虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第十一景『剣獣魔都合戦(けんじゅうまとがっせん)

 

「母親の方はベガリット大陸、迷宮都市ラパンじゃな」

 

 甲龍歴420年

 魔大陸北西部クラスマの町にある酒場

 

 ロキシー・ミグルディアはグレイラットの家族を捜索する為、パウロ・グレイラットがかつて立ち上げた冒険者パーティー“黒狼の牙”の元メンバー、長耳族のエリナリーゼ・ドラゴンロードと炭鉱族のタルハンドと共に中央大陸から遠く離れたこの地へと辿り着いた。

 そして酒場で偶然出会った魔界大帝キシリカ・キシリスの酒代を立て替えた事で、キシリカの“万里眼”によるグレイラット家捜索を依頼する事となった。

 

 ルーデウス・グレイラットは中央大陸北部で冒険者稼業をしながら家族を捜索している。

 パウロ・グレイラットとリーリャ・グレイラット、パウロの娘二人はミリス王国首都ミシリオンにいる事が確認された。

 ゼニス・グレイラットの所在もこうして確認する事が出来た。

 ロキシーは一人か二人は死んでいてもおかしくないと思っていたが、さすがグレイラット家と改めて一家の運の強さに感心をしていた。

 

「じゃが……ちとおかしいのう」

 

 端から見れば魔族の幼女にしか見えないキシリカは、顔をしかめながらくりくりと目を動かす。

 

「何か問題が?」

「いや、よく見えん」

 

 しかめっ面でくりくりと目を動かすキシリカの様子は、実年齢にそぐわぬ程愛らしい姿ではあった。だが、ロキシーは魔界大帝の魔眼を持ってしても見えない大事に巻き込まれているのかと思い、鬼気迫る表情でキシリカに問い質した。

 

「それでは困ります! 何か問題があるなら詳細を!」

「なんじゃ……そんな事言われても、見えんものは見えんのじゃ。まぁ案外迷宮の中におるのかもしれんぞ。迷宮都市じゃし。妾は行ったことないけど」

「迷宮の中は見えないのですか?」

「うむ。ベガリットの迷宮は高濃度の魔力で満ちておるからのう」

 

 ロキシーはキシリカの言を受け、深く考える。

 ゼニスはかつて、パウロやエリナリーゼ、タルハンドと共に迷宮探索をしていたと聞く。彼らと旅をしていたのなら、迷宮にも潜れるだろう。

 しかし、転移事件からもう三年も経つというのになぜ今まで連絡もせずにいたのか。

 

「とにかく、生きてはいるんですね?」

「うむ。それは間違いない」

 

 ロキシーはその言葉を信じることしにした。何らかの理由があって、迷宮に潜り続けなければならない事になっているのだろう。

 そう考えたロキシーは頭を下げた。

 

「わかりました。ありがとうございます」

「よいよい。さて、最後はルーデウスの弟じゃな」

 

 ふんす、とその小さな体を張り、気合を入れたキシリカは再び万里眼を発動させる。

 最後に捜索するのは、ルーデウスの実弟ウィリアム・グレイラット。

 ロキシーはグレイラット家に家庭教師として滞在していた時、ウィリアムがやたらと魔術について質問をしていた事を思い出した。

 と同時に、こんな事なら魔術以外にも生き残る術を教えるべきだったと今更ながら後悔をしていた。

 

 

「うむむ……母親以上に……むぅ……」

 

 先程より深く眉間に皺を寄せ、顔を顰めながらキシリカは魔眼を操作する。

 ロキシーはその様子を心配そうに見つめていた。

 

「う……う……ち……」

「キシリカ様……?」

 

 それまでの魔眼の行使とは打って変わり、額に脂汗を滴らせ、苦悶の表情を浮かべるキシリカ。

 ただならぬその様相に、ロキシーは増々緊張した面持ちでキシリカを見守っていた。

 

 

「ち……ちぇ……チェ……」

 

「チェ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「チィェストォォォォッッッ!!!」

 

 突如大音声の奇声を発したキシリカは盛大に目血(めぢ)を噴出させ、大量の鼻血を撒き散らしながら白目を剥いて倒れた。

 

「ええええええ!?」

 

 行き成り発生したこの凄惨な出来事に、ロキシーは素っ頓狂な叫び声を上げる。

 慌ててキシリカの元に駆け寄り治療魔術を行使すべく魔力を練り始めた。

 血海に沈むキシリカは、悲惨且つ無惨な姿を見せていた。

 

「キ、キシリカ様!? ち、治療を! ああご主人! 水を! 水をください!」

 

 ロキシーの緊迫した様子に、酒場の主人は慌てて水差しとコップを手に駆けつける。

 治療魔術をキシリカにかけながら、ロキシーは酒場の主人を見やった。

 

「コップじゃないです! バケツでください!」

 

 ロキシーの言葉を受け、踵を返して厨房へ向かう酒場の主人。

 ロキシーは混乱の極みに陥っていたが、もう少し冷静であれば自ら水魔術でバケツ一杯分の水を用意する事が出来たことに気づけただろう。

 しかしあまりの出来事に普段は聡明である筈のこの水王級魔術師は治療魔術に専念する事しか出来なかった。

 

 再び駆けつけた酒場の主人からバケツをひったくるように取ったロキシーは、その勢いのままキシリカにバケツの水をぶちまけた。

 

「えいっ!」

「はぅぁ!」

 

 大量の水を乱暴にぶっかけられたキシリカは即座に覚醒する。

 呼吸は乱れていたが命に別状は無さそうなのを確認し、ロキシーは安堵の溜息をついた。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

 ゼイゼイと息を吐きながら、キシリカは青い顔で呟く。

 一体何を見て、このような事態に陥ったというのか。ロキシーは再び緊迫した面持ちでキシリカに問いかけた。

 

「キシリカ様……一体何が見えたんです?」

「い、いや……その……」

 

