虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第三十九景『転生虎(てんとら)(まと)う!』

 

「コホッ……ウィリアムさん。今日も宜しくお願いします……」

 

 ラノア魔法大学

 研究棟

 ナナホシ・シズカ研究室

 

 ルーデウスらと別れたウィリアムは、一人このナナホシの研究室へと赴いていた。

 ナナホシが現代日本へ帰還するべく、異世界間の転移を目的とした研究への協力の為である。

 

「御身の調子が優れぬのなら……」

「いえ、大丈夫です。ちょっと、咳が出るだけですから」

 

 咳き込むナナホシを気遣うウィリアムであったが、ナナホシとしては少々の体調不良で中断するつもりは無く。

 とはいえ、魔術を使えぬウィリアムにとって、ナナホシの研究に直接手を貸す事は無く。

 出来る事は、帰還の手がかりとなる物品の貸与のみである。

 ぶつぶつと独り言を呟き、時折咳き込みながら魔法陣に記述を重ねるナナホシ。作業机に置かれた七丁念仏の刀身を調べ、また独り言を呟きつつ作業を続ける。

 その様子を、ウィリアムは黙して見つめるのみである。

 

(不憫……)

 

 しかし、ナナホシを見つめる虎の眼は憐憫が籠もった眼差しであり。

 前世を含めると、孫のような年の差があるウィリアムとナナホシ。年若に対する情も多分に感じている。

 そして、そのような年若のナナホシが、こうして人知れず現代日本へ帰還するべく必死になっている姿は、苛烈な気質を備える虎ですら憐れみを禁じ得ないのだ。

 

 自身や兄ルーデウスは、この世界に新たな生を受けその身を根付かせている。

 故に、前世世界への望郷は多少あれど、この世界で生き抜く決意は生まれた瞬間から芽生えていた。パウロ、ゼニスら今世の両親が、惜しみのない愛情を注いでくれたのも大きい。

 

 異世界に生まれ落ちた日が、兄弟の出陣の時

 後方支援は、家族の愛

 蛮勇異世界、何するものぞ

 

 だが、ナナホシは違う。

 それまでの穏やかな日常から、突然身一つでこの苛酷な異世界へと投げ出されたのだ。

 転移直後に龍神に保護されていなければ即死しかねない状況。言葉も通じず、生活環境も違うこの世界で、ナナホシが生き抜くには厳しすぎる現実があった。

 

「コホッ……」

 

 日本人らしい美しい黒髪を揺らしながら作業を続けるナナホシ。

 その姿が、朧気な記憶となった前世の娘、三重と重なる。

 

 “お前だって、異世界で困っている日本人を見つけたら、見捨てることなんてできないだろ?”

 

 ルーデウスの言葉が、虎の中で反芻される。

 娘と同じ美しい黒髪を持つ、平成日本からの迷い人。不憫で、健気に帰還への道を歩むこの少女に、葵紋の呪縛が無くとも己の手を差し伸べるのは厭わない。

 若虎は、そう想っていた。

 

「……ちょっと休憩してもいいですか?」

「……」

 

 だが、そのような憐憫の眼差しとはいえ、黙って見つめられているとどうも緊張度が増すナナホシ。先程から地味に胃の辺りが軋むのを感じていたナナホシは、たまらず休憩を申し出る。

 ウィリアムは相変わらず黙していたが、ゆっくりと首肯して少女の瞳を見つめていた。

 

「あ、お茶飲みますか?」

「かたじけなし」

 

 作業机からウィリアムが座るソファの対面に座り、ティーポットから注いだお茶をおずおずと差し出すナナホシ。

 ウィリアムがゆっくりとカップに口をつけるその様子を、少しばかりそわそわと見ている。

 虎は、ふくよかな香りとトロリとした甘みがある茶を、じっくりと味わうように口をつけていた。

 

「あ、あの……今日も、色々お話を伺ってもいいですか?」

「……御話引き受け候」

 

