嫉妬は緑の目をした怪物で、人の心を餌食にして弄びます。
――シェイクスピア『オセロー』より
――――雄英高校校舎
人質救出のための別動隊は、気絶している教師を抱えながら生徒たちの避難誘導をしていた。
「慌てないで、順番に指示に従って動きなさい」
ミッドナイトが生徒たちを落ち着かせるように声をかける。
男性のセメントスを肩で支えながら移動するのは大変だろうに、そんな弱音を見せることは無い。
同じく救出班のブラドキングも根津校長を腕に抱えながら避難誘導を続けていた。
しばらくしているうちに、根津校長が目を覚ます。
「校長、お気づきになりましたか。ブラドキングです。大丈夫ですか? お怪我は?」
「……………ヂュー!!」
「校長!? 落ち着いてください! 私です、ブラドキングです」
矢継ぎ早に質問を投げかけるものの、根津校長は暴れるだけでまったく会話にならない。
まるでただのネズミになってしまったかのような反応に違和感を感じるブラド。
このままではいけない。なにか重要なことを見逃している。
そんな漠然とした不安を覚えたブラドはミッドナイトに声をかけた。
「ミッドナイト! 緊急事態だ。校長が混乱して暴れているから個性で眠らせてくれ!」
「分かったわ。すぐ行くから待っててちょうだい」
すぐさま反応して駆けつけてきたミッドナイトによって根津校長は眠りにつく。
ホッと一息つく間もなく、ブラドはミッドナイトに用件を告げる。
「ミッドナイト、セメントスの容体は? 起こせるようなら起こしてくれ。ダメならほかの教師たちの中で誰か別の人を頼む」
「どうしたっていうの? 特に理由がないのなら彼らに無理をさせるべきではないわ」
「そうだな。だが、いま確認せねば悪いことになるような気がするんだ」
長年ヒーローを続けてきた勘のようなものでしかないが、その勘が最警戒を告げている。
「とにかく、誰でもいいから話を聞かねば。嫌な予感がする」
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――――雄英高校 大運動場
ヒーローたちによって包囲され、イレイザー・ヘッドの『抹消』によって個性は使えず、ベストジーニストの『ファイバーマスター』によって身体の動きは制限された。
普通のヴィランならば詰みの状況。
前回の合宿場で戦った際の焼き直しのようなシチュエーション。いや、ヒーローの人数が多い今回はさらに有利と言っていい。
もはや勝利は間違いないと確信するヒーローたちを骸無は嘲笑う。
「ボクの裏をかいて勝ったつもりになっている。滑稽だなァ。全部ボクの想定通りだというのに」
「ハッタリをかますな。もう詰み、終わりだよ、おまえは」
骸無の言葉を戯言だと一蹴するイレイザー・ヘッド。
彼の捕縛布をはじめとした拘束系の個性を持つヒーローたちによってがんじがらめに縛られた状態に、他の攻撃技をもつヒーローたちが必殺技を放つ用意をしている。
完全に骸無を気絶させるには全力で当たるしかないと分かっているからこそ、容赦のない全力攻撃の決断をしたのだ。
「ここまで予想通りだと楽しいな。やっぱり『ハイスペック』ってのはすごい」
ヒーローたちの攻撃を前にして、ひとり呟く骸無。
この期に及んでまでまだ余裕を崩さない骸無からは不気味なプレッシャーを感じさせられた。
何かされる前にとどめを刺す。
ヒーローたちが攻撃を仕掛ける――――その瞬間。
『みんな! 逃げて、そいつは――――』
救助班のマンダレイからテレパスが届く。
しかしそのメッセージが伝えきられる前に骸無は動いていた。
「だいたい、二度も同じ戦法が通用すると思っているのが間違いだよ」
仮面が外れ、地面に触れた瞬間に激しい閃光が発生してヒーローたちの目を焼く。
イレイザー・ヘッドの抹消がなければ拘束など個性を使っていくらでも抜け出せる。
その一瞬で起こした行動目的は、当然厄介な個性を潰すことだ。
「ぐ、あああっ!」
「イレイザー!?」
視界が戻った際に見たのは、地面に組み伏せられ背中を骸無の指から伸びる個性によって突き刺され苦しむイレイザー・ヘッドの姿。
苦悶の表情を見せるイレイザー・ヘッド。
そこに遅れてテレパスの内容が届く。
『人の個性を奪う個性を持っているわ!』
「くっ、それはもう少し早く知りたかったな」
シンリンカムイが苦い表情でつぶやく。
他人の個性を奪う個性など、とてもじゃないが信じられないことだ。
だが、先ほどの骸無の言葉を聞いていた雄英のOBたちには納得できる部分があった。
自分の性能を自慢するような発言。あのときに言っていた『ハイスペック』とは、根津校長の“個性”のことだったのではないか?
