彩霧広佐の視線 アクセル・ワールド 作:かいくんtheネクスト
正直なところ、「体育館裏に来て」と言われただけで「待ってる」とは言われていないし、もしかすると凛火はそこに来なくて、代わりに屈強なスーツの男とかが待っている可能性も考えていた。だけど凛火はちゃんと待っていてくれていて、広佐は自分の浅はかさを恥じた。さっきまで心臓のペースが10割増なことに加えて視線が定まらなかったが、体育館の壁にもたれかかり顔を伏せて首筋のニューロリンカーをリズムよくタップする凛火の姿を認めたとき、視界のぼやけは収まったが胸の高鳴りはもう20%上乗せされた。気を抜けば体のバランスを崩してしまいそうなくらいの動揺を隠そうとして一歩一歩地面を踏みしめるが、顔の火照りは暑さのせいとごまかせるだろうか。
広佐が近づくと、凛火は彼が来るのをわかっていたかのように、ゆっくりと壁から背を離し、広佐の前に立った。その顔色は赤でも青でもなく、いつも通りの白っぽい肌色。だけどその表情は真剣そのものだった。広佐の前で初めて見せる笑顔以外の顔に、広佐も思わず背筋を伸ばした。
「や、来てくれたんだ、ありがとね」
言い方は軽いが、声のトーンは普段より低い。どんな言葉が彼女の口から出ようと動揺しまいと、広佐は覚悟を決めた。
「今日キミを呼んだのは、キミに聞きたいことがあったからだ。これからボクが言うことに、どうか驚かないでほしい」
広佐は力強くうなずく。返答を聞いた凛火はそこでいたずらっぽく笑って、
「ボクの復讐に手を貸してくれない?」
と言った。
「――え?」
これにはさすがに広佐もあっけにとられた。まず、告白でなかったことに驚いた。内容に面食らったのはその一瞬後である。
「復讐と言ったって犯罪するわけじゃないよ。あるゲームで、仕返ししたい相手がいるんだ。その手伝いをしてくれないかなー、って」
凛火の復讐がゲームでのことだと聞いて広佐は少し安心した。同時に、自分が呼ばれた理由も腑に落ちる。
「彩霧、言ってたよね。自分の大好きだったゲームのギルドから追い出されてこれからどうすればいいかわからないって。」
いきなり自分の話題が出たせいで、広佐は答えに迷った。
「そ、そうだけど」
「ボクの提案に乗ってくれるなら、キミに新しい世界を見せてあげる。キミがボクと肩を並べられるまで、ボクがサポートするよ。そのかわり、キミが立派に成長したあかつきには、ボクに協力してほしいんだ」
それを聞いて、広佐はわけがわからなくなった。新しい世界? 成長するまで面倒を見る? 凛火はただあるプレイヤーに仕返しをしたいが、その人に勝てないので広佐の助けを求めているのではないのか。
「ボクの目的はボクだけじゃちょっと重すぎるんだよね。だから仲間を集めてるんだ」
ボクもそれなりにハマって結構腕を上げたつもりなんだけどねー、と凛火は付け足した。どうやら凛火が仕返ししたい相手とはかなりの手練れであることが伺える。ゲームうまいやつはクズが多いからな、と広佐は心の中でつぶやく。
「彩霧がやってるって言ってたVRゲーム、ボクもやってみたんだよねー」
「あ、あれをプレイしたのか!? なんで?」
「不思議だったんだ。なぜキミがギルドを失ってもあそこにダイブし続けるのか。プレイしてみてわかったよ。キミは、心からあのゲームが好きだったんでしょ?」
――この人には敵わない。
図星だった。広佐にとってあのゲームは、今まで体験してきたゲームのどれよりも面白かった。どれよりも完成されたゲームだと思っていた。ソロプレイヤーになるまでは。
だから一人になった後も諦めきれなかった。
「ボクがキミに見せる景色は、きっとキミの未練を断ち切ってくれる。キミは新しいゲームの、そして人間の可能性を見ることになるんだ」
「人間の、可能性だって?」
話が途方もなく大きくなってきた。凛火の言うゲームとはどれほどの先端技術と労働力を使って作られているものなのだろう。
ただ実際のところ、凛火の提案を飲むか飲まないかの判断に限れば、ゲームの内容などどうでもいいことだった。彼女の話に乗れば、広佐と凛火の関係は単なる話相手からゲーム仲間にまでグレードアップする。恋人になれるかもしれないという淡い期待は消えたが、凛火と会って話していられる時間が増えるというだけで、十分すぎるほどに十分だった。
「その話、受けたぜ。この俺の力、凛火さんに貸すよ」
