虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第二十五景『砂漠淫夢幻能(さばくゆめしばい)

 

 ベガリット大陸

 

 六面世界“人の世界”南西に位置するこの大陸は、大部分が砂漠地帯となっている不毛の地である。僅かに存在する森林地帯が力を持たぬ民の拠り所となっていたが、砂漠地帯には強力な“魔力溜まり”が点在し、そこに形成される迷宮の産出品を目当てに多くの冒険者や商人が在住していた。また、古来より砂漠に住まう戦士達の部族もおり、それらは砂漠を行き交う隊商の護衛や迷宮に潜る冒険者の護衛を生業としていた。

 

 ベガリットには強力な魔力溜まりがあるせいか、棲まう魔物は魔大陸には及ばぬものの中央大陸の魔物とは比べ物になく強力である。それゆえに、各地から集まった迷宮目当ての冒険者は手練れが多く、砂漠の戦士達の戦闘力もまた相応に高いものとなっていた。迷宮産出品やベガリット産の魔物の素材は希少性が高い為、一攫千金を狙う商人達もまた野心に溢れ、危険地帯で商いを行う胆力を十分に備えていた。

 

 連綿と続く人々の営みはベガリットの社会基盤をある程度は構築せしめており、その一つが砂漠の各所に設けられているバザールなる小規模の集落である。迷宮都市や交易都市間の物流の中継を担っているバザールは、灼熱の大地を旅する者にとってまさにオアシスともいえる休息の地であった。

 

 また、苛酷な土地に住まう人間の多くが屈強な亜人や魔族では無い“人族”である為なのか、ベガリット大陸にはアスラ王国のような広域王朝は存在せず、各都市の自治による社会行政が施行されている。迷宮産出品や魔物の素材を加工する技術力も高く、ベガリット産の物品は一種のブランドとなって世界中で取引されていた。流通する通貨もベガリット独自の貨幣“シンサ”が使われており、扱われる言語も“闘神語”という独自の言語が使われている。

 ベガリットは政治、経済、文化、気候など様々な面で独自性の強い大陸となっていた。

 

 茫漠と広がる砂の海。

 日中は全てを焼き尽くさんと灼熱の太陽が身を焦がし、熱風がその骨を溶かさんと吹き荒れる。だが、日が沈み夜の帳が下りると、砂漠は全てを凍てつかせんと氷点下の酷寒世界へと変わる。

 乾燥した砂の大地は地熱を保つことが出来ず、昼夜の温度差を非常に大きいものとしているのだ。

 

 

 時刻は深夜。

 砂の海にぽつんと存在する“転移魔法陣の遺跡”にて、静寂にして厳冷な夜の砂漠に相応しからぬ熱情に溢れた声が響いた。

 

「イヤアアアアアアアッッ!!」

 

 絹を引き裂くかのような哭声が響く。

 しかしこれは救いを求める女性(にょしょう)の悲鳴ではなく、ましてや空手技を叩き込まんとする忍者の咆哮でもない。

 

「わ、若先生! お気を確かに!」

「アッハッハッハ! アダムス! 汝は衆道(・・)も嗜んでおったか!」

 

 目に涙を溜め狼狽するは兎の弟、ガド・ミルデット。

 目に涙を溜め哄笑せしは霞の鬼、現人鬼波裸羅。

 

 そして双方が視線を向けしは、曖昧な状態(・・・・・)の若き虎ウィリアム・アダムスと、今まさにその虎に陵辱されかけている兎の兄ナクル・ミルデットであった。

 

「い、いくぅ……」

「わ、若先生! ナクルでございます! いくではござりませぬ! いくでは!」

 

 ナクルをうつ伏せに組み伏せ、曖昧な表情を浮かべる異界の若虎、ウィリアム・アダムス。

 涙を浮かべながら必死に虎の拘束から逃れようとするナクルであったが、七大列強に相応しきその剛力は兎兄の一切の抵抗を封じていた。

 

「種ぇ」

「やめてぇ!」

「兄ちゃぁぁぁぁぁん!」

「アッハッハッハッハ!」

 

