虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:男どすこい♥♡♡♡♡

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前話の誤字報告に感謝致します。


第十八景『王国崩学徒姫(おうこくくずれがくとのひめ)

 

 世評と実態の乖離については往々にして発生しがちなものであり、世界が違えど人の営みが続けられている以上避けられぬ事象である。

 

 例えば、幕末の維新志士と凄絶な死闘を繰り広げた“新撰組”

 彼らが隊内で処刑した朋輩の人数は、誅戮した維新志士達よりも多いという実態があり、商人を強請って活動資金を調達したり、証拠もなく疑わしき者を連行し拷問するなど、凡そ“誠忠”とは程遠い醜悪な一面を持っていた。

 実態を知らぬ者は新撰組浪士達が尊皇敬幕を掲げ、新たなる時代の胎動に逆走し、滅びゆく徳川幕府に殉じた清廉な義士集団と映るだろうが、現実には悪辣な行動を平然と行う物騒な集団であった事は確かである。

 

 六面世界においてもそれは同様で、アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラは、ラノア大学留学時代貞淑な乙女として生徒達から慕われる人物で知られていた。

 だが、アリエルがアスラ貴族が持つ倒錯的な性的嗜好を持ち得ていたのは周囲のごく親しい人間にしか知り得ぬ事実であり、大半の人間はアリエルがそのような悍ましい性癖を持っていた事は終ぞ知る事は無かった。

 

 ある種の二面性を持っていたアリエルの人間性であったが、それとは別に王族が持つべき強かな腹黒さも、ラノア大学留学時代に培われていた事はごく親しい人間の中でも限られた者でしか知り得ぬ事であった。

 

 アスラ王都に“王”として舞い戻るべく、己の“大望”を燻らせていたアリエル。

 嘗て都落ちをせざるを得なかったのは、権謀を知らぬ己の無知と、自身が掌握していた武力が足りなかった為。

 身を挺して己の為に殉じた守護術士の無念を抱え、アリエルは日々強者との繋がりを求めていた。

 

 もう二度と、己を慕う忠臣を失わない為に。

 己の為に、命を落とした者達の悲願に報いる為に。

 落ち延びたアスラの姫君は、世間での印象とは真逆の苛烈な想いを胸に、着々とその牙を研いでいた。

 

 

 

 

 魔法都市シャリーア

 ルーデウス・グレイラット邸

 

 ウィリアムとナナホシとの奇妙な邂逅があった後、見舞いに訪れたアリエル・アネモイ・アスラとルーク・ノトス・グレイラット主従はウィリアムとルーデウス邸のリビングにて対座していた。

 アイシャが用意した来客用の茶を王族らしい優雅な手つきで口をつけたアリエルは、人心地ついた後ウィリアムへ向け嫋やかな笑みを向けた。

 

「さて。改めてご挨拶致します。私はラノア大学生徒会長、アリエル・アモネイ・アスラと申します。こちらは同じ生徒会のルーク・ノトス・グレイラットです。私共々お見知りおきを」

「ルークだ。宜しく頼む」

「……ウィリアム・アダムスと申す」

 

 ウィリアムはアリエル達へ向け一言、言葉を返す。

 あえてアスラ王国王族である事を名乗らずにラノア大学の一学徒である事を述べるアリエル王女であったが、虎は敏感に“アスラ”という姓に反応し、慇懃に言葉を返す。

 だが、同席していたシルフィエット、アイシャは、ウィリアムがグレイラットの姓を名乗らなかった事にやや悲しそうな表情を浮かべる。同席しているノルンも困惑した表情をウィリアムへと向けていた。

 そんなグレイラットの家族達の表情をちらりと見たアリエルであったが、構わず虎との会話を続けた。

 

「ルークはアダムス様の従兄弟に当たります。宜しくしてやってくださいな」

「そういう事だ。仲良くしてくれると嬉しい」

 

 柔らかに接するアリエル主従に対し、ウィリアムは変わらず無表情に言葉を返した。

 

「アスラ王家の御方とノトスの御子息に(まみ)える事が出来、光悦至極……」

 

 形式通りの言葉を返すウィリアム。大国アスラ、大貴族ノトスの名を聞いても虎は必要以上にへりくだる姿勢を見せなかった。

 もし、虎が神君の血筋を引く異界の女子高生と出会っていなかったら、また違った反応が見られたかもしれない。

 そのような事情は知らぬアリエルは、ウィリアムの反応を目敏く察知し、ほんの少し目を細めた。

 

「アダムス様。そのように格式張らなくても構いません。私達には普段通りに接してください」

「はっ……」

 

 アリエルの気遣いを受けても虎は変わらぬ態度を保ち続ける。

 慇懃な態度を保ち続ける虎に対し、アスラの王女はやや困ったような微笑を浮かべていた。

 

「今日はアダムス様の御見舞に伺ったのですが、お元気なご様子で安心しました」

 

 気を取り直し、紅茶に口を付けつつ気品のある表情を向けるアリエル。ルークは先程から頬を擦りながら、虎へやや固い表情を向けていた。

 

