史國伝姫   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第2話

 ――長宗我部に四姉妹在り。

 

 長宗我部信濃守元秀が、土佐中村に前関白の一条教房が下向した事により勢力を失い、一条氏に接近した近隣豪族天竺氏に城を攻められ、落城した後無念のまま野で切腹したのは、もうかなり昔の事である。

 残された兼序が一子千翁丸――後の国親――は近臣に背負われ一条氏の国都中村に逃げ落ちた。

 

 天竺氏と一条氏に恨みがあったのは事実だが、このとき、長宗我部の家を再興するためには、土佐で一番勢いの在る、また家格の高い一条を後ろ盾にするより他なく、幼い千翁丸は屈辱に耐え、直接ではなくとも父を討った一条に、その頭を下げたのである。

 

 が、教房が泉下の人となり一条の代が変わると、次代の一条当主であった房家は、この千翁丸に大いに同情した。房家はその同情心を隠す事もなく、成人するまで面倒をみると約束し、更にはその後、身を立つ様に計らってやろうと言い出したのである。当然、中村に住まう側近達は反対したが、貴族と言う者は武家主導の時代以来虐げられるばかりの立場であったから、身をぼろぼろにして落ち延びてきた千翁丸に昔日の一条――或いは貴族全体――の姿でも見たようで、反対する全てを無視した。

 

 そんなある日の事。宴の席で、酔った勢いというものもあったのだろうが、房家は隣に控えていた幼い、しかし元服を前にした精悍な千翁丸に、

 

「千翁、この高欄から飛べるか。飛びおりればお前の父の城を取り戻し、亡父の跡を継がせるが、どうかな?」

 

 笑いかけた。勿論、彼なりの冗談であったのだろう。

 だが次の瞬間、千翁丸は無言のまま立ち上がり、なんと地面までは相当在るであろうその場から、飛び降りた。

 

 慌てて下を覗き込んだ房家に、千翁丸は大いに叫んだのである。

 

「お約束、確かに!」

 

 そして、約束は果たされた。

 長宗我部を滅ぼした、本山、吉良、太平、天竺氏に一条房家は領土返還を申し入れ、談じた。

 何をと返す者も当然居たが、そこは土佐一番の権威、関白を出した名家一条に対して抗するには、まだまだ彼らも時代も素直であった。

 

 国に返された千翁丸は元服し、長宗我部国親を名乗り土佐七群を駆けに駆けた。

 五十七年のその人生が幕を閉じるまで、彼は謀略と知略と戦術を駆使し、長宗我部の本領と奪い取った土地を耕し続けた。

 

 野の虎。そう呼ばれた男は、そんな武将だったのである。

 

 その武将が正室と側室に生ませた子供たちが、七人いる。

 武将として男として、間違いなく一代の英傑であった彼だが、男子には恵まれなかった。

 これが"通常の歴史上"であれば、これはと見た家臣に娘を与え婿養子にし、跡継ぎとするのだろうが、ここは"違う"。

 

 遠くは源平合戦。源頼朝の下に集まりし武者のなかに、多くの娘武者の姿があったと言うのだ。

 畠山、三浦、足利、梶原、北条、佐竹、佐々木、那須、結城、そして、彼の妹九郎義経。

 彼女達は自身の本領を護ることばかりで、どちらの勢力につくかを理詰めばかりで考え、平治の乱の失敗を思い出し、これ以上の自身の権力衰退――領地縮小――を恐れる不甲斐ない父や兄、夫を見限り、鎧に身を通し、馬に乗り、

配下を率いて源氏の棟梁の下に集まった。そうなると頼朝も、戦力を有し、また意気盛んに源氏を担ごうとする彼女達を無碍には扱えず、武者として扱うより他無かったのである。

 

 その結果、源氏が勝った。頼朝はその死因に色ボケした末のような説もある男であったから、美しい姫武者達を大いに愛し、また一も二も無く自身に尽くしてくれた彼女達の奉公に感動も覚え、助力しなかった、または助力遅すぎた男当主達を退け、彼女達をそれぞれの当主の座に置いたのである。