 必死になってウィリアムから逃れようとするナクル。しかし虎は確りと兎兄を押さえつけその逃走を許さない。

 師である虎に対し、実力行使でその暴虐を止めるわけにはいかないガドは悲惨な程の狼狽を見せ、現人鬼は爆笑した。

 

 

 幻想的な異世界の砂漠で繰り広げられし阿鼻叫喚の地獄絵図。

 一体何がどうしてこのような惨劇の幕が上がったのか。

 その理由を探るには、少しばかり時を遡る必要があった。

 

 

 

 

 


 

「ほう! これが“転移魔法陣”なる物か!」

 

 龍神、そして魔族の暗殺部隊との激戦を終え生き永らえた虎眼流師弟一行。ルーメンの森は緑豊かだったその景観を一変させ、終末世界の如く荒れ果てた姿を晒していた。

 とはいえ、転移魔法陣の在処である祠の周囲は戦闘圏内から離れた場所にあった為か、存外に森林としての原型を留めている。

 なぜかウィリアム達に同道することとなった現人鬼波裸羅は、眼を輝かせながら茨に覆われた石碑へと近づく。

 

「アダムス! この石碑が魔法陣か(のう)! 随分と小振りじゃな!」

「いやそれは……」

 

 ウィリアムはべしべしと石碑を叩きながら御機嫌な様子の波裸羅を見てうんざりとした表情を隠そうともせず。

 互いに戦う理由は無くなってはいたが、それでも波裸羅の謎めいた素性はウィリアムに疑念を抱かせるのに十分であり。そもそも、あの“怨身忍法”なる怪しげな術は今生に於ける魔術との類似性は一切無く、まして前世世界でもそのような荒唐無稽を目にしたことは無く。加えて、弟子の衣服を強奪せしめる程の傍若無人っぷりを見せた波裸羅はあらゆる意味で傍に近づけたくない存在であった。

 上記の理由で既に敵対することは無くなったが、かといって味方にもしたくないウィリアムは波裸羅の同道を一度は断ろうとしていた。

 

 だが、オルステッドと伍するほどの実力を持つ波裸羅の戦闘力、そして前世世界である程度の地位にいたであろう波裸羅の社会的立場を鑑みたウィリアムは、転移魔法陣の絶対秘匿を条件にその同道を許可していた。

 弟子達、特に裸に剥かれたナクルの猛抗議を完全に無視した、断腸の思いではあったが。

 

「現人鬼殿! それはただの石碑で魔法陣は結界でかもふられているだけです!」

「何も知らぬなら勝手な行動は謹んで頂きたい!」

 

 双子の兎、ナクルとガドははしゃぐ波裸羅を嗜めるように声を荒げる。

 ナクルはガドの上衣を腰に巻き、そのしなやかな肢体を無防備に晒している。ガドは近くの小川で己の糞便が付着した下履きを洗ったばかりであり、その下半身はびしょびしょに濡れ塗れていた。

 波裸羅は無惨な姿で喚く双子の兎を、先程のウィリアムと同じようにうんざりとした表情を向ける。

 

「煩い。素っ裸兎に(くそ)漏らし兎」

「あんたが剥いたんじゃねーか!」

「洗ったからもうウンコついてねーし!」

「あ?」

真心謝罪(すいませんでした)!」

(ナマ)言ってさーせん!」

 

 食って掛かる双子の兎を即座に威圧する波裸羅。ウィリアムはその様子を何かを諦めたかのような寂寥感が篭った眼差しで見つめた。

 僅かの間に双子との明確な身分の檻(ヒエラルキー)を確立させた波裸羅の自儘ぶりは留まることを知らず。

 

稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)みたく皮を剥かれたわけじゃあるまいし。喃、アダムスの」

「……」

 

 ウィリアムへ扇情的な美笑を向ける波裸羅。それを沈黙で返すウィリアムは、ワニザメよりも凶悪なこの波裸羅の笑顔を見ても全く揺れることはなく。

 泰然自若のその心胆は、背中に背負いし“異界天下無双”に相応しき代物。波裸羅はその言霊を見て美笑を強めた。

 

「ふふふ……異界天下ゴッツァンか。見上げた下克上よの」

「……何か」

 

 波裸羅の美声に、ウィリアムは顔を顰めながらそれに応える。己の大望を鼻で笑われたように感じた虎は、波裸羅へ向け僅かに怒気を露わにした。

 