その予想を証明するように、続けてテレパスが届く。
『根津校長と、セメントス、パワーローダー、13号。確認できたのはこの4人だけだけど、個性の発動ができなかった。彼らの個性も使える可能性があるわ、気をつけて!』
その報告に全員の表情が凍りつく。
この超常社会で個性が奪われるということがどれだけの恐怖なのか想像に難くない。
だが、その恐怖を乗り越えてこそヒーローだ。
「何を呆けたツラしてんだよ、オメーラ! 早くイレイザー・ヘッドを救けるんだ!!」
呆然としているヒーローたちにプレゼント・マイクが檄を飛ばす。
彼とイレイザー・ヘッドは長い付き合いの友人だ。その友人のピンチを黙ってい見ていられるマイクではない。
彼につられてほかのヒーローたちも骸無へと攻撃を仕掛ける。しかし――――
「うわぁ!」
「ぎゃあっ!!」
飛び出した彼らは骸無の
「ソノ個性ハ!?」
骸無の使った個性を見てエクトプラズムは驚愕に目を見開く。
それもそのはずだ。骸無が使ったのは雄英三年生のトップの成績を誇る、通称“ビッグ3”と呼ばれる生徒の一人、
「彼ヲドウシタ!!」
「なかなかいい個性だったので貰ってしまいました。ああ、もちろん彼の命は無事です。
お友達の、なんて言ったかな? ……たしかルミリオンがやられたらあっさり捕まってくれたので、大した怪我もしてません」
「通形マデ……彼ノ個性マデ奪ッタノカ!!」
生徒を傷つけられ、激昂するエクトプラズムに骸無は残念そうに首を横に振る。
「残念なことに、彼は強くて手加減できなかった。手加減が許されないほどの強いヒーローだった……」
「マサカ、殺シタノカ?」
「ええ、実にもったいなかった。うまく使えば有効で、強力な個性だったのに」
「キ、貴様ッ!! 生徒ノ命ヲ何ダトオモッテイル!」
生徒の命を奪ったことではなく、個性を奪えなかったことを悔やむ姿にエクトプラズムは怒りを爆発させた。
“強制収容ジャイアントバイツ”
巨大な自身の分身で相手を呑み込み拘束するエクトプラズムの必殺技。
だが、それは発動することすらできなかった。
「ナンダト!? コレハイレイザー・ヘッドノ……グアア!」
個性を発動させ、髪を逆立てた骸無の目は赤く光っていた。
同僚の個性を敵に使われた動揺を突かれ、エクトプラズムはねじれた波動の直撃を受けて吹き飛ばされた。
あまりに常識の通用しない個性にヒーローたちに恐怖が伝播していく。
そのうちの一人が耐え切れずに叫ぶ。
「なんだよ、その個性は! 一体なんなんだよぉ!?」
その叫びを受けて、骸無は朗々と芝居がかったしぐさで語りだした。
「この個性は、ボクの心が形になったもの。ヒーローに憧れ、絶望した。個性を羨望して嫉妬に苛まれた心が生んだボクだけの個性だ」
実験という名目で何度も何度もオール・フォー・ワンを受けた緑谷出久の個性は、少しずつ少しずつ変質し、最後は全く別の何かに成り果てた。
“個性を引き受ける個性”から“個性を奪う個性”へと……
“無個性”であったことで苦しんだ緑谷出久の、“個性”を持つ人々への嫉妬の心が形になったかのような個性。
嫉妬に狂った少年の心は、他人の“個性”を喰らって成長する怪物を生み出した。
名付けるならば――――
「
ヒーローの誰かがおもわず呟く。
まさしくその名がふさわしいだろう。
