史國伝姫   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第1話

 ふらり、ふらりと歩いていく。

 

 慣れぬ土地の見慣れぬ風景が、その人影の歩む速度を常よりゆるりとさせ、海から運ばれる潮の匂いがその人影の――少年の頬を撫でるたび、ゆるりとした歩みは徐々に滞りがちになっていった。

 やがて少年は足を止め、まず彼の住まう都会では見る事もそう出来ない、何も無い原っぱの真ん中で、息を吐いた。そのまま空を見上げ、ぼうっとしていると……

 彼の視界は歪み、そして溶けて行った。

 

 

 気がついたら、山村らしき場所に居た。

 少年は頭をぽりぽりとかきながら、困惑しきった顔で周囲を見回す。

 

 ――何も無い。

 

 胸中で呟き、いや、と頭を振る。何も無いわけではない。

 木が在る、林が在る、川もあって橋もある。藁屋根の家屋もあれば、何かの倉庫の様な土壁のそこそこ立派な建物だってある。

 

 が、それは少年にとって、やはり無いのだ。

 

 肩を落とし、少年はもう一度周囲を見回す。思うことは、何一つ遮るもののない、空の広さだ。電柱も無ければ、鉄柱もなく、電線も無く、ビルもない。

 

「人工物、無さすぎ」

 

 ぽつり、と勝手に零れ出た自身の言葉に、おかしな事なのだろうが少年は得心が行った。所謂都会子である彼には、藁葺き屋根の家屋や木で作られた粗末で小さな橋などは、自然物扱いになる。

 彼にとって人工物とは、金属的な物でありもっと機械的で硬質でコンパクトなよき日本のシンボルなのだ。雑多に、所狭しと並ぶビルでも良いし、アスファルトの上に置かれた和洋折衷の混沌とした町並みでも良い。

 それらこそが、彼にとっての人工物だ。故に、少年の勝手な考えではここにそれらは無いと思えるのである。

 

「……っかしいなぁ」

 

 少年は再び頭をかいて、呟く。

 

「俺、こんなとこにいたっけか?」

 

 腕を組んで、一番新しい記憶を思い出そうと試みる。みるが、どうにも記憶は濁り判然としない。

 

「……まぁ、歩けばコンビニでもあるだろ」

 

 能天気に言葉を吐いて、組んだ腕をほどき少年は歩き出した。

 

 歩けど歩けど、視界に飛び込んでこない人工物の影に、徐々に恐々としながら顔を歪ませつつ。少年は、あぜ道を歩き続けた。

 

 

「……おい、なんだ、あのひょろい大男は……」

 

「ちょ、ちょっと……お城にしらせた方が……」

 

「でもほら、今ってまだお殿様が亡くなったばっかで……」

 

 身長170少し、体格はひょろりとしたもので、平成の世にあってはまずまず標準的な肉体だ。しかし、周囲に集まる者達の身長は、皆150、いっても160程しか無く。

 

 身を帯びるものもジーンズにシャツ、夏と言う季節を考えれば、まずます普通である。

 しかし、周囲に集まる者達の服装は、どこか時代劇的な装いで、しかも清潔感など全く無く。

 

 髪は少しばかり染めて茶色で、ピアスなどの類は親が古風な為許してもらえずつけていないが、別に珍しいといった風体でもない。しかし、周囲に集まる者達の頭髪は、ただただ黒く、しかも縮れてあちこち飛び跳ねた不潔な汚れた黒髪しか無く。

 

 困惑の相に彩られた顔も、これまた極めて一般的で、すれ違っても誰一人として振り返らないような、凡庸な顔だった。

 それでもその少年はその風景にあって異様である。

 

 誰もが振り返る。凡庸で、目立つ事も、異彩を放つ事も無い一般的な風体の少年は、その山村を歩けば歩くほどに、皆の目を引きつけ、誰であっても振り向かせ、何事かを囁かせた。

