どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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なんだかんだでガハマさん
強気の愛を①


 ───恋に落ちる瞬間って、どんなものだろう。何度か考えたことを考えてみる。

 曲がり角でぶつかる~とか、一目惚れして~とか、そんな経験は一度もない。

 周りが騒ぐほど恋ってものに夢中になれるわけでもなくて、ただ、あたしにはそういうのは来ないんだろうなー、なんて考えながら生きてきた。

 

  きっかけがあるとすれば、それはとてもすごいこと。

 

 経験したことのないなにかが起これば、きっと自分の中の考え方も一気に消し飛んだりするんじゃないかなーなんて思いながら生きてきた。

 周りに合わせてニコニコ笑って、自分の意見は出せずに、後手に回って話すばかりの日々。

 べつにそれがつまらないって言うわけじゃないけど、なんか……なんかだった。

 

  そういう生き方をしてきて、べつになにか、どうしようもなく引っかかるものがあったわけでもない。

 

 あるとすれば、自分を変えてみたい、自分の可能性ってものを試してみたいって衝動。

 頭がよくないなりに頑張って勉強して、進学校である総武高校に合格して、随分と燥いだものだ。

 なんだ、やれば出来るじゃん!

 そんな気持ちが湧いたのも、たぶんその時だけだった。

 入学式の日にサブレと散歩して、早い時間だからパジャマでも大丈夫かなーなんて暢気に歩いていた。

 注意をしていればもっとなにか出来たことはあったのかもしれない。リードが外れてしまったーとか、離してしまったーとか、首輪が取れてしまったーとか、言い始めたらキリが無い。

 でも現実としてサブレはあたしの手から離れてしまい、道路に飛び出してしまった。

 走ってくる車を前に、逃げるよりも早く驚いてしまい、その場に伏せてしまう姿に悲鳴が漏れかける。

 

  そんな時だった。

 

 今思い出しても、正直キモいって思う声を上げて、視界の隅から自転車に乗った男の子が飛び出してきた。

 

「間ぁあああに合えぇえええええええっ!!!」

 

 本当に、必死の叫びだった。

 迫る車に恐怖も感じないのか、一定の距離に入れば自転車を蹴るように飛びついて、サブレを抱き締めて。

 タイヤがアスファルトに擦れる音が高く響いて……サブレを抱いた男の子も、主人を失って倒れかけた自転車も、車にぶつかって……倒れた。

 

「───」

 

 言葉が出ない

 

    ああ 事故だ

 

  サブレを離しちゃったから

 

 あたしの所為だ

 

     あの制服 総武高校の

 

 今日入学式なのに

 

  あたしが

 

   どうしてこんな

 

「……、あ……」

 

 頭の中がぐるぐると渦巻いているように、放送を終了したテレビみたいにザーって鳴っている。

 そんな中で、車から降りてきた黒服の人があたしになにかを言って、あたしは曖昧に頷いて……覚えているのは“全てこちらで処理します”という言葉くらい。救急車が来て、警察が来て、話をして……震える体でサブレを抱き締める途中、地面に落ちていた学生証を拾った。

 

「比企谷……八幡……くん」

 

 怖いことは怖いと思う。当然のこと。

 あたしは今日、家族を失うところだった。

 けれどそんな恐怖を、見ず知らずの人が救ってくれて───……

 

「……《とくん》───あ……」

 

 きっかけがあるなら、なにかとても大きなこと。

 自分の認識が一気に変わるくらいの大きななにかが起これば……あたしは。

 これが吊り橋効果みたいなものの結果でも構わない。

 こんなどきどきを、初めての感情を、それこそ初めて大事にしたいと思った。

 

 

      ×   ×   ×

 

 

 はっきり言うと、あたしは男子が苦手だ。

 なに考えてるか解らないし、いっつも人の胸ばっか見てるし、うるさいし暴力的。

 だからって女子が好きかって言ったらそうでもない。

 人の前ではニコニコしてるのに、その人が居なくなった途端に悪口が始まる。

 男子にしろ女子にしろ、やっぱりちょっと苦手。そのくせ、独りになるのは嫌だから周りに合わせる。

 そんな自分は……あまり好きじゃなかった。

 でも、そんなあたしにも初めて話しかけてみたいって男子が出来た。

 比企谷八幡くん。

 何度かお見舞いにも行ったけど部屋にまで行く勇気が出せず、ようやく行けたと思ったら居なくて、どこか別の場所に行っているようだった。そうなってしまうと情けない心は“じゃあ仕方ないよね!”と片付けて、さっさと帰ろうと結論付けてしまう。

