虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第四十二景『転生虎(てんとら)(へき)る!』

 

 ああ、君か。

 久しぶり、というには余り年月が経っていない気がするけどね。

 こんな死にかけの年寄りに、一体何の御用かな。

 

 ……ああ、あの御方の話を聞きに来たんだね。

 あの御方は、なんていうか色々とショッキングだったから、あまり人に話すような事じゃないのだけれど……。

 まあ、君になら話してもいいか。

 

 あれはいつだったかな……ああ、確かフィットア領の転移事件が起きた時だったか。

 そう。君の父親にとって、最初のターニングポイントともいえる日。

 世界に異物が交わった日。そして、君の運命と、使命が定められた日。

 

 当時、私は“世界の偉人・英雄”を執筆していたのだけれど、その為にとある人物にもう一度会いたくて魔大陸へ赴いてたんだ。

 もうその時は五十を超えていたけれど、何度も訪れた土地だし、その人物が棲まう場所は魔大陸でも比較的安全な所だったからね。

 まあ、なんだかんだでその人には無事に再会出来たんだけど。

 帰る時にね……

 

 あの御方……現人の鬼に出会ってしまったんだ。

 

 私は現人鬼を見た時、驚きと、恐怖と、憧憬が混じった感情で一歩も動けなかった。

 今まで色々な種族、色々な英雄、色々な豪傑とは数多く出会ってきたけど、あんなイキモノには出会った事は無かったよ。人族もなかなか狡猾で残酷だけど、あの現人鬼に比べたらとてもとても。

 

 男でもあり女でもあり、過剰でありながら無謬、猥褻にして純潔なる肉体。

 怨々たる怨念を抱え、葡萄色の液体に塗れた不退転の戦鬼。

 傲岸不遜、唯我独尊、自由三昧、好き勝手の類。

 でも、言葉に出来ない魅力を放つ、現人の鬼。

 見惚れてしまったよ。それまでの人生で、一番センセーショナルな出会いだったね。

 

 で、呆然としている間に犯されたんだ。

 

 え? いやだから犯されたって。レイプだよレイプ。いや食われるかもって思ってたけど、まさか喰われるとは思わなかったね。

 いや、気持ちは分かるよ。(とう)が立った年増にすらイキった凶剣(まがつるぎ)を向けるとか、普通では考えられないよね。でも、残念ながら普通じゃないんだあの鬼は。

 まあワケも分からずいきなり転移させられてムシャクシャしてたんじゃないかな。でもムチャクチャにされたけどムシャムシャされなかったのは幸運だったと思っているよ。ムシャクシャだけにね。ウフフ、こやつめ。

 

 うーん、このジットリとした目は実に母親譲りだね。嗚呼(ああ)、無情。

 まあそれはそれとして、私はあの燃ゆる口づけを受けてただの年増ではいられなくなるくらい色情(おんな)を取り戻し、そりゃあもう不眠不休(寝る暇無し)乱痴気二毛作(ずっこんばっこん)からの初めてのA感覚で放心状態に……

 え? もう聞きたくない? そんな、盛り上がりどころはこれからなのに。

 歳を考えろ? あのねえ、年老いたとはいえ私は冒険家だよ? 冒険家が冒険譚を語らなくてどうする。

 

 んん。とにかく、それから私と現人鬼はしばらく魔大陸を一緒に旅したんだ。旅すがら魔神語と人間語、そしてこの世界のあらゆる事を教えながらね。

 道中とある魔族の吟遊詩人とも一緒になって、まあなんというか痛快な冒険の旅だったよ。

 枯れかけた花弁が瑞々しく潤いを取り戻すくらいには、美しく、残酷で、狂ほしく愉快な日々だった。

 ああ、ちなみに吟遊詩人も出会った直後に慰みものにされてたよ。私と彼女はいわゆる竿姉妹ってやつだね。いやーまさかあの歳であんな一線を超える体験が出来るとはとてもとても……

 

 そんな話はどうでもいいから“渦貝”について聞きたい?

