「コクトー! 黒兎ぉー! 酒ー! 酒なくなったよー!」
「……洩矢神様よ。先程の樽で最後と申し上げたはずだが?」
「なにさー、知ってんだよー? まだ他にも隠してんだろぉー?」
「あれらはまだ熟成中だ。未完成の品を供する気は無い」
「うぇー!? んじゃ、蜂蜜酒は!?」
「昨夜、貴女様が飲み干された」
「あーうー……あ! こないだあんたが飲んでた麦酒! なんか泡立ってたやつ!」
「っ!? あ、あれはまだ、試作品であって……あくまで個人的に……」
「いやいやいやー? 満足そーに飲んでたでしょー? あー、飲んでみたいなー?」
「う、ぐ、ぅ……」
この……! 祟り神がぁ……っ!!
流浪し居着いた地で、私は何度目かも分からぬ苦汁を舐めた。
長らく研鑽し、つい先日開発したばかりのビール……私のビール……。
今更ながら、私達姉妹は妖怪だ。
なので、妖力という物を宿している。
姉は、これについては苦手としていた。
長い年月を生きながら、姉が宿す妖力は、そこらの妖怪と大差無い。
一方の私は、齢相応だった。千年前後の時間相応。
要するに、これまで出会った妖怪の中では、私の妖力は段違いだ。
姉妹でありながら差違が生じた原因は、能力の性質だと考えている。
姉の能力は、まるで妖怪らしくない、他者のための力。
そして、私は、実に悪辣な能力だ。
周囲に災厄を押し付ける、害悪そのものの存在だ。
私は妖怪である。
この自意識が、私をより妖怪らしくしているのだろう。
幸い、人食い嗜好には目覚めていないが。
不味そうだし、私は酒好き菜食主義だ。
倫理観やらについては、もう随分と昔に忘れてしまった。
仕方あるまい。
高々数十年の前世を、千年も覚えていられるものか。
とうに私は、身も心も妖怪兎に成っていた。
できれば人間を食べたくない、くらいが、私に残る人間性だろうか。
ともかく、私の妖怪としての格は、年々増していった。
それに伴い、ある意味当然に、能力も強まった。
最早、『不運』が私の身を害することは無い。
弾くことができない厄は、事前に察知し回避できる。
こと生存に関しては、おそらく私は、相当に高位の力を持っている。
そして、それは同時に、周囲に撒く災厄も増すことを意味した。
格の高まった妖怪として、本来なら身に納めるべき大量の厄。
それを私は、残らず周囲に撒き散らす。
少しずつ、数百年の時間をかけて、私の住み処は集落から遠ざかった。
私に近付けば、厄を受けさせてしまうから。
やがて、契機が訪れる。
大国主神様から、姉に使者が遣わされた。
曰く、予言の礼をしたい、と。
姉はすぐさま、喜び勇んで旅立った。
あのお方は、姉にとっても恩人だ。
恩人の招きとあればと、押っ取り刀で飛び出した。
集落については、それなりに指導的立場になれる者も居るし、問題無いだろう。
有頂天になっていた姉に、そこを考える余裕があったかは、定かでは無いが。
しばらく経ち、帰ってきた姉は、神格を備えていた。
なんでも、因幡てゐの名と、白兎明神の神号を賜ったらしい。
ダイコク様から直々に名と号を下賜されるとは、妖怪兎とは思えぬ、破格の待遇だ。
まったくもって、喜ばしい限り。
なのだが、問題が発生した。
問題とは言っても、姉ではなく私の問題だ。
強まった私の能力は、神にすら厄を押し付ける。
明神の位を受けた姉にとって、私は、まさしく毒だった。
私は、離別を決断した。
元より、やがては踏み切るべきことだ。
早々に決めるべきことを、引き延ばしにしていただけなのだ。
酒造技術も既に、姉を介して集落へ伝えている。
私がここに居る必要は、特に無い。
姉に別れを告げて、私は外へと旅立った。
表向きは、見聞を広めるため、と言いはしたが、はたしてどこまで、姉に読まれたことやら。
相も変わらず、私はそれを尋ねなかった。
代わりに、餞別を求めた。
姉がダイコク様に名付けられたように、私に名前を与えてほしい、と。
いつの日か、風の噂にその名を聞いた時に、私だと分かるように、と。
因幡コクトの名を姉に貰い、当ても目的も無い旅に出た。
生まれ育った高草郡は、遥か彼方に。
ふらりふらりと、様々な地を渡り歩いた。
様々な物を見、様々な者に出会い、様々なことを学ぶ。
姉以外と関わらずに、酒造ばかりに明け暮れた日々とは、また違った面白さがあった。
何度か、私と同等以上の力を持つ妖怪にも出会った。
好奇心にかられて、危機察知を無視した結果、あわや死にかけたこともあった。
好戦的な大妖怪やら、穢れを厭う神やらは、なかなかに危険だ。
大妖怪にも神にも、話の通じる相手は居たが。
加えて、そういった者達は、独自の価値観に従って在る者が多い。
