虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第三十七景『転生虎(てんとら)(こく)る!』

 

 “残酷鬼哭剣(オニキュンソード)

 

 むかしむかし。

 まだ天下統一が成されておらず、日ノ本の国々が地方豪族によって統治されていた時代。

 吉備国(きびのくに)の村落にて、凶作の鬱憤を晴らすべく、罪女(おんな)の牛裂きの刑が執行されていた。

 桃の如き尻から葡萄色の体液を溢れさせ、(おとがい)まで肉を裂かれた女の断末魔を聞き、村人達は黄色い歯を覗かせながら大いに溜飲を下げる。

 

 処刑場に打ち捨てられた女の残骸を処理するのは、堕胎を生業とする老夫婦が引き受けていた。

 妙薬の材料を得るべく、切り分けた女の内蔵を川で洗濯していると、何やら(はらわた)の影で蠢く肉塊を発見。

 

 胎児だ!

 

 牛に裂かれた女は、胎児を孕んでいたのだ。

 

『神の(わらし)にちげえねぇ!』

 

 老夫婦は血泥に塗れる赤子が産声を上げると、その奇跡の生誕を涎を垂らしながら喜悦する。赤子を“桃太郎”と名付けると、崇め奉るように養育した。

 桃太郎は物心がつくと、老夫婦を己の奴婢として扱い、堂々と世話を焼かせるのであった。

 

 これが、後に神州無双、軍神とまで謳われた桃太郎の出生秘話である。

 成長した桃太郎は自らを孝霊天皇皇子大吉備津彦命と称し、近隣村民が家財を投げ売ってまで献上した豪奢な武具を纏い、温羅(うら)退治を懇願する村民達へ鷹揚に頷くのであった。

 

『桃太郎様、鬼ノ城に棲まう温羅を成敗してくだされ』

 

 ところで、温羅の正体は海を隔てた遥か西方(ヨーロッパ)を故郷とする異国の流浪民である。故郷を追われた彼らは安住の地を求め、この日ノ本に流れ着いていたのだ。

 だが、色鮮やかな毛髪、白磁のような白い肌、天狗の如き尖った鼻、宝石めいた青い瞳を持つ彼らは、日ノ本の民にとってまさしく異形異類に他(あら)ず、被差別民として分類されていた。

 このような被差別民は天災人災問わず、あらゆる災禍の原因と見做され、謂れなき罪を被せられるのが常であった。

 

『温羅ども! うぬらの悪行もこれまでじゃ!』

 

 乏しい食糧事情で痩せ衰えつつも、慎ましく穏やかに暮らしていた流浪民の集落へ、栄養満点の若武者が白刃を振りかざし襲いかかる。

 抵抗する者を一刀に裁断し、命乞いの涙を流す者も容赦なく斬殺する。女、幼子に至るまで尽く虐殺せしめた桃太郎は、略奪した流浪民の珍宝を豪族共に買収させ巨万の富を得た。

 桃太郎は己を養育した老夫婦へ顎が外れるほどの財を褒美として与えると、老夫婦は人生を見失い一気に痴呆が進んでしまった。

 

『温羅征伐こそ、民草を安寧に導く天道なり。千年前の民も、千年後の民も、神州無敵と問われて答えるは麿の名であろう』

 

 そのような老夫婦を顧みず、桃太郎は温羅、つまり“鬼退治”を天命と心得え、国々を行脚して更に武名を高める。大和朝廷を始め時の為政者達も合力し、桃太郎と共にまつろわぬ民を殺戮しその武威を全国津々浦々まで轟かせた。

 そして桃太郎は置き血を得て不老不死となり、向後千年に渡り異形異類の征伐で武勇を馳せるのであったとさ。

 

 

 現代の価値観では鬼畜外道ともいえる大理不尽ですら、このように時代を遡れば人を英雄たらしめる行為と成り得る。

 これは世界が違えど、残酷なまでの不変の(ことわり)である。

 桃太郎の物語とは、つまるところ大和民族による侵略行為の寓話化であり、鬼退治とは容赦なき弾圧により先住民族の文化や歴史を奪い尽くす行為に相当する。

 そしてそれらは英雄譚として後世に語り継がれるのだ。

 

 生まれながらの軍神にして純粋なる侵略剣。

 

 英雄三太郎が一人にして、綺羅の如く輝く珠玉の魔剣豪。

 

