虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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幕間『常州魔剣豪戯劇(じょうしゅうまけんごうぎげき)

 

 

 

 

 剣聖、老いたり──

 

 

 

 

 

 天正十八年(1590年)

 常陸国筑波山

 

 廻国修行中の若き日の岩本虎眼が、ここ常陸国筑波山へ至ったのは山中での修行の為にあらず。

 獣道を押し進む若き虎の目的は、筑波山にて隠遁生活を送る一人の老剣聖を訪ねる為であった。

 

猿飛陰流(さるとびかげりゅう)の秘奥、尽く我が虎眼流の糧にすべし!)

 

 虎の目当ては、剣術“猿飛陰流”の開祖、愛洲(あいす)小七郎宗通。

 隠居してからは“元香斎”と号している老剣聖は、父である愛洲移香斎久忠が興した剣術三大源流である“陰流”を相伝し、猿飛陰流と名を改めた頃には陰流を無双の流派へと練り上げていた。

 元香斎の弟子にはあの戦国最強の剣聖、上泉伊勢守信綱がおり、その信綱が猿飛陰流や様々な流派を組み合わせ“新陰流”を興したのはあまりにも有名である。その新陰流を柳生一族が天下の一大流派まで押し上げたのは言うまでもない。

 

 その猿飛陰流の秘奥を盗み、上泉信綱と同じように己の虎眼流の糧にせんが為、この若き虎は野心を隠そうともせず筑波山へと赴いていた。

 

 

(いくさ)の場を踏むこと三十九度、一度も不覚を取らず。真剣の仕合二十度も尽く勝利を収めた、か……」

 

 虎眼は山中を歩きながら元香斎の逸話をぼそりと呟く。虎はこの無比の逸話を微塵も恐れてはいなかった。

 

「佐竹の家臣である元香斎は身分高き者。雑兵の槍が届く場所に配されなかったから手傷を負わなかっただけ」

 

 常陸の金山から得られる潤沢な資金を背景に強大な軍事国家を築き上げ、後北条氏と関東の覇権を巡って争った“坂東太郎”こと佐竹義重。その佐竹義重に臣従していた元香斎は、当然のことながら佐竹家における兵法指南役として任じられており、戦場での役割は専ら主君の身辺警護に留まっていた。

 故に、前線に配置されていない元香斎が一度も手傷を負わなかったのは万人が納得する理由であろう。

 

 だが、一対一の真剣仕合に二十度も勝利し続けたという逸話だけは一笑に付す事は出来なかった。

 

「一対一の仕合に勝ち続けたのは術理の賜物。己の虎眼流を更に練り上げる為には、それを盗まねばならぬ」

 

 虎は己の目的を改めて呟くと、粛々と元香斎が隠遁する山中の庵を目指して歩き続けた。

 

 

 

 しばらく虎眼が山中を歩いていると、茨に覆われた侘しい庵が見えた。

 周囲に人はおらず、虎眼は元香斎が本当にこの庵にいるのかと、少しばかり不安な思いに囚われる。だが、庵から炊事の煙が上がっていたことから少なくとも人がいる気配はあった。

 

 虎眼は無遠慮にその庵の中へと押し入る。

 すると、一人の老人が囲炉裏の前で座していた。老人の白髪は碌に手入れがされていないのか所々黄ばんでおり、口元は無精髭を生え散らかしている。

 老人は入ってきた虎眼を見やるも、直ぐに興味を失せたかのように囲炉裏の灰をかき混ぜていた。

 

「愛洲元香斎殿とお見受け致す」

 

 全く存在感を感じさせない老人の出現に、虎眼はやや戸惑うも短く腰を折り言葉をかける。

 老人……元香斎は、ぼうとした表情で虎眼を見やり、か細い声で言葉を返した。

 

「おお……常陸介(ひたちのすけ)様。よくぞ参られました……」

 

 元香斎は曖昧な表情を浮かべ虎眼へ言葉を返す。

 虎眼をかつての主君、佐竹義重と誤認した元香斎の口元は涎で濡れており、その視線は定かではなかった。

 

「いや、それがしは──」

「なんじゃ、源五郎か。何しに参った」

 

 今度はかつての弟子、上泉信綱と見紛う。

 虎眼は戸惑いつつも元香斎の無精髭が涎で濡れているのを見て、その脳が曖昧な状態である事を察した。

 

「神州無双の猿飛陰流の秘太刀、御指南頂きたし」

 

 虎眼は狡猾な笑みを隠そうともせず元香斎へと言葉をかける。己を上泉信綱と誤認し続ける曖昧な状態の老人から秘奥の術理を聞き出そうという魂胆である。

 

 しばらくぼんやりと囲炉裏の灰をかき混ぜていた元香斎であったが、やがてぽつりとか細い声を発した。

 

「疾きこと……」

 

 虎眼の問いに、ゆっくりと時間をかけて応えた元香斎。

 元香斎の言葉に虎眼は訝しげな視線を送りながらそれに応えた。

 

「天稟のある剣士が日夜修練に励めば、疾さの優劣などつきますまい」

 