広佐の答えを聞いた凛火は嬉しそうに笑う。
「ほんと? ありがとう、キミならそう言ってくれるって信じてたよ」
凛火は広佐の手を掴むと、両手で優しく包み込んだ。広佐の心臓が大きく跳ねる。
「じゃ、これからよろしくだね、彩霧」
そう言って凛火が手を放すと、広佐の掌の中には白いケーブルの端が置かれていた。もう一方の端は凛火が握っている。ケーブルを見た広佐が息をのむ。
その正体は直結用ケーブル。二人が装着しているニューロリンカー同士を有線で直接接続させるためのアイテムだ。これを接続している間はお互いのニューロリンカーに備わっている全てのセキュリティが取り払われ、相手の端末情報を自由に閲覧、編集することができる。一人に一台しか所持を許されていないニューロリンカーの中身を相手にさらけ出すのだから、それを行う相手はよほど親しい相手、家族や恋人などに限られる。公共の場で直結ケーブルを繋いでいる男女の99%までが恋人同士あるいはすでに婚約していると言われ、同性で直結していれば噂が立つ。直結とは、それほど社会的に重大な意味のある行為なのだ。
「このゲームはネットからダウンロードはできない。持っている人が直接相手にデータをインストールするしかないんだ」
なるほど、それで直結か。しかしプレイヤーが相手に面と向かって、しかも直結までして受け渡しをしなければいけないとは、なんて面倒なダウンロード方法だ。そんなシステムにしたらプレイヤーがなかなか増えないのではなかろうか。いやもしかしたらヘタにプレイ人口を増やさないことでプレイヤーの層を絞るねらいがあるのかもしれない。
なにはともあれ、直結ケーブルをニューロリンカーに接続しなければいけないわけだが、人生初の直結、しかも片想いの女の子と、という事実が、広佐を緊張の極致におとしいれていた。直結をする上でニューロリンカーには大きな欠点がある。すなわち、首筋の裏に装着されている自分のそれを、当然のことながら自分で見ることができない、という点だ。そうすると必然、ケーブル接続口も見えない、結果的にケーブルを差すのに苦労することになる。もちろん、ニューロリンカーを外してしまえばいいだけの話だが、直結初体験ですっかり気が張り詰めてしまった広佐はそんな単純なことすら思いつかず、震える指で接続を試みては何度も失敗していた。
「意外と難しいよねー。ボクも慣れるのに時間がかかったよ」
貸して、と言って凛火が広佐の手から接続端子を受け取る。凛火の細い指が広佐の首筋にそっと触れ、端子が挿入される。広佐は自分が今にも目を回して倒れてしまいそうなのを感じた。ああ、幸せすぎておかしくなりそうだ。
『あー、あー、聞こえてるかな。今あなたの脳内に直接話しかけています、なんてね』
ケーブルをつなぐと、凛火の声が直接頭に響いてきた。直結によって得られる恩恵はセキュリティの解除だけではない。脳とリンクしているニューロリンカー同士を接続するということは、二人の脳もリンクするということ。もちろん深層部まで通信することはできないが、直結はこうした発声を行わない会話、思考発声を可能にする。
『だっ、だ、大丈夫。直結するの初めてなんだけど、ちゃんとこの俺の声も届いてるか』
『うん、バッチリだよ。初めてなのにすごいや』
広佐は自分のニューロリンカー内に、凛火に見られて困るものがないか考えた。広佐は年齢制限をぶち破って成年向けのゲームを購入する技術も趣味もないしギャルゲーにも興味はないのでゲームのフォルダは問題なし。画像ファイルは……露骨なファイル名はつけていないので短時間で気づかれる可能性は低い。あとはストックしているハーレムアニメが凛火さんの導線だか琴線だかに触れなければ大丈夫だろう。多分。
『じゃあキミの端末にこの《ブレイン・バースト》をインストールする。願わくは、キミの未来が輝かしいものになりますように』
《ブレイン・バースト》。どうやらそれが、ゲームの名前らしい。凛火が手をスライドさせると、広佐の視界に簡素なメッセージが表示される。
【BB2039.exeを実行しますか? YES/NO】
たったそれだけのメッセージだが、広佐はそこになにか底知れない意思が込められているような感覚を覚えた。凛火の言った人類の可能性、という言葉は本当にそのままの重さを持っているのではないかと、彼は思った。
『待ってろ新世界』
広佐は拳を握り、YESボタンを殴った。