「あの、アリエル様。ちょっといいですか?」

「どうしましたシルフィ」

 

 ウィリアムとアリエル主従との会談を黙って見ていたシルフィエットであったが、堪りかねたかのようにその口を開いた。

 

「なんでルークは顔を腫らしているの?」

 

 ルークの顔を指差しながら怪訝な声を上げるシルフィエット。ルーデウス邸に来た時からルークの顔は何者かに殴打されたのか、痛々しく腫れていた。

 

「いや、まあそれはだな……」

「ほっとくと後引くよ。治してあげるよ」

「いや、これは戒めとして……」

「いいからいいから。アリエル様の手を煩わせたくなかっただけでしょ?」

 

 シルフィエットはルークの傍へ行くと、その腫れた頬に手を当て治療魔術を行使した。

 無詠唱魔術により即座に発揮された治癒効果により、ルークの頬の腫れは瞬く間に引いていく。

 ルークは完治した自分の頬を擦ると、シルフィエットに深々と頭を下げた。

 

「すまん……」

「いいよ別に。で、なんでそんな事になっちゃったの?」

 

 ひらひらと手を振りながら、シルフィエットはルークの怪我の原因を尋ねる。

 相変わらず逡巡し続けるルークであったが、アリエルが従者の代わりに口を開いた。

 

「実は、ここに来る途中二人組の獣族に絡まれまして。というか、絡まれたのはルークだけでしたが」

 

 アリエルはラノア大学からルーデウス邸へ向かう途中、二人組のミルデット族に因縁を付けられた事を簡潔に語る。

 丁度絡まれた場所は人の往来が少なく、二人組のミルデット族はルークの姿を見てしつこく絡んでいた。

 

「『お前はこがん流か?』と、しきりに言われてな。違うと言ったのだが、あまりにもしつこいし、アリエル様にも害があってはいけないと思って追い払おうとしたのだが……」

 

 力なく語るルークを見て、その後の顛末を何となく察したシルフィエットは微妙な表情を浮かべる。

 アリエルの守護騎士として常にアリエルの傍らに控えるルークであったが、ゴロツキ相手に不覚を取るのもどうかと思い訝しげにルークに視線を向けていた。

 

「ルーク。そういう時は穏便に済ませる物ですよ。相手の実力が分からないのに下手に強気に出たら、痛い目に会うのは分かってたでしょうに」

「申し訳ありません……」

 

 アリエルはルークをやんわりと窘めるように言葉をかける。幸いミルデット族の二人組はルークを殴打した後、そそくさと退散したが、一つ間違えればアリエルの身にも危害が及ぶ事態であった。

 ことアリエルが絡むと向こう見ずな行動を取りがちなルークに、シルフィエットは窘めるような目つきで見続けていたが、一つ溜息を吐くとアリエルと同じように労りの言葉をかけた。

 

「最近は物騒な獣族の人が増えたもんね。災難だったねルーク」

「そうだな……不甲斐ない事だが」

 

 共にアリエルに忠誠を誓うシルフィエットは、ルークの行動を徒に謗る事は出来ず。もし同じ状況なら自分も不逞な獣族に真っ向から立ち向かっていただろう。

 もっとも、単騎で強力な魔物を滅しうるシルフィエットと、あくまで凡庸な戦士でしかないルークとの実力の差は雲泥であった事は確かであるのだが。

 

 ウィリアムはアリエル主従とシルフィエットのやり取りをさも興味が無さそうな様子で聞いていたが、“虎眼流”の名がルークから出た事でピクリとその鋭い眼尻をひくつかせた。

 

「ところでアダムス様。“こがん流”とはアダムス様の流儀ではありませんか?」

 

 そのようなウィリアムの様子に目ざとく反応するアリエル。無双虎眼流の名は、徐々にこの異世界に浸透しつつあった。

 

「……左様で」

「やはりそうでしたのね。三大流派以外で七大列強に叙されたのは、とても凄い事です」

 

 ウィリアムは虎眼流の名を聞いた以上に“七大列強”という言に反応する。啜ろうとしていた茶を置き、鋭い視線をアリエルへと向けた。

 

「それがしが七大列強と?」

「ええ。アダムス様は“死神”に代わり新たな七大列強に叙されています。この紋様に見覚えはありませんか?」

 

 アリエルは懐から一枚の紙を差し出す。

 そこに刻まれていたのは、剣五つ桜に六菱の紋様。

 前世の家、岩本家の家紋を眼にした虎は、驚きの表情を隠せないでいた。

 

「ご存知かもしれませんが、七大列強の碑石は列強に叙された御方のシンボルが刻まれています。アダムス様のお召し物にも同じ紋様が描かれていたのでもしやと思いましたが、その御様子ではやはりアダムス様縁のシンボルのようですね」

 

 虎はテーブルの上に置かれた岩本家の家紋を凝視し続けていたが、やがてゆっくりと瞼を閉じ、深く瞑目する。

 アリエルは変わらずウィリアムへ向け言葉をかけていたが、虎の耳にはアスラ王女の言葉は耳に入ってこなかった。

 

