ドアが蹴破られて、武装した兵士達が駆け込んできた。
彼等が手にした銃の銃口が、全て私達へと向けられる。
「動くな!! 手を挙げろ!!」
隊長格にあるであろう士官が、声を張り上げて私達を威圧する。
「……!!」
ファルシュが身構えるが、私は「何もしなくて良いわよ」と制止する。
娘は不思議そうな顔で私を振り返る。
まぁ、それはそうだ。この地は魔力が特別濃い。ファルシュが戦わなくても、私なら対人兵器しか持っていないほんの十数人ぐらいの兵士を撃退することなど容易いのだから。何故それをしないのか? ファルシュの疑問も当然だろう。
答えは簡単だ。
私にはもう、それをする気力すら無くなっていたからだ。
もう、どうでもいい。
何もかも、どうでもいい。
もう、私の中には何も無い。恨みも、怒りも、執着も。
いつ死んでも良い。寧ろ死にたい。
そう思っていたから、私は何の抵抗もせずにゲルマニア兵に捕らえられた。ファルシュも一緒だ。
……そこから先の事は良く覚えていない。
目隠しをされて、車や飛行機を何度も乗り継いだようだった。そしてどこかの研究所へ連れ込まれた。
無数の計器を体に繋がれた気がする。
色んな薬を打た れたようにも思える。
女として辱めを受けたような記憶もある。
ただそれらは全て私にとって、遠く離れた地で起こった出来事の記録映像を見ているような感覚であり実感が無かった。
あの時から……ゲルマニアがエイルシュタットに侵攻を始めたと聞いた時から、私には世界の全てがモノクロームに見えていた。
空も、花も、血も。私には全てが灰色に見えていた。
そう、ゲルマニアがエイルシュタットへの侵攻を開始したという知らせを聞いた、あの時から。
私のせいだ。
何もかも、私のせいだ。
どうして、どうしてこんな事に。
ああ、やっぱりあの時、感情に任せて村人達を皆殺しにしておくのだった。
それをしなかったのはやむを得ないとしても、あの時、メーアを安らかに眠らせてやるのだった。
同じ死者を生き返らせようとした身でも、私はギリシャ神話のオルフェウスより余程業が深く、罪が重い。オルフェウスは確かに死人を蘇らせようとして、結局その歪んだ望みは叶わなかったが、しかしそれは少なくとも彼と彼の妻の間で完結した物語だった。
対して私は、全て私一人のエゴの為に。自分の事だけ考えて間違いに間違いに重ねて、辿り着いた結果が、何の罪も無いエイルシュタットの人々を巻き込み、彼等が戦火によって殺される、最悪と言っていい結末。人を殺したくなくて、人を死なせたくなくて選んだ道の果てで、私は私の一族が何百年かの時間の中で殺し続けてきた累計よりもずっと多くの人間を死なせてしまう火種を作ってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
何度そう口にしたか、もう覚えていない。
涙は涸れた。謝罪の言葉も出尽くした。慚愧の念と罪悪感はいつしか慢性化して、それを感じているのが当たり前になった。
もう、何もかもどうでもいい……
灰色の世界。せめてもの償いとして自殺する事すら出来ない臆病な私の、死んでいないだけの人生。
そんな世界に色が戻ったのは、あの輸送機の中での事だった。
囚われていたイゼッタを見た時に、分かった。
こんな私にも、まだ残っていたものがあったのだと。
ブリタニア王国、レッドフォード伯爵の屋敷。
本日、この屋敷の食堂では当然この屋敷の主であるブリタニア王国外務大臣・レッドフォード伯爵と、ブリタニアのバーンズ首相。テルミドール共和国の代表であるブノワ将軍。ノルド王国王子、マグヌス9世。ルイジアナのマクラウド大使。アトランタ合衆国からはスタンリー特命全権大使など、反ゲルマニアの立場で繋がっている国々の中でもそうそうたる面々が集まっていた。
彼等の議題は本来はエイルシュタットの守護者として全世界に報道された魔女の存在であったが、いつの間にか話はゲールが旧ノルド王国領であるソグネ・フィヨルドで艤装中であるゲールの最新型空母、ドラッフェンフェルスへと移っていた。
最新型とは言え所詮は空母一隻、それ自体は戦況を覆し得るものではない。しかし無視する事も出来ない。だがこれを迎撃する為に兵を動かせば、その為に手薄になった箇所をゲール軍に破られる危険がある。アトランタ合衆国も、議会や民衆の意見もあって大陸への派兵には二の足を踏んでいる状況。
進むもならず退くもならず。手詰まりという状況である。
しかしこの展開は会議が開かれる前から、予想出来ていた事態であった。
頃合いは良し。
そう判断したレッドフォード伯爵は、話を切り出した。
