虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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幕間『柳生十兵衛秘剣録(やぎゅうじゅうべえひけんろく)

 

 “濃尾無双”虎眼流。

 この大言壮語とも言える流派の謳い文句は、虎眼流開祖である岩本虎眼が天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いにて大量の兜首を上げ、徳川方の武将、榊原康政がその武勇を讃えた言葉から発する。

 岩本虎眼が濃尾から掛川へ本拠地を移しても、その勇名は変わらず諸国へと鳴り響いていた。

 

 さて、後年の武芸達者な者達が、虎眼流の存在、そしてこの濃尾無双という言葉を初めて聞いた時、誰もがある疑問を浮かべる。

 

『濃尾に於いては“尾張柳生”こそが無双に相応しき流派では無いのか』と。

 

 剣術界の巨大棟梁(だいとうりょう)でもある柳生、それも江戸柳生とは違い、正統なる新陰流を受け継ぐ尾張柳生を差し置いての濃尾無双。

 なぜ、尾張柳生はこの事を放置していたのか。

 新陰流開祖上泉伊勢守信綱から柳生石舟斎宗厳へ、そしてその正統新陰流を相伝した柳生兵庫助利厳が、尾張徳川家へ剣術指南役として召し抱えられる以前から虎眼流は濃尾無双を謳っており、兵庫助がこの事実を放置し剣術指南役へ就いたのはいかなる理由があってのことか。

 

 これは当時を生きる武士達も同様の疑問を抱いていたようで、ある時同僚の尾張藩士が兵庫助へこの疑問をぶつけたことがある。

 それによると、兵庫助はただ黙って笑みを浮かべるのみで、まるで虎眼流を一種の禁句として扱っていた節があると、当時の尾張藩士は語っていた。

 

 虎眼流自体は寛永五年(1628年)開祖岩本虎眼の死によって正統は途絶えており、脇流ともいえる江戸虎眼流も濃尾無双という文句は一切使用していないことから、そもそも尾張柳生はこのことを問題視していなかったという説がある。

 

 また、虎眼が剣術指南役として仕えた当時の掛川藩は、御三家と同格以上の将軍家光が実弟、徳川大納言忠長の駿河藩支藩であることから、将軍家御連枝に遠慮していたとの説も。

 だが、この説はいかな駿河藩の支藩とはいえ、所詮は譜代大名の一つでしか無い掛川藩へ、親藩である尾張藩がそこまで慮る必要が果たしてあるのかと、信憑性に欠ける説ではある。

 

 大半の人間が信じる通説では、太平の世では“どちらが上か”などという剣術比べを大名家、それも将軍家に連なる家の剣術指南役ががおいそれと行うわけにはいかないという、尾張柳生の良識が働いたというものがある。故に、柳生兵庫助は岩本虎眼、そして虎眼流を相手にしていなかったと。

 

 事実は、違う。

 

 真相は、江戸柳生の当主にして将軍家剣術指南役、柳生但馬守宗矩が長子、十兵衛三厳が、同族である柳生兵庫助利厳が三子、七郎兵衛厳包を訪ねた時に語られる。

 

 “柳生新陰流、無双虎眼流に及ばざるが如し”

 

 後に連也斎と称し、尾張柳生の最盛期を築いた柳生厳包は、十兵衛から語られしこの言葉を生涯忘れることはなかったという。

 

 

 これは、尾張柳生が、いや当代最強流派である柳生新陰流が、なぜ掛川に潜む虎を相手にしなかった──

 否、できなかったのかを知る、秘闘録であり

 

 そして、持つ者全てに災いをもたらすとされた日ノ本屈指のあの妖刀が、異界へと渡る秘剣録である。

 

 

 

 


 

 寛永七年(1630年)

 尾張国名古屋

 

「十兵衛(あに)さま!」

「七坊! 元気にしていたか!」

 

 大地を踏みしめるかのように歩く隻眼の若武者の腰元へ、前髪もあどけない武家の少年が飛びつく。

 まるで子犬のようにじゃれつく少年を、若武者はその片目しかない眼を細めながらワシャワシャと頭を撫でた。

 

「んふふ、相変わらず元気いっぱいだな七坊は」

「はい! 兄さまもお変わり無く!」

 

 少年の名は柳生七郎兵衛。後の柳生連也斎厳包。

 そして、隻眼の若武者は柳生十兵衛三厳。

 十兵衛は元々は三代将軍徳川家光の小姓であったが、寛永三年(1626年)に家光の勘気を受け蟄居を命ぜられ、そのまま諸国を放浪する身となった。

 そんな十兵衛を七郎兵衛の父、柳生兵庫助利厳は度々自身の尾張屋敷へと招き、天才の名をほしいままにする十兵衛の剣質を息子へ学ばせていた。七郎兵衛は十兵衛を兄のように慕っており、十兵衛もまた七郎兵衛を弟のように可愛がり、剣の柳生一族としての大切な気質を伝えていた。

 それは、七郎兵衛にとってある種の安らぎの日々でもあった。

 