 山村らしい、人の良さそうな顔をした赤黒い顔の百姓夫婦も、瓜を片手に持った洟垂れ小僧も、ボロボロの僧服を纏った聖も、腰に大小の刀を差したちょん髷姿の侍も、皆が皆、眼前からやって来る少年の姿を何事かと眺め、彼が通り過ぎては振り返り、ぽかんと口をあけて立ち尽くした。

 

 ――なんだよ、その腰の大小の物騒なもん。

 

 歩み去る少年とて、立ち尽くす事こそないが内心はぽかんと立ち尽くす皆と一緒である。

 先程通り過ぎた侍の――いや、侍風とでも言うべきか。

 兎に角、そういった姿の人物が腰にさしていた大小の刃物などは、平成日本において容易と目にする事が叶う物ではない。出来る訳がない。

 刃物の所持は違法であるし、例えばそれがカッターナイフや鋏といった日常的な工作用具であっても、

これ見よがしに持って歩けば注意もされるし、振り回せばまず如何な理由があろうとも警察のお世話になるものだ。包丁など最早何をいわんや、である。

 

 で、あるというのに、刀である。

 太刀と、脇差。ここが有名な日本の某観光地であれば、あぁそういった衣装を選んだのか、などで終わるだろうが、少年が見る限りここはただの山村らしき場所である。

 

 ――コンビニどころじゃないだろ、これ、絶対。

 

 ここに至り、少年は全身から冷や汗を流して異常に気付いた。

 気付いたら田舎の山村らしき所にいた、などと言った生易しい事態ではないと、平成産れのぼけた頭がやっと危機感を抱いたのだ。しかし、もう遅い。

 

「……ん?」

 

 少年は、目を細め自身の前にある路の先を見つめる。

 先程、気のせいであったかもしれないが、何かが見えたのだ。

 もっと確り見ようと、立ち止まり更に目を細めた彼の目に飛び込んできたのは――

 

「は……?」

 

 槍を手に持った、良く映像やマンガで見かける足軽然とした数人の男達と。

 

「ッしゃぁああああ! 見つけたぞぉッ!!」

 

 馬に乗って槍をぶるんぶるんと振り回す、侍姿の、なんとも勝気な面を持つ、褐色美少女の咆哮する姿だった。

 

「……え?」

 

 事態を受け入れられず、今しがた過ぎ去った侍同様、ぽかんと口をあけて茫然とする少年の耳には、悲しいかな。徐々に大きくなっていく足軽集団の走り寄る足音と、それを率いる馬上少女の馬蹄の音が、けたたましく鳴り響いていた。

 

「う、うまぁああああああああああ!?」

 

 バイクでも、自転車でもない。

 で、あるから。そんな物がここに無く。

 

「なんでそんなちっさいうまにのってんの!? まじで!? なんで!?」

 

 そんな小さな馬しか、ないからである。

 

 

 時は少々遡る。

 

 とある質素な武家屋敷の一室で、その男は部下の言葉に耳を傾けていた。

 

「ほう……それほどに面妖か?」

 

「はい、飛州様。港に居を構える商人をして足止めさせた言いますから、どれほどの者かと某も見て参りましたが……いや、これがまた奇天烈にて」

 

「奇天烈か。で、貴様、どうしてその場でそのものを取り押さえなんだか?」

 

「……面妖なる者、押さえて呪いでも吐かれては……」

 

「たわけが。今が如何なる時か貴様、分かっていて放っておいたか」

 

 その男の声は、決して大きな物ではない。

 が、無いにも関わらず、大げさな身振り手振りで話していた部下は、大きく仰け反り、次いで慌てて頭を下げた。男の持つ官位が、部下にそうさせるのではない。

 男の名乗る飛州――飛騨守という官位は、朝廷から与えられた正式なものではなく、勝手に名乗っているだけのもので、何の意味も効力も持たない。

 

