どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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お題文字列劇場②

お題/大

 

 とある日の休日。

 平塚先生が部屋を大掃除したいとかで、なんでか奉仕部員が招集された。

 ラーメンを奢るから頼むと言われたとはいえ……

 

「部員が来る以上、部長が欠席というわけにもいかないでしょう……」

「ラーメンに釣られたわけじゃないのか」

「べっ……! べ、べつに、そういうものに憧れがあるというか、そういう意味では……ないわ」

「ゆきのんっ、ラーメン楽しみだねっ!」

「~~……だから、違うと……!」

 

 俺は純粋に楽しみだが。

 なにせ平塚先生が紹介してくれるラーメン屋、今までハズレがなかったし。

 そんなわけで大掃除を始めた俺達だが───

 

「うわー……おっきな時計……!」

「うん? ああ、それはうちのじっさまが残した年代ものだ。数年前は私もこれを見上げ、大きなのっぽの古時計を歌ったものさ」

「数年前?」

「言いたことがあるなら歯を食いしばれ、比企谷」

「ひ、ひやっ……なんでもありゅませんっ……!」

 

 歯を食いしばったら喋れません、サー。

 と、話題に出たように、大掃除の最中に大きな古時計を見つけた。

 まだ時を刻んでいる。今はもう動かない、なんてことはないらしい。

 

「じっさまのお気に入りでな。そのくせ私が実家を出る時になったら持っていけと押し付けて来た。なんでも古い神様が宿っている、なんて言っていたが」

「へー……! どんな神様なんですかっ?」

「縁結び」

「え?」

「……縁結びだ」

「…………」

「…………」

「…………」

「よし目を逸らしたヤツ、歯を食いしばれ」

「全員じゃないっすか!」

「平塚先生、さすがに横暴がすぎます。ここは比企谷くんが引き受ける方向で」

「なんでだよ!」

 

 そんな悶着をしつつ、掃除も再開。

 由比ヶ浜がきらきらした瞳で古時計を見上げて、ちらちら俺を見ていた。

 

「由比ヶ浜、サボるなら俺と代わってくれ。掃除とかまじめんどい」

「さ、サボってるわけじゃないったら! ヒッキーじゃあるまいし……!」

 

 ぷんすか。

 はぁ、と溜め息を吐くと、急に古時計がボーーーン、ボーーーンと大きな音を高鳴らす。

 

「っ!?《びくぅっ!》」

「由比ヶ浜!?」

 

 その音に驚いた由比ヶ浜が飛びのくのだが、運悪くそこにバケツがあり───さらにその後方にはあとで纏めて捨てようと集めておいた硬く尖った機材などが。

 あのまま倒れたらまずいと本能が叫び、体勢も整わないうちに床を蹴り弾いていた。

 必死に駆け、速度が乗り切る前から姿勢を低くして飛びつき、機材に体をしこたまぶつけようが、意地でも由比ヶ浜を抱き留めた。

 

「ぐあああっつぅうっ!!」

「あっ……ヒッキー!?」

 

 由比ヶ浜は助けた……が、ぶつけた二の腕が痺れ、視界が点滅するくらいの強打。

 痛みに動けなくなり、体が強張るため、自然と由比ヶ浜を強く抱き締めるようなかたちになってしまい……謝りながらも、しばらくは動けなかった。

 

「ヒ、ヒッキー! ヒッキー! ごめんっ! ごめんねっ!? 大丈夫!? ヒッキー!」

「~~~っ……だい、じょうぶだから……! お前のほうこそ、大丈夫か……!?」

「う……うんっ! うんっ! ヒッキーが守ってくれたから……! でも、でも……!」

 

 っ……ぉおおおおお……!! 痛ぇえ……! 痛い、痛すぎて動けねぇ……!

 あ、でもいい匂い……でも痛ぇえ……!!

 だ、大丈夫かこれ、骨とかイってない?

 息が止まるほどマジ痛いんですが……!?