「兄さま。お父上が屋敷で待っています。早くいきましょう」

「ああ、そう急くな。景色を見ながらゆるりと参ろう」

 

 使いの者と共にわざわざ名古屋の町外れへ迎えに来た七郎兵衛に、十兵衛は不敵ともいえる笑みを浮かべながら応える。とても将軍の勘気を受け蟄居を命ぜられた武士とは思えないほどの不自然なそれは、十兵衛にとって常の姿であり。まるで権力者に媚びない孤高の剣士ともいえる姿を、七郎兵衛は憧憬が混ざった眼差しで見つめていた。

 

「兄さまが尾張を訪れてくれたこと、お父上は大変喜んでいます」

「兵庫殿は俺の従兄だからな。誘ってくれて嬉しいのは俺もさ。もっとも、兵庫殿と俺の親父殿の仲は悪いがネ」

 

 飄々とした足取りで屋敷へ向かう十兵衛にくっつきながら歩く七郎兵衛は、ふと十兵衛が発した父親達の確執について気になり、そのあどけない顔を十兵衛に向けた。

 

「前から聞きたかったんですけれど、どうして但馬様とお父上は仲が悪いんですか?」

「んん、そりゃあれだ。流派継承の絡みよ」

「流派の継承?」

 

 ややバツが悪そうに顔をしかめる十兵衛に、七郎兵衛は小首をかしげる。

 そんな七郎兵衛を見てふっと笑みを漏らした十兵衛は、父親達の確執について滔々と語った。

 

 戦国最強の剣聖、上泉伊勢守信綱から新陰流を相伝した柳生石舟斎宗厳。

 その秘奥の悉くは、本来石舟斎の長子である柳生新次郎厳勝が受け継ぐはずだった。

 だが、戦傷にて下半身が不具となった厳勝は新陰流を相伝する身体ではなくなり、自然と周囲は厳勝の弟の又右衛門、つまり十兵衛の父である柳生但馬守宗矩へと新陰流が相伝されるものと思っていた。

 

 だが、石舟斎は厳勝の子、実孫である兵庫助へ新陰流を相伝した。

 諸国を遍歴した宗矩が様々な流派を自身の剣に取り入れ、石舟斎が望む正統なる新陰流から大きく逸脱していたというのがもっぱらの理由であったが、どうであれこの事は既に将軍家剣術指南役に就いていた宗矩の面目を失わせるに十分であった。

 

 石舟斎没後、宗矩は兵庫助へ陰湿な報復を開始する。

 豊臣家に奪われていた大和国の柳生領を、徳川家の威勢を借りて取り返していた宗矩は、そのまま柳生領を己の物とし一石たりとも兵庫助へは継がせなかったのだ。

 兵庫介にしてみれば逆恨みともいえるこの所業。故郷を宗矩に奪われたと感じた兵庫助は、失意に塗れながら柳生の里を後にしていた。

 それ以降、江戸柳生と尾張柳生は表立って敵対することは無いにせよ、互いに粘ついた敵愾心を抱くようになった。

 

「なんだかかなしいですね」

「名門にはよくある話よ」

 

 寂しそうに俯く七郎兵衛に、十兵衛は変わらず不敵な笑みを浮かべる。

 

「七坊。親父達の確執は我らには関わりないことだ。おことは石舟斎のひ孫、俺は孫。共に剣の柳生を抱く者には変わりない」

「はい! 十兵衛兄さま!」

 

 ぐりぐりと七郎兵衛の柔い頭を乱暴に撫でる十兵衛。

 彼らには江戸と尾張の確執は無く、ただ純粋に柳生一族として共に歩んでいた。

 

 

「あ! 兄さま! 見てください!」

 

 相変わらずゆるゆると歩む十兵衛の袖を引っ張り、何かを指差す七郎兵衛。見ると、街道脇を流れる川沿いに植えられた桜が、見事な開花を見せていた。

 季節は春。生きとし生けるものが、もっとも輝く季節である。

 

「……」

「兄さま……?」

 

 だが、見事な桜を見ても十兵衛は難しそうに顔をしかめるのみであり。七郎兵衛はそんな十兵衛を心配そうに見つめた。

 

「死桜か……」

「?」

 

 嘆息めいた息をひとつ吐くと、十兵衛は眼下にある川沿いへと隻眼を向けた。

 

「丁度いい。そこの川べりでちと休もうか」

 

 十兵衛は七郎兵衛を伴い、桜の木の下に腰を下ろす。

 七郎兵衛の伴をしていた従者達は、二人を気遣ってか遠巻きに見守っていた。

 

「あの、十兵衛兄さま……?」

 

 七郎兵衛は唐突に休憩を申し出た十兵衛の意図を図りかね、その無垢な瞳を隻眼の若武者へと向ける。

 

「七坊。おことは柳生が誇りか?」

 

 七郎兵衛の瞳を、隻眼で覗き返す十兵衛。十兵衛の問いかけに、七郎兵衛は戸惑いつつも健気に応えた。

 

