どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
───ヘレン・フィッシャー、という名をご存じだろうか。
とあることで世界的な統計を調べ当て、おおよその答えを叩き出した、とある人物である。
恋愛、結婚をするにあたり、この人の言葉を知っているのといないのとでは、不安を抱く存在は結構多いものかと思う。
俺もまた、その中の一人であり、俺が抱いたのは不安だったりするのだが。
へ? どんな不安か? いやお前、ほら、あれだよ。
……いや、今でこそこんな感じだけど、不安はそりゃあったに決まってんだろ。相手俺だし。
だから、つまりそのー……アレなんだよ。
……。
『笑止!!《どーーーん!!》』
同棲生活からどれほど経ったのか。
とある喫茶店にて、双子の姉妹が胸の下で腕を組んで大きくそう言った。
時刻は夜。営業も終了して、奉仕部と呼ばれる休憩室もどきにて、全員で遅めの夕食を摂っているところである。
「パパ? この絆の恋を諦めさせたいなら、より運命的な出会いと究極的な敗北を思い知らせることです」
「Si.大体、その計算で言うと、ママは高校卒業時点でパパのことが好きじゃない」
「そうだよパパ! ヘレン・フィッシャーさん曰く、恋は3年愛は4年! でもねパパ、由比ヶ浜の血にそんなものは関係ないのだよ!」
「ん。何故ならパパの行動毎に惚れ直してるから」
「いや……そうは言ってもだな」
いやね? そりゃさ? かつて調べたことでヘレン・フィッシャーさんの言葉に到り、3、4年後に離婚する夫婦が多いってことに怯えていたりもした俺だよ?
俺、今年こそ捨てられるんじゃ……! とか。
だってのにこのお嫁さんたら毎日にっこにこなんですもの。
そして俺もその笑顔に惚れ直し続けて……今に到る。
「ていうかあのー……雪乃ママ? パパとママって倦怠期とかなかったの?」
「むしろ訊くけれど。あると思うの? その二人に」
『あー……』
今も奉仕部にて隣り合い、手を握っては指でお互いの手をさわさわ。
目が合えばにこーと笑い合い、好きになってはキスをしている。
あえて言えば、俺の海外修行期間が恋をし続けるのに重要な時間だったのかもしれない。
離れていた分だけ、再会した時なんてすごかったから。何がとは言わないが。
「恋は3年、愛は4年ですかー……先輩と結衣先輩ってどこからどこまでが恋で愛なんですかね」
「行動の全てが、じゃないかしら。文字通り恋愛をしているのでしょうね、ほぼ毎日」
「ゆ、ゆきのん? えと、よくわからないけど、あたしおかしいって言われてる?」
「大丈夫よ由比ヶ浜さん。その歳で好き合い続けているということが稀少だ、と言っているのよ」
「ちなみにパパは、今で言うとママのどんなところを惚れ直してますか?」
「? いや、普通に寝る前にキスして、寝て、起きて寝顔を見たら惚れてるが」
「ヒ、ヒッキー!?《ボッ!》……~~~……そ、そなんだ? そなんだ……!」
「ぇ、ぁぃやっ……~……忘れてくれ……!」
そして盛大に自爆する。
おのれこいつら……! 問答みたいなのを続けて、喋るのが当たり前、みたいな状況を作り上げるとは……!
いやまあ、やっぱり普通に俺が自爆しただけなわけだが。
「そうね。あなたのような人種を好きになる、という時点で珍しいのだから、それを思い返せば何度でも好きになれるのでしょうね」
「おいちょっと? 今人のこと種としてわけちゃった? 別にそんなの珍しくもねぇだろ。3年4年でドーパミンが尽きるヤツも居れば、一生尽きないヤツだって居るって例だろうが」
「えと……あたしの場合、喧嘩したり意見が合わなかったりしてさ? 落ち込んだ時に……ヒッキーから歩み寄ってくれて、そしたらさ、えとー……えへー……♪ やっぱり好きだなーって」
「そう。つまり比企谷くんの方が惚れやすいのね」
「毎朝惚れ直してるってことですもんねー」
「え? あ、ううん? あたしもそれはそうだよ?」
「………」
「………」
「ああその、つまりですよ結衣先輩。結衣先輩にとって、先輩は朝に目が覚めておはようを伝える時にはもう、また好きになっている相手ってことですか?」
