虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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第五十景『魔界大忍法合戦(まかいだいにんぽうがっせん):()

 

 甲龍王ペルギウス・ドーラ。

 魔神殺し三英雄の一人にして、古代龍族は伝説の五龍将、初代甲龍王ドーラの実子。

 現代の甲龍王を受け継ぐ男は、かの天大陸にて龍族秘術“転生法”によりこの世に生まれ落ちた。

 以来、ペルギウスは人族の英雄としての龍生を歩むこととなる。

 現在世界中で使用されている暦“甲龍歴”は、ペルギウスがラプラス戦役において魔神討伐を成し遂げ、人族の安寧に貢献した事を讃えて制定された。

 

 仁智勇を兼ね備えた稀代の英雄として讃えられ、世界中の権力者達ですら畏怖する甲龍王ペルギウス。

 しかし当然の事ながら、かの英雄は初めから英雄たる実力を備えていたわけではない。

 ペルギウスが英雄たらしめたラプラス戦役。

 そこで、ペルギウスは幾度も半死半生の目に遭っている。

 

 今でこそ空中城塞や十二の使い魔、そして類まれなる魔術を駆使し、列強に引けを取らぬ戦力を備えるペルギウス。しかし、当時のペルギウスは資質は備えるも戦闘力は未熟者であり。

 先達の英雄達の背中を追いかける若き甲龍王。その生命を最も多く脅かしたのは、魔族側の急先鋒に立った不死魔王アトーフェラトーフェ。

 幾度も半殺しにされたペルギウスが、アトーフェに憎しみを抱くのは必然であり、アトーフェもまた幾度も己を虚仮にするペルギウスを憎悪するのは必然であった。

 しかし、アトーフェが初代北神カールマン・ライバックに敗れ、その妻となってからは、カールマンは妻と弟分それぞれに不殺の約定を課し、双方の“殺し合い”を禁じていた。

 

 しかし、その約定が無くとも。

 一触即発の事態は避けられぬほど、両者の因縁は浅からぬものであった。

 

 

 

 

「ペェェルギィウゥスゥゥゥゥゥッッッ!!!!」

 

 怒髪天を衝くとはまさにこの事。

 今日一番の大音声が戦場に響き渡る。

 血走ったアトーフェの眼球の先。赤い瞳に映るは、当代甲龍王ペルギウス・ドーラの姿があった。

 

「喧しい。相変わらず知性の欠片もないな貴様は」

「うがぁぁぁぁッッ!!」

 

 ペルギウスが憎々しげにそう言うと、“挑発”されたと感じたアトーフェは抜刀。両脚に力を込める。

 

「アトーフェ様! 御夫君が定めた盟約をお忘れか!」

「ッ!?」

 

 しかし、吶喊しようとするアトーフェに待ったをかける親衛隊長ムーア。

 最愛にして最強の夫、カールマンの姿が頭に過ぎったアトーフェは、その声を受け即座に突進を止めた。

 それを見たムーアは、安堵のため息ひとつ。

 主の因縁の相手であるペルギウスは、ムーアにとっても敵。しかし、この場においてペルギウスと総力戦を行う意図はない。

 負ける、という気は毛頭ない。むしろ因縁の相手を完殺する気構えは常に備えている。

 しかし、初代北神カールマン・ライバックは、ムーアにとっても唯一無二の存在。敗滅寸前のアトーフェを人族陣営に突き出そうともせず、庇うどころか己の伴侶にしてしまうその度量。

 大切な主君を救われた恩義もあり、カールマンはアトーフェと同様に、ムーアが永久の忠誠を誓う存在でもあったのだ。

 

 そのカールマンの遺志は、最愛の妻アトーフェと親友であるペルギウスとの殺し合いを禁ずるというもの。

 その遺志は尊重されて然るべきものなり。

 もっとも、せっかく()便()に纏まりかけた話を台無しにされてはかなわんという、ムーアの切実な想いもあったのだが。

 これ以上魔王級の流血は避けねばならぬのは、魔族全体にとっても切実な状況でもあった。

 それに、よしんば人界の英雄たるペルギウスを弑逆するような事があれば、今度は人族との全面戦争の危険がある。

 ラプラスという超越者無き今の魔族では、人族との戦争に打ち勝てる可能性は限りなく低かったのだ。

 