 どうでもいいとか失礼だね君は。まったく、君の母親はちゃんと敬意を持って接してくれてたのに。ビンタされたけど。

 まあいいか。“渦貝”だったね。あれは、数ある現人鬼の大忍法の中でも大の得意技だったね。といっても、私はそこまで詳しくないけど。

 あれは魔術でもないし、闘気を用いた技でもない。原理は教えてもらったけど、見ただけじゃ到底真似は出来ない、現人鬼だけが使える必死技。

 

 曰く、大地からの反作用、大地の威力(ちから)を拇指裏より足首、膝、内股、体幹へとひねりを加えつつ伝達させ、脱力した肉体は水の如くその威力を伝える。

 更に肩、肘、手首へと幾重にもひねりを加え、掌へと辿り着いた頃には体内のひねりは臨界点に達し、大地力は爆発寸前の状態。

 そこから弓を射るが如くひねりを解放。掌を相手に密着させ、余す所なく目標に威力を浸透させる。

 そして、体格の例外なく“渦貝”を喰らった相手は果てるのだよ。

 うん、何を言っているのか良くわからないと言うのは分かる。でも、是非を説くのは許されないのさ。

 

 ……ああ、見ただけじゃ真似は出来ないってさっき言ったけど、一人だけ真似出来た人がいたね。

 何故だかわからないけど、後にも先にも“渦貝”を真似出来るのはあの人だけだろう。

 誰って、君がよーく知っている人物だよ。そうそう。あの虎のようなお人さ。君も知ってるだろうけど、あの人は色々と特別な人だと思うよ。

 もちろん、君の父親や母親も特別だと思うけどね。

 

 ともあれ“渦貝”についてはこんな所だよ。

 ところで、何故現人鬼の話を聞きたいと思ったんだい?

 

 ……ふうん。そうか。君も大変だね。

 彼らは君の敵でもないが、味方でもない。でも、君の懸念通りなら、最終的には敵になるのかもしれないね。

 君の弟……そして、あの時現れた、あの三体の鬼も……

 

 心配いらない? ああ、君にはとても強い味方がいるんだっけ。そして、それはこれからも増えていくんだろうね。そういえば、あのジャジャ馬、もといあのジャジャ虎娘は元気かい?

 いや、君の父親は実に大したものだ。多くの物を遺してもらっていると感謝しておきなさい。って、まだ亡くなっていないんだっけ。

 

 ……うん。私も若い頃に故郷を飛び出してから、一度も帰る事は無かった。親の死に目にも会えなかった。

 でも、後悔はしていないよ。君はどうなんだい?

 ……フフ。そうか、その杖とローブがね。洗っても匂いが落ちない? でも、その匂いは嫌いじゃないんだろう?

 それと、その帽子……。いや、良く似合ってるよ。

 一人前の魔術師は、やっぱり三角帽子だよね。大切にするんだよ。いや、こっちの話さ。フフフ。

 

 まあ、君は大丈夫だよ。多分、現人鬼は君だけは手を出さないと思うし……

 いやちょっと待って。胸の事を言ったんじゃないよ。やめなさい。その大きな犬をけしかけようとするのはやめなさい。微乳以下娘(イカ娘)なんて一言も言ってないからやめなさい。

 まったく……君ねえ、私はもう死にかけのお婆ちゃんなのだよ? もう少し年寄りを労る気持ちをだね……

 

 

 

 甲龍歴460年頃

 とある老いた冒険家と、とある蒼髪の少女の会話より抜粋。

 

 

 


 

 甲龍歴424年

 魔法都市シャリーア郊外

 

 血潮と共に、北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバックの五臓六腑が、そのあどけない口中からまろび出る。

 食道が捲れ、胃、肺、腎臓、肝臓、小腸、大腸。生命維持活動に必要不可欠な様々な臓器が、螺旋を描き冷たい大地に散乱していた。

 臓物が放つ悪臭が鼻孔をくすぐり、ウィリアムは僅かに顔を顰める。

 

「ッッ!!!」

 

 驚愕で血走った目を剥き出しにしながら、アレクサンダーはそのまま仰向けに倒れた。

 

「ガハッ!」

 

 ウィリアムもまた、四足獣の如き有様で地を這い、血反吐をひとつ吐く。

 喘ぐように呼吸を荒げ、消耗した肉体は両の脚で立つ事能わず。

 不動の重量が肉体に食い込み、更に虎の体力を消耗せしめていた。

 

「グゥゥ──!」

 

 ウィリアムは飛び出した己の眼球へ指を当て、眼窩へと押し戻す。

 生々しい音と共に激痛が走り、うめき声をひとつ上げる虎。両眼からは鉛の如き重たく熱い血涙が溢れ、虎の視界は朱に染まる。

 

「……」

 

 しばし、呼吸を落ち着け、ウィリアムは傍らに四肢を投げ出すアレクサンダーを見やる。

 朱い霧がかかったかのようなぼやけた視界の中、アレクサンダーはピクリとも動かなかった。

 

