虎眼転生-異世界行っても無双する-   作:バーニング体位

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地獄篇
第五十一景『(わか)れ』


 

 シルフィが死んだ。

 

 優しくて、綺麗で、何事も一生懸命で。

 

 俺の病気を直してくれて、結婚してくれて、子供まで産んでくれて。

 

 そんな、俺の……俺の、大切なシルフィが。

 

 

 目を覚ます事なく、死んだ。

 

 

 あの後。

 ヒトガミに言われた通り、ロキシーの下腹を殴った。

 みちっと、嫌な感触。未だに脳裏から離れない、嫌な音。

 ロキシーは小さな悲鳴を上げた後、その場で蹲った。

 そして、床に広がる、ロキシーの血。

 

 それを見て、涙が溢れた。

 泣きながら、ロキシーに治癒魔術をかけた。

 ごめんなさい、ごめんなさいと、泣きながら謝った。

 

「どうして……」

 

 ロキシーが掠れた声でそう言った。

 血は直ぐ止まった。でも、床に溜まった血が多くて、ロキシーは立ち上がれず、そのまま震えながら蹲っていた。

 いや……今思うと、ロキシーは恐怖心で動けなかったんだと思う。

 

 俺は涙を拭いて……ロキシーから逃避するように血をかき集めて、土魔術で作った器に移した。

 どろりとした、ロキシーの血。自分がしでかした行為と、自分に対する嫌悪感。そして、ロキシーに対する罪の意識……そして、生々しい血の触感。

 吐きそうになるのを堪えて、俺は血を集めた。

 その後、シルフィの身体を起こして、血を飲ませた。

 抱き起こしたシルフィの身体は軽かった。腕に感じるシルフィの重さは、明らかに死にかけの人間の重さだった。

 

「……ルディ?」

 

 朦朧とした表情のシルフィは、少しだけ意識を覚醒させていた。

 でも、生気が無い。

 

「シルフィ。薬だよ」

 

 急いで血を飲ませる。

 やや強引だけど、ゆっくり……血が肺に入らないよう、ゆっくりと血を飲ませた。

 

「ん……」

 

 シルフィは少しだけ戸惑うような視線を向けていた。

 でも、すんなりと血を飲み込んでいた。

 ……もう、味覚すら曖昧な状態なのだろうか。

 血に対する嫌悪感を出さず、細い喉を上下させて、血を飲み込む。

 

「……」

 

 でも、それだけで体力を使い果たしたのか。

 シルフィは、そのままぐったりと意識を落とした。

 

「シルフィ!?」

 

 慌ててシルフィの顔を覗く。

 すると、浅いけど、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。

 心なしか、肌の血色も良くなっているように見えた。

 鬼の爪はまだそのままだ。でも、腫れが少し引いているようにも見えた。

 

「効いたのか……」

 

 まだ予断は許さないけど、とりあえずは峠を越した──

 俺は、その時はそう思って、安堵のため息を吐いた。

 

「ルディ……」

 

 ロキシーの声が聞こえた。

 俺は直ぐに振り返って、勢いよく土下座した。

 

「ル、ルディ?」

「……ロキシー。訳を聞いてください」

 

 戸惑うロキシーに構わず、俺は滔々と説明を始めた。

 ある神のお告げがあって、ミグルド族の血……女性の下腹部から出た血が、シルフィの治療に有効な事。

 その神は、俺が魔大陸に転移してから、的確な助言を与え続けてくれた事。

 ベガリット行きはお告げを無視して行った事。

 そのせいで、シルフィが鬼の爪を受けて、重篤になった事。

 

「……」

 

 ずっと頭を下げていたので、ロキシーの表情は見えない。

 でも、俺の話を、ずっと黙って聞いていた。

 

「ミグルド族の血が不治の病に効くなんて、俺は信じられませんでした。でも、チルカ族の例もあるし……なにより、このまま何もしなければ、今夜にでもシルフィが死んでしまうって……そうお告げを言われました。だから……」

「……」

「突然こんな事をして、本当に申し訳ないと思ってます。でも、シルフィを救うためには、一秒も無駄にはしたくなかった。ロキシー、許してください……」

「……」

 

 俺の言い訳がましい謝罪を、ずっと黙って聞いているロキシー。

 ヒトガミは、ロキシーは笑って許してくれると言っていた。

 でも、誠心誠意謝らないと、俺は許されない気がした。

 シルフィが快復しそうなのを見ても、俺はまだ漠然とした不安……胸の内に、とてつもなく大きな後悔が湧き上がっていた。

 

