5月も半ば、中間テストが1週間近く先まで迫ってきたある木曜日の放課後。
いつもはバラバラな部員たちにも、今日はちょっとした団結が見られた。
机の上に並べられた教科書とノート。それに対峙する俺と美華、詩帆の3人。ソファでは悠平がちょっとエッチな漫画を読みながら俺たちを見ていた。悠平、お前帰れ。
ノートにペンを走らせながら、詩帆が呟く。
「まったく……なんでテストなんてものがあるのかなぁ……」
テスト。それは俺たち学生にとって自分たちのクラス内での地位を決める1つの指標であり、成績の良し悪しを大きく左右する重要なイベントである。さらに、テスト結果は学校だけでなく、家庭にも影響を及ぼす。点数によって親から貰えるお小遣いの金額が変わるという家庭は少なくないはずだ。
この私立天御中学園にも遠足(2年は修学旅行)、体育大会、文化祭という三大行事がある。しかし、実際は三大行事ではない。だいたいの学生からすれば、ここにテストという4つ目の行事が入ってくるのだ。それどころか、三大行事を重要なものとして認識せず、テストを最も重要な一大行事として考えている者もいるに違いない。
「はぁー、もうダメ! やめたやめた!」
詩帆は後ろに倒れ、両手を広げてギブアップのポーズをとる。
俺は苦笑しながら、
「一番テストが危ういお前が投げ出してどうするんだよ。諦めずにもう少しやってみようぜ」
「無理ぃ……飽きたぁ……」
「飽きたって、お前……」
詩帆は頭があまりよろしくない。今やっているテスト対策の問題もわからないところばかりだろう。しかし、だからこそ勉強させているのだ。たとえ飽きたとしても諦めずに続けてほしい。さもなくば、待っているのは赤点しかない。
実を言うと、俺と美華はテスト勉強をしなくても問題となるような点数を取るようなことはない。俺は普段から予習復習をそれなりにやっているし、美華も一度やった授業の内容はだいたい覚えてしまうためテスト勉強はあまり必要ない。悠平に至っては美華の更に上を行き、授業内容を完全に覚えてしまう。
そのため、今やっているテスト勉強は俺たち3人のためのテスト勉強ではなく、詩帆にテスト勉強をさせるためのテスト勉強なのだ。
問題を解いて、間違えたものやわからないものがあったらやり直し。そんな部活動が今週に入ってからずっと続けている。
「まぁ、ここ数日間は部活来てずっと勉強してますからね。普通は飽きますよ。せめて気分転換ができれば……」
「そうだよ。気分転換しようよ。土日にどこか行こうよ」
「あぁー、それ良いかもなぁ……」
確かに、気分転換でどこかに行くのは悪くないアイデアだ。
詩帆がノルマを達成できないおかげで、ずっとテスト勉強していて飽きてきているのは俺も同じなわけで。
「ねぇ、どこ行く? 映画館? 遊園地?」
目を輝かせながら身を乗り出してくる詩帆。
テスト勉強もそのテンションでやってもらいところだ。
「美華はどこが良い?」
「私はお兄ちゃんが一緒ならどこでも良いよ」
「お、おう……。ありがとな」
嬉しいこと言ってくれるじゃないか、この天使は。晩御飯は好物のハンバーグにしてやろう。
「そうだなぁ……」
気分転換には非日常を味わえる場所が良い。となると、滅多に行かないような場所が良いが、俺たち学生の身分からするとあまり遠出はできないし、大金が必要な場所も無理……ではないが、お金を節約したい。
「あのー……」
「ん、どうした悠平?」
遠慮がちに手を挙げた悠平に全員の注目が集まる。
「どこかに行きたいって言うんなら、温泉行ってみないか?」
「……すまない。もう一度言ってくれ」
すごく魅力的な言葉が聞こえた気がしたが、幻聴だろうか。
「だから、温泉だよ、温泉。行ってみないか?」
「……悠平、それを冗談で言っているなら、私怒るよ」
