半世紀近く時が進んでも、日本の夏の蒸し暑さは変わることを知らない。
しかし科学世紀となった今では、屋内の温度は完全にコントロールできるため、常に適温になっている──不幸にもエアコンが壊れている此処、宇佐見探偵事務所を除いては。
エアコンがない夏はこんなにも辛いものだったとは──事務所内の右奥、椅子に腰かけ、資料が乱雑に積まれているデスクにうつ伏せている人影──宇佐見蓮子は、暑さに耐えかね赤いネクタイを緩めた。
今の蓮子の心情は退屈そのものであった。
事務所内には依頼人の影はなく、追っている事件もない。そしてデスクの上に置きっぱなしにしているスマーとフォンは、依然として真っ暗なまま、窓からじわり指す気怠い日光を跳ね返してくる。
今日は朝からこんな調子なのだ。
いつもなら事件じゃなくとも、人探しやらペット探しやら、何かしらの依頼がくるものなのだ。世間もこの暑さに参ってしまって外へ出たがらないのか……閑古鳥である。
代わり映えしない現状に深くため息を吐きながら起き上がり、温くなってしまったコーヒーを啜った。
「ま、平和ってことだな」
窓の外に広がる京都の街並み。蓮子の瞳には時間がゆっくりと流れているように見える。暑さに揺れる街を見ながら、蓮子は再び自分の腕の中に顔を埋めた。
蓮子自身、それが一番──そう思う反面、これでは失業してしまう、と焦る気持ちが見え隠れする。探偵はもともと稼ぎがいい職業ではない。しかし祖母──宇佐見菫子から引き継いだ職業、そして事務所。そう簡単に潰すわけにはいかない。
とはいえ、探偵というスタンスをとっている以上、基本的に依頼人が来なければ仕事はない。
「はぁ……少し名折れだけど──」
蓮子は重たい体を何とか起こして立ち上がると、デスクの横のフックに下がっている黒いソフト帽を手に取り、スマートフォンをスカートのポケットに突っ込むと、足早に玄関へと向かう。
「
玄関で両手にグローブを着けて、小物入れからキーを取り出す。それを人差し指で回しながら外へと出るためドアノブを捻る。
「あっ……一応声かけておくか」
出ようとした寸前で、もう一人の同居人のことを思い出す。
玄関の扉のすぐ横、今蓮子の右手にある本棚の向こうに引きこもっている少女がいる。滅多なことがないと出てこない彼女だが、蓮子がいない間に依頼人が来たら彼女に対応してもらうしかない。
「ちょっと出かけてくる。誰か来たらちゃんと出て来いよ。それと今日は
本棚の向こうに届くように大声で叫ぶと、奥から間の抜けた声が返ってくる。
本当に大丈夫だろうか──少し不安を感じる蓮子だったが、そのままドアを開け事務所を後にした。
扉を開けると、燦々と照る太陽と目が合う。
室内の気温が外気と同じだったためか、それほど暑く感じない。
手に持つ帽子を腰のフックに引っかけ、キーを愛車、ハードボイルダーに差し込む。座席に跨り、メルメットを被ってアクセルを入れる。人気のない住宅街にエンジン音が響き渡った。
行先も決めずに蓮子は走りだす。
探偵のいる所、事件は起こる──祖母はよくそんなことを言っていた。だったら動かないほうがいいのか? ──それは違う。
「だったら止めてやるよ……私が。いや、私
風を切って進む。急ぐわけでもないのに、スピードはどんどん上がっていく。
もう昼も終わりを告げ、日が傾き始めた頃であった。
日本の都市にして、風とオカルトの町──京都。
科学が発展しオカルトが完全に否定された世界でも、未だにそういった風潮が残っている。そのせいあってか、この町ではおかしな事件が多い。科学で説明づけられないような怪事件が。警察は怪事件の解決には積極的ではない。それもそうだ。捜査をすれば必然的にオカルトに行き着く。だがそれはオカルトの存在を認めない政府にとって都合が悪い。──町を守るはずの警察が町を泣かせているのでは話にならない。