「……テメェ、何しに来やがった」

 

 抜身の刀身と己の赤い瞳をギラつかせながら、アトーフェはペルギウスが突然現れた理由を詰問する。

 アトーフェが我慢したのは政治的な理由は一切なく、あくまで亡夫カールマンの遺志を尊重しての事。

 故に、珍しく“話し合い”をしようと、剥き出しの殺意を抑えぬままであったが、ペルギウスへ対話を試みていた。

 

「貴様には関係ない。さっさと余の目の前から失せろ愚か者」

「うっがぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

「アトーフェ様! 抑えてくだされッ!」

 

 もっとも、当の甲龍王は亡き親友との盟約を遵守こそすれ、不死魔王と対話をする気はさらさら無かった。

 

「ペルギウス様」

 

 そうこうしている内にペルギウスの使い魔が一人、光輝のアルマンフィが音も無く現出する。

 その両脇には鉢植えが二つ抱えられており、植えられている植物は当然。

 

「グブ!? ソ、ソーカス草!?」

 

 アルマンフィが抱えるソーカス草の鉢植えを見て、不快魔王ケブラーは狼狽す。

 

「申し訳有りません、地下にいた魔族と戦闘になり……この二つしか確保できず」

「いや、これで十分だ。カロワンテ」

 

 ペルギウスは鉢をひとつ受け取ると、そのまま使い魔の一人、洞察のカロワンテへと渡す。

 カロワンテはそれを恭しく受け取ると、鉢植えをまじまじと見つめた。

 

「株分けは出来そうか?」

「はっ。空中城塞でも栽培は出来ると思います」

「そうか。ならば良し」

 

 使い魔の分析を受け鷹揚に頷く甲龍王。

 その表情は固いままであったが、目的の()()()を達成したのか、言葉尻は満足げなものが伺えた。

 

「な、何故ソーカス草を……」

 

 亡夫の想いが働いているおかげか、アトーフェはいつもの力技を発揮せず。故に、かろうじて主君アトーフェを抑えられているムーアが疑問を浮かべる。

 この場においてソーカス草は、現人鬼と鬼に虐げられた魔族以外にはさして重要な代物ではない。

 なのに何故、いきなり現れたペルギウスがソーカス草を確保せしめているのか。そもそもドライン病とは、七千年も前に根絶した病。その治癒に必須であるソーカス草の効能を、ペルギウスが知り得るはずもないのに。

 そのような疑問を浮かべるムーアに、ペルギウスはつまらなそうに怜悧な視線を向ける。

 

「……貴様らには関係ない。が、一つだけ答えてやる」

 

 そう言うと、ペルギウスは引き連れた使い魔の一人、暗黒のパルテムトへ目配せをした。

 

「貴様らには想像もつかない存在がいるのだ。余はその者との“盟約”を果たすだけよ」

「な、何が」

 

 余人には推し量れぬ言を述べるペルギウス。

 当惑せし魔族共に構わず、ペルギウスは荘厳なる龍声を発した。

 

「パルテムト」

 

 そして、暗黒のパルテムトの能力が発動した。

 

「えっ」

「なにっ」

「なんだぁっ」

 

 さらなる混沌。

 突如戦場を包む暗闇。

 視界を封じられた魔族共は、一様に混乱の坩堝へと叩き込まれる。

 

 だが、それはごく短い時間──数分にも満たない内に、唐突に終わりを告げた。

 

「い、一体何が──ッ!?」

 

 いち早く混乱から回復したムーア。

 周囲の状況を確認するべく、明けた視界にて周囲を見渡す。

 すると。

 

「ペェェルギィウゥスゥゥゥゥゥッッッ!!!!」

 

 再び響き渡るアトーフェの怒声。

 当のペルギウスら甲龍王一行の姿は既になく。

 そして、もう一体。

 

「ハララをどこへやったぁぁぁぁぁッッッ!!!」

「ッ!?」

 

