それはまだ、魔女狩りが行われていた時代の事です。
アルプスの小さな国の王子が狩りに出掛けて、ケガをしてしまいました。
それを助けたのは雪のような美しい銀色の髪をした、一人の若い魔女でした。
最初は魔女を恐れた王子も、彼女が心の優しい娘だと分かると次第に打ち解け、いつしか二人は恋に落ちていました。
やがてケガが治ると王子は娘を城に連れ帰ろうとしますが、娘は「魔女である自分は妃になれない」と、王子の申し出を拒みました。
嘆く王子に、魔女は約束します。
「もしあなたが、魔女の力を欲するならば、いつでも力を貸しましょう」
王子がお城に戻り、月日が流れたある日の事。
突然、王子の国に敵が攻めてきました。戦いに出た王子が瀕死の傷を負い、戦に敗れそうになったその時、燦然と現れたのはあの白き魔女でした。彼女は不思議な杖で瞬く間に大軍を薙ぎ払い、国を救ったのです。
そして、短い幸せの時がありました。
ですが王子は戦争で受けたケガが元で亡くなってしましいます。
嘆き悲しんだ魔女は、王子の遺志を継いで国の守護者となる事を選びました。そしてその命が尽きる時まで、国を守り続けたのです。
フルスは朗読を終えて、手にしていた本を閉じた。表紙には「白き魔女の伝説」とタイトルが書かれている。
「昔、ママが話してくれたのと、違うね?」
すぐ側に立っていたファルシュが、不思議そうな顔で尋ねてくる。
「ええ……実際には、白き魔女と出会った時、王子には既に妃が居たの。そして王子が亡くなった後……白き魔女は妃から疎まれ、家臣団からも裏切られて異端審問官に売り渡され、最後は火炙りに掛けられた……それが伝説の真実……私達の一族に、彼女の轍を踏むなと、教訓として伝わっているお話よ」
「……どうして、エイルシュタットには本当の事がそのまま伝わっていないの?」
「……そう、ね……理由は色々あるけど……」
フルスは少し言い淀んで、顎に手をやって考える仕草を見せる。
「……みんな、自分の過ちや後ろ暗い部分は……無かった事にしたいのよ。極端な話、お伽話の真偽などどうでも良いから自分達の住む国は、素晴らしい国だと安心したい。だからハッピーエンドで、残酷な現実を塗り潰そうとするの……無駄な事なのに」
「無駄?」
苦笑と共に紡がれた母の言葉を、ファルシュは首を傾げて鸚鵡返しする。
「そう……白き魔女が居なければ、エイルシュタットは今頃滅んでいるか良くて属国……そしてそれは白き魔女を売り渡さなかったとしても、同じ事……その場合も、エイルシュタットは異端の国と認定されて最終的に同じような末路を辿ったでしょうね……今現在、エイルシュタットが主権国家として成立している事それ自体が、救国の英雄を売り渡して得た結果だと証明してしまっているのよ。光を強くすればするほど、影が濃くなるように……皮肉な事にね……」
フルスにしてはどこか、皮肉気で棘のある言い方ではある。ファルシュはそんな母に少し違和感を覚えたようだ。
「……ママは、エイルシュタットが憎いの?」
娘の問いに、フルスは微笑すると首を横に振った。
「……いいえ。何百年も前の因縁……そんなものを今の世界に持ってくるなんて無為、無駄、不毛……ナンセンスよ。私は白き魔女の無念や絶望など知った事ではないし……むしろ今、このエイルシュタットに生きている人が事実を知らず、お伽話を信じて幸せならそれで良いと思っているわ。今更、真実を明るみに出して何になる? 誰が得をすると言うの? 伝えるべきでない過去など、全て忘れ去れてしまえば良いのよ……真実は、私達だけが知っていれば、それで良い」
「……」
「それより、ファルシュ……私がフィーネ様と一緒にブリタニアに行っている間……あなたにはやってもらう事があるの」
「やる事?」
フルスは先程まで読んでいた本を開くと、あるページを開いてテーブルに置いた。
ファルシュが覗き込む。そこはちょうど挿絵のページになっていて、杖を振るって人々を救う白き魔女の姿が描かれている。フルスの指先が、絵の中の魔女が手にする杖の先端に置かれた。