 桃太郎こそ、比類なき“英雄剣豪”とも言えよう。

 

 

 そして──

 

 

 六面世界、人の世界に棲まう若き英雄剣豪。

 

 偉大なる祖父、そして父を超えるという野心を燻らせる、無垢なる侵略剣。

 

 王竜王を由来とする四十九本目の魔剣が、家族への情愛を深める若虎へと迫りつつあった。

 

 

 

 重力剣法、御披露仕り候──

 

 

 

 


 

 

 結局その日はろくでもない酔っぱらいのせいでウィルと話が出来なかった。

 いや、その後も話そうと思えば話せたかもしれないけれど、それどころではない事態が発生してて。

 

「お生まれになりましたよ、ルーデウス様」

 

 リーリャの手の中にある、小さな命。

 元気な産声を上げる、俺と同じ髪色をした、可愛い女の子。

 リーリャは抱き上げたその子を、丁寧な手付きでシルフィに渡した。

 

「生まれた……」

「うん……」

「よかった……髪の色、緑じゃなくて……」

「そうだね……お疲れ、シルフィ」

「うん……ありがとう、ルディ……」

 

 女の子を抱きながら、疲れた様子でほっと息をつくシルフィ。

 俺は出産という一大事を終えたシルフィの頭を撫でる。

 元々、緑色だった、その白くて綺麗な髪を梳きながら。

 

 宴会の後、リニアとプルセナに解毒魔術をかけて見送り、片付けを始めようとした時。

 シルフィが産気づいた。

 慌ててそう報告して来たアイシャと共に、すぐに全員に解毒魔術をかけ回り、パウロと共に家中を駆け回り布やらかき集める。

 そんな俺達に、ウィルが静かに声を上げた。

 

「ノルン、アイシャの時より安泰に御座る」

 

 その一言で、俺は幾分か落ち着きを取り戻した。パウロは相変わらずオロオロしていたが。

 考えてみれば、我が家にはリーリャという頼もしい助産婦がいる。あの時はそのリーリャのお産だったから、すっかり頭から抜け落ちていた。俺やウィルの時もリーリャがお産を助けていた。そういえば、ノルン達の時もウィルは落ち着いていたな。布やら産湯に使う桶を黙々と用意していた気がする。

 というわけで、リーリャはテンパる俺達に構わず、アイシャにお産のイロハを叩き込む余裕を見せながら惚れ惚れするような手さばきでシルフィのお産を助けていた。

 

「ご安心ください、ルーデウス様。シルフィ様は大丈夫です。さ、旦那様とウィリアム様、ノルン様はお部屋の外で待っていてください」

 

 パウロ達を部屋から追い出し、俺はシルフィの手を握り、がんばれ、がんばれと声をかけ続ける。

 万が一に備え治癒魔術を行使できるよう待機していたロキシーも、シルフィにがんばれと声をかけ続けていた。

 

 そして。

 元気な女の子が生まれた。

 

「ほら、ルディも抱いてあげて」

 

 シルフィから渡された、小さな命。

 うるさいくらい泣いているその子。

 俺の、子供。

 

「ああ……」

 

 思わず、涙を流す。

 小さいのに、生命が溢れているその存在に、胸の内から何かが溢れそうで、何かが千切れそうな想いが張りつめていく。

 パウロも、同じ様な想いを抱いていたのだろうか。

 

「ルディ! 生まれたのか!」

 

 リーリャが部屋の扉を開けると、慌てた様子のパウロが飛び込んできた。

 真っ先に俺の方へ来ると、涙まじりに俺の肩を抱いた。

 

「はい。無事に生まれました。女の子です」

「そうか、そうかぁ! よかった、よかったなぁ!」

「はい……父さんも、抱いてあげてください」

「ああ!」

 

 そう言って、おくるみに包まれた赤ん坊をパウロへ差し出す。

 危なげなく赤ん坊を受け取るパウロ。流石にこの子を含めて五人の赤ん坊を抱いているだけあって、傍から見ても安心できる手付きだった。

 

「はは……小さいなぁ……可愛いなぁ……」

 

 腕の中で泣く赤ん坊を、パウロは涙を流して見つめている。

 ……視界がぼやける。目を拭うと、パウロに負けないくらい大粒の涙が、指先に残っていた。

 

「ほら、母さん……」

 

