どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
09/からかってみる(笑いに走るもよし、愛に走るもよし)
からかってみる。というのはどうだろう。
普段からなんというかこう、スキンシップとはまた違った、こう……コミュ? が足りていない気がする。
最初を思い返せばひっどい会話内容だったわけだが。
とりあえずあれだ。俺は二度とこいつにビッチとかは言わない。
気安く人をビッチとか言う人よ。一度真面目に意味調べて、こいつの性格とかよく知った上で当て嵌めようとしてみなさいよ、罪悪感ひどくて辛いよ俺。……口には出さないけど。
ビッチ。雌犬。そのままの意味でなら、まだ……まあ、女の子で、子犬めいた可愛さはある。
しかし妙に日本で浸透したビッチというのは、正直言葉として見ても気持ち悪さしか存在しない。
人を見かけで判断してビッチ発言とかマジあれな。……後悔ってなんで先に立たねぇかなぁほんと。まじで死ねよあの日の俺。
「………」
「……、……《そわそわ、そわそわ》」
会話はないが、妙に構ってほしげにこちらを見ている。
思えばこいつって男に近寄られるの、苦手っぽくしてるくせに、俺には結構近づいてくるよな。
そういう行動が世の男子高校生たちに期待を持たせちゃうんだぞ? なんて言ってもたぶん通じないんだろうな。
……ああ、そだな、じゃあそのあたりをつついてみるか。
「由比ヶ浜」
「わひゅっ!? あ、ふわっ、ヘンな声でたっ……え、なななにっ? なに? ヒッキー……!」
「お前ってさ、もし俺から告白されたら嬉しいか?」
他の男には超そっけない。ハンマー握りたくなるけど、そっけなさは安心する。
じゃあ俺が言い寄ったらどうなるんだろうかと少し気にな「う、うんっ! うれっ……嬉しいっ───《ハッ!?》……ん、じゃ……ない、かな? うんっ……たたたたぶんうれしいんじゃ、ないか……なぁっ!?」……曖昧さが回避できない。
「お前さ、男に言い寄られても近寄られても、露骨に嫌そうにっつーか……そっけないだろ? でも俺のところには自分で行く、とまで言ってるし……あ、いや、俺のことじゃなかったらあれは相当に恥ずかしいわけだが」
「う、ううん? あってる……ヒッキーの、ことだもん……」
「じゃあ……」
「うん……」
「その……」
「うん……」
空気を支配された。
真っ直ぐに俺を見つめる由比ヶ浜の顔はうっすら赤く、目は潤んでいて。
吸い込まれるようにその目に夢中になっていて、俺は───
「……結衣……」
「うん……《じわ……》」
瞳が潤んでゆく。
カラオケボックスでさらりと言っただけだった言葉を、こうしてハッキリと伝えただけで。
ああ、なんてことだろう。
からかうつもりが、いつの間にか、愛に走ることに───
───……。
───あれからどれくらい経っただろう。
すっかり大人になった俺は、今日も仕事を終え、最愛の妻と娘たちのもとへと戻った。
かつての自分からは想像もつかないくらいの頑張り屋になった俺は、家族を幸せにするためにいつでも全力だ。
疲れていようが家族への愛は忘れない。むしろ愛さないと元気でない。素晴らしい需要と供給だとは思いませんか。
「んん……ぱぱー……」
「おー? どしたー、美鳩ー」
「ぱぱはー……ままのどんなところがすきになったのー……?」
「んー……そうだなぁ……って、痛い痛い、こら絆っ、噛みつくんじゃありませんっ」
「ぱぱ、むこう! きずな、ままとねる!」
「はぁ……なんできずなは俺のこと……」
「ほんと、なんでだろね……あたしは美鳩に嫌われてるし」
「まま、あっち。みはとはぱぱとねる……」
「だーめ。パパの隣はママのなんだから」
「ぶー……」
「ははは……ん。そだな。パパはな、ママの真っ直ぐさにやられたんだ。誰の目から見てもおかしかろうが、ママだから好きになった。それでいいんだ」
「ママは? ママはなんでパパなんか好きになったの?」
「こーら、“なんか”なんて言わないの。パパは……ヒッキーはあたしの……」
「結衣……」
「ひっきー……」
『やー! はなれるのー!』
「…………お前らなぁ」
「もー……キスくらいさせてよ二人ともー……」
『や!』
娘たちはなんでかお互いにお互いが苦手だった。ああ、親って意味な。