「魔女の杖に嵌め込まれた宝玉……このエイルシュタットのどこかに隠されている筈の”あれ”を、探しなさい」
母の命令を受けて、ファルシュはそっと自分の胸に手を当てた。
「はい、ママ……」
「急ぐのよ。残された時間は、そう長くないのだから」
ブリタニア王国、レッドフォード伯爵の屋敷。
客人としてフィーネとフルスにあてがわれた部屋だが、今ここに居るのはフルス一人だ。フィーネは、先のソグネ・フィヨルド海戦での空母撃沈の報を受けて開かれた各国代表との会議に出席している。
「ごほっ、ごほっ……」
咳き込む声が、部屋に響く。
フルスは口元に当てていた手を、そっと離す。彼女の掌は、真っ赤に染まっていた。彼女の口元からも、血が滴っている。
『……喀血の周期が……段々短くなってきたわね……』
心中でどこか自嘲的に、自虐的に呟く。口元を拭うと、フルスは諦めたように笑った。
『少し……ファルシュを動かしすぎたわね……あの子は何処まで行っても偽物(ファルシュ)だけど……でも、あの子が私を想ってくれる気持ちはホンモノだから……それに浸っていたくて……もうちょっと、もうちょっとって……切れそうになる度に、あの子に魔力を注いで……麻薬ね、これは』
得難い快楽に止めるに止められず、命を縮める所までそっくりだとフルスは嗤う。
「急がねばならない……私に残された時間は、そう長くない……私が居なくなれば、ファルシュもそう長くは動いていられない……その前に、やるべき事を終わらせなければ……」
洗面所で手に付いた血を洗い落とし、口元の血も拭う。そうして身だしなみを整えた所で扉が開いて、フィーネが駆け込んできた。
「フルス殿!!」
「フィーネ様、その様子では……会議は上手く運んだようですね?」
フィーネの声はいつになく弾んでいて、良い事があった事は問わずとも分かる。
「ああ!! アトランタのスタンリー大使が約束してくださったのだ。大統領と議会に掛け合い、大陸への出兵を促すと!!」
「アトランタが、ですか」
「うむ!! 貴殿やイゼッタのお陰だ!! 深く、深く感謝するぞ!!」
一国の大公とは言え、フィーネもまだ十代の少女である。やっと希望が見えてきたのだ、浮かれるのも無理からぬ所ではあるだろう。
一方で三十路も半ばを過ぎ、その間ずっと人間の醜い部分ばかり見てきたようなフルスはそこまで未来に希望は持てなかった。
確かに、アトランタ合衆国はヴォルガ連邦と並ぶ超大国であり、彼の国が出兵すれば情勢は大きく変わるだろう。
ただしそれが、良い方向にとは限らない。
『庭から虎を追い出す事は出来ても……代わりにライオンが入ってきたら……そこに意味はあるのかしら?』
確かに周辺各国に戦争を仕掛けて勢力を拡大しているゲルマニアを叩く事は、アトランタ合衆国にとっても重要、急務であろう。だが彼等の目に、そのゲルマニアと対等以上に戦い、単身で空母を沈める魔女の力はどう映っているのだろうか。
自分がアトランタの政治家なら、その力が自分達へ向けられた時の事を考えるだろう。フルスはそう思考を回す。
『ゲルマニアに対抗するという名目で軍を出し……そのどさくさに紛れて治安維持とかの名目でエイルシュタットに軍を駐留させ、実質的に占領下に置き、魔女を抹殺する……大体そんな流れかしらね……』
考え得る可能性として高いのは、そういったシナリオだ。
それを避ける為には? どうすれば良い?
答えはすぐに出る。
『エイルシュタットを攻める旨味が無くなれば良い、か……』
魔女の存在を抜きにすればエイルシュタットは人口が少なく、地下資源にも乏しい小国。アトランタ合衆国が軍を動かし、海を越えてまで攻め込んだ後、滅ぼすにしても占領下に置くとしても、完全にコストとリターンが釣り合っていない。第一、世論も納得しないだろう。歴史的に若いアトランタは「名誉」を欲しがる国だ。正確には「正義という名の名誉」を。あの国は世界の警察で在りたいと常に願っている。
『魔女という脅威を取り除き、世界に安全を保障する』
アトランタがエイルシュタットに侵攻する大義名分はそれだ。
ならば、それが無ければ?