 あの死神との一戦。

 相討ちしたばかりか、相手に情けをかけられ命を繋いだ虎にとって、己が死神に代わり新たな七大列強に除された事は正しく寝耳に水であり……それ以上に、虎の中である種の寂寥感が広がっていた。

 

(これしきか……)

 

 完勝とは言い難いあの戦いで得た称号は、虎にとって価値がある物では無かった。

 みしり、と拳を握り瞑目するウィリアムに、周囲はやや困惑した表情を浮かべていた。

 

 アリエルもまた沈黙し続けるウィリアムにやや困ったような表情を浮かべるが、やがて居住まいを正し、ルーデウス邸から退去するべくルークへと声をかけた。

 ウィリアムの様子伺いという目的を達した以上、これ以上グレイラットの家族の団欒を邪魔する程アリエルは不粋では無かった。

 

「……そろそろお暇しましょうか、ルーク」

「はい、アリエル様」

 

 ルークもまた同じ気持ちだったのか、アリエルへ頷くと立ち上がり、主君の椅子を引く。

 ルーデウスとはまた違った意味で距離が測り辛いウィリアムは、ルークにとってやや苦手な部類の人間であった。

 

「ではまたお会いしましょう。アダムス様。シルフィも体調には気をつけてくださいね」

 

 アリエルはルーデウス邸玄関へと向かうべく立ち上がると、優雅な一礼をウィリアムへ向けた。

 ウィリアムは僅かに頭を下げ、それに応える。

 

「ノルンさんやアイシャさんもまたお会いしましょう。サイレント様にも宜しくお伝えください。それでは」

 

 見送るグレイラットの家族に一礼し、落人の姫君はルーデウス邸を後にした。

 

 

 

 

「ルーク。貴方から見て、アダムス様はどのような御方と見ましたか?」

 

 ルーデウス邸を出たアリエル主従は無言でラノア大学学生寮へ歩いていたが、おもむろに後ろに控えるルークへアリエルが声をかける。

 ルークはしばらく考えるような素振りを見せた後、しっかりとした口調でアリエルに応えた。

 

「アリエル様。私はこのシャリーアへ来てから様々な人間と出会ってきました。ルーデウスも変わった男でしたが、ウィリアムは特に余人と一線を画する男かと思います」

 

 良く言えば寡黙。悪く言えば不遜な若者。ルークがウィリアムに対し抱いた印象は概ねそのような物であった。

 

「ただ……我々に対して興味が無いように見えました。権力や権威が通用しない相手かと」

「私は違う印象を受けました」

 

 ルークのウィリアムへの印象を聞き、アリエルは即座にその意見を否定する。

 アリエルはアリエルでウィリアムの一挙一動をつぶさに観察し、虎が隠し持つ本質をある程度見抜いていた。

 

「ルークはあまり知らない事かもしれませんが、王宮で似たような御方が何人かいたのを覚えています」

 

 嘗てアスラ王宮にて自儘に振るっていた時分、宮廷政治の舞台において海千山千の輩がいた事を思い出すアリエル。王位継承を争った第一王子派の貴族達……特に、己をこのような境遇に陥れた元凶であるダリウス大臣の顔を思い起こしたアリエルは、僅かに顔を顰めていた。

 第二王女派の旗頭として擁立されたアリエルに、リストン卿を始めアリエルに忠誠を誓っていた貴族も多くいたが、それらの貴族はダリウス大臣の狡猾な奸計によって権力の座から叩き落されている。

 転移事件が発生した際、転移した魔物から身を挺してアリエルを守った守護術士デリック・レッドバットの遺志と、アリエルに賭けて没落した貴族達の無念を、落人の姫君はそのか細い肩に背負っていたのだ。

 

「仕えるべき主人に対し、狂信的な忠誠を誓える御方……権勢を求めていて、その権勢を認める者にしか忠誠を誓わない……絶対的な強者にして、被虐的な従者の気質……例えるならそのような感じでしょうか。ルークやデリックとは違ったタイプですが、本質的には同じですね」

「はあ……」

 

 滔々と語るアリエルにやや気の抜けた返事を返すルーク。自分とあの不遜な若者が同じ扱いをされるのに納得がいかない様子であった。

 

「確かに、あの御方は今の(・・)私には露ほども興味が無いでしょう」

 

 歩きながらルーデウス邸でのウィリアムの様子を思い起こすアリエル。権力闘争に敗れた弱者であるアリエルに、虎は一切の興味を抱かなかった。

 虎が興味を示すのは、強者のみ。

 

「ですので、今はそれとなく友誼を図るだけでいいのです。わかりましたね、ルーク」

「はい。アリエル様」

 

 アリエルの言葉にしっかりと頷くルーク。どのみち、あの虎を“こちら側”に引きずり込むにしても、しばらくの時がかかりそうであった。

 

(終始“アダムス”というお名前で呼び続けるのに拒否感を見せなかった……やはりルーデウス様達とは距離を置いていますね……)

 