 一定の時間が過ぎて病院から自宅へ移ると、家にまで行ったんだけど……妹さんに応対されて、勇気が出せずにお見舞いの品と学生証を渡すだけで精一杯だった。

 

(な、なんでこんな恥ずかしいんだろ。べつにさ、会ってさ、ありがとって言ってさ、さよならでいーじゃん)

 

 そうは思うのに、どうしても恥ずかしい。

 そうやってもたもたしている内に直接話せないままに比企谷くんは完治。

 比企谷くんは学校にも来たけど……クラスはもう大半の人がグループを作っていて、一ヶ月近くも休んでいた人を迎えてくれる場所なんてそうそうない。

 結果として比企谷くんは孤立してしまったようで、覗いてみたクラスで見られるのは、彼が机に突っ伏して寝ている光景ばかりだった。

 

(……どうしよ。声かけたいのに)

 

 それから比企谷くんを観察する日々が続く。

 見てて解ったのは、自分から独りで居るように動いていることと…………あと、誰も見ていない場所でとてもやさしいこと。

 誰かが何かを落としたらさりげなく拾ってあげて、渡すのか……と思ったら、気づきやすいところにひょいと置いて離れていく。

 拾った瞬間を見られて、持ち主に引かれたりしてたけど、どうして引いたりするんだろ。拾ってくれたんだからお礼くらい言えばいいのに。……なんかちょっとモヤっとした。

 

  とにかく解ったことは、比企谷くんはやさしいってこと。

 

 それを隠してるのか、それともそういう人なのか、目立った行動は絶対にしなかった。

 

「あ、あのー、由比ヶ浜さん、だよね」

「えっ!? あ、え、と……? あはは、あー……はい」

「いっつもこの教室覗いてるけど、誰かに用? あ、もしかして俺とか? うへへ」

「───……あ、やー、ちょっと気になったことがあっただけだから、お気遣いなくー」

 

 途中、遠慮もなしにじろじろ見てくる男子に声をかけられた。気持ち悪い。

 すぐに話を打ち切って離れると、そのまま教室に戻った。

 ……やっぱり男子ってちょっと苦手。

 

 

  ×  ×  ×

 

 

 たまーに、あたしって馬鹿なんじゃないかなって思う時がある。

 一年経っちゃった。結局直接ありがとうとごめんなさいを言うことは出来てない。

 二年に上がって出来た友達の影響で髪も染めたりしたし、口調もなんだかおかしなものになってしまった。その。語尾にやたらと“し”をつけたり。こう言うのもなんだけど、何語だこれ。

 

「あっ……そろそろ時間───」

 

 今日もバスに乗って学校へ行くため、早めに出るつもりで準備を。……って言っても、総武高校までは徒歩5分程度の距離だ。なのにバス。だって朝だるいし。徒歩五分って近そうに見えて地味に遠いし。そんな気持ちで通う日々。

 楽しいことは……正直、あまりない。誰と会話しても“あーそうかもねー”とかそんな曖昧な言葉しか出せない自分が嫌になる。

 あの時、きっとなにかが変わると思っても、結局あたしはあたしのままだ。

 変わるのも変わらないのも悪くはないけど、悪いところを変えて、いいところだけ変えない自分で居たいと思う。

 そんな、自分を好きになれるきっかけを……たぶん、まだあたしは探してる。

 

『今日最も良い運勢の人は! 6月産まれのあなた! 今日は学校の放課後や仕事場での終了あたりに運命の出会いがありそう! もしきっかけがあったなら強気で攻めよう! 一歩引いた考えじゃなくて、ガンガン押した一歩先の関係を目指す勢いで! 大事なのは“ガンガンいこうぜ”ってくらいの勢い!』

「………」

 

 たまたま、ママが見ていた月占いの声が耳に届いた。

 6月……あたし6月産まれだ。

 なにかいいことあるのかな。

 放課後か……運命の出会いって、もしかして……あはは、ないない。

 でもずうっとこのままっていうのもアレだし…………うん、ちょっと頑張ってみよう。

 え、えーと。ほら。あだ名で呼んでみるとか。ちょっとフレンドリーな感じでさ、勇気だして。せっかく二年になって同じクラスになれたんだし。

 ……うん、ついチラチラ見ちゃってるから気をつけないと。優美子とかたまにツッコんでくるし。

 あー、でも失敗したかなぁ。髪の毛染めちゃったから、あたしだって解らないかも。

 

(ううん、怖気づいてちゃだめだよ。強気強気、ガンガンいこうぜ!)