 では、何故こうも恐れ敬うのか。簡単なことだ。

 飛騨守、通じて飛州。そう名乗る男の武功と実績と、その体から滲み出る豪傑の気が、男を圧倒するからだ。故に、震える。故に、頭を垂れる。

 

 そんな頼りない部下を一瞥し、男は開かれた襖の向こう――この屋敷の中庭で、一人黙々と槍を振るう褐色の美少女、自身の長女に声を掛けた。

 

「隼人、お主この者達を率いて、ちょっと一仕事をして来い」

 

 右手で部下を指差し、左手で蝿を払いながら、その男――飛州は、そんな事を言った。

 隼人と呼ばれた少女は、父の言葉を聞いて首を傾げ、口を開いた。

 

「初陣もまだの私が行っても良いもんか? そいつらだって納得せんぞ、父上」

 

 外見からは想像できぬ口の悪さに、我が子ながら風変わりな子に育ったと男は思ったが、そんな事は一切顔に出さず、娘の言葉に応える。

 

「納得せんなら納得させろ。腕の二、三本程度、砕いても構わん」

 

「……ッ」

 

 声にならぬ声を上げたのは、指をさされたままの部下である。

 飛州と呼ばれる彼の主は、その程度の事本当にやってしまうような剛勇の士であるし、その娘である隼人も、それを当たり前だと思っている節がある。腕の二本も砕かれては、最早兵隊家業も出来ぬと分かりそうな物だが、道理が道理として通用しない世界も在る。

 

 そんな世界に、彼らは身を置いているのだから、やると言えば、間違いなくやる。何より、臆病な彼には分かるのだ。

 飛州に幼い頃より仕え、共に戦場を走ること十数回。飛来する矢に怯え、掛かってくる多勢に慄き、それでも先陣を駆る槍の名手の鬼神が如き働きに見惚れ、強く恐れた彼には、分かるのだ。

 臆病ゆえに強者を測る彼の心拍は、飛州の前に居る時よりも、隼人の前に居る時の方が、遥かに早く、強く、脈打つ。

 

 琥珀の様な肌を持つ美しい少女であるが故に生じる胸の鼓動――等では決して無い。

 そんな甘やかなものでは、決して無い。

 事実、腕の二、三本砕いても、と言った辺りで彼の身に注がれた隼人という少女の視線は、

余りに恐ろしく、死さえ感じさせたのだ。

 それが、男の喉から、声にならぬ悲鳴を上げさせたのである。

 

 そんな部下の姿を見て、飛州は在るか無いかの苦笑を浮かべ、

 

「ほれ、これも納得した。この前わしが買った馬、走らせてやるから行って来い」

 

「本当か! じゃあ行く! おい、さっさと行くぞ!」

 

「は、はい!!」

 

 慌しく去っていく自身の娘と部下を眺めたまま、羽音を立てて再び寄ってくる蝿を払い。

 やがてぽつりと、飛州は零した。

 

「あれは、わしに孫を抱かせんかもしれんなぁ」

 

 しかも、彼の娘達は全員父親の血を強く受け継いでおり、腕白ばかりの女なのである。

 年頃の娘らしさなど、欠片も無い。それがまた、彼に苦笑を浮かべさせた。

 

「贅沢な悩みかも、知れんな」

 

 殊に、今主家に在る問題を思えば、そうも感じる飛州であった。

 

 さて、そんな父親の悩みなど終ぞ思い至らぬ若い隼人は、父が最近買った馬の上で、槍を構えて上機嫌だった。

 

「おぉ、一目見た時からこれは、って思ったけど、やっぱこの馬いいなぁ……このまま貰えんかな、こいつ」

 

 又の下でぶるりと鳴く馬――土佐駒を撫でる姿は、無邪気なものだ。

 日ノ本に見られる馬とは違い、土佐の馬は従来のそれより一回りも二回りも小さい。美しい少女が小さな馬に跨る姿は、なるほど、良く似合っていると周囲に思わせるだろうが、戦場を知る者は背筋をぶるりと振るわせた。