 アリエルはウィリアムがシルフィエット、ノルン、アイシャに対して見せていた態度も目ざとく観察していた。

 ルーデウスは、おそらくシルフィエットの為にある程度は協力をしてくれるだろう。

 だが、出来ればルーデウスとシルフィエットにはアスラの政争に拘らず穏やかな人生を過ごして欲しい……そのような想いがあったアリエルは、グレイラット家と一線を引くウィリアムという強者がいる事は、ひどく都合の良い事であり。

 虎を配下に収める事は、ルーデウスに比べて何ら抵抗感を抱かなかった。

 

(欲しい……なんとしても……)

 

 “しかるべき日”の為に、流浪の強者を配下に収めるべく、捲土重来を誓うアスラの姫君は強かにその頭脳を働かせていた。

 

 

 

 

 


 

 一流の剣術者は常日頃から刀の手入れを怠らない。

 戦国の世に生きる侍達は想像以上に己の刀を大切に扱っていたものである。

 

 アリエル達との対面を終えたウィリアムはしばし瞑目していたが、やおら立ち上がると“七丁念仏”が置かれている客間へと向かった。

 シルフィエットら家族の者達へは簡潔に刀の手入れをするとだけ伝え、さっさと客間へ篭り刀の手入れを始めるウィリアム。

 アイシャが置いたのか、七丁念仏はウィリアムの荷物と共に丁重に安置されていた。

 

 ウィリアムは床に胡座をかき、鞘に納められた七丁念仏をゆっくりと引き抜く。死神戦で付着した血糊を落とすべく、水に濡らした布にて刀身を拭う。

 本来は即座に血脂を取り除かなければ鞘の中が生臭くなってしまうものだが、不思議と七丁念仏からは生臭い臭いは発しておらず。

 代わりに、濃厚な鮮血の香りが漂っていた。

 

 ウィリアムは乾いた布で水気を良く拭った後、荷物から“打ち粉棒”を取り出す。そのまま丁寧な手つきでポンポンと七丁念仏の刀身へ粉を軽く振りかけた。

 振りかけられているのは砥石を砂状に砕いた粒であり、この細かな粒子が刀身に残る古い油を除去する上で必要な代物であった。

 打ち粉にて古い油を除去した後、和紙に似た材質の紙を取り出し、ゆっくりと刀身を拭う。完全に油が除去された後、再び紙を用い、椿油によく似た性質の油をたっぷりと染み込ませ刀身に塗布する。

 常に新しい油を塗布しておくのも、鋭利な切れ味を保つための必要な条件であった。

 

 これら刀の手入れ道具をウィリアムは転移してからの旅路の途中、似たような素材から自らの手で作り出している。

 一流の剣術者であり兵法家でもあったウィリアムは刀工の知識も十分に持っており、異世界においても刀の手入れ道具を調達するのは難しくなかった。

 だが、七丁念仏は以前から大した手入れをせずともその妖しい輝きを保ち続けていた。妖気が漂う七丁念仏は、明らかに前世の時に比べ異様な変質を遂げていたのだ。

 

 一通りの手入れを終えたウィリアムは、七丁念仏の刀身をじっと見つめる。妖光を放つ七丁念仏の刀身は、前世を含め長い時を共に過ごしたウィリアムでさえ吸い込まれそうな程の魔力(まりき)を放っていた。

 

(七大列強……)

 

 刀身に映る自身の顔を見つつ、アリエルによりもたらされた七大列強に叙されたという事実を深く反芻していた。

 シャリーアへ来た当初の目的を見事に達成したウィリアムであったが、その心の貝殻は空虚な想いで満たされていた。

 

(あの死神の剣境は、明らかに剣神より劣っていた……)

 

 七大列強五位“死神”。普通に考えれば、列強六位の“剣神”と同格かそれ以上であろう。

 だが、両者と対峙したウィリアムは、死神の業前が明らかに剣神より劣っていた事を明確に感じ取っていた。

 ウィリアムは知るべくもなかったが、死神は長らく剣から遠ざかった生活を送っており、ウィリアムと立ち会った時は久方ぶりの“実戦”であった。

 全盛期にくらべ遥かに劣った実力であった死神と相討ち紛いの勝利しか掴めなかったウィリアムは、果たして己が本当に列強に相応しい実力なのかと自問する。

 少なくとも、剣神と同格以上になったとはとても思う事は出来なかった。

 

(己の業を、更に練り上げねばならぬ……)

 

 七丁念仏を鞘に納めながら、虎は再度己の業を磨く事を誓う。

 名を得ても、己の力は向上した事にはならず。

 もっと疾く。もっと強く。

 さもなくば、到底剣神とは渡り合えぬ。

 

『剣神……首を洗うて待っておれ……いずれ出鱈目に斬り刻んでくれるわ……!』

 

 怨嗟の日ノ本言葉を吐きながら宿敵との再戦を誓うウィリアム。あわよくば死神とも再戦し、完全勝利せしめて名実共に列強五位となり、剣の聖地へと赴き剣神流の何もかもを根絶やしにしたい怨嗟の衝動に駆られていた。

 

 

「……」

 

