彩霧広佐の視線 アクセル・ワールド 作:かいくんtheネクスト
現実世界に戻った瞬間、口の中に激しい熱さを感じた。口元を両手で覆い、思わず叫ぶ。
「辛っ!?」
ついさっきまで仮想の体についていた傷は全てなくなり、同時に痛みも消滅したが、この舌の痛みは|現実《ホンモノ)だ。舌を燃やす辛さに悶えながら顔を上げると、目の前の凛火と目が合った。
凛火は不思議そうな目で広佐を見つめている。広佐の額から辛さによる汗と冷や汗が同時に吹き出した。対戦に夢中になっていたので忘れていたが、食事が終わった直後だった。
無言のまま二人は数秒間見つめ合う。凛火の深い水色の瞳に疑うような色はなく、ただ広佐の行動が理解できないといった様子だ。
「……か、からくも勝利できたなー、って」
辛い食べ物が苦手なんてカッコ悪いことは言えないので、慌てて軌道修正をする。幸い、凛火はそれで納得したようだった。すぐに笑顔へ変わる。
「綾霧、初勝利おめでとう」
目を細め、包みこむような優しい笑顔で凛火は言った。そこで改めて、自分は勝ったのだ、と広佐は自覚した。じわじわと心地よい勝利の余韻が胸の中に広がる。
対人戦、特に強敵に辛勝したときの達成感は何度経験しても飽きない。大きな壁を乗り越え、自分がより強くなれたように感じる。ゲームにおける人間相手の対戦は敷居が高いと敬遠するエンジョイ派の意見もわかるが、もったいないと思う。
「キミに勝ってほしいとまでは思ってなかった。このゲームがどんなものなのかをなんとなく感じてくれたらそれでよかったんだ。キミに期待してなかったわけじゃない、最初から勝てなんて無茶を言って追い込みたくなかったから」
彼女の目の彩りは確かに日本人離れしているがしかし、黒目と瞳孔が大きく、全体として黒っぽい落ち着いた色合いをたもっているため、日本人と比べても意外に違和感がない。
外国人の瞳というのは全体が大きいわりに黒目の部分が少なく白目がちで、さらに明るい虹彩と暗い瞳孔のギャップが激しく、瞳孔の色が浮いてしまうので、目つきの悪い印象を受けることが多い。反対に凛火の目は大きく、水色の虹彩を持っているものの、それ以外は日本人のそれと似ているおかげで相手に優しい印象を与える。凛火の瞳と笑顔を見た者は彼女に対し決して敵意を抱くことができないだろう、と広佐は確信した。
「だけどボクの予想を超えた。キミは誰の助けも借りずに自分にとっての『燃料』を見つけ、勝利をつかんだ」
「燃料?」
「そう、『燃料』。エナジーと言い換えてもいい。信念と似てるけどちょっと違う」
少し固い話になるけど、と前置きをし、グラスに入った水を一口飲んでから凛火は続けた。
「このゲームで賭けるものは、他のゲームより重い。他のプレイヤーとポイントを奪い合い、全部なくなれば強制アンインストールの上記憶消去だ。おまけに対戦には痛みがともなう。だからこそ、『ゲームを楽しみたい』とか『どうせなら夢はでっかく持ちたい』みたいに中途半端な気持ちじゃ続けられないんだ。もちろん、ゲームが好きなのも目標が大きいのも大事だけどね」
広佐が聞いたことのあるゲームを含めても、不正ツール使用以外で強制アンインストールされるゲームなど聞いたことがない。確かにブレイン・バーストというゲームの仕様はなかなか理不尽だと言える。
「バーストリンカーとして上を目指していく中で、これからキミはいくつもの壁にぶつかることになる。キミの脳も体も前に進むことを拒んだとき、何がキミの足を動かす? その問いへの答えが、キミの『燃料』になる」
「……つまり、心の底からの強い思いが必要ってことか」
「そーゆーこと。本当はこれから時間をかけて彩霧の『燃料』を探そうと思ってたんだけど、どうやらボクはキミを見くびってたみたいだ」
そんなことはない、と広佐は心の中で言った。凛火の言葉をもらうまでは広佐はあの対戦を諦めかけていた。広佐が立ち上がれたのは決して自分ひとりの力ではない。
「それになんと! あの短時間で話術まで戦術に組み込めるようになるなんて!」
「あ、あれは話術ってほどじゃなくて……たまたまうまくいってってくらいで……」
「『無駄口を叩く暇があったらかかってこい』と相手を挑発して攻撃を誘い、ヒットアンドアウェイがしやすい状況を作って優位に立つ。さらに最後の必殺技を打つ前に『この俺がお前の攻撃をくぐり抜けられるか、お前がこの俺を捕まえられるかが勝負』と言って相手の思考の幅を制限した上であえて正面から突っ込み、最適な行動をとらせないようにする。単純だけどああいう切羽詰まった状況だと有効だ」