 呼吸が落ち着くにつれ、キシリカの顔色は赤みのある常の状態に戻りつつあった。

 やがてキシリカは2,3回深呼吸をすると、顔を上げ真剣な表情でロキシーを見つめた。

 

「全然わからん」

 

 キシリカの言に、ロキシーは思わず床に突っ伏した。

 即座に起き上がり、キシリカに再び問い詰める。

 

「わからんじゃないですよ! 明らかに異常でしたよ!」

「そんな事言われても全然わからんもん。なんでこんな事になったんじゃろ……」

 

 腕を組み、ウンウンと唸るキシリカ。

 ぶつぶつと何事かをつぶやき、やがてロキシーにおずおずと説明を始めた。

 

「うーん……なんかでかい蛇(・・・・)が邪魔で見えんかったというか……いや、あれは竜か? でもあんな変な竜(・・・・・・)見たことないし……とにかく全然、何されたのかもわからんかった……」

 

 キシリカの予想外の言葉に、ロキシーは凍りつく。

 せっかく……せっかくウィリアム以外の家族の無事が確認できたのに。それなのに、ウィリアムだけが安否不明とは……。

 

 ロキシーは魔族であるにも拘らず、温かく自分を迎え入れてくれたグレイラット家の家族を愛していた。

 分け隔てなく接してくれたグレイラット家の家族に深い感謝の念を抱いていた。

 まるで自分も家族の一員であるかのように接してくれたあの家族は、全員が揃っていなければ駄目なのだ。

 一人でも欠けていれば、あの家族は、あの温かい一家は壊れてしまう。

 最悪の事態を想像し、俯いたロキシーは絶望が入り混じった声で言葉を紡いだ。

 

「そ、それじゃあウィリアム君は……」

「いや、多分生きてるじゃろ」

 

 鼻をほじりながらキリシカは呑気な声を上げる。

 その様子を見たロキシーは顔を上げ、キシリカに鬼気迫る表情で迫った。

 

「多分じゃ駄目なんです! あの家族は……あの家族は全員が揃っていないと駄目なんです!」

「んなこといわれても……」

 

 再び腕を組み、唸りながら熟考するキシリカ。

 目に涙を浮かべるロキシーを見つめ、溜息を一つ吐いた後、再び言葉をかけた。

 

「ていうかな。死んでるならそもそも存在自体が感知できんからな。魔眼が効かない者も見えないだけで存在は感じる事はできる。弟の方は存在は確かに感じる事はできたぞ」

「じゃ、じゃあウィリアム君は……!」

「生きとる。と、思う。ただ覗こうとするとじゃな……ほんとなんじゃあれ。神とかそういうの通り越してよくわからんかったぞ」

 

 あやふやな表現を続けるキシリカに、これ以上問い詰めても意味がないと判断したロキシーは再びキシリカに向かい、深々と頭を下げた。

 

「……わかりました。ありがとうございます」

「よいよい。助けてもらった礼じゃからな。ではまた会おう」

 

 やがてフラフラと覚束ない足取りでキシリカは酒場を出て行く。

 ブツブツと何事かをつぶやきながら歩く後ろ姿に、ロキシーは再び深く頭を下げていた。

 

「しかし、長く生きているがこんな事は初めてじゃのう……ほんとルーデウスといい変な兄弟じゃのう……つーかありえぬじゃろ……妾の魔眼に干渉してくるとか………」

 

 

 

 翌日、盛大に血を出して倒れたとは思えぬ程元気一杯な様子で再びロキシー達の前に現れたキシリカと、その婚約者魔王バーディガーディ。

 大陸を渡る為の段取りを取り付けた魔王の助力を受け、ゼニスとウィリアムの安否を伝える為一行は二手に分かれてそれぞれの目的地を目指す事となる。

 ロキシーはパウロ達にゼニス……そしてウィリアムの事を伝える為、タルハンドと共にミシリオンを目指す。

 エリナリーゼはバーディガーディと共にルーデウスにゼニス達の安否を伝える為、中央大陸北部を目指す事になった。

 

 ミリス大陸行きの船に揺られながら、ロキシーはグレイラット家の家族に想いを馳せる。

 ゼニスは本当に無事でいるのか……そしてウィリアムは……。

 

 

 

 ミグルド族の水王級魔術師の乙女は、あの温かい家族が全員揃って再会出来るよう……静かに祈りを捧げていた。

 

 

 


 

 甲龍歴423年

 ラノア王国シャリーア

 

 “泥沼”ルーデウス・グレイラットは、前年にここシャリーアに移り住んでから順風満帆な生活を送っていた。

 元々北方大地にて転移事件以降、依然として行方知れずとなっていた母ゼニス・グレイラット、そして弟ウィリアム・グレイラットを捜索する傍ら、冒険者としての名声を得て行方知れずの家族に気付いてもらえるよう名を広めていたルーデウス。数年の冒険者活動により“泥沼”の二つ名は冒険者を中心に広く知られていた。

 だがここシャリーアにあるラノア魔法大学に特別生として入学し、魔王バーディガーディ来襲を切っ掛けに更にその名を広める事となる。

 

 シャリーア居住区の隅にあるこの一軒家は、ルーデウスがラノア魔法大学で漸く再会を果たした幼馴染シルフィエットとの結婚の際に購入した。

 ルーデウスはヒトガミのお告げにより、失った己の“自信”を取り戻す為ラノア魔法大学へと入学をしたが、当初は腰を据えるつもりは毛頭なかった。

 しかしシルフィエットとの再会、結婚によりここシャリーアを終の棲家と定め、離れ離れになった家族を迎え入れるべく家を購入した。

 

 幼い頃の“夢”であったルーデウスとの結婚を果たしたシルフィエットは、“無言のフィッツ”として男装し、アスラ王国での政争に敗れたアリエル・アモネイ・アスラ王女の護衛としてラノア魔法大学に入学していた。