 

 むんと構えて家を出た。

 運命の出会いかぁ……出会いっていうか、もう出会ってるし、同じクラスなんだけどなぁ。

 そんな考えに呆れを混ぜながら、道を歩いた。丁度来たバスに乗って高校まで進んで、降りる頃は……いつもの自分に。

 校門から昇降口、教室までを歩けば今日も元気に一日を過ごす。

 

「やっはろー!」

 

 さあ、ガンガンいってみよう。

 放課後になにかがあるにしても、行動しないと何も見えないんだろうし。

 

……。

 

 で、放課後。

 ……なんにも起こらなかった。

 あ、あれー……? 運命的な出会いは? あれー……?

 う、ううん、ここでそのまま帰ったらきっとだめなんだ。だから、えっと。そ、そう。誰かに相談するとか。

 誰か? 誰だろ。友達に相談とかは……ややや無理無理そんなん有り得ないし!

 そんなことしたら、途端に笑いものにされて“なに必死になっちゃってんのー”とか言われるし……うん。

 そう。なにをしたいかは決まってるんだ。ただ、それをどうしたらいいかが解らない。

 正直、料理の腕はいい方だと思う。ママが作ってるの、横でよく見てたし。うん。見てた。

 アレンジなんかもしちゃって、もしかしたらママを軽く超えた腕かもしんない。うん。

 だからそれをするにしても……家だとママがいろいろ言ってくるかもだし、だから……えと。

 あ、そうだ! 学校のええっと家庭科室とか借りられないかな! そこでクッキーとか焼いて、比企谷くんに…………比企谷くん。うーん。やっぱりもうちょっとふれんどりぃにした方がいいよね。

 えとえと。比企谷八幡くんだから……ハチくん? はっくん? はーくん? ……いやいやいやいきなり名前側でのあだ名とかレベル高いし!

 比企谷……ひき、……ヒッキー! うん、ヒッキー! 苗字だしそこまで馴れ馴れしくなさそうだし、いいかも!

 よし、今のうちに頭の中で練習しとこ。ヒッキーヒッキー。

 あ、相談するのは誰がいいかな。許可を得るなら家庭科の先生だろうけど、どうせ話すなら話しやすそうな……歳の近い若い人がいいよね。

 それだと───あ、平塚先生。

 

……。

 

 平塚先生に相談したら、特別棟のほーしぶ? ってところに行けって言われた。

 なんかお願いを叶えてくれるんだとか。あれ? 違ったっけ?

 とにかく人気の少ない特別棟の四階の隅っこまで来てみた。

 ……ぽつんとある教室のプレートにはなにも書かれていない。

 特別、扉にも“~~部”とか書いてあるわけでもないし、ほんとに誰か居るのかな。

 おそるおそるノックをしてみると、中から「どうぞ」って声。わっ、ほんとに居た。

 でも中から声がしただけで、ここがほーしぶ? ってことにはならないけど……他に充てもないし。

 

「し、失礼しまーす」

 

 廊下の先をきょろきょろと見渡したあと、誰も居ないことを確認してから身体を滑り込ませるようにして中に入った。

 やーほら、友達に見られたらさ、やっぱ恥ずかしいし。

 でもそんな恥ずかしさもこれで終わりに出来る……と思う。クッキー作って、比企谷く……ヒ、ヒッキーに渡して、ありがとうとごめんなさい。これでおっけー。

 うん、ヒッキー、ヒッキー。大丈夫、ふれんどりぃふれんどりぃ。

 ……なんて、ヒッキーヒッキー考えていたら、入った教室の中にその比企谷くんが居た。思わず心の中で連呼していたヒッキーの“ヒ”が悲鳴みたいに漏れたのは仕方ない。……仕方ないよね?

