士郎が「ルアク」という町を最初に調べたのは、数年前。
まだ士郎が時計塔に所属していた頃だ。
時刻は早朝。
時計塔の活動が最も希薄になる時間帯。
士郎は、自室で資料を読みふけっていた。
ルアクという町は、取り立てて特筆すべき物のない町だった。
歴史の表舞台に立つことは無く、脚光を浴びることもなく、産業といえば多少の鉱山があるのみ。交通の要所からも遠く離れている。周囲の砂漠と比べれば水資源が豊富ではあるが、それにしたって"比較的"程度の話でしかない。起伏の激しい土地であることを考えれば、むしろ避けられてきた土地であると言える。人口も、最盛期で三万を越えることはなかった。
それが、十年前までのルアク。
それが一転、今では反政府勢力の一大拠点となっている。
政府軍との小競り合いは絶えることなく、まさに火薬庫といって差し支えない政情だ。
紅茶を口にしながら、士郎は資料のページをめくる。
味は悪くないが、少々香りが甘すぎる。
緑茶があれば良かったが、残念な事にこの地方で士郎の好む緑茶は貴重だ。
ストックは切らしている。
次のページに書いてあったのは、ルアクの経済状況と貧困層の数。
十年ほど前から、加速度的に貧困層の数が増えている。
そうして紛争の開始を契機に、他の地方に人が流出し、貧困層の増加に歯止めがかかった様子が見て取れる。
「……ん。この資料、変じゃないか?」
資料の説明を読むと、紛争が原因で貧困が蔓延したと記載されている。
しかしデータを見ても、そうは読めない。
気にはなる。
が、そろそろ時間のようだ。
隣の部屋で、人が動く気配。
士郎はエプロンを付け、朝食の準備を始めた。
◇◇◇
「士郎ー、飲み物用意して……」
ゾンビが現れた。
いや。ゾンビのような動きだが、ゾンビではない。
これは、遠坂凛。
時計塔の者達が見れば目を疑うような光景だが、遠坂の朝はいつもこうだ。
大抵の者は、顔を洗えば多少なりとも目も覚めようというものだが、その程度で遠坂の血圧は回復しない。
「用意はできてるぞ」
「ありがとー」
ふらふらとした動きでテーブルに着き、カップを口にする。
体を温める作用のある紅茶だ。あと数分もすれば、起動処理が完了するだろう。
食事を運び、士郎も椅子に腰かけた。
目玉焼きに醤油を垂らし、口にする。
遠坂もゆっくりとソースを垂らし、食事にありついた。
目が死んでいる。死んだ魚でも、もっと活力のある目をしている。
開きっぱなしのドアの隙間から、ちらりと奥の部屋の様子を伺った。
乱雑に重なっているのは、協会秘蔵の書物。あの遠坂が散らかしっぱなしという事はないであろうから、散らばっているものは昨晩読んだものという事になる。昨日も夜遅くまで研究をしていたのだろう。
食事を終え、紅茶を一口。
少し迷った末、士郎は遠坂に聞くことにした。
無い知恵を絞った所で、知恵がでてくるはずもない。
知恵は、ある所にしかないのだ。
つまりは、遠坂の頭の中である。
「なぁ遠坂。この資料、変じゃないか?」
士郎の質問を受け、手渡された資料に目を通す遠坂。
資料を目にした瞬間やや呆れの表情を見せたのは、果たして気のせいだろうか。
「紛争地域の経済状況? こんなもの調べても、士郎が手を出せるとは思えないけど」
明確にお馬鹿呼ばわりされた気もするが、いつもの事なので士郎は受け流した。
遠坂は、ページをめくっていく。が、遠坂には何を疑問に思っているのかわからないようだ。
「紛争が原因で情勢不安になり、貧困が蔓延したって書いてある。けど、貧困層が爆発的に増えているのは紛争より前からだ」
「ああ、そういう事」
納得いったという様子の遠坂。
資料を最後までめくり、紅茶で喉を潤してから回答を始める。
「答えは簡単よ、ここに書いてある事が間違ってるの。貧困の原因は紛争じゃないわ。むしろ、貧困になったから紛争が起きたのよ。いつの間に因果関係が逆転したのかしら?」
翻訳ミスかもね、と遠坂は締めくくった。
豪快すぎるミスのような気もするが、主要言語以外の翻訳ではよくある事だ。