一方が好きすぎて、一方に取られると思ってしまうらしい。
真似してキスしようとしてきたりもするが、全力で防いでいる。
結衣が寝てるところに絆がキスをしようとしようものなら、もう全力で。泣き喚いてしまおうが止める。
こいつにキスしていいの、俺だけ。
ちなみに美鳩の時は結衣が全力で止めている。理由は俺と一緒。
こんな関係を続け、娘たちが高校にあがる頃には、すっかりラブラブバカップル夫婦として娘たちに認識され、ご近所でも有名だ。
後悔はない。これまでの人生に、これからの二人の暮らしに、俺は後悔はない。
10/急に具合が悪くなるor元から悪かった(ぽかぽかする)
部長様が来ないなら、依頼者を待ってたってしょうがない。そうしょうがない。
なので、んじゃあ帰るかとばかりに立ち上がった途端、急に視界がぐるりと歪んだ。
「……ぉ……ぁ……?」
机に手をついて支えようとするんだけど、その手も持ちあがらない。
そのまま机に突っ伏した。
せめて頭を打たないようにするだけで精一杯だった。
「ヒッキー? 帰らないの? …………ヒッキー?」
「……、……」
あー、だめだこれ、声も出ない。
どんだけ潜伏してたのちょっと、寸前まで気づかせず、一気に攻めるとか反則でしょ。
頭の中は暢気なのに、体は相当ヤバかった。呼吸はいつの間にか荒れていて、じりじりと動かした腕で机を押してみるのだが、体はちっとも持ちあがらない。
「ヒッキー!?」
俺の様子に気づいた由比ヶ浜が立ち上がり、すぐに駆け寄ってくる。
伝染るからやめろと言いたいのに口は動かず、結局は迷惑をかけちまう。
……病気って、一人でする分にはいいけど、近くに誰かが居る時ってほんと厄介よね。
ぼっちで病気なら、そのまま学校休める~とかのんびり出来るのに。
あぁだめ、頭働かない。やがて意識も曖昧になって、そのまま───……
-_-/由比ヶ浜結衣
ヒッキーの様子がおかしかったのには気づいてた。
風邪かな、とは思わなかったけど、妙にだるそうにはしてたから。
「どっ……どうしよ、どうしよ……! こういう時は……!」
そうだ、保健室の先生!
先生を呼んできて、診てもらわなきゃ!
「待っててねヒッキー! 今保険の先生呼んでくるから!」
言い残して走る。急げ急げと。
廊下は走っちゃいけないなんて、緊急時にばっかり浮かんでくることをいつも通りに無視して走った。
そして───……そして。
「いない…………うそ……」
保健室には誰も居なかった。
こんな時に限ってどうして、って思う。
鍵もかかってるし、呼びかけたところで、大事な用があって中から締めきっている、なんてこともない。
すぐにゆきのんにメールを飛ばそうとして、自分が頼ってばかりなことを思い出す。
本当に、こんな緊急時にばっかり、どうしてこういうのって浮かんでくるんだろう。嫌になる。
「……~……あたしに……」
あたしに出来ること。
なにか───……あたしに……。
きっと、ママでもよかった。
小町ちゃんに訊いたってよかった。
どうすればいいのかって。こんな時にどうすればいいのかって。
でも、あたしは。なのに、あたしは……───
「由比ヶ浜? こんなところでどうした」
「っ、ぇ……あ───平塚先生───」
……見知った人に声を掛けられ、やっぱり頼ってしまう気持ちに、涙が出そうになるほど無力を感じた。
……。
平塚先生に伝えて、車を用意すると言ってくれたことに感謝して。
そのためにはぐったりと動かなくなっちゃったヒッキーを運ばなくちゃいけなくて、あたしはせめてって頑張るんだけど……支えることも出来なくて。
やっと奉仕部から出たあたりで平塚先生が来てくれて、あとは平塚先生が。
「………」
自分に対する黒いなにかが沸き上がるのを感じながら、あたしは……自分の荷物と、ヒッキーの荷物を抱きかかえながら、奉仕部の部室に鍵を閉めた。
それでも、って顔を上げて、すぐに追って、一緒に車に乗って。
ヒッキーの家に着く頃にはヒッキーも起きて、ぼ~ってしながらも「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」ってうわごとみたいに言ってた。
