虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第四十三景『転生虎(てんとら)、チェストる!』

 

 魔法都市シャリーア

 ルーデウス・グレイラット邸

 

「ふんふんふーん♪」

「……」

 

 ルーデウス邸の庭の隅に設けられた一画。

 レンガで囲われた菜園スペースに、ルーデウスとウィリアムの異母妹アイシャ、そして実母ゼニスの姿があった。

 

「キミはもう逃げられない~♪ あたしが一生ブチブチしてあげる~♪ キミが泣いても叫んでも~♪ 絶対許さない勘弁しない逃さない~♪ 一生むしりとってあげる~♪ キミが枯れて動かなくなっても~♪ ブチブチブチブチブチブチ~~♪」

「……」

 

 妙にネチネチした歌を口ずさみながら、アイシャはご機嫌な様子で小さな耕地に生える雑草を毟っていく。

 ゼニスはアイシャの隣で黙々と雑草を毟っており。

 夕陽に包まれたルーデウス邸の庭は、穏やかで、優しい時間が流れていた。

 

「こんな時間まで手伝ってくれてありがとね、ゼニス様!」

「……」

 

 ゆっくりではあるが、手慣れた様子で草を毟るゼニス。それを見て、アイシャは顔を錆色の土で汚しながら花が咲いたかのような笑顔を浮かべる。

 

「ゼニス様って庭いじりが上手だよね。あたしももっとがんばらなきゃ」

「……」

「わぷ、ゼニス様」

 

 そんなアイシャに、ゼニスは無表情のまま手にした手ぬぐいでアイシャの顔を拭う。

 アイシャの顔を拭うゼニスからは慈しみに満ちた柔らかい空気が漂い、少女は気持ちよさそうに目を細め、菩薩の慈愛を受け入れていた。

 

「それにしても、これどんな感じで実るんだろうね。ゼニス様は知ってる?」

「……」

「なんかルーデウスお兄ちゃんが言ってたけど、ウィル兄がとっても喜ぶ食べ物なんだって。どんな作物なんだろうね?」

「……」

 

 少しだけ照れを隠すようにゼニスへ話しかけるアイシャ。アイシャの問いかけにも無言のままのゼニスであり、傍から見れば全くコミュニケーションは取れていないように見えた。

 だが、それでもアイシャは楽しそうにゼニスに話しかける。まるで、本当の親子のように。

 アイシャは実母リーリャの言いつけ通り、ゼニスを「お母さん」と呼ぶ事はしない。それでも、リーリャと同じように、母親へ向ける愛情をゼニスにも向けていた。

 

 ちなみに、この菜園スペースに植えられているのはルーデウスが持ち込んだサナキア王国産の種籾、つまり稲である。

 中央大陸南部の温暖な気候でしか栽培出来ぬ代物ではあったが、この菜園スペースに敷設されているのはルーデウス渾身の土魔術で作られし土壌。米作に適さない寒冷地の陸作でも、魔力が籠もった滋養のある土ならば十分に稲が育つ素地があった。

 

「お花とか咲くのかな。あたし、林檎とか水仙のお花が好きなの」

「……」

 

 アイシャは稲の存在は知っていたものの、その生育過程がどのようなものかは知っておらず。

 ミリシオンからシャリーアへは弾丸行での旅路であり、途上にあったサナキア王国へはロクに滞在しておらず、サナキア米を食す機会も、また目にする機会もなく通り過ぎている。

 故に、こうして未知の作物への期待感を込めながら、楽しく土をいじっていた。

 

 

「……」

「ゼニス様?」

 

 ふと、ゆっくりとゼニスが立ち上がる。そして、ラノア魔法大学の方向へと視線を向けた。

 不意に取ったその行動に、アイシャもまた訝しげにゼニスの視線の先へと目を向けた。

 

「わっ!?」

 

 そして、彼方から屹立せし虹色の光。

 遠く離れたルーデウス邸、いやシャリーアのどこにいても視認することが出来たであろう大きな虹の光が、茜色の空へ広がっていた。

 

「な、何今の? お兄ちゃん達が何かやったのかな……?」

「……」

「ゼニス様?」

 

 やがて光が収束し、シャリーアの空は常の空模様へと戻る。

 突然発生した事態に困惑を隠せないアイシャであったが、直ぐにゼニスの異常に気づいた。

 

「……あー」

「ゼ、ゼニス様!?」

 

 ゼニスは、光が収束したと同時に、その足をルーデウス邸の外へと向ける。

 突然のゼニスの行動に、アイシャはますます困惑を隠せず、やや狼狽してゼニスの腕を掴んだ。

 

「ま、待ってゼニス様! 一人で外に行くのは危ないよ!」

「あー、うー」

 