 真っ先に異常に気付いたのは、この場ではアトーフェであった。

 傍らにて失神し果てた現人鬼波裸羅。

 その姿が忽然と消え去る──否、連れ去られた。

 鬼誘拐犯は、アトーフェですら察せた。

 

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

「い、いかん! アトーフェ様をお止めしろッ!」

「あっぶな! ひ、引き上げじゃ!」

「撤退! 撤退ヨ!」

「お主ら妾を置いていくなぁ! 妾魔界大帝じゃぞ! 偉いんじゃぞ! あいだ!? やめんか阿呆ーッ!!」

 

 落着したはずの魔族の饗宴は、再び戦場の如き混沌に包まれる。

 堪忍袋の緒が切れたアトーフェが暴れまわり、此度こそ抑えられぬアトーフェ親衛隊の絶叫が響き、暴威の余波から遁走せんと叛逆魔王軍の必死の撤退戦が繰り広げられた。

 

 

 結局のところ、魔王連合軍による鬼征伐は、甲龍王ペルギウスの乱入により有耶無耶の内に終わってしまった。

 とはいえ、送金先を都度指定していた現人鬼が、以後消息不明となった為、多くの者が迷惑を被る“魔王大借款”は実行されず。

 みかじめ料を徴収される事が無くなった魔王領は、この後数十年は安寧の時を過ごす事となる。

 結果だけ見れば、魔王共の決起は決して無駄では無かったのだ。

 

 

 不死魔王の暴風吹き荒れるリカリス郊外にて、不快魔王ケブラーカブラーがいつの間にか姿を消した事は、誰も気付く事はなかった。

 

 

 

 

「グブ、グブブ……! 甲龍王が出張るとは聞いておらぬぞ……!」

 

 僅かに残った手勢を引き連れ、自領へと敗走するケブラーカブラー。

 何者かに呪詛めいた文句を垂れるその様は、まさしく不快であり、異様な有様。

 配下の異形共も、主君のただならぬ様子に、かける言葉は見つからず。

 

「グブブ……我はもう知らぬ……ソーカス草は()()()()()根絶やしにした……我は務めを果たした……()()の意に沿った……」

 

 不気味にそう呟く不快魔王。

 何者か──いずれかの超常の者に課せられた“使命”は果たしたと、自己弁護めいた言葉を吐く。

 

「グブ……あとはそちらで何とかされよ……」

 

 

「ヒトガミ」

 

 

 不快魔王は、そう呟いていた。

 

 

 

 

 


 

 夢にアイツが出た。

 何もない、白い、白い場所。

 そこで、アイツは──ヒトガミは、開口一番にこう言った。

 

「ね? 言った通りでしょ? ルーデウスくん」

 

 ヒトガミは俺に呆れたような、小馬鹿にしたような……そんな空気を出していた。

 白いのっぺらぼうのような顔は、相変わらずモザイクがかっててよく見えなかった。

 

「君がベガリットに行ったせいで、シルフィエットはああなってしまったんだ」

 

 ベガリットに行く前。ヒトガミは、べガリットへ行けば必ず後悔すると言った。

 でもなんで……なんで、こんな事になってしまったんだ。シルフィが、なんであんな目に遭わなければならないんだ。なんで俺がベガリットに行ったせいで、こんな事になったんだ。

 声を荒げる俺に、ヒトガミはため息をつきながら言葉を続けた。

 

「まあ順番に説明するけど……あのまま君がベガリットに行かなければ、君の弟、ウィリアムがシャリーアに来る。それで、彼は死神と戦い、無事七大列強“武神”になる。そのままミルデット兄弟を弟子にして……ここまではあまり変わらないね」

 

 ヒトガミは続ける。

 

「その後、彼はアリエル王女の配下になるんだ。いつまでも“無職”でいる弟を君が心配して、アリエルに仲介する形でね。ウィリアムの性格からして、兄である君の仲介は断れなかった」

 

 俺がアリエルにウィルを紹介するのか。

 ウィルがナナホシを差し置いてアリエルに付くとは思えないが。

 

「君がシャリーアにいるから、ウィリアムが出会う人々の“因果”が変わった……いや、正しい形になったってところかな。ともかく、程なくして彼はアリエル達と共にアスラへ向かう。アリエルが王権を奪取する為にね」