一応歩けたけど、平塚先生は念を押して本当に大丈夫か? って訊いてきた。抜けられない会議があるから病院に付き合ってやることは出来ないって。
ヒッキーは「大丈夫っすから」って、お腹に力を込めるみたいに言って、しっかりと立って平塚先生を見た。
「……では、しっかり休め。治るまでは無理に来るんじゃないぞ?」
「むしろ急な休みを堪能しますよ」
「治ったらきちんと来るように。サボりは許さん」
「はい……」
いつもの調子の会話が出来たからか、平塚先生は安心してあたしに言う。あたしの家まで送ってくれるって。
あたしはそれを断った。会議があるならそのまま向かってくださいって。
べつにそんな暗いわけでもないし、歩いて帰れないわけでもないから。
「そうか。気をつけて帰るように。……すまないな、こんな時ばかりに無駄な仕事があって」
「そ、そんなっ、それは先生の所為じゃないですよっ」
「そうっすよ、社会が悪いんです社会が」
「仮にも教師に向かってなんてことを言うんだ君は……」
そんな軽口を最後に、平塚先生は行ってしまった。
んじゃあ、ってヒッキーが言って歩くけど、そこまでで限界だった。
精一杯の強がりが足からがくんって崩れて、咄嗟に抱き留めるんだけど、やっぱり重くて。
「ひっ……ひっきー!?」
「っ……わ、るい……! 油断した……!」
苦しそうに言うヒッキーの顔に、さっきまでの余裕なんてなくて。
すぐにベッドに寝かさなきゃって思って、玄関までをゆっくり歩くのに、玄関は開かなくて。
「え……な、なんで? いっつもこの時間なら、小町ちゃん、居るんじゃ……」
「……、やべぇ……そういや、今日は友達ん家に……泊まるって……」
「嘘!?」
小町ちゃんが居ない? じゃあ、ヒッキー、こんな状態でこのまま……!?
「~……っ」
自分に出来ること、とかそんなこと言ってる場合じゃない。
今出来ることは、誰かに頼ることだ。
好きな人のために何もできない……涙が出るくらい悔しいけど、泣いてたってなにも始まらない。
だからあたしはケータイを取り出して───ママに電話した。
「……ま、いーだろ……。こんなん、寝てれば……そのうち……」
「ダメ! 病院、行こう!?」
「いや……さすがに、そんな体力、残ってねぇから……」
「今ママ呼んだから! 来てくれるって言ったから!」
「ちょ……」
「保険証の場所、教えてっ!? ていうか、えと……鍵、ある?」
「~……由比ヶ浜、あのな」
「お願いっ……手伝わせてよ……! あたしもう、動けないヒッキーの前でなんにも出来ないなんて、やだよぅ……!」
「───! ……、……」
体を支えるあたしを見下ろすヒッキーは、驚いた顔をしてから……辛そうな、動かしづらそうな動作でポケットに手を入れると……あたしに、鍵を渡してくれた。
「ヒッキー……」
「……こんなもん、すぐ治るっての……。医者が診たって寝てりゃ治るって言うに決まってんだ……“だから言っただろ”って……馬鹿にしてやるから…………すまん、保険証、頼む……」
「……うん!」
でもさすがに家探しみたいには出来ないから、玄関の鍵を開けてヒッキーを連れて入ると、教えてもらった場所から保険証を持ってきて、それから、えっと……着替えとか、必要かな。
薬とかはどうなんだろう、病名がわからないのに適当に飲ませるのって危ないんだっけ? サブレの動物病院で聞いたことがあるから覚えてる。たぶん、人間も同じだ。
ちゃんとよく考えるんだ。こうすればいい、これなら絶対大丈夫なんて自分の勝手な考えでの行動は、今はしちゃいけない。
迷惑になるわけにはいかないから、喋るのも辛いだろうけどヒッキーにしてもらいたいことはないかを訊いた。
そしてあたしは、伝えてくれる、自分が出来るだけのことを精一杯やりながら、ママが来るまでを待った。
……。
病院に行って、診察してもらって。
最近の病院って要予約とかが大体で、言っちゃなんだけど不便だって思った。
そこはママがしといてくれたから助かったけど……あたし、もっとちゃんとしなきゃだ。
結局、ヒッキーは風邪と……ちょっとだけ脱水症状になりかけだったって。
点滴を打ってもらったヒッキーは、風邪までは治らなかったけど、今はさっきよりも落ち着いてる。
そんなヒッキーを前に、頬を膨らませているのは……あたしだ。
「………《ムー……!》」