 アイシャが止めようとしても、ゼニスは歩みを止めない。

 痴呆老人のように呻き声を上げながら、ゼニスはラノア大学へと真っ直ぐに向かって行った。

 

「待って、待って! お、お父さん! お母さん!!」

 

 たまらず、アイシャは大きな声で家の中にいる両親を呼ぶ。

 敬愛する二人目の母親ともいえるゼニスの腕に必死でしがみつくも、ゼニスはアイシャに構わず歩くのを止めなかった。

 

「どうしたアイシャ!?」

「アイシャ、一体何事です!?」

 

 やがて慌てた様子で家から飛び出してくるパウロ、リーリャ。

 即座にゼニスの異常に気付き、その身へと駆け寄っていった。

 

「お父さん! お母さん! ゼニス様が!」

 

 アイシャの悲痛な叫びを聞き、パウロは韋駄天の如き疾さで曖昧な伴侶の元へ向かう。

 外へ向かうゼニスを正面から抱き止め、菩薩の動きを止めた。

 

「母さん! どうしたんだ!」

「あー、うー」

 

 パウロの腕の中でもがくゼニス。

 夫にも目もくれず、ゼニスの瞳は外へ、外へと向けられていた。

 

「母さん!」

 

 ゼニスの肩を掴み、正面からその瞳を見つめるパウロ。

 そして、ゼニスは夫の目を見る。

 

「うー、うぃー」

「か、母さん!?」

 

 ゼニスは、その双眸からポロポロと涙を流す。

 まるで、何かが失われようとしているのを、悲しむかのように。

 

「うぃー、うぃー……」

「母さん……」

 

 ベガリット大陸から帰還して以降、ゼニスがここまで感情を露わにする事はなく。

 パウロはゼニスのたどたどしい言葉を聞く内に、妻の内なる悲しみを察しようとしていた。

 

「ウィルに、何かあったのか?」

「あー……あー……」

 

 ウィル、という単語を聞き、ゼニスはもがくのを止める。

 そして、縋るように夫の腕の中でポロポロと涙を零し続けていた。

 

「ッ!」

「ア、アイシャ!?」

 

 そして、その言葉を聞いた瞬間、アイシャが駆け出す。

 リーリャが止める間もなく、少女はラノア魔法大学へと向かおうとしていた。

 

「アイシャ!!」

「ッ!?」

 

 しかし、パウロの怒声にも似た大きな声が響くと、アイシャは動きを止めた。

 振り返り、泣きそうな顔を父親へと向ける。

 

「アイシャ、お前はここで待っていろ」

「で、でも!」

「お前はルーシーを頼む。母さんがこんな状態じゃ、リーリャ一人じゃ無理だ」

「あ……」

 

 パウロに諭され、アイシャはゼニスに寄り添うリーリャを見つめる。

 変わらず涙を流し続けるゼニスに、リーリャもまた表情を暗くしていた。

 

「リーリャ、母さんを頼む」

「だ、旦那様!?」

 

 アイシャが落ち着くのを見たパウロは、素早い動きで家の中へ戻る。

 そして再び家の中から出てきたパウロの手には、ラパンで入手した魔力付与品の両刃剣が握られていた。

 

「リーリャ、アイシャ。ウィルは、皆は俺が連れて帰る。安心しろ」

「は、はい」

「……わかった」

 

 パウロはリーリャとアイシャに頷くと、そのまゼニスの前に立つ。

 そして、その可憐な身体をぎゅっと抱き竦めた。

 

「ゼニス……」

「……」

 

 パウロはゼニスが何を感じ取り、ここまで取り乱したかは分からない。

 それでも、何かしらの異常事態が発生したのは理解していた。

 

 愛息子の危機。

 もう二度と、己の目の前であのような惨劇は見たくない。

 いや、惨劇を起こしてはならぬのだ。

 

「行ってくる」

「……」

 

 そして、パウロは走る。

 虹色の光が発生した、ラノア魔法大学へと。

 

 

 

 


 

 同刻。

 ラノア魔法大学付近。

 

「い、今の光は」

 

 騎乗魔獣、アルマジロのジローに跨るロキシーとノルン。ロキシーに抱えられるようにして跨るノルンは、ラノア大学から発生した光を見て困惑を露わにしていた。

 裏路地にて双子の捜索をしている最中に発生したこの異常事態。

 しかし、光が直ぐに収束したのを見たロキシーは、それに構わず双子の捜索を続行するべく手綱を握った。

 

「ノルンさん。今はナクルさんとガドさんを探すのが先決です」

「は、はい」

 

 ロキシーは注意深く路地へと視線を巡らす。

 双子の影は無い。今しばらく、捜索には時間がかかりそうであった。

 