 まだ、ロキシーを殴った感触が、手に残っている。

 ……俺は、シルフィを救う為とはいえ、とんでもなく……悍ましい事をしてしまったんじゃないか。

 そう思って、また吐き気がこみ上げてきた。

 

「……ルディ」

「は、はい」

 

 顔を青くさせている俺に、ロキシーは抑揚の無い声を上げた。

 

「少し、疲れたので……申し訳有りませんが、今夜はこのままルディが代わってくれませんか」

「……わかりました」

 

 そう言って、ロキシーは覚束ない足取りで扉へ向かう。

 俺はようやく頭を上げて、ロキシーの後ろ姿を見た。

 

「ルディ」

 

 そして、ロキシーは扉を開ける前に……俺へ振り向いた。

 

「眉唾です」

「え──」

 

 ロキシーは、泣いていた。

 泣いた顔で、俺を憐れむような……そんな、悲しい表情を浮かべていた。

 

「チルカ族の花は不治の病に効く万能薬ではなく……()の特効薬ですよ……」

「そ……そんな」

 

 そう言い残して、ロキシーは寝室に戻っていった。

 

 ……ヒトガミは、何か間違えたんだろうか。

 そんな、呑気な事を考えてた。

 

 俺はこの時は……まだ、シルフィが助かると思っていたんだ。

 

 

 

 そして、朝になって。

 シルフィの呼吸が、止まっていた。

 

 

 

「ルディ……」

「……」

 

 呆然とシルフィの傍らで座っている俺に、戻ってきたロキシーが声をかけた。

 そして、ロキシーはシルフィの様子を見留めた。

 

「シルフィ……」

 

 そのままロキシーは、眠ったように……死んだシルフィの頭を、そっと撫でた。

 

「ごめんなさい……助けてあげられなくて……」

「……」

 

 ロキシーの目から、涙が零れた。

 見ると、目の下にうっすらと隈が浮かんでいた。

 ……あの後、ずっと起きていたんだろうか。

 

「……」

 

 俺は、ロキシーがシルフィを撫でているのを、ぼんやりと見続けていた。

 

 

 

 

 シルフィの葬式をした。

 

「祈り給え、彼の者が安らかに眠らんことを。祈り給え、彼の者が死者の道を踏み外さぬことを。祈り給え──彼の者に、聖ミリス様のご加護があらんことを」

 

 司祭が祝詞を唱えきると、十字を切って手を組み、頭を下げる。

 俺はそれを、ルーシーを抱きながら、無表情で見ていた。

 お墓は、町外れにある貴族用の墓地だった。管理が行き届いているから、シルフィも安心して眠れる。

 本当はブエナ村でお墓を作った方が良かったんだろうけど……ロールズさん達の名前も墓石に入れてあげた方がいいのかな。

 こういうの、誰に相談すれば良いんだろう。

 

 葬儀中、ロキシーは、ずっと沈鬱な表情で下を向いていた。

 抱きかかえていたルーシーは、ずっと泣き止まなかった。さっきミルクをあげたばかりなのに、ずっと泣き叫んでいた。

 ノルンもぐしゃぐしゃに泣きながら、シルフィの遺体から離れようとしなかった。

 アイシャも泣いていた。涙を拭いながら、シルフィの棺に花を手向けていた。

 リーリャも、ハンカチで涙を拭きながら、ゼニスの手を引いてシルフィとお別れをしていた。

 ゼニスは相変わらずぼんやりしていたけど……でも、花を、自分の手で手向けていた。

 パウロは、まだシャリーアに帰ってきていない。知らせによると、ウィルの捜索でバシェラント公国まで足を伸ばしていたらしい。でも、もうすぐ帰ってくるとか。

 

 ……ウィルは、どこで何をやっているんだろうか。

 せめて、義姉の葬式くらいには顔を出してほしいのだが。

 薄情だな、あいつ。

 生きてるのか、死んでるのかも、もうわからないけど。

 

 シルフィに縁のある人達も参列してくれた。

 エリナリーゼが泣き崩れて、クリフが支えていた。クリフはずっとエリナリーゼを支え、慰めていた。

 墓地にシルフィを埋葬する時、ザノバも一緒に棺を運んでくれた。あいつ、本当は一人で担げるくらい力があるのに、俺達家族と一緒に運んでくれた。

 ジュリは、ジンジャーと一緒に、悲しそうな顔で棺を見つめていた。

 そう言えば、どこで知ったのか、卒業後に商人になったリニアも駆けつけてくれた。珍しく、言葉少なく……シルフィの死を、悲しんでくれた。

 プルセナは大森林に帰ったからここにはいないけど、いつか必ず墓参りに来るよう、リニアが手紙を出したらしい。

 そして、皆が俺達……俺に気遣ってくれた。

 