 再会したルーデウスに当初は全く気付かれる事は無かったが、1年程の学生生活、そしてルーデウスとの交流で徐々に親密度を上げ……アリエル王女の後押しもあり自身の本当の姿を長年の想いと共に告白した。

 ルーデウスはこれにより失ったはずの男としての“自信”を取り戻し、晴れて二人は結ばれる事となった。

 

 その後は順調な結婚生活、学生生活を営んでいたルーデウス。

 折りしのパウロからの手紙で託された妹達……ノルン・グレイラットとアイシャ・グレイラットの二人の妹達とも再会し、家に迎え入れる事が出来た。

 ノルンとアイシャの確執、アイシャがミリスで妾腹として肩身が狭い思いをしていた事や、ルーデウスやアイシャと比べられ続けた事でノルンが引きこもりを起こした事件等があったが、概ねそれらはルーデウスの尽力により解決している。

 また、シルフィエットがルーデウスの子を懐妊した事もあり、ルーデウスは正にそれまでの“人生”で一番の幸せを感じていた。

 

 ところが、パウロの元仲間でありミリス大陸にて冒険を共にしたギース・ヌーカディアの手紙が、ルーデウスを深く悩ませる事となった。

 

 

 “ゼニス救出困難、救援を求む”

 

 

 同じくパウロの元仲間であり、同じラノア魔法大学に通うS級冒険者エリナリーゼ・ドラゴンロードから母ゼニスの所在はルーデウスにも伝えられていた。

 ゼニスはベガリット大陸の迷宮になんらかの理由で囚われているという。

 それを救出せんが為、パウロとその仲間達は迷宮に挑み続けている。

 しかし、ギースがもたらした知らせはその救出が困難という事であった。

 

 更に、狙いすましたかのように“夢”にヒトガミが現れる。

 “ベガリット大陸に行けば後悔する事になる”

 ヒトガミのお告げはルーデウスを更に悩ませた。

 

 行くべきか、行かぬべきか。

 

 シャリーアからベガリット大陸の目的地までどんなに早く移動するとしても往復2年はかかる。

 どう考えてもシルフィエットの初産には間に合わない。

 その事が、ルーデウスを懊悩させる。

 

 しかしノルンが健気にも一人でパウロ達の元へ向かおうとしていたのを見て、ルーデウスはゼニスの救出に向かう事を決意する。

 先に一人でパウロ達の救援に向かう事となっていたエリナリーゼに自身も向かう事を伝えるルーデウス。

 シルフィエットの“祖母”でもあるエリナリーゼは、最初は生まれてくる曾孫の事を想いルーデウスに残るよう説得をしていた。

 しかしながらルーデウスの決意は固く……エリナリーゼはしばし悩んだ後、ルーデウスと二人で行くことを決めた。

 

 そしてラノア魔法大学で出会った同じ異界の迷い人であるナナホシ・シズカの望外な協力が、ルーデウス達に希望をもたらした。

 

 転移魔法陣。

 ナナホシが絶対の秘匿を条件に、ルーデウスに教えたこの禁術は、遠隔地を僅かな時間で繋ぐ移動法。

 2年はかかるとされたベガリット大陸との往復を、僅か半年で可能としていた。

 

 これならば、シルフィエットの出産に間に合う。

 また、恋人であるクリフ・グリモルとの“別れの情事”を激しく行い「やっぱり二年もクリフと離れ離れになるなんて耐えられませんわ! 不義理とわかっていても、(わたくし)は行きませんことよ!」と、今更女々しくヘタれていたエリナリーゼも、これにより改めてルーデウスと共にゼニス救助に向かう事を約束した。

 憂いを無くしたルーデウスはシルフィエット、ノルン、アイシャにベガリット大陸へ向かう事を告げる。

 

「父さんと母さんを助けに行こうと思う」

 

 転移魔法陣の存在を知ったその日、シルフィエット達にそう告げたルーデウス。

 シルフィエット達はルーデウスの決意を受け、それを後押しした。

 

 自分の事なら気にするな、家の事は任せて心置きなく行って欲しいと健気に言うシルフィエット。

 自信なさげではあったが、シルフィエットの事は任せて欲しいと胸を張るアイシャ。

 自分も及ばずながら力を貸し、シルフィエットとアイシャを支えると誓うノルン。

 

 家族の後押しを受けたルーデウスのその後の行動は早かった。

 ベガリット大陸へ向かうための馬の手配、装備の準備、食料の確保、休学の手続き……

 出発前日の夜、全ての準備を整えたルーデウスは一人寝室のベッドに腰掛けながら未だ見つからぬ“家族”に想いを馳せる。

 

 必ずやゼニスを救い出す。そしてその後は……

 

 

「ウィリアム……」

 

 ルーデウスは弟、ウィリアムの事を想う。

 エリナリーゼから聞いていたキシリカの魔眼による家族の捜索は、ウィリアムだけが不明という結果だったという。

 生きてはいる。しかしどこにいるのか分からない。

 あの虎の様な凄味を備えていた弟がどうしても死んでいるとは思えなかったが、キシリカの魔眼を持ってしても所在が掴めないとはどういう事なのだろう。

 ルーデウスは弟に植え付けられた“棘”を思い出し、自身の顎を触る。

 

「あの時は、見事に完敗したなぁ……」

 

 ロアの街へ向かう馬車の中、虎の一撃から覚醒したルーデウスは、その虎の強烈な剣気に恐怖した。

 そして転移事件を経て、徐々に己の実力が上がっていくにつれ今度こそ“兄”としての威厳を見せつけるべく再戦を誓うも、得体のしれぬ弟に依然として恐怖を覚えていた。

 

 そんな弟がどこにいようが、正直知ったことではない。

 

 生きているならそれでいいし、死んでいても墓でも立てて線香の一つでも上げてやればいい。

 薄情と思われようと、ルーデウスはウィリアムに対しては情よりも得体の知れぬ怖気の方が勝っていた。

 