 

「な、なんでヒッキーがここにいんのよ!?」

「……いや、俺ここの部員だし」

 

 あ。思わずヒッキーって言っちゃった。でもすんなり返事が返ってきた。

 わ、わ、これって結構好感触!? やっぱりあだ名にしてよかったかも! だって比企谷く……ヒッキー、教室じゃ全然喋んないし! それにほらっ、放課後! 運命! 出会い! ……が、頑張らなきゃ、だよね?

 そんな風に慌てていたあたしを、ヒッキーはわざわざ椅子を引いて迎えてくれた。

 ……ほら。やっぱりやさしい。

 なんだか自分だけが知ってるかもしれないヒッキーの一面に、照れが浮かぶ。

 あ、ありがと、なんて返しながら座って、さあいざ…………え? 本人が居るのに相談するの!?

 え、えー……? えぇえー……!?

 

「由比ヶ浜結衣さんね?」

 

 なんかもう状況についてけなくて、ぐわんぐわんと目が回る中で、目の前の人……この学校じゃ知らない人はいないくらいの有名人、雪ノ下さんがあたしの名前を呼ぶ。フルネームで。

 あれ? 初対面だよね? なんてことを考えているうちにあれよと話は進んで……途中、雪ノ下さんがヒッキーを外に出そうとしたけど聞いてもらって、覚悟を決めた。

 

「え、と。クッキーを。クッキーを……手作りクッキーを食べてほしい人が居て……あ、えと、それはついでってゆーかっ……そのー……あ」

 

 強気。そうだ、ガンガンだ。あれ? でもこの場合の強気ってなんだろ。一歩前に出たなんとかーとか言ってたよね。

 感謝したいって気持ちはあるし、ごめんなさいももちろんある。

 でもそれだけじゃなくて、あの日に……一年前に感じて、まだ胸の中に残ってるとくんとくんとした温かさも、もっともっと大きくしたいって思う。

 じゃああたしの一歩はなんだろう。友達になりたいのかな。……うん、そうだ。でもそこから一歩前に出た関係を求めるんだよね。ガンガン。

 じゃあえっとー……親友? んん、なんか違うし。じゃあ───こ、恋人、とか?

 あはっ!? あははっ!? いやいやそれはちょっと行きすぎじゃ───あ、でも前にドラマでやってたかも。

 最初に無理難題をてーじして? 次にそれより簡単なものをてーじすると、受け入れやすくなるーとか。

 ヒッキーって教室じゃマジヒッキーだし、友達になろうって言ったって頷いてくれない。

 だったらいっそ恋人ーとか言ってみて、驚かせてからじゃあ友達にって言えば……わ、これいいかもっ!

 

「こ、告白したい人が居てっ!」

 

 ……あれ? なんか違う。でも一歩前へ! 強気で! そ、そう、強気で行くんだからこれくらいでいいんだよね!?

 

「おい、入部して最初の依頼が恋愛相談とかなんなのこれ、レベル高すぎなんですけど……いやいーだろもう。お前みたいな可愛いやつがクッキーくれて、しかも告白までしたら、相手絶対OKするだろ。むしろ相手に恋人居たら修羅場になるまである」

 

 ……え?

 

「比企谷くん。依頼者を下劣な目で見ないでくれるかしら」

「いやなんでだよ。ただの一般論だろうが。下劣な目で見てもいねーし、べつに俺だって、開口一番に引き篭もり呼ばわりされなけりゃ、見た目だけでビッチだなんて言わねぇっての」

「な、なにそれ。べつに引き篭もりだなんて言ってないじゃん。その、比企谷、だからヒッキーなだけだし……」

「え? 苗字から取ってたのかよ……散々ヒキガエルだの引き篭もり谷だの言われてたから絶対悪口かと思ってたわ…………だったらその……アレだ。……すまん、よく知りもしないのにビッチはひどすぎた」

「ええそうね。なにせ自分で処女だと言」

「だからやめてってば雪ノ下さん!! ……それから、ヒッキー……その、ごめん。ほら、ヒッキーさ、いつも独りだったからさ、あだ名とかで呼べれば話せるかなーとか思っててさ……。あの、ほんとさ、引き篭もりとか、そんなの全然考えてなくて。……ごめんね」

「~~……いや、いーよ。悪意がないことは解ったから。そんで、結局どーすんの。帰るの? それとも帰る?」

「なんで帰る一択しかないの!? か、帰らないし! クッキー作るんだってば!」

 

 気だるそうに言うけど、なんだかんだ話はしてくれる。

 ……なんだ、結構話せるんじゃん。

 