「あー……その……ごめんなさい」
「大したことあったじゃん……脱水症状になりかけとか、ほんとヒッキーって……」
「やめて……? 点滴に風邪に対する回復効果は望めないんだから、一応俺、病人なのよ……?」
「大したことないって言ってたくせに……。人ってさ? 眠ったらコップ一杯分の汗を掻くって聞いたことあるよ……? 寝てたら治るどころか、悪化してたし……小町ちゃん、居なかったんだよ……? 脱水症状で動けなくなって、そのまま、なんてことになったら……どうするつもりだったの……?《じわ……》」
「っ!? ぃゃっ……待てっ、なんで泣くっ……!」
風邪薬も処方してもらって、今はママが会計をしてくれてるところ。
お医者さんが“少し休んだら帰ってもいいですよ”って言ってくれたから、あとは帰るだけ、なんだけど───
「……ヒッキー」
「だから、すまんって……」
「そうじゃなくて。どうするの? 家に帰って、そのまま……? 小町ちゃん、呼ぶ?」
「それには及ばねぇよ。可愛い妹がたまの休日前に友達んところにお泊りするってのに、目の腐った兄が病気に倒れたから戻って来いとか、さすがに情けなすぎて言えないだろ……。つか、風邪引いたくらいは伝えたんだろ?」
「うん……そしたらちょっと考えてから、“小町ちょっと帰れそうにないんで、結衣さん看病とかお願いできませんか”って」
「……小町ちゃん……兄を他所の人にあっさり任せるとか、お兄ちゃんへの愛が足りないよ……? ……はぁ、いーよ。今度こそ寝てりゃ治るんだから。薬ももらったし、そこらのコンビニかどっかでお粥買って、それ食って薬飲むわ」
「ヒッキー……でも……」
こうなるとヒッキーは退かない。
でも、あたしだって退きたくない。
心配だし、やっぱり……なにも出来ないのが辛いって感じる。
「助けを呼んでくれて、病院に連れてきてくれただけであんがとさんだ。……言われた通り、あのまま寝てるだけじゃあやばかった。……すまん……は、ちがうか。その、あー……あ、ありがとう、な」
「………」
ありがとうを届けられて、喜びは湧いたけど……それでも、車を出してくれたのも指示してくれたのもママだ。
あたしはただ助けてって呼んだだけ。
呼ばなきゃなにも始まらなかったんだろうけど…………やだな、こんな気持ち。
ヒッキーが無事だったんだから、喜べばいいだけのはずなのに。
「お待たせ結衣、ヒッキーくん。結衣、はいこれ」
「あ、うん」
ママがあたしのケータイをはい、って差し出してくる。
さっき、小町ちゃんに話があるから貸してって言われたものだ。
……なに話したんだろ。
「それじゃあ帰りましょっか」
「……うす、迷惑かけてすんません……」
「こういう時はお互いさまだからいいのよ。代わりに結衣が大変な時は助けてあげてねー?」
「ちょっ、ママ!?」
「……っすね、はい。受けた恩は必ず返します」
「ヒッキー……」
だるそうにしながら、ヒッキーはきちんとそう言った。
たぶん、その方が後腐れっていうのかな、そういうのがないからだ、とか……そういう理由なんだと思う。だって、ヒッキーだもん。
でも、そういうのって…………うん……なんか……なんかだ。
気づかれないように小さく溜め息を吐いて、ヒッキーを連れて車まで戻った。
点滴を打ったからなのか、さっきほどぐったりじゃなくなったヒッキーは、ふらふらはするけど歩けるようで、しきりに近い近いって呟いてた。
……近くなきゃ支えらんないじゃん、ばか。
「じゃあ、まずはヒッキーくんの家に寄って、着替えを取らなきゃねー♪」
「……っす。……へ? いや、あの……?」
「ママ?」
「妹ちゃん、小町ちゃんっていったわね? その子に事情を話して、今日はうちでヒッキーくんを預かるってことになったから」
「なっ!? っ……げっほげほごほっ! ちょっ……なにがどうなってそんなことに……! い、いいっすから……! あとは寝てれば……!」
「ヒッキーくん。お医者さんのお話、ちゃ~んと聞いてた~? 栄養を摂って、薬をちゃんと飲んで、汗をたくさん掻いて、しっかり水分と塩分を摂ること、よね?」
「そう、っすけど……」
「栄養はどうするの? 汗は寝ていれば大丈夫かもだけど、着替えは? 汗を拭いてくれる人は? 辛くなった時に支えてくれる人は?」