この嫉妬の怪物は、超常社会の天敵。超常社会の闇が生んだ超常を喰らう化物だ。
「さてと。この場に来ているだけあってみーんな良い個性のヒーローばかりだ。残らず全部喰らえばどれだけの力になるのかなァ?」
この場にいるヒーローたちは怪物の餌だった。
獲物を狙う捕食者の目は緑色に爛々と光り、ヒーローたちに狙いを定める。
この運動場は怪物の狩場。ゆえに入り込んだ獲物を逃す理由などない。
「出入り口が!?」
「急にコンクリが動いて……これはセメントスの!?」
「クソッ! 敵にまわるとこんなに厄介な能力だったのか」
退路を断たれ、袋のネズミとなったヒーローたち。
もはや窮鼠となって相手をかみ砕く他に道はなくなった。
たとえ、どれだけ絶望的な相手であったとしても……
骸無とヒーローたちの戦い。
それはまさに悪夢だった。
ベストジーニストが倒れ、プレゼント・マイクが、スナイプが、シンリンカムイが、ギャングオルカが、Mt.レディが、武闘派のヒーローたちが次々と骸無によって打倒され、個性を奪われていく。
ヒーローが一人倒れるたびに骸無の能力が増え、またそれがほかのヒーローたちを苦しめるという悪循環。
先ほどまで仲間のものだった個性が敵の手に渡り、自分へと向けられる状況は否応なくヒーローたちの判断を狂わせていった。
気がつけば立っているのは二人だけ。
骸無とオールマイトだけだ。
「ようやくあなたと二人だけになりました。オールマイト」
「やはり、君はわざと私を残したんだな」
相変わらずトゥルーフォームのままのオールマイト。
骸無はいつでも彼を殺せたのにこうして最後の一人になるまで手を出さなかった。
その理由は当然一つだ。
「もうそろそろ個性が使えるようになっているはずだ。さぁ、変身して戦え。
オールマイトを、“平和の象徴”を、かつての理想を、ボクが打ち砕く!!」
「少年……もうこうするしかないんだな」
拳を突き出す骸無にオールマイトはマッスルフォームとなって応じる。
だが、その表情は悲しみに彩られていた。
これから行うのは全力の一撃同士のぶつかり合いだ。
必殺技の打ち合いは今までも何度もしてきた。
だが、今回は以前とは違う。
次の一撃こそ決着の一撃だと二人とも確信していた。
お互い右手にすべてを集中し、必殺の準備を整える。
一拍、一秒。
タイミングを合わせたように二人は飛び出す。
“United States of SMASH!!”
“Crimson SMASH!!”
最強の技同士がぶつかり合い、一瞬視界を隠す。
立っていたのは、骸無だった。
「これで終わりです。オールマイト。ボクの勝ちだ!」
膝をつくオールマイトに勝利の宣言をする骸無。
オールマイトは、一歩も動くことはできなかった。
「最後に言い残すことはある?」
「言い残すこと、か。伝えたいことはたくさんある。ありすぎて困るが……最後に一つだけ」
「なにか?」
「正義は、負けないぞ。悪党!」
そうやって最後まで不敵に笑うオールマイトの首を――――
「さようなら。オールマイト」
骸無は切り落とした。
“平和の象徴”は敗北した。
ヒーローは敗れた。
骸無は、ヒーローに憧れていた緑谷出久は、こうして“恐怖の象徴”となった。
バッドエンド終了です。
次回エピローグ。
恐怖の象徴エンドとなりました。