 だが、剣神流への怨嗟の激情にかられたウィリアムの心に、ふと黒き狼の姿がよぎる。

 僅かな間ではあったが、共に旅をしたあの女剣士は、真っ直ぐな恋慕を己にぶつけて来た。

 何故あそこまで慕われたのか皆目見当もつかないウィリアムであったが、口づけを交わした時、清々しい風が己の心に吹いた事は確かであった。

 

「あんな女子(おなご)だけは嫁にしたくないのだが喃……」

 

 優れた剣技と身体能力を持ち得ているにも関わらず、どこか抜けた様子があった剣王の姿を思い浮かべていく内に、ウィリアムは己の中の怨嗟の炎が鎮火していくのを感じていた。

 

「……うむ」

 

 平静となったウィリアムは改めて己が七大列強入りした事実を受け入れる。

 何はともあれ、列強入りした事によって己を狙う強者が増える事が想像に難くなく。

 その強者を片っ端から斬り伏せ、虎眼流を更なる高みに引き上げるのは、剣神を打倒し異界天下無双を目指す若虎にとって望ましい状況ではあった。

 

 

 七丁念仏を床に置き、静かに瞑目するウィリアム。瞑想するうちに先程まで対面していたアスラの姫君の姿を思い起こした。

 転移してからのウィリアムはとある事情(・・・・・)で暫くは一箇所に留まり続けていたが、こうしてシャリーアへ至る途上でそれなりに世の中の情勢を見聞きする機会はあった。

 アリエルはアスラ王国内の政争に敗れ、このシャリーアへと落ち延びた身分であり、列強入りしたウィリアムが必死になって売り込むべき相手ではない。

 とはいえ、今後あの姫君がどうなるのかは予想できる物では無かったが。

 

 ウィリアムの前世の日ノ本に於いて、没落した状況から再起を図り、天下に号令をかける例は室町の世の足利尊氏、鎌倉の源頼朝など枚挙にいとまがない。

 もっとも、それらは確かな実力と強力な運、そして支えてくれる優秀な家臣に恵まれていたから成し遂げられたのであって、大抵の没落者はそのまま歴史の影へと消え去っていったのも十分理解していた。

 

(いずれはあのアスラの姫君に己を高く売りつけるのも悪くない……が)

 

 王都へ舞い戻り、見事王権を奪取するか。それとも、このまま歴史の影に埋没していくのか。

 どちらにせよ、ウィリアムにとって今のアリエルへ仕官するという選択は現時点では全く考えられなかった。

 それよりも先に、虎には宿敵を滅するという宿命があるのだ。

 ウィリアムはそこまで思考した後、アリエルの一切を脳内から排除した。従兄弟と名乗ったルークについては、端から虎の脳内には存在していなかった。

 

 

 しばらく座して思考していたウィリアムであったが、ふとドアの向こうに人の気配を感じ取る。

 ドアの向こうから僅かに香る少女の匂いを嗅ぎ取った虎は、実妹である少女の名前を呼んだ。

 

「ノルンか」

「は、はい」

 

 ドアの向こうから、妹のノルンの上ずった声が上がる。

 緊張した声色で応えるノルンに、ウィリアムは少しばかり眼を細めていた。

 

「あの、入ってもいいですか……?」

 

 恐る恐る尋ねるノルンの声を聞いたウィリアムは、やや身体の力を抜いてそれに応えた。

 

「良い」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ゆっくりとドアを開き、おずおずと半身を覗かせながら部屋へ入るノルン。

 ウィリアムは七丁念仏を自身の背後に置き、敵意が無い事を無意識に示していた。

 

「あの、ウィリアム兄さんに、ちゃんとご挨拶してなかったから……」

 

 モジモジと手を組みながら呟くノルンに、ウィリアムはそういえばそうだなと思い実妹の顔をまじまじと見つめる。

 成長したノルンはまだ幼さを残しているものの、記憶に残る幼女とは違いしっかりと乙女としての器が出来つつあった。

 うつむきながら尚も逡巡している少女に、虎は優しげに言葉をかける。

 

「近う寄れ」

「は、はい!」

 

 ウィリアムの言葉を受け、パッと顔を輝かせた少女はとてとてと小走り気味にウィリアムへ近付く。

 胡座をかくウィリアムの隣へと座ったノルンは、また手をこまねいてチラチラとウィリアムの顔へ視線を向けていたが、やがて意を決したように可憐な唇を動かした。

 

「あの、ウィリアム兄さん……」

 

 おずおずと言葉を紡ぐノルンに、ウィリアムは黙って少女の言葉を受けていた。

 

「あの、その、えっと……」

 

 尚もモジモジと手をこねながら言葉を濁すノルンに、ウィリアムはちらりと視線を向ける。

 少女の頬は朱を差しており、親猫に甘えようとする子猫のような仕草を見せていた。

 

「えっと、その……」

 

 うつむきながらチラチラとウィリアムを見やりつつ、か細い声を上がるノルン。だが、やがて勇気を振り絞って自身の願望を虎へぶつけた。

 

「お、お膝の上に乗っても、よろしいでしょうか……?」

 