 しかしシルフィエットと結婚し、自身の“家族”を持つ身になった時から、徐々にその考えは変わっていった。

 

 “家族”とは、誰一人欠けていてはならない。

 

 一緒にいられる事が、どんなに幸せか。

 

 例えどんな“弟”であれ、自分達……グレイラットの家族は、全員揃っていなければならない。

 

 ルーデウス、パウロ、ゼニス、リーリャ、ノルン、アイシャ、シルフィエット……そしてウィリアム。

 

 全員が揃って、初めて“家族”として本当の幸せが始まるのだ。

 

 

 シルフィエットとの甘く、優しい生活を経て、気づけばルーデウスに刺さっていた“棘”は跡形も無く消えていた。

 

 

「母さんの次は絶対にお前を見つけてやるからな……お兄ちゃんが、絶対にお前を見つけてやるからな……だから早く出てきてくれよな……頼むから……」

 

 

 ベッドに横になり、微睡みながら母と弟を想うグレイラットの長男は、家族全員の再会を誓っていた。

 

 

 

 

 


 

 いよいよ今日、ルーデウスお兄ちゃんがベガリット大陸へ向かう。

 昨日まで忙しそうに準備をしていたお兄ちゃんは、朝食の時間になっても起きずに“泥沼”の名の通り、泥のように眠っていた。

 

「アイシャちゃん。ルディは自分で起きてくるまで寝かせておこうね」

「そうだねシルフィ姉。エリナリーゼさんとノルン姉もお昼前に来るって言ってたし。……ていうか、シルフィ姉も休んでいなよ」

「朝ごはんの準備くらいで大げさだよ。これくらいは手伝わせて」

 

 シルフィ姉と朝食の準備をしながらお兄ちゃんの事を話す。

 朝食の準備くらい私一人でもできるし、そもそも私の仕事だし、もっと言えばシルフィ姉は今は大事な体だ。

 休んでてほしいのにこうやって手伝ってくれるシルフィ姉は、ほんとお兄ちゃんにはもったいないくらい良いお嫁さんだ。

 

「ゼニスさん、無事だといいね」

「うん……」

「ルディなら、きっとゼニスさんを助けられるよ」

「そうだね……」

 

 シルフィ姉と、サンドイッチに挟む野菜を切り分けながら会話を続ける。

 ゼニス様……ゼニスお母さんは、私の本当のお母さんではない。

 私の本当のお母さんは、グレイラット家のメイド、リーリャお母さんだ。

 ノルン姉とは腹違いの姉妹ってやつだ。

 

 でも、ゼニスお母さんは私の事も本当の娘として扱ってくれた。

 小さかったころ、ノルン姉と一緒にだっこしてもらった思い出はいつまでも忘れられない。

 

 甘くて、良い匂いがしたゼニスお母さんの温もり……。

 今でもはっきり思い出せるあの温もりは、私の大切な思いで。

 ノルン姉は、きっと私以上に温かい思いを感じているだろうな。

 

 

 そして、私とノルン姉にはもうひとつの大切な思いでがある。

 

 

「ウィル兄ぃ……」

 

 思わず、ウィル兄ぃの名前をつぶやく。

 小さかったころ、ウィル兄ぃはいつも私達姉妹の面倒を見てくれていた。

 といっても、いっしょに遊ぶとかじゃなくて私達がウィル兄ぃで遊んでただけなんだけど。

 

 でも、ウィル兄ぃは嫌な顔をひとつせず私達にかまってくれた。

 ノルン姉といっしょに、ウィル兄ぃの膝の上で眠ったこともあった。

 ウィル兄ぃの髪をひっぱって、背中も登ったこともあった。

 それでもウィル兄ぃは、小さく笑って私達の頭をなでてくれた。

 お母さんが大事に育てていた植木を折った時も、怒られて泣いていた私の頭をずっとなでてくれた。

 

 ウィル兄ぃは、お日様の匂いがした。

 とても安心する匂いがした。

 ウィル兄ぃになでられると、いつもそのまま寝ちゃったっけ……。

 なんていうか、お兄ちゃんというかおじいちゃんに近いかも。

 ちょっと失礼かな……でもあのやさしい感じはミシリオンにいたおじいちゃんには感じなかった。

 

 お父さんが言うには、ウィル兄ぃは生きてはいるけどどこにいるのかはわからないらしい。

 ウィル兄ぃは、いま、どこにいるのかな……。

 

 また、あの手で私の頭をなでてほしいな……

 また、ウィル兄ぃの膝の上でお昼寝したいな……

 

「ウィル兄ぃはいまどこにいるのかな……」

「アイシャちゃん……」

「ウィル兄ぃに、また会いたいな……」

 

 野菜を切る手が止まる。

 

 まな板の上の野菜が、だんだんぼやけてきた。

 

 

 会いたいな……

 

 ウィルにぃに、あいたいな……

 

 

「あいたいよ……ウィルにぃに、あいたいよぉ……」

 

 気づいたら、涙がポロポロこぼれていた。

 

 涙で、前がみえなくなった。

 

 涙が、とまらなくなった。

 

 

「アイシャちゃん……」

 

 シルフィ姉が、私を抱きしめてくれた。

 ウィル兄ぃと同じくらいやさしい手つきで、私の頭をなでてくれた。

 しばらく、そのまま私の頭をなでてくれた。

 ぐすっと、鼻をすすり、シルフィ姉の方を向く。

 

「……ごめんね、シルフィ姉」

「いいんだよ。泣きたいときは、思いっ切り泣いてもいいんだよ」

 

 ウィル兄ぃと同じくらい安心できる笑顔で、シルフィ姉は私に微笑んでくれた。

 気付いたら、涙は止まっていた。

 

「ありがとう、シルフィ姉。もう大丈夫」

 

 そう言って涙を拭う。

 シルフィ姉はにっこりと笑って、私の頭から手を離した。

 