「別に何もないわい。波裸羅を差し置いて天下ゴッツァンを宣うのは大いに結構。波裸羅はこの異界、愉しみこそはすれ骨を埋めるつもりは無いのでな」

「……」

 

 奔放な発言を続ける波裸羅に、ウィリアムは諦めたかのように溜息を吐くのみであった。

 

「ナクル」

「は、はい!」

 

 ウィリアムは石碑の前で恐々としているナクルへ声をかけ、懐から呪文が書かれしメモを取り出した。

 転移魔法陣の石碑に特定の詠唱呪文を唱えねば、転移魔法陣の遺跡は現出せず。

 ナナホシから授かった呪文のメモをナクルへ手渡すウィリアムを見て、波裸羅は不思議そうな表情を浮かべる。

 

「なんじゃ、なんぞ(まじな)いが必要か。アダムスは魔術なる幻法は使えぬのか?」

「それがしは魔術の素養はありませぬゆえ」

 

 これは転移魔法陣の存在を教授したナナホシも知らぬことだったが、ウィリアムは魔術を一切使えぬ者であり、兄ルーデウス・グレイラットが膨大な魔力量を用いて魔術を行使するのとは真逆の性質を有していた。

 その分、ウィリアムは内に秘める膨大な魔力を闘気として発するのを可能としている。

 ナナホシはルーデウスと同じ様にウィリアムも魔術の素養があると勘違いし、転移魔法陣の起動呪文のメモを渡してしまったが、ウィリアムは旅すがら適当な魔術師を雇って転移魔法陣の起動を行おうと考えていた。当然、口封じに用済みとなったその魔術師の斬殺も。

 シャリーアで双子を弟子にしたのはウィリアムに、そして無惨な骸を晒したであろう魔術師にとっては僥倖だったといえるだろう。もっとも双子は“吠魔術”しか使えない武辺者ではあったが。

 

「不足を知る者は足る者じゃ。魔術がつかえぬからとてヘコむ必要は無いぞ」

「元から気にしておりませぬ……」

 

 ウィリアムは努めて平静に波裸羅へ言葉を返す。虎の地雷原を悠々とぶち歩く現人鬼の自儘ぶりを受け、兎達は首筋に冷えた汗を垂らしてた。

 

「ええっと……その龍はただ信念にのみ生きる。広壮たる(かいな)からは……」

 

 ナクルはメモへ目を通しながら石碑に手を置くと、おずおずと呪文を詠唱し始める。

 ナクルの手から石碑に魔力が注がれていくと、石碑の先にある空間が歪み石造りの建屋が現出した。

 

「ほぉ……」

「すっげ……」

「こんなの見たこと無い……」

「……」

 

 結界が解除され転移魔法陣の遺跡が現出すると、四人はそれぞれ感嘆を新たにする。

 現出せし遺跡の内部には、目当ての転移魔法陣が存在していた。

 

「よっしゃ。()くぞ魔剣豪共!」

 

 ずんずんと大股で先を進む波裸羅。それを見たナクルとガドは感動に震えた興奮がみるみる萎えていき、げんなりとした表情を浮かべて後に続く。ウィリアムもまた一瞬戸惑うも、直ぐに無表情となりそれに続いた。

 このような摩訶不思議なる建物の内部では、どのような罠があるか分かったものではない。が、波裸羅ならば致死性の高い罠でもおそらくは大丈夫だろう。よしんばそれに引っ掛かって命を落としたとしてもなんら感慨もなく。

 弟子を先行させるよりは遥かに有義であるこの隊列は、ウィリアムにとって何ら不満に思う所は無かった。波裸羅には恩もあり、妙な魅力もあり、前世世界を同じくする同胞でもあったが、だからと言って胡散臭いその存在を完全に信用したわけでも無く。ウィリアムは波裸羅に何かしら不穏な動きを察知すれば即座に成敗する腹積もりであった。

 もっとも、既にルーデウスがこの魔法陣を使用してベガリット大陸へ行っている為遺跡内部の安全は保証されており、そもそもナナホシが指示した場所ならばウィリアムにとって悪意がある場所とは思えなかったのだが。