「え? まじで作るの? そんなの家で適当に作ればいいだろ……男なんてお前、アレだよ? どんなに形が悪いもんだろうとコゲたもんだろーと、それが女子からの贈り物だって知れば嬉しいもんだよ? もう心とか揺れまくりで、こいつ俺のこと好きなんじゃね? とか勘違いして告白しそうになるほどだろ」

「さすがの気持ち悪さと勘違いのしやすさね、比企谷くん。まさか経験まであるとは知らなかったわ」

「い、いや、今のアレだから。俺じゃなくて俺の友達のH.Hくんだから」

「あなた友達いないじゃない」

「おいやめろ。居なくてもやめろ。事実でもやめろ」

 

 揺れる……勘違いして、告白……へ、へー……そなんだ。男の子って……そなんだ。

 

「ヒ、ヒッキーも……揺れる?」

「あ? あーもう超揺れるね。渡されたのが俺ならもう告白して振られるまであるレベル」

「振られちゃうんだ!? わ、わー…………あ、えと、ヒッキーはさ、そのー……家庭的な女の子とかって、どう思う?」

「そりゃな、料理は出来るに越したことはないわな。女子の手料理とか男のロマンだろ。で、気づけば塩の量増やされて病気になって殺されてるのな」

「なんで最後に絶対暗い方向にオチんの!? いいよそーゆーの!」

「なんも間違ってねぇだろ……そもそも俺に贈り物とかその時点で怪しい。なにかっつーと話しかけてきてくれて、あれ? こいつ俺に気があるんじゃね? とか思わせておいて、いざ勇気を出して近づこうとしてみれば“そういうのほんとやめてくれる?”って拒絶すんのな……俺の経験が黒歴史で構築されている以上、俺がこれまで以上に傷つくことはまずないのは確かだな」

「やめてよぉ! なんか返答に困るからぁ!」

 

 こんなこと言われたの初めてだ! 周囲に合わせるどころじゃないよ!

 ……でもそっか。ヒッキーが人と関わろうとしないのって、そうやって人に拒絶されてきたからなのかな。

 なんか……解るなぁ。あたしもたぶん、人に合わせようとしなかったら……きっとまともに話も出来ないで、わたわたしてるだけだったと思う。

 だって……どんな話で相手が喜ぶかなんて、解んないし。

 相手に合わせるってことは、相手の言葉のあとに言葉を選んで返事をするってことだから。

 後手に回る自分には、自分の話題が存在しない。だから話題が途切れればケータイいじるし、その瞬間の沈黙があたしは苦手だ。

 だからあたしも……友達、って呼べる人が居たとしても、他人に合わせてるだけじゃ……それで楽しんでいる振りをしているんじゃ、孤独と変わらないのかもしれない。

 

「………」

 

 クッキーを作る。……けど、盛大に失敗。

 ヒッキーに木炭と言われたそれは、確かにちょっと……えと、かなり……うう、すっごく…………うん、木炭、かな、これ。

 言われた通りにやったつもりなんだけど、ダメだ。やっぱり才能ないんだろうね。こんなんじゃヒッキーにお礼も謝罪も言えない。

 悲しくて愚痴をこぼしたら、雪ノ下さんに怒られた。まっすぐに、すっごく鋭く。

 正直引いちゃうくらいに厳しい言葉だった。でも……胸に来た。

 あの日に感じた、自分を変えるなにかみたいに、とくんって。

 ……今なら出来る気がする。自分を変えられる。そう思って、「ごめんね、今度はちゃんとやるっ」と返して腕まくりをした。

 集中しよう。変わるんだ。言い訳ばっかを用意するんじゃなくて、“今時”とか“常識”の盾を作るんじゃなくて、あたしがしたいから作るために───!