 

「~~……っかし……! なんだっていきなり鳴ったんだ、この時計……! なにか、決まった時間ってわけでもねぇだろ……!」

「う、うん……半端すぎて、おかしなくらい……で……~~……ひっきぃ……ひっきぃい……」

「ああもう、泣くな、泣くなって……。無事だったんだから笑っとけよ……」

 

 相変わらず、他人ばっかり気にするやつだ。俺のこと気にして泣くくらいなら笑っとけよ。

 ああでもまじ無理、今本気で動けないくらい痛い。

 

「悪い……言っといて格好悪ぃけど、痛くて動けねぇ……! 俺に抱き着かれるとかキモいだろうけど、許してくれ、本気で痛ぇ……!」

「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!? あ、あぁあ……ヒッキーが……またあたしの所為でヒッキーがぁあ……! ごめっ……ひぐっ……ごめ……!」

「……泣くなって。泣いてほしくて助けたんじゃねぇよ。どうしたいからとかそういうのより先に、勝手に体が動いたんだ」

 

 苦しそうに泣く由比ヶ浜の姿が、いつかの公園で泣く小町の姿と重なった。

 なんとか動かして頭を撫でる。泣き止んでくれと願いながら。

 そんな手を掴んで、由比ヶ浜はごめんね、ごめんねと余計に涙した。

 

「はぁ、わーった。じゃあこの借りはいつか必ず返してくれ。それで許すからもう泣くな」

「ぐすっ……ひっきぃ…………うん……。《ぐしぐしぐしっ》……な、なんでも言ってっ! あたし、頑張るからっ!」

「なんでもって……あのなぁ、女の子が男に対して、んなこと言うもんじゃねぇよ。んじゃなにか、今俺がここで中学の時みたく、俺と付き合ってくださいとか言ったらどうするつも《ちゅっ》ふぐっ!?」

 

 一瞬だった。

 避けようとか考える以前に体が動かないのだから無理としても、まさか。

 気づいた時には唇を奪われていて、しばらく硬直。

 我に返って押しのけようにも体が動かずされるがまま。

 由比ヶ浜はそのまま、本当に愛しい人に長く長くするようなキスを俺にすると、ぷあ……と離れ、潤んだ目で俺を見つめた。

 

「そんなの、償いじゃないよ……! あたし、ずっとヒッキーのことが好きだったんだから……! だから、もっと……あたしに出来るなにか……!」

 

 痛さとキスへの驚きで余計に動けなくなっていた俺へ、さらに動けなくなる爆弾発言。

 好き? 好きって……俺を?

 ちょ、ちょっと待て、初耳なんだが!?

 あ、いや、でもそれっぽいアプローチは確かにあった……あったな、かなりあった。ありすぎた。気づかない方が頭がおかしいまである。

 ぐ、ぐおぁあ……! 顔、あっつ……!

 ちょ、待ってくれ、頭の中の整理が追いつかない。

 おいちょっと? 時計さん? 今こそ音を鳴らしてこんな状況をリセット───……

 

「………」

「ひっきぃ……?」

「……時計」

「え……? …………あ───」

 

 ふと見た大きな古時計。

 さっきやかましく鳴り響いたばかりだというのに、その振り子は止まり、すべての機能を停止させていた。

 

 ……のちに、平塚先生や雪ノ下に訊いてみると、時計の鐘の音なんて聞こえなかったという。

 あれだけ大きな音だったというのに、聞こえない筈がない。

 しかし現に二人はこの部屋に訪れず、どころか平塚先生も、時計の鐘の音なんてずうっと聞いたこともなかったという。

 なにがどうして急に鐘が鳴り、俺と由比ヶ浜にだけ聞こえたのかは───

 

「……縁結び、だったんかね」

「? ヒッキー?」

「んにゃ、なんでもない」

 

 考えるだけならタダだ。

 溜め息を吐きつつ、病院から出た俺は、今日も“結衣”に付き添ってもらっている。

 あの事故以来、付き合うことになった俺達は、まあ確かに……縁を結んでもらったのだろう。

 おそらくは“恋人が欲しい”とか“結婚したい”とかではなく、既に好きな人が居て、相手も少なからず意識している相手との縁を結ぶっていう、条件付きの気の利いた神様によって。

 でも痛いのは勘弁してください。

 とか思ってたら、“今まで泣かせたり傷つかせたりした罰だ”と……そんな声が聞こえた気がした。

 わーお、神様ったらよく見てる。

 苦笑をもらすとともに、じゃあこれはしゃあない、自業自得だと諦められた。

 代わりに、自分を真っ直ぐに想ってくれる恋人が出来たわけだし。

 

 

 

お題/好

 

加藤チェン「(ハオ)

 

