彩霧広佐の視線 アクセル・ワールド 作:かいくんtheネクスト
現実世界に戻ってきて最初に感じたのは涼しさ。エアコンの操作権を凛火が持っているのか、室内の温度は26度くらいに保たれている。
広佐が加速するのはこれで二度目だが、加速世界での制限時間三十分は現実世界でのわずか二秒足らずとはいえ、その二秒間のあいだ広佐の中にある意識はコウとなってあちらの世界へと行っているはずだ。ならばそのときの広佐の肉体は空っぽなのか? もしそうならそれは目に見えない「魂」というものが存在する証明なのではないか。はたまた、別に意識はここにあって脳が別のものを見ているだけだからそうでもないのか。
しかし、二秒間そんな状態だったにも関わらず、広佐の体は崩れ落ちるでもなく加速する前の状態のままここに留まっている。昨日立ったまま加速した時も膝をついたりはしていなかったから、広佐の身体機能は変わらず活動を続けていたことになる。加速中、一体どんな仕組みでこの体は命をつないでいたのか。
これが普通のフルダイブ型ゲームであれば、体は眠ったような状態になる。だが眠りの状態を介さないなら、加速世界から現実世界に帰ってきたことを「目覚めた」と表現していいのだろうか。目覚めたわけでないなら、広佐はダイブしたまま目覚めないというあの不安を味わないでいいのだろうか。
『どう、デュエルアバターの感覚、少しはつかめた?』
空想をめぐらす広佐は、凛火の声で我に返る。そうだ、広佐は《グレイ・レコード》という自分のデュエルアバターを手に入れたのだから、早く戦い方を身につけなければならない。凛火からの説明が終わったあと、対戦時間は残り十分ほどしかなかったが、その時間を広佐はグレイ・レコードの身体能力や特殊能力を調べることに費やした。
『うーん、なんとなくは。それでなんだけど、加速するにはポイントが必要で、なくなったら終わりなんだろ?』
『そうだね』
『だったら、グレイ・レコードに慣れるには対戦で経験を積むしかない。けど、経験が足りないまま実戦をしても勝ち目は薄く、負ければポイントがなくなる。これじゃ強くなる前に加速世界からサヨナラになりかねない』
『それはバーストリンカーが誰しも通る道だと思うよ』
『ああ、だからこれから、ポイントを消費せずに経験を積もうと思うんだ』
その方法は昨日大会動画を見て思いついたことだった。新規プレイヤーを増やす気のなさそうなこのゲームのことだ、きっとトレーニングモードなんて親切な機能はついていないだろうとふんでいた。実際、それは正しかったので、広佐が考えた訓練方法が生きることになる。
『凛火さん、昨日この俺がやってるMMORPGをプレイしてみたって言ってたよな。これから付き合ってくれないか』
それを聞いて、凛火は納得したようにうなずいた。
『そういうことか。もちろん大丈夫だよー。ベッドは置いてないからボクの隣に座る?』
そう言って凛火は自分が座っているソファの隣をぽんぽんとたたいたが、広佐はぶんぶんと首を振って断った。誘いは嬉しいが、そこまでしてもらったら流石にバチが当たりそうで怖い。
仮想デスクトップを操作し、その中にある《BWO》と表記されたアプリを選択する。
『凛火さん、落ち合う場所は最初の街からフィールドに出る場所でいい?』
『ノープロブレム、略してNPだよ』
待ち合わせのときの自分のセリフを引用する凛火にコウの口の端から思わず笑みがこぼれる。
『よし、行こう。《リンク・スタート》!』
加速コマンド《バースト・リンク》ではなく通常のフルダイブ型ゲームを開始する際に使用する発生コマンドを使用すると。高い電子音が流れ広佐の視界が一旦真っ暗になる。自らの意識が体と切り離されるのを意識しながら、広佐は今回もまた、ちゃんと目覚めることができますようにと祈った。
そして広佐はまた、コウになる。
「そういえばこの俺のデュエルアバターって《グレイ・レコード》なわけじゃん? だったらレコードの『コー』の部分を取って今まで通り『コウ』って名乗っていいのかな」