 先程の緊張した様子から、やや好奇心を抑えられぬといった表情を覗かせるナナホシ。

 ナナホシの第一の目的は、ウィリアムの日ノ本由来の物品の調査であり、調査用の魔法陣でその転移の根源を調べ帰還の手がかりにすることであるのは変わらない。

 だが、それに加え、平成女子高生……いや、この刀剣女子には、もうひとつの目的があった。

 

「え!? じゃあ井伊直虎って女性じゃなかったんですか!?」

「井伊侍従殿の養父は関口越中守殿が息子の井伊次郎直虎殿。れきっとした男子(おのこ)でござる。築山殿は侍従殿の従叔母で、井伊谷城の城主だった事実はござらん」

「はぇ~……大河ドラマって嘘だったんだ……」

「ドラ……?」

 

 ナナホシはいわゆる戦国や幕末をモチーフとしたゲーム、アニメ、コミック等のコンテンツを親しんでおり、戦国時代の生き字引きともいえるウィリアムの“生”の情報を聞くのを密かな楽しみとしていた。

 明かされる驚愕の事実の数々に、平成日本女子高生は思わず素の自分をさらけ出して感心するばかり。

 とはいえ、廻国修行で全国を行脚していた時は一介の剣術修行者の身分でしかなく、歴史の裏ともいえる戦国武将達の生情報を知れるのは、ウィリアムがある程度の身分を持ち得た掛川藩兵法指南役時代且つ東海道周辺に限定されてはいたが。

 

「えっと、じゃあ徳川四天王で実際会った人とかいます? 本多忠勝って本当に強かったんですか?」

「拝謁の栄を賜ったのは榊原式部大輔殿のみでござる。本多中務大輔殿は旗本先手役*1に任じられるに相応しき御仁とは聞いております」

「はぇ~……やっぱホンダムってすんごい……」

「ダム……?」

 

 ウィリアムの言に、ナナホシは目をキラキラと輝かせて聞くばかり。

 先程の緊張感はどこへやら、ただ知的好奇心を満たすべく興奮気味に話をせがんでいた。

 ウィリアムはウィリアムで、このように自身が生きた時代についてこれほど食い気味に聞いてくる存在は初めてであり、ところどころナナホシから飛び出してくる聞き慣れぬフレーズに首をかしげつつも、珍しく饒舌気味に受け応えていた。

 

「えっと、じゃあ……」

「……」

 

 興奮気味に次の質問を考えているナナホシに、ウィリアムは微笑を持って見つめている。

 前世のことはもはや過去の事。囚われは捨てている。

 だが、こうして知識として開陳する分には、存外に楽しいものである。

 目を細めながらカップを傾け、少々乾いた口を潤しつつナナホシの次の質問を待つウィリアム。

 

「本多繋がりで、本多正信とか、本多正純って会ったことありますか?」

「──」

 

 瞬間、カップを傾けていた手がぴたりと止まる。

 ウィリアムの貝殻に、あの忌まわしい記憶がじわり、じわりと滲み出していた。

 

「……」

「あ、あの、ウィリアムさん……?」

 

 超特大の地雷を踏み抜いたに等しき愚挙。

 それに気づかぬナナホシは、いきなり表情を険しくするウィリアムを訝しむように見つめる。

 

「くふ、くふふふふ」

「ウィ、ウィリアムさん?」

 

 そして、唐突に不気味な嗤い声を上げるウィリアム。

 その変わりぶりに、ナナホシは困惑するのみ。

 

「……上野介殿は、柳生但馬同様、嫌な奴でござった」

「そ、そうなんですか……はぇぇ~……なんでそこで柳生宗矩が出てくるの……?」

 

 やがて皮肉めいた笑みを浮かべながら応えるウィリアム。

 前世の囚われから抜け出したと思っていたが、屈辱と憎悪の記憶は中々晴れぬもの。

 

(やはりあの時、但馬めの下顎を撥ね飛ばしてやれば良かったわ!)

