――――雄英高校 大運動場
以前、雄英体育祭の会場となったその場所で、骸無は一人静かにオールマイトを待っていた。
会場にはテレビカメラが設置され、オールマイトとの戦いを全国に映し出す算段となっている。
オールマイトが、『平和の象徴』が殺害される場面を見せつけることで世間に絶望を与える作戦だが、この作戦は骸無が負けてしまえば意味のなくなるもろ刃の剣。
つまりは、それだけ骸無の戦闘能力に自信を持っているということだ。
時刻はもうすぐ正午。約束の時間だ。
太陽がほぼ真上に位置し、夏の日差しが強く照りつける中、オールマイトがついに姿を現す。
「来ましたね。オールマイト」
「あぁ、私が来た! 人質は無事だろうな?」
ゆっくりと会場中央へ歩み寄りながら人質の安否を気遣うオールマイト。
骸無は返事を返さず、ただ片手で合図を出す。
会場のモニターの1つが切り替わり、人質となっている教師と生徒たちが映し出された。
「ご覧のとおり、一部を除いて命に別状はありませんよ」
「一部を除いて? 全員の無事を約束したはずだろう!?」
骸無の言葉に不穏なものを感じ取り、オールマイトは声を荒げる。
対して、骸無はため息を吐きながら首を横に振って答えた。
「残念ながら学校に残っていた教師とヒーロー科の生徒は抵抗してきたのでやむなく戦闘になりました。
さすがは、雄英高校ですね。手加減ができずに殺してしまった生徒がいたのは想定外でした」
悔やむ言葉を口にしながらもその口調は微塵も後悔を感じさせない白々しいもの。
その悪びれない姿に、オールマイトは悲しみと怒りで奥歯をギリッと軋ませて骸無を睨みつける。
「緑谷少年、君は……」
「約束は破っていませんよ。“人質”には手を出していません。まぁ、人質になる前は知りませんが」
と、嗤う骸無の姿は完全に
この少年は悪の道に染まってしまったのだと、オールマイトに感じさせるには充分であった。
「少年。私は君を救ってみせる。本当は悪の道なんか進むべき人間じゃない!」
「救う? ハハッ! 何をいまさら。既にボクは救われている。かつては無かった
「やつの力は邪悪なものだぞ! いつか身を滅ぼす力だ!!」
「違う! これはボクの力だ!!!」
オールマイトの悲痛な説得ももはや心に届かない。
最後の説得は平行線をたどり、あとはお互いの拳を交えるしかない。
互いに踏み出したその瞬間に、運動場はまさに戦場と化した。
音を置き去りにした打撃が飛び交い、目まぐるしく位置を変えて破壊の後を増やしていく。
次々と移り変わる攻防の行方は、次第に骸無の優勢へと傾いていった。
二人の身体能力はほぼ互角。ならば持っている手札・戦術の数が戦闘に有利に働くことは想像に難くない。
「個性の数が違う! あなたの“ワン・フォー・オール”一つではボクに勝てない!」
「まだまだ! 多少個性が多いくらいで私を倒せるとは思わないことだ、少年!!」
数々の個性に翻弄されようと、これまでの経験が、矜恃が、自負がオールマイトを奮い立たせる。
平和の象徴としてヒーローのトップに君臨してきた矜恃は、劣勢になってなお強気の姿勢を支える力となっていた。
その強さを、オールマイトの黄金の精神がもたらす強さを十分骸無は知っている。
ゆえに、切り札の一つを切る判断を下した。
「やっぱりすごいなぁ、オールマイトは。
でも、その姿は虚飾まみれだ。嘘つき、偽善者、世間をだますペテン…………その虚飾、引っぺがして本当の姿を晒し出してやる!」
右手に何か個性を発動させて突進してくる骸無。
突き出された右手に危険を感じて回避を選択するオールマイトであったが、かする程度にわずかにその右手に触れてしまった。
そして、その効果は………絶大だった。
「グッ、これは!?」
やせ細り幽鬼のように貧弱な姿、トゥルーフォーム強制的に戻されてしまった。
これが骸無のもつ切り札の一つ。
“触れた相手の個性を無力化する個性”その名を『
「すごいでしょう? オールマイト。触れただけで個性を一定時間無効化できるなんて。ただ、強力過ぎて一度使うとしばらく使えないのが難点ですけどね」
余裕の表れか、自らの個性を嬉々として語りだす骸無に、オールマイトはなお強い意志を宿て眼光鋭くにらみつける。
「私はこの衰えた姿を世間に隠してきた。市民の皆さんを不安にさせないため、平和の象徴が健在だと知らしめるために。
それをこうして晒されたのは確かに今後を考えると頭が痛い問題だろう。しかしな!」
隠してきたみじめな姿を世間に晒されようと。
身体は朽ちて衰えようと。
「ここで諦めるようなことは絶対にないぞ! 私の真の姿が晒されようと、私が戦う意志を折ることなどない!!」
その心はいまだ平和の象徴。一点の曇りのない輝ける意志だった。
姿は変われどその信念に揺らぎはなく、まっすぐに骸無へと視線が向けられている。
「……やっぱりこれくらいで折れるような人じゃない。ずっと見てきたから分かってたことだ。
むしろ、こんなピンチの時こそあなたは笑って切り抜けてきた」