 岡豊において、先代から槍右馬丞と呼ばれ大いに頼りにされた武将が、商人に頭を下げてまで買い得た馬が、今少女の下にある馬である。

 そんな馬が、少女の為すがままを許す大人しいだけの馬であるはずが無い。気性の荒い、それ故に戦場の道具として一流であるそれを、事もなく扱い無邪気に撫でる、初陣もまだ済ませていない少女の姿など、古参の兵からすればまさに白昼夢だ。

 だからこそ、兵たちは夢心地で同じ事を思った。

 

 ――隼人の名、もしや父君を超えて轟くか……?

 

 共を命じられた兵たちが、そう思うのも無理はない。

 もっとも、隼人当人は兵達の動揺も驚愕も知らず、無邪気に馬を撫でるだけだ。そんな隼人に、先程飛州に叱られ、隼人の視線に恐れ戦いた部下が恐々と声を掛けた。

 

「隼人様……早く参りませんと……」

 

「それをお前が言うか?」

 

 呆れた顔で返す隼人の言葉に、他の足軽達がぼうっとした顔から一転、からからと笑った。

 男が面妖な少年を見ながら、ただ眺めるばかりで取り押さえる事も無く、それを主に叱責された事を皆が知っているのだ。こう笑いの種にされては、男の面目も丸つぶれなのであるが……

 

「ま、その辺は今返せば良いんだ。縄、お前が持てよ?」

 

「……はッ!」

 

 その辺りを、この少女は本能的に理解している。失敗をしたからこそ、返上する場をすぐさま与えようと言うのだ。

 

 結果。隼人は城下町を勝手気ままに歩く面妖な少年を呆気なく捕らえ。

 縛り付けられた少年のその身を縛る縄を男に持たせ、町を歩いた。初陣もまだの彼女の為に死ねる足軽が一人、出来上がったのである。

 

 

 とある異様な少年が"保護"されたその日の夜、"収監"された城の一室。

 城、などと言ってはみても、今の感覚で言えば砦に毛の生えた程度でしかない。絢爛豪華なる城などと言った物が世に生まれるのは、もう少し後の頃である。

 そんな城の、それなりに整えられた一室――化粧台や着物の立てかけられた、灯りもない一室に、月に掛かった雲がその人影を瞭然とはさせなかったが、四つの人影があった。

 

「で、今日は何用で集まったのかしら? 弥七郎」

 

「それは――」

 

「父上がお隠れになって、もう一月ですぞ」

 

 応じたのは、弥七郎と呼ばれた人影ではなく、

 

「弥五郎、貴方には聞いていませんよ。しかも聞いていません、そんな事は」

 

「割って答えたくもなりましょう」

 

 弥七郎の隣に居た、つり目の美しい少女であった。その少女は険しい相で、目の前に佇む新しい城の主に言葉を続ける。

 

「父上が一条殿より助力賜りこの地に――岡豊に戻り、本山の下で野の虎と呼ばれるほどに獅子奮迅の活躍を為され、機を見て独立し、群を平定し民草を導き、我ら四人が生まれて何十年経ちましょうか!」

 

「さて、何年でしたか……弥七郎」

 

「何年でしたかな」

 

 平然と言い返す人影と、平時通り沈着とした弥七郎の姿と、居心地悪そうに目を右に左にと泳がせるもう一人の人物と、それらを目に入れてから、弥五郎は叫んだ。

 

「瑞王覚世等といった戒名なぞ用意する暇があれば、土佐七群に七つ酢漿草の旗を立てぬか!!」

 

 眠っていた鳥がその大声に驚いたのか。城の近場にあった木から二羽、夜であるというのに鳥が羽ばたいて去っていった。

 

「父上ならば、こう言われましょう! 御下知さるるば、我ら三姉妹、姉上の下犬馬の労も厭いませぬ!」

 

