夢の終わり。
彼にとって、それは幸福であったのか。そうではなかったのか。
どちらかはわからないが、一つだけわかることがある。
彼の心の奥底には、きっと。夢の残滓が、くすぶり続けていたに違いない。
なぜなら、彼の最後。
夢を引き継いでくれる者が現れた時、彼は本当に安らかに。
抱いた理想を、本当に愛おしそうに見つめていたから。
衛宮切嗣。
彼から受け継いだ願いは、士郎の中にその火を移した。
炎は絶えることなく士郎の身を焦がし、少しずつ摩耗させてゆく。
きっとこの呪いのような熱は、衛宮士郎の心を焼き尽くすまで止まらない。
衛宮切嗣から受け継いだ死者の願いは、決して消える事がない。
今でも夢に見る。
新都の大火災。
空から黒い太陽が零れ落ちてきて、地表のすべてを飲み干して。
人々は泥に飲み込まれる他なく、怨嗟の海の中に沈み、消えた。
残ったのは炎に包まれる瓦礫。
そして幸か不幸か、泥から逃れることのできたわずかな人々。
──苦しい。
救いを求める声。
残った者も、ほんのわずかに生を延ばしたのみ。
炎と瓦礫に飲まれ、逃げることもできず、ただ呻く。
そしてこの世のすべてを妬み、呪うのだ。
聖杯の泥を浴び、砕けた欠片を浴び。その身を悪意に塗りつぶされ。
嘆き苦しみながら、この世の全てを呪う。
──助けて。
だが士郎は目をつぶり、耳をふさいで全てを振り払った。
彼らを見捨て、心を閉ざし、それでも耐えきれなかった分の心を放り捨てて。ただ歩く。
やがて倒れ、空を見上げる士郎の目に映ったのは、くたびれた男性の姿。
士郎は、その日。運命に出会った。
正義を
士郎が彼に憧れたのは、必然だった。
たった一人助かった衛宮士郎。
けれども、失った心は取り戻すことができず。
ぽっかり空いた穴を何かで埋めなければ、立ち上がることもできなかった。
一人だけ助かった命。
一人だけ救ってもらった命。
ならこの命は、誰かを救うために使おう。
その呪いは、士郎の心に刻まれた。
それからの衛宮士郎は、誰かのために生きた。
衛宮切嗣のために生き、どこかの誰かのために生き、そして燃え尽きる。
それが彼の人生。
もし呪いを解ける者がいるとすれば、それはこの世に二人だけ。
一人目は、衛宮切嗣。
彼に呪いを刻み込んだ張本人。
そも。衛宮士郎の最初の思いは、衛宮切嗣への憧れだった。
士郎の原点。彼の救われたような顔が、どうしても忘れられなかった。
衛宮切嗣が救えたのなら、衛宮士郎の願いも叶う。
だから、衛宮切嗣が新たな願いを持てば。
きっと、衛宮士郎の呪いも解けた事だろう。
二人目は、イリヤスフィール。
衛宮切嗣の娘であり、士郎の義理の姉。
すべてを捨てたように見える切嗣にも、たった一つ捨てきれなかったものがある。
当時の士郎は知らなかったことだが、彼は幾度となくアインツベルンの元を訪れていた。
彼は願っていたのだ。娘を救い出したいと。
イリヤスフィールは、彼の望みが込められた、この世で唯一の存在だった。
だから、彼女を救う事で士郎の渇望も埋められたはずなのだ。
残念ながら、その願いが叶うことはなかったが。
イリヤスフィールは、殺されてしまった。
第五次聖杯戦争において、衛宮士郎・遠坂凛と最後に争う事となった化け物に。
間桐臓硯。
御三家の一角であり、聖杯戦争創設者の一人。
間桐臓硯。
蟲を操り、別の者の体に寄生し。五百年もの長きにわたって生きながらえた大魔術師。
間桐臓硯。
イリヤスフィールを殺し、間桐桜を吸い尽くし、聖杯の泥で世界を満たしてまで己が欲望を叶えようとした悪。
衛宮士郎の、敵だ。
◇◇◇
目が覚める。
勝手に拠点に使わせてもらっている、無人の家屋だ。
昨夜の戦闘を終えてから拠点まで戻り、力尽きるように眠りに落ちた。
窓から太陽光が差し込み、士郎の顔に掛かっている。
目が覚めたのはそのためだ。
西日が顔に掛かるということは、既に午後を周っているという事。
さすがの士郎も、夜明けまで殺し合いをすれば神経が磨り減り、疲労も溜まり、寝坊をする事だってある。
昔に比べると、体力が落ちてきているのかもしれない。
それとも、夢見が悪かったせいだろうか。
夢の内容は思い出せないが、あまり良くない夢だった気がする。
まるで、自分の根幹が揺り動かされるような。
士郎は体を起こし、目尻を抑えた。
しばらくそうした後、体の状態を確認する。
四肢に問題は無い。
ただ、少し。喉が痛む。
空気が乾燥しているからだろう。
昨日は風が吹いていなかったため、これでもマシなはずだが──風の強い日は、舞い上がった砂埃で大変なことになる。
と。
視線を感じ、士郎は視線をベッドの脇へと向けた。
「うおっ!?」
そこには、ベッドに隠れるようにして座り込む少女の姿。
年の頃は十代前半。どこまでも白い体を、士郎の外套を身にまとい隠している。
赤い瞳は、どこに向けられているのか判別がつかない。ぼーっとしているようにも見えるし、士郎をじっと見つめているように見えないこともない。
「目が覚めたのか……って、今の状況だと俺が言われる側になるのか?」
「……?」
昨晩、ウィリアムの拠点で眠っていた少女だ。
あの後気を失ってしまったため、ここまで連れてきた。
士郎の言葉を受けた少女は、疑問の表情を浮かべて首をこてんと傾げる。
まるで、言葉が理解できていないとでもいうような仕草。