「はい。曾祖父さまの御名にかけて」

 

 小さな首を縦に振る七郎兵衛。十兵衛は表情を緩めることなく言葉を続ける。

 

「なら、柳生はこの日ノ本で一番だと思うか?」

「はい! 曾祖父さまより伝えられし新陰流は天下無双です!」

 

 十兵衛のさらなる問いかけに、今度は迷わず即答する七郎兵衛。子供ながらの純粋な想いで応えたそれに、十兵衛は微笑むことはせず。

 

「七坊。我ら柳生、日ノ本剣術に於いて仁道たる模範となるべき存在。故に、天下無双を謳う者も一門の中におる」

 

 言葉を発するにつれ、十兵衛の表情は険しいものとなっていく。

 まるで、何かを恐れるような十兵衛の険しさに、七郎兵衛はその小さな喉を上下させた。

 

「それは、まっこと危うい……」

 

 ふと、十兵衛は頭上の桜を見上げた。

 すると、ひらりと一枚の花弁が舞い落ち、十兵衛の肩に止まる。

 ふっと息を吹きかけると、花弁は川へ飛び去っていった。

 

「剣術とはつぐつぐ峻烈な世界だ」

 

 険しい表情で語り続ける十兵衛。闘戦態勢にも似た無言の気圧が発せられる。その圧に当てられた七郎兵衛は、ただ黙って十兵衛の言葉に耳を傾けていた。

 

「七坊。世の中は広い。この日ノ本には、まだまだおことが知らぬ強者で溢れかえっておる。故に、新陰流が無双を名乗るのは烏滸がましいことなのだ」

「え……」

 

 兄と慕う十兵衛から発せられた言葉は、七郎兵衛に少なくない衝撃を与える。

 自身が信仰する柳生新陰流こそが最強無敵。その想いが、十兵衛の口から否定されるとは。

 

 十兵衛は衝撃覚めやらぬ七郎兵衛を見て、隻眼を細めながら自身の秘闘譚を語り始めた。

 

 

「あれは、二年前の春……丁度、このような桜が咲き乱れる季節であった……」

 

 

 

 

 


 

 寛永五年(1628年)

 駿河国安倍郡某所

 

 柳生十兵衛が将軍家光の勘気うけ蟄居してから二年、そしてあの狂気の仕置、岩本虎眼が伊良子清玄の両眼を斬り裂いた日より四年が経過していたこの年。

 この時期、虎眼流の高弟達は手分けしてある任務を遂行していた。

 

「……」

 

 顔面に刀瘡を這わせた一人の剣士が、巨大な木刀袋を片手に街道を歩む。まるでカジキマグロのような大きな素振り用木剣が入ったそれを、重量を感じさせない素振りで道を踏みしめる。

 

 剣士の名は宗像進八郎。

 元は掛川宿の侠客の出身であったが、虎眼流中目録の印可を“術許し*1”で授かった身。その剣技、そして身体能力は虎眼流高弟を名乗るに相応しきもの。

 全身に刻まれた刀傷の痕は戦国の荒武者さながらで、進八郎の傷だらけの肉体は向かってくる刀剣を素手で掴み取るほどの強握力を備えていた。

 

 現在、進八郎は虎眼流内弟子衆で手分けして行っている恒例行事、“無双許し虎参り”からの帰還途上であった。

 これは若き日の虎眼の金策である他流への道場破り、つまり道場主に負けを認めさせ多額の金子をせしめる行為を、そのまま技術指導の名目で継続している虎眼執念の残酷行事である。

 本来は盛夏期に行われるものであったが、既に曖昧な状態の虎眼は時として初春から虎参りを行うよう弟子達に指示する事もあった。

 ある意味抜き打ちで虎参りが行われるこの状況に、各地の道場主は日々戦々恐々としていたのは言うまでもない。

 

「……」

 

 ともあれ、進八郎は安倍郡の道場を片っ端から回り、大型木剣“かじき”を振り回しながら金子を調達し終え、掛川への帰還の道を粛々と進んでいた。

 他の内弟子より先んじて帰還しようとその健脚を動かす進八郎。師匠である岩本虎眼への忠誠心からか、進八郎は誰よりも早く虎参りを終えるのを目標としていた。

 

 

「素振り用の木剣とお見受けするが?」

 

 ふと、人気のない街道を急ぐ進八郎へ向け、武張った声がかけられる。

 進八郎は声がした方向を向くと、街道脇の樹木に背を預け浪人傘を目深く被った一人の剣士の姿があった。

 

「何用か?」

 

 油断なく浪人剣士を見つめながら言葉を返す進八郎。

 剣士の風貌はよくある浪人姿ではあったが、その佇まいは一流の剣客が備える“気”を備えていた。

 

「いや、なに。そのような大きな木剣を携えているからには、さぞ高名な流派の士であろうかと思い声をかけた次第」

 

 ゆるりと浪人傘の縁を押し上げながらそう嘯く剣士。

 剣士の表情が晒されると、その片目は生々しい刀傷痕があり完全に片方の視力が失せているように見えた。

 