本当のところ、成功するかの確信はなかった。相手の大振りで対処しやすい攻撃を回避してこちらの攻撃を当てる戦法を見せた以上、相手は攻めることをやめてカウンター主体で来るだろうということは予想していた。相手に「待ち」を選択されると、パワーで劣る広佐に勝ち目はない。
だが広佐には切り札があった。《グレイ・アンブレイカブル》である。通常の攻撃より大きいダメージを与えることができ、カウンターをもらうことなく倒しきれる可能性のある隠し玉。ただしこの切り札も絶対ではない。スパイラルが防御を捨て、両腕を使って攻撃してきたら、あのとき右腕の回転能力が復活していたかは定かでないが、復活していなかったとしても右腕で普通のパンチを放っていれば、先に広佐の体力がゼロになっていた。そうでなくとも、必殺技を回避されれば広佐にもう打つ手はなかった。
あのとき、相手が冷静に広佐の動きを分析し、広佐が正面突破を狙っていると直前で知られたなら、勝つ見込みはより小さくなっていただろう。だから、広佐は自分がこのまま搦め手から攻撃し続けるかのようによそおい、相手に狙いを悟らせまいとしたのだ。
「――いや、それにしてもマジでキツかった。対戦のたびにこれなら神経が燃え尽きるなこれ」
このゲームに少し触れてわかったのが、アバターごとの性質が本当に多種多様だということだ。バーストリンカーごとにデュエルアバターが用意され、それぞれに異なった性質を持っているなら、覚えるべきアバターの性能は膨大な量になるし、戦い方が毎回まったく違ってくる。
ここまで様々なリーチ、戦法、能力、が存在するさながら異種格闘のようなゲームなだけに、勝つためには頭をフル回転させなければならない。仮想空間で長時間動くと現実の体が動かなくなる広佐だが、今は精神的にもかなり疲労していた。この調子だと一日に対戦できるのは気分がノっているときで五回といったところだ。
「そのうち慣れるよ。それより心配なのは、キミの《グレイ・レコード》が隠し持ってるはずの特殊能力だ」
「あー、まだこの俺の分身には強いスキルだかアビリティが眠ってるはず、って話だったっけ」
《グレイ・レコード》には目立った特長がなく、まだ広佐が自分のデュエルアバターのことを理解できていないため、性能を十分に引き出せていない、ということだったはずだ。その状態でも勝てたということは、完全体の《グレイ・レコード》には一体どれほどの力があるのだろう、と考えて広佐はワクワクしてきた。この俺のデュエルアバターは大当たりだ。バランス崩壊レベルのチートキャラに違いない。
「最初に話しとかないといけないのは、『同レベル同ポテンシャルの法則』っていう、このゲームの鉄則らしき何かのことだね。どのデュエルアバターもレベルが同じなら、その性能はまったく同じ、と言われてるんだ」
「へー、嘘くさ。そりゃ運営側としてはそういうことにしたいんだろうけど、実際問題キャラごとの強さの差が全くないゲームなんてあるわけないし」
様々なゲームを経験してきて実感したことがある。それは「真にバランスのいいゲームなど存在しない」ということだ。何体ものキャラクターが登場するゲームでキャラ間の格差が生じてしまうのは仕方のないことなのだ。
電子ゲーム登場の初期から業界シェアトップの座を現在まで維持し、ゲーム作りに対して強いプライドを持っているゲーム会社の作品ですら、広佐からすれば「そこそこバランスがいい」レベルであり、ましてや他のメーカーのゲームなど目も当てられないものが多い。バグ技、無限コンボ、作り手によるえこひいきなどによって、ゲームバランスなどあっという間に崩れ去る。
《ブレイン・バースト》のデュエルアバターはすべて一品モノ、オンリーワン、オーダーメイドであり、恐ろしい数のアバターが用意されている。それらをひとまとめに同じ強さだと素直に信じられるほど、広佐はおめでたい人間ではない。
「うん、ボクも全く同じだとは思ってない。というのも、《グレイ・レコード》のようにアバターの本当の力が隠されている場合が相当多いからだ」
「この俺以外にもそういうピンチで覚醒するタイプのやつが?」
「自分のこと隅々まで把握している人間が少ないように、自分のデュエルアバターを完全に理解し、十全に力を使えているバーストリンカーは驚くほど少ない。さっき説明した《純色の七王》たちは自分の核となる部分があまりに単純だったから、デュエルアバターの能力もわかりやすくて最初から完全に力が解放されていた。彼らが圧倒的な強さでレベル9に上り詰めたのはそういうカラクリなのさ」
まあ隠された力を全員が発揮できてたとして、みんな同じポテンシャルだなんて思わないけどねー、と凛火は付け足した。