 

 とはいえ、以前のような粘ついた憎悪を抱くことはなく。

 江戸道三河岸にて、柳生宗矩と立ち合った時分を思い出したウィリアムは、カラリと晴れやかな気持ちで、しかしやはり恨みを持って当時を思い起こしていた。

 虎の矮小な部分は、不退転の火を受けても中々変わらぬものである。

 もっともそのような虎の複雑な心境を、ナナホシが知る術は無かったのであるが。

 

「じゃ、じゃあ作業に戻りますね……」

「……」

 

 少々気まずい空気が流れた所で、逃げるように机の上に広げられた魔法陣へ向かうナナホシ。

 ウィリアムは後世の人間に、自分の主観で怨敵への風評被害を植え付けたことで、やや満足げな表情を浮かべている。

 このような器の小ささは今生では鳴りを潜めていたが、やはり虎の本質は中々の偏屈者であった。

 素をさらけ出していたのは、ナナホシのみならず、虎もまた同じ。

 

「……」

「……」

 

 再び研究室には沈黙が漂う。

 作業を継続するナナホシを、黙って見つめるウィリアム。

 魔法陣の素養が無いウィリアムであったが、進捗状況は気になるところ。しかし、邪魔をしてはならぬと沈黙を保ち続ける。

 

「ふぅ……」

 

 やがて難しい箇所を終えたのか、深くため息を吐くナナホシ。

 窓の外へ目を向けると日は中天に差し掛かっており、ナナホシを含め学生達は昼休みの時間である。

 

「まだ、時はかかりそうですかな」

「そうですね……七丁念仏のおかげで、ある程度の成果は上がりつつあるんですけど、基本的に魔法陣の構築には時間がかかるんです」

 

 ナナホシが現代日本に帰還すべく取り組んでいる転移魔法陣の研究は、複数の段階を経て構成されている。

 まず、ルーデウスがシルフィエットと結婚した時分に成功させた第一段階“無機物の召喚”

 その後、植物等の有機物の転移召喚。更に、昆虫等の小動物の転移召喚。その後、哺乳類等の大型動物の転移召喚。

 それらを繰り返し相転移の確度を上げ、最終的にはナナホシ自身が現代日本へ"転移召喚”し帰還せしめる。

 

 一度は挫折しかけたこの研究も、ルーデウス、そしてザノバ、クリフらの協力により着々と成果を上げている。

 先に成功したペットボトルの召喚に加え、そのペットボトルのキャップの召喚にも成功していたナナホシは、第二段階である有機物、つまり植物由来の物品の召喚に着手していた。

 

 では、ここで七丁念仏は具体的にどのようにしてナナホシの研究に貢献していたのだろうか。

 

 当初、ナナホシは七丁念仏に残された魔力等の超常現象の痕跡を分析し、その力の根源を解明し転移魔法陣へと転用する腹積りであった。

 だが、七丁念仏の転移した原因を探り当てることは不可能。転移した際に残された魔力の痕跡は見受けられるも、もっと別の力学が働いているようにも見受けられた。それを、ナナホシは満足に解析することは出来ず。

 ならばとアプローチを変え、七丁念仏を媒介とした日本からの物品の召喚を試行する。

 

「その成果が、今飲んでもらってるお茶なんですけどね」

「……」

 

 ナナホシの言を受け、ウィリアムはカップに波打つ濃緑色(・・・)の液体へ視線を向ける。

 先程ナナホシがウィリアムへ淹れたお茶。

 それは、この世界で普遍的に飲まれている、いわゆる紅茶等の西洋茶ではない。

 それは、純然たる日本茶。

 つまるところ、緑茶である。

 更に、産地は静岡県掛川市。

 

「これで、帰還先の固定(・・)は、ある程度は確立できたと思います」

 

 茶葉のパッケージを手に取りながら、瞳を爛と輝かせる平成日本女子高生。

 ナナホシが当初から懸念していた帰還先の固定問題。

 何もかも上手くいき、いざ現代世界へと帰還したはいいが、転移先が生存困難な場所では目も当てられない。

 一応、未だ理論段階ではあるが、転移成功判別魔法陣の構築で転移した先のある程度の海抜高度の選定はできる。恐らくは、海抜10mから30m以内の陸地へと転移することは可能であろう。