 

 

「中は大して広くない喃」

 

 先行する波裸羅は興味深そうに遺跡内部を眺める。

 遺跡内部は薄暗く、石造りで建てられたその壁面には縦横に蔦が生い茂り樹木の根が覗いている。入って直ぐに四つの扉が見え、その内二つは何もない空き部屋であった。

 

「あ、服がある」

 

 もう一つの部屋にはクローゼットが設置されており、その中には男物の防寒具が保管されている。ナクルは目敏くそれ見つけ手を伸ばそうとするも、ウィリアムが即座にそれを制した。

 

「ナクル。ここの品に手を付けるな。ナナホシ姫の御意向である」

「は、はぁ……」

 

 しゅんと兎耳を垂らし名残惜しそうにクローゼットを見るナクル。ウィリアムはナナホシから転移魔法陣の存在を教授された際、その内部にある物品はそのまま安置するよう申し付けられていた。

 その物品の本来の持ち主の事を全く伝えていなかったのは、ナナホシのうっかりでは済まされない程の失態であったのだが。

 

「この奥じゃな」

 

 波裸羅は無遠慮に最後に残った扉を開くと、扉内部にある階段をずんずんと進む。

 先のルーデウス達が慎重に歩を進めたのとは違い、自信満々に闊歩する波裸羅。しかしこれは冒険ではなく蛮勇である。発せられる蛮勇引力に引かれ、虎眼流師弟は現人鬼の後に続く。

 

「ほほう。らしいのがある喃」

 

 進んだ先には、ぼんやりとした青白い光を発する魔法陣が現れる。それを目にした波裸羅は増々眼を輝かせていた。

 

「若先生。こちらへ」

「うむ」

 

 ナクルがウィリアムを魔法陣の中心へと導く。転移魔法陣を複数人で使用する場合、それぞれの肉体が接触していなければ同時に転移することは出来ない。ナクルはガドと手をつなぎ、空いた手でウィリアムへと手を差し出した。

 ちなみに、この双子の兎は隙あらば波裸羅をそのまま置き去りにしようと画策していた。

 

「手を繋げばいいのじゃな!」

 

 が、双子の企みはあっさりと頓挫する。

 波裸羅は残虐な笑みを浮かべながら強引に双子の間へと割って入り、それぞれの手をみしりと握りしめた。

 

「いだだだだだだだッ!?」

「や、ヤメローッ!」

(やわ)(たなごころ)じゃ喃。もそっと鍛えんか」

 

 ウィリアムは目の前で繰り広げられる無惨な光景を極力無視し、溜息を一つ吐くとそっとナクルの肩に手を置いた。すると、魔法陣が活性化されウィリアム達の意識が一瞬途切れる。

 

 気付いた時には、ウィリアム達は砂漠の大地、ベガリット大陸へと到達していた。

 

 

「なんとも味気ない喃。本当に転移したのか?」

 

 波裸羅は入って来た時と同様にずんずんと部屋の出口へと歩む。扉を開けると、焼け付くような熱風がウィリアム達へと纏わりついた。

 明らかに森とは違う環境の変化を受け、波裸羅は好奇心に溢れた美笑を浮かべ遺跡の外へと足を運ぶ。

 ウィリアム達は熱さと波裸羅の自儘ぶりに顔を歪めながらそれに続いた。

 

「ほう! 因州の砂丘とは比べ物にならぬな!」

 

 遺跡の外は、膨大な熱砂に溢れた砂漠が広がっていた。砂の大地から照り返す太陽光がウィリアム達を焼き、その酷暑は容赦なく虎と兎兄弟を苛む。

 ただ一人元気いっぱいの現人鬼だけが、その茫漠な砂の大地を眼を輝かせて見ていた。

 

「よっしゃ! 征くぞ魔剣──」

「現人鬼殿。今日はこれ以上進まずここで夜を明かしましょう」

 

 勇んで飛び出そうとする波裸羅に、ウィリアムは待ったをかける。見ると、ウィリアムはやや苦しそうに自身の胸を押さえていた。

 先の戦闘で折れた胸骨は完治しておらず、本来ならばしかるべき治療を受けねばならぬほどの負傷を負っていたウィリアム。いかに強靭なその肉体とはいえ、休息を挟まずに苛酷な砂漠を走破出来るほど、虎の体力は残されていなかった。