「うん。………………え、え? あのー……いろはちゃん? 普通さ、お嫁さんとかって……そういうものなんじゃないの?」
「いくらなんでもそれはないですどんだけ幸せな夫婦やってんですか世の中には些細な擦れ違いで離婚しちゃう人だって居るっていうのになんなんですかありえないです」
「一息でひどい言われようだ!? だ、だって実際そうなんだから、しょうがないよ!?」
「はぁ……というかそもそも、何故こんな話になったのかしら……」
雪ノ下が盛大に溜め息。
何故こんな話に? そりゃあ……
「ただいまー。いやー、外、風が強くてまいっちゃったよー」
……思い出そうとした時、城廻先輩が帰ってきた。
次いで平塚先生も買い物袋を手にニヤリと笑う。
「……そうだったわね。クリスマスの話から、神に誓った恋人達はどれほど関係を続けていられるのか、という話になって……はぁ」
そこで溜め息はやめてください。
無駄な問答をした、みたいな空気が流れるじゃない。
「よっしゃー! それでは買い出し班も戻ったことだし! 歌おう友よ! 一番手はこの絆が担いましょう!」
「……聖夜の歌といえば、なに?」
「え? そりゃー……ズィングッベー?」
「Da、なら遠慮はいらない。というか……フル、知ってる?」
「知らぬ!《どーーーん!》とりあえずジングルベーとか鼻歌歌ったあとに、ヘーイって言えばいいって小町お姉ちゃんに聞いた!」
ちょっと小町ちゃん? アータなにやってんのほんと。
ジングルベルくらい知らなきゃでしょ、毎年嫌でも町とかで流れてるじゃない。……いや、俺もフルは知らんけど。
「ケーキにチキン! 飾りにシャンパン! さあ心躍らせ歌おう友よ!」
「ちなみにシャンパンはシャンパーニュという名前だから、シャンペンって呼ぶのがあっているのかどうかは微妙なところ。時に豆知識は大事」
「で、えーとジングルベルの最初ってなんだっけ!? ジングッベーでいいんだっけ!? ママー! ママ!? どうだっけー!」
「ふえっ!? え、えと、えーとー……!」
いやん、そこで俺のことじっと見つめないで?
ジングルベルだろ? 知らないよそんなの。ぼっちにとってクリスマスなんて適当にぼっちで遊ぶ日って決まってんだから。
もしくは妹と戯れる日な。
なので、
「気にするな。魂で歌え」
「ヒッキー!?」
「さっすがパパわかってる!」
「Si、歌はそもそも人の思考から生まれたもの。歌いたいと思う気持ちがかたちになるのなら、歌詞なんて重要じゃない。重要なのは、歌いたいという心……!」
「オッケぃステキだマイシスター! じゃあ小町お姉ちゃんが教えてくれたように、なんかそれっぽいの歌ったらヘーイ! って言う方向で!」
「ヘーイ……!」
「まだ歌ってもないよ!?」
今日も今日とて娘たちが元気である。
俺と結衣は見つめ合って笑い合って、城廻先輩に切り分けられたケーキを、お互いに食べさせ合った。
ケーキは毎年一色が作るが、たまには自分が作ったものじゃないのを食べたいですよー! と怒られてしまい、急遽買い物要員をじゃんけんで決定、城廻先輩と平塚先生が買い出しに行ったわけだ。
「じんぐっべー! ズィングッベー! すっずっがーなるー!」
「ヘーイ……!」
「じんぐっべぇーぃじんぐっべー、すっずっがっなっるっ!」
「ヘーイ……!」
「じんぐっべー! じんぐっべぇーーい! すっずっがー、なるぅー!」
「ヘーーイ……!」
「じんぐっべーるじんぐっべーい! すっずっがぁなーるっ!」
『ヘェーーーイ!!《ジャーーーーン!!》』
…………キメポーズを取って、歌が終わった……らしい。
はい、ここで娘の両親から一言。
「……鈴しか……鳴らなかったね」
「だな……ジングルベルどころか、ジングッベィにしかなってなかったしな」
ダメ出しである。
その後、娘が二人、雪ノ下に溜め息を吐かれながら、ジングルベルの歌詞を教えてられた。
絆は「お、押忍」とか言ってこくこく頷き、美鳩は「ヘーイしか言ってないのに注意を受けるのはちょっぴり理不尽……」としょんぼりしていた。
「むう。こういうのは場の雰囲気とノリで盛り上がるから楽しいんだと思うんだけどなぁ絆的には」