そのため怪事件の解決は、風に乗って、人知れず蓮子のところへやってくる。
蓮子はこの町が好きだ。
不思議と科学、相反するものが入り混じるこの町が。
愛する町が泣いているのを見過ごすことはできない。
その涙を拭うためのハンカチになりたい──それが、蓮子が探偵を続ける理由だった。
「ん?」
バイクを走らせる蓮子が何かを視界に捕える。
街中にある大きな公園だ。いつもなら特に気に留めることもないのだが、そこにはパトカーが数台止まり、警官たちが忙しなく動いている。遠目からだと詳しい状況は解らないが、ブルーシートで包まれた何かが運び出され、刑事たちの顔も強張っていた。周りには「KEEP OUT」の黄色いテープが張られ、辺りは騒然としている。
オカルトか──異常を感じ取った蓮子はバイクを公園の入り口に留める。ヘルメットを脱ぎ、腰のソフト帽を被り、公園内へと足を踏み入れる。──探偵特有の感は今日も当たるのであった。
立ち入り禁止の公園内に入り込み、事件現場だと思われる場所に近づく。
周りの警官に見つからないように物陰に隠れながら行動しつつ、警官たちが話す内容から事件の内容をかき集める。集めた情報を素早く手帳にまとめ、情報を結び、事件の全体図を把握する。
「なるほど……これはまた……」
「──これはまた、なんだ?」
聞き覚えのある声がすぐ耳元で聞こえる。
見つかったか──蓮子は溜息を吐きながら諦めと共に振り返る。するとはやり見知った顔が眉間に皺を寄せていた。
「ど、どうも慧音さん。たま物騒な事件ですね」
「宇佐見……まったくお前と言うやつは……あの黄色いテープが見えなかったのか?」
呆れ顔で頭を抱えるスーツ姿の長髪の女性──上白沢慧音は、公園の入り口を指差し、蓮子に注意を促す。だが蓮子にとって慧音に注意されることはもう慣れてしまっているため、大した効果はない。慧音もそれをわかっているのだが、警察という立場上、蓮子だけに甘くするわけにはいかない。
「事件あるところに宇佐見蓮子あり、です」
「昔から危ないことに首を突っ込むなと言っているだろう。お前は学生時代から喧嘩っ早くて、女なのに顔に痣ばかり作っては私たちの厄介になって」
「む、昔の話でしょ。もう子供扱いしないでよね」
「ははは、余裕がなくなると口調が崩れるのも相変わらずだな──ほら」
頬を赤くして講義する蓮子に、慧音は笑いながら大きめの封筒を手渡す。納得がいかない蓮子は、少しむくれながらも中身の資料に身を通し始める。
落とす視線は、先ほどまで慧音に言い負かされていた蓮子とは思えないほど鋭く、真剣なものになっていた。
「この事件……お前にはどう映る?」
「そうですね──」
今回の被害者……十代後半の男性。死亡時刻は十九時過ぎ。死因は首元からの出血によるショック死。
ここまでは普通の殺人事件と変わらない。問題はこの後の記述。
被害者の遺体はただの遺体ではなく──欠損遺体だったのだ。
死因の首元の傷を含め、体のいたるところにまるで
「──ほぼ間違いなく、オカルトでしょう」
「だろうな。同様の事件が今月で3件目。だが上はそれを認めず、変死体で片付けるそうだ。組織に入ると上には逆らえんからな……何かわかったら連絡してくれ」
「わかりました」
「犯人は何を基準に人を襲っているか分からない。最近は夏なのに日の入りが早いらしい。お前も気をつけろよ」
「わかってますよ」
「……本当か?」
「──どうでしょう」
「お前は
「
封筒に資料を戻し、慧音に一礼すると、蓮子は足早に公園を後にする。
蓮子は悟っていた。
──今回の事件はヤバい類いのオカルトだと。
今、この町を騒がせているオカルト。その正体は、ガイアメモリと呼ばれるUSBメモリに似た機械によって人外レベルの力を手にした人間のことだ。メモリを使用すると、使ったメモリに対応した力を手に入れることができるのだが、それには裏がある。