 パウロはぼうとした様子で見つめていたゼニスの前へ行く。ゼニスが見えやすいよう、赤ん坊の小さな体を抱えながら。

 

「俺達の、孫だ……ルディの子供で、俺達の……」

 

 ゼニスは無表情で赤ん坊を見つめていた。

 自分の初孫というのをきちんと認識しているのだろうか。そんな思いが、ふとよぎる。

 

「……」

 

 でも、泣きわめく赤ん坊をじっと見つめるその瞳は、確かに暖かい光が宿っているように見えた。

 一時は感情の一切が失われた、いわば痴呆老人のような状態になっていると思っていた。

 でも、ノルンやアイシャ、そして何よりウィルに対する振る舞いが、それを否定していた。

 ゼニスは、失われている。でも、全て失われたわけじゃない。

 だから、きっとパウロと同じように孫の誕生を喜んでいるのだろう。

 そう思うと、また少し、涙が溢れてきた。

 

「ちっちゃいですね……」

 

 ノルンも興味深そうに赤ん坊を覗き込む。

 「いつか私も……」なんてノルンが言うと、「まだ早いと思うぞ……」と、泣き笑いながらパウロが応える。その様子を見たアイシャが吹き出し、リーリャにぺしりと頭を叩かれていた。

 そんなアイシャ達に、皆が笑い声を上げる。ウィルも、少しだけ表情を崩していた。

 

「ルディ、この子の名前、考えてくれた?」

「もちろんだよ、シルフィ」

 

 ベッドに横たわるシルフィの頭を撫でながら、俺は赤ん坊の名前を言う。

 

「ルーシー。俺とシルフィの頭文字を取って、ルーシーだ」

「ルーシー……良い、名前だね……ルーシー……ルーシー……」

 

 シルフィはルーシーという名前を咀嚼するかのように、ゆっくりと目を閉じながらそう言った。

 よかった。とりあえず、シルフィは気に入ってくれたみたいだ。

 

「ちょっと安直じゃオホーイ!?」

 

 ふとアイシャがそう言いかけた瞬間、ウィルがアイシャの両脇腹をむんずと掴んだ。

 

「安直と申したか」

「はぎぎぎぎぎ! ウィ、ウィル兄! そこダメ! 脇! あたし脇弱いからンアッーーー! むりむりむり! しんじゃう!!」

 

 後ろから抱き抱えるようにアイシャの脇腹を責めるウィル。

 パウロの腕の中でルーシーが泣き、ウィルの腕の中でアイシャが哭く。

 「懲!!!」とリーリャに怒られるまで、ウィルとアイシャは仲良くジャレ合っていましたとさ。

 

 

 その後、リーリャは再び俺達を部屋から追い出した。もうちょっとシルフィとルーシーと一緒にいたかったけど、なんでも色々とやる事があるらしい。

 赤ん坊もこの世に生まれる時は、うんと体力を使う。だから、シルフィ共々ゆっくり休ませないといけないとか。

 居間には俺とロキシー、ウィルが残った。それ以外の皆は休んでもらっている。ノルンもアイシャも、いい加減眠そうだったし、パウロ達も静かに初孫が出来た喜びを噛み締めたいのだろう。

 

「人が生まれる瞬間を初めて見ました……凄いですね……」

 

 ロキシーが疲労を隠せないといった調子でため息をついていた。

 でも、ぶっちゃけロキシーも何もしてないんだよな。気疲れってやつだろう。

 

「俺は四度目です。でも自分の子供だとやけに疲れますね」

「そういうものですか……わたしも、ああして産むことになるんですよね」

 

 赤らんだ顔で俺を見上げるロキシーに、ソファの上で正座して向き合った。

 

「はい。よろしくお願いすることになると思います」

 

 ロキシーともそういう性活、もとい生活が始まると思うと、色々と期待が抑えられない。

 ちなみに、ラパンでの乱痴気焼畑農耕(ずっこんばっこん)はロキシーを妊娠させるには至らなかった。エリナリーゼは嘘をついていた事になるが、今はその嘘がありがたい。

 あの怨霊軍師には……うん、あざっすと言わせてもらおう。

 

「ロキシー先生の赤ちゃんなら、神の子供に違いありません」

「何言っているんですか、もう」

 