 

……。

 

 で、木炭ではなくなったけど、出来たものは雪ノ下さんが手本として作ってくれたものとはまるで別物。

 こんなんで本当に揺れてくれるのかって落ち込んじゃう。

 ちらりとヒッキーを見れば、雪ノ下さんが作ったクッキーを齧って「うめーうめー」って騒いでる。

 うん……ほんとうに、おいしい。勝てないなって思っちゃう。

 でも……信じていいかな。いいんだよね? コゲてても、贈り物なら揺れてくれるんだよね? じ、自信を持って、今出来る最高とかこだわんなくていい、気持ちは込めた。それで揺れてくれるのが比企谷くんなら、あたしは嬉しい。だから───

 

「ヒ、ヒッキー!」

「あん? なんだ?」

「えとっ……これっ! 受け取ってくださいっ!」

「………………………………………………へ?」

 

 焼きたてのクッキーを皿に移して、ヒッキーの前に突き出す。

 顔が熱い。がらじゃないけど、たぶん顔真っ赤。で、でもガンガンいかなきゃだし、それに、雪ノ下さんにも怒られたし。周囲に合わせてたんじゃ一歩も進めない。変わるなら、変わりたいなら、道を変えるなら……今なんだ。

 

「え、や、え? あ…………俺?」

「お、遅くなってごめっ……ごめんなさい! あの時、サブレを助けてくれてありがとうっ! 怪我させちゃってごめんなさい!」

「……? たすけ……怪我……? って、───お前」

「ヒッキー……比企谷くんはあたしのことなんか覚えてないかもだけど……あの時、サブレ……犬を助けてもらった、えと、飼い主で……ゆ、由比ヶ浜結衣っていいます!」

「いや、名前はさっき雪ノ下が言ってたから知ってるが…………そっか。お前が」

 

 顔が熱い。頭が上手く回ってくれない。次なんて言おうとしたんだっけ。

 えと、えとーえと。

 

「びょっ……病院にも何度も行って、家にも菓子折りとか学生証持って行ったんだけど……会う勇気が出なくて……。いつか、いつかってずっと比企谷くんのこと見てて、あ、ヘンな意味じゃなくてっ!」

「お、おう……」

「それで……あの……」

「……はぁ。まあその、なに? べつにお前の犬だから助けたとかじゃないし、見てたっつーなら解るだろうけど、べつに普通に入学したところで俺はぼっちだったよ。だからな、あー……由比ヶ浜。お前が気に病む必要まったく無しだ。俺の中じゃ完結してるんだよ」

「あ、ううん、ぼっちなのは関係ない」

「関係ないのかよ。つかそれ言っちゃうのかよ!」

「だって比企谷くん、自分で人のこと遠ざけてたから、それは違うんじゃないかなって思ってたし。……それでも、うん。やっぱり自己満足なんだろうけど、ごめんなさいだよ」

「……おう、許す。これで満足か? けどな、そういうやさしさは……いらない。ぼっちのことが原因じゃないにしたって、俺を見て思うことがあったからこうしてクッキー焼いたんだろ? だったら───」

「!」

 

 あ、これ嫌な空気。よくないのがくる。

 だめだ、言わせちゃだめ。

 一歩……一歩! 強気で! 最初にとんでもないこと言ってから、と、友達にって!

 

「ず、ずっと比企谷くんのこと見てました! あたしの恋人になってください!」

「そんなものはいら───へ?」

「───…………由比、ヶ浜……さん?」

 

 ……言った! これ以上ないってくらい、慌てて間違えたりもせずに!

 ど、どう!? 比企谷くん、どう!? こっちは断られても次の言葉だって用意してるんだから! 友達になろうって! ふふーん、さあどっからでもかかってきなさーい!

 

「え、あ、いや……え? あの……え? いやいやっ……え? こいっ……え?」

「…………いえ、その。───あ、ああ……っ、そういう……でも、なんていう……はぁ……」

「あ、あ、あー……そそそそそういうこと、ね? で、これなんの罰ゲー───」

「比企谷くん。それ以上言うことは許さないわ」

「ム……って、雪ノ下?」

「ゆ、雪ノ下さん?」

 

 なんか、はぁあって長い溜め息を吐きながら眉間を押さえてた雪ノ下さんが、比企谷くんを止めた。

 罰ゲー……? あ……もしかして罰ゲームで告白させられた、とか思われちゃったのかな。だったら……ちょっと悲しい、かな。

 

「私たちは、少なくとも由比ヶ浜さんの依頼をきちんと受けた上でここに立っているわ。私は承諾して、あなたも頷いた。さて、比企谷くん? 依頼内容はなんだったかしら」

「なにって。クッキー作って相手に贈って相手の心を揺さぶるんだろ?」

「違うわ。ひとつ抜けているわよ」

「抜けてるって…………ぅぐお」

 

 おかしな声が比企谷くんの喉の奥から漏れた。

 それからわなわな震え出して、絞り出すみたく言う。

 

「こ……告白したい……って……」

「ええそう。そういう依頼だったわね。そして、贈られたのも告白されたのもあなたでしょう? 罰ゲームではないわ。それともなに? あなたは散々と罵倒されても真っ直ぐに人にやり方を教わる姿勢までを否定して、“それは勘違いだ”だの“罰ゲームだ”だのと言うつもり?」

「………」

 

 ……あれ? なんだかおかしな空気になってきた。

 えと、驚かれて、いくらなんでもいきなり恋人はーとかそういう空気になって、じゃあ友達に~って……あれ?