 アリエルとルークも、葬式に参列してくれた。

 ルークは花を手向ける時、シルフィに何かを呟いていた。何かを覚悟したような、そんな表情で。

 アリエルは、シルフィの頬にキスをして……嗚咽を噛み殺して、泣いていた。

 それから、俺を励ますように、「力になります」と言ってくれた。

 ……アリエルは、本当にシルフィの主君であり、友人だったんだなって。そこで初めて実感した。

 ルークも同じ事を言ってくれて、シルフィの同志であり友人だったと、改めて実感した。

 それから、魔法大学の関係者やシルフィの同僚、世話になった街の人達……多くの人が参列してくれたと思う。

 

 シルフィは、本当に死んだとは思えないほど、穏やかで、綺麗な顔をしていた。

 肩に刺さった鬼の爪……本当は、それを外してあげたかったけど、無理に剥がすとシルフィの身体がひどい事になりそうだったので、少し厚めのフューネラルドレスを着せてあげた。

 

 それから、シルフィが埋葬されて。

 俺は、ずっと、この光景が現実味の無いように思えた。

 だって、家に帰ったら、シルフィが迎えてくれて。

 今日も大変だったね、お疲れ様って、俺を労ってくれて。

 ルーシーは元気だね、将来美人になるねって、幸せそうに……。

 

 

 

 

 家に帰っても、シルフィはいなかった。

 ルーシーは泣き疲れて、顔を真っ赤にさせて眠っていた。いや、ルーシーだけじゃない。

 皆、目を腫らして、暗い表情を浮かべていた。

 

「……」

 

 一人、着の身着のまま、リビングでソファに座る。

 そんなだらしない俺を叱る家族は、誰もいない。

 ルーシーはアイシャが見てくれて、他の家族も、皆別の場所にいて、リビングには俺しかいない。

 静かな、我が家。

 

 ……家族が一人減っただけで、この家はこんなにも静かになるんだな。

 そういや、ウィルやパウロもいなかったけど、寂しさを感じる暇は無かったな。

 

「……ルディ、大丈夫ですか?」

 

 ぼうと、宙を眺めてる俺に、ロキシーが声をかけた。いつの間にか、俺の隣に座って、俺の方を向いてくれるロキシー。

 あんな事をしでかしたのに、ロキシーはいつもと変わらず……俺を気遣ってくれた。

 

「……本当、俺って救いようがないですよね」

「ルディ……」

 

 しばらくして、俺はロキシーにそう自嘲した。

 

「得体の知れない神様の言う通りにして、ロキシーにひどい事をして、結局それが全部無意味で……いや、もしかしたら俺が何か間違ってたかもしれないですけど」

「……」

「でも、不思議ですよね。今でも、こうして後ろを振り返ったら、シルフィがいるような気がするんです。だからかな、俺、葬式でも全然涙が出なくて」

「……」

「おかしい、ですよね。俺、シルフィが死んじゃって、凄い、悲しい、はずなのに」

「……」

 

 気付いたら、涙が溢れていた。

 ボロボロと泣きながら話す俺を、ロキシーはずっと、黙って聞いてくれた。

 

「ロキシー……」

 

 無性に寂しくなった。

 それでも、ロキシーは俺の側にいてくれた。

 あんなひどい事をしたのに、ロキシーは俺の側にいてくれている。

 

 シルフィを失った悲しみと、ロキシーへの罪悪感、そして感謝の気持ち。

 思えば、ブエナ村でも、ロキシーは俺を導いてくれた。

 俺が大変な時に、いつも手を差し伸べてくれた。

 

 だから。

 俺は、ロキシーの手を、握ろうと──

 

 

「ヒッ──」

 

 

 ロキシーが、びくりと身体を震わせた。

 見ると、怯えた表情で、ロキシーは俺を見ていた。

 

「ロキシー……?」

 

 ふるふると震えるロキシー。

 どうして、そんな風に怯えているんだろう。

 俺は、涙で濡らした顔で、そう思って、ロキシーを見ていた。

 

「い、いえ、違うのです、ルディ、これは」

 

 弁解するようにそう言うロキシー。

 でも、決して、俺の手を……俺の身体を、触れようとしなかった。

 青ざめたロキシーを見て、俺は……

 

「……ごめんなさい。少し、頭を冷やしてきます」

「あっ……」

 

 俺は、ロキシーを極力見ないようにして、席を立った。

 そのまま、洗面所へと進む。

 

「……ううっ」

 

 こみ上げてくるモノを抑えきれずに、俺は吐いた。

 

「えぅ、えうぅ……」

 