 まさか飛び去った鳥のはばたきが雲を払った、と言う事もないだろうが、その時雲が晴れ月明かりが一室を照らした。

 

 眼鏡をかけた冷静な面を持つ弥七郎と呼ばれた少女と、つり目で少しばかり大柄な肩を怒らせた弥五郎と、その弥五郎より大柄ながら人の良さそうな相を持つ未だ口を開かぬ弥九郎と。

 

 そして。

 

「弥五郎。私は戦を好みません。戦と言うのはどうにも……怖いではありませんか」

 

 薄桃の上品な着物を纏った、そのただただ美しい少女は、袖で口元を隠しながら眉を顰めた。

 その姿がまた、弥五郎を激昂させる。

 

「姉上!」

 

「偶に姉妹四人集まってみれば、化粧や流行の袖の話も無く、戦、戦と……私は、行きますよ」

 

「どこに行かれるおつもりか! まだ話は!」

 

 それこそ、文字通り飛び掛って止めようとしていた弥五郎を、驚いた事に姉上と呼ばれた少女はするりと、

真に何事も無く、自然に避けて見せた。避けられた弥五郎は目標を失い、顔面から部屋の柱に突っ込んだ訳だが。

 

「おお!」

 

 その姿に、両手を握り締めて関心する少女が一人。

 一言も喋らなかった、弥九郎である。そんな妹一人と、姉二人を視界におさめながら、弥七郎は眼鏡を人差し指と中指で軽く押し上げて姉に問うた。

 

「行かれる、と言われましたが……さて、姉上殿。どこへ行かれます?」

 

「弥七郎、分かっているのに聞くのは、時間の無駄でしょう?」

 

「なるほど」

 

 その通りだ、と弥七郎は肩をすくめる。

 そんな弥七郎から視線をずらし、少女はなにやら自身を輝いた目で見つめる妹に声を掛けた。

 

「弥九郎、貴方も来る?」

 

「どこへ、ですか!」

 

 大柄な体に似合わぬ、妹の舌足らずで甘い声に、

 

「城下町を騒がせた者の、ところ」

 

 少女は目を細めてにこやかに答えた。

 

「いきます!」

 

 そして、小柄な姉と大柄な妹は室内から立ち去り。残されたのは、

 

「……ふむ、流石にもう冷めているか」

 

 冷めた茶をすする三女、弥七郎と呼ばれた眼鏡の少女と。

 

「本山を討ち尽くす事が一番の供養になると心得よ、と……言われたと言うのに……それを……それを……こ、こ、こ、こ……ッ!」

 

 顔に柱の痕を鮮明に残し肩を震わせ、何事かを叫ぼうとする次女、弥五郎と呼ばれたつり目の少女。

 弥七郎は湯飲みを置くと、姉の肩に手を置いて

 

「言ってしまいなされよ。姉上は溜め込むと暴発してしまうし、なに、別に言っても姉上殿も怒りはしますまい」

 

 文字通り背を押した。それに後押しされたからだろうか。

 火を吹くような勢いで、弥五郎は叫んだ。

 

「この、姫若子がぁああああああああああッ!!」

 

 さて。

 "歴史上"の史実において僅か30年と少しばかりの、"彼"の人生。

 そこに胃痛が原因として含まれていたかどうかは、後に知ることは出来ない。

 

 

 薄暗い牢の中はどこかじめじめとして、気持ちが悪い。しかも今は夏。湿気も高く、狭い牢の中であっては足を伸ばす事も許されず、

 

「……眠たいけど眠れないってどうなんだよ」

 

 その少年はシャツが汚れる事も考慮せず――考慮するほどの余裕も無く――土壁にもたれかかって意味も無く天井を眺めていた。

 

 田舎の村を歩いていたら、馬に乗った褐色の美少女と槍を構えた足軽たちに囲まれて牢屋に放り込まれた。おまけに牢に放り込まれるまで、見世物の如く縄で縛られ村を歩かされたのである。

