「約束の品を受け取りに来たぞ、兎」
「納期は来月だ、出直せ、狐」
「紫様が御所望なのだ、さっさと寄越せ」
「あれの気紛れに振り回されて悦に入るのは結構。
だが、その下僕根性に私を巻き込むなよ」
「良いから、早く酒を出せ。
本来であれば、貴様の様な下卑た輩の品など……」
「ならば帰って主に伝えると良い。
兎の酒などお出しするに値しませんのでありません、とな」
「……紫様と、古くからの知己だからと言って、調子に乗りすぎだぞ、老いぼれ」
「主に尻尾を振りたければ、骨でも取って来ると良い。
狐も犬も似たような物だろう? お嬢ちゃん」
「骨よりも、兎肉の方が良いのではないか?
その干からびた肉が、食えた物かは分からんがな」
「試してみろ」
最強の妖獣だか式だか知らんが、お前の態度が気に入らない。
九尾を引き抜いて減らしてやろうか。1本は座布団に使ってやる。
酒を造る、出来上がった頃に鬼が来る、迎撃する、馬鹿騒ぎになる、宴会する。
既に何度繰り返したかも分からない。
何だあいつら。何なんだあいつら。
頑丈過ぎて、私の厄で運気が下がっても、全く意に介さない。
妖力を込めて吹き飛ばしても、しばらくしたら復活する。
私の防御結界を、拳で叩き壊す。星熊の奥義に至っては一撃である。
もし体に当たったら即死。騒ぎの間中、危機察知は反応し通しだ。
死角からの攻撃も察知して避ける私。盛り上がり熱くなる鬼共。
そして激化する乱戦。
もう本当に、こいつら、くたばれ。
酒が欲しいなら、せめて物々交換で何か持ってこい。
ただし酒虫は却下だ。あんな酒、度数が高いばかりで、旨味も味わいも無い。
だからといって、欲しけりゃ奪うって、お前らの思考回路は蛮族か何かか。
あ、蛮族だわあいつら。
「本当にあいつらくたばれば良いのに……」
「あら、貴女が参っているなんて、珍しいわね」
「私の顔を肴に飲むな」
「花鳥風月、雪に星に友の顔、全てを肴にしてこそ、でしょう?」
しれっとした表情で杯を傾ける、隙間の、こと、八雲紫。
こうして酒を酌み交わすのは、十数万か数十万年ぶりになるか。
「そうよねぇ。貴女が神との戦をすっぽかして、大陸漫遊に出て以来かしらねぇ」
思考を読むな。
「と、言うか、だな。
参戦する気は元より無かったが、お前も、私は戦場に近付かない方が良いと言っていただろう」
「そうだったかしらね?」
「何だ? 如何に賢者と謂えど、歳には勝てんか?」
「失礼ね! 私はまだまだ若いわよ!」
古き神々の多くが地上を去って以来、私より年上の数少ない存在のくせに。
「心はいつまでも若々しいの!」
どうでも良いわ。
「そんなことよりも、何か用があって来たんだろう?」
「あら? 用が無いと来ちゃいけない?」
「白々しい。顔を見れば分かる」
何の意図も無しに動く奴ではあるまいよ。
「近頃、また何か画策しているらしいな」
「そうね……知っているなら、話が早いわ」
紫はそう呟き、扇で口元を隠す。
そういう仕草が胡散臭さを増しているのだが、狙ってやっているのだろう。
「私は、楽園を創っているの。
数多の妖怪が生き、人が妖怪を畏れ続ける、妖怪の楽園を」
「……人は変わり、発展し、畏怖を薄れさせる。それもまた時代だろう」
「でしょうね。でしょうけど、私はそれを否定するわ」
「だろうな。それが箱庭であろうと、住まう者には、関係無い」
僅かばかりだが、前世の意識が疼く。
と、なれば、これもまた、知識通りの出来事だろうか。
「コクト。貴女はきっと、畏れを失っても、力を弱めても、生きていけるのでしょう」
「どうだかな。消えはせずとも、人の既知に、私が住まう居場所はあるまいよ」
「それを理解して尚、貴女は受け入れるでしょうね。
だけど、私はそれが嫌なの。何としても協力してもらうわ」
神が地を去ったように、妖怪もいずれは消える物だ。
その道理を、今更説くような相手では無い。
全てを理解した上で、尚もこいつは我を通す。
我が儘にあるため、必要な存在があれば、確保しに来る。
「…………………囲えば留まり淀む。
……私に求める役は、撹拌、といったところか」
「本当に、話が早いわね。
その通りよ。厄を操る貴女は、私の楽園をかき混ぜるのに、最も適している」
箱庭に変化は無い。
強すぎる変革は要らない。
しかし、溜まり水は濁る物。
なるほど、その調整に、私は都合が良いだろう。
薄く広くを厄で満たせば、自然と動きが生じるものだ。
「……能力の制御を身に付けたのは、失敗だったか」
「私の予定には、とっくに組み込んであったから、安心して」
「できるか」
制御できないままだったら、何をするつもりだったんだ、こいつ。
ああ、説明は要らん。聞きたくない。
「酒造には、最高の設備を約束しますわ」
それはまた、何とも心揺さぶってくれることで。
久し振りになるが、蒸留酒も本格的に造りたかったところだ。
「……断ったら、何をされるか分からんな」
「あら、人聞きの悪い」
くすくすと笑う紫。それが相手の不安を誘うのだと……分かっているのだろうな。まったく。
「まあ良いか。変化に抗うこともまた、時代だ」
すぅと、紫が笑顔の質を変える。
「感謝するわ、コクト」
珍しいことに、それは安堵の笑みだった。
語り終え、乾かした杯をまた満たす。
言葉は無く、緩く穏やかに、沈黙を肴に酒を飲む。
特に上等な酒を蔵出ししたこともあり、良い時間だ。
さて、引っ越しが決まったところで、騒動が起こった。
ここ最近お決まりの、馬鹿騒ぎだ。
「紫お前! 酒(コクト)を独占する気か!?」
私の名前を、他の字の読みにされたように聞こえたのは気のせいか、伊吹?
