彩霧広佐の視線 アクセル・ワールド 作:かいくんtheネクスト
脇腹に突き立てられた槍から伝わる衝撃が、彼――プレイヤーネーム《コウ》――の体を後方へと吹き飛ばした。槍の主であるダンジョンモンスター《ブリザードマン》は誇るように鼻から荒い息を吐く。
しかしゆらりと立ち上がったコウの顔には怒りも焦りもない。ただ呆れたような表情で、目の前の敵に視線を送っている。
古代の遺跡を思わせるダンジョン。その天井は高く、通路は広い。壁には消えかけの模様が描かれ、柱は風化の痕を残しながらも折れることなく立っている。ところどころに置かれた燭台には明かりが灯され、薄暗いダンジョンの中を僅かに照らす頼りない光が揺れる。
今の攻撃でコウのHPバーは2割減少し、残り8割。その事実に、コウは失望していた。
こんなものか。
コウは呟くと、一直線にブリザードマンへと走り出した。
このモンスターは氷のリザードマンで、リザードマン系特有の長いリーチと高攻撃力に併せて氷結属性のブレスでプレイヤーのSPD(敏捷)をダウンさせる厄介なモンスターで、初めて遭遇したプレイヤーの多くが長槍の餌食になるという。
槍のリーチの外から氷のブレスが放たれるときには既に、コウは剣技の入力を終えていた。剣から吹き出した炎が氷と衝突し、打ち消される。その一瞬の間に、槍の間合いまで距離を詰める。
近接戦に対応するべく敵が突き出した槍の先を、コウは右手につけた小さな盾で難なくパリィした。攻撃が弾かれ態勢を崩したブリザードマンに左手の剣を突き刺し、体力を削る。返しの槍も盾でパリィし、剣で刺す。
そこからは一方的な展開だった。弾く、刺す、弾く、刺す、のループであっという間に敵のHPバーは真っ白になり、何度目かのヒットエフェクトが発生したあと、敵の腕がだらりと垂れ下がり、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。すべての体力を奪われたモンスターは無数のポリゴン片を撒き散らしながら消滅していく。
コウは敵の最期には目もくれずアイテムドロップ欄に目を通すと、大きくあくびをした。
「最強格の通常モンスターでさえハメ殺し余裕とかクソゲーかよ」
コウの行った敵の攻撃を防御して即反撃という単純な動きを繰り返す戦法は、相手が学習能力のないNPCであることを突いた戦い方だ。このゲームに出現する被ダメージによりひるみが発生するモンスターの全てにコウは今の戦法を試し、いずれも成功していた。その事実をふまえた上でコウの出した結論が「クソゲー」だった。
なぜそのような抜け道的なプレイスタイルが通用するのかといえば、このVRMMORPGがソロプレイを前提としたゲームではないからだ。プレイヤーはギルドに参加して集団でモンスターの群れを狩ることが推奨されており、群れからはぐれたモンスターを探して一体一で倒していくのは効率が悪い。
今日は3匹のブリザードマンを倒したが、戦いによる疲労よりも、ダンジョン内の群れに見つからないよう身を隠しながらはぐれモンスターを見つける作業の方が、はるかにコウの精神を削っていた。コウはため息をつくとメニュー画面の一番下に配置されたログアウトボタンをタッチした。
目を覚ましてプレイヤーネーム《コウ》こと彩霧広佐
部屋に置かれた時計の針は午前2時を回り、これ以上の夜更かしは翌日の登校に響くという旨のメッセージウインドウが視界の隅に表示される。広佐がまだゲームの世界にいるのではない。彼の首筋の裏に装着された細長い黒色の機器、《ニューロリンカー》と呼ばれるモノが、彼の脳と直接通信し、現実に存在しない文字を彼に見せているのだ。広佐はニューロリンカーを外すと机に放り投げた。それにあわせてメッセージウインドウも消滅する。
夜が明ければ学校に行かなければいけない。広佐は憂鬱だった。しかし何より憂鬱なのは、放課後の楽しみだったVRMMOの中にさえ、彼の居場所がなくなってしまったことだった。二週間前に所属していたギルドを追い出されてから、広佐はゲームを楽しむこともできず、なのにやめることもできないまま惰性でダイブを続けていた。
体は重いしこれ以上やることもないのでニューロリンカーの忠告を素直に受け止めて今日はもう寝てしまおうと広佐は決めた。さっきダイブから目を覚ましたばかりなのにまた眠る。
広佐はVR世界から現実世界へ戻る時いつも、現実の自分がまだ自分のままでいるのか不安な気持ちになる。仮想空間でゲームをしている間に自分の体に大きな異変が起きて脳だけが動いている状態になってしまっていたらと怯えながら、目を覚ましてから自分がまだ生きていることを実感する。とは言っても、ダイブ終了直後は健康な状態でも体がまともに動かないので五体満足であることを確信するに至るのはもう少し先だ。
目を覚まさないかもしれない不安は睡眠から起きるときも同様だ。だからダイブが終わってすぐ寝ると目覚めないリスクが二倍になるのではないか。そんなあまりにバカらしいことをふと考えて、広佐は一人苦笑した。そして疲れがどっと襲ってきて、眠りに落ちた。