───使用者に妖怪の力が乗り移っているのだ。
初めのうちは使用者がコントロールできるものの、徐々にその力に染まって行き、最終的にはその妖怪に体を乗っ取られてしまう。
そんな恐ろしい物がこの町で密かに流通しだしているのだ。
「人食い妖怪……早く対処しないと犠牲者が増え続ける」
貰った資料を座席の下に入れると、再びバイクを走らせる。
急がないと───焦る気持ちと比例するかのように、目に映る景色は過ぎ去っていく。
──ピピピ。
ポケットで震える音は、騒音と吹き抜ける風によって流れて行ってしまった。
「あまり深入りしてほしくはないのだが……な」
去りゆく蓮子の後ろ姿を見届け、慧音は腰に手を当てながら額を抑える。警察組織に属する以上、上から圧力をかけられれば動くことはできない。だから事件を追えば、関わらせたくないと思いつつも自由に動ける探偵の蓮子を頼ることになってしまう。そしてそれを蓮子が望んでいるのだから尚更たちが悪い。
──蓮子は昔からそうなのだ。
両親を早くに亡くし、探偵の祖母のもとで育った蓮子は、人一倍正義感が強かった。そしてこうと決めたら絶対曲げない信念、考えるよりも先に行動する性格。そのせいで学生時代は町の不良との喧嘩が絶えなかった。不良と一緒に警察署に補導されて来たのが、蓮子と慧音の出会いだった。
初めて蓮子を見たとき、慧音は「これが菫子の孫なのか」と困惑したものの、ここまで真っ直ぐな少女がいるのだと、嬉しく思うところもあった。それからと言うもの、蓮子は度々警察の厄介になったり、探偵を始めてからは事件に介入してきたりと、今に至るまでずっと蓮子を見てきた。
だから知っている。
宇佐見蓮子という人物は、誰かのためなら平気で無茶をする──と。
「まあ、あの馬鹿がそう簡単に死ぬわけもないか」
横を通りぬけていく乾いた風。
巻き上げられた髪を指でかき分け、慧音も公園を後にする。公園の周りの人だかりも大分収まり、平穏を取り戻していた。
この町の平和は虚構に過ぎない。
水面下では恐ろしいことがじわじわとこの京都を侵食しているというのに、政府でさえ目を向けようとしない。
町を赤く染めていた夕日は、地平線の向こう沈み始め、もう夜が降り始めていた。
◇◆
「蓮子さん……運転中かな?」
事務所の扉の前で、長髪赤毛の少女は首を傾げながら耳に当てていた携帯をポケットへ仕舞った。着いたらまず連絡を入れるように言われていたのだけど、本人が出ないのだから仕方ない。
「久しぶりに来たのに……ま、蓮子さんなら仕方ないか。お邪魔します」
扉に鍵が掛かっていないことを確認すると、少女は事務所内に足を踏み入れる。返ってくるのは返事ではなく熱気。蓮子が不在のため、少女の瞳には事務所が物寂しく映る。
持って来た荷物を室内の端に寄せ、少女は玄関から入ってすぐ左横の本棚の前に立つ。少女はこの本棚の奥にもう一人の探偵が居ることを知っていた。少女はその人物に挨拶するため、本棚から一冊だけある赤い本を見つけると、本の先端を人差し指で自分の方へ傾ける。
すると奥で「カチッ」と音が広がり、本棚の一部が壁側に沈む。手で軽く押すと扉のように開閉可能になっていた。
「話は聞きていましたけど、凄い仕掛けですね」
少し驚きながらも本棚を潜り、その向こう側へと踏み出す。
本棚の向こうには地下まで続く階段が下がっている。少々急な階段を慎重に降りていくと、広い空間に出る。上の事務所の熱気が嘘のように冷えた空気が漂っていた。一見してみると何かの倉庫のようにも見えるが、向かい側の壁に大きなホワイトボートが設置されていること以外は特に変わった所は見られない。探偵事務所の地下にこんなスペースがあることは不思議以外の何物でもないが、事情を知っている少女にとっては取るに足らないこと。それよりもこれから会うもう一人の探偵のことで頭がいっぱいだった。