「大丈夫だよアイシャちゃん。ウィル君も、きっと見つかって、また会えるから」

 

 そう言いながら、シルフィ姉は私が切った野菜を手際よくパンに挟んでいく。

 

「それにね、ボクには一個目標があるんだ」

 

 シルフィ姉はサンドイッチを作る手を止めて、少し恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「今度こそ、ウィル君に“おねえちゃん”って呼んでもらうんだ。だからそれまでは、絶対にウィル君に会わなきゃいけないんだ」

「そう、なんだ」

 

 少し笑いながら返事すると、シルフィ姉もはにかんだ笑顔を見せてくれた。

 

「ウィル君は、ボクに大切な事を教えてくれたんだ……。ルディと一緒になれたのも、ウィル君のおかげって言ってもいいくらい。だから、そのお礼も言わなきゃだめなんだ」

「大切な事?」

「そう。とても大切な事だよ」

 

 シルフィ姉は人差し指を立てながら話を続けた。

 

「“人は姿にあらず”」

「人は、姿にあらず……」

「その人の価値は、その人の努力で決まる……生まれや、姿形は関係無いって事だよ」

 

 そんな事を、シルフィ姉はウィル兄ぃから教えてもらったらしい。

 努力次第でその人の価値は決まる……。 

 当たり前のようなことかもしれないけど、ウィル兄ぃが言ってたと思うとすごく心に響く。

 

「さぁ、朝ごはんの準備終わらせちゃおう。ルディもそろそろ起きてくるかもしれないし」

「そうだねシルフィ姉」

 

 今の私をみて、ウィル兄ぃはほめてくれるかな……

 私も、けっこう頑張ったんだよ……頑張ったなってなでてくれないかな……

 そんな事を思いながらシルフィ姉と朝食の準備を続けた。

 

 

 

 

 その後は、起きてきたルーデウスお兄ちゃんと一緒に朝食を取り、お兄ちゃんの出発の準備を手伝う。

 準備が終わった頃、ラノア魔法大学の寮からエリナリーゼさんとノルン姉がやってきた。

 エリナリーゼさんも準備万端みたいだ。

 

 玄関で、お兄ちゃんとエリナリーゼさんを見送る。

 

「アイシャとノルンも。頼む」

 

 シルフィ姉と抱き合って別れを惜しんでいたお兄ちゃんが、私とノルン姉に声をかけた。

 言われなくても、シルフィ姉と家のことはまかせて。お兄ちゃん。

 

「兄さん。何も心配しないでください、頑張りますから」

「わかった。お兄ちゃんもご武運を!」

 

 私とノルン姉は神妙な顔で、お兄ちゃんに頷く。

 お兄ちゃんも私たちの言葉を聞いて静かに頷いていた。

 

 その後、エリナリーゼさんが乗ってきた馬の後ろに乗ったお兄ちゃんがちょっとだらしない顔をしていたのは、ご愛嬌ってやつだろう。

 お兄ちゃん、シルフィ姉がかなしむから浮気はだめだよ?

 

 

 

「ノルンちゃん、せっかくだからこのままウチに泊まっていきなよ」

「そうですね……今日は授業お休みしましたし、お言葉に甘えますね」

 

 お兄ちゃん達を見送った後、シルフィ姉はノルン姉にウチに泊まるよう勧めていた。

 ノルン姉が泊まるとなると、ちょっと食材の買い置きが心もとないかな。

 

「私、まだ時間あるから一回市場に行ってくるね。お夕飯の材料とかいろいろ買ってこなきゃ」

「アイシャちゃん、ごめんね。頼めるかな」

「いいよ。私の仕事だし。ノルン姉は、シルフィ姉を見ててね」

「わかった。アイシャも気をつけて」

 

 

 手早く支度をして、市場に向かう。

 なんとなく、家族が揃う予感がした。

 

 ドキドキと高鳴る胸を抑えて、私は市場へ向かった。

 

 

 

 


 

 魔法都市シャーリアでは嘗てより多くの獣族が集うようになっていた。

 元々人族以外の様々な種族が集まる都市ではあったが、獣族の発情期を切っ掛けにより多くの獣族の若者が集まっていた。

 その理由がラノア魔法大学に在籍する獣族の姫、リニアーナ・デドルディアとプルセナ・アドルディアの“ボス”であるルーデウスを打倒し、彼女らの番になること。

 血気盛んな若い獣人達が続々と故郷の大森林を離れ、ここシャリーアへ集まっていた。

 

 しかし彼らの殆どはルーデウスに挑む事は出来なかった。

 前年にラノア魔法大学に特別生として入学した魔王バーディ・ガーディがルーデウスと決闘をせんが為、獣族の若者達をその剛腕で蹴散らしたのだ。

 

 それ以降、獣族の若者達はシャリーアに滞在する事となる。故郷の大森林へそのまま帰る者もいたが、大半の若者達は大見栄切って出発した事もあり、そのままシャリーアにて冒険者稼業や傭兵業に勤しむ者が多かった。

 

 

 しかし、数日前にやって来た8人連れの獣族は、上述した若者達とは一線を画する存在であった。

 街から街へ、村から村へ。流浪を繰り返す8人連れの中には顔に生々しい疵跡が残る者もおり、正しく歴戦の強者の風格が漂っていた。

 しかしながらこの8人は人目無くば辻斬り、追い剥ぎも平気で行う不逞の輩共であった。

 中央大陸南部王竜王国にて手配された8人は、騎士団の追及を逃れる為ここシャリーアへと辿り着いていた。

 

 そしてこの8人の不逞者を率いるのは、“凶獣王”タンバー・アドルディア。

 大森林にて数々の掟を破り、同族を殺して里を追われた極悪の徒であった。

 里を追われて以降、同じように里を追われた若者達を率いて各地で悪行三昧を働いていた。

 体中に刻まれた二十数箇所の疵跡は、悪行をし続け尚も生き残っているタンバーの高い戦闘力を表していた。

 