 だが、日本国内ならばまだしも、国外、それも紛争地域等の危険地帯の真っ只中に転移すれば、そのまま即死する恐れも十二分にある。

 故に、七丁念仏だ。

 

「ほんと、七丁念仏のおかげです。改めてお礼を言います。ありがとうございます、ウィリアムさん」

「礼には及び申さぬ」

 

 七丁念仏に残された魔力の残滓を解析し、媒介とした現代日本からの物品召喚。

 召喚されたのは、掛川市内のとあるメーカーで生産された緑茶であった。妖刀ゆかりの土地と何かしらのつながりがあったからなのか、数度の実験を経て転移召喚先を掛川へ固定することに成功する。

 

 魔法陣に現れたパッケージを見た瞬間、ナナホシは発狂せんばかりに狂喜乱舞する。ちょうど実験の為魔力を供給していたルーデウスが「またかよ!」と大いに焦ったほど、平成日本女子高生の常軌を逸した喜びぶりは想像に難くない。

 ナナホシが落ち着き、赤面して恐縮しているのを見たルーデウスは「帰ったらちゃんと買い取りに行けよ……今のままじゃただのダイナミック窃盗だからな……」と、疲れた様子で釘を差していた。

 無論、ナナホシは帰還後、虎の子の貯金を崩し製造メーカーの緑茶を箱買いする腹積もりではある。

 ちなみに、恒例となりつつある物品の召喚成功祝いは盛大に行われたのだが、その様子はここでは割愛する。

 

 ともあれ、こうして物品の往来は静岡県掛川市内に限定された。

 あとは、自身が帰還可能になるまで転移魔法陣の水準を上げるのみ。

 興奮を隠せないナナホシの様子を、ウィリアムは緑茶を飲みつつ眼を細めて見つめていた。

 

「……あの、不躾で申し訳ないんですけど、お願いがあるんです」

「?」

 

 ややあって、何かを決心するかのように表情を固めるナナホシ。

 不思議そうにするウィリアムに、平成日本女子高生は意を決してその可憐な口を開いた。

 

「七丁念仏を、ニ日……いえ、一日だけでいいので、貸してくれませんか?」

「む……」

 

 乙女の可憐で、悲壮な要請。若虎は、それまでの穏やかな表情を変化させ、やや渋面を浮かべていた。

 

「今、研究がすごく良いところまで来ているんです。だから、集中して調べたいんです……」

「……」

「剣術家が他人に愛刀を預けるなんてありえないですよね……でも、それでも……お願いします……」

「ナ、ナナホシ姫」

 

 尚も渋面を続けるウィリアムに、ナナホシは悲壮な表情を浮かべ床に手をつく。

 乙女の痛ましい土下座姿。ウィリアムは思わず乙女の肩を掴み、その身を起こしていた。

 

「お願いします……お願いします……」

「……」

 

 それでも尚、頭を下げ続けるナナホシ。悲痛なその姿に、若虎の心は揺さぶられる。

 剣術者の命ともいえる刀を、一日とて手放すのは耐えられぬ。

 しかしこの痛ましい姿も、これ以上見ていられぬ。

 

 しばし床を這うナナホシの姿を、黙って見つめるウィリアム。

 やがて、虎は深い溜息をひとつつき、乙女の肩に手を置いた。

 

「丁重に、扱って頂きたく……」

「ウィリアムさん……」

 

 虎の一言に、ナナホシは深く頭を下げ、感謝を捧げてた。

 虎は、慈愛の気を纏わせながら、ゆっくりと頷いていた。

 

 

「本当は、その“不動”も調べてみたいんですけどね」

 

 しばしの時が経ち、落ち着いたナナホシがふとウィリアムの傍らに置かれた甲冑櫃へと目を向ける。

 鎮座する拡充具足“不動”

 その存在感は、櫃の中で妖しい“気”を発する程。

 

「ナナホシ姫単独での不動の検分は、兄上が固く禁じております」

「そ、そうなんですけどね……確かにちょっと……いえ、結構危ない気はしますけど……」

 