 仕果たしたか──

 

 ウィリアムは物言わぬ骸と化した北神を見て、深い溜息と共に己の勝利を確信した。

 惨たらしく臓物を曝け出し、葡萄色の体液を目や鼻、口から垂れ流すアレクサンダーの姿は、余人が見ても生命活動が停止しているように見えた。

 

「……」

 

 下半身に力を込め、ウィリアムは重たい身体を起こす。

 土壇場で放った“渦貝”。現人鬼が使うそれとは遠く及ばないものの、その絶大な威力にウィリアムは僅かに慄きを覚える。

 ベガリット大陸で幾度も眼にした現人鬼の虐殺忍法。大凡ではあるが、その忍法のからくりは看破している。

 大地の威力を身体操作によって対手へと浸透させるそれは、ある種の骨法とも見て取れた。骨子術を修める自身にも、それが模倣出来るとも。

 完璧に模倣できたとはいえないが、それでも列強七位を滅するには十分な威力。

 

(扱い、誤らなければ中々に強力……)

 

 ぐっと拳を握り、ウィリアムは“渦貝”をモノにした手応えを噛み締めていた。

 

「……」

 

 だが、ウィリアムは拳を握りしめながら頭を振る。

 己の本分は、あくまで剣術家。

 剣を用いずとも戦える術は備えるも、それはあくまで最後の手段。必勝の備えではない。

 備えを怠っても北神に勝てたのは、それこそ運が良かったから。

 無刀で実力者と相まみえる状況に陥ったのは、己の不覚ゆえなのだ。士道不覚悟と謗られても否定は出来ない。

 

 (いくさ)感、鈍ったか。ウィリアム・アダムス。

 

 そう自嘲する程、己の強者への警戒心は大分鈍っている。

 それほど、家族という陽だまりは、虎にとって至福の時だったのだ。

 

 己は、未だ頂きに登り詰めた身の上にあらず。

 故に、安息に浸かるには、まだ早い。

 それに──

 

「凶刃漢か……」

 

 先程言い放たれた北神の言。

 それはある意味では正しいと、ウィリアムは認識していた。

 異界天下無双という頂きの途上。その道のりは、決して外道の輩のみを斬って進んでいたわけではない。

 斬り伏せた者達の中には、愛すべき家族が持つ者もいただろう。残された遺族が仇討ちを果たしに来る可能性も十分にある。

 だが。

 

「……返り討ちもまた、武門の名誉である」

 

 物言わぬアレクサンダーへ向けそう言い放つウィリアム。

 己に向けられる怨恨を全て斬り伏せ、築いた屍山血河の先に己が目指す異界天下無双の頂きがあるのだ。

 

 そして、その血腥き執着(とらわれ)に、家族を巻き込むわけには──

 

「うぬ……!」

 

 ウィリアムは重たい足を引きずるようにシャリーアへ歩を進める。

 心なしか跛足となった右足がうずき、余計に足取りを重くせしめる。

 

 離別の時が来たのだ。

 

 そう想いながら、ウィリアムは歩を進めていた。

 パウロは、薄々であるが己との別離が近いことを察していたのだろう。あの過剰なスキンシップは、それを察していたから。

 ゼニスも同じ。いや、ゼニスの様子を見たから、パウロもその事を察する事ができたのかも知れない。

 リーリャは、多少個人的な性癖に従ったようにも見える。だが、彼女はパウロの第二夫人とはいえ、転移事件後もずっとグレイラット家に献身的に奉公してきた。だから、報いる為にも好き勝手やらせていた。

 ノルンは、もう十分だ。あの可憐な少女に、あれ以上の武を修める必要は無い。むしろ、己がいると、少女の成長の妨げにもなりかねない。

 アイシャは、聡い子だ。己がおらずとも、立派にやっていけるだろう。シャリーアへ帰ってきてから、己の食事は必ずアイシャが拵えていた。少々、その味から離れるのは惜しいが。

 

 そして、本当の意味で同胞となった、兄ルーデウス。

 前世の事を打ち明けてから、ルーデウスとの心の距離は縮まっていた。そして、彼が本当に弟である自分を気にかけてくれた事も。

 

 ありがたい──

 

 だが、その優しさに甘えるわけにも、また巻き込むわけにもいかぬ。

 ルーデウスは少々抜けている所もあるが、土壇場での度胸、そして家族を守る為なら死狂うた気魂を発揮出来る男である。

 少々の無謀は、それこそ兄の良妻であるシルフィエット、そしてロキシーがいれば正しく支えてくれるであろう。

 元より、何も心配はいらぬのだ。

 