「ちょっと緊張してきたかも……はぁ」
大きく息を吐き出すと、階段のすぐ隣にある扉のドアノブに右手を掛ける。そして左手で軽く扉をノックする。すると少し間を置いて間の抜けた声が返ってきた。
「し、失礼します……」
ゆっくりと扉を開けて部屋の中を覗くと、辺り一面に積み上げられた本が一番に目付く。室内は薄暗く、紙が擦れるような音が響いている。
「ごきげんよ、久しぶりだね……こあ」
部屋の一角、積み上げられた本に囲まれたソファーの上で横になって本を読み進める少女が一人。パタンっと読んでいた本を閉じ、蓮子より少し長い金髪を揺らす。
「メリーさん!」
赤毛の少女──こあは、金髪の少女のことをメリーと呼び、その顔に満面の笑みを浮かべながらメリーに飛びかかる。もとい胸に抱き着く。
「お久しぶりです。とっても会いたかったです!」
「最後に会ってからそれほど経ってない気がするけど」
「一年も経ってますよ! 私がどれ程この日を待ち望んだか……」
自分の胸の中でしみじみと語るこあを見て、メリーは一つため息を零す。どうして蓮子はこの子を雇ったのだろうか? 事務所の経営はすべて蓮子に任せている以上、口を出す訳にもいかないのだが、あまりこの事務所も儲かっているわけでもないのに。
元々このこあという少女は、一年前のオカルト事件の被害者で蓮子とメリーが救った命でもあるのだが、それはまた別のお話。
「それにしても……その服装は」
その言葉に、こあは一旦メリーから離れると「おかしいですか?」と言わんばかりにその場で一回転して見せた。
黒いロングスカートに白い長袖のワイシャツ、黒いベストを羽織おって赤いネクタイをしている。何処か……いや、ものすごく身近で見た格好。
「探偵秘書としては問題ないと思いますが?」
「……随分と蓮子に侵されてるね」
「えっ! 蓮子さんに似てますか! えへへ~」
頬を赤くして両手で抑えるこあを見て、メリーは先程より深い溜息をつく。
こあを救ったとき、メリーは直接見ていたものの、その場には蓮子しかいなかったためか、やはり彼女の中では蓮子への感謝、憧れといったものが強いのだろう。
「それにしても蓮子さん遅いですね。早く会いたいのに」
「自分から事件を探しに行ったんだ。まだ帰って来ないとなると……もしかして」
次の瞬間、部屋の中に籠ったような電子音が響く。
やはりメリーも探偵、勘はよく当たる。
メリーは慣れた様子で音源に向かい、本の中に埋もれた携帯型デバイス「スタックフォン」を手に取る。
「ヤッホー」
言葉とは裏腹にテンションの低い声色で語り掛ける。
『ああ、メリー。新しい事件だ、検索を頼む』
電話の向こうからが聞こえて来るのは蓮子の声。メリーはソファーに座ってそれに応じる。
「本当に事件を見つけて来るのね。こあはもう来てるよ」
『しまった……頭から抜けてた』
「あっ! ひどいです蓮子さん!」
メリーからスタックフォンを奪い取って向こうにいる蓮子に向かってこあが叫ぶ。
『ご、ごめん。事件とばったり出会っちゃって……』
「いいです、メリーさんに甘えますから」
ふんっと鼻を鳴らし、こあは座ってるメリーにスタックフォンを返して、空いているメリーの膝を枕にしてソファーに寝っ転がった。
「あーあ」
『はあ……これは後でこあちゃんに謝らないと。それで検索項目なんだけど────やっぱいいや』
「何故やめる?」
突然の蓮子の言葉にメリーは首を傾げる。
だが、電話越しに蓮子の今の状況を何となく察することができた。
最近は割と平和だったのに──久々の非常にメリーは平穏としばしの別れを覚悟し、膝で寝ているこあの髪に手を通した。
◇◆
公園を後にしてからかれこれ数時間。蓮子は慧音が渡した資料を辿り、一件目の怪事件の現場である住宅街の一角に来ていた。