「皆さん、ゲールの空母の事に話が逸れましたが、そもそも本日の議題はエイルシュタットの魔女に関しての事だったのでは?」
「くだらん!! あの国は盛んにプロパガンダを繰り返してはいるが、この20世紀の時代に魔女など……」
論議の対象にすら値しないと一蹴したのは、ブノワ将軍であった。
「しかし事実であれば戦力にはなる」
「私も映像を見ましたが、本物ならば凄いものですが……」
「ジェントルメン!! 魔女の実力やエイルシュタットの状況など、ここで我々が議論していても無意味でしょう。そこで今回は、特別ゲストをお呼びしております。彼女等に、話を聞かれては?」
起立したレッドフォード伯爵がさっと手を振ると、いくつもあるドアの一つが開け放たれて、凛とした佇まいをした少女が入室してきた。
無論、この場の誰もが彼女の顔を知っている。
「オルトフィーネ嬢……!!」「まさか……」
「お久し振りです、皆様。オルトフィーネ・フリーレリカ・フォン・エイルシュタットです。そして……」
フィーネの合図と共に部屋の窓という窓が開け放たれて、同時に食堂の灯りが落ちる。
「何のつもりだ!?」
「ご心配なく、ほんの余興ですよ」
落ち着いた様子で、バーンズ首相が口にする。彼とレッドフォード伯爵だけはこのサプライズにも全く動じていない事から、この成り行きを最初から知っていた事が分かる。
折しも、今日は満月。電灯が無くても、そう視界に不自由するものではなかった。
そして月明かりを背負いふわりと、ヴェールのような白い衣を纏った女性が舞い降りてくる。
その女性は空中で静止して、一同を睥睨していた。
この様は月光という理想的な照明効果もあって、地上に降臨した女神のようにも思えた。
「同盟各国のお歴々、お初にお目に掛かる。我が名はフルス。遠き昔より、エイルシュタットを守護し続ける白き魔女の血脈に連なる者なり」
堂々の名乗り上げ。ブリタニア王国サイドのバーンズ首相とレッドフォード伯爵、そしてフィーネを除いて、全員がフルスのこの登場に目を奪われているようだった。
ここまでは、良し。フィーネは内心でガッツポーズを決めた。
この演出はあらかじめフルスとの打ち合わせで決めていた事だが、会心の出来と言って良いほどに綺麗に決まった。今なら、全員の視線はフルスに釘付けである。
「この情勢下で、よくぞはるばるいらっしゃいました」
「同盟諸国の皆様が集まると聞き、馳せ参じました。それにフルス殿の力があれば、ブリタニアまで来る事など容易い事」
と、誇らしげなフィーネの言葉を受けて聞こえよがしに「ふん!!」と鼻を鳴らした者が一人。ブノワ将軍だった。
「馬鹿馬鹿しい!! 宗教や魔術で戦争に勝てるとでも言うのかね? 第一そんな便利な力があるのなら、何故エイルシュタットはここまでゲールの侵攻を許し……」
彼は言葉を最後まで言い切る事が出来なかった。
部屋の中を手持ち無沙汰に歩き回っていたフルスがすっと指を這わせた一本の万年筆。机の上に無造作に置かれていたそれが、バネ仕掛けのようにいきなり彼の顔面に向けて飛び上がったからだ。
万年筆はブノワ将軍が腰掛けた椅子の背もたれ、彼の耳よりも3センチだけずれた位置に突き刺さってビィィンと、独特の音を立てた。
シン……と、食堂から一切の音が消える。
フィーネですらもが、呆気に取られたような表情でごくりと唾を呑んだ。
「信念への冒涜は不愉快ですね……」
この部屋で唯一人涼しい顔をしている人物、フルスが泰然とした態度で言い放った。
「……どうかされましたか? ご意見はきちんと、最後まで言い切っていただかねば困りますが……?」
一国の将軍を前にしても、一歩も引かぬ図抜けた態度を見せるエイルシュタットの魔女。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
一方で、魔法の威力を間近で見せ付けられたとは言えブノワ将軍も、これで会話のペースを完全に掌握されるほど若くはなかった。
「うむむ……確かにこの女は魔女かも知れんが、エイルシュタット本国に居る者を含めてもたった二人。大した戦力にはならん!!」
これは正論ではある。既にエイルシュタット側でも幾度となく議論されていた問題だ。イゼッタとフルス、二人の魔女の力がどれほど強力であっても所詮は二人。つまり守れる所は最大で二箇所。よって三方から攻め込まれれば一箇所は破られる。ゲルマニア帝国も、いつまでもそれに気付かない無能揃いではあるまい。
ジークとの話し合いでも議題に上った事だが、今のエイルシュタットの情勢は薄氷の上を恐る恐る歩いているような、いつ氷を踏み抜いて寒中水泳する羽目になるか分からないような細く危うい道を歩んでいるようなものである。