 更に顔を真っ赤に染め、ロキシーは俺の方を小突く。

「ルディ、エッチな顔をしていますよ」と言うロキシーも、ちょっと扇情的な表情を浮かべていた。

 俺がスケベなのは、生まれつきだからしょうがないのだ。

 いや、生まれる前……前世から、そうなのだ。

 

「……」

 

 そんな俺達を特に気にせず、ウィルはもらったプレゼントの品々を鑑賞していた。

 テーブルの上に広げられたそれらをまじまじと見るウィルが、誕生日プレゼントをもらって喜びを隠せない子供みたいでちょっと可愛い。

 

「ふわぁ……ごめんなさい、ルディ。わたしももう休みますね」

「はい。ロキシーも、お疲れ様でした」

 

 そうしている内に、ロキシーが眠たげにあくびをひとつかくと、フラフラとした足取りで寝室に向かった。

 俺も、そろそろ休もうかな。もう遅いし。

 

「一先ず、祝着至極」

 

 そう思っていると、ウィルが俺の方を向き頭を下げていた。

 

「ああ、ありがとう、ウィル。なんか悪いな。今日はウィルの誕生日だったのに」

「いえ……」

 

 そういえば、ウィルとこうして二人っきりになるのは、ブエナ村の時以来だ。

 なんだか、もう少し起きていたい気分になってきたな。

 あの話も、しておきたいし。

 

「……ウィル、寝る前に、少し付き合えよ」

 

 アイシャが用意してくれたお茶をカップに注ぎ、ウィルの前に出す。少しぬるくなっていたけど、乾いた喉を潤すには丁度いい温度だった。

 

「ウィル……その……あのさ……」

 

 いざウィルと二人っきりになると、緊張してうまく言葉が出ない。

 何から切り出せばいいのだろうかと、あれこれ考えてしまいうまく思考が纏まらない。

 ナナホシの話からか。あるいは、転移事件が発生した後、どこにいて、何をしていたのか。

 グレイラットじゃなく、アダムスと名乗っている理由は。

 

 お互いの前世の話。

 そして、波裸羅様……衛府の龍神の話。

 

 話したい事がありすぎて、どう話せばいいのか。

 

「何か聞きたい事があるなら、遠慮なく」

 

 言葉を詰まらせていると、ウィルが真っ直ぐに俺の目を見てそう言った。

 俺はソファに座り直し、ウィルの瞳を見返す。

 瞳は、透き通るほど透明だった。

 

『……ウィリアム・アダムスって、やっぱ三浦按針の名前から取ったのか?』

 

 少しだけ、悩んで。

 思い切って、そう言った。

 この世界の人間語じゃなく、日本語で。

 

『……左様(さよ)

 

 ウィルは少しだけ驚いたように俺を見ながらそう返した。

 左様か。

 つまり、ブエナ村のあの時みたいに、正体を隠すことはもうしないんだな。

 少しだけ、気持ちが楽になった。

 

『あの、前世のことは──』

「兄上」

 

 ふと、ウィルが待ったをかける。この世界の、人間語で。

 

「今は、互いにこの世界に根を張る者……この世界の言葉で」

「……そうか。わかった」

 

 根を張る、か。

 今更だけど、ウィルも俺と同じようにこの世界の人間として生きていくつもりなんだな。

 ナナホシとラノア大学で遭遇した時を思い出して、ちょっと警戒していたけど、なんだか安心した。

 

「掛川藩兵法指南役、岩本虎眼」

 

 短く、ウィルはそう告白する。

 

「俺の前世の名前は──」

 

 俺も、ウィルへ自分の前世の名前を告げる。

 そして、ウィル……岩本虎眼より、四百年先の未来の人間であることも。

 

「四百……」

「ピンとこないかもしれないけど、本当だぞ」

「……時を越えるのは、浦嶋子の物語のみと思うておりました。ましてや、世界をも越えるなど」

 

 ウィルは顎に手を当てながら、考え込むようにそうつぶやいていた。

 ていうか、浦嶋子って浦島太郎の事だよな。

 考えてみれば、日本には昔からタイムスリップめいた寓話があるから、昔の人でも理解し易いのか。ちょっと納得。

 

「ちなみにナナホシも同じ時代の人だよ」

「ナナホシ姫が……」

 