オールマイトについて、本人を目の前にして語りだす。
その言葉には、悪意が隠れている。
「まずはその笑顔を奪ってみせよう」
「できるかな、君に?」
不敵に笑うオールマイトに骸無は、致命傷となる毒の言葉を紡ぎだす。
「できますよ。さすがのオールマイトも恩人の家族がヴィランになっていたと知ったら傷つくでしょう?」
「な……に……? どういう意味だ!?」
意味ありげな骸無の言葉がオールマイトの不安を煽る。
その不安を見抜いているからか、骸無は結論をすぐ述べずに回りくどい話し方で語り始めた。
「先代“ワン・フォー・オール”志村菜奈。彼女は夫を殺された際、また自らの持つワン・フォー・オールの運命に巻き込まれないよう子供を里子にだした。
わざわざ、ヒーローに関わらないよう遠ざけてね」
「それが、何だというんだ!」
「察しが悪いのか、それとも認めたくないのか……どちらでもいいか。これ以上焦らしてもしょうがない。結論を言おう。
ヴィラン連合の首魁死柄木弔は志村菜奈の孫だ」
朝食のメニューを言うような気軽さで告げられた事実。
それはオールマイトの心をくしゃくしゃにかき乱す。
「嘘を……」
「言うなって? アハハ。オールマイト、ボクの“先生”のやり方は良く知っているはずでは? 分かっているはずだ、これは真実だって」
師の家族が悪となり、自らが手に掛けそうになっていた。
その事実を伝える役目を与えられたのは、かつて自分の後継者に選ぼうと思ったヒーローの輝きを持っていた少年。いまは悪に染められてしまった、後継者候補。
さすがのオールマイトと言えど、その笑顔を歪めるには十分すぎるほどのショックを与えていた。
「ギャハハ!
ほら、笑って、オールマイト。いつもの“恐れ知らずの笑顔”はどうしたんです? いつものスマイルは!」
仮面の下で、骸無は愉悦に表情を歪めていた。
かつて憧れ、しかし真実を知らされ、現実を突き付けられた相手、オールマイトへの歪んだ感情を爆発させる。
昔の自分が大事にしていたものを無茶苦茶に汚す狂った悦びは言いようのない快楽に感じられたのだ。
「ハッ、所詮はこんなものだ、オールマイト。ヒーローの重圧と内に沸く恐怖から己を欺くための薄っぺらい笑顔なんてこうやって容易く奪えるんだから」
罵倒をする骸無。
オールマイトは何事かを小さくつぶやく。
「人々を……“平和……決し……悪に…………」
「何か言った?」
途切れ途切れで聞き取れずに聞き返す骸無。
オールマイトは再び瞳に光を灯し、顔を上げる。
「『人々を笑顔で救い出す“平和の象徴”は決して悪に屈してはいけない』
あの時、私はこうも言ったはずだ、少年。
悲しいことだ。師匠の家族のことを思えば悔やみきれない。
その事実を伝えたのが悪に染まった君だということに胸が痛む」
右手で胸のあたりをギュッとつかみ、血を吐くように告げる。
だが言葉の力強さはまだ失われていない。
「しかし、ヒーローには守るものがほかにも多くあるんだ。
守るものが多くて、プレッシャーは常に隣にある。だからこそ、ヒーローは負けない。負けられない!」
「守りきれなかったあなたが、僕を救けてくれなかったあなたがそれを言うのか!! もう御託はたくさんだ。だいたい、そんな体で何が出来る!」
どんなに言葉を重ねようと、いまのオールマイトは力はない。
そう告げる骸無にオールマイトは再び不敵な笑みを浮かべる。
「少年、一つ教えてやろう。“ヒーローは助け合い”だ。平和の象徴は私だけだが、ヒーローは私だけじゃない!」
オールマイトの声にこたえるかのように校舎のどこかで騒音が響く。
骸無はその強化された聴力で場所を把握。事態を察知した。
「人質が……」
『オールマイト! 人質の救出作戦は成功だ!」
映し出されていたモニターにブラドキングが映りこみ人質の救出を告げる。
それに合わせて運動場にも次々と人影が現れてきた。
「ここは雄英高校。我々の母校だ。映し出された背景からどの場所か特定することなど容易いものだ」
「こっちには現役の教師もいるんだ。地の利はこちらにあると言ってよかった」
ベストジーニストがヒーローたちを率いて現れ、イレイザー・ヘッドが捕縛布を構えながら個性を抹消する。
人質がいなくなればオールマイトが一騎打ちを受ける必要はなくなる。
そうなれば危険度の高い骸無を相手に戦力を増やすのは当然の判断だろう。
「まさか卑怯とはいわないだろう? 人質という卑劣な作戦をとったのはそちらなのだから。
多少こちらの人数が多いくらいなんともないだろう」
次々と武闘派のヒーローたちが会場に姿を現し、骸無を包囲していく。
「さぁ、覚悟しろ改人。ヒーローはオールマイトだけじゃないと教えてやる」
イレイザー・ヘッドが告げる。
平和の象徴は一人でも、平和の守護者は一人ではない。
彼らは各々の正義を胸に、骸無を追いつめる。
絶体絶命のピンチに、骸無は仮面の下で嗤っていた。
次回で最終回。そのあとにエピローグとオマケの予定です。