西に沈みかけている太陽の光と、東に降り始めている夜の間で、空が紫色に染まっている。
「こんなところでね……よく誰にも見つからないもんだ」
先程も言ったが、ここは住宅街。人の目はそこら中にある。いくら防音ガラスが周流でも、朝から晩まで家の中にいるわけではない。朝や夕方は学生が行きかい、お昼は主婦が買い物に足を運ぶ。誰にも見られずに事に及ぶのは難しい。
誰もいない十字路にレンズを向けて、カメラ型デバイス「バックショット」のシャッターを切ってベストの懐にしまう。今回の事件、三件とも住宅地や公園といった人が良く行きかう場所が現場になっている。それに死亡時刻が十九時過ぎというのも訝しい。誰にも見られないようにするなら深夜帯に犯行を行えばいい。それなのに人と出くわす可能性が高い時間帯なのはなぜなのか。そして一番気になるのはメモリの種類。
「さて、後はメリーに頼むか」
頭の中でたくさんの疑問が浮かんだところで、スカートのポケットに入っているスマホではなく、ベストの懐にしまっているスタックフォンを手に取りメリーに電話を掛ける。今回は珍しく数回のコールで電話に出てくれた。
『ヤッホー』
言葉とは裏腹にテンションの低い声。
どうしてこういつも無気力なのか。どうにかならないものかと思う蓮子だが半ば諦めているので、そのまま話を進める。
「ああ、メリー。新しい事件だ、検索を頼む」
『本当に事件を見つけて来るのね。こあはもう来てるよ』
電話越しのメリーの言葉に胸がはっとなり、蓮子は「やってしまった」と言わんばかりに帽子を手で押さえる。蓮子はいつもこうなのだ事件のことが頭に入ると、すぐにそれ以外の事を忘れてしまう。
「しまった……頭から抜けてた」
『あっ! ひどいです蓮子さん!』
電話の向こう側から新たな声。それがこあのモノだということが蓮子にはすぐにわかった。
「あ~悪い、事件とばったり出会っちゃって……」
『いいです、メリーさんに甘えますから』
すぐに謝罪の言葉を入れるも、こあは大分ご立腹のようで、「ふん」と鼻を鳴らしたのを最後に声が聞こえなくなった。
『あーあ』
変わってメリー。蓮子は「どう謝ったものか」と頭を悩ませる。が、如何せん蓮子はこういった時、気の利いた言葉を掛けられる人間ではない。
「はあ……これは後でこあちゃんに謝らないと。それで検索項目なんだけど──」
思い浮かべるように視線を上げると、蓮子はある異変に気付く。──暗い。先程まで紫がかっていた空が嘘のように黒く塗りつぶされている。
咄嗟に腕時計型デバイス「スパイダーショック」に目を落とす。──六時半、まだ日が沈むような時間ではない。
───最近は夏なのに日の入りが早いらしい。
先ほどの慧音の言葉が頭を過り、辺りを見渡す。蓮子の周辺に人気はない。しかし
カツカツ。
何処からか足音が聞こえる。
それが少しずつ大きくなる。
蓮子は音のする方へ視線を走らせる。
すると深い闇の中から赤く光る瞳がこちらを見つめていた。
「──やっぱいいわ」
『何故やめる?』
不敵な笑い声が闇に響く。
闇に浮かび上がる幼い少女の姿。まるで新しい玩具を見つけたような子供のような無邪気な──そして狂気的な笑い。
「ご本人がいらっしゃるからだよ。目の前に」
頬に刺さる冷たい風が、目の前にいる
だが蓮子はその場から逃げようとせず、帽子を目深く被り、左手をベストの中へと忍ばせた。
「まだ日が沈んでないはずなのに、辺りは真っ暗。そして何故か人気がなったなくなった」
『そんなことができるのはオカルトだけ。そしてそんなことができるメモリは』
───DARKNESS
二人の声が重なり、思考が結ばれる。
電話を静かに切り、体制を整える。蓮子は危機感を覚えつつも、その顔には軽い笑みを浮かべている。だがその笑みは決して狂ってしまったわけでも、はたまた現状が面白可笑しいわけでもない。