「君達の場合はノリだけで突っ込みすぎなんだ。もう少し落ち着いてみたまえ。そうすれば、見えてくるものもあるだろう」
「落ち着き───……おお、相変わらず平塚先生は良いことを言いますなぁ。つまり落ち着きのあるジングルベルを歌えと!」
「違う、そうじゃない」
「ジングルジングルジングルジングル陽気にジングールー!」
「混ざってる混ざってる」
しかし、とりあえずやってはみる精神はいいんじゃないかしら。
俺だったらギターと同じで、小町から苦情が来た途端になんでも諦めてたわ。
「うーん……ケーキ……ケーキかぁ……。このケーキ、材料ケチってますね……。このイチゴも見栄えはいいんですけどー……うーん……」
「一色さん? クリスマスイヴくらい、職業病は捨てていいのよ」
「うう、わかってはいるんですけどねー……こう、綺麗に出来ているように見えて、実は……みたいな部分が見え隠れ……。これ、どこで買ってきたやつですか? 手作り系の場所ですよね? あ、近場のお店って意味でですよ? 予約発注のケーキとかじゃないですよね?」
「ああ。駅前の方にある洋菓子屋で買ったものだ。城廻くんがオススメしてくれたのでな」
「ここのケーキ美味しいんだよー? 手作りで有名なんだー♪」
「ええ知ってます、修業時代のライバルですから。悔しいですがやっぱり美味しいです。細かい部分がまだまだだって、修行時代に言われてたのにそこは直ってないようで、妙に安心しましたけど」
「ほーん? で、一色の不得手な部分ってなんだったんだ?」
「ちょっと先輩、なんで不得手から入るんですか。もっとこう、褒める部分から入ってくださいよー」
「ライバルっつーんだからあったんだろ? 欠点」
「……そりゃ、ありましたけど」
「馬鹿な……いろはママの菓子作りに欠点……!?」
「驚愕……! 菓子作りにおいてはぬるま湯にて覇を抱くいろはママが……!」
「きーちゃん? みーちゃん? わたし二人にどういう認識のされかたしてるの」
そりゃ、菓子作りの鬼、みたいなもんだろう。
実際に修行して修めた分、雪ノ下よりも本格的に作れるようになったし、アレンジとかも見事なもんだ。
どうやって作ってんのこれ、ってお菓子だってあっさり作ってしまう。
そんな一色の、苦手、または欠点とは?
「……大方失敗したら物凄く不機嫌になって、あとの菓子作りに支障が出るとかそのへんだろ」
「なんで知ってるんですか!?」
「……ビンゴかよおい」
「あー……そっかー、いろはちゃん、“わたしの城で失敗は許しません!”とか言ってるもんね」
「うぐぁっ……じ、自爆してたんですか……! でも仕方ないじゃないですかー、作るからには失敗なんて許せませんし。いえまあ、そのことで、先生に“ひとつの菓子に誇りを持つのはいいことだが、その誇りで次の菓子を傷つけていいわけがないだろう”って言われたりしたんですけどね。注意されておいてなんですけど、結構好きな言葉です。まあ、好きでもやっぱり失敗すればヘコみますしね、人間の感情ってほんと、自由じゃありません」
言いつつ、ライバルが作ったらしいケーキをハモっと口に運ぶ。
「まあ、お菓子に罪はありませんしね」なんて言っているが、顔は美味しさに緩んでいる。
まあ……うん、確かに美味いな。一色とは違った味の使い方だと思う。
味なんてどれも一緒だと思うのに、微妙に、ほんと微妙に一色のものとは違う。
その微妙さが、また楽しかったりするのだから…………生きているっていうのは、体にものを入れていくことなんだなぁと、どこぞのゴロちゃんのようにしみじみ思った。
いや、うん、まあ、その甘さの大部分は、結衣があーんで食べさせてくることに原因のほぼがありそうだが。俺も俺でお返しに食べさせたりしてるし……ふと我に返ると恥ずかしさに悶えそうになるんだが、好きで大事な相手を甘えさせてやりたいって願望は、べつに悪いもんじゃない……よな? 程度にも寄るだろうが。
バカップル? いい言葉だと思うよ? 人間、馬鹿になればああも人を大事に出来るっていう、いい例じゃないの。
優先順位がガラリと変わるくらいに誰かを大事に出来るって、相当な経験だと思うよ? いや言っとくけどこれ言い訳がどうとかじゃないから。純粋にそう思ってるだけだからね?