 涙と、鼻水と、ゲロと、胃液と。

 吐くものが無くなっても、俺はずっとえずいていた。

 

「うあ、うあぁぁぁ……!」

 

 情けない声を出しながら、俺は泣いた。

 シルフィが死んだ。もう彼女はいない。

 ロキシーにひどい事をした。もう、彼女は、俺に手を差し伸べてくれない。

 

 耐え難い喪失感。

 シルフィがいない。ロキシーに拒絶された。

 それが、全部俺のせいで起こった、現実なんだ。

 

「うあぁぁぁぁぁッ!!」

 

 俺はそのまま、意識を落とすまで。

 狂ったように泣き喚いていた。

 

 

 

 

 

 

 シルフィの葬式が終わって、一夜が明けた。

 

「……」

 

 俺は、喪服のままベッドに横たわっていた。

 誰かが運んでくれたのか、あのまま寝入ってしまったらしい。

 ……情けない。

 

「……」

 

 身体を起こして、部屋の中を見渡す。

 窓の外を見ると、朝焼け……いや、夕日が傾いていた。

 ああ、俺、夕方まで寝てたのか。こんなに眠ってしまうなんて、前世でニートやってた時くらいだな。

 

「シルフィ……ロキシー……」

 

 当たり前だけど、シルフィはいない。ロキシーの姿も。

 一人ぼっちだ。

 

「……うぅ」

 

 胸が苦しい。喉もカラカラだ。

 唇も、顔もカサカサになっている。

 きっとひどい顔をしているのだろう。

 でも、顔を洗いに、立ち上がる気にはなれない。

 

「うぐっ」

 

 水魔術で、グラスに水を差して、それを呷る。

 喉は潤ったけど、渇きは満たされなかった。

 

 これから、どうしたらいいのだろう。

 ロキシーに、なんて言って謝ったら、許してくれるのだろう。

 ずっと、そんな事を考えていた。

 

「ルーデウス」

 

 考えていると、ドアの向こうから声が聞こえた。

 

「……エリナリーゼさん?」

「起きているようですわね。入りますわよ」

 

 そう言って、エリナリーゼはドアを開いて寝室に入って来る。

 どうしてエリナリーゼが?

 そんな疑問を浮かべる間も無く、エリナリーゼはつかつかと俺の前へと立った。

 心なしか、険しい顔をしている。

 見ると、エリナリーゼは旅装をしていた。

 ……どうしてなんだろう?

 

「ルーデウス」

 

 厳しい声色のエリナリーゼは、じろりと俺を見下ろしていた。

 ……葬式ではろくに話が出来なかった。だから、エリナリーゼが言いたい事も分かる。

 

「……俺は、シルフィを助ける事が出来なかった」

 

 我ながら薄っぺらい贖罪だと思う。

 でも、エリナリーゼは、大切な孫娘が俺みたいな奴に預けてしまったから、死んでしまったと思っているのだろう。だから。

 

「申し訳──ッ!?」

 

 頬に激痛。

 数瞬して、俺はエリナリーゼに平手打ちを喰らったのだと理解した。

 ……そうだよな。引っ叩きたくなるよな。

 大切なシルフィを助けられなかった俺が、許せないよな。

 

「エリナ」

「ルーデウス。ロキシーに何をしたのです?」

 

 もう一度謝ろうとしたら、エリナリーゼは俺の言葉を遮って詰問する。

 呆然とする俺に構わず、エリナリーゼは言葉を続けた。

 

「シルフィは……残念でしたわ。でも、救えなかったのはわたくしも同じ。貴方だけが気に病む必要はありませんわ」

 

 そう言って、エリナリーゼは悲しそうに俯いた。でも、直ぐに顔を上げ、俺を睨みつける。

 

「だから、わたくしはせめて、シルフィが死んだ原因を調べようと思いましたの」

「原因?」

「そう。原因を探り、同じ“被害者”が生まれないようにするのが、わたくしなりの供養だと思ったのですわ。できれば、そのまま原因を“断つ”事も……」

 

 そう言って、エリナリーゼは鋭い視線を浮かべる。

 ……すごいな。葬式が明けてすぐ、こういう行動起こせるのは。

 増々自分が情けなくなる。

 仇討ちなんて発想すら抜けていたなんて。

 でも、そんな気も、正直起きないくらい、やる気が起きなかった。

 

「シルフィはナナホシの研究室で、あの現人鬼と同族と思われる鬼と戦い、傷を負い……死にましたわ」

「……」

「だから、まずナナホシに事情を聞こうと思いましたの。でも、ナナホシはここ数日、研究室どころか魔法大学から姿を消していましたわ」

「……ナナホシが?」

 