 ではなく。

 好き。

 それは物への感情から人への感情、食べ物でもゲームでもなんでも、好きと呼べるものは大分あると思う。

 しかし人への感情はなかなかどうして、簡単に口に出来るものではなく。

 迂闊に口にすれば言い触らされ、たとえば言い触らされたのが中学ならば、卒業まではずうっと十字架を背負うような生活を強いられことになる。

 恋をするのは素晴らしいと誰かが言ったな、ありゃ嘘だろ。

 報われないものに心を燃やして踏み込んでみても、多感な頃の青春を自分で潰すだけだ。

 なのでこれからも同じ学校に居る内に告白とか、自殺行為に等しい。

 噂のひとつでも流れればあっという間に広がるのが、世界ってもんだ。

 俺が告白したなんてことになればあっという間に笑い者。

 どこぞの美人が告白してダメだったとなれば、あんなやつに告白したんだと見下される。

 

  さて。

 

 前者ならまだいいが、いやいいのかよ。

 まあいいとして、後者はさすがに美人さんが可哀相ではなかろうか。

 見下されるような相手に告白、っていうのもまあ信じられない話だが、恋する乙女ってのは見た目よりも内面に惹かれることが多いと聞く。

 ちなみに俺は外も内もアレであると自称出来る。

 およそどうあっても“イケてるメンズ”とはいえないだろう。

 なので俺が告白なんぞされる心配をすること自体、世界の在り方としてまちがっている。

 

 ……そんな風に思っていた時期が、俺にもありました───

 

 

───……。

 

……。

 

 その日は随分と平凡で当たり障りない……いやなんか事故りそうなフラグを立てちゃいそうだからこの言い回しは無しな。

 ともかく普通の一日だった。

 午前の授業を終え、さてメシだとベストプレイスに向かい、パンを食む。

 うんウマい。なんというかいかにもパンって感じのパンだ。

 一緒に飲むマッカンがまたいいわけだが…………うーん、これはどこまでいってもパンだぞ。

 などと、マジで孤独で孤独のグルメの真似をしていたわけだが。

 段差に腰掛ける俺の隣に、すとんと座る誰かさん。

 ちらりと見れば、由比ヶ浜だった。

 

「ん……どした?」

「うん。今日ゆきのん休みらしくて。奉仕部も開いてないし、また教室に戻るのもアレでしょ? そしたらヒッキーのこと思い出して、居るかなーって」

「ほーん……そか」

「ん、そだ」

 

 では、と。由比ヶ浜は弁当を包むハンカチを膝の上で広げると、いただきますと言って蓋を開けた。

 

「………」

「………」

 

 ……。

 

「………」

「………」

 

 ……えーと。

 

「なぁ。由比ヶ浜」

「う、う……うん……ひっきー……」

「俺にはそれが……どうにもアレに見えて仕方がないんだが」

「うん……あたしにも、アレに見える……」

「………」

「………」

『たくあんだこれーーーっ!!』

 

 たくあんだった。

 たくあんだけが入っていた。丸ごと一本。

 

「え……え? なにこれ……え? ママ……え?」

「お前ママさんになにやったのちょっと……どうすればこんな、俺でもされたことがないような弁当の内容になるっての……」

「し、知らないよ!? あたしべつにママと喧嘩とかしてないし!」

「…………じゃあ、まさか……お父さんが何か、喧嘩みたいなことして、間違えて詰めた……とか?」

「あ……そういえば昨日、ママが“パパが結婚記念日忘れてた”……って」

「………」

「………」

「その……あれだな、おう……あれ……。ゆ、雪ノ下が休みでっ……そのっ……よ、よかった……な?」

「…………ウン……ソウダネ……《ずぅうううん……》」

 

 学校で、家族じゃない人の夫婦喧嘩の一端を垣間見てしまった……!

 なにこの気まずい空気……! かつてない……! かつてなさすぎてツライ……!

 

「あ、あー……たくあん丸ごと食う趣味なんてないだろ? ほれ、俺のパンやるからそれよこせ」

「え……ヒッキー? でも───」

「もう俺は一個食べて、結構腹は満たされてるんだよ。ほれ」

「ヒッキー…………うん、ありがと。ごめんね」

 

 たくあんと惣菜パンを交換した!

 …………うん、たくあんだ。実にたくあん。

 まいったな……こりゃあどこまでいってもたくあんだぞ。当たり前だけど。

 ひどいや母さん……! たくあんは嫌いだって……! あれほど言ったじゃないかぁあああっ!!