「ノルンさん。北神は、ナクルさん達について何か言っていませんでしたか?」

「え、えっと、特には……」

「何でもいいです。ウィリアムさんに何て言ってましたか?」

 

 ロキシーの言を受け、ノルンは双子の耳が包まれた布地を抱え、次兄と北神の会話を思い出す。

 しかしいくら思い起こしてもナクル達の居場所に繋がるような言葉は思い出せなかった。

 

「……ごめんなさい。ナクルさん達の事は何も。北神は、ウィリアム兄さんが一番の目的だって言ってました」

「一番の目的……」

 

 ノルンの言葉に、ロキシーは何かを考え込むように手綱を握りしめる。

 黙して思考するロキシーに、ノルンは今更ながらある種の“気まずさ”を感じ、同様に黙り込んでいた。

 ルーデウス邸にて、長兄ルーデウスとの不義を糾弾した少女は、その後その事をきちんと謝罪したわけでもなく。

 少しづつ打ち解けていたとはいえ、それは他の家族が間に立ってこその話であった。

 

「……北神は、どうしてウィリアムさんの事を知っていたのでしょうか」

「え?」

 

 そのようなノルンに構わず、ロキシーはある疑念を口にする。

 思いがけないその言葉に、ノルンもまた思考を中断していた。

 

「ウィリアムさんは確かにここシャリーアで死神を倒して七大列強になりました。でも、列強になった直後にベガリットへ向かっています」

「……」

「その後シャリーアに戻ってからも、特にウィリアムさんは自分が列強であることを喧伝していたわけではありませんでした。ではどうして、北神はウィリアムさんが、武神ウィリアム・アダムスがシャリーアに、それも今日、ラノア大学にいると分かっていたのでしょう」

「あ……」

 

 ロキシーの疑念。

 何故、北神アレクサンダーは、ウィリアムの居場所をピンポイントで突き止めていたのか。

 北神流の長が持ち得る情報網を熟知しているわけではなかったが、それでも余人がウィリアムの動向を知る術は少ない。

 明らかに()()()()()()()()()()()()()の存在なくしては知り得ぬ事実である。

 

「ノルンさん、これは──」

 

 そうロキシーが言葉を続けようとした時。

 

「ッ!?」

 

 路地の影に蠢く二体の獣人あり。

 

「ナクルさん! ガドさん!」

 

 ロキシーとノルンはジローから降りると、双子の元へと駆け寄る。

 散々折檻された後なのか、双子の姿は目を背けたくなる程の無惨な有様であった。

 

「ノルンさん! 治療します! 彼らの耳を!」

「は、はい!」

 

 ノルンから包みを受け取ったロキシーは、大急ぎで治癒魔術の詠唱を開始する。

 程なくして、双子の耳は癒着し、身体の負傷もある程度は回復せしめていた。

 

「う……」

「ぐ……」

 

 しかし、呻き声を上げる双子は常の状態へと復帰したわけではなく。

 この場ではこれ以上の治療は困難と判断したロキシーは、しかるべき治療設備が整った場所へ双子を搬送すべく行動に移る。

 

「ナクルさん、ガドさん。まだ無理をしては駄目です。ノルンさん、二人をジローへ」

「は、はい……え」

 

 ロキシーに促されたノルンが、双子を介抱しようとしたその時。

 

「え……?」

 

 ノルンは、路地の先に佇む一人の少女の姿を見留めた。

 

「……」

「ノルンさん、何が……えっ!?」

 

 ノルンの呟きを受け、ロキシーもまた少女の姿を見留める。

 同時に、その姿を見て驚愕した。

 

「は、裸!? それに、何てひどい……!」

 

 少女は、一糸まとわぬ裸体を寒空の下に晒していた。

 そして、その裸体に縦横に走る疵痕。

 縫い目のような切創痕が身体中を走り、まるで割れた皿の如き様相を呈している。

 それは、先程の双子は比較にならぬ程の痛々しさを見せていた。

 

「こっちへ!」

「……」

 

 ロキシーは少女が何かしらの犯罪に巻き込まれたのだと思い、茫然と佇む少女の傍へ駆け寄る。

 少女はロキシーの言葉に反応せず、虚空を見つめたままであった。

 

「……ッ!?」

 

 ふと、少女が視線をノルンへ向ける。

 そして、ノルンが纏うウィリアムのコートを見た。

 

『グルルルルルルルッ……!』

「ッ!?」

 

 瞬時にして異様な気配が辺りを漂う。

 雀のような可憐な少女が、大型の肉食獣の如き唸り声を発する。と同時に、ロキシーとノルンは得体の知れぬ悪寒に苛まれる。

 その悪寒の発生源は、少女の肉体。

 そして、少女の視線はある一点に注がれていた。

 