 世に言う、源氏の姫党首――後の姫武将、姫大名の前身の誕生であったのだ。

 

 これより後、家に女子しか生まれぬ場合、または女子の方が男児より才覚があった場合、どんな家でも余程の理由が無い限りは、女子であっても家を継ぐことを許した。前例が無ければ悶着するのが日本人の気質であるが、前例があれば驚くほど容易く事が通るのも、日本人の気質である。

 

 故に。

 国親は、これは、と思った女子は残し、それ以外の女子は他家へと政略の道具、または同盟の強化として嫁がせた。

 そして、残ったのが。

 

 ――長宗我部に四姉妹在り。

 

 なのである。

 

 末妹、島弥九郎親益。

『柔和な顔だが目は違う。武者と働けば百人力を発揮するであろう』

 

 "三女"、長宗我部弥七郎親秦。

『沈着にして思慮深い。まず英雄の片腕となるだけの才覚を持つであろう』

 

 "次女"、長宗我部弥五郎親貞。

『勇猛にして果敢、百の兵を束ねても、千の兵を走らせても、万の兵を指揮させても、決して乱れぬ者となるであろう』

 

 そして――『分からぬ』

 

 "長女"、長宗我部弥三郎元親。

『分からぬ』

 

 野の虎と呼ばれた男は、一代にして土佐を荒らした男は、しかし分からぬと二度零した。

 そして三度、

『分からぬが故に、あれはどこへもやれぬ……あれは――』

 

 "計れぬ。"

 

 

 

《史國伝姫》

 

 

 

 

「はー……それは凄い」

 

「凄かろう」

 

 そう言って少年は、まるで自身の事のように顔を綻ばせる中年の、しかしがっしりとした男を見つめた。

 

 どこか彼の祖父にも似た男は、突如牢屋に現れ、持ってきた酒と摘まみを広げ意味も無く語り始めたのである。いったいなんだ、と始め少年は思ったが、なるほど、男の語る事には意味があった。

 

「つまり、今お――あぁいえ、なんだ、自分は、そんな家に居るのですね?」

 

「うむ、そうだ」

 

 男は頷き、酒を入れた杯を傾ける。

 その姿を数秒眺めた後、少年は素直に頭を下げた。

 

「有難うございます、福留飛騨守様」

 

「いやなに、まだ語り足りぬで、そうも在り難がれても困るがな」

 

 男――福留と呼ばれた彼は、真顔でそう返し、飲み干した杯に再び酒を注ぎ始める。

 

 福留飛騨守。姓を福留、官位を自称して飛騨守、諱を親政と言う。長宗我部元親貴下にあって隠れも無い猛勇の士であり、槍の名手である。

 後世、長宗我部氏最興期には、なんと五千石をも食んだというのだから、その槍の鋭さが如何程の物であるか、分かろうと言うものだ。

 

 そんな男が、ふらりと牢に捕らえられた少年の所へやって来て、勝手に酒と肴を摘まんでいるのである。世間話をしながら。

 

「娘がやった仕事を、最後まで見に来たのだが……いやさ、奇妙不可思議だ。そんな着物、見たことが無い」

 

「そりゃまぁ……どうも?」

 

 少年の言葉に、福留は杯を傾け嚥下しようしていた酒を噴出し、呵々と笑った。

 

「すまぬな、化生どの。娘もわしも、ここも、今は大事な時だったのでな」

 

「それは分かりますが……人間ですよ」

 

「うむ、着る物を変えれば、なるほど人間にも見える……かも知れぬ」

 

「人間です」

 

「かな?」

 

「です」

 

 なにやら面白くて仕方ない、と言った顔で福留は立ち上がり、

 

「さて、"姫"がただの人間に興味を持つとは思えぬが……まぁ、後はお任せするとしようか」

 

 酒と摘まみを手に取り、福留は去ろうとした。

 したから、少年は声を掛ける。

 

「……? まだ話は続くのでは?」

 

「うむ、語り足りぬが……言っただろう、化生どの。あとはお任せする、とな」

 

 そう言って、福留のひょいと退いたその先には。

 

「……あぁ、はぁ……さいですか」

 

「……」

 