 ……でも、胸のどきどきはどんどんと大きくなる。とくんとした小さなものだったのに、今はうるさいくらいだ。

 そして、あたしはその先を……心のどこかで期待していた。

 

「……由比ヶ浜」

「ひゃ、はいっ」

 

 いきなり呼ばれて噛んだ。泣きたい。

 

「ひとつ、訊きたい。あの、な。正直疑ってるし、お前みたいな可愛いやつが俺に告白とか信じられない。けど、信じるにしたって常識的じゃないだろ。お前はトップカーストで、俺は最底辺だ。たとえ俺がここで頷いて、お前が本当に恋人になってくれたとしても、そんなの……生徒も先生も大好きな“みんな”が否定に走るだろ」

「───……」

 

 みんな。普通に聞いてればいい言葉。孤独じゃない、集団の言葉。

 でも、そこにある悪意を、あたしも知ってる。

 だって、あたしもそれに合わせてきたから。そこにあたしは居なくて、みんなの中の一人でしかない。

 みんながそう動いたらそう動くしかなくて、それで苦笑いを浮かべたことなんて何回あるだろう。

 カーストにしたってそうで、これのお陰で男子がやたらと絡んでこなくなったのもありがたいって部分もあるけど……トップだどうだって話の所為で、女子からのやっかみがなかったわけじゃない。

 女子カーストのトップは優美子だ。友達がトップだから、安心していられる部分も当然ある。

 でもさ。だけどさ。その所為で……話したい人とも話せないルールに、どんな楽しさがあるのかな。

 あたしが話したい人は、本人が言う通りカーストで言っちゃえば底辺なのかもしれない。

 でも、話したい人はその人なんだ。上位だとか底辺だとかそんなん関係なくて、その人なんだ。話したいのに話せないなんて、口と耳がある意味がないじゃん。そんなルールこそ常識的じゃない。

 だから───だからあたしは。

 

「あのね。あたしが話したい人は、いっつも独りでいるんだ。休み時間は一人でイヤホンつけて机に突っ伏しちゃうし、お昼はいつの間にか居なくなっちゃって、どこに居るかも解んないし。趣味もなにも解んないし、たまに本読んでたらニヤッて笑ってキモいし」

「おい、俺のキモさは関係ねぇだろ」

「比企谷くん黙りなさい」

「え、えー……? 俺が悪いの……?」

 

 でも。でもだ。でもばっかだけど、でもだ。

 

「でもさ、それでもさ。周りが底辺だーとかトップだーとか言ってもさ。あたしが話したいのはヒッキーなんだよ。それこそさ、“みんな”が決めたカーストなんて関係なくてさ。そりゃさ、ルールは必要だよ? あたしだってカーストに守られてる部分もあること、知ってるし。でもさ……そこに話したい人と話せないなんてルールがついてくんならさ……あたし、そんなのいらない」

「……!」

「だから、さ……ヒッキー。あたしと……」

「……、……俺で、いいのか? 絶対後悔するぞ? だってさ、俺、ほら……せ、席替えで……隣になったってだけで……女子に泣かれて」

「……うん」

「少しやさしくされりゃ勘違いして、告白まがいのことして……みんなに言い触らされて……それで……」

「……うん」

「女子が……俺にやさしくするわけないって……わ、解ってて……こんなのは勘違いだって……決め付けて……」

「うん……えっと。勘違いでも、きっと始まりなんじゃないかな。あたしはまだまだヒッキーのこと知らないし、ヒッキーも……あたしのこと知らないんだよね。だからさ、知っていけばいいよ。これからなんだしさ、ね?」