 ウィルは更に驚きを深めるように眉間に皺を寄せていた。

 ナナホシとウィルの関係性は、嘘というか勘違いの上で成り立っている。

 でもその勘違いを正すのは、ナナホシの都合上よろしくない。

 でも、時代が違う人間だというのは、ウィルにも理解してもらった方がいいと思う。

 少なくとも、今後のナナホシの負担が少し減るだろうから。

 

「……一つ、聞いても」

 

 少し間をおいて、ウィルがこう聞いてきた。

 

「四百年先……徳川の世は、(さむらい)の世は、まだ続いているのでありましょうや」

 

 少し、縋るような目でそう聞いてくる岩本……いや、俺の弟、ウィリアム。

 俺は、短く応えた。

 

「終わったよ。徳川幕府も、武士の時代も」

「……左様、ですか」

 

 ウィルはやはり、といった感じでそう応えていた。

 驚くかと思っていたけど、意外と冷静だな。

 

「あまり驚かないんだな」

「……栄枯盛衰は世の理です。鎌倉も、室町も、永遠に続く事はありませんでした。士の世が終わったのは、少し残念ではありますが」

 

 滔々とそう述べるウィルは、何か諦観めいた表情を浮かべていた。

 それから簡単ではあるが、俺は四百年の歴史をウィルへ語った。

 あやふやな知識もあったけど、戦国時代、江戸時代、明治、大正、昭和、平成に続く歴史を。

 ちなみに、武家の末裔は現代でもそれなりに名士である事も付け加えておいた。

 こう言っておかないと、ウィルはナナホシに対する態度を変えかねない。まあ多少は変わっても仕方ないかもしれないが、過剰にへりくだかれるよりはマシだろう。

 実際、今でも高名な武家の末裔は王子様、お姫様と言っても過言ではないしな。ナナホシはただの女子高生だけど。

 

 ウィルのせいで、アリエル達がナナホシを貴人扱いしているのも、これで多少はフォローできるだろう。

 よく考えてみれば、実は平民でしたなんて言える状況じゃなかった。

 ほんと、どうしてこうなったのやら。

 

 ウィルは、黙って俺の話を聞いていた。

 

「あの、前世の家の事は、気にならないのか?」

 

 黙っているウィルにそう聞くと、ウィルはゆっくりと首を振る。

 

「気にならないといえば嘘になり申す。ですが……」

 

 ウィルは薄く目を明けながら、何かを噛みしめるように言葉を続けた。

 

「少しばかり、それがしは前世に囚われすぎていた気がします」

 

 前世への囚われか。

 そういえば、俺も引きこもりだったコンプレックスを抱えていた。

 でも、ロキシー先生や、シルフィ……様々な人に出会い、前世のコンプレックスを解消して、こうして今を生きている。

 異世界行ったら本気出すと誓って、もう十六年……いや、そろそろ十七年か。

 ウィルは、何に囚われていたのかわからないけど、何か踏ん切りがつくような事があったのだろう。

 

「……娘がいました」

 

 何かを思い出すように、何かを後悔するように、ウィルは言葉を続ける。

 

「もう顔も思い出せません。ですが、もっと愛してやればよかったと……少し、後悔しています。今は、それだけが心残り」

 

 そして、ウィルは再び目を閉じる。

 俺は、何も言えなかった。

 

「……話は変わるけどさ、どうしてウィルはグレイラットの苗字を名乗らないんだ? 転移して、何があったんだ?」

 

 なんとも言えない空気になってしまったので、俺は話題を変える。

 ウィルも、居住まいを正していた。

 

「とある迷宮に転移しました」

 

 ゼニスと同じ、でもゼニスとは違い、ウィルは五体満足のまま転移していたんだな。

 

「そこで、魔物を斬り伏せ、喰らいながら生きながらえておりました。この剣は、転移した折、それがしの目の前に」

 

 ウィルは七丁念仏の柄を握りながらそう言った。

 かなり壮絶な転移だったようだ。少なくとも、俺の時みたいに頼れる味方も無く、たった一人で生き抜く為に戦い続けていたのだろう。

 

「……気に食わぬ事ですが、とある悪神の助言もあり、こうして生きておる次第」

 

 悪神。

 思い当たる存在は、ひとつしかない。

 

「ヒ──」

 

 でも、俺はそれ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。

 ウィルは、この世の全てを恨むような、増悪に満ちた表情を浮かべていた。

 

「……申し訳なし」

「あ、ああ……」

 