「なあに? 嫌なのですか、菜々殿は」

 

 無言で佇むつり目の、少しばかり大柄な少女と。

 薄紅の艶やかな姫衣装に身を包んだ、小柄な少女――自身曰くの長宗我部弥三郎が立っていた。

 

 

 その男は、隣に座る女に空っぽの杯を突き付け、ぽつりと呟いた。

 

「さて……長宗我部の跡継ぎ殿は、どうしておるのだろうな」

 

「あの子の事ですから……嫌だ嫌だと部屋に篭って、他の皆を困らせているのではないでしょうか……」

 

 突きつけられた杯に酒を満たしながら、女が返す。その言葉に、男は目を瞑り杯を口によせ一気に飲み干し、

 

「お前の妹なれば、我が義妹ともなるが……どうする?」

 

 顎に生えた苔の様な髭を撫で、男は自身の正室を眺める。その意地の悪い視線に小さく微笑み、彼女は口を開いた。

 

「政略結婚で本山に嫁いだ身とて、もう子供も産み、わが身は髪の一本まで本山の者……この地で果てる覚悟で御座います……」

 

「そうか」

 

 深々と、自身へと頭を下げる妻の肩を抱き寄せ、男は。

 

「ならば、虎殿も最早居らぬ事であるし、長宗我部には消えてもらうか」

 

 本山茂辰は、愛する妻の頭を胸元に抱きながら、ぎらりと目を輝かせた。そんな夫の胸元で、甘えるように頬を摺り寄せながら彼女は言う。

 

「けれども、一条が黙っているでしょうか……一応、今の長宗我部は一条の被官の様なものですし……」

 

 それを、茂辰は鼻で笑う。

 

「今の一条なぞ、何者ぞ。安心しろ、世は全て本山に都合よく回って居るよ」

 

 土佐三雄。

 その一画に在る本山の当主は、心底そう思っていた。

 

「しかし、虎殿も……何を思って一番役に立たぬものを、態々仕舞い込んでいたものかな」

 

 政略の道具にされなかった長宗我部四姉妹、その長女の面影を脳裏に浮かべ、本気でそう思っていた。

 

 人に虎は計れない。

 

 

「姉上、これはなんだ」

 

「菜々殿よ。ねぇ、菜々殿?」

 

「いや、正確には、菜々垣なんですが。菜々垣仁徹」

 

 なながき じんてつ。

 それが、今彼女達と格子を挟んで対峙する、居心地悪そうに膝を組変えたり頭を掻いたりしている少年の姓名である。

 ついでに少し大柄な少女が、これはなんだ、と言った際には指をさされており、物扱いされていた。

 

「……似合わないな、その堅い名前は」

 

「でしょう? だから、菜々殿」

 

「……」

 

 それはつまり、堅い響きが不相応だという事である。憮然とした少年――菜々垣の顔をなんとはなしに見ながら、大柄な少女、弥五郎は、で、と続ける。

 

「その菜々っていうのが、お前の名か?」

 

「いや、えーっと……そういう意味での名は、無い……んです」

 

「……ない?」

 

 菜々垣の言葉にきょとん、とした弥五郎に、隣ですまし顔の姉が応えた。

 

「諱だそうですよ、仁徹、というのは」

 

「……はぁ!?」

 

 弥五郎は大いに驚いた。驚くのが、当たり前だ。

 

「お、お前、諱を普通、そんな風に簡単に渡すか? 呪われるぞ!?」

 

「呪われるて」

 

 弥五郎が驚くのも、まず無理はない。

 

 この時代、弥五郎だの弥三郎だの源次郎だのと"通称"される名が在るには、意味がある。諱とは忌み名、その人物の命の込まれた本当の名前であるから、皆通称を用いたのだ。

 

 古来、人は言葉に魂が入ると信じた。言霊信仰であるが、当然、言葉に魂が篭る以上は、その言葉によって呼ばれる名にも魂が入ると信じたのだ。為に、人々は名前を知られ、そこに呪詛をかけられる事を恐れた。

 で、あるから。魂を込められた諱を呼んでも良いのは父や母、もしくは一族の長者であったり師匠であったりとした狭いもので、たとえ上司であっても、それが将軍であっても、諱を呼ぶことは憚られたのである。