 

「獣人さん方。待ちなよ。勘定がまだだぜ」

 

 酒場の前にて8人の無銭飲食を咎めたのは、この辺りの飲食店で用心棒を務めているタックス・ヘッケラーという元A級冒険者。

 S級冒険者の凄腕の兄を持つこのタックスは、魔物討伐で負った怪我が原因で冒険者稼業を引退せざるを得ない身持ちであった。が、自身の戦闘力は兄にそれほど引けを取らず。引退した今でも鍛錬はかかさずにいた。

 とはいえギルドを介さずに元冒険者がありつける仕事といえば、このような場末の酒場の用心棒が関の山であったが、本人は存外にこの仕事を気に入っていた。

 

「おお、忘れておったわ」

「シモン、支払ってやれ」

 

 シモンと呼ばれた獣人族の若者は懐に手を入れる。

 一悶着あるかと身構えていたタックスは、存外に素直に応じる獣人の姿を見ていくらか気を緩めた。

 

 次の瞬間、タックスの頭蓋が鈍い音を立てて割れた。

 

 

 鉄 爪 会 計

 

 

 シモンが支払ったのは鉄爪であった。

 タックスが全く反応することが出来ぬほどの速度で抜き撃たれた鉄爪は、シモンがただのゴロツキでない事を証明していた。

 脳漿を撒き散らし倒れ伏すタックスを尻目に、8人は悠々と歩き始める。

 場末の酒場の用心棒如きを手討ちにした程度では治安を預かる三国騎士団は動かぬ。

 よしんば動いたとしても、捕縛される前にシャリーアからさっさと姿をくらませばいい。

 

 この獣人族の不逞の輩共は、そう自惚れていた。

 

 

 

 河岸を変えた8人はシャリーアにある居住区近くの市場にある酒場にて再び酒盛りを始めた。当然の事ながら代金は支払う積りは一切無い。

 酒場の主人は顔をしかめつつも、厄介事に巻き込まれたくない一心で獣人達に酒や料理を給仕していた。

 

「この辺りじゃ“泥沼”ってのが有名らしいな」

 

 我が物顔で酒場の大半に陣取り酒を喰らい、大声で話す8人以外の客は少し離れたカウンターに座る一人の若者のみ。

 若者は粛々とカウンターにて食事を取っていた。

 

「どんな奴よ“泥沼”ってのは」

「なんでも水聖級魔術師でAランク冒険者で、雨の森一帯を凍りつかせたとか赤竜を単騎にて仕留めたとか。あとは魔王をぶっ殺したって話もあるらしい」

「ケッ。うそくせえ」

「そんな話ってのは尾ヒレが付くのが相場ってもんだ」

「赤竜なら俺らでも仕留める事が出来る」

「所詮聖級止まりの魔術師程度じゃんよ」

 

 まるで聖級魔術師を歯牙にもかけぬ物言いであるが、この獣人達にはそれを言わしめる程の実力は十分に備えていた。

 

「リニア、プルセナのお姫様達も“泥沼”にかしずいているらしいわねぇ」

 

 タンバーの隣でしなを作りながら寄りかかるのは、8人の中で唯一の獣人女“愛姫”リンプー・ミルデット。リンプーは蠱惑的な表情でグラスを傾けていた。

 

「目の前で主人と定めた男が嬲り殺しになる様子を見せたら、一体どんな顔をするんだろうねぇ……想像するだけで心が洗われるよ。ウフフフ」

「さすが“凶獣王”タンバー・アドルディアの“愛姫”リンプー・ミルデットだぜ。底意地が悪ぃや」

「どういたしまして」

 

 周りからの囃し立てを不敵な面で流すリンプー。それまで黙って杯を仰いでいたタンバーが声を発した。

 

「つまり、“泥沼”をぶっ殺せば大森林に晴れて族長として舞い戻れるってわけか」

 

 その言に、手下の無頼者共が色めき立つ。

 

「マジっすか!」

「“泥沼”様々じゃんよ。やっと糞騎士団共から逃げ回る生活とはおさらばってわけじゃんよ」

「ちょっと! その場合はあたいはどうなるのさ?」

「そりゃ、今まで通り俺の“女”だぜ? お姫様達は族長になったら用済みさぁ」

 

 タンバーはリンプーを抱き寄せ、舐めつけるようにその体を弄ぶ。

 やがてグラスを高く掲げ、来たるべく洋々とした未来に乾杯の声を上げた。

 

「“泥沼”ルーデウス・グレイラットに乾杯!」

 

 

 “ルーデウス・グレイラット”

 その名を聞いた途端、カウンターを立った白髪の剣士……ウィリアム・アダムスは、ゆるりと獣人達の前に歩を進めた。

 

「なんだぁ小僧」

 

 8人の内、大柄な獣人がウィリアムを睨めつける。

 グラスを片手に、フラフラとその前に立った。

 

「よく見りゃ、可愛い面してるじゃねえか」

 

 この暴虐無道な獣人の男は、仲間内からは衆道家としても知られている。

 発情期を過ぎてもただ己の享楽を満たす為だけに同性を嬲る外道であった。

 

(つぼみ)見してみいや」

 

 下卑た表情を浮かべ、そう言い放った獣人に虎の牙が襲いかかった。

 パキッっと乾いた音が鳴った次の瞬間には、大柄の獣人の首が180度回転していた(・・・・・・・・・・)

 

 ウィリアムが放ったのは、虎眼流の当て技“虎拳”

 手首を用いたこの当て技は、“虎眼流剣士”の拳ならば無刀であろうとも凶器その物であった。

 

 下卑た表情を浮かべたまま絶命した獣人が倒れ伏す事で、固まっていた7名はやっと状況を理解した。

 

「うぇ!?」

「てめぇ!」

 