 まだ日は中天を指していたが、ウィリアムはこれ以上の行軍はせず、素直に休息を取ることを決断していた。

 

 波裸羅はウィリアムを見て鼻息をひとつつくと、つまらなそうに遺跡内部へと美足を向けた。

 

「ふん、だらしない喃。ま、()いては事を仕損じるとも言うしな」

 

 不満げな波裸羅へ向け僅かに頭を下げるウィリアム。とにかく、虎には休息が必要だった。双子の兎は波裸羅を見て「そのまま彼方へ消えてくれればいいのに……」と、波裸羅に負けず劣らず不満げな表情を浮かべていたが、宿営準備を整えるべく波裸羅に続き遺跡内へと戻る。

 

 ウィリアムはちらりと砂漠へと眼を向ける。虎が見つめる先は、迷宮都市ラパンが存在していた。

 僅かに表情を歪める若虎。

 それは、砂漠の熱さや、胸の痛みからでは無かった。

 

 

 

 深夜。

 酷暑の砂漠は極寒の砂漠へと変わっていたが、遺跡の内部ではややその寒さが和らいでいる。ウィリアム達は森でしこたま薪を集めてはいたのだが、室内で火を起こすのを避けた為、魔剣豪達は僅かな暖を取りながら身体を休めていた。

 ナクルとガドは身を寄せ合い互いの体温を求めるようにして眠りについている。ウィリアムはその少し離れた場所で妖刀を抱えながら壁面にもたれ掛かり身体を休めていた。

 

「……?」

 

 ふと、微睡むウィリアムの鼻孔を“甘い香り”がくすぐる。同時に、虎の心臓が早鐘の如く鼓動を強くしていた。

 

(奇な……)

 

 自身の肉体の異常を察知し、眼を開いたウィリアムは鋭く周囲へ視線を向ける。

 部屋には双子の兎の姿しかなく、現人鬼波裸羅の姿はどこにも無かった。

 

「んん……」

「うー……」

 

 もぞもぞと身じろぎをする双子の兎。ナクルの上半身は汗で濡れており、艶かしくそのしなやかな肉体を晒している。

 ガドもまたあどけない寝顔をしっとりと濡らし、どこか中性的な色気を発している。

 ウィリアムは妙に色っぽい弟子達の肢体を見て、ごくりと生唾を飲み込んでいた。

 

 このウサギ……すけべ過ぎる!

 

(九郎右衛門ではあるまいし!)

 

 前世の虎眼流高弟の一人、山崎九郎右衛門の顔を思い浮かべたウィリアムは、煩悩と共に現れた九郎右衛門の顔を打ち消すかのように頭を振る。九郎右衛門が同門の美少年剣士、近藤涼之助を想い夜な夜な自慰行為に耽っていたのを、見て見ぬふりをする情けが虎眼流師弟に存在した。

 ウィリアムは双子の艶めいた肉体から眼を逸らしのそりと身体を起こす。前世の価値観からか男色には一定の理解を持つウィリアムであったが、だからといって自身が男に欲情するつもりは毛頭無く。

 これ以上この場にいてはよからぬ間違いを仕出かすと思ったウィリアムは、その滾った肉欲を発散させるべく遺跡の外へと赴いた。一歩外に向かう度に、甘い香りはウィリアムの脳髄を痺れさせ、肉体は淫欲に支配されていった。

 

「……」

 

 外に出ると、満天の星空が綺羅星の如く輝きを放ち、夜の砂漠を幻想的な雰囲気に演出していた。が、ウィリアムはそのような景観に浸るほどの精神状態ではなく。

 やや息を荒くし、血走った眼を浮かべながら自身の下履きへと手をかけようとした。

 

「む……?」

 

 だが、下履きに手をかけたところでウィリアムは動きを止める。見ると、視線を向けた先には、遺跡からいなくなっていた波裸羅と淫靡な雰囲気を醸し出した女姓の姿があった。

 酷寒の砂漠には相応しからぬ薄手の布を身に纏い、妖艶な笑みを浮かべている女性。波裸羅と女性は向かい合わせに対峙しており、ウィリアムからは波裸羅の後ろ姿しか見えておらず。