 後半は蚊の鳴くような声でしか紡がれなかった言葉であったが、ウィリアムの耳は最後まで少女の願いを聞く事が出来た。

 ノルンは顔を真っ赤にしながら俯いてしまい、ぎゅっと自身のスカートの裾を握りしめる。

 

 ウィリアムはそんな妹の様子を眼を細めて見つめていたが、ひとつ溜息を吐くと短い言葉を発した。

 

「良い」

 

 ウィリアムの言葉を受け、再びパッと顔を輝かせながら笑顔を浮かべるノルン。

 再会した時は、血に塗れた修羅のような様相を見せていた兄であったが、今共に過ごすこの兄は記憶に残る優しい兄であった事を再確認し、ノルンは花が咲いたかのような可憐な笑顔を浮かべていた。

 

「じゃ、じゃあ、しつれいします……」

 

 内心、きゃーっと小躍りしながらおずおずとウィリアムの膝の上へと腰を下ろすノルン。

 妹の温かい体温を感じた虎は、久方ぶりに感じたあの優しい時間を思い出し表情を緩めていた。

 

「重くなった」

 

 ノルンが小さき時分に、同じように膝の上に乗っていた事を思い出したウィリアムは、あの時とは違い少女が成長していた事を密かに喜ぶ。

 死神との一戦から、虎は再び家族を慈しむ心を取り戻していた。

 

「……ウィリアム兄さん。女の子にその言葉はデリカシーが欠けてます」

「む……」

 

 そんなウィリアムの言葉に、ノルンは僅かに頬を膨らませながらウィリアムへと顔を向ける。

 少女の咎めるような視線を受け、虎は誤魔化すかのようにノルンの頭を撫でた。

 

「母上に似ておる」

「……お父さんにも、言われました」

 

 ウィリアムの手から伝わる温かい体温を感じ、ノルンは気持ちよさそうに目を細める。

 昔と同じように甘えさせてくれるウィリアムの身体に、少女はゆっくりと体重を預けていた。

 

 母ゼニスと同じ、美しい金髪を持つ少女の柔らかい髪を撫でるウィリアムは、ブエナ村での温かい営みを思い出し、再び瞑目する。

 己はあの時と同じような温かい時間を、果たして過ごす事は出来るのだろうか。

 ノルンの髪を撫でながら、虎は自身の中で己の野望と家族の慈愛がせめぎ合っているのを感じていた。

 

「ウィリアム兄さんと、こうしてまた会うことが出来て、嬉しいです」

 

 ウィリアムに体重を預けながら、ノルンは無垢な喜びを見せていた。

 転移してから六年。長兄ルーデウスと初めて会った時は、父パウロに対して暴力を振るった事もあり、潜在的にルーデウスという兄へ恐怖を覚えていた時期もあった。

 だが、次兄ウィリアムは幼い頃さんざん甘えていた事もあり、ゼニスと同じくらい再会を焦がれる存在であった。

 

「これも、聖ミリス様の……神様のお導きだと思います」

 

 両手を組み、静かに聖ミリスへと祈りを捧げるノルン。

 母ゼニスが嘗てそうであったように、ノルンもまたミシリオンで過ごす内に人の世界で一大宗教であるミリス教へと深く傾倒していった。

 こうして敬愛する兄と再会した事は、ノルンにとって神の導きによるものである事は疑いようもなかった。

 

「ノルン」

 

 そんなノルンにウィリアムはやや硬い声を上げる。

 その声は、ミシリオンにいた祖母クレア・ラトレイアがノルンを“叱る”時のような、厳しい声色であった。

 

神仏(かみさま)は尊びこそすれ、祈り願うべきものではない」

 

 だが、その言葉は祖母クレアが信ずる信仰と真逆の思想が現れていた。

 

 神罰など存在せぬ。あるのは人と人との摩擦から生ずる“災い”だけであり、“天災”とは自然の摂理也。

 

 言外にそのような思想を見せつけた若虎に、少女は僅かに慄きながら押し黙る。

 優しかった兄が、唐突に見せたその強烈な価値観は、ミシリオンで育んだ少女の清廉な価値観を根底から揺るがす物であった。

 ルーデウスや、パウロは少女のこの価値観に入り込んだ教育はしておらず。敬虔なミリス教徒の祖母による熱心な教育を受け続けたノルンにとって、ウィリアムの一言は素直に肯定出来るものではなかった。

 

 あまりにも現実主義者的な価値観であったが、当のウィリアムにとってそれはさほど異常なものではなく、戦国の世に生きる者達が普遍的に持つ価値観の一つであった。

 

 そもそも、神道の成立や仏教の伝来等、日ノ本の宗教は時の為政者達の“都合”によって根付いた性格が強い。

 戦国の世に瞬く間に日本中に広まったキリスト教も、高山ユスト右近、小西アウグスティヌス行長、細川ガラシャ珠、明石ジュスト全登ら狂信者達を除けば、支配者層が入信する理由は南蛮人との交易目的が殆どであった。

 布教活動を行っていた伴天連宣教師達も、本国からの密命を受け日ノ本を宗教侵略し、その隷下に治めるのを主目的としていた為、侵略行為を察知した豊臣秀吉、徳川家康によってキリスト教は“禁教”として弾圧の対象となる。