「いくら何でも、横暴ってもんじゃあないかねぇ?」
どれだけ攻撃的な笑い方をしている星熊。
「彼女が選んだことに、他者の意見を押し付けるつもりかしら?
それも、選ばれなかった貴女達が? お笑い草ねぇ」
何の話だか分からんが、とりあえず挑発していることは分かるぞ、紫。
一触即発。というか、この三者が本気で暴れたら、この山周辺が盆地になる。
どうしたものか。
立ち去る土地が荒れたところで、私に痛手は無いが、放って行く訳にもいかんだろう。
周りの鬼共の、何とかしてくだせぇ、と言わんばかりの視線も、鬱陶しい。
仕方無い。
「伊吹、星熊」
「なにさ!」
「なんだい?」
木っ端妖怪なら、眼力だけで消し飛ぶな、こいつら。
改めて、何でこいつらの喧嘩相手をさせられていたんだ、私。
「置き土産に、酒蔵のを全部と、私の『秘蔵』を半分残して行く。好きに飲め」
「愛してるよコクト!」
「アンタの酒は、鬼の宝にしよう」
分かったから涎を拭け。
「ちょっと待って!? 貴女の『秘蔵』って、まさか!」
で、何でお前が口を挟む、紫。
「出来が良い物を長期間熟成させた酒だ。さっき飲んだのも、その1つだな」
百年千年を費やして、最適の状態まで育てた、珠玉の品である。
樽で数えて十も無い厳選品だ。伊吹と星熊にも、滅多に出していない。
「ず、ズルいわよ! 私だって少ししか貰えなかったのに!」
量が限られているからな。再会祝いに瓶1本分も空けただけで充分だろう。
しかし、そんなに気に入っていたのか。道理で名残惜しそうに飲んでいた訳だ。
「なぁにがズルいってのさ! さらって行こうとしてるクセに!」
「コクトがくれると言った以上、あれはもう鬼の宝さ!」
伊吹、星熊、涎拭け。
「ぐ、くぅ、くぅぅぅぅ! コクトォォッ!!」
「なんだうるさい」
「私にも! 私にも引っ越し祝いで頂戴! お酒!」
賢者の名が泣くぞ、今のお前。
紫が喚くので、楽園とやらに着いたらすぐに、現地の素材で造ることになった。
元々そのつもりだったが、一息つく間すら無さそうだ。
移動ついでに荷物を減らそうとしたことが、こんな事態を招くとは。
確かに、『秘蔵』半分は些か奮発したが。
自覚していた以上に、私はこの馬鹿鬼共との馬鹿騒ぎを、楽しんでいたのだろうか。
まこと、我がことながら、心という物は不明である。
そうして、私は楽園、幻想郷でもまた、酒造に明け暮れる。
紫にねだられ、頻繁に酒を注文されるのは、頭が痛いが。
あと、紫の従者が、やたらと突っ掛かってくるが。
何の文句があるのだ、あの狐め。
紫が私の住居まで飲みに来るのは、あいつが勝手に来ているだけだ。
言いたいことがあるなら、あいつに直接言え。
私に向かって愚痴愚痴言うな。面倒臭い。
これが後の世に「鬼が隠し持つ酒」として伝説の宝となったのであった
ハーレム(酒)が仕事した
ちなみに、冒頭で藍しゃまがいきなり喧嘩腰なのは、
「コクトのお酒じゃないとヤダー!」
と、ゆかりさんが駄々こねたせいです