トウホウ・クロウサギ   作:ダラ毛虫

2 / 45
第蛙話

「コクトー! 黒兎ぉー! 酒ー! 酒なくなったよー!」

「……洩矢神様よ。先程の樽で最後と申し上げたはずだが?」

「なにさー、知ってんだよー? まだ他にも隠してんだろぉー?」

「あれらはまだ熟成中だ。未完成の品を供する気は無い」

「うぇー!? んじゃ、蜂蜜酒は!?」

「昨夜、貴女様が飲み干された」

「あーうー……あ! こないだあんたが飲んでた麦酒! なんか泡立ってたやつ!」

「っ!? あ、あれはまだ、試作品であって……あくまで個人的に……」

「いやいやいやー? 満足そーに飲んでたでしょー? あー、飲んでみたいなー?」

「う、ぐ、ぅ……」

 この……! 祟り神がぁ……っ!!

 流浪し居着いた地で、私は何度目かも分からぬ苦汁を舐めた。

 長らく研鑽し、つい先日開発したばかりのビール……私のビール……。

 

 

 

 

 

 今更ながら、私達姉妹は妖怪だ。

 なので、妖力という物を宿している。

 姉は、これについては苦手としていた。

 長い年月を生きながら、姉が宿す妖力は、そこらの妖怪と大差無い。

 一方の私は、齢相応だった。千年前後の時間相応。

 要するに、これまで出会った妖怪の中では、私の妖力は段違いだ。

 姉妹でありながら差違が生じた原因は、能力の性質だと考えている。

 姉の能力は、まるで妖怪らしくない、他者のための力。

 そして、私は、実に悪辣な能力だ。

 周囲に災厄を押し付ける、害悪そのものの存在だ。

 私は妖怪である。

 この自意識が、私をより妖怪らしくしているのだろう。

 幸い、人食い嗜好には目覚めていないが。

 不味そうだし、私は酒好き菜食主義だ。

 倫理観やらについては、もう随分と昔に忘れてしまった。

 仕方あるまい。

 高々数十年の前世を、千年も覚えていられるものか。

 とうに私は、身も心も妖怪兎に成っていた。

 できれば人間を食べたくない、くらいが、私に残る人間性だろうか。

 ともかく、私の妖怪としての格は、年々増していった。

 それに伴い、ある意味当然に、能力も強まった。

 最早、『不運』が私の身を害することは無い。

 弾くことができない厄は、事前に察知し回避できる。

 こと生存に関しては、おそらく私は、相当に高位の力を持っている。

 そして、それは同時に、周囲に撒く災厄も増すことを意味した。

 格の高まった妖怪として、本来なら身に納めるべき大量の厄。

 それを私は、残らず周囲に撒き散らす。

 少しずつ、数百年の時間をかけて、私の住み処は集落から遠ざかった。

 私に近付けば、厄を受けさせてしまうから。

 

 

 やがて、契機が訪れる。

 大国主神様から、姉に使者が遣わされた。

 曰く、予言の礼をしたい、と。

 姉はすぐさま、喜び勇んで旅立った。

 あのお方は、姉にとっても恩人だ。

 恩人の招きとあればと、押っ取り刀で飛び出した。

 集落については、それなりに指導的立場になれる者も居るし、問題無いだろう。

 有頂天になっていた姉に、そこを考える余裕があったかは、定かでは無いが。

 しばらく経ち、帰ってきた姉は、神格を備えていた。

 なんでも、因幡てゐの名と、白兎明神の神号を賜ったらしい。

 ダイコク様から直々に名と号を下賜されるとは、妖怪兎とは思えぬ、破格の待遇だ。

 まったくもって、喜ばしい限り。

 なのだが、問題が発生した。

 問題とは言っても、姉ではなく私の問題だ。

 強まった私の能力は、神にすら厄を押し付ける。

 明神の位を受けた姉にとって、私は、まさしく毒だった。

 私は、離別を決断した。

 元より、やがては踏み切るべきことだ。

 早々に決めるべきことを、引き延ばしにしていただけなのだ。

 酒造技術も既に、姉を介して集落へ伝えている。

 私がここに居る必要は、特に無い。

 姉に別れを告げて、私は外へと旅立った。

 表向きは、見聞を広めるため、と言いはしたが、はたしてどこまで、姉に読まれたことやら。

 相も変わらず、私はそれを尋ねなかった。

 代わりに、餞別を求めた。

 姉がダイコク様に名付けられたように、私に名前を与えてほしい、と。

 いつの日か、風の噂にその名を聞いた時に、私だと分かるように、と。

 

 

 因幡コクトの名を姉に貰い、当ても目的も無い旅に出た。

 生まれ育った高草郡は、遥か彼方に。

 ふらりふらりと、様々な地を渡り歩いた。

 様々な物を見、様々な者に出会い、様々なことを学ぶ。

 姉以外と関わらずに、酒造ばかりに明け暮れた日々とは、また違った面白さがあった。

 何度か、私と同等以上の力を持つ妖怪にも出会った。

 好奇心にかられて、危機察知を無視した結果、あわや死にかけたこともあった。

 好戦的な大妖怪やら、穢れを厭う神やらは、なかなかに危険だ。

 大妖怪にも神にも、話の通じる相手は居たが。

 加えて、そういった者達は、独自の価値観に従って在る者が多い。

 それらの感性に触れることは、まさしく出会う喜びだ。

 共に飲む酒も、一人酒とは異なる美味さがある。

 妖怪にしろ神にしろ、高位の存在は、厄に対する耐性も高い。

 酒を酌み交わす程度の時間であれば、私の厄も受け止められる。

 