 とでも言えばいいんだろうか。

 まあいい食おう。

 

「…………《カリョリョリ……コリポリ》…………」

 

 たくあんだな。

 たくあんだ…………正真正銘たくあんだよ……。たくあんすぎて辛い……。

 

「…………《はむはむ》」

 

 由比ヶ浜は申し訳なさそうに俺を見ながらパンを食う。

 俺、そのままカリッポリッ! ……やだ、なんかベビースターラーメンのキャッチコピーみたい。

 そしてやっぱりどこまでいってもたくあんだ。

 しかしたくあんだけってスゴイ喉乾くな。

 マッカンが進むわ。

 

「ンンッ!? ん、んくっ……んぅうっ……!」

 

 ……ホワ!? え!? おいちょっと!? まじか、ガハマさんたら喉つまらせやがった!

 こっちばっか見て食うからだ! えーとえーと飲み物───ぐっは俺のマッカンしかねぇよ! 間接キス───なんて言ってる場合か!

 

「由比ヶ浜! 飲め!」

「……!」

 

 なりふり構っていられない。

 マッカンをほれと渡すと、一瞬躊躇はしたものの、由比ヶ浜はそのままぐっと飲み始めた。

 何故か両手で大切にするように掴み、ぐーっと。

 それで上手く流れてくれたのか、涙を滲ませながら、はー……と溜め息を吐いた。

 

「大丈夫か?」

「う、うん……なんか……ごめんねヒッキー。あたしこんなんばっかだね……」

「気にすんな。とりあえずたくあんを恨んどけ」

「うん……結婚記念日なんて大切なこと忘れてたパパのこと、恨んどく……」

「おー、そーしろそーしろ」

「うん……」

「おう」

「………」

「………」

 

 こりぽり……はむはむ……。

 

「……ねぇ」

「んー……?」

「ヒッキーだったらさ、そういう……その、えと。奥さんの……奥さんとの記念日とか、忘れない?」

「そりゃ当たり前だろ。専業主夫は常に嫁さんのご機嫌伺いが仕事だ。いかに相手の機嫌を損ねずに───」

「専業主夫は置いといて」

「なんでだよ……あ、あー……まあ、そうな。家族以前に、恋人とか出来りゃあ記念日は忘れねぇよ。恋人以前にほれ、前にあっただろ、一色の誕生日覚えてたアレ。ああいうの、案外忘れない性質なんだよ。だから、恋人だとか嫁さんだとか、大切だって思えば思うほど忘れねぇよ」

「…………じゃあ…………さ。も、もしヒッキーのことが好きな子とかが居たら……」

「おう、名乗り出て本当に好きでいてくれるってんならもう生涯尽くすね。専業主夫はダメとかいうが、そもそも尽くす気がなけりゃ、ただ楽そうだからって理由だけでそんなの受け入れようだなんて思わねぇよ。まあそれ以前に俺のことを好きだとか言うやつなんて、人をからかってるだけか気の迷いってやつに《がばっ!》……きま…………って……」

 

 背中から、温かな感触。

 話の途中で由比ヶ浜が立ち上がり、俺を背中から抱き締めてきた。

 

「……あの……ね? あたし……ヒッキーのこと、好き……なの。好き……なんだ……」

「……は、ほわっ!? え、や、なに言って……! さ、相模に頼まれたか一色にお願いされたのか!? 俺をからかってくれーとか!」

「違う……ヒッキーの過去のこといろいろ聞いておいて、そんなことしたりしないよ……。頼まれたってやだ……ヒッキーに嫌われるようなこと、したくないよ……」

「《ぎゅうぅっ……!》う……あ……」

「……ね……? 好きじゃなきゃ……こんな、好きって言うだけで、どきどきしたりなんか……しないよ……?」

「……ゆい、がはま……」

 

 誤魔化すのは簡単だった。

 逃げ出すのは簡単だった。

 しかし、それは自由が利けばの話だ。

 今の俺は由比ヶ浜に抱き締められていて、逃げることなど出来やしない。

 

「あ、の……これでも、さ……とっても、勇気出したんだ……。受け取めもしないで、返事もなしで、勘違いだ、で終わらせるのだけは……お願い、やめてほしいな……」

「…………」

 

 どくんどくんという鼓動とは別のなにかを感じた。

 それは……震え、だろう。

 怯えているのだ……断られることを。関係が壊れることを。

 さっき自分で考えたばかりだ。

 美人が告白してダメだったら、の続きがここにあるのだろう。

 俺が断ってしまえば、それがどうなるのか、という結末を見ることになる。

 俺みたいなヤツが告白して失敗するならいつものこと。

 だが、その逆は───

 