 薄手の布の下では女性の乳房が透けて見えており、僅かに浮かぶ桜色の蕾が若虎の肉欲を刺激する。くびれた腰つきと相まって得も言われぬ魅惑を放つ女性を、ウィリアムは血走った眼で見つめていた。最早、波裸羅と女性が何故真夜中の砂漠で対峙していたのか、という事など虎にとってどうでもよくなっていた。

 

「うふふふふ……」

 

 眼が合う若虎と女性。女性は蠱惑的な笑みを浮かべると、その手を自身の乳房へ淫猥に這わせ、虎を誘うべく手招きをひとつした。

 夢遊病患者の如く、ウィリアムは女性の胸元へとふらふらと誘われていく。依然仁王立ちする波裸羅の横を通り過ぎ、ウィリアムはその肉欲をぶつけんと女性へと手を伸ばした。

 

 虎が、砂漠の淫花に手を伸ばした、その瞬間。

 

 

「忍法“柘榴砕き”!」

「ギュエアァァァァァッ!!」

 

 

 波裸羅の美気迫一閃!

 直後に女性の心臓は柘榴の如く割れ、全身から血を噴き出し凄まじい形相を浮かべ絶命する!

 

 忍法“柘榴砕き”

 

 現人鬼が纏う怨気は常人ならば心臓が破裂する程の威圧を放っており、その怨気に指向性を持たせることで対象の肉体を完全破壊せしめることが出来る。

 波裸羅の心臓破裂闘気をまともに浴びた女性は一瞬で心臓が破裂し、その淫靡な肉体を無惨な姿へと変えていた。

 ちなみにこの忍法は波裸羅との実力差が相当に開いていないと効果が出ず、仮に双子の兎達が同様の忍法を喰らったとしても動悸が乱れる程度に収まる威力であった。

 

「何をするッ!」

 

 いきなりの残虐行為で“餌”を台無しにされた虎は怒りを顕にし波裸羅に食って掛かる。胸ぐらを掴まれた波裸羅はウィリアムへ気だるげな表情を浮かべながら女性の死体を指し示した。

 

「戯け。よう見い」

「ッ!?」

 

 女性の死体はその艶美な美貌を一変させ、蝙蝠のような醜悪な面貌へと変わっていた。官能的な肉体がそのままなのもあってか、その死体はひどく歪であり、まさに異形異類の死骸という有様である。

 ウィリアムはその姿を見て一瞬顔を顰めるも、自身の内から沸き上がる“獣欲”に苛まれその場に蹲ってしまった。

 

「ムーアから聞いていたが、これがサキュバスなる魔物なのじゃ喃……」

 

 ベガリット大陸に棲まう淫魔、サキュバス。

 女型の魔物であるサキュバスは特殊なフェロモンを撒き散らし男を狂わせ、自身を性的に襲わせてその体力、そして精力を絞り尽くす魔物。衰弱した男を巣へと持ち帰り、その肉体を貪り喰らうのがサキュバスの主な生態である。

 男にとって抵抗し難い誘引力を発するサキュバスのフェロモンであるが、女にとっては鼻がひん曲がる程の悪臭に感じられ、元々の戦闘力がそれほど高くないのもあってか男女で討伐難易度が激変する珍妙な魔物であった。元々は魔大陸に少数生息するサキュバスであったが、ラプラス戦役の際に魔神ラプラスが増殖させ、ベガリット大陸の人族撹乱の為に大量に放っている。今ではベガリットの固有種となったサキュバスを警戒し、砂漠の戦士達は男女ペアになって行動するのが常であった。

 

「クソ生意気にもこの波裸羅を誘惑しおってからに。じゃが、波裸羅が雄にも牝にもなれるとは思わなんだろうな」

 

 くつくつと蠱惑的に喉を鳴らす波裸羅。

 身体を休めるウィリアム達の中で、最初にサキュバスが発するフェロモンに気付いた波裸羅は、その臭いの発生源を確かめると即座に自身の肉体を操りサキュバスの反応を探っていた。