しかしそうすると、次の疑問が沸いてくる。
「どうして貧困になったんだ? 経済規模はほとんど変わってないじゃないか」
「士郎、隣に書いてある
「隣?」
遠坂の隣に移動し、半ば頬をくっつけるようにして資料を覗き込む。
そこに書いてあったものは。
「……人口の推移?」
「そ。経済規模が変わっていなくても、人口が増えたら一人当たりに回るお金は減るでしょう?」
「そりゃまあ、確かに」
当たり前の話だ。士郎とて、遠坂が起きてくるのがあと一分遅ければ気づけていたであろう。
資料を見ると、貧困が蔓延する二十年ほど前から急激に人口が増加している。
紛争前後ばかり見ていたのでは、気づきにくい。
状況が大きく変わったのは、紛争が起こる二十数年前。
そこから人口が増加し、二十年たつ頃には貧困層の増加へ。
そして紛争の開始へと繋がっている。
「なんでこんな結果になったんだ?」
「資源の採掘が主産業のままだから、よ」
間近で問いかけられた遠坂が、若干顔を逸らしながら返答した。
「言い方が悪かったかしらね。資源がある事に加えて、それ以外の産業を持たない事が貧困の原因ね」
「……後者が貧困に繋がるのはわかる。けど、資源がある事がなんで貧困に繋がるんだ?」
士郎の怪訝そうな表情を見て補足をする遠坂だが、それでも士郎の理解の範疇にない言葉だ。
いつもの遠坂ならば、士郎の頭のデキを考慮した説明をするのだが。
寝起きだからか、それとも士郎との位置関係に問題があるのか。
一つ咳払いをした遠坂は、胡散臭い笑みを浮かべて人差し指を立てた。
「では、衛宮君に問題です。資源を売ると、どうなるでしょう?」
教師モードになった遠坂が士郎に問いかける。名前も衛宮君呼ばわりだ。
士郎は少し考えながら、空になったカップに最後の紅茶を注いだ。
「そりゃ……資源を売れば金が入る。金があれば、物を買う」
一つずつ、順序立てて考える。
士郎の頭のデキは、あまりよろしくない。
論理の飛躍があれば、大抵何かしら抜け落ちてしまう。
ゆっくりと考えるのが結果的に一番早いというのは、士郎の経験則だ。
「趣向品を買える裕福層は少ない。それに、慢性的な水不足、食料不足に悩まされる土地だ。他国から購入するとしたら、食料がメインとなる。でもそうしたら……」
「──人口の増加。それも、急激な。よくあるパターンよね、資源もお金も十分あったはずなのに、結果的に貧困に陥るなんてのは」
士郎の言葉を、遠坂が引き継いだ。
確かに貧困なだけでは人口は増えない。
それ以外の要素が必要だ。
この場合、資源を売った事により一時的に裕福になった事。
「つまりは、資源を売った事により人口が増えた……そうすると問題は、増えた人口に対して産業が増えていないこと……になるのか?」
「正解。資源採掘により豊かになった結果、人口が増えた。けど、増えた人口を支えられるだけの経済基盤が育たなかったのよ。人手が増えた所で、取れる鉱物の量はそう変わらない。成長した子供達がいざ働き始めようと思っても、仕事がない。仕事がなければ、お金も回ってこない。そうなる前に、何か産業を発展させておく必要があったわけだけど」
紅茶を飲み干した後、遠坂は伸びをした。
口の端から、「んー」という声が漏れる。ついでに、体がゴキゴキ鳴る音も漏れてきそうなほど。
優雅たれを信条としている遠坂らしくない仕草だが、寝起きの遠坂は大体こんなものだった。
遠坂が言葉を止めた間に、士郎は続く言葉を考える。
それほど難しい話ではない。特に、世界中を周る機会の多い士郎には。
今のご時世、どこの国に行っても見る製品は似通っている。
グローバル化は加速し、企業は世界中で製品を売りさばく。
士郎が今まで見てきた光景。
「競争相手が強すぎる」
「ええ。お金を持っている相手から、お金をふんだくらないといけない。でも物流の繋がっている先が、先進国になるのよね。せめて、近場に購買力のある国があればよかったんでしょうけど」
物流網が世界中に張り巡らされた結果だ。
アフリカでもアメリカ産のスマートフォンを購入できるし、中国産の製品は欧州中に出回っている。
