に飛ぶのはまだ無理だけど、同一世界の別の場所に飛ぶだけなら──』

「良かった、俺一人じゃ魔力が足りなくて困ってたんだ。遠坂から魔力を融通してもらえれば、だいぶ楽になる」

『……は?』

 

 発言の途中だったが、士郎は口を挟んだ。

 近づいてくる気配を感じたからだ。おそらくは、聖堂教会の連中。

 遠坂から魔力を借り受ける事は、過去に何度か行っている。

 別段、打ち合わせを必要とはしない。

 

『……わかった、力を貸すわ。士郎がびっくりするぐらい強力に援護してあげるから、覚悟しなさい』

「なんだよそれ。後が怖いな」

『ええ、ええ。そうでしょうとも。私の取り立ては厳しいわよ。受けた恩の分は、きっちり取り立てに行くから』

 

 若干怖い発言をしつつ、遠坂は通話を切った。

 

 

 

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