 サキュバスは男かと思ったら急に女の肉体になった波裸羅を見て混乱し、波裸羅はそれを見て面白くなったのか自身の剛槍を出し入れする。つまるところ、サキュバスの反応を見て遊んでいただけである。

 そろそろ飽きてきたので適当なところで殺害してやろうかと思っていた矢先に、フェロモンに誘われたウィリアムが現れたといった次第であった。

 

「うぅ……!」

「なんじゃアダムス。淫魔の淫気に当てられたか?」

 

 蹲るウィリアムを首をかしげながら覗く波裸羅。

 覗き込む際、その美しい胸の谷間が露わになり、その肢体からは先程の甘い香り以上の性臭が漂う。ウィリアムは脂汗を浮かべながら沸き上がる獣欲を必死になって抑えていた。

 

 現人鬼は。

 現人鬼だけは、無い。

 

 若き血潮を滾らせる虎の貝殻の中で、理性と本能が激しく鎬を削っていた。

 波裸羅はそれを見て愉悦に満ちた表情を浮かべており。つまるところ、虎を弄って再び遊んでいるだけであった。

 

「わ、若先生!」

「如何なされ……何だこのバケモン!?」

 

 波裸羅の殺人闘気の余波を受け覚醒したのか、おっとり刀で駆けつける兎兄弟。直後に飛び込む醜悪な淫魔の死体を見て当惑を隠せなかった。

 

「兎共、早よその淫魔を焼け。臭くてかなわん」

 

 波裸羅の一声を受け、双子は弾かれたようにサキュバスの焼却を開始する。即座に集めていた薪をくべ、淫魔の死体を燃やし始めた。

 

「け死めバケモン!」

「ざまたれが!」

 

 夜の砂漠にてごうごうと淫魔の死体が燃える。サキュバスが発していたフェロモンは良い感じに双子を興奮せしめており、まるでサバトの如く狂乱した様相を呈していた。

 

 やがてサキュバスが完全に灰となり、双子の兎もやや落ち着きを取り戻す。幸か不幸か、フェロモンの残り香程度では兎を発情させるには至らず。

 未だに蹲るウィリアムを見た双子は灰の始末をそこそこに師匠の安否を確かめるべくその傍に駆け寄った。

 

「若先生……お体の具合は……?」

「……ぃ」

 

 満点の星空が輝く夜の砂漠。蹲るウィリアムの表情を伺うにはその光量が足りないのか、ナクルは心配そうに虎の表情を覗き込む。

 

「……ね」

「わ、若先生?」

 

 覗き込むナクルの腕を取り、俯きながら何かを呟くウィリアム。戸惑うナクルは、その掴む力が徐々に強まっていくのを感じ取り、増々困惑した様子を見せる。

 

 そして、ナクルは見てしまった。

 

 虎が、理性と本能の激烈な争いの果てに、曖昧な領域へと迷ってしまったのを。

 

「種ぇ……!」

「ッ!? ぎゃああ!?」

 

 

 地 獄 開 始

 

 

 

 

 


 

 そして時は冒頭の惨劇へと戻る。

 

「い゛~~」

「やだぁ!」

 

 ナクルが腰に巻いていたガドの上衣が無惨にも破り捨てられる。完全に生まれたままの姿となったナクルに、虎が猛然と襲いかかっていた。

 ガドは相変わらずけらけらと笑う波裸羅へ必死の形相を向ける。

 

「ゲホッ……ああ、よく笑った」

「現人鬼殿! 笑い事じゃねえっス!」

 

 しこたま笑いを上げた波裸羅は涙を拭いつつ、笑い疲れたのかやや気だるげにガドへと応えた。

 

「ねえっスか……別に師匠が弟子の尻を掘るなぞ何の問題もなかろうに」

「問題しかねえよ!?」

 

 声を荒げるガドを見て、増々面倒くさそうな表情を浮かべる波裸羅。こうしている間にも、ナクルの蕾は儚く散らされつつあった。ガドは虎を止めるべく必死になって波裸羅へ懇願する。

 

「現人鬼殿! 若先生を止めるには現人鬼殿の御力が必要なんです! どうかお助けを!」

「ええ……めんどくさい喃……」

 

