杖を突く、というよりは杖に体を預ける様に足を動かす。リハビリを続けて、どうにか人並みに近く歩ける様にはなった。
「ふぅ」
だが、それでも坂道は辛い。点々と続く跡に沿う様にして細い引き摺った跡が続く雪道で、白く染まる息を吐いて、オータムは片方が塞がった視界で空を見上げる。
冬の盛りは過ぎたというのに、まだ沁みる寒さと雪が残り、それを運ぶ風がコートを揺らす。
あれからオータムは織斑家に、スコールと二人で転がり込み、名前も変えた。
オータムは織斑秋穂と名乗り、スコールと共にIS学園で働いている。
スコールは教員、オータムは事務兼担任補佐。
千冬や楯無、束が用意したカバーストーリーのお陰で、二人は若干怪しまれはしたがすぐに受け入れられた。
「まったく、人使いが荒いな」
弟妹を守る為に全てを欺き、組織に潜り込み恨まれ憎まれてでも二人の為に、敵として立ち塞がった。
概要としてはこの様な話に、一夏とマドカからの話にスコールが虚実織り混ぜた話を加えた結果、教員や生徒達から尊敬と畏怖を集める事になった。
尊敬はカバーストーリーから、畏怖はオータムの傷だ。
片腕と片目、足の自由すら失いながら、それでも二人を守る為に命懸けで戦い続けた。
スコールも身体の主要器官以外のほぼ全てを機械に置き換えている。
「さて、行くか」
自身を省みない、そんな余裕すら無い戦いを潜り抜け、漸く安寧を手に入れた女傑二人。
そんな二人は尊敬されつつも、若干の腫れ物の様な扱いを受けながら、一夏とマドカの成長を見守っている。
そして今は事務の仕事での帰り、家路の途中だ。
二人も一足早い冬休みで寮から自宅に戻っている。オータムも今日で今年の仕事は終わる。
あとは年明けまで自宅でのリハビリと、二人の我が儘を叶えるだけだ。
路面凍結で停止した公共交通機関に、内心で文句を言いながら、オータムは自宅へ続く坂道を杖とまだましな左足を頼りに登っていく。
「……平和だな」
休憩ついでに広がる町並みを眺める。
オータムの記憶の中に僅かに残る町並みによく似た平和な、何処からも銃声も何も聞こえない世界。
一夏とマドカの二人に居てほしいと願った世界に、オータムも居る。
この現実にまだ違和感がある。
本当にここに居て良いのか。これは走馬灯か胡蝶の夢の類いで、本当の自分はまだ病院のベッドで眠っているのではないか。
そんな考えに苛まれ、胸の奥に重いものが落ちるが、失った片腕と片目が現実だと伝えてくる。
「よし」
最後の最後に持っていかれた最凶の証、スコルピオは地獄で嗤っているだろうか。
まあ、どうでもいい話だ。凶蜘蛛はあの日に死んだ。
残っているのは一夏とマドカの姉である織斑秋穂だ。
オータムは疲れた足に力を込め、坂道を再び登り始める。
「やあ」
「あ? あんた、なんでこんな所に」
「ちょっとね、君に用があるんだよ」
長い坂道の半ば、これから下り坂に続く展望台で篠ノ之束が傘を片手に立っていた。
「用? 私はもう何も出来ねえぞ」
「いや、私じゃないよ」
首を傾げる。もう殆ど最凶時代の感覚を失ったオータムだが、どう見ても束一人しか見えない。
まだどうにかなるだろうと思っていたが、やはり弱っている。その事に内心で寂しさを感じながら、束の言葉を待つ。
「用があるのはこの子」
「……よう」
「……おう」
見覚えは無い。なのに、見覚えがある。
オータムは出会った相手と殺した相手は顔を覚えている。だが、束の背後から現れた女には見覚えは無い。なのに、何故か知っている。既視感がある。
