夢だ。
暖かな場所の夢、家族が居て笑っている夢。
自分が居て妹が居て、そして〝二人〟の姉が居る夢。
ああ、やはりこれは夢だ。
自分には妹も姉も居るが、姉は〝一人〟だけだ。
両親の居ないたった三人だけの家族。
だからこれは夢だ。
なのに、どうして、どうしてこの夢を見ると寂しくなるのだろうか。
どうして彼女は、自分達を見て寂しそうに、でも満足そうに微笑むのだろう。
「……か」
「……ちか」
「ん、あ……」
「一夏……!」
「うわあ! ……なんだ、箒か」
「な、なんだとはなんだ?! もうすぐ授業だから起こしてやったのに」
「あ、ああ、ごめん。有難う」
「ふん! どうせまた妙な夢を見ていたのだろう?」
織斑一夏と織斑マドカは、あのモンドグロッソ当日に起きた事故に巻き込まれ生死の境をさ迷い、一年足らずだがドイツでの治療とリハビリを終えて、日本に帰ってきた。
その間の記憶が曖昧だが、治療に強力なナノマシンや薬品を使ったので、その後遺症だろうと診断されている。
幸い、それ以前の記憶は確かだったので、友人達に泣かれはしたが生活に困る事は無く、今こうして学生として過ごせている。
「しかし、この夢は何なんだろうな」
「私が知るか。いや、マドカも同じ夢を見ているという話だったな。……もう一度、病院で診てもらうか?」
「別に不眠って訳でも、夢見が悪い訳でもないし大丈夫だろ」
「そうか」
だが、織斑弟妹はこの最近、同じ夢をよく見る様になった。以前は見なかった〝二人の姉〟と過ごす穏やかな日々の夢。
悪夢でもなく、悲しい夢という訳でもない。ただ、寂しい。
胸の真ん中にぽっかりと穴が空いたかの様に、寂しくなる夢をよく見る様になった。
あの二人は一体誰なのだろうか。
何時か何処かで会った事があるのだろうか。
「織斑」
「げっ、千冬姉」
「……織斑先生だ」
諭す様に頭に置かれる出席簿に、僅かに首を竦めて、一夏は始まった授業に集中する。
あの高校受験の日に、女性にしか動かせない
そしてこの学園は、世界各国からエリートが集まり、専門的な知識と技術を学ぶ故に、その要求される学力はかなり高い。
だから一夏は、授業についていくだけで必死だった。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「……以上だ。では、本日の授業はここまで。明日は小テストを行うから、各自予習復習を欠かさぬ様に」
「……一夏、お前大丈夫か?」
「お、おう……、とりあえず大丈夫だ」
幼馴染みの篠ノ之箒が問い掛けると、一夏はノートと教科書を見比べる。
内容はかなり難しいが、噛み砕いて解釈すれば理解出来ない程ではない。
とにかく今は、明日の小テストに間に合わせなければならない。
「一夏さん、宜しければ私達がお手伝い致しましょうか?」
「あー、セシリア。有り難いけど、まずは一人でやってみるよ」
「そうですか。しかし、そこ間違えてますわよ」
「え、どこ?」
「ここ、この部分の数値だと、機体を反転させた時にバランスを崩しますわ」
「……ああ、間違えているな。一夏、お前白式の性能を基準に考えるのは止めた方がいいぞ?」
「あら、箒さん。分かりまして?」
「ば、バカにするな。私だって、勉強はしてる!」
「あら、ごめんなさい。てっきり、何時もの猪武者かと」
「セシリアぁ……!」
イギリスの代表候補生のセシリア・オルコットと箒の、何時もの言い争い未満のじゃれあいが始まった時、一夏達一組の教室に入ってくる姿があった。
「……何をやっているんだ? 兄さん」
「おう、マドカ。何時ものだ」
「懲りないな」
「そう言うなって」
妹の織斑マドカが呆れた様子で言う。
「そうだ。マドカはどうだ? 学校は慣れたか?」
「兄さん、その質問は何度目だ? 上手くやっている」
「よく言うわね。地味にコミュ症のくせに」
「うるさい、ちび鈴」
「あんたと変わらないわよ!!」
マドカと凰鈴音は二組で、休み時間の度に一組に来ている。
フランス代表候補生のシャルロット・デュノアと、ドイツ代表候補生のラウラ・ボーデヴィッヒは、近く開催される学園祭の打ち合わせで席を外している。
中々に忙しい様で、目が回りそうだとぼやいていた。
「……兄さん」