 これは虎眼の実感から出た言葉である。

 一流の剣士の剣速は実戦の場においてそれほどの差は出ないものであり、であるからこそ虎眼は一流の先を目指すべく、己の剣速を更に疾く、神速の域へと練り上げんとしていた。

 それを成す為には、撃剣原祖の猿飛陰流の秘奥を是が非でも知らねばならぬことであった。

 

「疾き為には、まず遅きこと……」

 

 訝しげな虎眼に構うことなく、元香斎は緩慢な動作で灰をかき混ぜながら言葉を続ける。

 

「平素よりゆるりと歩き、ゆるりと箸を持ち……御主君や親兄弟にも愚鈍と映るくらいで丁度良い……」

 

 蚊の鳴くような声で紡がれる老剣聖の言葉を、一言も聞き逃さまいと耳をそばだてる虎眼。

 気づけば元香斎が囲む囲炉裏の向かいに腰を下ろし、身を乗り出すようにその言葉を聞いていた。

 パチパチと囲炉裏の薪が爆ぜる音が鳴る中、老剣聖の言葉は続く。

 

「いざ仕合となればゆるりと対手を眺め、ゆるりと歩を進め……」

 

 灰をかき混ぜる元香斎の眼が細まる。老剣聖から発せられる言葉は、逃れ難い誘引力を発していた。

 元香斎が灰をかき混ぜる手を止めると、虎眼は増々耳をそばだてた。

 

「ゆるりと剣を抜き──ゆるりと剣を担ぎ──」

 

 

 

 

 

 

 「石火の一刀を浴びせるッ!!」

 

 

 

 

 

 

 元香斎の一喝に虎眼の睾丸が縮み上がる!

 いつの間に抜いたのか、元香斎の手には抜き身の真剣が握られており、その切っ先を虎眼の喉元に突き付けていた。

 幻術めいたこの光景を前に、虎眼は全身から冷や汗を噴き出し、かちかちと歯を鳴らしながら老剣聖の姿を見やる。

 慄く虎眼に向け、元香斎は口角を耳元まで引き攣らせ、黄ばんだ歯を覗かせながら残虐な笑みを浮かべた。

 

「撃剣の一太刀の為だけに平素より我以外、(みな)を欺く……その疾きを、蓋をして隠すべし……」

 

 

 

「はっ、はっ……!」

 

 筑波山の山中を駆け足で下山する虎眼。庵が老剣聖の“間合い”であり、迂闊にも己が死地へと入り込んでいたことに気付いた虎眼は恐慌状態へと陥っていた。

 

 元香斎が見せた曖昧な状態は、老剣聖の擬態。

 

 痴呆を装った武神の比類なき剣技がいまだ健在であると看破した虎は、即座に踵を返し、老剣聖の猟場から這々の体で逃げ出していた。

 

(恐るべし猿飛陰流! 恐るべし元香斎!)

 

 虎が死地より生還せしめたのは、死体を片付ける面倒を嫌った老剣聖の気まぐれにすぎない。

 恐らくは、己と同じように猿飛陰流の秘奥を盗もうとした兵法者の尽くを、元香斎はその撃剣にて斬り伏せ秘奥を守っていたのだろう。

 

(元香斎め……!)

 

 庵から離れていくと、虎眼は元香斎の残虐な笑みを思い出し増悪の念が沸き起こる。

 だが、しばらく走る内に、不様に逃げ出した己の未熟を恥じる思いの方が強まっていった。

 

「元香斎の擬態を見破れなかったのは己の未熟。真の強者の実力とは、容易に推し量れぬものなのか……」

 

 息を切らせながら麓に辿りついた虎眼は、元香斎との邂逅によりただ己の未熟を痛感し、屈辱と畏怖の念が混ざった複雑な思いを抱くようになっていた。

 

 

 

 濃尾無双とまで称された大剣豪が伊良子清玄の手によりその生涯を終える時まで、唯一“完敗”と痛感したのはこの一件のみである。この日以降、虎眼は虎眼流をより練り上げるべく、増々死狂うた修練を己に課すこととなった。

 必死の修行の後、虎眼は秋葉山昆嶽神社にて虎眼流奥義“流れ星”を開眼するに至る。

 

 だが、この時強者とは己の武威を誇示する者ばかりでなく、狡猾に己の牙を隠す者もいると学んだ虎眼であったが、奥義を開眼し、剣名を上げる内にこの時の迂闊さを忘却してしまったのは、虎眼の本来持っている傲慢な性質という他はないだろう。

 

 筑波山での一件から五年後、虎眼は柳生但馬守宗矩と木剣にて立ち合っている。

 己に深く刻まれた猿飛陰流への屈辱を、新陰流の伝承者である宗矩の剣技を尽く完封せしめることで大いに溜飲を下げることとなるのだが、その直後、更に耐え難い恥辱を味わうことになるとは、この時の虎眼は全く予見していなかった。

 また元香斎のような擬態ではなく、己が真に曖昧な状態に陥るとは、虎眼は終ぞ思い至ることは無かった。

 

 虎眼は後年、この逸話を数少ない友人である近藤伝蔵に語っている。

 それは、他者を顧みない虎眼にしては珍しく対象への畏怖の念が篭った言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 元香斎ハ兵法ノ名人ニテ御座候

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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