 

 このような神罰を恐れぬ行為を平然と行っていた戦国の武士達が、本心で神罰の類を信じているのならば、元亀二年(1571年)織田信長の手によって行われた比叡山延暦寺の大虐殺は起こり得ないはずである。

 信長はその11年後、本能寺にて明智光秀によって弑逆される運命にあるが、当時からしてそれを仏罰だと断じる者はいれど信じる者は皆無であった。

 もっとも延暦寺の仏僧達は仏法に外れた生臭坊主達であったという世評があり、信長が堕落に塗れた教団に鉄槌を下したという側面もある。

 比叡山の主は正親町天皇の弟である覚恕法親王であったが、この延暦寺の焼き討ちについて正親町天皇や朝廷勢力からの抗議は一切上がっていない。

 神罰を心から信じる者は、当時からしても少数派であったのだ。

 

 ウィリアムがヒトガミによる思想侵略から逃れる事が出来たのも、この前世における価値観が功を奏したのは言うまでもない。

 ウィリアムに言わせれば、ヒトガミとは端から盲信出来る相手では無かった。

 それだけに、己がまんまとヒトガミの術中に嵌っていた事が許せぬ事ではあったのだが。

 

 

 ノルンはしばらく押し黙っていたが、やがて躊躇いがちにその可憐な口を開く。

 兄の宗教的価値観に思う所はあったが、それだけにウィリアムが何を信じ、何を大事にしているのかが気になっていた。

 

「……じゃあ、ウィリアム兄さんが信じるものは何ですか?」

 

 ノルンの言葉を受け、ウィリアムはその胸の内を妹へと明かした。

 

「己が力と、“家族”のみよ」

「自分の実力と、家族……」

 

 ノルンはウィリアムの言葉をゆっくりと咀嚼する。

 信仰を否定された事はショックではあったが、やはりウィリアムは……大好きなウィリアム兄さんは、私達家族を大切に想ってくれている。

 その事を再確認したノルンは、片膝に置かれたウィリアムの手にそっと自身の手を重ねた。

 虎の手からは、嘗て覚えたあの温かいぬくもりが感じられた。

 

 だが、ここでも虎はあくまで前世での価値観から物を言ったまでに過ぎない。

 戦国の世において、主君、家臣、盟友といった“他者”は服従こそすれ信ずるに値する物では無く、数少ない心を許せる“他者”は血を分けた肉親のみであった。

 もっとも前述の織田信長や、武田信玄、斎藤義龍のように親兄弟に手をかけてまで己が覇道を突き進む者もいたが、当時の価値観からしてもそれは修羅の道といっても過言ではなかった。

 

 前世において忠弟の忠誠心すら疑ったウィリアムの苛烈な猜疑心は、今生においてもいまだ心の奥底に燻り続けていた。

 転移してから六年。あの地獄の様な日々の中、己の心の隙間に巧妙に入り込んだヒトガミを、一時とは言え全く疑っていなかった事が、却って虎の前世で培われた“猜疑心”を増大させていた事に、ウィリアム自身も気付いていなかった。

 

 現に、妹を膝の上に乗せている虎は、突然の襲撃が発生した際、そのまま妹を盾にしうる(・・・・・・・・・・・)姿勢を無意識の内にとってしまっている。

 本人ですら自覚していない、嘗ての乱世の覇王達と何ら変わらぬ修羅の如き気質は、前世の娘の幻影を見ても尚、虎の心の奥底に埋伏し続けていた。

 妹を慈しみながら、妹を盾にせんとする虎の歪な矛盾を、少女は察する事は出来なかった。

 

 

「ウィリアム兄さん」

 

 しばらく兄妹の間に沈黙が漂っていたが、やがてノルンがしっかりとした口調でウィリアムへと言葉をかける。

 ノルンには、ウィリアムと再会してからずっと疑問に思っていた事があった。この疑問は、ノルンだけではなくシルフィエットやアイシャまでも感じていた。

 

 その事を、迂闊に聞いてしまうと、大好きだったウィリアム兄さんがいなくなってしまうかもしれない。

 

 少女は本能的にそう思っていたが、ウィリアムが家族を想う気持ちを見せてくれた事で、少女の中でその心配は杞憂に終わっていた。

 

「兄さんは、何でグレイラットの名前を名乗らないんですか……? 転移してから、何があったのですか……?」

 

 きゅっとウィリアムの手を握りながら、ノルンはウィリアムが転移してからの経緯を尋ねる。

 転移した前と後で、兄は異様な変質を遂げてしまっている。自身と同じ、母譲りの美しい金髪が、空虚な程白く染まってしまった兄の変化は、転移した先が余程の苛酷な環境であった事は想像に難くなく。

 

 兄のそれまでを気遣う痛ましいまでの妹の想い。

 虎は、それを受け、ただ一言。

 

「地獄」

「えっ……」

 

 

「あれは、この世の“地獄”よ……」

 

 