 

 ヒトガミは続ける。

 

「まああの武神が一緒なんだ。さして苦労もせず、アリエルはアスラの女王となる。そして、ウィリアムはアスラ王国近衛隊長となり、自分の流派を国中に広めるんだ。そのままこのウィリアムはアスラの民草に親しまれ、六十八歳まで生きながらえたとさ」

 

 そうか。ウィルは人生を全うしてたんだな。

 ちゃんと、仕えるべき主君に出会ってたんだな。

 

「君もリニアかプルセナを二人目の妻に迎えて、沢山の子供たちに囲まれて幸せに暮らしていたよ」

 

 あの二人はそういう目で見てないけど、お前が言うならそうなっていたんだろうな。

 でも、それじゃあパウロ達は……転移迷宮に囚われたゼニスはどうなるんだ?

 

「もちろん、両親や妹達も一緒に幸せに暮らしていたよ。君達が行かなくても、君の父親は何とかして君の母親を助けていた」

 

 じゃあ、ロキシーはどうなるんだ?

 ウィルや波裸羅様がいなかったら、ロキシーはあの悪霊に取り憑かれたままじゃないのか?

 

「ロキシーは君達が行かなかったら、確かにあの()()の悪霊に取り憑かれたままだね。でも、それもしばらくすれば解決したよ」

 

 そう言って、ヒトガミは説明を続ける。

 俺が来なかった場合、ギースが迷宮攻略の地図を手に入れる事ができて、その後地図を複製。格安で販売して、迷宮に潜る冒険者の絶対数を増やし、攻略の難易度を下げようと画策したと。

 

「そこで、たまたま神撃魔術の使い手がいるパーティが、君の父親達と同行する事になってね。そのまま、彼らはロキシーと無事に再会し、神撃魔術師が悪霊を除霊するんだ。晴れてロキシーは元通り。君の母親も無事に救出されるって寸法さ」

 

 そんなにうまく行くものなのか。

 

「そんなもんだよ。運命ってのは」

 

 ……運命か。

 じゃあ、どうして……どうして、俺がベガリットに行ったせいで、シルフィがあんな事になってしまったんだ?

 

「一言で言うなら、異界の品物が一箇所に、それも複数が長く留まりすぎたせいかな」

 

 品物?

 それって、ウィルの七丁念仏や不動の事か?

 

「そ。あれらは本来この世界にあってはいけない物なんだ。どうしてこの世界に来てしまったのか僕にもわからないけど……ともかく、ただでさえあってはいけない物なのに、それが二つも一箇所に留まってしまった。あれらが()び水になって、どんどん良くない()()が異界から現れたみたいだね」

 

 それじゃあ、ウィルが……ウィルがシャリーアにいたから、あの鬼達が現れてシルフィが襲われたって事なのか?

 

「そういうことになるね」

 

 ……なんだよそれ。

 

「さっきも言ったけど、君がベガリットに行かなければ、ウィリアムはさっさとアスラへ向かっていたんだ。ベガリットで異界の鎧も手にする事もなくね。七丁念仏だけだったら、異界のものはそうそうこの世界には出現出来ないだろうし」

 

 ……じゃあ、結局全部俺のせいなのか。

 俺が、お前の助言を無視して、ベガリットに行った“因果”ってことなのか?

 

「そうだね。残念だよ」

 

 ……くそ。

 こんな事になるなら、お前の言う通りベガリットに行かなければよかった。

 でも、何で教えてくれなかったんだ?

 こんなひどい事になるなんて、なんで教えてくれなかったんだよ?

 

「教えたら本当に行かなかったのかい?」

 

 行かなかった。

 シルフィがあんな事になるくらいなら、俺は行かなかった。

 

「でも、それだとロキシーと結婚出来なかったよ?」

 

 ……それでも、行かなかった。

 だって、ロキシーは無事に生き延びるんだろう?

 彼女が無事なら、それでいい。

 

「そうだね……まあ君も知っている通り、僕はウィリアムにも助言を与えていた。君がベガリットへ行かないように、君をシャリーアに留めるようにね。結果だけ見たら無駄だったけど」

 

 なんだって?