 雀が見つめる先。

 グレイラットの少女が纏うコートに刻まれし、()()()()()()()()()()

 武神の、いや、()()シンボルであるその紋様が、雀の内なる怨念を刺激していた。

 

 

 よしわら、かたき~~

 

 

 怨々たる日ノ本言葉と共に、少女の無垢なる肉体が異形の怪物へと深化(しんか)する。

 みしりと肉が軋む音が鳴り、あどけないその肉体が、徐々に虎のようで、鰐のような骨格に変化。その大きさも猛獣のそれへと変わる。

 異形は二足歩行から四足獣の如き姿勢となり、大きな目玉に武骨な面をグレイラットの乙女達へ向け、凶悪なまでに変わり果てた牙や爪を剥いて威嚇していた。

 まるで能楽にある霊獣“獅子”の如き威容。

 まさしく、この世界には存在し得ぬ、異界からの怪異である。

 

「ひっ!?」

「あ、ああ……!?」

 

 ロキシーとノルンは怪物へと変化した少女の姿を見て、この世のあらゆる怨念に晒された様にその身を竦め、恐怖した。

 アルマジロのジローは身を丸ませて震えている。

 ロキシーはそれを見て、目の前の怪物が残酷な捕食者なのだと認識していた。

 

 それは、あの現人の鬼のような──

 

 

 虹鬼(ななき)

 

 

『グルルァァァ!!!』

「ッ!? 危ない!!」

「ロキシーさん!?」

 

 虹鬼の蠍の如き尖頭尻尾が、稲妻の如き疾さでノルンへ向け射出される。

 ノルンを庇うべく、ロキシーは少女の身体を突き飛ばす。

 そして、その直後に来るであろう刺突。

 ロキシーは刹那の瞬間、ぎゅっと目を瞑り、身体を強張らせた。

 

『グルアァ!?』

「ッ!?」

 

 しかし、穂先はロキシーへは届かず。

 

「き、気色悪(きしょ)いなこいつ……!」

「恨みますよ、北神様……!」

 

 絶句。

 双子の兎の、死狂いなる盾。

 重なり合うように双子の腹部を貫通する虹鬼の尻尾。それを、双子は決死の思いで掴んでいた。

 

「ナクルさん! ガドさん!!」

「ロ、ロキシー殿……!」

「僕たちが抑えている間に……!」

 

 みしりと双子が掴む尻尾が軋む。見ると、肉が焼ける臭いと共に双子の手はみるみる焼け爛れていき、鬼の体温がぶち上昇(あがっ)ているのが見て取れた。

 

『ゴアアアアッッ!!』

「ぐッ!?」

「がぁッ!?」

 

 しかし、双子の決死行にもかかわらず、虹鬼は尻尾を大きく振り双子を振り飛ばす。

 壁面に思い切り叩きつけられた双子は、そのまま意識を手放した。

 

「汝の求める──流れをいまここに! 『水弾(ウォーターボール)』!」

 

 ロキシーは双子を巻き込まないよう、虹鬼の頭部を狙った水魔術を発動する。

 初級の水魔術とはいえ、ロキシーレベルの魔術師が放つそれは並の物であれば上半身が消し飛ぶ程の威力。

 水王級魔術師による必滅の水弾。

 しかし。

 

 ズドン!

 

 鬼の火炎放射である!

 

「なっ!?」

 

 火炎により水弾を相殺され、ロキシーはさらなる困惑に陥る。

 辺りは水蒸気に包まれ、視界は悪化する。

 

『グルルルルル……!』

 

 しかし、火炎を口中より燻ぶらせた虹鬼の姿が現れると、ロキシーは再び魔術の詠唱を開始するべく身構える。

 だが、前衛なき魔術師とは、裸でニューヨークのスラム街を歩くのに等しい蛮行である。

 無詠唱魔術の使い手ではないロキシーにとって、単身での鬼退治は困難極まりない戦いであった。

 

 虹鬼はロキシーを仕留めるべく、唸り声を上げながら距離を詰めようとした。

 

『グルル……?』

 

 だが、歩みを止め、ふと空を見上げた虹鬼。

 その視線の先には、()()の姿が──

 

「な、何が……ッ!?」

 

 急に動きを止めた虹鬼に困惑するロキシーであったが、直後に虹鬼は大音声の咆哮を上げた。

 

『グルアアアアアアァァァァッッ!!!』

「ッ!?」

 

 そして、素早い動きで倒れる双子を抱え、跳躍する。

 そのまま屋根伝いに飛び、シャリーア郊外へと消え去っていった。

 

「ロ、ロキシーさん……」

「ノルンさん。怪我は無いですか?」

「わ、私は大丈夫です。でも、双子さんが……」

「……」

 

 震えるノルンの肩を抱き、ロキシーは虹鬼が去った方向を見つめる。

 その方向は、自身の愛する伴侶が向かった、義弟が戦っている戦場があった。

 

「ノルンさん。私はこのまま郊外へ向かいます。大学に戻って、シルフィ達へ伝えてください」

「ロ、ロキシーさん!」

 

 虹鬼を追いかけるべく、ロキシーは郊外へと走る。

 

(ナクルさん……ガドさん……ウィリアムさん……ルディ……!)