「……」

 

 一歩一歩シャリーアへと進む虎。

 その胸中は、家族への想いが、複雑に渦を巻いていた。

 

「許せ」

 

 ふと、ウィリアムは妹達から贈られた大切なコートを、ノルンへ預けている事を思い出す。

 事に至っては、それを着て修羅の道を進むのは憚られる。このまま家族の前から黙って去る以上、それを回収する気にはどうしてもなれなかった。

 嘘をついた事になってしまった。それを、ノルンや、アイシャは許してくれるのだろうか。

 

 否。

 頂きに登り詰め、真に虎眼流をこの異世界に根付かせる。

 それまでは、決して己のような魔剣豪に安住の地があってはならぬのだ。

 愛しい妹達とは、今生の別れと思わねばならない。

 

「……ナナホシ姫には、暇願いを出さねばな」

 

 そして、ウィリアムはあの敷島の迷人たるナナホシ・シズカを想う。

 彼女の日ノ本帰還へ、もうしばらく助力するのは吝かではない。だが、状況がそれを許してはいなかった。

 神級の使い手がそうそう現れることはないだろうが、己の剣名は予想以上にこの世界の強者に知られている。

 故に、このまま己がシャリーアへ逗留し、ナナホシとの関係性まで露呈すれば、直接的な害が及ぶ可能性も否定出来ない。

 

 愛刀は、回収させて頂く。

 申し訳なし。ナナホシ姫。

 

「……ああ、あやつらも連れていかねば」

 

 ウィリアムは双子の兎、ナクルとガドも想う。

 弟子共は全てを捨てて虎眼流に殉じる覚悟を背負っている。

 傷が癒えない内に修羅道へ連れ回すのはやや酷であるが、ここで置き去りにするのはもっと不憫だ。

 密かにシャリーアを発つ腹積りの虎は、兎兄弟をどう連れ出すか思考しながら、重たい歩を進めていた。

 

 

「……?」

 

 ふと、ウィリアムは前方に陽炎のような二人の人影を姿を見留める。

 朧げではあるが、その姿に見覚えがあったウィリアムは、思わずその名を呟いた。

 

『三重……源之助……』

 

 日ノ本言葉でそう呟かれた名前。

 虎の眼の前に、前世での娘と息子(・・)の姿があった。

 

 質素な着流しを纏い、儚げな表情を浮かべる前世の娘、三重の姿。

 その隣では、同じく質素な小袖姿の、前世の息子……いや、息子同然と想っていた、藤木源之助の姿。

 

『何故……』

『……』

『……』

 

 ウィリアムの問いかけに、無言を貫く二人。

 顔も思い出せないと思っていたが、徐々に二人の表情が鮮明になる。

 

 なんと美しく、儚いのだろう。

 

 三重と源之助の姿は、まるで龍門に登ろうとする鯉の番の如く、美しく、儚い姿。

 ウィリアムは見惚れるように眼を細める。

 だが、二人が浮かべる憂いげな表情が、虎の心をかき乱す。

 

 “今の家族を──大切になさりませ──”

 

 かつて見た、三重の幻像から言われた言葉。

 それを思い出したウィリアム。だが、大切に想うからこそ、己は家族と離れなければならぬのだ。

 そのような不器用な父親の姿を見たからなのか、三重と源之助は更に表情を暗くさせていた。

 

『……!』

 

 そして。

 三重と源之助は、突如両眼を開き、ウィリアムを凝視した。

 突然の表情の変化に、ウィリアムは僅かに戸惑い、二人を見つめる。

 

「ッ!?」

 

 源之助が左腕(・・)を上げ、ウィリアムの後方を指差す。

 その意味を察知したウィリアムは、即座に後方へと振り返った。

 

(馬鹿な──!?)

 

 青天の霹靂の如き衝撃がウィリアムを襲う。

 

 虎の視界に、飛び出した臓物を咬み千切り、両の脚で立つアレクサンダーの姿あり。

 

 血反吐を口中から溢れさせ、両手持ちにて王竜剣を大上段に構える。

 そして、呻くようになにかを呟いていた。

 

「ッ!!」

 

 何故あれで動ける、北神三世。

 ウィリアムはそのような疑念を持つ間も無く、最後の力を振り絞るようにアレクサンダーへと吶喊する。

 しかし、それは悪あがきにも満たない、虎の無意味な抵抗。

 容赦なく、北神の究極奥義が発動されようとしていた。

 

 右手に剣を──

 

 左手に剣を──

 

 両の腕で齎さん──

 

 有りと有る命を失わせ──

 

 

 一意の死を齎さん──!