「何用か?」

 

 再度、進八郎は隻眼の剣士へ問いかける。

 だが、物腰は穏やかではなく。即座に戦闘態勢に移行できるよう、“かじき”を地面に置き、腰に挿した大刀に手をかけていた。

 進八郎が柄を握るそれは、虎眼流秘奥の骨子である、猫科動物の如き掴み──。

 

「んふ。そう構えなさるな」

 

 進八郎の剣気を受けても尚、隻眼の剣士は不敵な笑みを浮かべていた。そのまま、進八郎の間合いへと歩を進める。

 

「近頃は狂暴な虎が剣術道場で金子をせしめると聞いてな……どれ、その不貞の虎はどのようなものか見てみたく──」

 

 隻眼剣士がそこまで言った刹那。

 

(物狂い浪人がッ!)

 

 進八郎は石火の抜き打ちを放つ!

 進八郎は城務め、いわゆる城士の身分ではなく、あくまで掛川在住の郷士身分でしかなかったが、それでも帯刀を許された士分であることには変わりない。

 故に、暗に虎眼流を侮辱した正体不明の素浪人など成敗自由。そう算段しての凶行である。

 

「ッ!?」

 

 だが、抜いたと思った瞬間、ずしんと音が鳴り進八郎は天地が逆転したような感覚に陥る。

 数瞬してから、己が肉体が無様に大地へ縫い留められているのに気づいた。

 

「んふ、凄まじき抜き打ち。流石は濃尾無双虎眼流」

「がぁッ!」

 

 余裕綽々といった表情で進八郎の腕を抑え、その身体を拘束する隻眼剣士。

 その手には先程進八郎が抜いた大刀がいつのまにか握られており、不覚を取った進八郎の顔面はみるみる憤怒の朱に染まっていった。

 

「ところでいかがかな、俺の“無刀取り”の味は」

「お、おのれぇ……ッ!!」

 

 刹那の瞬間、隻眼の剣士はいかなる術を用いて進八郎の大刀を奪ったのか。

 進八郎が大刀を抜いた瞬間──隻眼剣士は雲耀の如き疾さで進八郎の懐に入り込み、大刀を抜き放つ間際にその柄を捻り取っていたのだ。

 

「ッ!?」

 

 骨子術で身体を縫い留められていた進八郎は、ふと己を押さえつけていた重力が無くなったのを感じる。

 

「それまで」

「──ッ!」

 

 即座に立ち上がり、拳を隻眼剣士へ叩き込もうと体を起こすも、己の喉元に突きつけられた白刃を見てその動きを止める。

 隻眼剣士はニヤリと諧謔味のある笑みを浮かべながら、進八郎へ刃を返した。

 

「これはあくまで戯れ……そう心得よ」

「……」

 

 やや呆気にとられつつ、進八郎は返された己の大刀を受け取る。隻眼剣士の所作に一切の隙は無く、進八郎はどう斬り込んでも再び刀を取られ、無様に転がる己の姿しか想像出来ずにいた。

 

「その握り、剣を疾く振るには実に合理的。だが、まだ十分に会得していないと見える」

「なっ!?」

 

 虎眼流の“握り”の仕組みをひと目で看破され、進八郎は再び動きを止めた。

 そして、その握りを己がまだ十分に体得していないことも。

 かつての伊良子清玄仕置の日。同門であり、今や虎眼流大目録許し*2を授かった藤木源之助が見せた奇な掴み。

 それを見た虎眼流高弟達は、その掴みが凄まじき剣速を生み出すことを看破し、己のものとすべく日々この掴みを練り上げていた。

 だが、自ら開眼したものではなく、所詮は他者の猿真似。

 源之助が見せた疾さには、未だ及ぶべく代物ではなかった。

 

「精進なされよ……んふふふ」

 

 そう言い残し、浪人傘を被り直した隻眼剣士は進八郎の前から去っていった。

 

「……ッ!」

 

 後に残された虎眼流高弟、宗像進八郎。

 みしりと拳を握りしめ、拳から血を滴らせながら隻眼剣士の後姿を睨んでいた。

 

 隻眼剣士の名は、柳生十兵衛三厳という。

 

 

 

 

「さて、親父殿を手玉に取った虎眼流、あの程度ではあるまい」

 

 進八郎を新陰流奥義“無刀取り”にて翻弄した十兵衛は、数日後には掛川宿へと辿り着いていた。

 かの剣士の目的は、かつて自身の父を完封せしめた岩本虎眼、そして虎眼が興した虎眼流へ挑戦する、ただそれのみ。

 父親の意趣返しなどという想いは一切なく、ただ自身の飽くなき修行の一環として、十兵衛は虎眼流を求めていたのだ。

 

「しかし肝心の虎眼殿はいささか尋常ならざる状態とはな……」

 

 だが、掛川にてそれとなく虎眼流の動静を探ってみると、当主の岩本虎眼は既に曖昧な状態へと陥っており。

 師範の牛股権左衛門は愚鈍、師範代の藤木源之助は口も聞けぬと、散々な評判を聞いていた。

 