「うぐ……」
「うちの結衣がね、ゆきのんちゃんが風邪を引いちゃった時、すっごく気にしていたのよ。ゆきのんちゃんは一人暮らしで、ヒッキーくんは今、似たような状況でしょ? それはさすがにママ、知らん顔してほうっとくとかはできないわねー」
「な、なんで……」
「ヒッキーくんが、ゆきのんちゃんと同じくらい結衣にとって大切な子だからよ?」
「ママ……」
そうだ、ゆきのんの時も、辛かった。
もっと早くに気づいてあげられたらとか、その場に居なかった自分じゃどうしようもなかったことなのに、どうしても考えちゃう。
ひとりぼっちで風邪を引く、なんて心細いよね。
あたしは……いっつもママが居てくれたから寂しくなかった。
でも……ふとした瞬間、ひどく静かな部屋に一人で寝てると、すごく寂しくなるんだ。
見えない誰かに手を差し伸べて欲しくて、心細くて、でも誰も居なくて。
だから……
「ヒッキー……」
「《きゅっ……》う……いや、やめて? なんで病人でもないお前の方が、辛そうな顔で人の服とか引っ張んの……」
「~~……」
「……、……わ、かった……。その……正直、助かる。さっきから無理矢理声、出してる、けど…………そろそろ、やば、い……」
「ヒッキー……?」
「…………《ふるふる》」
ヒッキーが口を押えながら手を横に振る。喋らせないでくれ、って言いたいみたいだった。
車を止めてコンビニに寄って、向かった先のトイレで、店員さんにはごめんなさいだけど、ヒッキーはもどしちゃったらしい。
真っ青な顔をして戻ってきたヒッキーを支え直して車へ戻ると、今度こそマンションに向けて走った。
……。
小町ちゃんが友達の家にお泊り出来る理由があるように、明日明後日は連休だ。
本来ならパパも休みを取れて旅行に、って話だったんだけど、急な仕事が入っちゃって、旅行どころかパパは出張で連休中には戻れなくなってた。
むしろ仕事が無かったら、あたしはヒッキーの病気のことも知らずに、旅行の準備のためにって部活に行かず、買い物をしてたかもなんだ。
タイミングってどこで噛み合うかなんて解んないもんだって、本当にそう思う。
「ヒッキー、自分で食べれる?」
「……、……《……ふるふる》」
「じゃ、口開けて。ふーっ、ふーっ……はい、あーん」
「……ぃ、ゃ……」
「ヒッキー、困った時は、だよ」
「………」
お互い様。
ヒッキーは躊躇してたけど、やがて本当につらそうに口をあけて、おかゆを食べてくれた。
点滴は打ったけど、あれって脱水症状にはよく効いても、風邪にはあんまり効果はないんだって。
点滴を打った、って意識が状態を良くしてくれたり、点滴と体温の差で一時的に熱が下がったり、なんてことはあっても、結局はまた熱があがるから逆に体がだるくなる人だって居るみたいだ。
「……っつか……なんでお前の部屋、なのん……? 俺べつに、そこいらのソファでも……」
「ヒッキー、怒るよ?」
「……すまん」
病人をソファで寝かせるなんて、普通はやらないと思う。
少なくともあたしはしないし、そうするくらいならあたしがソファで寝る。
「………」
こうしてヒッキーを自分のベッドに寝かせることに、躊躇がなかったわけじゃない。
けどそれは風邪の菌が布団に~とかそういう躊躇じゃなくて……。
……、……うん、緊急だもん、しょうがない。
仕方ないけど……もっともっと、自分で出来るようになろう、とは思った。
お粥も結局ママが作ってくれたし、ヒッキーはパパの部屋にって言ったママの言葉を押し退けたのはあたしだ。そのくせ運ぶのを手伝ってもらった。
(ほんと、これじゃ我が儘なだけの子供だ)
出張の間に妻が男の子連れ込んで、自分のベッドで寝かせたーとか、想像してみると泣きたくなると思う。……そんな“男の子側”の気持ちを教えてくれたのはヒッキー。
それを理由にソファで眠るつもりだったんだろうけど……それは、だめだ。許せない。
「……てか、じゃあお前はどうすんの……」
「……寝ない」
「お前の中で今の俺、どんだけ弱ってんの……。由比ヶ浜、いいからお前こそお父さんの部屋かお母さんの部屋で寝とけ。娘が密かに自分のベッドで寝てたとか、パパ冥利に……」
「………《じわ》」
「はぉぁっ!? なんで泣く!? っ……げっほげほ!」
「~……ひ、ひっき……だいじょぶ……?」