 

 駆ける水王級魔術師の乙女は、双子の兎、ウィリアム……そして、この世で誰よりも愛している、ルーデウスの無事を祈っていた。

 

 

 

 


 

 無惨なり、武神アダムス。

 北神の絶技に敗れしか。

 

 否。

 

 神武の名に於いて、その身斃れる事赦さず。

 

 死狂いなる思想を持って、再び戦備を整えるべし。

 

 

 異界の英雄剣豪よ。

 

 傲慢なる三世北神よ。

 

 

 死に方──用意せよ──

 

 

 

 魔法都市シャリーア郊外

 

「ガァッッ!?」

 

 二百メートルは吹き飛ばされただろうか。

 ウィリアムは北神の奥義“重力破断”をまともに受け、四肢が引き千切れるような激痛と共に大地へと叩きつけられていた。

 

「グ、ガゥゥ……!」

 

 割れた面頬の隙間から、大型の肉食動物が苦痛に喘ぐかのように呻き声を上げるウィリアム。ウィリアムの負傷に比例するかのように、拡充具足不動の装甲もまたダメージを受けていた。

 

「ガッ……アアッ……!」

 

 東勝神州は花果山由来の超鋼ですら防ぎきれなかった北神の滅技。その威力は、若虎の肉体に深刻なダメージを与える。

 腹部を守る装甲は抉れ、皮膚や筋肉は破れ、骨や臓器が露出。頭部からダラリと暖かい血液が流れ、破鐘の如く脳髄を揺らし、鈍い痛みが絶え間なく沸き起こる。

 脇腹からとめどなく流れる血液と共に、肉を突き破った骨の隙間から一片の臓器がまろび出ており、冷えた空気に晒されたのか生々しい湯気が立っていた。

 

「ゲボォッ!!」

 

 ウィリアムは鮮血混じりの吐瀉物を吐き出しながら地を這う。

 だが、顔面を赤色の反吐で汚しながらも、肉体の被害状況を冷静に分析していた。

 

 腹部切創

 肋骨開放骨折

 両大腿部開放骨折

 両前腕部複雑骨折

 内臓割創、内臓出血

 頭部挫創、頭蓋底骨折

 全身に裂傷、及び打撲による内出血

 

 並の者なら致命傷にも等しい重傷であったが、ウィリアムは予想外に己の負傷が()()であるのを認めた。

 そして、己の首にかけられた、メダルが取り付けられたペンダンドが、金属音と共に地に落ちるのも。

 

「……」

 

 重力剣の威力を受け、兄達から貰ったメダルは、無惨な有様を呈している。メダルとチェーンの接続部分にある指輪は跡形もなく崩れていた。

 中央部分からひしゃげてしまったメダルを、ウィリアムは大地に手をつきながらぎゅっと握りしめる。

 

 土壇場で救われた──

 

 兄ルーデウス、そしてその妻シルフィエットとロキシー。

 彼らから願いを込めて贈られたその品は、その願い通りの加護を虎に与えていた。

 メダルとチェーンの接合部分に取り付けられた二つの魔力付与指輪(マジックアイテム)

 王級相当の剣撃を無効にするそれは、致命に至るギリギリの所で重力剣の威力を減殺していたのだ。

 

「兄上……義姉上……ロキシー殿……」

 

 ルーデウスらの想いが、虎を首の皮一枚で踏み止まらせた。

 その想いに、感謝。

 

「……?」

 

 ふと、ウィリアムが纏う破損した不動が、微量ではあるが妖しい光を発する。

 まるで『我も忘れるな』とでも言わんばかりの超鋼の可憐な抗議に、ウィリアムは口角を僅かに引き攣らせた。

 

「ぐ、ぬうぅ!」

 

 ウィリアムは溢れる(はらわた)をたぐり寄せ、強引に腹腔内へねじ入れる。そして、渾身の力を込めて両の脚で立ち上がった。

 全身が激しく痛むが、丹田から闘気を漲らせ鎮痛に努める。更にウィリアムの脳髄は過剰なストレスを受けエンドルフィンやアドレナリン等の神経伝達物質を大量に分泌。損壊した肉体に活力を与える。

 手足を軽く動かしたウィリアムは、己の肉体に麻痺等の障害が無いことも確認した。

 