「田舎剣法ならぬいかれ(・・・)剣法とは、うまいこと言いよる」

 

 くつくつと喉を鳴らしながら、そう独り言を呟く十兵衛。

 虎眼流の膝下である掛川宿にて、このような不遜な呟きを行うのは自殺行為に等しいが、自身の技量に絶大な自信を持っているからか十兵衛は実に飄々とした体で掛川宿を闊歩していた。

 

「だが十兵衛、余人の評価は当てにせぬ」

 

 しかし、飄々とした体でありながらこの柳生に生まれし天才、決して虎眼流を侮ることはせず。そも、先日相手取った宗像進八郎の技量から、虎眼流の戦力をある程度推測せしめているのだ。

 

「表疵の士は上の下……ならば、牛股、藤木はそれ以下ではあるまい」

 

 進八郎と対峙した十兵衛は、虎眼流の評価を正確に下していた。

 その上で、この天才剣士はたった一人で虎眼流に挑もうとしているのだ。

 

「……」

 

 ふと、十兵衛は背後からただならぬ気圧を感じる。

 気づかぬ風に歩きながら、十兵衛は圧力の元を探ると、粗末な小袖に身を包んだ若者の姿が見て取れた。

 

「……んふ」

 

 十兵衛は変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 若者が自身を人気のない所へ誘導しようとしているのを察知し、あえてその誘いに乗り歩を進めていた。

 

 

「ここらで宜しいかな」

「……」

 

 やがて掛川宿から少し離れた野原へ辿り着いた十兵衛と若者。

 両者にとって同条件となったこの野原は、互いの間に一本の桜の木が満開の花弁を芽吹かせていた。

 若者は無言で十兵衛を見つめており、その所作は幽鬼の如く揺蕩ったものとなっている。

 

「虎眼流、藤木源之助」

 

 ふと、若者が短く名乗りを上げた。その名は、濃尾無双虎眼流師範代、藤木源之助。

 三年前、師範牛股権左衛門より大目録術許しを得た源之助の技量は、先日相手取った進八郎とは一線を画するもの。

 ずずっと大刀を抜き、刀身を肩に“担いだ”源之助を見て、十兵衛もまた言葉を返した。

 

「故あって名乗るわけにはいかぬ身の上なれど、御容赦されたし……」

 

 狙っていた獲物が釣れたと言外に喜ぶ十兵衛は、腰に挿した三池典太を抜き、新陰流“無形”の構えを取る。

 ぶらりと刀を下段に構えるそれは、対手のいかなる刀勢にも対処できる新陰流極意の構え。

 

「……」

 

 源之助は十兵衛の構えを見て、その剣境の深みを悟る。

 宗像進八郎からもたらされた虎眼流を狙う浪人ずれ。掛川に現れるであろうそれを、源之助は“伊達にして帰す”べく日々掛川宿の索敵を行っていた。

 

「伊達にするは難し……」

 

 だが、進八郎から伝えられた十兵衛の外見を見留めた源之助は、ひと目で容易ならざる相手だと悟る。

 少なくとも、表道具を用いる必要のない野良犬浪人とは一線を画していた。

 

「すまぬな。既に伊達男なのだ、俺は」

「……」

 

 十兵衛の挑発とも取れる言葉を、源之助は無視した。

 

「ッ!」

 

 瞬間、源之助の“流れ”が放たれる。

 

「ッ!?」

 

 同時に、“流れ”は十兵衛の額を捉える事無く、三池典太の刀身に受け止められる。

 刀身同士がぶつかり火花が飛び散った次の瞬間には、源之助は渾身の力を込め十兵衛を受けた刀身ごと圧し倒そうとした。

 

「ぬんッ!」

「ッ!?」

 

 が、ふい(・・)に力を抜いた十兵衛は、三池典太の柄を跳ね上げ源之助の大刀を弾く。

 返す刀で面打ちを叩き込まんと、三池典太を源之助の頭部へ真っ逆さまに斬り下ろした。

 

「ッ!?」

 

 直後、空いた片方の手で咄嗟に脇差を抜いた源之助は“(なかご)受け”にて三池典太の刀身を防ぐ。

 そのまま力を込め十兵衛の得物を巻き取ろうと柄を捻り上げた。

 

「なんのッ!」

「ぐッ!?」

 

 が、源之助が力を込めた直後、十兵衛は源之助へ強烈な横蹴りを放つ。腹部へ受けた衝撃を流しきれず、源之助の肉体は宙空へと放り出された。

 しかし、追撃をかけんと体勢を整え直した十兵衛は、猫のように身体を捻り受け身を取り、蹴撃を受けても手放さなかった大刀を再び構える源之助を見て動きを止める。

 

「やるな、藤木源之助」

「……」

 

 三池典太を挟んだ脇差を除きながらニヤリと笑みを深める十兵衛。源之助は変わらず沈黙を保つ。

 刹那の瞬間に繰り広げられた一連の攻防。

 源之助が繰り出した虎眼流“流れ”に対し、十兵衛が繰り出したのは新陰流“(まろばし)

