「虹色の光……」
中央大陸某所。
その、遥か高き空の上。
雲海の上に浮かぶ巨大な城塞。まさしく天空城ともいえる異世界の神秘。
その城塞の中に設けられた謁見の間。玉座に座るは、一人の男。
「八年前とはいささか異なるな」
男は水晶球に映し出されるシャリーアの光を睨みつけ、そう呟いていた。
輝かしい銀髪を靡かせ、相手を威圧するような三白眼。そして、金色の瞳。全身から立ち上る王者の威厳。
人は、彼を甲龍王ペルギウス・ドーラと呼んだ。
かつてのラプラス戦役で英名を上げた、魔神殺しの三英雄。その一人である。
「あの時とは魔力の質……いえ、魔力とは別の、何か得体の知れぬ悍ましい力を感じます」
傍に侍る白き
備える大きな黒い翼も緊張からかやや震えている。
その様子を特に気にする風でも無く、ペルギウスは変わらず水晶球を睨み続けていた。
「ラプラスめの復活か……いや、違うな」
ペルギウスには使命があった。それは、地上の監視。
かの甲龍王が宿敵と定める魔神ラプラス──志半ばで倒れた、兄とまで慕った英
そして、シャリーアから奇妙な光が発生するのを見留めたのだ。
「あれは、あの時……お前がアレを拾った時と似ている」
「ですが、あの者は」
「確かめてみれば分かる事だ。アルマンフィ」
やがて虹色の光が収束したのを見て、ペルギウスは自身の使い魔の名を喚ぶ。
「ここに」
直後、ペルギウスの前に黄色の狐面を被った白衣の男が現出する。
アルマンフィと呼ばれた人外は、跪き頭を垂れながら主君の次の言葉を待っていた。
「調べよ。怪しき者がいたら、殺せ」
「はっ」
主君の命を受け、光輝の使い魔は現れた時と同様、一瞬にして姿を消す。
やがてペルギウスは水晶球から視線を外し、何かを思案するように静かに瞑目していた。
「……」
瞑目し続ける主君と同じ様に、シルヴァリルもまた黙すのみであった。
「うわなんじゃアレきもち悪っ」
同刻。
魔大陸ビエゴヤ地方リカリスの町。
岩壁に囲まれた町の門前にて、レザーのボンテージ衣装を纏い、ボリュームのあるウェーブのかかった紫色の髪と、山羊のような二本の角を生やした幼女の姿あり。ともすれば奇抜なお洒落ともいえる格好ではあったが、その身なりは薄汚れており残念極まりない。
何やら遠くを見つめながら、幼女はオッドアイをギョロリと剥き、不快げな様子でそう呟いていた。
門番の魔族の男はその様子を不審げに見やるも、薄汚い幼女の様子をさして気にする風ではなく。
「ヌ゛ッ!」
故に、幼女が唐突に汚い喘ぎ声を上げても「なんか変な子だな……」と不審げな眼差しを向けるだけである。
「ファーハッハッハッハッハ! また
故に、幼女が唐突に大音声で哄笑を上げても「なんかかわいそうな子だな……」と憐憫が籠もった眼差しを向けるだけである。
「なんじゃっけ、ルー、ルーバー、ルンバウス! ルンバウスの弟の時と同じ感じがしたのう! またあの変な龍の仕業かな! まあ妾にはどうでも良いことじゃがな! ファーハハハハハ!」
幼女は変わらず意味不明な事を宣いながら哄笑を上げ、門番は変わらず意味不明な事を宣う幼女に憐憫の眼差しを向けている。
やがて門番はようすがおかしい欠食児童の如き不憫な幼女が存在し、偉大なる指導者を失った魔大陸の現状を憂いるかのように天を仰いだ。