 やや浮ついたナナホシを嗜めるように言葉を返すウィリアム。

 七丁念仏はウィリアムの前世、つまりナナホシと同じ時空を共有する日本由来の品。

 貸与し、召喚実験の媒介としない理由はない。

 しかし、不動は日本由来の品ではあるが、ナナホシ達の日本(・・・・・・・・)の品ではない。

 

「兄上の言を借りれば、迂闊に媒介にすればどのような魑魅魍魎が現れるとも限りませぬ」

「はい……」

 

 しょんぼりと肩を落とすナナホシ。

 不動とは、別次元の日本からの迷い品──。

 六面世界の魔術(不思議)ですら解明できぬ、敷島の仰天具足(摩訶不思議)は、迂闊に実験に使用するには実に危険な代物。

 故に、安全性が確立できぬ以上、不動を使用した相転移実験はもとより、その調査自体が見送られていた。

 その出鱈目の一端を垣間見たルーデウスが、不動を媒介とした召喚実験を必死で押し止めるほどには。

 

 ウィリアムは別次元の日本の存在をやや咀嚼しきれていなかったのであるが、兄ルーデウスの言葉には素直に従っていた。

 時間移動や異世界間移動の概念は理解できても、並行時空の概念は、流石に中近世に生きた人間には理解し辛いものがあった。

 現人鬼や不動の存在も、非常識な存在であれ非現実ではない。実在する以上、それは虎にとって真実の存在なのである。

 時として中近世の武士が現代人よりも現実的なのは、命投げ打つのが当然の武士道という死生観から来ているからか。あるいは、単に目に見える事実しか許容出来ないからか。

 

「……あの波裸羅──様に、協力してもらえば、もしかしたら……。でも、簡単に協力してくれる人じゃないんですよね?」

 

 その現人鬼の名が、ナナホシの口から不意に発せられる。

 根拠は無きに等しいが、聞く限り暴虐無敵の存在である現人鬼の合力があれば、不動を安全に調査できるのではないかと。

 そのようなナナホシの言葉を、ウィリアムはしばし瞑目した後、ゆっくりと口を開いた。

 

「至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり」

「え?」

「誠心を持って尽くせば、動かぬ人はおりますまい。という意味です」

「な、なるほど……あれ? でも、それって吉田松陰の言葉ですよね? どうしてウィリアムさんが吉田松陰を知っているんですか?」

 

 幕末の思想家が残した金言は、幕末をモチーフとしたコンテンツにも十全に取り入れられている。

 それ故に、ナナホシはその言葉を知ってはいたのであるが、幕末よりはるか以前の時代に生きたウィリアムがそれを知り得るとは思えず。ナナホシはやや困惑した表情を浮かべていた。

 

「吉田松陰? 誰ですかなそれは」

「えっと、幕末の思想家で……」

「これは孟子。離婁章句(りろうしょうく)*2の一節にござる」

「な、なるほど……孟子なんですね……パクりましたね吉田松陰」

「パク……?」

 

 吉田松陰は単純に時代に合わせて孟子を引用しただけである。

 だが、意図せずに後世の人間へあらぬ風評被害を植え付けてしまうウィリアムなのであった。

 

 

「もっとも、かの御仁は人ではなく鬼。好き勝手の類にござれば、常人の道理が通じる相手ではござらん」

「なんで今取れ高零の話したんですか……?」

 

 

 そして身も蓋もない話で締める、ウィリアムなのであった。

 

 

 

 


 

 来てほしくない時間というのは、容赦なくやってくるものである。

 

「では……一手御指南仕り──」

「いやだから模擬戦じゃないからな?」

 

 練武場で、拡充具足“不動”を纏ったウィルと対峙する俺。

 重厚な鋼を纏ったウィルの姿。面頬があるので表情は見えないが、全く重さを感じさせないその佇まいは、まさに武神と呼ぶにふさわしい威容だ。

 

 目方三十四貫(127.5kg)、手甲は一寸(3cm)の厚み。

 並の人間なら一歩も動けない、鎧というよりは枷。

 そんな体枷……いや、ウィルの外骨格(ほね)は、黒々とした装甲の輝きを見せていた。

 