「なんだ? マドカ」
「兄さんも、あの夢を見るか?」
「……ああ」
「そうか……」
あの夢、ひどく優しくて温かく、そして寂しい夢。
彼女達は一体何者なのだろうか。
「あんた達、まだ同じ夢見てんの? 言い方悪いけど、病院で診てもらった方がいいんじゃない?」
「けどなあ、鈴。悪い夢って訳でもないんだよ」
「二人の女性と過ごす夢でしたか? その方達に覚えは?」
「無い。だが、夢の中で私も兄さんも、その人達を姉だと認識している。嫌な気分じゃない。寧ろ、懐かしくて優しい感じだ」
「ふぅむ、いよいよ不可思議な夢だな。あれか? デジャブとかいうやつか?」
「どうなんだろうな」
温かく優しい二人、一人は少し乱暴だけど優しくて、一人は穏やかで上品だけど、怒らせると怖い。
映画を四人で見て一人が泣いて、もう一人はそれに笑って、体調を崩した時はずっと側に居てくれた。穏やかな日々を過ごして、笑って泣いて時々怒って、そんな当たり前の日常を過ごす。
そして、夢の最後にはテーマパークに行き、その帰りで眠って目が覚める。
一夏とマドカの見る夢は、一分の違いも無くこの内容だ。
しかし、これは夢でしかない。
だって、それらの思い出は全て、姉である千冬と三人で過ごした思い出なのだ。
「……お前達、そろそろ教室を閉める。早く帰れ」
「あ、織斑先生。分かりました」
そんな事を考えていると、千冬が戸締まりにやって来た。
時計はもう五時を過ぎていた。
「後は部屋でやるか」
「それでしたら、後で集まって復習をしません事? 一人でやるより二人、二人よりたくさんですわ」
「そうね。なら、誰の部屋に集まる?」
「順当に一夏の部屋でいいだろう」
「え、いやまあ、いいけどさ」
「兄さん、早く帰るぞ」
「ああ、待ってくれ。……あ、やっぱり先に行っててくれ」
「?、分かった。ほら、お前達も行くぞ」
皆を引き連れて、マドカが帰るのを見送ると、一夏は無言の千冬に向き直った。
「千冬姉、ちょっと聞きたい事があるんだ」
「なんだ?」
「俺達に姉って、他に居ないよな? あと、二人くらい……」
一瞬だった。ほんの一瞬、血縁でなければ気づけない様な刹那、千冬は切れ長の鋭い目を見開いた。
だが、それだけだった。
次の瞬間には、千冬は普段と変わらぬ様子で首を横に振った。
「……私の知る限り、お前達の姉は私だけだな」
「だよなぁ。じゃあやっぱり俺達の思い過ごしか」
「ああ、……多分な。あの夢の話か?」
「うん。こう毎日見てると、やっぱり気になってさ。あ、ごめん、千冬姉。手止めちゃった」
「構わん。治療の為に使ったナノマシンの影響かもしれんな。束に診てもらうか?」
「うーん、束さんか……。いや、いいや。なんか、それは違う気がするし」
「……そうか」
じゃあ、帰るよ。と、立ち去る一夏の背を見ながら、千冬は小さく息を吐いた。
「……オータム、お前は自分達を思い出さない様にと言ったが、それは無理だ。お前達があの子達に送った愛は、薬なんぞでどうにか出来るものではない」
あの子達は、お前を覚えているぞ。朧気な記憶の中で、お前がくれた無償の愛を忘れていない。
なあ、オータム、スコール。お前達は本当にこれで良かったのか?
あの子達はきっと、何時の日かお前達に行き着く。
お前達の愛は偽物なんかじゃないんだよ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「オータム、本当にいいのね?」
「ああ、私は二人を護る。どんな事になっても」
私が私でなくなっても、私はお前達を護るよ。
だから、私を憎んでくれ。
だから、私を恨んでくれ。
だから、私を許さないでくれ。
「……分かったわ。私は止めない」
「ごめんな、スコール。多分、いっぱい迷惑かける」
「今更よ」
一夏、マドカ。私はお前達の幸せを護る為なら、本当の化け物になるよ。
だからどうか、笑っていてくれ。
泣かないでくれ。
悲しまないでくれ。
痛みも苦しみも全部、私に背負わせてくれ。
「……ごめんなさい。一夏、マドカ」
世界の底、光も差さない暗闇の中で、もう何も提げていない胸元を押さえながら、世界最悪の凶蜘蛛が顋を開いた。
大丈夫、オータムさんのSAN値は残ってますわ!
SAN100/30