「冗談じゃねぇって。親戚が新しく温泉旅館開くんだけど、その開業前のお試しに来てくれって言われてんだ。友達連れてきてもいいってさ。温泉入れるし、飯も出るけど、お試しだから金はかからないだぜ」
「……颯人、美華ちゃん、ちょっと集合」
詩帆に呼ばれ、俺たちは部屋の隅に集まる。
「悠平はああ言っているけど、どうする?」
「俺は行きたい。金かからないって言うし……」
「お兄ちゃん、その考え貧乏くさい」
「い、いいじゃねぇか。お金の節約は大事なんだぞ。それに、詩帆も温泉入れば気分転換になるだろ」
「……まぁ、なるね。無料って言うのもありがたいし。……でも」
俺たち3人は悠平の方に目を向ける。
「誘ってきたのが悠平だからね……。何か企んでいるかも」
「もしかしたら温泉の中にカメラを仕掛けているかもしれません。それとか、覗きのための秘密の抜け穴を用意してたり……」
「あいつの行動力ならありえるな……」
我が妹の入浴シーンを撮影するとは許せぬ行為だ。もしも美華が撮ってほしいのなら別に撮らせても構わないが、美華に限ってそんな変態行為はしないだろう。……もしも撮ってたら、その動画は言い値で買おう。
「怪しいんだよねぇ……」
「そうなんですよね。でも……」
「ああ、わかっているさ……」
そんなことより、俺たちは温泉に入りたい!
顔を見合わせれば、3人共同じキリッとした表情を浮かべていた。
詩帆は立ち上がり、
「悠平、私たちも行くよ! 温泉!」
詩帆の言葉に対し、悠平はにっこりと微笑んだ。
……こいつ、何か良からぬことを考えてるな。
「わかった。それじゃあ、3人……いや、こころもいるから4人だな。向こうに追加の電話入れとくわ」
「待ちなさい!」
突然、部屋の扉が勢いよく開いた。そこにいたのは越前先生。
「話は聞かせてもらったわ! 悠平クン、私も連れて行きなさい!」
「え、マジですか⁉︎」
「あら、ダメなのかしら?」
「いえ、ダメじゃないですよ。むしろ大歓迎っていうか……グフッ……グフフ……」
「うふふ、ありがとう。もしも連れてってくれなかったら無断で泊まりに行こうとしてるって、理事長に連絡して全員に罰則を与えてもらうつもりだったわ」
笑顔でなかなかとんでもないことを言ってくれる教師である。
……あれ、ちょっと待てよ。
「この学校、校則緩くてそういう許可要らなかったはずですよね?」
「……っ!」
先生の顔が強張る。やはり、ただの脅し文句だったらしい。
高校入ったばかりの頃、隣の席のやつが髪の毛の色にビビってお喋りしようにもお喋りできなかった間、ずっと学生手帳を読んでいたのが役に立った。
「まぁ、いいんですけどね。生徒は化かさないようにしてくださいよ」
「え、ええ、それは大丈夫よ。……あら、もうこんな時間! 私が車出してあげるから、集合場所と時間教えなさい!」
先生は袖をまくって手首を見ると、慌てた様子で言った。
……先生、あなたが時計つけてるのは逆の手ですよ。
「えーと……土曜日の午後2時に、場所は学園から一番近い『
「わかったわ。じゃねー」
先生は猛スピードで部屋から去っていった。
こころよ、俺は女狐に勝ったぞ。
「ふふーん、明後日が楽しみねー」
「そうですねー」
悠平が何か企んでいるであろうことを忘れ、楽しそうな様子の女子2人。こいつらにとって、温泉とはそれほどまでに良いものらしい。
俺はノートを開きながら、
「まぁ、明後日の温泉を楽しみに思うのは良いけど、そのぶん今日と明日はしっかりテスト勉強しような」
「ぎゃー! 忘れてたー!」
詩帆は絶叫した。
◇
そんなわけでそういうことになり、土曜日の午後2時。俺たちは近所のスーパーマーケット『Waxvalue』に集合した。
俺たち健布都家と詩帆のご近所組が到着した時には、既に悠平が到着しており、その隣にはなんと猛の姿もあった。
「うす! 兄貴、こんにちはっす! 美華ちゃんもこんにちは」