「ルーデウス様。そのようなご無体は仰らずに、一度手合わせをしてみてはいかがでしょう?」

 

 練武場に気品のある声が響く。

 にこやかにそう言い放つのは、アリエルだ。

 実は、練武場にはシルフィやロキシー以外にも、何名かの見学者が来ていた。

 

「え、えっと、ルーデウス兄さん、ウィリアム兄さん! 二人とも頑張ってください!」

 

 まず、ノルン。

 この後ウィルのプライベートレッスンがあるので、放課後にそのまま来ていた。

 ただ、「ウィリアム兄さんの……お胸……」というウットリとしたつぶやきは、お兄ちゃんほんとどうかと思うぞ。

 ちなみにこの場にいるのはウィルがグレイラット家の家族であるのを承知している人間しかいないので、ノルンはウィルをいつも通りの呼び方で呼んでいた。

 

「うーむ……やはりあの鎧は……」

「マスタ。グランドマスタはおとうと様と戦うんですか?」

 

 ザノバとジュリ。

 ジュリは単純にザノバにくっついてきたのだが、ザノバに関しては実は俺が誘っていた。

 というのも、不動の重量を鑑みて、怪力の神子であるザノバなら問題なく使用出来るのではと思い、試しに着装させてみたかったのだ。

 で、先程実際に着せてみた。

 

 結果は、着装不能。

 

 曰く、重量は問題無かったらしいのだが、着た瞬間魔力とは別の悍ましいナニカが流し込まれ、一歩も動けなくなったらしい。慌てて脱がした時のザノバは、全身冷や汗でグッショリだった。

 ウィルは問題無く着装しているので、やはり何らかの力が作用しているのか、調べてみないとわからない。とりあえず分かったことは、不動はウィルの専用装備だということだけだ。

 ただ、これに関してはクリフ先輩が一枚噛みたがっている。

 

「不動……ぱっと見ただの鎧にしか見えないな……」

 

 そのクリフ先輩とエリナリーゼ。

 クリフ先輩は不動の特性を聞き、その力の根源を調べてみたくなったらしい。恐らくだが、あの山本勘助のような“怨念”めいた力が作用していると考えられる。なら、神撃魔術の使い手であるクリフ先輩が調べるのが安全確実だろう。召喚実験ではないから、波裸羅様みたいな変なのが飛び出してくることも無いだろうし。

 天才肌のクリフ先輩のことだ。きっと何かしらの答えを導きだしてくれるはずだ。問題はそこまでウィルがシャリーアにいるかどうかだけど。

 

「迷宮で……モニュ……見た時より……メリ……随分小さく……チュプ……なっていますわねぇ……ナポ……」

 

 んで、ドスケベエルフの方はさっきからクリフ先輩の耳をごきげんな朝飯を食べるようにねぶり倒している。クリフ先輩を後ろから抱きしめつつ時々制服の上から乳首も弄っており、公衆の面前で堂々とドセクハラをぶちかましていた。とりあえず下品な音を立ててんのは気が散るし、顔を赤くしたノルンがチラチラと見てて情操教育にとても悪いのでやめてほしい。

 

 だが、クリフは流石だった。

 

 エリナリーゼの執拗な性攻を受けても泰然自若としており、冷静に不動を纏ったウィルの姿を分析していた。なんていうか格が違う。俺ならとっくにアヘ顔晒している。

 流石だ。クリフ先輩といると、ラノアの魔術研究がまだ死んでいないということを確信できる。でも、エリナリーゼを止めようとはしていないので倫理観は死んでいた。慣れって怖い。

 

「いけーっ! ボスの弟!!」

「ぶっちゃけボスが勝てる未来が見えないなの。忌憚の無い意見ってやつっス。なの」

 

 たわけた事を抜かしているのはリニアとプルセナ。

 こいつらはこの魔術耐久テストを完全に見世物感覚で見に来ていた。

 うん。かなり調子に乗っているな。後でボスが誰なのか、もう一度理解らせてやる必要がありそうだ。

 ていうか、俺は戦わないぞ。

 