 人の少ない田舎の村。等と思っていたが中々どうして、少年を捕って歩かせてみれば、出てくるは出てくるは人の影。指をさされ何事かと囁かれ、その様といったら村に着いて歩いていた時の比ではない。

 

 人目に晒されることを得意としない少年には、その時点でもう拷問だったのである。

 

「……なんだそりゃ」

 

 自身の身に降りかかった事だと言うのに、恥までかいたというのに、溜息と共に出てくる言葉は、どうにも感情の乗らない弱々しい物だ。

 だが、それについてはもう少年自身答えを見つけている。こうして捕まえられ、もう十時間近くともなれば、嫌でも考える時間は与えられる。

 

「……現実感ないから、か」

 

 それだけの事だ。

 

 気付いたら農村で、歩けど歩けど見覚えのある人工物は見当たらず、どころか、何とした事かドラマや映画、マンガにアニメ、それらでしか目にしないような風体の村人達の姿である。止めは馬に乗った少女侍と、砦の様な大きな建物の牢で監禁。

 

「そんなもん、どうやって現実にしろって言うんだよ」

 

 彼の中にある常識と今の境遇のすり合わせは、非常に難しい。

 ただ、彼にだってなんとなく、思うことは在るのだ。あるのだが、それがまた常識から程遠い。

 

「テレビやドラマじゃないんだぞ」

 

 しかし、だが、そう。

 彼の脳裏にあるそれらの情報とあわせてみると、驚くほど納得できるのも事実だ。かちりとかみ合って、全てがなるほどそうか、と思えるのである。

 

「あぁ……でもなぁ……ちょっとそれは……駄目人間っていうか、在り得ないって言うか……」

 

 ただ、受け入れがたい。

 

 どうしたものか、ともたれかかった土壁に後頭部を二度、三度と軽く叩きつけ、

 

「いいや……無理矢理寝よう。寝て、起きたら俺のベッドに戻ってるだろ」

 

 希望と楽観と、少しばかりの諦めを乗せて彼は呟き、目を閉じた。

 

「いえ、ですから……」

 

「大丈夫です、弥九郎が居る以上、護衛など要りません」

 

「まかせといて!」

 

「は、はぁ……」

 

 閉じたのだが。

 

 

「……なんだ?」

 

 耳に飛び込んできた甘い声と、冷たげな声と、牢番らしき男の声に、彼は目を開き。いったいなんだと億劫に視線を声の方向へと投げ――そのまま、限界まで目を見開いた。

 

「まぁ、見た事の無い着物だこと」

 

「へー、へー、おもしろいかもー」

 

 牢屋に、見目麗しい大小の少女が二人。

 

「で、で、おにーさん。だれなの?」

 

「弥九郎、幾らなんでも不躾よ」

 

 咲き誇る大輪の華二つを前に茫然とする少年の前で、姫然とした少女が天真爛漫な少女を軽く嗜める。

 そして、大柄ながら人懐っこい笑顔を浮かべた少女とはまた違った、どこか百合を思わせる笑顔を浮かべ、小柄な少女は少年に向かって一礼した。

 

「初めまして、おかしな旅の人。この子は島弥九郎。私は長宗我部くない――いえ、弥三郎。貴方は、どんなお名前ですか?」

 

「……は?」

 

 茫然とした顔を更に茫然とさせ。

 少年は目を点にした。

 

 

 姓を島、幼名を弥九郎、諱を親益。

 

 土佐七群を謀略と戦術でかき回し、七雄七群を三雄七群にした張本人、長宗我部国親が家臣の島何某の妻に生ませてしまったが為、長宗我部の姓を名乗れる事を憚った、彼の英雄の四男坊。

 長ずれば一廉の武者になろうと家中から目されたが、ある頃から病に冒され国親四兄弟の中に在って唯一目立った武功を成さなかった。後々彼の身に降りかかった事件により、兄に阿波討ち入りを決意させてしまった悲劇の武将である。