「おう、こんにちは。……おい、後ろに隠れるなよ」
「……タケくん、こんにちは」
俺の後ろに隠れながら挨拶をする美華。
「ごめんな。美華がこんなで……」
「いえいえ、気にしなくていいっすよ。久しぶりに会ったんですから、俺みたいなでかいのが怖いのは仕方ないっす」
猛は全く気にしてない様子で「ハハハ」と爽やかに笑った。なんて良いやつ。
本来、美華と猛は同い年ということもあって仲が良い。しかし、会うのが久しぶりだったおかげで、美華の人見知りと「大きい人怖い」が発動してしまった。……まぁ、美華は割と人見知りが激しいから、これくらいはいつものことだ。すぐにまた仲良くなるだろう。
猛は詩帆の方に向き直り、
「詩帆の姉貴もお久しぶりっす」
「こんにちは〜。相変わらず、あんたは悠平と違って礼儀正しいよねー」
「言われるほどでもないっすよ。このくらい普通っす」
詩帆に褒められるが、猛は謙虚に返す。
普通のこともできてない悠平っていったい……。
と、
「わーい、猛さんお久しぶりなのですニャー!」
こころが俺の後ろから走ってきて、猛に飛びかかる。
しかし、突然のことにも関わらず、猛は表情1つ変えずに片手で受け止めた。
「うーむ……見慣れない子ですね。この方も兄貴の連れっすか?」
「そうだぞ。猛も会ったことあるはずなんだけど……」
「ええ⁉︎ ……あ、こころちゃんっすね。久しぶりニャー」
「そうですニャ。私はこころですニャ。……え、なんでわかったんですニャ⁉︎」
あまりにもあっさりと見破られ、ビビるこころ。
猛は服から飛び出している尻尾を指差して笑いながら、
「尻尾が見たことある柄でしたし、形も見たことある鍵尻尾でしたからね。俺、猫は1回見ただけで覚えられるんですよ」
何その特技。猫を一目で覚えるのって、一目見ただけで人の顔を覚えるよりも難しくないか……。
ふと、猛はこころを優しく抱き上げる。
「確か、こころちゃんはこの辺が好きっすよね」
「な、何を⁉︎ ふにゃあ……」
猛が耳の後ろを撫でれば、こころはあっという間に蕩けた表情になってしまう。顔を赤らめ、目をトロンとさせたその表情はなんというかエロい。
そのまま、しばらく猛に頭を撫でられていたこころだったが、解放されると俺の後ろに逃げ込んだ。
「ふぅ……、猛さんの撫で撫で、やばすぎですニャ。思わず、気持ち良さに負けてしまうところでした」
「まぁ、あいつめっちゃ猫好きだからなぁ……」
「しかし、私のこの身はご主人のもの。ご主人、私を猛さんの撫で撫で以上の超上級テクニックで愛撫するのですニャ!」
「黙れ。あと、さっさと耳と尻尾隠せ」
「はい……」
シュンとなりながらフードを被るこころ。
黙っていれば美少女なのだから、そういう下品なことを言うのは控えてほしい。
こころはしょんぼりしながら、
「むー、よくお尻とかお股の周り撫でてくれるのに、なんでダメなんですかー。アレすっごく気持ち良いんですのに……」
「「はぁ⁉︎」」
「お、落ち着け! 猫の時、猫の時だけだから!」
美華と詩帆が超怖い顔で睨んできた。
なんでそんなに怒るの? ……女子って怖い。
「むふふー、ご主人のテクニックは最高です」
こころは顔を赤くしながら、ハァハァと興奮した様子で息を吐く。
確かに、俺はこころの尻尾の付け根あたりをよく撫でている。しかし、それはこころが気持ち良さそうにしてくれるからであって、別にいやらしい理由は一切ない。そもそも、猫になっている時しかそんな場所は触らない。
まさか、こころが気持ち良さそうにしていたのは俺が触っていたところが性感帯の周辺だったからとは思わなかった。
でも、よくよく考えてみれば、猫も人間も同じく哺乳類であり、性感帯がある場所もほとんど同じなのだから、俺が触っていた場所を人間の女の子で考えると……。いや、これ以上考えるのは