門番の視線の先にある門上には、妙齢の美しい女性……かつてこのリカリスを本拠地とし、魔族を率い二度の世界大戦を巻き起こした魔大陸の
「ファーハハハハー……はぁ」
ふと、幼女は哄笑を上げるのを止め、がっくりと肩を落とす。
「なんで妾がこんなガキの使いみたいな事をせねばならんのじゃろ……妾は魔界大帝じゃぞ……えらいんじゃぞ……」
先程とは売って変わり沈痛した様子でそう呟く幼女の姿は、薄汚い身なりと相まって見るもの全ての哀愁を誘う痛ましい姿であった。
もっとも、門番は変わらず天を仰いでいた為、この時の幼女の姿を見ることは叶わなかったのだが。
「つーかあいつ絶対弱ってないじゃろ。ちんちん勃ってたし。そのくせ妾の
渾身の魔界大帝ギャグもキレが悪いどころか盛大に滑っている事にも気付かぬ幼女。その様子は捨てられた子犬の如き有様を呈しており、事実幼女からは洗ってない犬の臭いが漂う。そして、それを拾う魔神は絶賛封印中である。
ちなみにかの者は幼女趣味などなく、先程の弁はただの自意識過剰であった。
「くそう……妾が万全だったらあんなおっぱいとちんちんが両方ついとる妙ちくりんな奴に顎で使われる事もないのに……でもあいつに歯向かうと至近距離からアキラされて脳天がバッキャムだし……くそう……くそう……」
やがて門を潜ろうとトボトボと歩き出す半ベソ幼女。
全身から負のオーラーを放出するその姿は、暴君に虐げられている被支配者そのものであり、とてもではないが魔界大帝を自称する者には見えなかった。
「……」
「あべし!」と、石に躓き顔面を強打する幼女の姿を、岩陰から複数の黒鎧姿の魔族が、妖しげに目を光らせ見つめていた。
惜しかったな、谷さん
狼の腹は、思ったより
「光……?」
シャリーアの門を潜るルーデウスの背後から、凶兆の如くそびえ立つ虹色の柱。
実弟ウィリアムを救うべく駆けるルーデウスは、その光を見て足を止めた。
「また──いや、違う」
すわ、またもや転移事件か。そう思い一瞬身体を強張らせる。だが、虹の光が直ぐに収束したのを見て、ルーデウスは頭を一つ振った。
妙な胸騒ぎを感じるが、今は──
(ウィルの事が第一だ!)
愛杖
互いに前世世界を同じとする異界への迷い人。しかし、今は唯一無二の、故郷を同じとする本当の意味での
肉親以上の絆をウィリアムへ感じていたルーデウスは、武神と北神の決闘の場へと急ぐ。
例え乱入をした非を咎められようとも、弟の危機を放置する兄はいないのだ。
「──ああ、なんでこんな時に」
駆けるルーデウスの脳裏に、ふと前世での肉親の姿がよぎる。
かつて腐っていた己に差し伸べられていた前世の家族の手。それを無粋に振り払っていた自身の所業。
(ああ、なんで、くそ)
血を分けた肉親の絆。例え惨めに落ちぶれようとも、前世の兄弟姉妹は、家族は何度も手を差し伸べてくれた。
それを、薄情にも払い除けていた。あまつさえ実父の葬儀にすら参列せず、姪の写真を用い自慰をする始末。
最低だ。人として。
そう自省するルーデウス・グレイラット。
まるであの時の過ちを改めるように、ルーデウスは今生の兄弟を救うべく、シャリーアの荒野を全力で駆け抜けていた。
今生の弟を救うことで、その罪を償うかのように。
「──?」
そして。
(え──っ!?)