 ウィルが俺を止めるって、そんな事を助言してたのか。

 

「うん。でも、ウィリアムは間に合わなかった。これは僕のミスだね。一人でさっさとシャリーアへ行くように言えばよかった」

 

 どういう事だ?

 

「君も知ってるギレーヌが途中までウィリアムについて行っちゃったからね。まあ仲良くしすぎて、ウィリアムの到着が遅れちゃったってところかな」

 

 なんだそれ。ウィルとギレーヌってそんな仲だったのか。

 ていうか、なんで俺にウィルの事教えてくれなかったんだよ。

 

「君達兄弟、家族が再会できるのは運命だからね。僕がわざわざ伝える必要はないよ」

 

 ……じゃあ、ウィルにも助言を与えてたって事は、今のウィルにもお前は会えるんだよな?

 今、ウィルはどこにいるんだ?

 

「わからない」

 

 わからないって、お前はカミサマなんだろう?

 何でも見通せる力があるんじゃないのか?

 

「ベガリットの迷宮までは見えてたよ。でも、彼が異界の悪霊と戦った後、急に見えなくなった」

 

 なんで急に見えなくなったんだ?

 

「逆に聞くけど、心当たりはないのかい?」

 

 ……ある。

 ウィルは、波裸羅様の……鬼の血を受けて回復した。

 鬼の血を、身体の中に宿していた。

 

「じゃあそれだね。僕には見えなくなるような呪いが異界の()()にはあるってことだ。あの“龍神”みたいにね。君の“眼”を通してなら存在は見えるんだけど、直接は無理だね」

 

 呪いで見えないってことか。

 じゃあ今のウィルは、生きているのか死んでいるのかもわからないんだな。

 

「そうだね。まあウィリアムが簡単に死ぬとは僕も思えないけど」

 

 同感だな。

 

 ……なあ、ヒトガミ。

 

「なんだい?」

 

 俺の夢に出てきたって事は、今回も俺に助言してくれるんだろう?

 

「そうだね」

 

 じゃあ、シルフィを助けられるんだな?

 シルフィを治せる助言を、お前は与えてくれるってことなんだよな?

 

「そういうことになるね」

 

 頼む。

 シルフィを助けくれ。

 シルフィが助かるなら、シルフィを救えるなら、俺はなんでもする。

 

「ん? 今なんでもするって」

 

 そういうのはいいから早く言えよ!

 

「いや、ただの確認なんだけど。ていうか少し落ち着きなよ」

 

 落ち着いていられるかよ!

 シルフィが死にそうなんだぞ!

 早く助けないと、シルフィが死んでしまうんだぞ!

 

「あのさぁ……君は立場ってのを少し考えてほしいな。僕はこの世界の神様なんだよ一応」

 

 ……すまん。

 いや、ごめんなさい。

 ヒトガミ……ヒトガミ様。

 どうか、どうか……シルフィを助けてください。

 

「……まあ、僕は退屈だから面白いものは見たいってのはあるけど、可哀想なものを見る趣味はないよ。君とは長い付き合いだし、助けたい気持ちもある。でもね」

 

 でも、なんですか?

 

「いや敬語はもういいよ気持ち悪い……なんでもするって事は、どんな残酷な事でもやれるってことだよね」

 

 ああ。

 なんでもする。

 どんな残酷な事でも。

 

「そうか……じゃあ、ルーデウスよ。よく聞きなさい」

 

 はい。

 

「ロキシーのお腹を思い切り殴りなさい」

 

 は?

 

「殴ったらロキシーの下腹部から溢血(いっけつ)が出ます」

 

 お前、何言って

 

「それをシルフィエットに飲ませなさい。そうしたら、彼女を蝕む鬼の爪は跡形もなく消え去るでしょう」

 

 お前ふざけてんのか?

 

真面目(マジ)だけど」

 

 いや、どうしてロキシーの腹を殴らなきゃならないんだよ。そんなこと出来るわけ無いだろ。

 それに、なんでロキシーの血がシルフィを治せるんだよ。

 

「別に殴った後は治癒魔術を使えばいいだけだよ。ロキシー()何の問題もない。それに、君は奥さんのいやらしい所から出た血を集めるのは得意だろう?」

 

 そういう事を聞いているんじゃない!