 

 

 アレクサンダーの血反吐混じりの言霊。

 ウィリアムは、それが死刑執行宣告のように聞こえた。

 

 

 ズドドッ!!

 

 

 次の瞬間。

 雷が落ちたかのような爆音と閃光と共に、とてつもない重力の波斬が、ウィリアムへと襲いかかった。

 

 

「“重力破断”──北神()切り札(エクセレント)さ──!」

 

 

 血肉と装甲の破片を撒き散らせながら彼方へと吹き飛ぶウィリアム。

 それを見て、北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバックは、そう嘯いていた。

 

 

 

 


 

「……何かしら」

 

 ナナホシ・シズカはラノア魔法大学の研究室に備え付けられている窓ガラスが振動するのを見て、妖刀の調査を中断する。

 僅かではあるが空気の振動も感知し、またぞろ居残りの学生が無茶な魔術でも行使したのかとうんざりとした表情を浮かべる。

 

「……?」

 

 だが、直後に妙な違和感を覚えたナナホシ。違和感の正体を探るように、部屋の隅々まで目を向ける。

 また、得体の知れない悪寒がナナホシの肉体を急速に包んでおり、幾ばくかの怖気が漂い始めていた。

 

「……あ」

 

 しばらくして違和感の正体が判明する。

 それは、まさに先程まで入念に調べていた七丁念仏。

 妖刀は転移魔法陣を応用したスクロールの上に置かれており、少し目を離した間に悍ましいまでの冷気を放っていた。

 尋常ではない様子を、ナナホシは驚愕と共に見やる。

 

「な、何が」

 

 鞘に収められた刀身を僅かに震えさせながら、冷気を発し続ける七丁念仏。

 その異様な光景を、ナナホシは身を竦ませながら凝視していた。

 

「きゃあっ!?」

 

 そして、妖刀から光が放たれる。

 閃光手榴弾(フラッシュバン)の如き強烈な光を受け、ナナホシは一時的な失明を引き起こし腰が抜けたように床にへたり込む。

 虹色の光が研究室を突き抜け、周囲一帯を光の柱が包んでいた。

 それは、遠くからでも容易に確認が出来る程の、異常な事態。

 

「な、何なの!?」

 

 光に眩惑されたナナホシ。

 だが、妖刀が引き起こす異常事態はそこで終わった。

 

「……?」

 

 平静を取り戻すのと比例するように、ナナホシの視力は戻り始める。

 徐々に戻る視界に、スクロールの上にある七丁念仏の姿が映り出す。

 

「──ッ!?」

 

 そして、ナナホシは信じられぬ光景を目にする。

 

「うそ……」

 

 七丁念仏が安置された研究机の上。

 大きめに拵えられたその机の上には、七丁念仏。

 そして、もう一振りの刀。

 七丁念仏より小振りのそれは、いわゆる脇差──大刀と対を成す、武士の差料であった。

 

 だが、ナナホシを驚愕させたのは、脇差の出現からではない。

 

「お、女の人!?」

 

 その大小を抱える、裸身の乙女。

 身に何も纏わず現出した乙女は、ナナホシの研究机の上に静かに佇んでいた。

 

「……」

「え、えっと、あの……」

 

 瞑目しながら、二振りの刀を抱え続ける乙女。

 その風貌を見て、ナナホシの脳内は再び混乱に陥る。

 まるで平安貴族のような眉化粧(・・・)を施したその顔立ち。

 生えていた眉毛を抜き去り、墨で描かれた楕円の眉。垂髪を美麗に流し、美しく整った乳房に二振りの刀を埋める乙女。

 鞘の影に隠れるは、胸の谷間に刻み付けられた十字(・・)の焼印。

 眉化粧のせいもあってか、一切の感情が死滅したかのように見えるその姿は、ナナホシを困惑と恐怖の感情を抱かせるに十分な異様な光景であった。

 

 そして──

 

 

『──はれるやは』

 

 

「えっ──?」

 

 僅かに目を開き、そう呟いた乙女の言葉。

 それは、この世界では決して使われる事が無い、そしてこの世界では決して存在しない神への感謝を表す言葉。

 それを聞いたナナホシは混乱の極地へと陥っていた。

 

 