「見たくねぇな」

 

 見たくない。

 そう思った瞬間、こいつを守りたいって想いばかりが一気に溢れ、それは小町を守りたいっていうシスコンに似たなにかか? と自分に問うてみれば、それは違うと首を振れた。

 つまりそれは───ど、独占欲? …………いや、それとも違くて。俺は───

 

「由比ヶ浜」

「……うん」

「真っ直ぐにぶつけてくれたっぽいから、俺も真っ直ぐだ。……俺、お前を誰にも渡したくねぇ」

「………………うそ」

「いやなんでここで嘘なんだよ……マジだマジ。思ったよりも独占欲強いらしいっつーか……その。お前が他の男と話してるの見ると、なんかイラっとするしな」

「あ……それ、あたしも。ヒッキーが女の子と楽しそうにしてると、なんか……もやもやして……」

「……だから、だな、その」

「だから……さ、えと」

「………」

「………」

 

 好きだから傍に居てほしい。

 好きだから傍に居たい。

 この感情は確かに独占欲でも、所有していたいとかそういうのじゃないんだ。

 傍に居て、自分にだけ笑ってほしくて、そんな笑顔を共有したい。

 そんな気持ちばかりが沸いて出て……。

 

「由比ヶ浜」

「……結衣、って……呼んで?」

「……じゃあ他の男に名前で呼ばせないでくれ。なんか腹立つ」

「あたしは……ヒッキーのままでいい?」

「呼ぶのはお前の母親くらいか?」

「あ、あはー……だね。ママはきっと直してくれないと思うけど……うん、隼人くんたちには───」

「……名前呼ぶのも俺だけにしてくれ、ってのはダメか? いや、男だけでいい」

「はぅうっ……! ヒッキー、そんなに、えと……嫉妬、とか……してくれてたの……?」

「いや……嫉妬とも気づいてなかったんだよ。なんか気に食わないって思ってた」

 

 一度自分の中にあった欲を語ってみれば、ぼろぼろとそれらを囲っていた殻が破れ、欲がこぼれおちてゆく。

 由比ヶ浜───っとと、結衣だな。結衣もそうなのだろう。

 ぎゅうって抱き着きながら、おそるおそる言葉を重ね、要求を重ねている。

 

「………」

「………」

 

 やがて欲が語られなくなると、無駄に作っていた壁も無くなる。

 傍に居ても重くもなく、邪魔だとも思わない。

 

「なんか……えへへ、不思議な感じ……」

「だな……。さっきまで焦ってたのに、今はひどく落ち着いてる……」

「うん……」

「おう……」

 

 なにも焦る必要もなく、近しい人の温度に安心する。

 でも普通、こういうのって男が女を包む場面じゃねぇのかなぁとか思うあたり、自分のヘタレ度合いが解ろうもので。

 ……少しは変わっていかないと、いつか愛想つかされそうだと思った。

 

(高二病もいい加減卒業か)

 

 誰かのためにこれから頑張ってみるのも……悪くないんじゃねぇのかね。

 自分なんぞを抱き締めてくれる温かさに笑みをこぼしつつ───俺は、確かに自分が変わっていくきっかけというものを、感じていた。

 

  “好き”ってすごいのな。

 

 そう考えられるようになった俺は、苦手な分野でも格好いいところを見せたくなり、努力を開始する。

 なんでも出来る気がして、なんにでもまず挑戦するようになり───失敗しても克服する努力を知り、乗り越えていった。

 やがて手と手を取り合って困難を乗り越え……俺達は夢を叶え、願いに到達し、穏やかで賑やかな生涯をすごした。

 

 

 

お題/き

 

 ゴゾォオ……!