とりあえず、こころを撫でる時は変なところを触らないようにした方が良いだろう。
……でも、こころは良いって言ってるし……いかんいかん、欲望に流されてはダメだ。
思わずエッチなことを考えてしまった自分に喝を入れる俺だった。
「お前ら、俺に挨拶はないのか?」
悠平は俺たちに恨みがましい目を向けてくる。
「あれ、いたんだ?」
「詩帆貴様ぁ!」
「あ、変態……」
「変態とは失礼だな! でも、美少女に言われるのは快感!」
「うわぁ……」
「こころちゃん、そのジト目最高だぜ!」
ここに着いてから構ってもらえなかったせいだろうか。悠平の気持ち悪さがいつにも増して絶好調である。
「颯人ぉ、女子たちが冷たい! でも、気持ち良い!」
「ちょっと近寄らないでください」
「酷っ⁉︎」
ショックを受けた様子で固まる悠平。
後でこいつに今の発言全部聞かせてやろうかな。流石に今のは、こいつでも引くと思う。
女子に冷たい目で見られて興奮するとか……いや、美華にされるのはちょっと良いかも……。でも、やはり悠平は変態だ。
俺が呆れていると、悠平の肩に詩帆の手が置かれた。
「なんちゃってね。確かに今のはキモかったけど、今日温泉行けるのは悠平のおかげだよ。ありがとね」
「おふぅ! 女子からの感謝に感激でござるぅ!」
「ごめん、やっぱきもいわ」
……ごめん、悠平。今度は俺も本気で引いた。
今の俺と悠平は磁石の同じ極同士。S極とS極。M極——じゃなかったN極とN極だ。決してくっつくことはなく、
そんな理由で、悠平から目をそらすと、駐車場の入口から入ってくる1台のワンボックスカーが見えた。その運転席に座っていたのは、サングラスをかけた越前先生。
先生は車を無理のない程度に最短で走らせ、俺たちの前で停車した。
助手席の窓が開き、先生が顔を出す。
「お待たせ。さぁ、乗りなさい」
先生に促され、全員が車に乗り込んだ。
いざ、温泉へ。
乗り込んだ全員が席に座ってシートベルトを締めると、車はゆっくりと動き出した。
◇
「はっはっはー! 温泉到着ぅー!」
車から降りた悠平はテンション高めに叫んだ。
車に揺られて約3時間。俺たちが到着したのは、富士山の近くにある温泉宿だった。
宿の周りは自然豊かな森になっており、湿った土と木々の香りがして空気が美味しい。近くには川があるようで、風で木々の葉が揺れる音や鳥の鳴き声に混じって水の流れる音が聞こえてくる。まるで、森の声が聞こえるようだ。人工物と言えば、俺たちが通ってきた道路と目の前に建つ真新しい温泉宿の建物くらいしかない。
「綺麗な森ね……」
先生は嬉しさと悲しさが半分ずつ入り混じった声で呟いた。
きっと、先生がまだ普通の狐だった頃のことを思い出しているのだろう。
「あの頃はもっとたくさんあったのに、今はもう数えるくらいしかない」
「人間が切り拓いたせいで減ってしまいましたからね。今は守ろうとしてるみたいですけど」
美華が残念そうに頷く。
「人類の進歩に伴って自然は減ったけど、それは決して人類が悪いわけじゃない。人類にとっては文明や技術の発達のような進歩こそが進化だからね。進化って、本来は周りの環境の変化に対応して起きるものなのだけれど、人間の進化が速すぎて、自然環境はそれに追いつかなかった。結局、悪いのは繁栄したいという生物の本能で、本能に準じて生きる私たち生物にはどうしようもないのよね」
言い終えて、先生は溜息をついた。
「さて、完全に変な空気になっちゃう前に旅館に行きましょう。早く温泉入りたいわぁ」
先生は宿に向かって歩き出すと、俺たちもそれに続いた。
旅館で出迎えてくれたのは、悠平の親戚という40代後半くらいのおじさんだった。温泉宿を開くのが昔からの夢で、今回やっと夢が叶ったそうだ。
おじさんの話では夕食は6時半頃になると言うので、俺たちは部屋に荷物を置くと早速温泉に向かった。