 どうしてロキシーの溢血がシルフィを治せるか聞いているんだ!

 

「教えてあげる前に、そもそも君はミグルド族についてどれだけ知っているんだい?」

 

 どれだけって……ロキシーの種族で、寿命が長くて、髪が蒼くて、歳を取っても見た目があまり変わらなくて、魔大陸の片隅で暮らしてて、念話が使える魔族だろ?

 

「そうだね。で、君の妻であるロキシーは念話は使えたかな?」

 

 使えない。

 ロキシーは念話が使えないミグルド族だ。

 

「そう。そして、それはとてもとてもレアケースだというのは知っていたかな?」

 

 ……ロキシーのコンプレックスに入り込むつもりは無いから深くは聞いてないけど、かなり特殊だというのは知ってる。

 

「うん。念話の使えないミグルド族はここ数百年、ロキシー以外には現れなかった。それくらい彼女は特殊で、特別なミグルド族なんだ」

 

 そうか。

 で、それが何でシルフィを治す事に繋がるんだ?

 

「簡単に言うと、念話が使えないミグルド族の血……それも不浄とされる女の下腹部からの血は、不治の病すら癒やす万能薬になるんだ」

 

 はぁ?

 嘘だろそれ。

 

「本当だよ。そもそも、何故彼らが魔大陸の片隅でひっそりと暮らしているか考えた事はあるかい?」

 

 ……血を求めた連中の迫害を受けたから、って事か?

 

「その通り。念話が使えないミグルド族なんて傍から見たらわかりっこない。だから、片っ端からミグルド族の女を捕まえて……」

 

 やめろ。

 それ以上は聞きたくない。

 

「あっそ。ま、ミグルド族が虐げられていたのは何千年も前の事だし、今の彼らはもちろん、今生きてる魔族でこの事を知ってるのはほとんどいないんじゃないかな。当然ロキシーもこの事は知らないよ」

 

 いや、でも信じられない。

 人の血が病気を治すなんて。

 

「いや、ミグルド族以外にも似たような話はあるよ。例えば、中央大陸の密林地帯に棲まうチルカ族とかね。彼らは頭に花を生やす植物みたいな種族でね、この花が不治の病に効く妙薬の材料になるんだ」

 

 チルカ族?

 じゃあ、わざわざロキシーを殴らなくてもそいつらを見つければいいんじゃないのか?

 

「残念。彼らはとっくの昔に滅ぼされています」

 

 ……本当に、念話が使えないミグルド族はロキシーしかいないのか?

 

「君、酷な事言うねえ。自分の奥さん以外のミグルド族ならひどい事をしてもいいんだ?」

 

 言うな。

 自分でもわかっている。

 でも、俺は……

 

「いや、気持ちはわかるよ、うん。でもそれも残念。今現在、中央大陸にいるミグルド族は、君の妻であるロキシーしかいないんだ。まあ仮にロキシー以外に念話の使えないミグルド族がいたとしても、果たして魔大陸からシャリーアまで往復している間にシルフィエットは保つかな?」

 

 ……くそ。

 くそっ!

 俺は、俺は……!

 

「……ルーデウス。僕はね、君が助言を無視したのも運命だと思っているんだ」

 

 ……どういう事だ?

 

「君はとても強い運命に導かれているということさ。そして、それは決して悪い事じゃない。現に、シルフィエットを治せるロキシーという存在が、都合よく君の妻になったじゃないか。どちらに転んでも、君が不幸になる事はないんだよ」

 

 ……俺の運命は、とても強いってことか。

 どんなひどい事が起こっても、なんとかなってしまうくらい。

 

 ……ありがとう。

 少し気が楽になった。いや、腹が決まった。

 

「いいんだよ。それに、お礼を言うのはまだ早いと思うよ」

 

 そうだな。

 シルフィが治ったら、改めてお礼を言うよ。

 でも、ロキシーになんて説明すれば良いんだ?