 

「WRYYYY……!」

 

 はい、本日、喫茶ぬるま湯の状況をお伝えするのはワテクシ、比企谷絆でございます。

 絆……そう、絆でございます。気軽にきーちゃんとお呼びください。

 さて本日、ワテクシがなにをしているのかというと。

 

(前日の夜でもないのに前夜祭と名づける意味は果たしてどこに……)

 

 べつに意味などないことに悩んでおりました。いえ嘘ですが。

 一応前日で、夜、という点では変わりはないわけではありますが……ちょっぴり釈然としないものってありますよね。

 前夜祭って普通こう、その日の前の夜……ほら、18時~とかそんな感じがしませんか? 陽が落ちるのが遅い季節だと余計にその時間が夜だ~って感じませんし。

 なので0時から陽が上る時間帯を前夜と呼ぶのはみょ~に抵抗があるわけなのです。

 まあ絆の思惑はどうあれですよ。

 

  ママの誕生日前日。

 

 興奮すべき日を前に、なんでか眠れません。なんでかどころか興奮しているからでしょうが。相変わらず気が早くて困ったものですね、いえそんな自分が絆は嫌いではありませんがウフフ。

 しかし実際困っているのも事実です。

 明日はヴァース・デイであり、休みとはいえ本日は仕事があるというのに。

 ぬるま湯では従業員の誕生日には休みがあって、その日をヴァース・デイと称して問答無用で休みます。

 求人広告にも従業員の誕生日は休みとさせていただきます、と書いたこともあったほどです。ええまあ人の目に映ることはなかったそうですが。

 まあともかく眠れないので自室を離れたキッチンにて、ホットミルクでも飲んで温まってから眠ろうと思った次第です。

 しかしなんということでしょう、奉仕部キッチン前には、夜中にも関わらず先客が居たのです。

 

「………」

「………」

 

 パパとママでした。

 まーたところ構わずラヴっているようです。

 おのれ。

 あー、うー、困ったなぁ、こんな時に出くわすなんて。

 いえ、絆としましても二人が仲が良いのは大変に、すこぶる嬉しいのですが。

 頭とは反して、心は結構ズキズキです。

 なにせ父親を好きになるという事情を抱えてしまっている絆ですから、美鳩とともに日々をもんもんやってます。

 あそこに居るのがママじゃなくてわたしだったらな……と思ったことなど数知れず。

 けれどあそこに居るのがママでよかったと思うことだって数知れず。

 パパもママも好きなんだから、仕方ない。

 そんなドキドキもがっくりも弾けて混ざったような気持ちを抱えているからか、どうにも最近雪乃ママやいろはママの真似を、という気分にもなれない。

 やってみればパパがツッコミ入れてくれて嬉しいんだけど、それもちょっぴり複雑といいますか。

 ……うー。

 

(……戻ろう)

 

 来た道を静かに戻る。

 そうだ、美鳩の部屋に侵入して、暇でも潰そう。

 きっと双子な彼女も今頃はもやもやしているに違いな《ベキィ!》

 

「ゲェエーーーーーーッ!!」

「!? 誰だ!」

「キャーーーーッ!?」

 

 なんということでしょう。

 盗み見伝統芸、木の枝を踏むを、あろうことか建物の中ですることになり、しかもそれがあんまりに驚愕の事実だった所為で“ゲェー”なんて雄々しい悲鳴が口から飛び出て、かつパパが“誰だ!?”なんてお決まりの台詞を言うもんだから、“キャー”なんて悲鳴が漏れた。

 

「やっ、ていうかなんでこんなところに木の枝っ───」

「やあ《どーーーん!》」

「なにやってんの美鳩!?《がーーーん!》」

「ふふり。盗み見をする人を盗み見するという特殊シチュを体感。知りたがり屋は早死にするのかを検証したかった。好奇心をコントロールする心、ジャスティス」

「わざわざこんなところに木の枝置いたのはおのれかぁーーーーっ!!」

 

 そうこうしている内にずかずかと歩いてくる気配。

 美鳩はわたしの手を掴んで、すぐ近くの部屋へと音も無く入り、そして閉めた。

 

 ……うん。即座に見つかって、怒られた。そりゃそうだ。

 

……。

 

 で、やっぱり眠れないからホットミルクはしっかり飲む。

 

「はーぁ……怒られちったーぃ……」

「Si……けれど成し遂げた気持ちは大事にしたい」

「そだね。ドラマみたいに隠れればなんとかなるーってのは、自宅じゃ無理だねー」

「そもそも絆がゲーとかキャーとか叫んだ挙句、人の名前を大声で口にするのが悪い」

「うう……すこぶる申し訳ない……」

 

 でもしょうがないじゃん。出ちゃったんだから。

 わたしだってびっくりだよ、よりにもよって年頃の乙女がゲェエーとか。

 