 そんな諱を与え、公式の場で無い限りは呼んでも構わないと許す事が、どういう事であるか……記す必要も無いだろう。

 

 そんな事であるから……

 

「お前、馬鹿だろう!? あぁいや……でも妖怪変化の類だから、別に呪いとか大丈夫なのか……?」

 

「妖怪とかの類じゃないし、そもそも呪いとかある訳無いだろう」

 

 何やらわたわたし始めた弥五郎を、冷たい目で眺める菜々垣。そんな菜々垣を、弥三郎と名乗った少女は、面白そうに見つめていた。

 

 呪いなど無い、そう言い切る菜々垣を、少女は面白そうに。楽しそうに。見つめていたのだ。

 

「しかし、まったく……なんでこう、面倒ごとばかりがまとまって来るんだ……」

 

 弥五郎は頭を乱暴に掻きながら、菜々垣を半眼で睨み息を吐いた。

 

 自身も厄介事だと視線で言われた菜々垣は、何か言い返そうかと思ったが、余計な一言で自分の首が飛んではかなわないと、だんまりを決め込む。

 

 今は生きている。

 まだ今は、だ。

 現状は牢屋に放り込まれたままで、釈明を求められたわけでもない。

 城の主であろう一族の息女二人からは、悪いようには見られていないが、しかし城主が一言言葉を発し決断したと成れば、どうなるかなど考えるまでも無い。

 

 斬れと言われれば斬られるだろう。捨てろと言われればどこかに捨てられるだろう。

 

 この時代、大名、城主と言うのは君主ではなく連合の長といった程度の者だが、それでもその決定は重視される。まして、菜々垣には何の後ろ盾も無く、彼の風体が怪しいのは隠しえない事実だ。

 庇う者がもし居るとしたら、それは狂人か聖人でしかないが、彼の出会った人物達を見た限り、彼らは一応常識人だ。

 約一名、良く分からない人間もいるのだが。

 

「おや、菜々殿? なんでしょうか?」

 

「いえ、何も」

 

 自身の視線に気付き愛らしく首を傾げる弥三郎から目を離し、菜々垣はわざとらしく咳を払い

 

「その……聞いても、宜しいでしょうか?」

 

 意味も無く左肩を揉みながら、菜々垣は弥五郎、弥三郎を交互に見た。

 

「いったい何を聞き――」

 

「この城の主、私達の父が亡くなったばかりでして」

 

「あ、姉上!?」

 

「しかも私、亡き父から当主にと推薦されましたが、初陣もまだでして」

 

「姉上ー!! なんでもかんでも言いすぎだー!!」

 

 がおーっと吼える弥五郎と、それを見て微笑む弥三郎。仲の良い姉妹なのだろうが、そのうち弥三郎の胃に穴が開くのではないかと菜々垣は思った。

 

 思ったが、そんな物はすぐ消える。彼の頭を占領したのは、弥三郎の言った言葉だ。

 

 "亡き父"

 

 そして

 

 "初陣もまだ"

 

 おかしな話だ。

 史実において、長宗我部弥三郎元親と名乗った人物の初陣は、先代国親の死ぬ一ヶ月ほど前である。彼はその初陣で見事勝利を飾り、この若殿ならばと家臣一同の不安を一掃させ、岡豊を一丸と纏め上げた筈なのだが……

 

 そこで、彼は頭を強く横に振った。

 

 ――そうじゃない。おかしいのは、そこじゃない。

 

 そう、おかしいのはそんな事ではない。長宗我部弥三郎元親は間違いなく男であり、間違っても女ではない。

 姫若子などと呼ばれたのはその気概と風のことであって、見た目からして姫然としていたからでは、決して無い。

 

 ならば。

 

 ――おかしいのは、全部なんだ。

 

 菜々垣は頭を抱え、重いため息を吐いた。

 

 姫然どころか、姫そのもの。岡豊を一丸どころか、なんの後ろ盾もない背水そのもの。力も、背景も、何も無い無力な少女。

 それが、彼の目の前にいる長宗我部弥三郎なのだ。

 