逆に言えば、世界中の企業が競争相手として立ちふさがっているという事。
ここに新しく参入するというのは、難しい。
「産業が発展せず。失業率の増加、貧困の蔓延。そうなると皆、生きるために武器を取る。唯一の産業である、資源争奪戦の始まりってわけ」
「けど、そのために武器を買ったら本末転倒じゃないか? 武器を買うお金を食料に回した方がマシだと思うんだが」
「最初は、そうしていたのでしょうけどね。負けると奪われるんだもの、当然負けない程度の装備は整えないといけなくなる。そして、勝てないと生きていけないのだから──」
「──勝てる装備を整えないといけなくなる、か」
終わりがない。
止まれば死ぬのだ。
ゆえに走り続けるしかなく、果てに待つのは力尽き朽ち果てる未来のみ。
「農業や畜産業は? 自分たちで食料を作っていれば、戦わないと生き残れないような状況にまではならないはずだ」
「農業をするなら、治安をどうにかしないとね。お腹を空かせた武装集団がうようよしてる紛争地帯で、まっとうに農業なんてできると思う?」
無理だ。
紛争が始まってしまった今となっては、もう遅い。
「それに、先進諸国の思惑もあるわ。士郎、知ってる? 先進諸国は、毎年多くの食糧を貧困層に援助しているのよ」
「……ん? それは、いいことなんじゃないか?」
「どうかしら。大量の食糧が、
遠坂は金にがめつい。がめつすぎる。
士郎は、食料が無料で配られた結果を想像した。
いいことだとは思う、が。
結果として起きることは。
「……食料が、売れなくなる?」
「正解。特にあの地方は食料支援が多いから、食料生産を産業化するには市場が歪すぎるってわけ。水が豊富にあるわけでもないから、皆が自分の食べる分だけ生産する、なんて手段も取れないし」
先進国の支援量が変われば、その都度市場が大きく揺れる。
不安定で、さらには強奪されるリスクも高い。
そんな状況で産業を発達させるのは、難しい。
「それに、もしかすると士郎は勘違いしてるかもしれないけど。そもそも食料はあるのよ? 今の世界は、仮に人口が十億、二十億増えたって支えられるだけの食料生産能力がある。お金さえあれば食料は買えるの。問題はお金が無い事……そう、お金が無い……無い……ふふ」
「おーい、遠坂?」
繰り返しになるが、遠坂はお金の話になると情緒不安定になる。
士郎は実感した。すべては貧乏が悪い。
貧乏は敵だ。
「食料の支援がデメリットになる部分もあるってことか。なら、なんで現地で食料を作る方向の援助にならないんだ?」
「やりたがる人がいないのだから、それは無理ね」
身も蓋もない。
が、真理ではあるだろう。
「現地の人にとってみれば、自分から率先して不安定でリスクの高い選択肢なんて取りたくないでしょう。先進国側も、都合の良い関係を崩したくないという思惑がありそうね。平時は食料が余るものだもの、食料と武器を売るだけで資源を貰えるならボロいわ。ついでに政治的な話を挙げると、自分たちの支配力低下。それに、安定して人口が増え続けた結果の資源消費を嫌っているんでしょう」
「……悪い話しか出てきてないような気がするんだが」
「あら、今頃気づいたの? 悪い話ばかりだから、いつまでたっても解決しないのよ」
◇◇◇
話を終えた後。
二人で並び、食器を洗う。
ふと、根本的な疑問に気づいて士郎は再び遠坂に問いかけた。
今さらすぎる話ではあるが。
「そういえば、さっきの話。遠坂はなんでそんなに詳しいんだ? 政治や経済なんて、魔術と関係ないだろう」
「……あのね、士郎」
遠坂は、今日一番の呆れ顔をした。
むろん、今後も今日一番はたびたび出てくるであろうが。
一日というのは、長いものだ。
「魔術の基盤は、人々の信仰。信仰は、その土地の人々が代々積み重ねてきたものから生まれる。つまり魔術師は、自然と歴史に詳しくなるものよ。歴史を知っていれば、地政学の基礎ぐらい理解できるわ。どこかの半端者は例外みたいだけれど」
ぐぅの音もでない。
どうやら地雷を踏んでしまったらしい。