「それにしても、今日もパパとママはラブラブかー……」

「Si、実に良いこと」

「んー……美鳩はさ、わたしより早くパパを好きだったわけじゃん? こう、本気で惚れる前からでもさ」

「? Ah bon(そう)

「そう? じゃなくて。ていうかそれフランス語でしょーが。イタリア語どこいったの」

「べつにこだわりたいわけじゃない。Ja(ヤー)とかDa(ダー)とか普通に好き」

「むうっ……気持ちが解るだけに強くツッコめない……ああまあとにかくさ、苦しいとか辛い~とかなかったの? わりとわたし、胸が痛いなーとか思うことあるんだけど」

「報われない恋は、恋した時点で敗北している。けれどそれを敗北だなんて思いたくないから、せめていい思い出を胸に、その炎が燃え尽きるまでを楽しむ。美鳩にとって、今の恋こそ青春。いつか他の誰かを好きになろうが、今を忘れたいとは思わない」

「……そっか。悪い方に考える必要、ないんだ」

「Si。青春してるんだから、それでいい」

 

 なるほど、一足先に恋してる女の子は強いね。

 わたしはちょっと弱気だった。

 や、そりゃもちろんパパは好きだけど、どうやったって叶わないもんね。

 

「いっそタイムスリップでもしてパパが高校時代の時に行けないもんかなー」

「No……パパはママと結ばれるべき。べつに絆と美鳩が産まれないからとか、そんなチンケなことを言うんじゃあない……そうあるべきだって思ってるから」

「ママの努力を無駄にしたいわけじゃないってば。この比企谷絆、ずうっと恋していた女の子が、ライバルがメインヒロインだからという理由で失恋する少女漫画なぞ大嫌い! 先に好きになって、散々アプローチしてきた人にこそ幸せになってほしい! なのでママの恋はいつだって応援しているのさ! …………まあ、こんな気持ちがなきゃ、パパが好きでも我慢我慢~なんてできないよー……」

「実に家族愛。ジャスティス」

「……そだね。どこまでいっても家族愛だ」

「ん」

「うん」

 

 二人で笑って、ぺしんと軽く掲げた手を叩き合わせた。

 争う必要のない恋のライバル。それも姉妹で双子だ。

 おかしな関係として産まれてきたもんだ。

 産んだ人がライバルで、既に決着ついてるってんだからね。

 もうほんと、なんなんだか。

 

「寝よっか。ここで寝てっていい?」

「ん、構わない。今日は寝かす」

「そこは寝かさないゼって嘘でも言おうよ。いや寝たいけどさ」

「僭越ながら比企谷美鳩、子守歌を歌わせてもらう」

「おお、双子相手に子守とはよい大言を吐くものよ。じゃあお願い」

「ん」

 

 布団にもぐって寝る体勢を取る。

 美鳩も電気を消してからすぐに隣にもぐってきて、わたしのお腹近くをぽん、ぽん、と軽くたたきながら……やがて歌った。

 それは目を閉じて集中していると耳に残る……なんとも呪術めいた歌で───って!

 

「なんでそんなおどろおどろしいの!? 眠れるわけないでしょこれで!」

「毒には毒を。暗くなりがちな心に暗さを配合、吹き飛ばして元気にツッコミ。meraviglioso.(素晴らしい)

「むうっ……確かにちょっと面白くて、ツッコミ入れたらすっきりしたけど。……はぁ、まあいっか。今日も早いし寝よう寝よう」

「Si」

 

 娘は時々もやもやしてる。

 本日はそんな気持ちをソフトにお伝えしました。

 けれどもそんな鬱陶しさは残しません。

 寝てスッキリ、朝には元気! それが我ら姉妹の恋の輝き。

 恋した所為で、なんて言いたくないのだ。ならばこう、あれです。

 この想いがどこに続くのかは誰も知らないけれど、後ろなど振り向かないでゆく!

 

「ところで絆」

「なんだい美鳩」

「……美鳩もホットミルクほしかった……」

「先に言おうよ!」

 

 暗くなれば小さく支えてくれる妹が居る。

 姉としては~とか、姉なんだから~とかは思わない。美鳩だって妹としては~なんて思ってない。

 どっちかががっくりくれば、姉も妹もない、ただの家族として支えるのだ。

 だから、まあ。

 笑いながら、ふたりしてキッチンに向かった。

 パパとママはまだいちゃついてるだろうけど、時と場所を弁えてもらおう。

 なるほど。これは常識的に、こっちがジャスティスだ。あははっ。


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