「ルーデウス様。ここには聖級治癒魔術の魔法陣があります。模擬戦ですし、お互い本気で当てないようにすれば問題ありません。そうでしょう、ジーナス教頭?」

「ええ。簡単な怪我はすぐに治療されます。お互い実力者ですし、加減は利くでしょう。そうですよね? ルーデウスさん?」

「ルーデウス。いい加減腹をくくれ」

 

 最後にアリエル、ルーク、そしてジーナス教頭。

 ルークもある意味アリエルとセットなのでいてもおかしくない。で、ジーナス教頭なのだが、どうもロキシーから色々聞いてここに来ているみたいだ。

 まあ実際、彼も学者肌なところがあるから、不動に興味があるのだろう。元弟子のロキシーは、こういうところも影響されていたのだろうか。

 ジーナス教頭にはウィルの件を含めて色々恩があるから、まあ別にいてもらう分には構わないけどな。

 

 ちなみにナナホシは来ていない。

 研究室に籠もり、七丁念仏をじっくり調べているんだとか。

 それにしても、よくウィルはナナホシに愛刀を貸したな。そこまで入れ込んでるとか、これはいよいよ『実はあいつただの一般人なんだぜHAHAHAHA』なんてカミングアウトするわけにはいかなくなった。

 実際綱渡りをするのはナナホシだけど、ちゃんとフォローしていかないとな。

 

 でも、どうして皆俺とウィルを戦わせたがっているんだろう……。

 

「あの、アリエル様。なんでそこまで模擬戦をやらせたがっているのですか?」

 

 なのでストレートに聞いてみた。

 俺の言葉を受け、アリエルはさも当然といった体で言葉を返す。

 

「それはもちろん、私を含め皆アダムス様の戦うお姿を見てみたいからです。実際目にしたお方もいらっしゃるようですけど、私はまだ見ておりません」

「左様ですか……」

「模擬戦とはいえ七大列強に除された“武神”アダムス様、そして超一流の魔術師である“泥沼”ルーデウス様の戦いは、まさしく神話を目の当たりにしていると言っても過言ではありません」

「いや、俺に関しては過言ですよそれ……」

 

 要するに、皆新しい七大列強の戦いが見たいんだな。

 ぶっちゃけそれは俺も見たい。迷宮じゃウィルが戦うところは見れなかったし、シャリーアに帰る途中も基本的に波裸羅様が大暴れしてたからウィルの出番は無かったし。

 でも、相手をするのは残念ながら俺だ。そこが大問題なのだ。

 七大列強と戦うなんて、あのオルステッドとの一戦だけで十分だ。いや、あの時は戦いにすらなっていなかったけど。

 

「ルディ。ウィル君のお願い、かなえてあげたら? ルディのカッコいいところ、ボクも見たいな」

「そうですよルディ。何かあってもシルフィとわたしがいるから大事には至りません。そ、それに、わたしも、ルディのカッコいいところが見たいですし……」

「う……」

 

 ダメ押しの我がワイフ達のこの言葉である。

 確かに、シルフィもロキシーも治癒魔術を十分に使えるし、シルフィに至っては無詠唱でそれを使える。

 魔法陣の機能を超える負傷を負っても、万全な治療体制が整えられてはいるのだ。

 

「兄上……」

「うぅ……」

 

 トドメのウィルの平身低頭の“お願い”が炸裂する。

 ウィルは不動の性能を試すのと同時に、多分無詠唱魔術の使い手の戦闘経験を積みたいんだろうけど、もっとほかに相手がいるんじゃないのかね?