それはこの町を──そこに住まう人々を守るという決意の表れ。
「行くぞメリー」
ベストから左手を引き抜く。その手には赤を基調としたバックル──ダブルドライバーが握られている。それを臍の前に当てると、自動でベルトが蓮子の腰に巻き付く。
「止める……私が。いや、私たちが」
ベストの左内ポケット、そこにしまってある一本の黒いガイアメモリを右手で取り出し、目の前のオカルトに見せつける。
「メモリ……同類?」
「違う。私は、私たちは───仮面ライダーだ」
《JOKER》
言い放つとともにメモリの起動ボタンを押す。
「メリー」
そして時同じくして事務所の地下室。
蓮子がタブルドライバーを起動させたことで、メリーの腰にもダブルドライバーが現れ、蓮子の思考と右半身の感覚がつながる。
「わあっ! いたた……びっくりしました」
タイミング悪くメリーの膝で寝ていたこあは、出現したダブルトライバーに押しのけられソファーから落ち、驚きながら頭を押さえた。
「あまり乗り気じゃないけど、蓮子を食べられるわけにもいかないからね」
気怠く息を吐き、立ち上がる。ポケットから緑のメモリを取り出すと、軽く宙に放り、左手で掴むのと同時にメモリの起動スイッチを押す。
《CYCLONE》
「行かれるんですね!」
さっきまでの痛みもどこへやら。こあは立ち上がるとメモリを構えるメリーに歓喜の声を上げる。メリーは小さく頷くと「体をよろしく」と目線を送る。
「はい、行ってらっしゃいませ」
「「変身!」」
遠く離れた、お互いを目視することもできない場所で二人の声が重なる。
メリーはメモリをドライバーの右側のスロットに差し込む。刺されたメモリはデータの粒子となって消え、メリーの体は操り人形の糸が切れたかのようにその場に倒れこむんだ。
消えたメモリは蓮子のドライバーへ。
メモリがこちら側に来たことを確認すると、メリーのメモリを深く差し込み、自分が右手に持つメモリを左側のスロットに差し込み両手を交差させる形でバックルを外側へと開いた。
《CYCLONE JOKER》
瞬間、風が蓮子を包む。蓮子を中心として回る風は次第に強さを増し、オカルトもその激しさの前に目を腕で覆う。そして風が収まり静かに腕を退かせば、オカルトは目の前の光景に息を呑んだ。
其処にいたのは、さっきまで立っていた人間ではない。
赤い複眼に、風に靡く白いマフラー。
硬質感があるボディーに、体の中心に入った線から左右に黒と緑に分かれた特徴的な姿。
目を見開くオカルトに、蓮子は左手首を軽く回すと、下からゆっくり親指と人差し指を立てて指す。
「さあ──お前の罪を数えろ」
言い放つと同時に前進。一気に距離を詰める。
オカルトが距離を取ろうと動くより速く、蓮子の拳がその体を殴りつける。
──重い。速さ、力、ともに人間のキャパシティーを超えている。
オカルトは悟る。
目の前にいるのは自分の知る人間ではないと。
身体能力を飛躍的に上げる《ジョーカーメモリ》と、素早さを飛躍的に上げ、攻撃に風の力を付与するメリーの《サイクロンメモリ》の力を使いこなし、得意の近接戦闘で有利に攻める蓮子。逃げる隙を与えず、連続して蹴りを入れる。オカルトも力では引けを取らないものの、やはり体格差は埋められず防戦一方。
「嘘でしょ……ごっこ遊びならまだしも、本気の妖怪についてこれる人間がいるなんて」
「──殺意を感じれば自然と体が動く」
「人の命を平気で奪うオカルト見ると、この拳に力が漲る!」
そう言って振るった左拳は両手で受け止められたが、同時に繰り出される右足は正確にオカルトの脇腹を捉えた。
「どうした? こんなもんか!」
「くっ……」
近接戦闘は不味いとみて、蹴りの衝撃を利用しオカルトは空中へと逃げる。