「あら、随分と重いうえに長い溜息……何か心配事でも御座いますか、菜々殿?」

 

 それが、無力に見えなくとも。彼女には、何も無い。

 

「……いいえ、何も」

 

 運命と言うのは、残酷だ。

 彼は胸中で呟いた。この少女は近い将来戦争に巻き込まれ、どうにかなってしまうのだろうか。一つボタンをかけ間違えれば、歴史はこうも無残な結果を残してしまう。

 

 けれども、それは菜々垣にはどうにも出来ない。

 出来る筈も無い。

 ただの無力な凡人である彼には。

 ただ未来から来ただけの彼には、なにも出来ない。

 

「何もありません」

 

 溜息を零す以外は、何も。

 

● 

 

 福留飛騨守は持ってきた酒と摘まみを手にして、自身の屋敷に戻り、今度は娘と向かい合って酒を飲んでいた。

 

「隼人」

 

「なんだ、父上?」

 

「同じ言葉を喋り、同じ様な髪と目を持つ者を、お前はなんと思う?」

 

「本土の人間じゃないか? ここからだと……あー……豊前とか、周防とか、長門とか」

 

「なるほど。だが、本土や九州の人間はあんな姿だったか?」

 

「……最近、偶に見る伴天連とかの付き人じゃないか? なんだったか……ほら、通訳とか」

 

 腕を組み、頭をかしげ、一応考えてから隼人は答える。

 

 だが、その言葉に福留飛騨守は首を横に振った。

 

「違うだろうさ。伴天連の連中の服装は、もっとこう……違うだろう?」

 

 父親の言葉に、隼人はなるほどそうか、と思う。

 海の向こうの大陸、それも彼女達からすれば信じられないくらい遠い大陸から来たという宣教師達の服装は、もっと派手だ。マント、帽子、首もとの意味不明なびらびらの装飾。思い浮かべ、並べてみると、それは確かに別物である。

 

 隼人が捕まえてきた少年の姿は、もっとシンプルだ。

 シャツとズボン。ごてごてとした服装でも無いし、伴天連の宣教師達が身に纏う胡散臭さもない。

 ただ、異質なだけ。同じ様な人種だからこそ、異質さが目立つだけ。

 それだけの違いだ。

 

「かと言って」

 

 隼人の思い至った考えなど、まるで手の内だと言わんばかりに、言葉を聞くでもなく福留飛騨守は一人続ける。

 

「かと言って、あれがわしらと同じ袴姿になっても、"同じ"だとは到底思えんがな」

 

 らしからぬ、少年の様な相を浮かべる父親を見て、隼人は首を傾げた。

 

「なんだ? 私にはさっぱりわからんぞ?」

 

「だ、ろうよ」

 

 手にした杯の中身を一気に飲み干し、彼はにやりと笑った。

 

 何かが来る。

 そして、何かが生まれる。

 あの異様な少年を火種として、何かが猛り狂い、焼き尽くす。

 戦場で槍を振るい続けた彼は、それを確信していた。虎に従って戦場を駆けた、一匹の獣の本能が、それを教えるのだ。

 

「化生が来て、何も無いことがあるものかよ」

 

 

 菜々垣少年の日々は、牢屋に繋がれたまま続く。

 一日に二度食事、ふらふらと、或いは愉快そうに顔を見せる弥三郎。それを語気も荒く嗜める弥五郎に、笑顔で着いて来る弥九郎。

 

 そんな風景もいつか壊れ、それが壊れたら、次は自分が壊されるのかと、諦めながら少年は日々を過ごした。

 諦めるより、他無い。過去らしき世界に飛ばされ、知己は無く、そこに希望は無い。

 本来勝者となっただろう英雄は本山に滅ぼされ、その本山がこの城に来れば――

 

「生かしとく筈が、無い」

 

 殺されるだろう。

 敵対した武将の城の牢に繋がれていた者を、ただ助けるとは到底思えないし、何より彼は見るからに異質だ。

 福留飛騨守が化生殿などと冗談めかして口にしていたが、それは的外れな言葉でもない。違うと言う事は受け入れがたい事で、そんな物が目の前に居れば、排除しようとする事も、珍しい訳ではない。