 俺がビビっていると思ったのか、ウィルは表情を元に戻していた。いや、実際ビビっていたけど。

 ……ウィルもヒトガミの助言を受けていたんだな。

 でも、何があったのか知らないけど、ウィルはヒトガミを相当恨んでいるようだ。

 まああいつも神様を名乗っている割には胡散臭い奴だったし、ウィルとは相性が悪かったんだろう。

 今度あいつが夢に現れたら、何があったか聞いてみよう。

 

 というか、なんでウィルの事を教えてくれなかったんだあの野郎。俺もなんかムカついてきた。

 なんにせよ、ウィルにはヒトガミの話題を出すのは止めたほうが良いな。オルステッドの時みたいに、変な地雷を踏みかねん。

 あの時とは違い、今の俺には大切な家族がいるんだ。もちろん、ウィルもその一人だけど。

 だから、家族が嫌がる話題は、極力避けた方がいい。

 波裸羅様からもらった蛮勇は、家族会議で使い果たしてしまったし。

 

「必死の思いで迷宮を抜け出し、とある御仁の世話になり……こうして中央大陸に戻ってまいりました。それから、中央大陸の剣術道場を回っておりました」

 

 ウィルがゆっくりと話を続ける。

 今生で出来た、目標を。いや、野望を、滔々と語りながら。

 虎眼流の名前をこの世界に轟かせ、異界天下無双となる。

 その為に、この世界の剣術と真っ向から勝負してきたのだと。

 

 正直、兄としてはそんな無茶は止めてほしい。でも、剣士として最強を追い求める気持ちもわかる。

 実際、ウィルは死神を下し七大列強にまでなったのだ。俺の心配は、それこそ余計なお世話というものだろう。

 ウィルにとって虎眼流とは、前世の囚われというより、前世からこの異世界へ共に来た、たったひとつの同胞なのだ。

 だから、ウィルの想いを止めることは、俺には出来ない。

 

「家名を変えたのは、その時分に」

 

 それから、ウィルはグレイラットの苗字を名乗らなくなった理由を語った。

 三浦按針という、自分と同じように、知らない世界に漂着したイギリス人。

 自分の実力だけで、日本でのし上がった異国の人間。

 それにあやかって、ウィルはアダムスを名乗った。

 

 でも、それ以上に、名前を変えた理由が、ひとつあった。

 

「剣術の世界はつぐつぐ峻烈な世界です。恨みを買うことも、多々あります」

 

 ウィルは、俺達家族を巻き込まない為に、グレイラットの性を捨てたのだ。

 俺達家族に、迷惑をかけないようにする為に。

 

「不本意ながらも、それがしは七大列強と相成り申した。故に、その首を狙う者も、遠からず現れましょう」

 

 今は冬だから、シャリーアへの人の往来は少ない。

 でも、雪が溶けたら、シャリーアを訪れる人間はこれまで以上に増える。

 

「雪解けを待って、シャリーアを発ちます」

「……そうか」

 

 思えば、ウィルが俺達の家族だと知っているのは、身内を含めてもあまりいない。

 だけど、このままウィルがここにいたら、グレイラットの一員であるのが公になるのも時間の問題だろう。

 

「別に、このままいてくれてもいいんだぞ。俺も、父さんも、シルフィも、ロキシー先生も、そこらの剣士には負けないよ。多分」

「……野心溢れる者は、時に悪辣な手段を用います。的になるのは、兄上達だけではござらん」

 

 ウィルはゼニスやリーリャ、ノルンやアイシャ……そして、ルーシーの心配をしていた。

 ……人質か。

 今は四六時中パウロが家を守ってくれているけど、それでも王級以上の実力者が現れたら厳しいだろう。

 七大列強に挑むくらいだから、相応の実力者が現れる確率が高い。

 もっとも、そんな実力者が卑怯な手段を取るとは考え辛いけど。

 ともあれ、ウィルがこのままシャリーアにいれば、そういう事も起こり得るのだろう。

 

 ……ノルンへ剣術の基礎しか教えないのも、基礎しか教える時間しか残されていなかったからか。

 

「わかった。父さんには、この事を伝えたのか?」

「今は、まだ」

「ちゃんと自分の口で伝えた方がいいと思うぞ。ノルンや、アイシャ達にも」

「……はい」

 

 少しだけ哀しそうな表情で頷くウィル。

 でも、これは俺が言うより、ウィルが言わなければならない。

 

