彩霧広佐の視線 アクセル・ワールド 作:かいくんtheネクスト
――凛火さん、消えちゃった!?
少しの間ぽかんと口を開け、凛火が消えた場所を見つめ続ける。
はっと我に返り、どこかに凛火がいないか辺りを見渡して探すが、彼女の姿はどこにも見当たらない。
もしやネット接続を切れて強制ログアウトしたのでは、と考えるが、視界に浮かぶクリスタル・ユートピアの名前と体力表記が消えたりはしていない。ブレイン・バーストで対戦中に切断したときに何が起きるかはわからないが、ゲームシステム上になんらかの変化はない。凛火が自分で切断したともコウには到底思えなかった。
異変は、そのすぐ後に起きた。
周囲を警戒していたフロスト・ホーンの腕が、その肩に近い場所の一部がえぐりとられるように砕けたのだ。ピキン、と澄んだ音と一緒に、ホーンの体力が少し減る。傷口から細かい破片が、きらきらと光を反射させながら落ちていった。
「なっ、なんだ!?」
突然のことに、コウは驚いて言った。ホーンは腕を水平になぎ払い、首を横に振ってうめいた。
「くっ……! これが! 噂に聞く! 《不可視の理想郷》クリスタル・ユートピアかーっ!」
「不可視、つまり見えないだけで、クリスさんはいるのか……!」
今のは凛火による攻撃であり、つまり彼女はどこかに行ったわけではなかった。それがわかって、コウはほっとした。同時に、凛火を信じ切らなかった自分を恥じた。
「へー、そんな大層な肩書きがついてたんだ。嬉しいな、ボクも有名になったんだって感じるよ」
暗がりの中から、凛火の声がした。魔都ステージでサーチライトの当たらない場所は暗い。あの暗闇の中に、凛火が潜んでいる。
不可視の、という名前からクリスタル・ユートピアは透明になる能力があるのだと思っていたが、こうして見えない場所に潜むということは、ひょっとしてスピードが速すぎて目で追えないのかもしれない。どっちにしろ強力な特殊能力だ。
「そこかーっ!」
フロスト・ホーンが雄叫びを上げて暗がりに突進するが、凛火のHPバーは微動だにせず、代わりにホーンの腕の一部が砕けた。
「なっ、なにぃ!?」
ホーンが驚愕に顔を歪める。どこだ! とホーンが腕を振り回すと、今度は太腿をえぐり取られた。
「すげぇ……これがレベル8の力……」
次元が違う。レベル4のトルマリン・シェルですら、コウより圧倒的に強い。そのシェルより上のレベル5が、手玉に取られているのだ。コウの想像も及ばない場所に、凛火はいるというのか。
そう考えている今でも、ホーンのあちこちに浅い溝のような傷が生まれ、ガラスが割れるような音を立てて体の破片が飛び散っていく。
「ふふ、触れるものなら触ってごらん?」
今度は建物の影から凛火の声がする。相手がどんな見た目をしているのかすらわからないことは相手にとって相当心理的な圧迫があるだろう。
「クソ、ホーンくんだけじゃ荷が重すぎる!」
そう叫んだトルマリン・シェルはすでにフロスト・ホーンの元へと走り出していた。
手にはコウが刺したギャラクシウム・ブレードを握り締めて。
「あっ、それこの俺のだぞ! 返せ!」
コウも遅れて、シェルの後を追う。これで対戦者の四人全員が一箇所に集まることになる。凛火の言ったとおりだった。最初から凛火がクリスタル・ユートピアとして本気で戦っていたらホーンとシェルのどちらが彼女と戦い、コウは見向きもされなかっただろう。本気のシェルに片手間であしらわれていたに違いない。さっきの戦いでは、それほどの実力差があった。
早くもフロスト・ホーンの体力は七割を切っていた。攻撃を受けるたび、ホーンも凛火がいると思われる場所に反撃しているのだが、凛火がそれに捕まる気配はない。凛火の体力は満タンのまま、ホーンの方だけが傷を増やしていく。
「ぐううぅ! 見えねえ! どこにいやがる!」
「ホーンくん!」
コウより早くホーンのところに辿り着いたシェルが相棒に呼びかけた。それが何かの合図だったのか、フロスト・ホーンも顔を上げ、シェルを見て頷く。
「おう! 行くぜトリー! 《フロステッド・サークル》!!」
気合のこもった技名発音。凛火から攻撃を受けることで溜まっていたホーンの必殺技ゲージがごっそりなくなった。フロスト・ホーンの角を中心に光の輪が拡散し、辺り一帯を通過していく。光の輪はコウの体にも当たったが、ダメージを受けた様子はない。というかこんな回避のしようがない範囲、速度で輪が広がってダメージを与えられるなどという理不尽な技があるとは思いたくない。
だが変化はあった。輪が通り過ぎたあと、地面や建物の表面がだんだん白くなっていき、空気中には白い粒子のようなものが舞う。
雪が降っているようにも見えるが、少し違う。下からせり上がってくるような感じ。
「なんだこれ、寒い……」
コウは肌寒さを感じた。周囲の気温が下がっていくのがわかる。自分の手を見ると、うっすらと霜が降りている。
「そうか、クリスさんがフロストは霜の意味だってクリスさんが言ってたな」
必殺技《フロステッド・サークル》はフィールドを冷やし、霜で覆う技のようだ。全身が圧力をかけられるように少しずつ重くなっていくのを感じる。
霜の重みで動きを鈍らせ、さらに寒さで体がかじかんでうまく動けなくなる、というのがフロステッド・サークルの効果だろう。逃れる手段がなく、相手を強制的に自分の土俵に引き込んでしまうなかなか厄介な技だ。