 むしろ、良くあることだ。

 

 平和な世であれば、村八分程度、石を投げられる程度で済んだのだろうが、今は戦国乱世の時代。

 人を切り殺す武器がすぐ側に在る日常と言うのは、すぐそれが振り回せると言う事である。

 殺す、殺される。それがすぐ、そこにある。

 

「あぁ……それにしたって……」

 

 もう見飽きた筈の天井を何故か仰ぎ見て、呟く。

 

「あの子、はいとうさんだったのかな」

 

 まったく、前後の脈絡も何も関係なく、菜々垣の脳裏には少女が一人浮かんでいた。

 福留親政が娘と呼んだ人物。馬に乗って槍を振り回す、褐色の美少女。

 

 長宗我部の次代を担う筈だった悲運の武将信親の傅人(めのと)――養育者、教育係――であった剛勇。

 長宗我部配下の武将にあって、平成の今尚信仰される隼人神社の"はいとうさん"。

 まず、土佐一等の武者と言って良い。

 

「……確か」

 

 天井から視線を外し、菜々垣は俯いて腕を組む。数秒程考え込み、彼は胸の引き出しから引っ張り出せた言葉を舌に乗せた。

 

「へびもまむしもそこのけそこのけ、はいとうさまのお通りじゃ……だったかな」

 

 菜々垣が発した言葉は、少しばかり彼個人のアレンジが加えられていたが、大きな間違いのある物でもない。 

 

 隼人。

 それがなまって、はいとう。そして様では恭し過ぎると言う事で、さん、になって広まったらしい。

 

 "はいとうさん"

 

 菜々垣仁徹が一番好きな武将。一番好きな大名は長宗我部元親で、一番好きな為政者は真田信幸で、一番好きな七本槍は平野長泰。その中でも、やはりはいとうさんは別格だ。

 しかし、いや、やはりと言うべきか。

 

「……女の子、なんだよなぁ」

 

 父に当たる人物は男のままであると言うのに、これはどういう事なのか。

 と頭を抱える。が、そんな懊悩もこれまでだ。

 

「生かしとく、筈ないもんなぁ」

 

 思考が振り出しに戻った。

 

「どうしたもんか……」

 

 明確な解決策など何一つ無い彼は、悩み、頭を抱え、天井を睨み、唸る事しか出来ない。

 

「えぇ、どうでしたものでしょうか」

 

「……また来たんですか」

 

 自身の独り言に前触れ無く参加した人影を確かめようと、彼は牢部屋の入り口へ億劫そうに目を移した。

 いつも通り、艶やかで、それでいて清楚な薄紅や桜色の着物を着た少女が居るのだと信じ、

 

「……は?」

 

 裏切られた。

 

「重い物ですね、戦装束というのは。鶴姫はこんな物を着て船に乗っていたと言うのだから、驚きです」

 着慣れないのだろう。

 何度も自身の背を見たり、腰を見たりする具足姿の小柄な少女を、菜々垣は茫然と見つめた。

 

「菜々殿、幾ら似合っていないからといって、そんな顔をするものではありませんよ?」

 

「あぁ……いえ……その? そのよろ――具足は……なんで?」

 

 菜々垣のたどたどしい言葉に、弥三郎は首を傾げてから、あぁ、と微笑んだ。

 

「初陣だそうです」

 

 他人事。まるで他人事の様に微笑み、弥三郎は菜々垣の疑問に答える。

 それに対し、菜々垣は何も答えられなかった。

 

「本山の義兄様が、二千ほどもこちらに寄越したらしいので、出る羽目になってしまいました。こちらは五百が限度だと言うのに、酷い話です。こんな初陣……」

 

 嫌なんですけれどね、と溜息を零しながら、未だ微笑む少女の姿を、彼はこれ以上直視できなかった。

 牢屋の中に敷かれた土に視線を慌てて落とし、菜々垣は来るべき時が来たのだと、震える体をどうにか押さえ込み、からからに渇いた喉を湿らせる為、唾を口内に溜め込み、一気に嚥下した。