駆けるルーデウスの前に、一体の怨鬼の姿あり。
まるで始めからそこに存在していたかのように、一体の鬼がルーデウスの前に佇んでいた。
左右非対称の鬼甲を纏い、手には室町期の名刀、孫六兼元を下げている。
ルーデウスには知り得ぬその刀の価値ではあったが、拵えは素人目から見ても明らかに日本刀のそれであった。
「波裸羅様……?」
ふと、ルーデウスは目の前に現出した怨鬼の姿が、自身がよく知るあの現人の鬼の姿と重なるのを感じる。
しかし、見れば見るほどあの現人鬼のような暴虐、そして蛮性は感じられない。
鬼、というよりは。
思ったより、ずっと剣客です。
『ま、待ってください!』
ルーデウスを一瞥した霓鬼は、そのまま踵を返し立ち去ろうとする。
その方向は、ルーデウスが目指す決闘の場。
慌てて日ノ本言葉で呼び止めるルーデウスに、霓鬼はゆっくりと振り返っていた。
『あ、貴方のそれって、お面ですか?』
正体不明の怨鬼。
しかし、現人鬼と同族ならば、この問いかけには当然。
『
こう応える。
『……同様の問答、以前にもした』
霓鬼は何かを思い出すように宙空へと視線を向ける。
だが、直ぐにルーデウスへと視線を戻した。
『
『え?』
霓鬼の言葉に、一瞬言葉を詰まらせるルーデウス。
一体、この鬼は何が目的で、どうして現れたのだろうか。
そのような思考を巡らす内に、霓鬼の次の言葉が放たれた。
『……聞きたいことがある』
『な、なんでしょう』
怨気が籠もった霓鬼の言葉に、ルーデウスの言葉尻はやや震える。
霓鬼は手にした孫六兼元の柄に手をかけていた。その所作が、場の緊張度を更に上げていた。
『汝は
『ッ!?』
ヒトガミ。
その言葉を聞いた瞬間、ルーデウスは戦慄す。
同じだ。
あの時と、同じだ。
そう思考する。
あの赤竜の下顎での一件。
龍神に無惨に戮殺されかけた、あの一件を思い出したルーデウスは、即座に杖を構え、予見眼に魔力を込めた。
『……ありません』
嘘である。
しかし、この場に於いてはこの回答が適切──。
そう判断しての返答。
『左様か』
ルーデウスの言葉を受け、鬼の怨気は霧散し、柄にかけた手を放した霓鬼からは穏やかな空気が漂う。
それを見て、ルーデウスは安堵のため息をひとつ吐いた。
『……ならば、孝霊天皇皇子大吉備津彦命は
『へ?』
霓鬼の更なる問い。
聞き慣れぬ単語の羅列を受け、ルーデウスは思わず素の表情を浮かべる。
『桃太郎、と言えば分かるか?』
児童文学で親しまれ、日本国民ならば誰もが知る神州無敵の英傑の名。
平成日本人ならば、この問いかけには当然。
『ああ、それなら』
よく
そう、ルーデウスが答えた瞬間。
「ッ!?」
ルーデウスの予見眼に、複数の剣風刃が映る!
「くっ!」
先制の
刹那の時間で練り込まれた膨大な魔力と共に、岩石弾は霓鬼の顔面へと一直線に放たれる。
しかし。
予見眼に映る霓鬼の姿がブレる。
「なっ!?」
予見眼に鮮明に映らぬ程の抜刀速度。
高速で飛来する岩石弾を、刀剣にて十文字に割る。
この世界の剣士、特に剣神流の上達者ならば闘気を用いた剣法を用い魔術を斬り払う事など造作も無い事。
しかしこの鬼剣士は、鬼の力はあれど純粋な技量のみでルーデウスの岩砲弾を斬り落としていた。
霓鬼の恐るべきこの剣技。
権力者達の
『我は声無き者、舌無き者らの怨身』
「ッ!?」
刀を下段に構え、霓鬼はルーデウスへゆるりと距離を詰める。
鬼の剣圧に押され、ルーデウスは数歩、後ろへと後ずさった。
『冥府より二度甦りし此度は──』
半身にて刀剣を構える霓鬼の姿。
背中に冷えた汗を流すルーデウスは、斬首を待つ科人の如き土壇場を味わっていた。
『異界にのさばる覇府の犬……そして悪神を討つ、衛府の
「泥沼──!」
霓鬼の足を止めるべく、ルーデウスは泥沼を発動させようと──
した、その瞬間。
「なっ!?」
『ッ!?』
乱入者の刃!