 流祖上泉信綱が山から岩石が転げ落ちる様を見て開眼せしこの技は、対手のいかなる攻勢にも柔軟に転化、自在に受ける返し技の極致。

 だが、妙を得た“転”の極みは虎眼流“茎受け”にてその転回を止められる。

 共に流派の極意を悉く身に付けた一流の使い手。そう改めて認識した両者は、互いの間合いを測るかのようにじりじりと対峙していた。

 

(流石は濃尾無双虎眼流……げに凄まじき剣速……だが)

 

 十兵衛は隻眼を光らせ源之助へ視線を向ける。

 刹那の攻防で、その戦力を冷静に分析していた。

 

(これしきならば上の中。俺の新陰流の方が強い)

 

 源之助の戦力を宗像進八郎の一枚上と判断した十兵衛は、さらなる返し技を繰り出す為、三池典太をゆるりと構える。

 新陰流“十文字”

 “無形”より更に受け技に特化したこの構えは、刀身にて半身を防御しながら対手の撃剣を誘う巧妙達者な構え。

 更に、この構えを取った十兵衛の心は水面に映った月のように実体の無き虚影へと変化する。

 これは、新陰流“水月”の剣境。静寂無我の境地である。

 

「……ッ!」

 

 だが、十兵衛が構えし三池典太からは、源之助の心臓を引き裂くような気圧が火炎の如く噴出していた。

 源之助は一瞬、己の心臓が停止したのを覚える。だが、舌を噛み切ることで気力を復活せしめた源之助は、口元から血を滴らせながら十兵衛の気圧を跳ね除けていた。

 

「……」

 

 そして源之助は、ゆっくりと大刀の刀身を、己の指先で摘んだ。

 

 みしり

 

 刀身を摘む指先から鋼の軋む音が響く。

 その音を聞いた十兵衛の心境は、静寂な水面に石が投げ込まれたが如く揺らめいていた。

 

「上の上……ッ!」

 

 源之助が構えし虎眼流の秘奥、“流れ星”を視た十兵衛は、思わず目の前の若武者の戦力を再評価していた。

 刹那の攻防で相手の力量を測っていたのは源之助もまた同じ。絶対の秘匿をせねばならない奥義の使用を決断するほど、十兵衛の力量はそれまで対峙し続けていたどの使い手よりも高かった。

 そして、奥義を見たこの隻眼の剣士の抹殺は、源之助にとって何よりも果たさねばならない使命へと変化していた。

 

「……」

「……」

 

 再度沈黙を保つ両者。

 みしり、みしりと刃が軋む音が鳴るにつれ、“死の流星”が解き放たれる瞬間が近づいていた。

 奇しくもかつて江戸道三河岸にて互いの師父、柳生宗矩と岩本虎眼が対峙した時と同じ状況に……。

 否、ひとつだけ異なる点がある。

 

 柳生十兵衛三厳、父但馬守宗矩とは違い、降参の声は上げず!

 

 死の流星を前にしても尚、研ぎ澄まされた戦意は決して萎えることは無い天才剣士に、源之助もまた“中断”の声を上げようとはしなかった。

 

 

 秘めおきし魔剣、いずこぞや──

 

 

 両者の間に、微風に乗った桜の花弁が降舞した瞬間。

 重厚な空烈音と共に“流れ星”が放たれた。

 

「ッ!」

「ッ!?」

 

 斬撃直後。

 鋼を裁断する金属音が鳴り響くと共に、源之助は信じられぬ光景を目にする。

 

 十兵衛は、三池典太の切っ先を流れ星に合わせ(・・・)ていた。

 二尺一寸の刀長はそのまま十兵衛を守る装甲と化し、死の流星を防いでいたのだ。

 

「くっ!」

 

 だが、柄本まで迫った“流れ星”の威力をまともに受け止めた十兵衛の両腕は、三池典太の重量を支え切れず力なく刀を手放す。

 

(今ッ!)

 

 その瞬間、源之助もまた大刀を手放し、十兵衛の息の根を止めるべくその顎先へと虎拳を放つ。

 また十兵衛も、最後の力を振り絞り己の脇差──千子村正(・・)へ手をかけた。

 

 

「それまでッ!」

 

 

 突然、野原に野太い声が響く。

 その声を聞いた直後、両者は雷に打たれたかのように動きを止めた。

 源之助の虎拳は十兵衛の顎先に僅かに触れたまま停止し、十兵衛の村正は源之助の首元へ突きつけられた状態で止まっている。

 

「ぐ……」

 

 だが、十兵衛の切っ先は源之助が這わせた拳よりも僅かに遠く、このまま“止め”が入らなければ己の顎はこそぎ落ちていたと──

 声がかかった瞬間動きを止め、拳を下げた源之助を見て、十兵衛もまた震える手で小刀村正を納刀した。

 

「源之助、それまでだ」

「牛股師範……」

 