なんとも言い難い不可思議な感覚、オータムは目の前の自身とよく似た女に警戒する。
「そんなに警戒するなよ」
「誰だよ? お前」
「私だよ。よく知っているだろ」
思い当たる節が無い。
だが、謎の既視感がそれを否定する。
雪が降り始めた。
「……はぁ、私はお前をよく知っている。ずっと一緒に居たんだ」
「一体何を……」
「お前、今幸せか?」
よく似た顔と姿、よく似た声。ほぼ自身だと言える似姿だが、どこか違う。
そんな相手から問われる幸福の意味。
問われた答えは決まっている。
「ああ、幸せだよ」
「だったら、もっとそうしろよ。私が離れて、私を置いて行った意味が無い」
「そのつもりなんだ」
「まだ不安か?」
「今まで奪い過ぎた。それに、本来ならあの日に終わるつもりだったんだ」
「幸福も不幸も拾うもので、与えられも捨てるものでもない」
理解している。幸福も不幸も自身の行動の結果だ。
だから人は幸福を求めて生きていけるし、不幸に挫折して死にもする。
全ては行動と選択の結果に過ぎない。
「だから今のお前がある」
「奪い続けた行動の結果がこれか?」
「そうだ。お前は選択し行動した。その積み重ねがそれだ」
だとしたら、全ては二人のお陰だ。
奪い続けた人生、その最大で最良の選択。それが二人の側に居る事。
この体はその代償だ。
「奪い続けたお前は最後に自分の役目を果たした」
「その代償がこれなら、安いもんだな」
「ああ、安い。だが、私は納得していない」
女はオータムを睨み付ける。
その目に宿るのは悔恨にも似た怒りだ。
「いつかは負ける。それは絶対だ。永遠なんて在りはしない」
「まあそうだな」
「だが、奴に負け奪われた。それだけは納得出来ない」
「スコルピオか」
オータムとしては、もうどうでもいい話だ。
奴は最期の最期で勝ち、最凶を奪い去った。
だが、死んだ。死んだ以上、それから先は無い。奴が最凶を語る事も語られる事も無い。
「そうだ。あの格下に負ける。これが私達の最後か?」
「確かに負けた。だが、私は勝った」
「そうだ。お前は勝った。あの二人を守った。だが、最凶を失った」
「どうせ、いつかは消えるもんだ。それに……」
雪が降り続ける。
今日もまた積もるのだろう。
オータムは一度、白がまばらに降りてくる曇天を見上げて女を見る。
「納得していないなら、代わるか?」
「否、それだけは否だ」
「だろうな。お前ならそう言うよな」
「もう一度聞く。お前は幸せか?」
「ああ、そうだよ」
「私もだ。役目を終え、見届ける事が出来た」
「世話を掛けたな」
「まったくだ。本当に世話の掛かる奴だ」
女のコートの裾が風に揺れ、オータムの顔の傷を隠す前髪が翻る。
大分冷えてきた。一夏がまた油断して薄着で居やしないだろうか。マドカと千冬、スコールが一緒なら大丈夫か。
「用は済んだ」
「もういいのか?」
「ああ、最凶は終わった。納得は出来んがな」
「納得しろよ」
「……そうだな。脚は余ってる。一本ぐらいくれてやる」
「要らね……」
言い切る前に強い風が吹き雪を舞い上げ、オータムが体勢を崩す。
この程度で、と情けなさを覚えながら視線を戻すが、もうそこに女は居ない。束もいつの間にか姿を消している。
足跡も何も無く、そこには誰も居らず展望台から見える景色だけだった。
「まったく、迷惑な」
今度こそ、家路に向かおうとオータムが体を動かす。
「……ホント、要らねえんだがな」
積もり始めた雪を踏む。
降り積もった雪は足音を消し、オータムの呟きも消えていく。
オータムは杖に体を預けず、ただ杖を突いて雪の家路に着いた。