鬼の心臓を背後から
しかし、その刃は致命には至らず。
「むっ!?」
刺突を躱そうともせずあえて受けた霓鬼は、即座に手にした刀をまるで耳かきのように回転させ反撃。
乱入者の手首は截断され光の粒子となり消失。そして、大振りのダガーが地に落ちた。
『ぬぅ!?』
だが、乱入者は手首を斬り落とされながらも曲芸師のような動きを見せ、即座にもう片方の手でダガーを拾う。
そして、乱入者の肉体から光輝の光が放たれ、鬼の目を晦ます。
『効かぬ!』
「ッ!?」
しかし、霓鬼の両目は発光し、閃光による失明を無効化。
距離を取ろうとする乱入者へ撃剣を放つも、またもや乱入者は人外めいた動きでそれを躱した。
「器用だな」
『貴公もな』
距離を取り、異なる言語にて言葉を交わす両人外。
言葉は通じずとも、お互いに言わんとしている事が分かるのは、実力者同士の戦いでは往々にして起こり得る事である。
『お前の手並みは鮮やかで切り口は美しい……あの
「?」
『だが』
話をしている間に、刺突された傷口から火が噴き出す。
『鬼の
「チッ……」
完全に傷跡が修復された霓鬼を、狐面の乱入者は舌打ちをしつつ睨んでいた。
(あ、あいつは──!?)
ルーデウスは乱入者の姿を見て、七年前のあの時を思い出す。
転移事件が発生する直前。あの時、同じ様に突然現れた狐面の男の名を思わず呟く。
「光輝のアルマンフィ……!」
またもや既視感に苛まれるルーデウスの呟きを受け、アルマンフィは油断なく霓鬼と対峙しつつ、面越しにルーデウスへ視線を向けた。
「お前があの光を起こしたのか?」
「い、いえ、俺は」
慌てて首を振るルーデウスを見て、アルマンフィは鼻息をひとつ鳴らし、霓鬼へと視線を戻す。
アルマンフィが自身の事を覚えていないのを察したルーデウスは、僅かに警戒を緩める。
「なら、手を貸せ」
「は、はい」
ルーデウスを即席のタッグパートナーに指名したアルマンフィの思惑は分からない。だが、この目の前の異形は、明らかにこの世界の者ではない。
その事を見抜いたアルマンフィ。故に、
共闘の要請を受諾したルーデウスは、アルマンフィと挟む込むように霓鬼の後ろへと回る。
『妖術使いと妖狐。そのようなモノを
二対一となった状態でも、霓鬼は微塵も揺るがない。まるで後ろにも目が付いているかのように、ルーデウスとの間合いを保っていた。
「一瞬で良い。奴の視界を封じろ」
アルマンフィがそう言うと、超高速移動にて霓鬼へ吶喊した。
「『
間髪入れずルーデウスの土壁発動。
霓鬼の正面に屹立し、その視界を封じる。
視界を封じられた霓鬼はアルマンフィの姿を見失い、その身体を硬直させた。
ルーデウスの予見眼には、高速移動にて霓鬼の側面に廻り、その刃を突き立てんとするアルマンフィの姿が見えた。
だが。
『土塀越し妖狐四ツ胴截断!』
アルマンフィの速度を超える剣風が発生し、土壁ごと光輝の胴体は四つに切断される。
断末魔を上げる間もなく、アルマンフィの身体は光の粒子となって消え失せた。
「早すぎんだろ!」
実弟ウィリアムと伍する程の霓鬼の剣速に対してなのか、それとも突然現れたかと思えば瞬殺されたアルマンフィに対してなのか。あるいは、その両方か。