「アリエル様達には俺から伝えとくよ」

「はい」

 

 口止めという程でもないけど、アリエル達にもウィルがアダムス性を名乗る理由を話した方がいいだろう。

 もっとも、あのリニアやプルセナですら、なんとなく察してウィルをアダムスの名前で呼んでくれていたので、大丈夫だと思うけど。

 

「前世の事は……俺は、まだナナホシ以外には話さない方が良いと思う」

「……」

 

 ウィルは俺の提案に沈黙を返していた。

 家族に前世の事を秘密にする理由は特にない。だけど、それはお互いにウェットな案件だから、今はまだ話さない方が良いだろう。

 ……いつか、俺もシルフィやロキシーに前世の事を打ち明ける日が来るのだろうか。

 

「……」

「……」

 

 しばらく俺とウィルの間には沈黙が漂う。

 ふと窓の外を見ると、もう空が白み始めていた。

 ずいぶん長い事話をしていたな。

 もう、今日は切り上げた方がいいか。

 まだ聞きたいことは沢山あるけど、明日というか、今日もあるし。

 

 でも、最後にこれだけは伝えておこう。

 

「ウィル。シャリーアにいる間だけで良いから、ナナホシに協力してくれないか」

 

 一番肝心なことを伝えると、ウィルはしっかりと頷いてくれた。

 

「はい。ですが、何故兄上はそこまでナナホシ姫に協力するのです?」

 

 ウィルは不思議そうに俺を見つめる。

 何故、か。

 そんなの、決まっている。

 

「お前だって、異世界で困っている日本人を見つけたら、見捨てることなんてできないだろ? それが徳川のご令嬢だったら尚更さ」

 

 そう言うと、ウィルは少しだけ苦笑していた。

 

 

 

 


 

 中央大陸北西部

 魔法三大国バシェラント公国

 第三都市ピピン近郊

 

「ティーナ! メラニー!」

 

 雪深き北方大地。

 ピピン近郊に位置する雪原。そこに、五人の女冒険者達が魔物と死闘を繰り広げていた。

 否、既に二人の冒険者は重傷を負ってか雪原に倒れ伏しており、雪面を赤く染めている。

 見れば、彼女達以外にも何名かの冒険者が倒れており、それらは臓物を露出させながら息絶えていた。

 

「なんだってこんな所に赤竜(レッド・ドラゴン)が出てくるんだい!」

「あいつらが余計な事するからよ! お姉さま! 煙幕を張るわ!」

 

 筋骨隆々とした大柄な女が大剣を構え、そう悪態をつく。それに応えつつ、杖を持った十五歳ほどの少女が詠唱を開始する。

 彼女達が相手取るのは、中央大陸最強の魔物、赤竜。

 赤竜は本来中央大陸を分断するようにそびえ立つ赤竜山脈に生息する魔物だが、稀に“はぐれ竜”が赤竜山脈以外に生息している。

 それ故、赤竜が現れた地域では、即座に複数の高ランク冒険者パーティが討伐に赴くのだ。

 

 しかし、彼女ら……女性だけのS級冒険者パーティ“アマゾネスエース”は、別件の依頼の最中、別の冒険者パーティが赤竜を発見し、これを討伐せんとした場面に遭遇する。

 止めようとしたにも関わらず、その冒険者パーティは欲に負け、蛮勇を振りかざし赤竜へ襲いかかった。

 赤竜は単独でもSクラスの魔物に分類され、その死体の部位は高額で取引されるほどの希少価値がある。だが、欲に駆られた冒険者パーティは、赤竜を討ち果たす実力もなく、あえなく全滅した。

 そして、残ったアマゾネスエースへ、赤竜の牙が襲いかかっていたのだ。

 

「汝の求める所に大いなる炎の加護あらん、勇猛なる灯火の熱さを今ここに! “ファイアボール”!」

 

 目の前の雪原へ向け火球が放たれ、赤竜とアマゾネスエースの間に大量の水蒸気が発生する。

 

「リーダー! アリサ! 今のうちにティーナとメラニーを!」

 

 そこに、弓をつがえた一人の乙女が、赤竜へ向け剛弓を放った。

 

「サラ! 無茶だよ!」

「無茶しないと全滅するよ! いいから早く行って!」

 