魔女が存在しなければ、アトランタ以下各国がエイルシュタットを攻める理由は消滅する。
『スタンリー大使が合衆国に事態を報告し……大統領が議会を説得し、世論をまとめ上げるまでが勝負か……』
時間はもう、あまり残されていない。
『残された時間は……何もかも少ない……それまでの間に”あれ”を探し出し……ゲルマニアの攻勢を押し留め……そして……』
フルスの視線が、すぐ眼前で自分に笑顔を向けてくるフィーネと合った。エイルシュタット大公は、少し不思議そうに首を傾げる。
罪悪感にちくりと胸を刺されて、フルスはフィーネから視線を逸らした。自分がやろうとしている事を考えると、彼女はフィーネの顔をまともに見れなかった。
『そして、私が……イゼッタを殺さなければならない』
その夜、ファルシュはエイルシュタット旧王城の通路を歩いていた。
現在、魔女の秘密が隠されたこの城は関係者以外立ち入り禁止となっているが、魔女の末裔にして護国の英雄であるフルスの娘の彼女は、何の問題も無くこの城に立ち入る事が出来た。
そして教えられた通り、地下通路を進んでいく。この先に、教えられた秘密の間がある筈だ。
フルスから指示を受けた、捜し物。それがあるとすれば最も可能性の高い場所はやはり、白き魔女の伝説に縁のあるこの王城地下であろうとファルシュは考えていた。
魔女の間に続く通路には、当然ながら衛兵が24時間体制で警戒している。
『……仕方無いか』
衛兵達に恨みがある訳ではないが、自分がこれから行う事は見られては絶対に拙い。
死人に口なし。目撃者は、消す。
そう考えてファルシュは地下に続く階段を下りていったが……しかし地下通路で、思いも寄らぬものが目に入った。
「!! これは……」
衛兵達が、倒れていたのだ。
ファルシュは衛兵達の首筋に手を当てる。脈は感じ取れない。死んでいる。死体を調べてみると、胸に銃で撃たれた痕があった。こんな所で衛兵が撃たれて死んでいる理由など、一つしかない。
『誰かが……私より先に……?』
どこの国の手の者かは分からないが、この旧王城に忍び込んだ者が居たのだ。そいつが衛兵を始末して、この先の魔女の間に入り込んだ。
ファルシュが通路を駆けていくと、魔女の間に通じる隠し扉は開いていた。階段の下からは銃声が断続的に響いていてビアンカの声で「逃がすな!! 出口を固めろ!!」と聞こえてくる。
「……これは、出直すべき……」
ファルシュは嘆息すると、来た道を戻り始めた。
どのみちここまでの騒ぎになったからには、少なくとも今はこれ以上の捜索は不可能。あまりぐずぐずしていると「何故そんなに此処に留まっているのか」とビアンカに疑われるだろう。それは良くない。フルスの立場を悪くしてしまう事にも繋がる。
一度退いて、ほとぼりが冷めてからまた調べに戻るべきだろう。捜すべき場所は、他にもあるのだし。
「……今はここに、白き魔女の杖に嵌められた宝玉……私の中の”これ”と同じ物が無かった事を、祈るしかないか……」
胸を軽く手で叩くファルシュ。コツンコツンと、骨とは違う固い感触が指先に伝わってきた。
銃声。
ばたりと、工作員としてエイルシュタット軍に入り込んでいたローレンツが倒れる。
彼は本国から送られてきた魔女の血を使って秘密の間に潜り込んだが、警戒に当たっていた近衛兵に発見されて逃走中であった。そして今、凄腕を誇る近衛隊の銃撃を受けたのだ。夜間で相当な距離があったにも関わらず、銃弾は正確に心臓を撃ち抜いていた。彼は苦しむ間も無く、即死していた。
倒れた彼の手元にはスパイが使う超小型カメラと、中程で割れたような紅い石が転がっていた。
じゃりっ、と土を踏み締める音がして、人影が姿を見せた。
「……任務、ご苦労様でした」
月明かりに照らされて露わになったのは、ゲルマニア帝国軍”特務”、リッケルト少尉のあどけなさを残す顔だった。
彼は今回、旧王城に眠る魔女の秘密を回収するという極秘任務を受けてエイルシュタットに潜入してきていたのだ。
「ジーク・ライヒ」
その言葉を最後にローレンツの命を掛けた成果である紅い石とカメラを懐に入れると、リッケルトは森の中へ消えていった。
近衛隊がやってきて、ローレンツの死体を確認したのはこの5分後の事だった。