 

 姓を長宗我部、幼名を弥三郎。

 

 長宗我部宮内少輔、長宗我部土佐守とも称した――朝廷から正式に下賜された官位ではないので、自称である――土佐の出来人。

 生まれて以来人形遊び等を好み、姫若子と家臣達から影で呼ばれた人物ながら、初陣にて見事敵軍の本山氏を撃退。砦一つも落とし、姫若子改め鬼若子と呼ばれ、後においては信長とも秀吉とも牙を向き合った大名。

 つまり。

 

 南海道六国が四州――阿州、讃州、予州、土州――統一を成し遂げた英雄、長宗我部土佐侍従元親その人である。

 

 

「いや、ちょっと待って欲しい」

 

「はい?」

 

「んー?」

 

 流石にそれはなんだ、と少年は手の平を少女達に向けて、所謂ストップのポーズで待ったをかけた。

 

 脳へと染みこんで来る少女の先程の言葉を何度も、何度も何度も強く文字として思い浮かべ、打ち消そうとする。

 が、それは叶わない。

 

「……まじか、爺ちゃん」

 

 ぼそりと呟き、彼は祖父を思い出した。

 

 土佐生まれの土佐育ち。

 肌は浅黒く、細身ながら筋肉質で、まるでボクサーの様な無駄の無い体を持った老人である。

 豪快で、からからと笑い、それでいて酒が入れば議論を好み、息子――少年の父――と唾を飛ばしあっていた、

実に土佐人らしい土佐人。そんな彼の祖父は、やはり土佐人らしく長宗我部の殿様を大いに好んだ。

 それこそ、弥三郎などという幼名を聞いただけで長宗我部元親が出るほどに、少年を洗脳したのだ。

 正月に会えば殿様の話。夏休みあえば殿様の話。春休みに会えば殿様の話。祖父が倒れ、連絡を貰い慌てて病院に駆け込んだ少年にも、やはり殿様の話。

 

 もはや一種のフリークである。

 が、老人は長宗我部以外の戦国大名など知りもしなかった。長宗我部貴下の家臣の話は逸話まで知っていたが、それ以外はてんで全く、である。

 

 で、あるから。少年は見事に洗脳された。

 祖父の語る過去の偉大な土佐人達の物語を。

 その無念な、残る物の少ない、しかし確かに歴史に意味と価値を残した英雄の物語を。

 

 土佐の四兄弟。

 土佐の英雄達。

 勇猛果敢にして貪欲な一領具足達。

 長宗我部に連なる幾人もの豪の勇者や身を粉にして尽くした家臣達。福留親子は勿論のこと、久武に谷に中島に入交に吉田。

 

 この長宗我部と、少しばかり後の時代の真田信幸とその家臣団を、少年は酷く好んだのだ。

 それが少年に歴史を自主的に学ばせる切欠になったのだから、忘れようもない。もう亡くなった祖父と少年の絆だから、忘れるわけが無い。

 

 だからこそ、混乱する。混乱し、混乱して、混乱し尽し。

 

「……」

 

「おや?」

 

「どうされました?」

 

「こんな美少女が元親とか……ないわー……」

 

 少年はそんな事を呟き、気絶したのである。

 それが、始まり。

 

「……」

 

 気を失った少年を、無言のまま眺める小柄な少女の。

 その少女の視線に篭った、得体の知れない熱こそが――やがて四国を焦がしつくすのである。

 

 故に、始まり。

 

 在り得ぬ姫武将達と、姫大名達と、居ない筈の少年の物語の始まり。

 

「弥九郎」

 

「……はい?」

 

「面白く、なりそうですよ」

 

 とざい、とーざい。

 異聞歴史空想書物、『天正元長記』――いやさ。

 

 

 

《史國伝姫》

 

 

 

 これより、開幕と――

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