 こうしている間にも、ナクルの蕾は……

 既に手遅れになりつつある状況ではあったが、まだ最後の一線はぎりぎり越えておらず。

 波裸羅はその惨劇を眺めつつ、やおら重たい腰を上げた。

 

「ま、波裸羅も野郎同士の乳繰り合いは見たくは無いしな。是非も無し」

 

 腰を上げた波裸羅は捕食を継続する虎へ向けて美声を発した。

 

「おい、アダムス」

「あ、ああ……?」

 

 波裸羅は蠱惑的な笑みを浮かべつつ、胸元へ手をかけちらりとその桜色を覗かせた。

 

「ほれほれ。むさ苦しい兎のケツより、ここに甘い果肉があるぞ」

「あ、あああ……!」

「ひぎぃッ!」

 

 まさに花蜜に誘われる蜜蜂のように、ふらふらと波裸羅の胸元へと吸い寄せられるウィリアム。波裸羅の元へ向かうウィリアムに臀部を蹴り飛ばされたナクルは情けない悲鳴をひとつあげていた。踏んだり蹴ったりとはこのことか。

 

「ふふふふ……」

「あ、ああ……」

 

 波裸羅の濡れた胸元へと顔を埋めるウィリアム。波裸羅はそれを優しく受け止め、その美手で虎の顔を包んだ。

 サキュバス以上に淫靡で、扇情的な波裸羅の美姿を見て、ガドはごくりと生唾を飲み込む。

 

 美鬼が若虎の口元へと、その唇を近づける。虎と鬼の花びらが、僅かに触れ合おうとした。

 

 が

 

「ふんッ!」

「ガッ!?」

 

 頭 振(ズシン)

 

 夜の砂漠に、地震が発生したかの如く破壊音が響き渡る。至近距離から放たれた波裸羅砲(頭突き)により、ウィリアムは額から噴水のような血液を噴出させる。びゅうびゅうと血を噴き出しながら、虎は気絶し果てた。

 

「あ、現人鬼殿……もう少しこう何というか、手心というか……」

 

 血海に沈むウィリアムを見て、慄きながら怖々と抗議の声を上げるガド。波裸羅は気絶したウィリアムを乱暴に担ぐと、やや困惑した表情を浮かべた。

 

「おかしい。手加減したはずなのに」

「鬼かあんたは」

 

 鬼である。

 

 

 

 

 


 

 惨劇から一夜明けた朝。

 

 かんかんと照りつける太陽は容赦なく砂漠の気温を上げ、出発する魔剣豪一行をその熱気で苛む。現人鬼波裸羅は依然意気軒昂といった様子で砂の大地を闊歩していた。

 ウィリアムは出血は止まっていたものの、身体のダメージが回復し切れていなかったのか未だ意識を落としており。日よけの敷布を被り気絶し続けるウィリアムを背負うガドは、昨晩の衝撃が抜けていないのかその表情は暗い。いや、昨晩の衝撃だけなら、ガドはここまで表情を暗くしていなかったのかもしれない。

 

 暗然とした表情を浮かべ続ける理由は、師匠による兄への強姦未遂の衝撃からでは無かった。

 

「ガドォ。疲れたらいつでも交代するワ。少しでも早くラパンにイカないとネ!」

「うん……そうだね……兄ちゃん……」

 

 ガドはウィリアムを背負いながら一筋の涙を流す。無惨に変わり果てた兄を直視出来ず、ただただ涙を流しながら砂の大地を踏みしめる。

 

 ナクルは、虎による強姦未遂の衝撃により、心という器にヒビが入っていた。

 

 しなを作り、尻をふりふりと揺らし、敷布をサリーのように纏わせながら歩くナクルの姿は、控えめに言ってものすごく気持ち悪く。

 正視に耐えぬその無惨な姿に、ガドは砂漠では貴重な水分である己の体液が流失していくのを止めることが出来なかった。

 

(あれは夢……夢だったんだ……)

 

 ガドは自己防衛本能からか、昨晩発生した現実から眼を背けることで心の平衡を保とうとしていた。

 

 

 ナクルが心の平衡を取り戻すのと、ウィリアムが正常な状態で覚醒するのには、あと二日程の時間が必要であった。

 

 

 

 

 

 

 


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