ルーデウスは悪態をつきつつ、霓鬼の次なる攻撃を予測するべく、更に予見眼に魔力を込めた。
「ッ!?」
直後、己に一直線に放たれる刀身。
見えた時には、既に刀弾は肉薄していた。
「くぅッ!!」
寸出で風魔術を発動し、それを弾く。弾いた際に刀刃が僅かに掠るも、致命に至る傷では無い。
『我が突きを弾くか』
弾かれた刀身を掴みながら、霓鬼はやや感心したようにそう言った。
丹波流“弾き抜き”
指弾の要領で刀身を弾く丹波流の絶技は、つい先刻、ルーデウスの実弟ウィリアムが見せたあの突き技に酷似していた。そのスピード、その威力。ともすれば、ウィリアムが放った突き技の方が勝るやも。
故に、堅実に弾き返す事が出来たのだ。
『日ノ本剣法と立ち合うた
「ッ!? 『泥沼』!」
距離を取らせぬべく霓鬼自身がルーデウスに肉薄。
だが、即応の泥沼が発動し、鬼の両脚は取られる。
「『
電撃の
模擬戦で使用した時とは違い、致死レベルの電量で放たれたそれにより、鬼の肉体からみるみる水分が蒸発せしめる。
ルーデウスと霓鬼の間には、鬼の水蒸気による白煙が立ち込めた。
『無意味!』
「なっ!?」
しかし、その電撃をものともせず霓鬼は泥沼から脱出。
白煙を隠れ蓑に即座に距離を詰め、霓鬼はルーデウスの首をみしりと掴んだ。
『学べ、妖術使い。我に
「がっ……!」
みしり、みしりと肉が軋む。
口腔から血の泡を噴き出しながら喘ぐルーデウスに、霓鬼は止めを刺すべく肘に備えられた歯車の如き回転刃を作動させた。
『妖術、截断──!?』
刹那。
「雄大なる水の精霊よ! 飛沫の
水の鏃! 鬼の側頭部を
レーザービームのように放たれた水魔術により、霓鬼はたたらを踏むようによろめく。同時に、ルーデウスの拘束は解かれた。
「ルディ! 大丈夫ですか!」
「げほ……ロ、ロキシー……?」
寸前で援軍に駆けつけたのは、ルーデウスが愛してやまない二番目の妻、ロキシー・M・グレイラット。
尻もちをつき咳き込む夫の元へ、水の乙女は駆け寄る。
「逃げて、ください」
「何を言っているんですか!」
退却を推奨するルーデウスを一喝したロキシーは、負傷を癒やすべく治癒魔術の詠唱を開始する。
『休戦の約定を交わした覚えはない』
「ッ!?」
しかし、その詠唱は霓鬼の一声にて止められた。
「ッ! 天より舞い降りし蒼き女神よ──!」
『させぬ!』
詠唱を開始したロキシーに、霓鬼は刃を突き刺すべく肉薄。
「『
だが、今度はルーデウスの水魔術が放たれる。
無詠唱により放たれた無数のウォータージェットナイフは、鬼の五体を穿つ。
『学べと申した
「ッ!?」
しかし五体に無数の穴を開けられても、尚も健在の鬼。
肉体にはコイン大の穴がいくつも空き、鬼の臓器を僅かに覗かせるも、これしきで鬼は止まらない。
全身を水で濡らしながら、霓鬼は孫六兼元を大上段に構えた。
「──いて世界を凍りつかせん!」
だが、ルーデウスの狙いはダメージに非ず。
ロキシーの詠唱時間を稼ぎ、その後放たれる魔術を確実に浸透させる。ただそれのみであった。
「『
凍気炸裂!