とは言え、これでも相当良くなってはいる。どんな軽業の達人でも水の上は走れない。イゼッタとフルス、二人の魔女の存在によって辛うじて氷が張っているから、エイルシュタットはその上を歩く事が出来ているのだ。
だがこんな事はいつまでも続けられない。どんなに安全なルートを進んでいるつもりでも、氷はいつかは割れる。ジークやフルスの見立てではエイルシュタットの現体制が維持出来るのは長くて一年。悪くすれば半年程度しか持たないかも知れない。それがエイルシュタットのデッドラインとなる。
それまでの間に何としてでも同盟諸国を動かし、ゲールへの包囲網を完成させなければならない。
「確かに、そうかも知れません。しかし我等はこの力で、ケネンベルクとベアル峠で勝利を収める事が出来ました。しかしイゼッタやフルス殿の力は鋭きレイピアのようなもの。一点を貫くだけでは、ゲールの巨体は倒れません」
「だから、我々に兵を出せと?」
アトランタのスタンリー大使の問いに、フィーネは頷く。これが、今回の話の肝だ。
「急に言っても難しいでしょう。皆様は自国の民や主を説得せねばならないでしょうし、それをするだけのメリットがあると、まずは我々の方で示さねばならない事も承知しています。ですから……最も分かり易い形で、それを為させていただきたいと思います」
ばん、とフィーネが机を叩く。叩いた手が置かれたそこには、航空機から撮影された機密写真があった。
「空母ドラッヘンフェルス。オットーの最新の牙を、フルス殿の力でへし折ってご覧に入れましょう!!」
「それにしても、敵の空母が逃げ込んだのが濃い魔力のある湾で助かりましたな。しかし、魔力の地図を見る限りある所と無い所のムラが激しいようですが……」
「それは問題ありません。私の一族は魔女の力を武器として用いる為に、研鑽と研究を重ねてきました。当然、魔力が無い所ではどう動けば良いかとか、魔法が使える場所と使えない場所の境界での戦い方についても、訓練されています」
「頼もしいな……」
あてがわれた部屋で、寝間着姿のフィーネが髪をとかしながら話す。
フルスは壁際に立ちつつ、ゲールの空母が停泊している湾周辺の地図や作戦概要が書かれた書類に繰り返し目を通していた。
部屋のほぼ中央に座するフィーネと、部屋の端っこに立つフルス。フィーネにはこの距離感が、そのまま自分達二人の心の距離のように思えた。少しばかり、居心地が悪くも思える。
しかしそれも仕方が無い。フルスはあくまで契約によってエイルシュタットに与する傭兵に近い立場。自分との友誼によって力になってくれるイゼッタとは違うと、フィーネは自分を納得させた。それにフルスはベアル峠では銃火の矢面に身を晒すなど契約はきちんと履行する姿勢を見せてくれている。
故に少なくとも仕事の上では、彼女が自分達を裏切る事は無いだろうというのがフィーネの考えだった。同じような考えは、ビアンカも持っているようだった。
「……フルス殿、一つ聞いてもよろしいか?」
「? 何でしょうか」
「貴殿は、何故あの時……ゲールに囚われていたのだ? 短い付き合いだが、貴殿がとても用心深い人物である事は私も分かっているつもりだ。貴殿なら、滅多な事ではレイラインが走っている土地から離れる事はないだろうし離れるとすれば十分な用心をしている筈。それが、何故……?」
「……」
フルスは顔を上げずに目線だけがぎょろっと動いてフィーネを見据えた。
拙い事を聞いたかも知れない。フィーネは尋ねなければ良かったと少し後悔した。
「いえ……私とて食事や睡眠が必要な身ではありますので。不意を打たれ、魔法を使う暇もありませんでした」
「ああ、成る程そういう事か」
言葉を渋ったのは暗殺や諜報を生業をする者として、不意を衝かれるのは恥であるからだろうとフィーネは納得した。
再び、部屋に沈黙が降りる。
数分して、それを破ったのはフルスだった。
「フィーネ様、よろしいですか?」
「? どうされた、フルス殿……」
「あなたとイゼッタは……とても仲が良いと思いまして……私にはあなた達の在り方は、あまりにも遠い……」
「……すまないが、貴殿の言いたい事が今一つ私には伝わってこないのだが……」
「いえ……」
フルスは目を伏せて、一度言葉を切った。
言いたい事は色々あるが……言えない事も多い。だからフルスは、一番大切な事だけを口にした。
「……イゼッタを、大切にしてあげてください。喪ってしまった者は……亡くしてしまった者は……もう、何をしても戻りませんから」