それらの感性に触れることは、まさしく出会う喜びだ。
共に飲む酒も、一人酒とは異なる美味さがある。
妖怪にしろ神にしろ、高位の存在は、厄に対する耐性も高い。
酒を酌み交わす程度の時間であれば、私の厄も受け止められる。
そんな具合にふらふらして、随分な時間が過ぎた。
この間の、特に大きな出来事としては、やはり妖怪と神の大戦だろう。
隙間を司る大妖怪を大将に、妖怪の軍勢が神々に戦いを挑んだ。
激しい戦で、妖怪も神も、相当な数が滅んだ。
宵闇の大妖怪も、消滅寸前まで追い込まれたらしい。
余談だが、隙間のや宵闇のに会うと、BBAーNだのそーなのかーだのと頭をよぎる。
前世の名残だろうか? 掠れ過ぎて思い出し様が無いが。
それとは別に、比較的話の通じる者達なので、落ち着いたらまた会いたい。
参戦しなかった件に関して、何かしら文句は言われるだろうが、聞き流そう。
そもそも、私が戦場なんて厄の坩堝に飛び込めば、敵も味方も被害拡大するぞ。
試してみたいか? 私は嫌だ。
なお、噂によると白兎明神は健在らしい。
力が弱い割りに、罠やら何やらで領地に攻め込み難く、妖怪達に無視されたそうだ。
一安心である。
あ。あと、大戦で世界中に穢れが撒き散らされ、人間が滅亡した。
残らず死ぬか妖怪化した。
これについて、別段何も思わない辺り、私も完全に妖怪だな。
とは言え、どうにもあの連中、前世で知る人類とは別の存在らしい。
だったら何なのだ、と聞かれても、私は知らん。神が造った何かじゃないか?
私に分かるのは、ここ数万年で、猿みたいだった原人が人間らしくなったことくらいだ。
気が付くと、旅を始めてから、百数十万年が過ぎていた。
数えていた訳では無いが、多分大体そのくらいだろう。
列島の中に留まらず、大陸に渡ってみたりもしたが、結局この島国に帰ってきた。
旅立ち以来、姉には会っていない。
更に成長した私の能力は、厄の台風みたいな物だ。
中心部の私だけが無風な辺り、まさしく台風である。
厄災の黒兎、なんて渾名まで付けられてしまった。
百数十万年を生きた妖怪が担う分の厄を常に撒き散らし続ける、災害じみた存在だ。
明神として信仰を集める姉に近寄るのは、余りにも危険。
それでも、生まれたこの地へ戻るとは、我ながら女々しいものである。
これまでと同様に、ふらふらと、東へ西へと歩き回る。
そんなある日、かつて無いほどの厄を見付けた。
何ともまあ、見事な物である。同時に感じる、凄まじい神気。
さぞや名のある荒神か、と、興味本意で寄ってみた。
危機察知が大して反応しないところ、問答無用で殺しにかかってくる類いでは無い。
なら大丈夫、と楽観して、その神が治める領域に踏み入れた瞬間。
数十もの白い大蛇に取り囲まれた。
とんでもなく警戒されている。
それはそうだ。
先述の通り、今の私は厄の台風。
こんな者が領地に上陸したら、何事かと敵意を向けて当然。
うむ、これは不味い。
正直に言うと、大蛇の方はどうとでもなる。
一応は、祟り神に位置するようだが、この三倍は持ってこい、だ。
だがしかし、一際巨大な、天をつく鎌首をもたげた大蛇。
その頭上に感じる存在。
あれは、不味い。
やりあったら、逃げる余裕が無い。
危機察知が、逃げろ、とは訴えないことが、その証拠。
同格以上の相手ととことんなど、私は御免こうむる。
そういうことは、戦闘好き同士ででもやってくれ。
脳に響く警報に従い、膝をついて頭を垂れる。
礼を尽くせ、と、能力が悲鳴をあげている。
「拝謁の栄を賜りましたこと、感謝申し上げます。
貴き神、祟り神を統べる偉大な王。
私は、因幡乃黒兎と申す者。
此度は、御身がお治めになられる地へ無作法に立ち入った非礼を、どうかお許しください」
大蛇が私に近付き、名も知らぬ神が私を覗き込む視線を感じる。
「……綺麗なもんだねぇ」
頭上から降ってきた声は、予想外に幼い。
おそらく、外見年齢は、私と大差無いだろう。
私を含めて、見た目が中身と同じ人外など、滅多に居ないが。
「周囲に穢れを押し付けて、あんた自身はとても綺麗だ。
そして、あんたはそんなあんたが、嫌いで嫌いでしょうがない。
だってのに、あんたはそれに折り合いを付けている。
自分をそういうモノだって認めている。
きっと、あたしが生まれるよりも前からだ。
ずっとずっと、あんたはあんたを納得させて、折り合わせている」
弾く厄に、妖力と殺気が混じる。
白蛇の群が、呻き、身をよじる。
「良いよ。気に入った」
幼き神が、笑い声を上げた。
「あんたを客分として迎えよう。
コクト。あんたは、このあたし、諏訪の国主、洩矢の神の客だ」
楽しげに、心底愉快そうに、神は笑った。
ケロちゃんケロケロ