 問題なし。

 死ななければ、まだ戦える。

 北神入魂の重力剣法を、我は乗り越えた。

 北神に、これ以上の滅技(わざ)は無い。

 

「くふ──」

 

 口中から鮮血を滴らせながら、残酷な嗤いを浮かべるウィリアム。しかしその嗤いは自嘲から来るものであり。

 そしてその眼には、狂気ともいえる不退転の火が宿っていた。

 

 士道不覚悟とはまさにこの事。

 何が、離別の時が来た、だ。

 難敵を前に、明日の事を考える余裕など、本来はあり得ぬ。

 

 愚かなり、ウィリアム・アダムス。

 覚悟完了せよ。

 一命投げ打たねば、この難事乗り越える事能わず。

 

「くふ、くふふ──!」

 

 再度嗤い、否、笑いを上げるウィリアム。それは、捨て身の兵法を駆使する虎の笑い。

 笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙を剥く行為が原点。

 ましてや、手負いの虎ならば尚更のことであった。

 猛獣は、手負いの方が強い──。

 

「──ッ!」

 

 ウィリアムは全身に闘気を漲らせ再び臨戦態勢を取る。

 もはや恐れるものは無い。

 この身既に不退転。

 不惜身命、捨て身にて仕る。

 

 

 いざ、逆襲の時──

 

 

「クレイジーだ。まだ生きてるなんて」

「ッ!?」

 

 背後から突然聞こえし北神アレクサンダーの声。

 ウィリアムはその声に脊髄で反射、即座に反撃体勢に入る。

 

「ッ!!」

 

 瞬時に全身を回転させ放たれた裏拳(バックハンドブロー)

 まともに当たればアレクサンダーの下顎はこそげ落ちる事必至の虎拳。

 しかし。

 

「ッ!?」

 

 ウィリアムの虎拳は空を切る。

 否、空を切るというより、()()()()()()()

 

(重力操作──!)

 

 本来であれば高速の拳速にて放たれる虎拳。

 しかし、その速度はまるで()()()()()かの如き鈍いものへと変わり、アレクサンダーへの肉体へは届かず。

 

「シッ!」

「ッ!?」

 

 直後に返される北神の斬撃。

 袈裟斬りで放たれるその斬撃を、紙一重で躱すウィリアム。

 一寸の見切りを持って斬撃を躱し、アレクサンダーへ距離を取らせない。

 

(しゃあ)ッ!」

 

 石火の肘鉄。

 しかしアレクサンダーの脳天を狙う肘爆撃(エルボーボム)は、またもや当たる寸前に鈍重な速度へと変わり、虎の空爆は回避される。

 

「無駄だッ!」

「ッ!」

 

 北神の逆袈裟。

 これも寸前で躱す。

 だが、此度の北神の旋風はこれで止まらない。

 

「しぃッ!」

「ガッ!?」

 

 追撃の宙空回転脚(スピンキック)だ!

 アレクサンダーは撃剣を隠れ蓑に重たく、そして素早い回し蹴りを放つ。

 まるでルチャドールの如き軽快な空中殺法。とてもではないが、剣撃を放った直後の人体がして良い動きではない。

 まさに重力を無視した神級の身体操作(アクロバット飛行)である。

 身体を回転させながら超重力を込めたヘビーアタックは、虎をガードの上から薙ぎ倒した。

 

「ッ!!」

 

 弧を描くように回転し、頭部を地面に打ち付けるウィリアム。しかし咄嗟に受け身を取り、ダメージを最小限に留める。

 そのまま倒れ込みながら北神の右足首へ向けぬるりと手を這わせた。

 

「い゛ぃッッッ!!??」

 

 アレクサンダーの足首に“トラバサミ”が食い込んだが如き激痛が走る。同時に背骨に煮えた鉛を流し込まれたかのような激痛も走り、アレクサンダーは文字通り指一本動かすことすら困難な状態に陥る。

 アレクサンダーが初めて味わう、異世界の絡め手。

 

 骨子術。

 日本古流柔術の極みにして、剣術者が徒手空拳にて戦う必殺の術理である。

 

 滑り込むようにアレクサンダーの足首へ食い込んだ虎の爪は、然とその足首に点在する経絡を突き、身体の自由を完封せしめる。

 

(このまま括り殺してくれる──!)