しかし、こんなフィールド全体に干渉するような技、使えばトルマリン・シェルの戦力もダウンしてしまうのではないか、とコウは思った。
そのとき不意に、パチパチと線香花火のような音がした。音がした方にはトルマリン・シェルがいる。シェルの姿を目にしたとき、自分の考えの至らなさに気づいた。
「キタキタキターッ!! 全、身、バチバチだああああああぁ!!」
シェルの体は電気に包まれていた。シェルの体に霜が浮かぶ度、霜に触れた部分から電気が発生し、その熱で霜を溶かしているのだ。フロステッド・サークルの悪影響を受けないどころか、全身から絶えず電気が生み出されることで、トルマリン・シェルは普段よりも強くなる。
この帯電状態ではシェルの攻撃はすべてスタン属性になっていると予測できるし、こちらから攻撃を仕掛けても逆に感電して手痛い反撃を受ける可能性すらある。近接型にとってはまさに天敵。シェルとホーンのタッグに挑む相手が二人とも近接タイプなら、まずはホーンを倒してフロステッド・サークルを解除させなければ勝目はないだろう。
「これは、一本とられたかな?」
何もない空間から凛火の声がした。
――いや、何かある?
コウはその場所に違和感を覚え、よく目を凝らした。声のした場所に、その空中に不自然に霜が浮いている。その霜が広がり、だんだん人の形を浮かび上がらせて行っているようにも見える。
「ビンゴォー! トリックは超スピードじゃなく! 透明化だァ!!」
フロスト・ホーンが必殺技を放ったもう一つのねらいがこれだったのだ。遅まきながらコウは知った。凛火の姿が見えない理由として考えられるのが超スピードか透明だからか。透明であるなら霜がつけば輪郭が浮かび、超スピードなら霜の重さで動きが鈍る。どちらにせよ、見えなかった凛火をあぶりだすことができる。
何もないはずの空間に人の形を示すように霜がついた。つまり、凛火は体を透明化させていたということであり、あれが《クリスタル・ユートピア》の正体だということだ。
そして、凛火の姿が見えたということは、もはや透明化が封じられてしまったことを意味していた。相手が見えない、正体がわからないという不安感を与えることももはやできない。
これはかなりまずい状況だ、とコウは焦りを感じた。凛火は身を隠せなくなり、フロスト・ホーンはおそらく霜の影響を受けず、トルマリン・シェルはパワーアップ状態。そしてコウはボロボロで得物も奪われてほとんど戦力にならない。これではまともな戦いにすらならないのではないか。
「タネが割れりゃなんてことはねえ! 一気に押しつぶすぜ! トリー!」
「がってん承知だよホーンくうぅぅぅぅん!!」
二人がそろって凛火へと突撃を始めたので、コウは慌てて走り出した。凛火に二人とも任せるわけにはいかない。せめてどちらか一方の足止めだけでも。
わずかな逡巡ののち、コウはフロスト・ホーンにターゲットを絞った。悔しいが打撃しか攻撃手段のないコウでは今のトルマリン・シェル相手に粘ることはできないだろうと考えたからだ。凛火が遠距離攻撃技を持っている可能性に賭け、ここはホーンと戦うことにする。
霜で体が重くなってきてはいるが、まだ生身の人間より身体能力は上だ。フロスト・ホーンに横から近づき、頭に飛びついた。
「うおっ!? 前が! 見えねえ!」
ホーンの肩に飛び乗り、肩車をされているようなかっこうになって、ホーンにしがみつく。頭にしがみついた腕が、ホーンの視界を塞いでいた。
ホーンがコウを振り払おうと、闇雲に体を動かす。コウも離すまいとしていたが、体格の差は埋められず数秒で体が空中に投げ出されてしまった。
だがまだ諦めない。コウは着地時に柔道の授業で習った後ろ受身の要領で平手で地面を叩き、衝撃を和らげる。ホーンはコウを無視して、すでに凛火と戦闘を始めたシェルに加勢しようとしていた。そこに追いすがり、ホーンの背中に飛び蹴りを食らわせる。
「邪魔だぜ! お前!」
飛び蹴りによるダメージは微量だったが、フロスト・ホーンの注意を引くことには成功したようだ。即座にバックステップで距離を離し、反撃をもらわないようにする。
勝とうとする必要はない。逃げれば追い、追われれば逃げる。これでひたすら相手を引きつけ、凛火がシェルを撃破するまで時間を稼ぐ。
「邪魔だと思うならこんな死にかけの初心者、さっさと蹴散らしてみろ!」
コウの言葉に、ホーンは露骨に反応した。
「お前! 新人のわりにガッツあるな! よぉし! 相手をしてやる!」
そう言うと、ホーンは雄叫びを上げ、コウにタックルを仕掛けてきた。恵体を生かした突進は普通に回避しようとしてもできるものではない。体のどこかが引っかかりダメージを受けかねない。フロステッド・サークルのせいで重くなった体がどこまで言うことを聞くかも未知数だ。
だからこそ、コウは踏み込む。腰を深く沈め、突進するフロスト・ホーンを迎え撃つためにこちらからも距離を詰める。
両者の距離が迫ってくるにつれ、ホーンの巨体が大きなプレッシャーを伴ってコウに近づいてくる。かすっただけで吹っ飛ばされそうな迫力があった。
ホーンは頭を下げ、大きなツノを突き出す体勢で走ってくる。あれでコウを串刺しにするつもりなのか。だがあれでは前方は見えにくいはずだ。とっさのことには反応が遅れるかもしれない。
――い、まだ!