 そういえば、葬式にナナホシの姿は無かった。

 あいつ、この間までは俺と一緒にシルフィの治療法を探して駆けずり回ってたのに。

 どうして急にいなくなったんだろう。

 

「正直、わたくしはシルフィが死んだのはナナホシのせいだとは思っていませんわ。でも、何かしら鬼と関りがあるのではと思って」

「……」

「それで、ロキシーと一緒にナナホシの足取りを調べていたのですわ。そこで……」

 

 そこまで言って、エリナリーゼは言葉を詰まらせた。

 しばらくして、エリナリーゼは、ようやく口を開いた。

 

「……ロキシーの様子がおかしいのに気付きましたの」

 

 ああ……。

 そうか。エリナリーゼは……。

 

「最初はどこか具合が悪いだけだと思っていました。でも、体調とは別に、明らかに様子がおかしいと思いましたわ。それで、少し強引でしたけど、何があったか聞いてみたのですわ」

「……それで、ロキシーは何て言ってたんですか?」

「……ルーデウスが怖いと」

 

 息が止まる。

 ロキシーに、怖いと言われた事実が。

 俺は、その事実が受け止められなくて、思考が停止した。

 

「何があったかは具体的には聞けませんでしたわ。でも、ルーデウスが怖いと、ロキシーは泣いていましたわ……それに……」

 

 エリナリーゼは再び言葉を詰まらせる。

 逡巡したエリナリーゼは、さっきよりも重たそうに、口を開く。

 エリナリーゼの言葉。

 それ以上、聞きたくない。

 

「……ルーデウスとの子を、流してしまったと」

 

 そう言ってから、エリナリーゼは唇を噛み締めていた。

 ……何を言っているんだ。

 ロキシーが、俺の子供を、流した?

 何を、言って、いるんだ。

 

「そんな……うそでしょう?」

「わたくしも信じたくありませんでしたわ。でも、ロキシーが身籠っていたのは確かでしょうね。今のわたくしもクリフの子供を宿していますし。色々と覚えがありますのよ」

「そんな……」

 

 信じられない。そんな事、あっていいのか?

 だって、それだと、俺は……。

 

「ルーデウス。ロキシーはまだ貴方の事を愛していると。でも、愛した貴方との子を流してしまった、その事が怖いと。そして、貴方が怖くなってしまったと、ずっと泣いていましたわ」

「……」

「ルーデウス。もう一度聞きますわ。ロキシーに何をしましたの?」

「……俺は」

 

 俺は……俺は……

 

 自分の子供を、殺してしまったのか?

 

「俺は……俺は……」

 

 また、胸が苦しくなる。

 胃がムカムカする。

 動悸が収まらない。

 心臓が破裂しそうになる。

 

 ロキシーが、俺の子供を妊娠していた。

 そのロキシーを殴って、子供を流産させた。

 

「あぁ……」

 

 顔を覆う。

 もう、何も考えたくない。

 今すぐ死にたい。

 この世界から、消えてしまいたい。

 

「……ルーデウス。馬鹿な事を考えるんじゃありませんわよ」

 

 部屋に、エリナリーゼの言葉が響く。

 少しだけ、柔らかい言葉だった。

 

「ルーデウス。よくお聞きなさい」

 

 エリナリーゼは俺の肩を起こして、俺の瞳を覗き込んだ。

 エリナリーゼの瞳に、俺の顔が映る。

 でも、ぐちゃぐちゃしていて、よく見えなかった。

 

「勝手だと思いましたけど、リーリャとわたくしで相談して、ロキシーをしばらく貴方から離す事にしましたの」

「え……」

 

 エリナリーゼは、何を言っているんだろう。

 

「本当はパウロが帰って来てから決めようと思っていたのだけれど、ロキシーは思ったより深刻な状態ですわ。だから、今夜の内に、わたくしはロキシーを連れてシャリーアを発ちますわ」

 

 エリナリーゼはそこまで言ってから、俺を突き放した。

 

「ルーデウス。ロキシーと離れている間、考えなさい。ロキシーへどう償えば良いか」

 

 そして、エリナリーゼは出ていった。

 

 

 俺は、ヒトガミに騙されて。

 それで、シルフィを失って。

 ロキシーにも、拒絶されて、離れ離れになって。

 

 ロキシーの、俺の子供を。

 

 俺が、殺した。

 

 そんな事実を突きつけられて、もう、何も考えられなくなって。

 

「あぁ……」

 

 

 俺の心は折れた。

 

 

 その日は、そのまま、また眠ってしまった。

 

 

 夢にヒトガミは出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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