 

 指先へ殺意を込めるウィリアム。刹那の間に分析した北神の重力操作に対抗するべく繰り出された骨子術。

 神速の打撃技は尽く重力を操作され、その疾さを減殺される。

 不動の反魔性質がなければ、己の手脚がひしゃげていたであろうその超重力を掻い潜り打撃をぶち入れるのは至難の技。

 

 ならば、“打”ではなく“極”を使うまで。

 

 アレクサンダーの関節という関節を全てへし折り、手足の自由を奪った上で頚椎をもへし折る。

 もちろん、内臓を全て噴出しても復活した相手に、首を折っただけで殺害出来るとはウィリアムも思っていない。

 だが、しばらくの間は行動不能に陥らせることが出来るはずだ。

 その上で、四肢を捥ぎ、首すらも捥ぎ取り、二度と復活出来ないよう徹底的に人体を破壊するのだ。

 

 そこまでの戦略方針を打ち立てたウィリアムは、アレクサンダーを虎眼流の泥沼(サブミッション)へと引きずり込むべく(かいな)に力を込めた。

 

「ガアアアアアッッ!!」

「ッ!?」

 

 だが、アレクサンダーは思わぬ方法で骨子術から脱出せしめる。

 グラウンドポジションへ移行する刹那、僅かに骨子術の束縛は緩む。その一瞬の隙を突き、アレクサンダーは()()()()()()()()()()()()()()

 

「ガアッ!!」

「ぐっ!?」

 

 ウィリアムは直後に放たれる撃剣を後方へ跳躍して躱す。ウィリアムの手には、クリスマスのターキーのようにアレクサンダーの脚が握られていた。

 

「ふ、ふふふ……ここまで苦戦した相手は初めてだよ……!」

「……ッ!」

 

 再度対峙する両雄。

 アレクサンダーは片足になりながらも、まるで見えない支えがあるかのように、その立ち姿は全くバランスは崩れておらず。見ると、切断部はぎちりと肉が締められており、重力操作による止血が施されていた。

 かようにまで神妙な北神の重力操作。それは、片足を失ってもまるで意に介さない、絶大なる理不尽である。

 

「……ッ」

 

 対するウィリアムは、破損し防御力が低下した不動を纏い。そして、損壊した肉体は限界に達しようとしている。

 腹部からの出血は多量。北神を睨みつける虎の足元は、まるで血の池地獄の様相を呈する。

 北神を睨むウィリアムの視界は、出血多量により徐々に照度を失っていった。

 

「右手に剣を──」

「ッ!?」

 

 アレクサンダーは再度絶技“重力破断”を放つべく王竜剣を上段に構える。

 このままウィリアムの失血死を待てば容易く虎退治を成し遂げる状況ではあったが、あくまで王竜剣による決着に拘る北神はそれを許さず。

 

「ちぃッ!!」

 

 ウィリアムはアレクサンダーの脚を打ち捨てると、なけなしの力を振るい突進する。

 一度は耐えた北神の重力剣法。

 しかし、この状態では二度目の破斬には耐え切れるはずもなく。

 ウィリアムは先程の“重力破断”が魔術の如き詠唱が必要であるのを看破しており、その言霊が終わりきらぬ内に距離を詰め、再び肉弾戦に持ち込むしか出来なかった。

 接近戦にて骨子術を使用すれば、至近距離からの重力操作もある程度は無効に出来るとも。

 

「左手に──!?」

 

 瞬く間に距離を詰めるウィリアムを見て、アレクサンダーは一瞬驚愕の表情を浮かべる。

 

 

「──かかったな」

 

 

「ッ!?」

 

 だが、接近したウィリアムは直後にアレクサンダーの口角が引き攣るのを目撃する。

 

「くわッッ!?」

 

 刹那。

 アレクサンダーの腰に備えられたひとつの袋が、重力操作によりウィリアムの顔面へと打ち付けられる。

 間合いを取っていれば容易に躱せたはずのそれを、接近しすぎていたウィリアムはまともに食らってしまう。

 打ち付けられた袋は爆ぜ、中に詰められた粉末が虎の呼吸器へと吸い込まれた。

 

「ッッッッ!!??」

 

 直後に訪れる虎の不調。

 大型の魔物にすら有効な強烈な刺激が粘膜にまとわり付き、咳、クシャミ、落涙などの症状が一気に現れる。

 ウィリアムが初めて味わう、異世界の絡め手。

 

 落涙弾。

 北神流の上達者が備える特別な香辛料を混ぜ合わせた催涙弾にして、文字通り隠し玉である。

 

「この僕に奇抜派ごときの技を使わせるとはね!」

「ギッッ!?」

 

 アレクサンダーは修得はしていれど、決して認めることは出来ない北神流奇抜派の技を使う。それは、不治暇北神流の長としてあるまじき醜態。

 このような邪道技を使わざるを得ない程、追い込まれた自身に対しての怒りからか。

 顔面を朱に染めたアレクサンダーは、ウィリアムの腹部を王竜剣にて刺し貫き、その身を地に縫い止めた。

 

「このッ! このぉッ!!」

「がふッ! ぐふッ!!」

 