 

「そう……ですか」

 

 出た言葉は、それだけ。

 何を言うべきで、何をするべきか、彼にはまったく分からない。精一杯振り絞って、そんな凡庸な言葉しか出せなかったと言うのだから、彼はどこまでも凡夫だった。

 

 弥三郎は、ともすれば自身よりも初陣を恐れているような菜々垣の姿を、微笑みのまま見つめ、

 

「えぇ、そうなのです……それで、菜々殿、今後の為に、少しばかりお力をお借りしたいのですが」

 

 常のまま彼に語りかける。

 "力を借りたい"の辺りで震えた彼の肩を、細い肩だと思いながら、少女は続けた。

 

「お力を、と言えば少し語弊がありました……申し訳在りません。私、初陣は初めてなもので……あぁ、当たり前ですよね? ふふふ……で、初めてなので、何か心構えの様なもの、頂けませんか?」

 

「……ッ!?」

 

 弥三郎の言葉に、菜々垣は瞬時に顔をあげ、小柄な少女の双眸を見た。

 驚愕一色のその相と、見開かれた彼の瞳を、弥三郎はいつも通りの笑みで見つめ返す。

 その常通りの少女の姿に圧されるように、菜々垣は小さく口を開き、呟いた。

 

「……何故、俺……あぁ、いや、自分に、そんな事を?」

 

「尋常ならざる方の、尋常ならざる言葉を聞きたかった……と言う事でどうでしょうか?」

 

 それはつまり、本音は別だと言っている様な物だが、菜々垣が幾ら彼女の双眸を見返しても、真意は見えてこない。

 

 ――あぁ、この人は冷たい目をしているんだなぁ。

 

 その癖、普段は分からなかった事が、彼には見えた。それがおかしくて、滑稽で、彼は小さく自嘲の笑みを浮かべ――

 

「大将は」

 

 彼の知る、長宗我部弥三郎の初陣の逸話を、

 

「大将は?」

 

「大将は、先を駆けぬ者。そして、逃げぬ者」

 

「……では、敵が向かってきた場合、槍はどうしましょうか?」

 

「敵の目か、腹を狙って突き出せば良いと聞きました」

 

 口にした。

 言葉は、意味を持つ。

 

「……存外、普通の事を言われるのですね?」

 

「普通が一番難しい、と聞いた事もあります」

 

「なるほど、それは確かに、そうですね」

 

 弥三郎は一人頷き、菜々垣の言った言葉を口に出さず胸中で繰り返す。そして、声を出して笑った。

 

「ふふふふ……えぇ、では行って参ります。帰ってきたら、奈々殿にはお茶でも振舞って差し上げますよ」

 

「……はい、待っています」

 

 もう一生、それは無理だろうなと、菜々垣は微笑み返した。苦い相を浮かべる少年を少しばかり眺めた後、少女は踵を返し牢部屋から去っていった。

 

 少年には、分からない。

 ただの逸話から拝借した言葉が、小柄な少女の中で、どんな意味を持ったのか。それが、今後二人の関係をどう変えるのか。

 

 疲れた顔で目蓋を閉じ、そのまま俯いた菜々垣には……分からない。

 それが分かったのは。

 

 

「さぁ、出て下さいな、菜々殿」

 

 僅か二日後。

 将兵が戦場に出て以来、食事も満足に喉を通らなかった少年のやつれた頬を撫でる少女の、

 

「あぁ失礼しました……我が子房殿」

 

 常通りの笑みと、冷たい双眸と。

 

「お茶を一つ、付き合って下さいますか?」

 

 返り血に染まった戦装束のまま、いつも通りの小柄な少女の姿を見て、彼は理解した。

 

 測れる筈が無い。

 人に虎は計れぬ。

 虎に――それは計れぬ。

 

「姫若子……転じて――」

 

 生まれた雛が、初めて目にしたものを親とするように。

 生まれて以来孤独であったそれが、初めて目にした同じ異質を友とするように。

 

「さぁ、約束ですもの。化生同士、仲良く致しましょう?」

 

「鬼、若子」

 

 虎に鬼は、計れない。

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