「は、はぁ、はぁ……あー……その、すまん。あんまツッコまさないでくれると嬉しい……」
「ひっきーが、……」
「? 俺が……?」
ヒッキーが、他の男のベッドで寝ろ、なんて言うからじゃん。
言いたかった言葉を飲み込む。
代わりに誤魔化すような言葉を並べて、軽く自己嫌悪。
「………」
「………」
それからは特になにを言うでもなく、ヒッキーは目を閉じた。
じいっと見てたら眠れないってわかってるのに、眠ろうとするその姿を見つめた。
額にはタオル。
冷えピタは……血管? 動脈? が太いところに貼るといいらしいから、別のところ。
喉の横とか腋の下とか……足の付け根もいいそうだけど……さ、さすがにそれはヒッキーがすっごく抵抗した。そりゃそうだよね、うん。
「………」
もっと頑張んないと。
……たぶん、心が“向きたい方向を向いた”って時があるとしたら、この時だった。
そのために頑張れる自分になろうって、強く思えた。
大切だって思える人を守れるくらい、支えられるくらいの人になろうって……そう思えた。
なにも今すぐにってんじゃなくて。
今から目指したい何かをちゃんと決めて、そうなれるように、って。
やがてヒッキーが、すうっ……って深い呼吸をしたあとに眠るのを見届けてから、あたしはあたしで調べものを始めた。
こんな時になにも出来ない自分じゃなく、強い自分になるために。
ベッドの横に背中を預けて、ケータイで調べ事。
一定時間が経ったらヒッキーの額のタオルを水で濡らして、絞って、乗せて。
大切な人のために出来ること、増やしていこう。
一生懸命勉強して、たとえ……それがいつか空回りしちゃって、隣にこの人が居なくても。
学んだことで誰かになにかをしてあげられるくらいには、なろう。
「………」
未来の先で、ヒッキーの隣には誰が立ってるのかな。
漠然としててわかんない。
でも……それが自分だったらな、って想いは、いつだって渦巻いてる。
まだまだ大人の自分なんて想像できないし、結局は今のことばっかり考えちゃう子供なあたしたちだけど、“こうだったらいいな”はいつだって持ってるから。
……そだ。
その時に隣に立ってるのがあたしじゃなくても……たとえばそれがゆきのんでもいろはちゃんでも、別の誰かでも。
頑張ってと。おめでとうと。そう言える自分になろう。
言って、一人になってから……いっぱい泣こう。
「………、……」
一生を付き合っていきたいくらい好きなのかって言われたら、きっとわかんないことだらけの今。
それでも、こんな気持ちは初めてだったから。
それを大事に大事に育てて、甘くて嬉しいことばっかじゃなくて、泣いて傷ついてばっかのものでも……欲しいって思っちゃったんだから。
「……ヒッキー、大好き。……こんな時になにもしてあげられなくてごめんね。あたし、もっと頑張るから。いっぱいいっぱい頑張るから。だから……」
だから、あたしは。
大切なものを失くしてしまわないよう、欲しいもの全部に手を伸ばしたい気持ちを抑えて、少なくても大切だって思えるものに手を伸ばす覚悟を……今、決めたんだと思う。
-_-/比企谷八幡
連休中、由比ヶ浜の家に厄介になることになった。
お泊り先から見舞いに来てくれた小町に、お決まりの「すまないねぇ」なんて言葉を投げてみれば、「これを機に小町にお姉ちゃんを紹介出来るくらいの度胸とかつけてね」とか、いろいろとアレな言葉を残していきやがった。
「………」
お姉ちゃんの紹介とか言われ、顔が赤くなったのを自覚した。
それというのも、由比ヶ浜に告白されるなんて夢を見た所為だ。
あれ夢だよな? 夢でしょ。俺が告白されるとか。
(…………)
いや。アプローチと思われるものは、今まででも散々あった。
それを見ない振りして、今まで引きずったのは俺だ。
どうせ報われないものがあるのなら、いっそ受け入れて早々にあきれ果てられ、捨てられてしまった方がよかったのでは、と思わなくもない。
それをしないのは何故だろう。
傷つけられるのは慣れている。どうせ、なんて考えるからいろいろなものを失う自分なのに、そのくせ人に感情をぶつけられることにはひどく臆病だ。
それが憎悪だったなら軽くスルー出来るくせに、温かな感情は受け取り辛いとくる。