 複数回、ウィリアムの肉体へ大剣を突き立てるアレクサンダー。

 アレクサンダーは、あくまで北神の象徴である不治瑕北神流にて虎を成敗しなければならない。

 それなのに、奇抜派の技を使ってしまった。

 英雄としての勝利に拘るアレクサンダーは、己が理想とする勝ち筋を成し得なかった理不尽な怒りを、残虐にウィリアムへとぶつけていた。

 

「北神は常に先代を超えていく流派だ! 僕は当代北神にして、歴代最強の北神なんだッ!」

 

 北神流とは、他流とは違い常に当代が最強であらねばならぬ流派。

 剣神流や水神流は、人外の域に達した初代に少しでも近づく為に研鑽を積む。しかし、北神流だけは、当代が先代の技量、そして偉業を超えて継承を果たす流派だ。

 であるならば、三代目であるアレクサンダーは、先代らをも超える英雄にならねばならない。

 その偏執的な矜持が、今まさに行われている残虐行為を正当化たらしめていた。

 

 正義に敵対する悪には、いかな残虐な暴力を行使しても許され、称賛される行為へとなり得る。

 歴史を紐解いてみても分かる事ではあるが、これは勝利者だけに許された理不尽な理屈であり、残酷な事実であった。

 

「はぁ……はぁ……ッ!」

「……」

 

 呼吸を荒くしながら、アレクサンダーはもはや苦悶の叫びを上げなくなり、動きを止めたウィリアムを見下ろす。

 

「……君は、もう拳すら握れなくなった」

 

 やや呼吸を落ち着けながら、冷静にそう告げるアレクサンダー。

 しかし。

 

「なのに、何だ! その眼はッ!!」

 

 ウィリアムの眼は、依然としてアレクサンダーを睨み続けていた。

 その瞳の奥に燃える、不退転の火。

 

「──ッ!?」

 

 轟々と燃えるその瞳に、アレクサンダーの心胆は射抜かれる。

 虎の余命は残りわずか。

 にも関わらず、その闘志、未だ萎えず。

 

 死狂いなる、(さむらい)の闘魂──!

 

「ウアアアアアアアアッッ!!」

 

 アレクサンダーは得体の知れぬ怖気を感じ、その恐怖心を誤魔化すように叫ぶ。

 そして、決着をつけるべく、ウィリアムの肉体へ王竜剣を振り下ろした。

 

 

「ア──?」

 

 

 瞬間。

 アレクサンダーの喉に、鋭利な()()が突き刺さった。

 

「ゴッ──!?」

 

 ごぽりと、アレクサンダーの口中から粘ついた血液が漏れ出る。

 同時に、アレクサンダーは己の喉を貫通する()()の正体に気付く。

 否、気付いてしまった。

 

 肋骨だ!

 

 ウィリアムの肋骨が、アレクサンダーの喉を射抜いていたのだ!

 

 虎眼流“飛燕弾き抜き”

 

 倒れるウィリアム、最後の闘気。

 己の肋骨をぶち抜き、アレクサンダーへと射出する。

 その渾身の気合、そして知恵を捨て、身を捨てた敷島の兵法は、六面世界の英雄剣豪を大いに慄かせていた。

 

「ひぐ……ッ!?」

 

 宣言通り五体の武器にて刺し貫かれたアレクサンダーは、口中から鮮血を噴出させつつ、よろりと後方へと後ずさる。

 北神の万有引力をも凌ぐ、武神の蛮勇引力。

 その気圧に圧倒されたアレクサンダーの片脚は、恐怖からかやや震えを見せていた。

 

「く、があああああああああッッ!!!」

 

 恐怖を打ち払うように、アレクサンダーは王竜剣を構える。

 喉から流れる血液が迸り、血染めの北神が、恐怖の根源へと破邪の大剣を振り抜こうとしていた。

 

「……ッ!!!」

 

 ウィリアムもまた、口角を血に染めながら立ち上がる。

 最後の闘気、その最期まで、北神へぶつけんが為に。

 

 そして──

 

「──!?」

「ッ!?」

 

 ウィリアムとアレクサンダーの間に、()()()()()が投げ込まれた。

 大地に突き刺さる抜身の二刀。

 ウィリアムは、それを本能で引き抜く。

 

「──」

 

 暗い視界は、目の前のアレクサンダーを映していなかった。

 代わりに、ある剣士の姿が映っていた。

 

『──藤木』

 

 物言わぬ藤木源之助の姿を幻視する、ウィリアム・アダムス。

 同様に二刀を手にする藤木の姿を模すように、ウィリアムは七丁念仏……そして、村正を構えた。

 

 

 虎眼流、“簾牙(すだれきば)”──

 

 

 

 

 

 

 

 


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