再びゲームの世界へと降り立ったコウは、この《ブレイブ・ワールド・オンライン》で凛火と落ち合った。《ブレイブ・ワールド・オンライン》、通称《BWO》こそが、コウが最近ずっと打ち込んでいたゲームにして、二週間前にギルドを脱退した場所でもある。まさかこんな形で訪れることになるとは思っていなかった。
コウと凛火が現在いる場所は最初の街を出たフィールドで、一番初めのマップということもあり見渡す限り草原が広がり、遠くに何匹か猪のような外見をしたモンスターの影がちらほら見えるくらいで、恐ろしい敵や罠の気配はない。
「いいんじゃないかなー。もしかしたら、コウは加速世界でもコウって名乗りたいからレコードって名前のアバターを生み出したのかもね」
深読みのしすぎかもだけど、と笑う凛火の顔グラフィックはやはり現実世界の彼女とほぼ同じだった。昨日の雪だるまヘッドをかぶっていないのは、ここでは顔バレはしないだろうという考えからか。
「ところでさ、コウのその格好、なんかすごいよね」
「そうか?」
コウの体を凛火が指差す。コウの現在の装備は黒いロングコートに黒いTシャツ、黒いズボン、そして黒いブーツというごくありふれた服装だ。おしゃれに気を遣う性格ではまったくないが、それなりに無難かつかっこよくキメているつもりである。
「ロングコートはなんかいぶし銀っていうか、目立ちすぎない程度のワンポイントのつもりだし、性能面でも使いやすんだけどな」
「そんなに黒ずくめだと逆に目立っちゃう気がするよボクは」
服やアーマー系の装備はこのゲームだと色を変えられる仕様になっているが、ファッションセンスのない広佐は基本的に黒に統一している。だが黒ずくめと言われれば、確かにちょっと怪しい人のような感じもする。前のギルドメンバーはこの格好をどう思っていたのだろう。
「ま、いいさ。どうせ装備は変えなきゃいけないんだからな」
コウはアイテム一覧を開き、ロングコートを外してから装備品の中から一つを選択した。体に薄めの赤銅色をしたアーマーが装着される。
「これかな? うーんちょーっと身軽すぎるか」
アーマーを着けたままいくらか走ったり体を動かしてみたがなんとなく違和感がある。今度はぶ厚めの鎧を選んで装備してみる。
「こいつは少し重いな」
それなりの防御力を持つアイテムなりに重量も相応に感じられる。盾役用ゆえにあまり動き回るのには向いていない。少し考え、ロングコートを二重に羽織ってみる。かなり感覚が近い。その後もいくつも布系防具の組み合わせを試し、とうとうこれだ、と思うものを見つける。
「よし、これがまさにグレイ・レコードの体だな!」
コウが思いついた方法は単純といえば単純。グレイ・レコードを対戦でしか動かせないなら、ブレイン・バースト以外のゲームでグレイ・レコードの身体能力を再現し、その動き方を訓練するという練習法だった。もしかすると他にもこの方法を使っているバーストリンカーは存在するかもしれないが、《BWO》ほどアイテムの充実したゲームはめずらしいので、ここまで忠実に再現するのは難しいだろう、とコウは考える。
それから武器もグレイ・レコードの持っていたブレードとほぼ同じ使用感覚の短剣を見つけ、《BWO版グレイ・レコード》が完成した。せっかくなので、カラーリングもそれっぽく黒寄りの灰色にしてみる。
「できたみたいだね。確かにこれなら、ブレイン・バーストでの対戦でなくても練習を積める。ボクはバーストリンカーになるまでこういうアクションゲームとかやったことなかったから、思いつかなかったよ」
「いや、この俺もこれを考えついたのは昨日ある動画を見たからなんだ。ほるみーんってプレイヤー知ってるか? あるいはボリネアスとか。両方アクションゲーマーの名前な」
コウの言ったボリネアスというプレイヤーも、ほるみーんと同じ実力派有名プレイヤーの一角である。ボリネアスに関してコウは小学校高学年のころから彼の動画を参考にしてゲームをプレイしていたこともあり、それなりに思い入れがある。ファンと言ってもいい。ほるみーんと同じく40歳くらいの年齢のはずだ。
凛火は申し訳なさそうに首を横に振った。