 倒れ伏す獣人を見て即座にウィリアムを取り囲むよう席を立つ無頼者共。

 殺さんばかりに睨みつける数多の視線を、白髪の剣士は泰然とした佇まいでそれを流していた。

 

「ここじゃ狭え。表に出な」

 

 タンバーがゆるりと立ち上がり、ウィリアムに向けそう言い放つ。

 

 突き刺さる殺気の中、その言を受けたウィリアムは……薄く、口角を釣り上げ“嗤って”いた。

 

 

 タンバーら獣人族の若者達はこの時気付くべきであった。

 

 笑うという行為は、本来攻撃的なものであり

 

 獣が牙を剥く行為が“原点”であるという事を──

 

 

 

 


 

 買い出しに出かけたアイシャは丁度市場へと到着した際、二人の獣人乙女と出会っていた。

 

「リニアさん、プルセナさん、おはようございます」

「お、ボスの妹ちゃんじゃニャいか」

「おはようなの」

 

 リニアーナ・デドルディア、プルセナ・アドルディアの二人の獣人乙女は、ルーデウスと同じラノア魔法大学生であり、大森林にて獣族を束ねるドルディア族の族長の一族である。

 しかし族長一族としての品格や知性が足りないと判断した現族長ギュスターヴにより、ラノア大学の特別生として放り込まれる。入学してからの二人は日々の勉学に……それなりに励んでいた。

 ちなみに以前ルーデウスの怒りを買った二人は手痛い“仕置き”を受け、以後ルーデウスの事を“ボス”と呼び頭を垂れつつ友人関係を築いていた。

 

「お二人は、何をしに市場へ?」

「素行の悪い獣人族の連中がいるからニャんとかしてくれって学校から依頼があったんニャ」

「ファックなの。クソめんどいの。速攻でシメにいくの」

 

 頭の後ろに両の手を組み、気だるげな物言いのリニア。その隣でもくもくと干し肉を食べているプルセナは、二人を知る者から見ればいつも通りの姿であった。

 獣族として高い実力を持つ二人は、こうして獣人族絡みのトラブルの解決を学校を通したギルドから時折依頼されていた。

 

 年相応に何事にも興味深々のアイシャは、二人がこれからゴロツキを相手に大立ち回りをする姿を想像し、目を輝かせながらリニア達に同行を申し出た。

 

「私もついていっていい?」

「あぶねーニャ。アイシャにニャにかあったらあちしらがボスに殺されるニャ」

「でも、私もそれなりに心得があるよ」

 

 アイシャはルーデウスやウィリアムと同じく、剣術や魔術の才気に溢れる少女であった。

 9才にして剣術は水神流の初級を習得。魔術の方は基礎六種を初級まで習得していた。

 

「うーん……まぁ、ゴロツキ共ぶちのめしに行くだけだからそこまで危なくニャいか」

「自己責任でいいならついてきてもいいの。でも危なくなったらすぐトンズラかますの」

 

 日頃から適当な考えを持つ獣人乙女達は、深く考えもせずアイシャの同行を許した。

 彼女らにとって所詮、ゴロツキを誅罰する事はその程度の事なのだ。

 

 とりとめの無い雑談を交わしつつ、3人は目的の酒場の前へと歩を進める。

 

 すると、にわかに人混みが出来ているのが見て取れた。

 

「ム。もしかしてもうおっ始めやがったかニャ」

「ファックなの。私達が来るまで大人しくしててやがれなの」

 

 騒然とする人混みに向け、駆け足で向かうリニアとプルセナ。

 それを慌ててアイシャは追いかける。

 

 

 そして、3人は凄惨な現場を目撃した。

 

 

「マジかニャ……」

半端()ないの……鬼半端()ないの……」

「うっ……」

 

 濃厚な“血の臭い”が辺りに漂う。

 人混みをかき分け、見える位置まで辿り着いたアイシャ達が目撃したのは、無惨な姿で地に倒れ伏す6人の獣人達であった。

 

 デンキ・アドルディア

 右顔面陥没による脳裂傷

 

 シモン・デドルディア

 鼻骨陥没による脳裂傷

 

 スィクル・デドルディア

 肋骨粉砕による両肺破裂

 

 レフティ・アドルディア

 顎部が咽頭に詰まり窒息死

 

 アーミ・デドルディア

 頚椎骨折

 

 リンプー・ミルデット

 顎部破損

 

 悠然と拳に刺さった獣人達の歯牙を抜く一人の白髪の剣士……ウィリアム・アダムス。

 アイシャ達はその後ろ姿しか見えなかったが、明らかにこの凄惨な状況は白髪の剣士が“素手”で成し遂げた事をひと目で理解した。

 

 

「シャリーアに竜……いや、虎が潜んでいやがるとは」

 

 一人残ったタンバーは己の背に抱えた一振りの戦斧を取り出す。

 多くの血を吸ってきたこの戦斧は、かつて水王級の剣士を一撃で葬り去った事もあり、タンバーの破壊力ある一撃が受け流し困難である事を証明していた。

 

 戦斧を構えるタンバーに対し、依然腰に差した刀を抜く気配が無いウィリアム。

 その左手は、右手に蓋をするかの如く(・・・・・・・・・・・)重ねられていた。

 血海の中対峙する二匹の獣の間は、獰猛な殺気が充満していた。

 

「あ! アイツ“凶獣王”じゃニャいか!」

 

 唐突にリニアが声を上げる。それを見たプルセナもまた、忌々しげに声を上げた。

 

「ファックなの。よく見たらアイツ“凶獣王”なの。ボスを呼んでぶち殺してもらうの」

「“凶獣王”?」

 

 声を上げるリニア達に、アイシャは疑問の声を上げる。

 

「里を追われたドルディア族の恥さらしニャ。どす汚れたクソ外道ニャ。あちしらも里を出る時に“凶獣王”見つけたら何が何でもぶっ殺せって言われてるニャ」

「ファックなの。ど許せぬなの」

「でもめちゃ強いニャ。正直あちしらでも勝てるか分からないニャ」

「ファックなの。だからボスにぶち殺してもらうの。当方に迎撃の準備有りなの」

 