 野太い声の主は六尺(約180cm)ほどはあろうかという巨体を揺らしながら源之助の肩へ手を置く。

 巨漢の名は牛股権左衛門。虎眼流師範であり、当主岩本虎眼に代わり虎眼流の一切を指導する皆伝者であった。

 義兄ともいえる権左衛門の言葉を受け、源之助は戦闘態勢を解除していた。

 

「柳生家御曹司、柳生十兵衛三厳殿とお見受け致す」

「む……」

 

 権左衛門は十兵衛へ巨体を折りながら礼をする。

 己の正体を看破された十兵衛は、驚きを隠せずに巨体を見つめていた。

 

「此度の事、我らは一切目にしておりませぬ」

「……」

 

 更に投げられた権左衛門の言葉に、十兵衛は沈黙を持って応えていた。

 突然の物言い。常なれば、果たし合いを邪魔されたに等しいこの行為を黙って見過ごす事はしない。

 だが、権左衛門の一声で己が“助かった”のも事実。

 十兵衛は沸き上がる様々な感情からか、しばらく声を上げることはできなかった。

 

「これは夢……白昼に見た、夢でござる」

「……」

 

 権左衛門の言葉に無言を貫く十兵衛。

 そんな十兵衛に、権左衛門は斬り裂かれた両頬を引き攣らせながら歪な笑みを浮かべていた。

 

 何故、権左衛門は十兵衛の正体を見破り立ち合いを止めたのか。

 この時の十兵衛は知らぬ事であったが、権左衛門は掛川藩のある伝手から、宗像進八郎と立ち合った隻眼の剣士が柳生十兵衛であると伝えられていた。

 その知らせを受けた直後、権左衛門は十兵衛の行方を探す源之助を止めるべく、大慌てで虎眼流道場を飛び出す。

 蟄居中の身であれ、十兵衛が将軍家剣術指南役である柳生家の御曹司であることは変わりなく。

 その十兵衛を、いかな尋常な立ち合いの元で打倒したとしても、巨大組織である柳生一門からの報復は免れない。

 濃尾無双と謳っていても、所詮は掛川の一剣術流派でしかない虎眼流が、それを跳ね返せる実力は無きに等しく。

 故に、権左衛門は大事に至る前に、全てを“無かったこと”にするべく奔走していた。

 これは、当主岩本虎眼が“曖昧”な内に成し遂げなければならない、権左衛門必死の工作であった。

 全ては、虎眼流を守る為である。

 

 だが十兵衛は、ただ己の“敗北”を認識し、ぎゅっと唇を噛み締めるのみであった。

 

「お返し致す」

「……かたじけなし」

 

 源之助が縦に裂かれた(・・・・・・)三池典太を拾い、十兵衛へ差し出す。

 もはや刀剣としての機能を失ったそれを、十兵衛は不調法に受け取っていた。

 

「では……」

 

 権左衛門と源之助は一礼すると、桜花が舞う野原を後にする。

 その様子を、十兵衛は黙って見送っていた。

 

「虎眼流……恐るべし……」

 

 十兵衛は、己の蛮勇がなんと愚かであったことかと深く認識しながら、掛川の虎達を見送っていた。

 

 

「……」

 

 そして、権左衛門の後ろを歩く源之助もまた、天才柳生十兵衛の剣技に畏れを抱いていた。

 最強の奥義が封じられたショックが抜けきらぬのか、掛川の龍は幽鬼のような足取りで義兄の後に続く。

 

 この日以降、源之助はある幻を見るようになる。

 それは、己の姿を模した若武者が、奥義“流れ星”を仕掛ける、悪夢の如き幻。源之助はしばらくこの幻に悩まされる事となる。

 その後、伊良子清玄に“流れ星”を放たれた際、“茎受け”にて死の流星を防いだのは、この時の十兵衛が見せた“流星封じ”が潜在意識化で働いたのか……

 

 それを知る術は、もはや誰にも分からぬことであった。

 

 

 

 

 


 

「とまあこんな具合よ」

「……にわかには信じられません」

 

 川べりにて腰を下ろす柳生一族の若者達。

 十兵衛の秘闘録を聞いていた七郎兵衛は、名古屋から近い掛川にてそのような強者がいた事実を受け入れられず、ただ困惑した様子で俯いていた。

 

「でも、良いんですか?」

 

 七郎兵衛は十兵衛が語った秘話が、文字通り墓まで持っていかねばならぬ話であるのに気づき、恐る恐る隻眼を見つめる。

 それに、十兵衛が虎眼流に“敗れた”ことを大して気にしていないのにも不満を覚えていた。

 新陰流が、それも天才と称された十兵衛が、さして有名でもない他流の使い手に敗れる。

 その事実を、七郎兵衛は到底受け入れられるものではなかった。

 

「気持ちはわかるがな、七坊。もはや虎眼流はこの世に存在せぬ。故に、これは秘話であり無話でもあるのだ」

「え……」

 