 そんな具合にふらふらして、随分な時間が過ぎた。

 この間の、特に大きな出来事としては、やはり妖怪と神の大戦だろう。

 隙間を司る大妖怪を大将に、妖怪の軍勢が神々に戦いを挑んだ。

 激しい戦で、妖怪も神も、相当な数が滅んだ。

 宵闇の大妖怪も、消滅寸前まで追い込まれたらしい。

 余談だが、隙間のや宵闇のに会うと、BBAーNだのそーなのかーだのと頭をよぎる。

 前世の名残だろうか? 掠れ過ぎて思い出し様が無いが。

 それとは別に、比較的話の通じる者達なので、落ち着いたらまた会いたい。

 参戦しなかった件に関して、何かしら文句は言われるだろうが、聞き流そう。

 そもそも、私が戦場なんて厄の坩堝に飛び込めば、敵も味方も被害拡大するぞ。

 試してみたいか? 私は嫌だ。

 なお、噂によると白兎明神は健在らしい。

 力が弱い割りに、罠やら何やらで領地に攻め込み難く、妖怪達に無視されたそうだ。

 一安心である。

 あ。あと、大戦で世界中に穢れが撒き散らされ、人間が滅亡した。

 残らず死ぬか妖怪化した。

 これについて、別段何も思わない辺り、私も完全に妖怪だな。

 とは言え、どうにもあの連中、前世で知る人類とは別の存在らしい。

 だったら何なのだ、と聞かれても、私は知らん。神が造った何かじゃないか?

 私に分かるのは、ここ数万年で、猿みたいだった原人が人間らしくなったことくらいだ。

 気が付くと、旅を始めてから、百数十万年が過ぎていた。

 数えていた訳では無いが、多分大体そのくらいだろう。

 列島の中に留まらず、大陸に渡ってみたりもしたが、結局この島国に帰ってきた。

 旅立ち以来、姉には会っていない。

 更に成長した私の能力は、厄の台風みたいな物だ。

 中心部の私だけが無風な辺り、まさしく台風である。

 厄災の黒兎、なんて渾名まで付けられてしまった。

 百数十万年を生きた妖怪が担う分の厄を常に撒き散らし続ける、災害じみた存在だ。

 明神として信仰を集める姉に近寄るのは、余りにも危険。

 それでも、生まれたこの地へ戻るとは、我ながら女々しいものである。

 

 これまでと同様に、ふらふらと、東へ西へと歩き回る。

 そんなある日、かつて無いほどの厄を見付けた。

 何ともまあ、見事な物である。同時に感じる、凄まじい神気。

 さぞや名のある荒神か、と、興味本意で寄ってみた。

 危機察知が大して反応しないところ、問答無用で殺しにかかってくる類いでは無い。

 なら大丈夫、と楽観して、その神が治める領域に踏み入れた瞬間。

 数十もの白い大蛇に取り囲まれた。

 とんでもなく警戒されている。

 それはそうだ。

 先述の通り、今の私は厄の台風。

 こんな者が領地に上陸したら、何事かと敵意を向けて当然。

 うむ、これは不味い。

 正直に言うと、大蛇の方はどうとでもなる。

 一応は、祟り神に位置するようだが、この三倍は持ってこい、だ。

 だがしかし、一際巨大な、天をつく鎌首をもたげた大蛇。

 その頭上に感じる存在。

 あれは、不味い。

 やりあったら、逃げる余裕が無い。

 危機察知が、逃げろ、とは訴えないことが、その証拠。

 同格以上の相手ととことんなど、私は御免こうむる。

 そういうことは、戦闘好き同士ででもやってくれ。

 脳に響く警報に従い、膝をついて頭を垂れる。

 礼を尽くせ、と、能力が悲鳴をあげている。

「拝謁の栄を賜りましたこと、感謝申し上げます。

 貴き神、祟り神を統べる偉大な王。

 私は、因幡乃黒兎と申す者。

 此度は、御身がお治めになられる地へ無作法に立ち入った非礼を、どうかお許しください」

 大蛇が私に近付き、名も知らぬ神が私を覗き込む視線を感じる。

「……綺麗なもんだねぇ」

 頭上から降ってきた声は、予想外に幼い。

 おそらく、外見年齢は、私と大差無いだろう。

 私を含めて、見た目が中身と同じ人外など、滅多に居ないが。

「周囲に穢れを押し付けて、あんた自身はとても綺麗だ。

 そして、あんたはそんなあんたが、嫌いで嫌いでしょうがない。

 だってのに、あんたはそれに折り合いを付けている。

 自分をそういうモノだって認めている。

 きっと、あたしが生まれるよりも前からだ。

 ずっとずっと、あんたはあんたを納得させて、折り合わせている」

 弾く厄に、妖力と殺気が混じる。

 白蛇の群が、呻き、身をよじる。

「良いよ。気に入った」

 幼き神が、笑い声を上げた。

「あんたを客分として迎えよう。

 コクト。あんたは、このあたし、諏訪の国主、洩矢の神の客だ」

 楽しげに、心底愉快そうに、神は笑った。




ケロちゃんケロケロ

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。