昨日、一言だけとはいえ喋ったのだから、理解できていないわけでは無いと思うが。
「あーっと、俺の言ってる事わかるか?」
念のため、いくつかの言語で語りかける。
世界中を巡る都合、言語の習得は必須だった。
「……肯定。言葉、わかる」
やがて、応答が帰ってくる。
どうやら、反応が鈍いだけらしい。
士郎が次の言葉を選んでいると、くぅと可愛らしい音が響いた。
少女の方は、なぜ音が鳴ったのか理解していないといった様子でお腹を押さえている。
「お腹空いたのか?」
「……?」
再び、こてんと首をかしげる。
士郎はそのまま、しばらく待った。
彼女が考えるのを。彼女が言葉を発するのを。
「……回答不能。わから、ない。なぜか、お腹が鳴る」
「そっか」
ぽん、と手を打つ。
年の頃に見合わない幼さ。記憶があるかどうかも疑わしい。
色々と聞きたい事はあったが、ひとまず今は。
「なら、とりあえず飯を食ってから考えよう」
士郎が笑いかけると、少女は小さく頷いた。
◇◇◇
「……お」
しばらく匂いを嗅いだ後、恐る恐るといった面持ちでシチューを口にする。
すると、変な声を上げつつ体を固めた。まるで、獲物を見つけた猫のようだ。
温めただけのレトルト品だが、少女にとっては衝撃の出来事だったらしい。
これだけ反応してくれるのであれば、自分で調理したものを食べさせたかったと士郎は思った。が、この町では食材を調達するだけで骨だ。保存のきく食料を選ばざるをえない。それに、さすがの士郎も、調味料がろくにないのでは大した物は作れない。
やがて再起動したのか、少女がスプーンを動かし始める。
手を止めず、先を急ぐように。
無言でただひたすら食事を平らげる姿は、どことなくかつての騎士王の姿を連想させた。
こうなるのではと予想はしていたため、シチューは少し冷ましてある。
火傷はしないだろう。
少女の様子に安心した士郎は、自分もシチューを口に運んだ。
甘い口当たりのクリームシチュー。だがしかし、付け合わせのパスタを口にした後だと、強い塩気が口の中に広がる。疲労した体に染み渡っていくかのようだ。やや塩分が多い気もするが、暑い砂漠である事を考えると、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。
やがてある程度満足したのか、ようやく少女がその手を緩める。
そしてシチューを見ながら呟いた。
「……不思議。おいしい」
何を指して不思議と言っているのか、わからない。
わからない事だらけだ。
士郎は、改めて少女の容姿を確認した。
白い体に、赤い瞳。イリヤスフィールとよく似ている。生き写しと言ってもいい。
イリヤがもう少し大きく成長していたら、きっとこうなっていただろう。
見た目から考えると、アインツベルンのホムンクルスである事は間違いない。
であるならば、本当に生まれたてであり、生活に関する知識をまったく持ち合わせていないという可能性も十分考えられる。
なぜ、あの部屋にいたのか。
なぜ、士郎が手を触れると活動を始めたのか。
はやる気持ちを抑え、食事をしながら少女と簡素な会話を行う。
少女がわかっていること、わからないこと。
自分の事、自分がなぜあの場所にいたのか。
一つずつ、順番に。
「俺の名前は、士郎だ」
「……シロウ」
「そう、士郎。東の国から、はるばる旅をしてきた」
少女は確認するかのように、何度か士郎の名を呟く。
ある程度時間を置いて、士郎は質問続けた。
「君の名前は?」
「……名前?」
「そう、名前」
少し時間を置くと、返答が返ってくる。
「……不明。定義されて、いない」
名前も、出身地も。何もわからない。
わからないという事がわかった。
結局、彼女は士郎が預かることにした。
魔術に関係ある事は明白であったし──それに、難民として受け入れられた子供達の末路を、士郎は見てしまったのだ。
今、彼女を他者に預ける気にはなれない。
「……名前」
「うん?」
少女が、初めて自分から口を開く。
恐る恐る、ゆっくりと。
「……名前、欲しい」
そして、願いを口にした。
そうして、士郎の方に指を向ける。
「それは、俺に名前を付けてほしいっって言ってるのか?」
「肯定。複数の人間が存在する以上、固有名称が存在しないのは不都合へと繋がる」
「名前、名前か……俺がつけていいのか? 正直、俺はセンス無いぞ」
「あなたにつけてほしい」
「うーん」
頭をフル回転させる。
西洋人。女の子。女の子らしい名前。
考えようとするが、どうにもチラチラと頭をよぎる名前が邪魔をする。
イリヤの名前が頭から離れない。
その名前を頭から振り払おうとすると、今度はセイバー……アルトリアの名前が浮かんでくる。
先ほどの食事の様子は、あの騎士王にそっくりだった。
しばし待てと言いたかったが、じっと士郎を見つめる少女を前にすると、なんだか言いずらい。
心なしか、期待に満ちた目をしているような。
「……リア」
なんとか士郎が絞り出した名前は、ひどく安直な物だった。
連想した二人の名前を縮めただけである。
だが、士郎にはそれが限界だった。
少女──リアはわずかに微笑んで、何度か「リア」と口にする。
どうやら気に入ってもらえたらしい。
士郎は冷や汗をかきながら息を吐いた。
ある意味、昨日の戦闘より緊張したかもしれない。