 いきなり殴りかかるわけにもいかないし……

 

「じゃあもうひとつ助言を与えましょう。ルーデウス、ロキシーを問答無用でぶん殴りなさい」

 

 いや、だからそれをするわけにはいかないって言ったんだが。

 

「大丈夫だよ。確かにロキシーは最初は戸惑い、悲しい思いをするけど、それはシルフィエットが治ったのを見たら笑い話に変わるんだ」

 

 本当か?

 ていうか、それなら尚更事前に説明した方がいい気がするんだが。

 

「……事前に説明すると、ロキシーは君を狂人扱いし、そのまま家出しちゃうんだよ」

 

 は?

 ロキシーがそんな事するのか?

 

「あのねえ……いくら治療の為とはいえ、いきなり下腹を殴らせてくれなんて言ってくる夫に、恐怖を覚えない妻なんていると思ってんの?」

 

 ……いないと思う。

 

「だろう? それに、君も言ってたけど、ぐずぐずしているとシルフィエットは保たないよ」

 

 時間が無いのか?

 

「今夜が山だろうねえ。だから僕がこうして出てきたのさ」

 

 今夜が山って、お前なんでもっと早く出て来なかったんだよ!

 

「君になんて伝えるか考えてたんだよ。ひどい事を言っているのは自覚しているし」

 

 ……お前、カミサマなのに、なんか妙に人間くさいよな。

 

「よく言われるよ。でも、その方が親しみが持てると思わないかい?」

 

 親しみは持てるかわからないけど、話し易いとは思う。

 

「そうかい。ま、とにかくこれ以上おしゃべりしている時間は無いってことさ。ルーデウス、目を覚ます時が来たよ」

 

 ああ。

 ロキシーの腹を殴るのは辛いけど、心を“鬼”にしてやってみせる。

 いや、必ずやる。

 シルフィを、助ける為に。

 

「うん、その意気だ。それじゃあルーデウス」

 

 

 

 うまくやるんだよ

 

 

 

 

 

 


 

 ルーデウス邸

 シルフィエット・グレイラットの寝室

 

「……」

 

 ロキシー・M・グレイラットは、ベッドに横たわるシルフィエットの汗を拭いつつ、その肩に食い込む異形を見て眉を顰めていた。

 元々線の細かった肉体は衰弱せしめ、枯れ枝の如き痛ましい様相を呈する。

 なぜ、このような事に。

 最愛の夫、ルーデウスと同じ様に、ロキシーもまた親愛する家族の惨状に、日々忸怩たる思いを抱く。

 そして、シルフィエットの看護、治療法を探すべく駆けずり回り、憔悴するルーデウスの惨状にも。

 

「……シルフィ。必ず治してあげますからね」

 

 肌着から覗く赤黒い肉の盛り上がり。

 突き刺さる“鬼の爪”を見て、ロキシーは悲しげに呟く。

 ロキシーの呟きに応える事はなく、シルフィエットは苦しげに表情を歪ませながら、昏々と眠り続ける

 。

 シャリーア中の医者、治癒術士が匙を投げたシルフィエットの病状。

 肩に喰い込んだ鬼の爪は、肉体内部にて根状の蔓を伸ばし、乙女の臓器を蝕んでいる。魔術はもちろん、手術にてそれの剥離を試みるは困難。無理に引き剥がせば、鬼の根はシルフィエットの臓器を容赦なく断ち、乙女は即死するだろう。これを剥がせる外科技術を持っている医者は、この世界に果たしているのだろうか。

 

「……神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者のに再び立ち上がる力を与えん……『ヒーリング』」

 

 痛ましい様子のシルフィに、ロキシーは思わず、といった体で治癒魔術を唱える。

 淡い光が患部を包むも、それは幾度となく繰り返された、全くの無意味な行いであった。

 

「シルフィ……」

 

 ヒーリングを受けても、シルフィエットを蝕む鬼の爪は未だ深々と白き乙女の肉に食い込んでいた。

 ロキシーはシルフィエットの痩せ細った手を、その少女のような柔らかな手で包む。

 

「早く元気になってください。一緒にルディを支え合おうと言ったじゃないですか」

 