 矢を放ちつつ、赤竜をアマゾネスエースから引き剥がすべく、背後の森へ誘導する。

 弓兵の乙女の名は、サラ。

 彼女はアマゾネスエースの中衛として加入し、全体の戦況を管理する役割を担っていた。

 こうして自分を犠牲にしてでも、パーティの生存を優先させるくらいには、彼女の冷徹な戦略眼はルーデウスらとパーティを組んでいた時より冴え渡っていた。

 

「くッ!?」

 

 サラの渾身の力を込めた矢は、赤竜の重装甲の如き鱗を貫通せず弾かれるばかりである。だが、それでも小癪な乙女を抹殺せんべく、赤竜は目標を乙女に定め猛然と森の中へ突進する。

 サラは果敢に応戦しつつ、森の奥へ、奥へと赤竜を誘引した。

 

「グルアアアアアッ!!」

 

 灼熱のファイアブレスが放たれ、間一髪でそれを躱すサラ。

 だが、木々に炎が燃え移ると、サラの周りは火炎に包まれ、それ以上の行動を封じられてしまう。

 

「グルルルルルルッ……!」

「こりゃ、まずい、ね」

 

 火炎を漏らしながら、サラの前へ鎌首をもたげる赤竜。

 サラは高温に晒されつつも、全身から冷えた汗を流していた。

 

(あーあ……ここで、終わりかぁ……こんなことなら、あの波裸羅様に処女を捧げて……いや、それはないか)

 

 単独で赤竜を討伐出来る実力は、弓兵の乙女には無い。

 圧倒的な実力差に、サラは諦観めいた想いに囚われる。

 少なくとも、己が純潔のまま死ぬということを、後悔するほどには。

 

「あ──」

 

 そして、必滅の竜爪が、サラの目の前に振り下ろされた。

 

 

 ずしん!

 

 

「え……」

 

 死を覚悟し、ぎゅっと目を瞑った乙女は、直後に何かが圧壊する音を聞く。

 そして目を開けると、高重力に潰され(・・・・・・・)、轢き潰された蛙の如き骸を晒す、赤竜の姿が存在した。

 

「間一髪だったね、お嬢さん」

 

 そして赤竜の死体と乙女の間には、大剣を担いだ黒髪の少年が佇んでいた。

 背丈はサラとそう変わらない、どこか幼さを残した少年の顔立ちを、乙女は呆然と見つめる。

 

 ボーイ・ミーツ・ガール。

 物語の始まりは、こうありたいもの。

 

「え、えっと……その、ありがとう」

 

 突如現れ、己の窮地を救ってくれた少年剣士に、サラはおずおずと礼を述べる。

 少年は、微笑みをもってそれに応えていた。

 

「礼はいらない──?」

 

 だが、少年は辺り一帯に尋常ではない気圧を感じ取る。

 上空へ目を向けた少年につられるように、サラもまた頭上へと視線を向けた。

 

「な!? も、もう一匹!?」

 

 みるみる迫り来る、新たな赤竜。

 サラは絶望的なこの光景を目の当たりにし、再び身を竦ませた。

 

「グルアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 同胞を殺された恨みか、それとも殺された赤竜は新たに現れた竜の番だったのだろうか。

 圧死した赤竜よりも一回り大きいその竜は、怒りの咆哮を上げサラ達の前へ降り立った。

 

「に、にげ──!」

「何も心配いらないよ。君も、君の仲間も」

 

 しかし、少年は悠然と大剣を構える。

 先程見せた、赤竜を単独で討伐せし実力者の余裕。

 少年と竜が対峙するその様子は、まさしく神話の如き光景。

 サラは目の前の光景がどこか現実味がないように思え、ただ呆然とその後姿を見つめていた。

 

「世に“七大列強の英雄譚”と称される(くだり)──血眼(ちまなこ)しておろがむが良いさ──」

 

 赤竜の前へ歩を進める、黒髪の少年剣士。

 英雄に焦がれ、その重剣を振るい続ける、若き剣豪。

 それはまさしく、この世界における大強者の姿であった。

 

「僕の名は──」

 

 そして、少年は名乗る。

 偉大なる祖父、そして英雄たる父から受け継いだ、誇り高き剣名を。

 

 

 

「“北神三世”アレクサンダー・カールマン・ライバックだ!」

 

 

 

 甲龍歴424年

 

 英雄剣豪、北方大地に現出す──!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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