 感情の一切が死滅したかのような虚ろな声色。

 ウィリアムの膝の上に座るノルンからはその表情は見えないが、グレイラットの家族が持つある種の感性が、兄が持つ本質を見抜いていた。

 ノルンの背筋に、ぞわりと悪寒が走る。

 急に、それまでの日向のような甘く馨しい温もりが失せ、極寒の地に裸で投げ出されたかのような不安が、ノルンの全身を貫いていた。

 

「ウィ、ウィリアム兄さん……」

 

 言葉を震わせながら、ゆっくりとノルンはウィリアムへと顔を向ける。

 ノルンは、今日初めてウィリアムの“眼”を見た。

 

 その瞳は──

 

 

 

「あっ! ノルン姉ずるい!」

 

 突然、朱髪の少女の快活な声が響いた。

 はっと振り向いたノルンの視線の先に、先程のノルンと同じように頬を膨らませ腰に手を当てたアイシャの姿があった。

 

「あたしもウィル兄のお膝の上に乗りたい!」

「え……」

 

 おずおずと入室したノルンとは打って変わり、ずんずんとウィリアム達の元へ向かうアイシャ。

 アイシャが入室した瞬間、ノルンは背中に感じていた悪寒が霧散し、再びウィリアムに温かい空気が戻っているのを感じていた。

 

「ウィル兄! あたしもお膝の上に乗せて!」

 

 子犬がじゃれつくようにウィリアムの首に抱きつくアイシャ。そんな妹を邪険に扱う事もなく、されるがままのウィリアム。

 ぐいぐいと抱きつくアイシャに、ウィリアムの膝の上からやや押しのけられたノルンは“怨み”の篭った呟きを吐いた。

 

「アイシャは添い寝してたじゃん……」

「えっ!? どこでそれを!?」

 

 驚きながらノルンへ振り向くアイシャ。

 昏昏と眠り続けたウィリアムへ密かに甘えていた事を、ノルンに知られていた事はアイシャにとって完全に予想外であった。

 

「シルフィさんから聞いたもん。アイシャの方がずるいよ」

「ぐぬぬ……でも、あたしまだウィル兄のお膝の上に乗ってない!」

 

 無抵抗な虎を良いことに、アイシャは強引にノルンを押しのけてウィリアムの膝の上に座る。

 両膝に妹達を乗せた虎は窮屈そうに身を捩らせていたが、さり気なく膝からこぼれ落ちそうなノルンをしっかりと抱きとめていた。

 

「ウィリアム兄さん……」

 

 ノルンは腰に感じる兄の温かい手を感じ、再びその瞳を覗く。

 困ったような表情を浮かべていたウィリアムの瞳は、ノルンの記憶に残る温かい火を宿していた。

 

(あれは、見間違いなのかな……)

 

 ノルンは先程垣間見えた孤高の憤怒とも言うべき業火と、目の前の穏やかな火を宿す兄が同一の存在である事が信じられず、やがて先のウィリアムの瞳を記憶から消した。

 

 あれは、白昼に見た夢。

 少女は自己防衛本能から、そう思う事にした。

 

「えへへ。久しぶりのウィル兄のお膝だ!」

 

 そんな思いを抱くノルンにお構いなく、アイシャは全力でウィリアムへじゃれつく。

 ぐりぐりとウィリアムの胸に自身の頭をこすりつけ、ぐいぐいとノルンを押しのけようと占領地を広げていた。

 

「ちょっとアイシャ! ウィリアム兄さんから離れなさいよ!」

 

 思わず抗議の言葉を上げるノルン。アイシャは不満げに口を尖らつつ反撃の狼煙を上げた。

 

「ノルン姉が離れなよ!」

 

 口撃を飛ばしつつ、見せつけるかのようにウィリアムにくっつくアイシャ。

 それを見たノルンも対抗すべく、ぐいとウィリアムへと密着する。

 虎の土俵の上で繰り広げられる少女達の苛烈な闘争は、激しさを増していった。

 

「アイシャがくっつきすぎなんだよ!」

「ノルン姉だってベタベタしすぎだよ!」

「アイシャの方がベタベタしてるじゃん!」

「ノルン姉だって!」

「アイシャだって!」

 

 膝の上でぎゃあぎゃあと喚く妹達を、やや疲れた表情で見つめるウィリアム。

 だが、不思議と不快ではなく、どこか懐かしさを感じる安らぎが、ウィリアムの中に広がっていた。

 

 栄達の為でも無く。

 ましてや求道の為でも無く。

 異界天下無双に至る為、孤高の憤怒に身を任せる若虎。

 そのような“魔剣豪”ともいうべき宿業を、無垢な姉妹が穏やかに鎮めていた。

 

 ルーデウス邸にて、六年ぶりに兄妹の穏やかな時間が流れていく

 

 虎のこれまでを、労るかのように

 

 

 虎のこれからを、慈しむかのように……

 

 

 

 

「あ、いいなあ。ノルンちゃんとアイシャちゃん。ボクもご相伴に、なーんて」

「駄目っス」

「駄目っスか……ていうかウィル君、ボクにだけなんか厳しくない……?」

 

 

 

 

 

 




新撰組の悪評はだいたい芹沢鴨のせい

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