 忌々しげに“凶獣王”を睨みつけながら嘯くリニアーナとプルセナ。しかしながらこの二人は自分達で戦う覚悟は全く完了していなかった。

 

「お兄ちゃんもうベガリット大陸に行っちゃったけど……」

「あ」

「あ」

 

 ルーデウスが既にシャリーアにいない事を完全に失念していた二人は固まる。そもそも先日別れの挨拶をしたばかりであった。

 

「ま、まぁあの白髪の小僧がなんとかしてくれる事を期待するニャ!」

「とびこむよりも、とどまるほうが勇気がいるなの。勇気を持って様子を見るなの」

 

 あくまで日和見を決め込む二人をみてやや呆れつつ、アイシャもまた凶獣王と白髪の剣士の立合いを見守る。

 白髪の剣士の後ろ姿に、なぜかアイシャの鼓動は高まりつつあった。

 何かが溢れそうで、何かが千切れそうな想いが、アイシャの中で大きく膨らんでいた。

 

 

 やがて、“凶獣王”が吠えた。

 

「ガアァァァァァッ!」

「ニャッ!?」

「ファッ!?」

「ッ!」

 

 “吠魔術”

 獣人族固有の魔術であるこの技は、特殊な声帯操作により周囲の人間を一時的な行動不能に陥れる獣の咆哮。

 その威は、離れた場所で見守るアイシャ達見物人にも容赦無く降りかかり、辺りは騒然とする。

 

 吠魔術により動きを止め、即座に戦斧による渾身の一撃を叩き込む。

 これこそが、タンバーの必勝の戦法であった。

 

 ウィリアムを両断すべく、タンバーは弾丸の如き速さで飛びかかる。

 

()った!)

 

 まともに吠魔術を浴び、動きを止めていたウィリアムに肉薄するタンバー。獣王が脳裏に浮かべるは、両断された白髪の剣士の躯の上に立つ自身の勝利の姿。

 

 しかし、タンバーはもう少し躊躇するべきであった。

 蓋をした神速の虎拳が、いかに数瞬動きを止めたとはいえ自身の戦斧より“速い”事に、気付くべきであった。

 

 もし奪わんと欲すれば、まずは与えるべし

 

 もし弱めんと欲すれば、まずは強めるべし

 

 もし縮めんと欲すれば、まずは伸ばすべし

 

 (しこう)して

 

 もし開かんと欲すれば

 

 

 まずは、蓋をすべし──

 

 

 戦斧がウィリアムの頭に触れる刹那、神速の“虎拳”がタンバーの下顎目掛け抜き放たれる。

 虎の一撃は、タンバーの下顎を骨ごと削ぎ落とした。

 

「ギィァッ!!」

 

 戦斧を落とし、顔面を押さえるタンバーにウィリアムは即座に追撃を加える。

 闘気を乗せた肘打ちに、タンバーの胸骨は破砕され、砕けた骨は心臓に突き刺さった。

 

 ゴポッと、大量の血を吐き、タンバーは絶命し果てた。

 

 

「野良犬相手に、表道具は用いぬ」

 

 ウィリアムが拳に力を込めると、突き刺さっていたタンバーの牙が生々しい音を立てて抜け落ちる。

 血海に沈むタンバーを、その色のない瞳で見下ろしていた。

 

 その様子を見ていた周囲の人間は、壮絶な殺され方をしたタンバーを見て失神する者もいた。

 

「も、漏れそうニャ……」

「リニア濡れ濡れなの……こっち来んななの……」

「ざ、ざけんニャ! プルセナこそびびって濡れてるニャ!」

「びびってねーし濡れてねーなの!」

 

 キャンキャンと罵り合いを始めたリニア達。

 アイシャは無惨に破壊された獣王の様子を見て、まるで自分は未だ眠りから覚めず、悪夢を見ているのだと恐怖で全身を硬直させていた。

 

 

「ひ、ひぃぃぃぃ」

 

 やがて覚醒したリンプーが、周囲の惨状を見て悲鳴を上げる。

 その様子を、穏やかな笑みを浮かべ見つめるウィリアム。

 リンプーは獣族の本能で漸く気付いたのだ。

 餌を前にした獣は決して唸り声を上げる事無く、穏やかな顔をすることを。

 

 やがてウィリアムはタンバーの死体の前にかがむと、その飛び出た眼球を千切り取った。

 それを己の口に放り込み、リンプーの目の前で咀嚼を始める。

 

 そして、空に向かい口中の眼球を血飛沫と共に噴霧した。

 

 リンプーは恐怖に慄き、失禁して咽び泣きながら気を失った。

 また、かろうじて気を保ちつつ獣王の惨状を見物していた周囲の者も、同様に恐怖に怯えていた。

 リニアとプルセナもまた、この異常な光景に口喧嘩を止め、ぽかんと口を空けながら呆然とその様子を見ていた。

 

 

「え……」

 

 そして、アイシャは見てしまった。

 

 血海の上に佇む、ウィリアムの顔を。

 

 

「待てッ!」

「往来での乱闘騒ぎは厳罰である! 神妙に縛につけぃ!」

 

 おっとり刀でかけつけた騎士団がウィリアムを囲む。

 ウィリアムは全く抵抗する素振りを見せず、大人しく騎士団に捕縛された。

 前世で“魔人”とも言われたウィリアムではあったが、今生においてもある程度の社会性は無視する事は出来なかったのか。

 

 気絶したリンプーと共に連行されるウィリアムの姿を、アイシャは胸に手を当てて見つめていた。

 

 

 

「ウィル兄ぃ、なの……?」

 

 

 

 

 

 

 人か魔か、ウィリアム・アダムス

 

 

 

 (けだもの)か、それ以下か

 

 

 

 

 

 

 鬼か、それ以上か──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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