異形異類ですら凍結死
「や、やったか……?」
「ルディ、ひとまず治療を」
刀を構えたまま、水滴を浴びた霓鬼の肉体がビシビシと音を立て凍りつく。
『水蒸』と『氷結領域』を組み合わせ、混合魔術『フロストノヴァ』に相当する夫婦の連携魔術。
ルーデウスならば単独にて行使可能な魔術であったが、その威力はロキシーすらも巻き込みかねない広範囲のもの。
だが、ロキシーが使う『氷結領域』は範囲を前方に固定出来る。故に、この場ではこの段階を踏んだ氷結魔術が最適解であった。
阿吽の呼吸にてそれを成し遂げたグレイラット夫妻……いや、神とその忠実なる信徒の連携は、即席タッグを組んだアルマンフィとの連携より遥かに安泰である。
「ルディ、あれは……あれらは一体何なんですか」
「あいつは、多分波裸羅様と同じ……ていうか、ロキシーの前にも現れたんですか?」
「はい。タイプは大分違いますが、同じような身体付きをしていました。ノルンさんは無事ですが、ナクルさん達が拐われて……」
霓鬼が凍結し動きを止めたのを見て、ロキシーはルーデウスの治療をしつつ、己の前にも目の前で凍りつく鬼と同様の異形が現れ、双子が拐かされた事を告げていた。
「ロキシー、俺はもう大丈夫です。ウィルの所へ行きます。ロキシーはシャリーアへ戻ってください」
「いえ、わたしも行きます。ナクルさん達を拐った怪物は、ウィリアムさんが戦っている方向へ向かいました」
「でも──」
「ルディ。あれが波裸羅様の同族かどうかは分かりかねますが、少なくとも北神の仲間である可能性は無いと思います。三つ巴になるなら、戦力は多い方が良いです」
地鳴りが鳴り響く武神と北神の決闘の場と思われる方向を、ロキシーはその可憐な瞳で睨む。
そしてその方向は、追跡していた虹鬼が去った方向と同じであった。
ルーデウスはこれ以上ロキシーを巻き込みたくないと思いつつも、ある意味では親より信頼する師匠であり妻の言葉を聞き、やむを得ないとばかりに頷いていた。
「分かりました。なら、俺の援護を──」
そう言いかけた時。
無意味──無意味だ、妖術使い共──
「なっ!?」
「えっ!?」
怨鬼復活。
容鉄の如き伐沙羅が、鬼の肉体を
「しま──!?」
容鉄炉の如き熱血をその身に宿す怨鬼に、氷結は無効。
ベガリットの迷宮にて現人鬼が同様の手口で氷結地獄から脱出せしめていた事を、ルーデウスは今更ながら思い出していた。
『我が不死身を知り心折れたか、妖術使い』
勃ってます。
そう言い返せる士魂は、ルーデウスは持ち得ず。
「ロキシー! 下がって!」
「ルディ!?」
だが、愛する妻を守る度胸は備えている。
ルーデウスは傍らにいるロキシーを庇うように霓鬼の前に立った。
「『岩砲弾』!」
『
「ぐあっ!?」
至近距離からの岩砲弾を躱し、霓鬼は逆袈裟にて剣風刃を飛ばす。
肩口へまともに受けてしまったルーデウスは、その剣風に圧倒され、尻もちをつく。
『我が燃ゆる怨血──感じながら死ねい──!』
「あ──」
肩を抑えながら霓鬼を見上げるルーデウス。
死──
ルーデウスの脳裏が、死の恐怖に染まる。
逃れる術は、無い。
「ルディッ!!」
「ッ!? ロキシー!!」
だが、救いの神はいる。
ルーデウスに覆いかぶさるように身を挺して庇うロキシー。
魔術が通じぬならば、せめて愛する人の盾になりたい。
そう思っての、痛ましいまでの献身である。
「──ッ」
ルーデウスは覆いかぶさるロキシーを抱きしめ、ぎゅっと目を瞑る。
もはやルーデウスに残された手段は、祈ることだけだ。
「……?」
寸刻。
来たるべき斬撃が来ないのを受け、ルーデウスは恐る恐る目を開く。
『──』
目を開けると、刀を上段に構えながら停止する霓鬼の姿。
その表情は鬼の貌ゆえ分かりかねるが、僅かに動揺している様子が伺えた。
『……今日は、止めにいたす』
「え──?」
そして。
「がぁっ!?」
「あぅっ!?」
峰打ちである。
『……』
ルーデウスとロキシーが気絶し果てたのを見届けると、霓鬼は踵を返す。
歩む先は、ウィリアム・アダムスとアレクサンダー・カールマン・ライバックが相争の場。
鬼の上空には、頭部より翼を生やし、二振りの刀剣を抱える鬼の乙女の姿──
『一子相伝の丹波流試刀術……此度は無力にさせぬ』
上空を見上げながら、鬼はそう呟いていた。
異界に現れた鬼、“霓鬼”
またの名を、
身分の檻から解き放たれし鬼は、前世世界の無念を背負う。
その歩みは、憂いを帯びた重い足取り。
そして、時空を超えた大義を背負う、
鬼の行く手、その先に待つは──