「今のままでも、彩霧はレベル2にはなれるだろう。けどそこから先に進めない。レベル3になれるのは、アバターの潜在能力をたくさん引き出せた人だけだ」
それを聞くと、バーストリンカーの層の厚さを実感する。自分と真剣に向き合い、壁を越えてようやくレベル9に至る道のようやく入口に立てるくらいなのだ。高レベルのプレイヤーは想像を絶する努力を積み重ねてきたのだろう。
「早く強くならなきゃな……その隠れた力を引き出すって、具体的になんか修行とかが必要なのか?」
「うんうん、自分と向き合うなんて言ってもどうしていいかわからないよね。ちょっと昔話をしてあげよう。あるところに駆け出しのバーストリンカーがおりました」
いきなりおとぎ話風の語りが始まり、広佐は目を丸くした。先例から学べということだろう。
「その男の子はコンプレックスの塊のような子だったけど、ある日彼をバーストリンカーにした先輩、つまりこのゲームで言う《親》だね、が事故にあって動けなくなってしまい、彼女を守ろうと固く決意しました」
「はは、まるでマンガの主人公だ」
「しかし彼の《親》である先輩を倒そうとやってきたのは、なんと彼の幼馴染の親友だったんだ!」
なんつーベタな展開! とツッコもうとしてやめた。これが凛火の作り話である可能性も否めない。
「彼は親友のイケメンくんに追い詰められるんだけど、土壇場で先輩のいる場所まで飛びたいという思いがすごいアビリティを生んで大逆転したんだよね。事実は小説よりも奇なりだねー」
「それ、実話?」
凛火が首を縦に振る。広佐は肩を落とした。
「そんなマンガやアニメみたいなこと、この俺にはないだろうなー。幼馴染いないし」
小学校の頃に親しかった人間とは一人も交流が続いていないし、中学でも友達と呼べるのは凛火だけだ。そんなにオイシイ状況になって都合よく覚醒イベント、なんてなるはずがない。
「ボクが言いたいのは、困難は人を成長させるってこと。彩霧がさっきの試合で途中から急に強くなったみたいに、自分に近い実力の相手と対戦を重ねることで見えてくるものがあると思うんだ。そりゃシルバー、じゃなくてマンガの主人公みたいな彼のように劇的な変化は無理だとしても、小さな困難を繰り返していけばきっと自分が見えてくるはずだよ」
自分探し、か、と広佐は心の中でつぶやいた。好きな言葉ではないが、このゲームが広佐にそれを要求するならやるしかないか。
凛火が視界の隅の時刻表示らしき場所を見たので広佐も時間を確認すると、店に入ってから一時間以上経っていた。思いがけず長話をしていたようだ。
「長くなったね。さ、そろそろ出よっか。初勝利祝いに、ボクがおごろう」
「よっしゃあ! ありがとうございますっ!」
広佐はガッツポーズをした。もちろん自分の中の一般常識は女の子にオゴってもらうなんて男としてどうなのーとか、好きな人の前でくらいカッコつけろよと、広佐の心をちくちく刺してくるのだが、あいにく広佐は、男性が女性におごるのは当然という風習が嫌いだった。
凛火が二人分の料金を支払うと、席を立った。広佐も急いで水を飲み干し、木でできたテーブルに両手をついて立ち上がる。なんとか普通に立てたな、と思いながら凛火の後ろについて店を出ていく。
今日はこれで終わりか、と凛火と別れることを少し寂しく思っていた広佐だが、広佐の方を振り返った凛火の発した言葉で驚愕することになる。
「ね、近くに新しい洋服屋さんができたみたいなんだよね。一緒に行かない?」
えぇ!? と広佐は裏声を上げて跳び上がった。凛火がまだ自分と、しかもブレイン・バーストに無関係な場所に行こうとしていることは完全に予想外だった。
広佐の反応を見た凛火は気まずそうな表情になる。
「もしかして彩霧、服とか興味ない?」
広佐は全力で首を横に振って否定した。本当のところ、広佐はファッションに一切関心がなかったし、Tシャツに半ズボンというまるで女の子らしくない凛火の恰好からして、彼女も服装にはこだわらないタイプだと思っていた。だが凛火を困らせるわけには行かない。
「――そっか、ありがとね」
凛火の返答は微妙に間が空いていた。もしかして気を使わせたか? と広佐は考えたが、クーラーのきいた場所から一歩外へ出た瞬間の、別世界のような蒸し暑さに思考は溶かされた。
雑踏の中、前を歩く凛火を見失わないように注意して歩く。道の脇には服屋を中心とした店が所狭しと立ち並んでいる。太陽の光を受け明るく輝く彼女の金髪を見ながら、これってまさかデートというやつなのでは、とぼんやり思った。