もうほんとなんなの俺。めんどい、ほんとめんどい。
「………」
なんてことを、必死に言い訳として並べるわけだ。
この、ベッドに背を預けたまま、こっくりこっくり眠ってしまっているお団子さんを眺めつつ。
小町も起こさないようにってそっと来てそっと去っていったし、っつーかそれでも起きないとか俺より熟睡じゃないですかー。
「………」
しかしながら、だ。
自分が苦しむ中、頑張って自分に出来ることを探していたのを知っている。
その上で、出来ることを見つけられない自分に歯がゆさを覚えていたであろうことも知っている。
ぼっちはそういう無力感に敏感だ。自分の力量を弁えているから、悔しい思いを噛みしめる状況もよくわかる。
ただ、ぼっちは諦めるのが早くて───……普通の人は、諦めることを嫌う。だから悔しいのだろう。
ほんとに寝てるのかどうか、かなり失礼なものの顔を覗いてしまった時、涙の痕とか見つけちまったら……もう、なぁ。
(風邪も昨日ほどじゃあ……ないな)
だるくはあるが、動かせはする。
で、ここで無理に行動を起こすと悪化するので、今はただ耐えるのみ。
「………」
他人のためにこんなに動いてくれて。
普通なら嫌だろうに、自分のベッドに病人寝かせて。
こんな捻くれぼっちのために、無力を嘆いて涙まで。
「…………、」
わかってる。いいやつだとか、やさしいってだけで、普通はここまで世話なんて焼きやしない。
やさしさに憧れて失敗してきたからこそ、本当のやさしさってものに触れれば、
ただそれを、いつものように気づかない振りをするのか、受け入れるのかは……
(俺は───)
寒くて辛かったり、熱くてだるかった自分の体温が、ふと……気持ち悪さの混ざらない、ぽかぽかしたものになっていることに気づく。
それはどこから来る温かさなのかを考えて……自分の胸に触れ、苦笑した。
……。
連休の間、由比ヶ浜は何処に出掛けるでもなく自分の部屋に居た。
自分の部屋、というか……俺が行くところ何処へでも。
トイレに行こうとした時、「だいじょぶ? 一人で出来る?」とか言われた時は、恥ずかしさから顔が灼熱。
顔からヨガインフェルノってレベルで火が出そうだった。
その過保護っぷりは、由比ヶ浜マさんさえもが驚くほどで。
不思議に思って、なんでそんな張り切ってんの? と訊ねたところ───
「え? ん、んーと……えとー……。口にするのって大事なことなんだなーって。聞こえなかったんだとしても、聞こえる距離でちゃんと伝えるのって、大事なんだなって。だからね、ヒッキー。あたし、頑張りたいって思うんだ」
なにを口にしたのかは教えてくれなかった。
ただ、俺の顔を見て、えへー……と微笑むのだ。とてもやわらかく、やさしい表情で。
そんな笑顔が、俺にこそ向けられたから……なんだと思う。
俺はあれが、たぶん……夢なんかじゃなかったんじゃないか、って……すとんと納得しちまって。
けど、本人に確認するのは違う気がしたから……そだな、って笑って、俺も少しずつ、近づく決意をした。
こんなものは熱の所為で、正確なぼっち的判断が出来なかった所為だ。
そうして、全部風邪の所為にして、由比ヶ浜が自分から来て、俺がそっと近づくような関係は始まった。
気持ちはもうとっくに受け取ったつもりで、なにを言われてもくっだらない屁理屈で返しながら、それでも結局は受け入れる、みたいなやり取りを続けて。
それを少しずつ、由比ヶ浜が気づかない程度の速度で受け入れる回数を増やして。
やがて───俺達は。
───……。
……。
時間をかけてじっくり近づく。
我ながら、相手の青春を食いつぶすような受け入れ方だなぁとは思った。
しかし、気づけばなんとやら。
受け止めていたつもりが受け止められていた、と自覚した頃には、俺の頭の中は“由比ヶ浜”のことだらけで。
いつの間にか名前で呼び合うようになって、いつの間にか近くが自然になっていて。
「は、はー……ヨシッ、八幡っ」
「お、おう、結衣」
いつかの日、高校三年のある日に、それを雪ノ下に指摘された時の俺の恥ずかしさといったら、服が汚れるのも構わずに、奉仕部の床をごろごろと本気で転がるほどだった。
いや、だってね? 基準がおかしいんだよ? 気づかされなけりゃ疑問にさえ思わないほど、結衣のこと優先、みたくなっててね?