 薄っすらと、ロキシーの目に涙が浮かぶ。

 ぼやけた視界の中、ロキシーは静かに声をかけ続けた。

 

「それに、ルーシーはどうするのですか。母親のいない子なんて……」

 

 そこまで言って、ロキシーは言葉を詰まらせる。

 大切な家族を襲う惨状に、心を痛ませる。

 

 現在、シルフィエットの看護はグレイラット家総出で行っている。

 しかし、家政の柱であるリーリャは、曖昧な状態に陥ったゼニスの介護にかかりきりであり。

 アイシャは、母に代わり家政の全般を担い、更にルーシーの世話に忙殺されている。また、シルフィエットの惨状に加え、ウィリアムが行方不明という状況。時折沈鬱な表情を浮かべるのは、アイシャが見た目以上に消耗している証左である。

 家長であるパウロは、ウィリアムの捜索に旅立ち、シルフィエットの現況を知らない。ギルドを通し一報を送ってはいるが、パウロがこの事を知り帰還するまでもうしばらくかかるだろう。

 ノルンは、魔法大学に通いつつ、毎日学業の終わりにルーデウス邸へ赴き、義姉の看護やリーリャやアイシャのサポートに従事している。大学寮とルーデウス邸の往復、学業の合間に行う義姉の看護。さらに、ウィリアムを失った喪失感はアイシャと同様。可憐な少女もまた、日々消耗し、痛ましい様子を見せていた。

 

 そして、ルーデウス。

 大学を休学し、シルフィエットの治療法を探すべく駆けずり回る日々。

 方方手を尽くしても、シルフィエットは日々衰弱し、死の空気を漂わせる。報われない日々は、ルーデウスの精神を蝕みつつあった。

 もちろん、シルフィエットの実祖母であるエリナリーゼら、魔法大学の友人達、そしてシャリーアで知己を得た人々も、ルーデウスに協力していた。

 しかし、それらもまた現状では徒労で終わっている。

 

「ルディ……」

 

 ロキシーはシルフィエットに対する心配と同時に、夫であるルーデウスの状態も憂いていた。

 あのままでは、何か良からぬ者に良くない事を吹き込まれ、取り返しのつかない事になるのでは。

 そうロキシーが思うほど、ルーデウスの状況は余人が見て“危うい”状況であった。

 

 それに、相談したい事もある。

 自身の体調の変化。

 このような時では、非常に言い辛くもある。

 だが──

 

 

「……あ、ルディ」

 

 ふと、寝室の扉が静かに開けられるのを見て、ロキシーは顔を上げる。

 見ると、ルーデウスが寝室に入って来た。

 

「ルディ。今夜は私が見ていますから、もう休んでていいのですよ」

「……」

 

 ロキシーの問いかけに、ルーデウスは黙したまま。

 薄明かりに照らされたルーデウスの表情はよく見えない。だが、何か思いつめたような空気を纏わせていた。

 

「ルディ……?」

 

 ルーデウスはベッドに横たわるシルフィエットの元へ行くと、その蝋細工のような白い頬を撫でる。

 何かを呟いていたが、ロキシーには聞こえなかった。

 

「ルディ?」

 

 そして、ルーデウスはロキシーへと振り向く。その表情は見えない。

 何かただならぬ気配を感じたロキシーは、立ち上がり、夫の表情を覗き込もうとした。

 

「あ、ルディ」

 

 すると、ルーデウスはロキシーを抱きしめた。

 ぎゅっと、慈しむように──力強く、ロキシーを抱きしめていた。

 

「ど、どうしたのですかルディ」

「ロキシー」

 

 夫の腕の中で少しだけ藻掻くロキシー。

 しかし、強く抱きしめられているせいで、華奢なロキシーでは満足に身動き取れず。

 

「ロキシー……愛しています」

「えっ?」

 

 唐突に呟かれた夫の愛の囁き。

 目を丸くするロキシーは、直後に夫の腕から解放される。

 

「ルディ、一体──」

 

 そして。

 

 ロキシーは見た。

 己の下腹部へ向け、ルーデウスの拳が放たれるのを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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