空中なら自分のほうが有利なはず──オカルトは空中に光弾を弾幕上に出現させると、それらを蓮子に向かって打ち込む。
「くそ、やっぱりこうなるのか!」
こうなることをは予測していた──だからこそ近接戦闘で戦っていたのだ。
地面を転がるように回避する蓮子だったが、次々と打ち込まれる弾幕上の光弾に、次第に逃げ場を失い、ついには足が止まってサンドバック状態になってしまう。
「あはは。最初は少し驚いたけど所詮は人間、妖怪には勝てないよ。でも大丈夫、動けなくした後でお姉さんも食べてあげるから」
「オカルトの餌なんて死んでも御免だ!」
弾幕はさらにその厳しさを増し、蓮子は膝をつく。形成が逆転してしまった。
「そうだね、こんな時は──」
だがメリーはすぐさま打開策を見つけ出す。
メリーの意思で動かすことができる右半身。その内の右手で開いているバックルを元の形に戻し、右側のサイクロンメモリを引き抜き、新たに黄色いメモリの起動スイッチを押す。
《LUNA》
そして空いている右スロットに差し込み再びバックルを外側に開く。
《LUNA JOKER》
緑色だった右側の装甲は鮮やかな黄色になり、ハーフチェンジが完了する。
「行くよ」
メリーが右腕を振ると、先程までなかった変化が体に現れる。腕が伸び、さらに鞭のように撓る。ありえない方向へ曲がり、弾幕を打ち落としていく。その姿はまさに変幻自在。
「──捕まえた」
降り注ぐ弾幕の雨を振り払い、伸びた右腕はオカルトの足を掴んで、地面へ引き摺り下ろした。
「こうなればこっちのもんだ!」
足を振り上げると、伸びた足がオカルトを蹴り上げる。
変幻自在の《ルナメモリ》の力を応用した中距離戦闘。予測不可能な攻撃の応酬にオカルトは身動きがとれない。
「そろそろ決めるよ」
右腕がオカルトに巻き付き、腕を縮めることで勢いを増した左腕がオカルトを後方へと殴り飛ばす。
さすがのオカルトも答えたのか、倒れても飛ぼうとせず、その場で動けなくなっている。
「どうする蓮子?」
「もちろん、速やかに
その言葉を聞いてメリーはルナメモリを引き抜き、再度サイクロンメモリを差し込む。
《CYCLONE JOKER》
ハーフチェンジを終えると、右手で左スロットのジョーカーメモリを引き抜き、腰の右側についているもう一つのスロット──マキシマムスロットに差し込む。
《JOKER MAXIMUM DRIVE》
すると風が巻き上がり、蓮子の体が宙に浮く。
上がりきると、体制をオカルトの方へ傾け、マキシマムスロットのスイッチを押すと、正中線から半分に体が分かれる。
「「ジョーカーエクストリーム!!」」
纏っていた風が追い風となり、疾風の如くオカルトに右足と左足、わずかなタイムラグがある蹴りを叩き込んだ────はずだったのだが。
「手応えが……ない?」
違和感を感じたメリーが首を傾げる。
確かに決まったはずなのに、オカルトが居た場所には使用者どころか使われたメモリの残骸すらない。メリーが辺りに視線を配ると、辺りはすっかり暗くなっており、空は月が煌々と照っている。
「なるほど。DARKNESSの力を使って攻撃が当たる直前に夜の闇に紛れて逃げたのか」
「感心してる場合か。はぁ……逃げられたものは仕方ない。かなり手傷は負わせたし、今日のところはもう何もしてこないだろ」
両手でバックルを閉じて二本のメモリを引き抜くと、装甲が風と共に剥げれていく。そして元の姿に戻った蓮子は、メモリとドライバーをベストにしまい、バイクの所へと駆け寄った。
「今日の所はこの辺にしておくか。明日には決着をつけるけどな」
帽子とヘルメットを取り換え蓮子は事務所へ向かって走り出す。
完全にDARKNESSの力が解けたのか、住宅街は学校帰りの学生や主婦たちの話声が見え始め、いつも通りの喧騒を取り戻していた。