 十兵衛はぽんぽんと七郎兵衛の柔い頭を撫で、桜を見つめながらそう言い放つ。

 虎眼流当主岩本虎眼は既にこの世に無く。

 そして、今より一年前、駿府にて行われた狂乱の宴。

 魔王を喜ばせる為だけに行われた、惨劇にも似たその御前試合で、参加した剣士達が“死桜”の元凡て斃れたことを、十兵衛は滔々と語っていた。

 

「唯一残った皆伝者である藤木源之助殿も、御前試合の次の日に逐電を図り、駿府藩士の手により討ち取られた」

「そんなことが……」

 

 十兵衛は遺恨を晴らす相手が既にこの世にいないことを寂しげに語る。

 無常観が漂う十兵衛の言葉に、七郎兵衛はやりきれぬといった表情を見せていた。

 

「あれ? でも十兵衛兄さま。江戸にも虎眼流の道場があると聞いたことがあるのですが……」

 

 ふと疑問を上げる七郎兵衛。

 十兵衛の言葉では虎眼流皆伝者は一人もいないはずであったが、父柳生兵庫助から聞かされし諸国の剣術情勢では、虎眼流皆伝者、金岡雲竜斎が江戸虎眼流を興していた。

 ならば、遺恨を晴らす相手は、江戸柳生の膝下に存在するのではと。

 

「んふ。雲竜斎殿ではせいぜい上の中。掛川の虎に及ぶべき相手ではない」

「えぇ……」

 

 十兵衛の嘯きに、七郎兵衛はやや呆れが混じった声を上げる。

 この隻眼剣士、既に江戸虎眼流を相手取り人知れず軍門に下していたのだ。

 くつくつと喉を鳴らす十兵衛の姿を見ながら、七郎兵衛は死闘を繰り広げた天才剣士の腰にある大小を見留めた。

 

「三池典太、もったいなかったですね。それと、その小刀があの村正だったなんて」

 

 感慨深げな七郎兵衛に、十兵衛はとぼけたような口調で言葉を返した。

 

「いや、これは数打ち品の脇差だぞ」

「え?」

 

 再び呆気にとられる七郎兵衛。

 名刀三池典太は虎の爪により引き裂かれたのは事実であれ、村正は無事ではなかったのか。

 そんな疑問を投げる前に、十兵衛は“後日談”を語った。

 

「実はな、あの後名古屋の兵庫助殿に鍛え直してもらおうと掛川を発った時にな、俺は“永江院の龍”に出会ったのだ」

「龍?」

 

 いきなりの超自然的な言霊に、七郎兵衛は何回目か分からぬ当惑を覚える。

 それに構わず、十兵衛は滔々と言葉を続けた。

 

「人気のない街道を歩いていると、俺は乳色の霧(・・・・)に包まれた……そして、目の前に“龍”が現れたのだ。すわ妖魔の類かと村正を抜いたら、龍がこう言ったのだ。『その妖刀、現し世には過ぎたるもの也。故に、異界へと解き放つべし(・・・・・・・・・・)』とな」

「……」

「気づいた時には霧が晴れ、俺の手にあった村正は消え失せていた。すぐに刀屋へ走ったよ。三池典太は使い物にならぬし、苦労して手に入れた村正は無くなるし、さんざんであった」

「……ほんとですかそれ?」

 

 十兵衛の空言ともいえるそれに、七郎兵衛は懐疑的な視線を向ける。

 ぽりぽりと顎を掻いた十兵衛は、ふっと笑みを漏らしながら幼年剣士へ隻眼を向けた。

 

「信じるか信じないかはおこと次第……ま、俺もにわかには信じられぬがね。それに……」

 

 桜を見ながら十兵衛は語る。

 死の桜の先にある、超常の存在を感じ取りながら。

 

「俺が恐れるのは藤木源之助の剣技だけに非ず。藤木源之助、いや虎眼流は永江院の龍、“龍神”に守られている。なにかとてつもない大きな存在を感じた」

「……」

 

 そして、十兵衛は七郎兵衛へ訓戒ともいえる言魂を放った。

 

 

「柳生新陰流、無双虎眼流に及ばざるが如し。その流派、超常の存在に守られしなり。故に、一切関わるべからず。覚えておけ、七坊」

「は、はい」

 

 

 孤高の天才剣士、柳生十兵衛三厳。

 そして、その後姿を追いかけ続け、無為自然の剣境へと至った柳生七郎兵衛、後の柳生連也斎厳包。

 語られし秘剣録を生涯胸に秘め、若き柳生の才能達はその剣技を磨いていた。

 

 そして、十兵衛の手より離れし、日ノ本最凶の妖刀、村正。

 

 先に異界へと飛んだ“妖刀”に引き寄せられるかのように、妖気を纏わせ時空を超えていった。

 

 “龍神”は、いかな思惑で妖刀を異界へと解き放ったのか。

 

 

 それを知る術は、誰にも分からぬこと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
純粋な技量で印可を授ける事。術許し以外では主君筋など縁故を理由に印可を授ける“義理許し”、多額の金銭を受け取り印可を授ける“金許し”がある

*2
免許皆伝


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