「ナナホシッ!!」

 

 突如、研究室のドアが開かれる。

 そこには、泥沼ルーデウス・グレイラットが妻、シルフィエット・グレイラットの姿があった。

 

「今の光は──って、な、何!?」

 

 シルフィエットは異常事態が発生したこの部屋の状況を見て硬直する。

 しかし、裸身の乙女が刀──ウィリアムの七丁念仏を抱える姿、そしてそれを見て尻もちをつくナナホシの姿を見て、シルフィエットはサングラスの下に怜悧な光を宿す。

 

「それは、ウィル君の剣だぞッ!!」

『ッ!?』

 

 刹那。

 シルフィエットは杖を振り、無詠唱魔術を発動させる。

 風魔術“真空突風(ソニックブラスト)”の威力をまともに受け、裸身の乙女は壁面へと叩きつけられた。

 

「ナナホシ、大丈夫!?」

「え、あ、え──」

 

 突如発生した修羅場に、ナナホシは困惑しきった様子でシルフィエットを見やる。

 油断無く裸身の乙女に目を向けつつ、白髪の乙女は状況確認の為、震えるナナホシへと声をかけた。

 

「一体何が──!?」

 

 直後。

 操り人形のように跳ね起きた乙女は、そのまま煮えた鉛(・・・・)の如き指先をシルフィエットへ向けた。

 

「あぐぅッ!!」

「シルフィ!?」

 

 乙女の指先から赤い爪弾が連射される。

 一発が肩を射抜き、尖頭弾の威力はシルフィエットの肉体を先程の乙女と同じように壁面へと叩きつけていた。

 

「シルフィ! シルフィ!!」

 

 蹲るシルフィエットの元へ、床を這いつくばりながら向かうナナホシ。

 身体を震わせ、目に涙を溜めるナナホシの様子は、この騒乱状態にただ慄く女子でしかなかった。

 

『……嗚呼、神様。レジイナは、まだ赦されていないのですね』

 

 その様子を見て、乙女は寂しげに日ノ本言葉を呟く。

 二振りの剣を、まるで十字架のように抱える。

 それは、あの二天一流の剣士が見せた、神の姿のように。

 

『南無さんたまりあ』

 

 そして。

 乙女の血液──煮えた鉛の如き鉄血が妖刀に反応し、その肉体を玉鋼(はがね)へと変えていった。

 

「ひっ──」

 

 徐々に異形へと変身(怨身)するその姿を見て、ナナホシは引き攣った悲鳴を上げ股間から小水を漏らす。

 黄色い水たまりの上で、平成日本女子高生は恐怖を誤魔化すかのように倒れ伏すシルフィエットへ縋り付いていた。

 

 

 雹鬼(ひょうき)

 

 

 純潔な乙女の皮膚は硬質の鎧へと変化する。

 頭部や身体の各部位には左右対称の翼が生え、まるでかつてナナホシがいた世界で信仰される宗教の教典──聖書に一編に登場する、悪魔(ルキヘル)の如き威容。

 

『ッ!』

 

 雹鬼はそのまま研究室の窓を突き破り、魔法大学から去っていった。

 妖刀“七丁念仏”

 そして新たに現出した、妖刀──“千子村正”を抱えながら。

 

「な……何が、何だって言うの……!」

 

 残されたナナホシ。

 意識を落とすシルフィエットを抱えながら、ナナホシは現出したこの異常事態を咀嚼しきれず、ただ恐怖に震えるしかなかった。

 

 

 新たに現れた敷島の怨鬼。

 現し世の苦しみから解放されたはずの怨鬼は、神の残酷な意志により新たに生を受け、この六面世界へと現出していた。

 乙女が垣間見た神様(デウス)は、乙女を檻の無い自由な世界へと導く事はせず。

 

 (いな)

 神が、このような残酷な十字架を乙女に背負わせるはずがない。

 

 嗚呼、無情なり。

 赦し、赦されたはずの乙女を、再び過酷で血腥い世界へと叩き込んだのは。

 平穏なる常世国(とこよのくに)より背を向けさせ、再び荒神をおろがむ鬼にさせたのは。

 

 異世界へ、その禊を済ませる為、超常の刃を送り込む衛府の龍神。

 

 そして──

 

 現出した怨鬼は、一体に非ず。

 

 双子兎の救助に向かうロキシー、ノルン。

 弟の助太刀に向かう、ルーデウス。

 

 

 彼らの前にも、甦りし衛府の怨念が現出せんとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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