ツノの先端が近づき、あと三歩で届くというところで、コウは思いっきり身をかがめた。頭上すれすれをホーンのツノがかすめ、同時にコウが拳を握りしめ、叫ぶ。
「《グレイ・アンブレイカブル》!!」
フロスト・ホーンの胴体に、灰色の光を放つ拳が打ち込まれた。
コウのギャラクシウム・ブレードは今、トルマリン・シェルに奪われているため手元にない。しかし、グレイ・アンブレイカブルはブレードがなければ使えない技ではなかった。ブレードを持っていない場合には、二連パンチへと技が変化する。このパンチはブレードによる十字斬りよりリーチ、ダメージ量に劣るが、発生の早さと後隙の少なさにおいて勝っていた。
一発目の右手によるパンチが胴体に入り、派手な激突エフェクトと音が上がる。コウの腕にも体を震わすほどの衝撃が走った。与えたダメージは少なかったようだが、ホーンの突進の勢いを相殺することには成功した。
そして二発目の左のパンチが放たれる。拳はホーンの腹部にヒットした。ホーンが苦しそうな声を上げて数歩後ずさる。
深追いはせず、コウも後ろへ下がった。今ので必殺技ゲージは使い切った。次の攻撃への対策を考えなければいけない。あと何秒もたせることができるだろう。
「やるな! だが! こいつぁどうよ! ふぅん!」
掛け声と共に、ホーンが地面を踏み鳴らす。再び突進が来るかと身構えたが、すぐにホーンの踏み鳴らした足からコウに向かって、地面が凍っていっていることに気が付く。
やば、と思って横に跳ぼうとするも、全身に回った霜と寒さによる体の硬直がコウの動きを遅くさせた。回避が間に合わず、掃除機をかけたときのようにまっすぐ直線に進んでいく凍結の道がコウの足元に達したとき、氷は片足をすっぽり包みこみ、コウを地面に縫い付けた。
氷を砕いて脱出しようと足元の氷を叩くが、分厚い氷にはヒビすら入らない。
「捕まえたぜ! これで! 終わりだ!」
ホーンがズシンズシン、と地響きを立てて走り出す。足を凍らされたコウに回避の選択肢はなく、必殺技ゲージが尽きている以上ホーンを押し返す手段もない。体力はもう一割しか残っておらず、このタックルを受ければ確実に終わる。
ここから挽回する手段は、コウには考えつかなかった。
――たったこれしかできないのか。
コウはうなだれた。稼げたのはほんの数十秒だけ。足止めすらできなかった無力感が湧き上がってくる。ここでコウが脱落したら凛火は二人を同時に相手しなければならなくなる。勝てるわけがない。コウのせいで、彼女に迷惑をかけてしまう。コウは心の中で、凛火に詫び、攻撃が来るのを待った。
バキィ! と、何かが砕ける音がした。同時に、地響きが止む。終わったか、とコウは思ったが、攻撃を受けた感触がない。今のはコウの体が砕ける音ではなかったということか。
おそるおそる顔を上げる。コウの目の前で、ホーンは動きを止めていた。彼の腹部から、霜に覆われた腕が生えている。
「バ、バカなぁ! は、早すぎる!」
いや、後ろから伸びた腕が、ホーンを貫いていた。
「もー、ボクが二人とも倒すって言ったのに。キミは真面目なんだから」
「あ――――――――――」
聞き覚えのある、中性的な声とボーイッシュな口調。腕のまだ霜が降りていない部分は透明。コウの口から声にならない声が漏れる。
「でも、コウの一生懸命なとこ、ボクは好きだな」
ホーンの後ろから、ひょこっと凛火が顔を出した。