「…………」

「比企谷くん? 女の子にここまで言わせておいて返事さえしないなんて、男としてどうかと思うわ」

「ぐっ……うるせぇよ……! 今、今…………俺……今……ッ……くそっ……!」

 

 え……? あ……比企谷くん、泣いてる……。

 右手で胸のあたりを押さえて、泣いてる。

 

「由比、ヶ浜……」

「へやっ!? は、はいっ!」

 

 ゆい、で一瞬途切れたから、名前で呼ばれたかと思った。

 前に男子が急に呼んできた時は嫌悪感が凄かったのに、比企谷くん相手だと全然だ。

 ……あれ? あたし、本当に……

 

「いきなりで、胡散臭いかもしれない。調子がいいって笑って、傷つけたまま振ってくれても、お前にならいいから……───お前が好きだ。好きに、なった。俺と……付き合ってください」

「───……」

 

 とくん、が。どくん、になって。また……とくんになった。今度は、静かなのにすっごく響いた。

 心が痺れるみたい。顔に溜まってた熱がすうって溶けて、ただ……うん。ただ、やさしい気持ちが溢れてくる。

 まだ本当に好きかどうかも定かじゃないんだと思う。でもさ。うん。でもだよね。

 こんな風に真っ直ぐに気持ちをぶつけられてさ。嫌じゃないどころかやさしい気持ちになれるならさ。ほら。もう、あれじゃないのかな。

 だから頷いた。頷いて、もう一度、ちゃんと告白した。

 そしたら比企谷くん、ニタァって笑って、直後に雪ノ下さんに気持ちが悪いって言われて落ち込んでた。

 うん、あれは確かにキモい。でも、ずっと見てきたから解ることもあるんだ。

 

「ね、ヒッキー。ヒッキーはさ、孤独な自分、かっこいいって思ってるとこ、あるよね?」

「ぐっ……な、なに? お前ら二人して俺のこと───」

「答えて、ヒッキー」

「……あります」

「うん。それじゃさ、その、えーと……ニヒルってのかな。そんな自分を忘れて笑ってみて? たぶんさ、ヒッキーはカッコつけようとしなきゃ、もっとずうっと格好いいから」

「おい。かっこつけたらカッコワルイってすげぇ傷つくんですけど。なにその例を見ない抉り方」

「ね? やってみて?」

「……お、おう」

「早速尻に敷かれてるわね、敷かれ谷くん」

「うるせ。えーと……こ、こうか?《ニタァ》」

「ヒッ!?《ビクゥッ!》」

「……おい。おいやめろマジで。雪ノ下、お前どこまで俺のこと傷つけりゃ気が済むの? 今本気で怯えただろおい」

 

 むすっとするヒッキーの頬を掴んで、あたしと目を合わさせる。

 その目は腐ってる。うん、お世辞にもいい目とは言えないけど、たぶん、原因は比企谷くんだけの所為じゃないんだよね。

 

「ヒッキー。嫌なことは思い出しちゃだめ。格好いいって思ってる自分も、思い出しちゃだめ。別のことなんか考えないで、なにかに集中して笑ってみて」

「……由比ヶ浜」

「うん」

「………」

「………」

「───……、……───《ザクッ、ジャリボリ、ガリッごくんっ!》」

「あ……」

 

 ヒッキーは、受け取ったクッキーを口の中に放り込んで、ザクザクジャリバリといろいろな音を鳴らしてから飲み込んだ。

 そして、まっすぐにあたしを見て……

 

「……ん、わかったよ、由比ヶ浜《ニコッ》」

「!?」

「あ……ヒッキー……!」

 

 笑った。すごく、綺麗な……やさしい笑顔だった。

 本人は気づいてないみたいだけど、そこからは信頼の色が見て取れた。こう……なんてのかな。安心出来る空気。好きな空気だ。

 わ、わー……わー……! すごい、なんか胸のどきどきがすごい。だってあんなの反則だ。あんなの間近で見せられちゃったら……!

 ……あ。なんか雪ノ下さんがすっごく動揺してる。うん、そりゃ、あんな笑顔見せられちゃったら、今までのー……ク、クール? な様子とか全然思い出せなくなっちゃうし。

 

(あ)

 

 そんな笑顔を見たから、思いついてしまった。

 ヒッキーが遠慮するのは自分が最底辺って思われてるからだ。

 だったら……引き上げてしまえばいいんじゃないだろうか。ヒッキーが嫌がらない程度まで。


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