戸塚は微笑ましい顔で俺を見るし、一色は「あれで気づいてないんだからすごいですよねー」なんて言うだけだし、材木座なんかは「八幡の馬鹿ーーーッ!」とか言って走り去っていくし。放置してたら「ここは追ってくるとこであろう!?」なんて逆ギレしてた。いーから。戻ってこなくていーから。
「………」
高校を卒業してしばらく。
いつから名前で呼び合おう、なんてことになったのかもわからない。
ただ、それがちっとも嫌じゃなく、呼ぶたびに“好き”を自覚してしまい、実に恥ずかしい。
そのくせ、一日の始めに名前を呼ぶのに勇気が要って、結衣なんて“ヨシッ”とか自分を鼓舞していたりする始末。
こんな俺達なのに、付き合ってなんかいないと知った知人の表情は、それはもう驚きに満ちていた。
「………」
「………」
見上げ、見下ろし、自然と笑う。
自分から行く、と言った彼女は、それはもう自分から来まくりで。
ただ、だからといってそこに夢見る少女の願望がないかっていったら、そんなことはないわけだ。
だから、ここまで歩み寄ってくれたなら、次の一歩は俺から。
自覚を抱いた時から決めていたことで、結衣もそんな俺のもどかしさに気づいてか、どこか何かを待っている様相で、一緒に居てくれている。
今日はクリスマス。
雪が降る、なんてことはなかったが、それでも……まあ。この寒空の下、呼び出しまでして……俺達は。
「あ、あー……その……だな」
「うん」
既に顔が赤い結衣は、温かそうな衣服に身を包みながら後ろで指を組むような格好で、俺を見る。
俺はといえば、なかなか出てこない言葉に、自分に対してもどかしさを抱きながら……リュックからマフラーを取り出した。
「八幡?」
それを、結衣の首に巻いて、自分の喉に喝を入れるイメージをしつつ。
「……その。女が男にネクタイを、ってわけでもねぇけど……よ。男の場合、なにをどうすればそんな想いが伝わるのか、わからなかったからっつーか……」
「うん……」
結衣はマフラーの感触を確かめながら、どこかきょとんとした顔のまま俺を見つめる。
が、女が男にネクタイ、って部分を考え始めたのか、再びその顔に赤みが戻ってゆく。
「お前が好きだ、結衣。その……必死こいて編んだ。俺の、ちっぽけな専業主夫の夢の残照だ。~~……あ、あぁあその、だな、あー……」
「う、うん……」
「……“あなたに首ったけ”。男から言うのはキモいだろうけど、その、あ、あー……本心、だから。……これから、お前のために頑張らせてほしい」
「……~~……うんっ」
風邪を引いたあの日から、自分から行くっていうアプローチが増える中、ふと考えたことがあった。
これから先、こいつの隣には誰が立つんだろう、と。
湧いたいたのは醜い嫉妬だったが、嫉妬が湧く理由を考え抜いて、出た結論が……顔が真っ赤になるほどの好きって気持ち。
だらだらと一緒に居たいってわけじゃなく、欲しいものがたくさんあって、それは俺一人じゃ手に入れられなくて、けどそれを手に入れるために利用する相手が欲しいんじゃなくて。
そうして言い訳ばかりを前に出しては破壊して、考え尽くして……やっぱり結論は変わらなくて。
だから……まあ、いいんじゃねぇの? 男から女に首ったけを贈っても。
「じゃああたしからも」
「へ?《しゅるっ……きゅっ》…………結衣」
「ご、ごめんね? 綺麗に出来ればよかったんだけど、初めてはヒッキーにしてあげたかったから」
しゅる、と首にネクタイが巻かれた。
文字通り巻かれただけだったけど、それが妙に嬉しくて。
アホな話、パパヶ浜さんを練習相手に、とかだったらそれはもう嫉妬してた。
「……ね、八幡」
「……ん、結衣」
「……一生、首ったけでも……いいかな。ネクタイ締める練習、ずうっと八幡が相手で……いい、かな」
既に心に余裕がある歳。
連絡を取り合っては再会する友人たちとも、いつでも気軽に会えるわけじゃない。
それでも一緒に居たかったから、同じ場所を選んで同じ場所で笑って。
そうして、今───俺達は。
お互いの首に巻かれたそれを、やさしく巻き直すことで、一生を誓い合った。
首だけじゃなく、心までぽかぽかするようなそんな関係を、これからも温めていこうと笑い合いながら。