「はぁ……残念だな……」
「悠平、どうしたんだ? 溜息なんか吐いて」
「だって、男女で部屋が別々なんだぜ。面白くねぇよ」
「いや、家族でもない限り、男女が同じ部屋じゃダメだろ。てか、それを言うなら俺なんて1人部屋だからな?」
先生は1人部屋で、女子3人が同じ部屋。女子の部屋割りは先に決まっていたのだが、男子の部屋割りはつい先程くじ引きで決められた。結果、俺が1人になって、悠平と猛が同じ部屋になった。
開業するにあたって男女それぞれに1人で泊まった時の感想を聞きたいとのことで、1人部屋というものが用意されていたのだが、俺が見事に引っかかってしまったわけである。
ここまで来て1人とか、悲しすぎる。
「女子と一緒が良かったぁ!」
「駄々をこねるんじゃない。俺だって美華と同じ部屋が良かったよ」
「悠平さん、俺じゃダメなんですか?」
「うっ……⁉︎」
猛の顔に似合わない潤んだ瞳で見つめられ、悠平は狼狽える。
「……ああ、もう! いいよ! 俺は猛で充分だよ!」
悠平の言葉に、猛はパアァッとという効果音でも聞こえてきそうな笑顔を浮かべた。
……なんかホモホモしいな。
脱衣所で服を脱ぎ、風呂場の扉を開けると、そこには岩が置かれてなんかそれっぽい見た目になっている露天風呂があった。
「おおー、なかなか良いな」
周りを見渡せばこの宿の周りを囲んでいる森の木々が見え、上を見上げれば満天の星空が広がっている。街灯や住宅などの光源が、近くにはこの建物以外ないからこそ見られる風景だ。
今日が晴れの日で良かった。身体を洗って、早く温泉に入らせてもらおう。
温泉に浸かる前に、俺が身体を洗っていると、猛が話しかけてきた。
「兄貴、お背中をお流ししましょうか?」
「うーむ……いらないかな」
「俺はいらないんすね……」
「い、いやー、届かないところあるからなー。是非ともお願いしたいなー」
「全力で綺麗にさせていただきます!」
お願いしなかったら「兄貴のバカァ!」とか言ってどこかへ走り去ってしまいそうな様子だったので、仕方なくタオルを手渡した。背中に手が届かないなんて嘘である。
猛がタオルで俺の背中を擦る。その洗い方は大柄で筋骨隆々とした彼の見た目に反して、丁寧で優しく心地良い。力加減もちょうど良かった。
「兄貴、どうですか?」
「気持ち良いぞ。お前洗うの上手いな」
「ははは、ありがとうございます。家で父親の背中を洗っているからですかね」
「一緒に風呂なんて羨ましいな。俺なんて家に親父いないからな。偶に会いたくなる」
「兄貴って割とファザコンだったりします?」
「うーん、それはないな」
背中を洗ってもらいながら何気ない会話を楽しむ。こうしていると美華と洗いっこしていた頃のことが思い出されて懐かしい。あの頃は胸だけじゃなく、身体自体が全体的に小さかった。
小さい美華は超可愛かった。今も超可愛いけど。
頭の上からシャワーを浴びて身体を洗うのは終了。続いて猛の背中も洗い終え、俺たちは温泉に浸かった。
「ふぃー、暖かい……」
「疲れが取れますね……」
猛と2人揃って頬を緩ませる。
日本人は風呂が好きだ。その証拠に、こんなにもお湯が気持ち良い。
現在、日本での主流となる風呂は浴槽にお湯を張ったものだが、海外においてそれは少ない。ほとんどの国では、浅い浴槽とシャワーが合わさった、お湯に浸かるのではなく、お湯を浴びるというタイプが主流になっている。
湯船にお湯を張るという行動は、水が豊富な土地柄と風呂が好きな日本人だからこその行動なのだろう。
「うぅ……女湯……女湯が……」
温泉の端っこで悠平が呻く。
この男湯までに来る途中、悠平は女湯に入っていこうとした。俺がそれを(力ずくで)止めてからはずっとこんな調子である。
「そう気を落とすんじゃない。美華の裸はお前だけには見せちゃいけないと思ってな」