 いや、シルフィとは絶対に戦わせないけど。シルフィに模擬戦をやらせるくらいなら、それこそ俺が……

 

「はぁー……わかったよ、もう」

「感謝……!」

 

 ウィルは眼を爛と輝かせて木剣を構える。

 瞬間、ピンと張りつめた空気が練武場を包んでいた。

 

 ……よし。

 俺も、いい加減腹をくくらなきゃな。

 パウロの言葉を借りるわけじゃないけど、十年越しのリベンジマッチだ。

 やるからには、勝ちを拾いにいくぞ。

 覚悟しろよウィル。

 でも、手加減してねウィル。

 

「では、僭越ながら私が開始の合図を取らせていただきます」

 

 そう言って、アリエルが手を挙げる。

 俺は静かに右目に魔力を込め、予見眼を作動させる。手には、愛杖傲慢なる水竜王(アクア・ハーティア)

 

 そして、静まり返った場内に、気品のある声が響いた。

 

 

「始め!」

 

 

 次の瞬間

 

 弾丸のように突進したウィルが、俺の目前に迫っていた──

 

 

 

 


 

「ねえ兄ちゃん。流石にまだ早いんじゃないかな」

「うーん……でも、若先生は夕方までには来いって言ってたし……」

 

 アリエルの開始の合図が響いた時。

 魔法大学の外では、異界虎眼流が兎弟子、ナクルとガドの姿があった。

 

「でもまだ昼過ぎだよ。まだ時間あるし、少し僕らだけで遊んでから来ようよ。ギースさんも用事で出かけているし」

「うーん……でもなぁ……」

 

 時刻は昼過ぎ。

 指定された夕刻まで、まだまだ時間がある。

 ウィリアムは双子に自主稽古を申し付けることもなく、稽古前、稽古後には自由な時間を与えていた。

 これは、虎の前世における内弟子衆、虎子達と同様の扱いである。

 もっとも、虎子達は一名……いや、二名を除き、稽古外の時間でも己を苛め抜き、その剣技を鍛えてはいたのだが。

 

 とはいえ、下手な時間の潰し方をして稽古に遅参したとなれば、双子にとって自決物である。

 兄のナクルは腕を組み、うんうんと悩ましげに呻くのみ。

 弟のガドもそこは十分に理解しているのだが、やはり連日の猛稽古に堪えているのか、この時間からの女遊びを兄に提案していた。

 

 元来、この兄弟は非常に性欲が強い。

 ミルデット族は獣族ではあるが、他の獣族とは違い通年で発情している。これは兎獣人らしいといえばらしいのだが、双子は同族の中でも特に助平な気質を備えていた。

 ベガリット大陸で得た資金は、双子の稽古で負った負傷を癒やす以外に、その欲望を満たすには十分な金額であった。

 女を抱いた後でも猛稽古をこなせる双子の体力は、やはり元王級剣士といったところではあるが。

 

「じゃあ、ちょっとだけ行こうか」

「へへっ、そうこなくっちゃ!」

 

 ウキウキとした体で歓楽街へ足を向けるガドに、ナクルは少々苦笑を浮かべてそれに追従する。

 獣性を滾らせる兎達の凄春(せいしゅん)は、苛烈な鍛錬を己に課すか、女を抱く以外存在しないのだ。

 

 

「……あ」

「どうした? ガド」

 

 魔法大学から歓楽街へと通じる人気のない路地を進む双子。

 だが、唐突に前を歩くガドが足を止める。

 ナクルはそれを不審げに見やりつつ、ガドの視線の先へ赤目を向けた。

 

「あ、ああ……!」

「そ、そんな……なんで……!」

 

 双子の前から歩みを進める、一名の剣士。

 フード付きの外套を纏い、その表情は見えない。

 だが、剣士から発せられる重厚なる気圧、そして背に抱えし一振りの大剣が、双子の身体を氷像の如く凍てつかせていた。

 

「ナックルガード」

 

 その透き通る声は、少年とも少女とも思えた。

 だが、双子にとってその声は、奈落の底から聞こえし獄卒の呟き。

 

「奇抜派に鞍替えしたのは、まだ許せた。でも、北神流を捨てたのは許さない」

 

 

 

「自決はさせない」

 

 

 

 殺意が込められし重力が、双子の兎を包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
徳川家の軍制。簡単にいうと米軍海兵隊のような即応部隊

*2
中国戦国時代の儒学者孟子が編纂した儒教正典“孟子”の一篇。簡単にいうと孟子が書いた自己啓発本


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