「ゴメンね、ゲーム動画とか全然見ないんだ。その二人がこの練習法と関係あるの?」
「ああ、昨日のナイトメアとトリガーの戦いを見てちょっと気になってさ。トリガーの動きがそういう有名プレイヤーとなんか似てると思って理由を考えてみたんだ」
使う武器は違えども彼らはみな、自身の得物や周りの地形を最大限活用し、高い戦闘能力を発揮していた。
「あいつらは多分、頭の作りが変わっちまってるんだ。あいつらの頭は底の底から、戦いに勝つための作りになってるんじゃないかと、この俺は思う」
「戦いのための頭? うーんどうなのかなー」
「スパーク・トリガーのやつはまだ道半ばに見えるけどな。それはそうとして、ほるみーんとボリネアスにはある共通点があったんだよ。それは二人とも、二〇二二年、つまり今から二十年以上前に起こった、あの大規模なゲーム内監禁事件の生き残りだってことだ」
「あ、それ知ってる。ゲームのプレイヤーがゲーム内で死んだら現実でも死んじゃう状態にさせられたままずっとそのゲーム世界に閉じ込められてたってやつだよね」
中学生のコウと凛火は当然その時生まれていないが、その事件は今でもネットで話題にのぼるし教科書にも載っているので、同世代でも知らない人間の方が少ないかもしれない。フルダイブ型システムの初期型マシン《ナーヴギア》を使った初の本格MMORPGが開発者の手によってログアウト不能のデス・ゲームへと変貌し、一万人ものプレイヤーがゲームクリアまでの二年間のあいだ現実世界へと帰ることができなくなった恐ろしい事件。一万人のプレイヤーも二年後に全員無事帰還できたわけではなく、うち四千人以上がゲーム内でのHPがゼロとなり、ナーヴギアから発せられた電気ショックによって命を落としている。
この監禁事件は社会に多大な影響を及ぼし、現在でもフルダイブ型ゲーム反対派が根強く残り続ける一因にもなっている。生き残った四千人弱についてもそのほとんどがフルダイブ型ゲームに二度と手を出さなくなったと聞くが、ほるみーんやボリネアスといった例外を見るに、全ての人間がゲームをやめたわけではなようだ。
「監禁事件の生き残りは、二年間一秒たりとも休むことなくゲームをし続けたんだ。だからきっと、脳が戦いの世界を生き残るために最適化されてるんだろうな。ナイトメアは確かに強かったが、最後の近接戦以外の対応が単調だったな。バーストリンカーになって日が浅いからだろうけど」
「うーん、意識したことはないけど、そう言われるとそうかも。トリガーくんは読みばっかり重視して反応をおろそかにしてたから負けちゃったけどね」
先読みと反射神経、その両方において高いレベルに達するのは難しい。先読みに意識を削げば見えている攻撃も避けられなかったりするし、見てからかわすことを考え神経を張り巡らせていても反応できない攻撃は存在する。その両立を可能にするのは豊富な経験、その先にある「考えずに動けるようになる」ということだ。複雑な行動を感覚的に、考えることなく当たり前にできるように、監禁事件を生き抜いた彼らはまさにそうだった。しかし、コウはまだまだその域には達していない。だからこそ、少しでも早く『戦いのための脳』になれるように、また《グレイ・レコード》を自在に動かせるように、コウはこの《BWO版グレイ・レコード》を作ったのだ。
当然のことなのだが、自分の肉体と仮想世界での身体は別物である。身体能力が違うのはもちろんのこと、《グレイ・レコード》の身長は175センチであり現実のコウより10センチ以上も高い。そのまま対戦を行えば確実に、コウは自分のデュエルアバターの戦闘能力を十分に発揮できないだろう。二年間仮想世界の身体と向き合い続けた彼らは、ゲーム内での仮の姿をまるで生まれてからずっとそれで生活し続けてきたとでも言うように自在に操り、レーザーブレードの刀身を飛来する銃弾に当てて蒸発させるといった驚異的な動きを見せていた。
「あ、棒で弾をはじくのならボクも加速世界でやったことあるよ」
凛火が涼しい顔でとんでもないことを言い、コウは背筋が冷たくなった。