「あんなツルペタロリボディに興味ねえよ」
「んだとゴラァ‼︎」
俺の妹に魅力が無いとは何事だ⁉︎
「確かに美華ちゃんは超可愛いけど、俺の好みじゃねーの。越前先生みたいな巨乳のお姉さんが好みなの。そう、先生みたいな……」
「そうかそうか。美華は可愛いか。それなら問題ないぜ。危うく、お前のことをゲイだと勘違いしちまうところだったぜ」
「何言ってんだ。俺の恋愛対象は普通に女だよ」
悠平は笑う。
その時、
「やっぱり浅間さんって胸大きいわよね。サイズはどのくらい?」
「Dだよ。でも、そう言う先生だって大きいじゃん。F以上はあるでしょ?」
「私はGよ。この中で一番ね」
「ぐぬぬ……ご主人を誘惑するメロンがこんなに……」
「私、ぺったん……」
「大丈夫だよ。2人も大きくなるって。美華ちゃんなんてまだ未成長じゃん」
「詩帆さん、私小学生の頃にちょっと膨らんだのを最後にずっとこのサイズなんですよ……?」
「ごめん……」
女子たちの声が聞こえてきた方に目を向けると、そこには4メートルほどの高さの竹でできた壁があった。
男湯と女湯の位置関係から考えると、この壁は間違いなく仕切りの役割を果たしている。
悠平は壁をジーっと見つめ、すぐに何かを閃いたように目を見開いた。
「猛、ちょっと壁の前でバレーボールのレシーブみたいな姿勢になれ!」
「はい、わかりました!」
猛は元気よく返事をすると、言われた通り壁の前でレシーブの姿勢をとった。
「何をするつもりだ?」
「ククク……俺は思いついてしまったんだよ。覗くための完璧なプランをな……」
「は?」
「わざわざ
「お前、まさか……!」
「はっはっはー、そうさ。その壁を飛び越えて侵入しようって寸法よぉ……」
アホか。
こんなに高い壁飛び越えられるわけがない。確かに、上に手をかけるくらいならできただろう。しかし、壁の素材は竹。上の部分は斜めにカットされているため、手をかけたら怪我をして手を離してしまうだろう。
「はぁ……、好きにしろ。俺は手伝わないからな」
どうせ失敗するだろうから。
「ふふふ、お前の許可など要らん。
何を基準に合法と言っているかわからないが、覗きは普通に犯罪である。
まぁ、面白そうだから見ていてやろう。
「猛! 俺は今からお前に向かって走って、手の上に飛び乗る。そしたら、壁を越えられるように、上へ飛ばしてくれ。力加減はお前に任せる。あ、握り拳じゃ乗りづらいから手は開いてくれよ」
「はい!」
「よし! それじゃあ行くぞ!」
悠平は温泉から出ると、上手く助走できるだけの距離を開けて猛に向かって走り出した。こいつはきっとプールサイドで走るなと言われても全く聞かないに違いない。
猛も全身に力を入れたようで、普段から大きな筋肉が更に大きく膨れ上がっていた。
悠平はジャンプして猛の手の上に乗り、それとほぼ同時に猛が腕を振り上げた。
悠平は、飛んだ。壁の上まで間違いなく届くであろうスピードで。
「よーし、行きますニャー!」
壁の向こうからこころの声が聞こえた。
まさか、あいつも悠平と同じ考えで特攻してくるつもりじゃ……。だとすると、悠平は間違いなくバレてしまう。
俺は悠平に作戦の中止を提案しようと思ったが、彼は既に空中にいる。もう手遅れだった。
悠平が塀の上に到達した時、塀の向こう側からもう1つの影が見えた。暗くてよく見えないが、頭の上にある2つの三角形はこころのネコ耳で間違いないだろう。
「「あ……」」
2人の間抜けな声が聞こえた。……ような気がした。
直後、
「キャアァァァァア!」
こころの悲鳴が辺りに響き渡り、強烈な飛び回し蹴りが悠平に炸裂した。
バッシャーン!
悠平はほぼ一直線に温泉へと突っ込み、派手な水しぶきが上がる。
俺は、水死体のように水面へ浮かんできた悠平が猛に保護されたのを見届けると、静かに温泉を後にするのだった。