(実際、優先順位なんてガラリと変わったからなぁ……)
「?」
そんなことを考えながら見つめる結衣は、俺の視線を受け止めてきょとんととしていた。
思うところがないわけではない。
ここまでただひたすらに山もなく、なんて、軽く辿り着けたわけでもない。
喧嘩はしたし、泣くことも泣かせることもあった。
その度に譲り合って語り合って理解し合って、その先に今がある。
「いや。考え事」
「……、……あんまり、楽しい考え事じゃなさそうだね」
「クリスマスにするようなことじゃないのは確かだな」
恋や愛が3年4年で終わっても、それまでに積み重ねてきたものが消えるわけじゃない。
なら俺達は、馬鹿みたいにその積み重ねを信じていればいいのだ。
“全部”は、いつかは砕けてしまうのだろう。
“全部”は、いつかは離れてしまうのだろう。
人を信じて人を諦め、距離を取っては人を見ていた腐ったいつか。
戻りはしないし戻れもしない日々を思い返し、時折に、眠る彼女に無言で問いかける。
俺で、よかったのかな
でも、そんな不安を吹き飛ばすくらい、目を覚ました彼女が眩しい笑顔をくれるから。
俺はその度に恋をして……何度だって気持ちを伝えようと思ったのだ。
希望に溢れた入学式で、もっと別の出会い方をして、お互いに好き合えたなら、いったい俺達はどれだけの好きを届けていけたのだろう。
もしそこに手が届くならと自問をして、今と引き換えにと言われたのなら、伸ばした手はどう足掻いたって答えに届くことはない。
いつかは砕けようが、いつかは離れようが、俺達はそれを望んだからこそここに居て……それが全部であり、俺達の…………あれ、なんだからな。
辿り着いた今は幸せに溢れている。
けど、他の誰かならもっと幸せに、なんて考えをしなかったわけじゃない。
しかしながら、そんな自問をするたびに、答えをくれるのはいっつも……
「結衣」
「うん? なに? ヒッキー」
「今───、…………」
幸せか、と。口にしようとしたのに、口が、喉が動いてくれない。
訊いてどうなる、なんて。
ぼっちぼっちと口にはしても、もうとっくに忘れかけていた自分の内側が、久しぶりにニタリと笑った気がした。
途端、心の中は狭く寒くなってゆく。
「───《どよ……》」
「……ヒッキー」
目の前が暗くなっていく。
久しぶりに、黒いなにかがじわじわと昇ってきて、俺は───……、……俺は。何故か急に結衣に頬を手で包まれて、
「……? 結衣?《ちゅっ》んぷっ!? ん、んぉ……は……」
真正面から、キスをされた。
暗さに傾いていた心が、え!? やだなに!? なにごと!? と騒がしくなると、黒い気持ちも消えて……目の前も、明るくなってくれた。
「あのね、ヒッキー。あたしね? 今、幸せだよ? すっごく」
「結衣…………」
「どうして急に目が濁ってったのかは知らないけどさ。寂しかったり辛かったり苦しかったりしたらさ、ヒッキー。……なんでも、言っていいんだよ?」
「………」
「あたしたちはさ、あたしたちだから“全部”なんだ。そこにはもちろんヒッキーも居てさ、ってゆーか、そもそもヒッキー居なかったら、この関係とかないかもなんだから」
「いや、そりゃねーだろ。俺が居なくても、たぶんチェーンメールあたりで結衣が奉仕部を訊ねて、一色は生徒会長の話で奉仕部に行く。俺が居なくても───」
「あ、それはないですよ先輩。わたし、先輩をこき使う名目以外では、特に奉仕部に用ありませんでしたし。あとは海浜高校とのやりとり以外ではべつに、でした」
「え? いやおまっ……ここでそれ暴露しちゃうの?」
「暴露というか、あからさまだったから今さらではないかしら」
「というか、ハチ。お前のその態度も随分と懐かしいな。なんだ? 学生時代でも思い出したか?」
はっはっはと笑いながら、平塚先生……静ねーさんがシャンパンを開ける。
何本か開けると、それをグラスに注いで娘たち以外に回してくる。
娘たちにはシャンメリー。
それぞれを用意して、長机を挟んでの、グラスを合わせた乾杯。
「少し、同棲時代のこと思い出してたんですよ。結衣との将来のこと、真剣に考えてはもやもやしてた頃のこと」
「あー……あたしが風邪引いちゃった時のこと? あのあと不安とか打ち明けて、いっぱい話したよね」
「ふむ。……ああ、ハチが真剣な顔で“辛くてもいいから、修行ってくらいコーヒー学べる店、紹介してください”って言ってきたあれか」
「……っす」
今さらながら、というか……今さらだから恥ずかしい。
青春してたなー、俺。
「おお、新事実。パパはやはり、こうと決めれば頑張れる益荒男であったか……!」
「そしてその原動力がママであることに、妙な納得を抱くのが当然になっている今がある。実にジャスティス」
話をしっかり聞いていた娘が二人、『おお家族愛……!』とか言ってハイタッチをしている。
やめなさい、大げさに受け取らないで? パパ恥ずかしいから。
「そういえば、急にやる気に満ちた顔になって、働き続けて勉強し続けて倒れた日があったわね」
「あの時の結衣先輩、すごかったですねー……」
「うひゃああれは忘れてったら! ななななんで覚えてるの!?」
「? なにかあったの?」
「そうなんですよー城廻せんぱ~い、結衣先輩ったら、電話かけてくるなり“ヒッキーが死んじゃうー!”って」
「バイトがあるからと、二人が早くに部活を抜けた日だったわね」
「救急車を呼ぶ、という行動よりも、信頼を置かれていたということだろう。というか、一色? 君はその時雪ノ下と一緒にいたのかね?」
「え? あ、はい、生徒会長が小町ちゃんになれば、わたしも暇ですからねー。なんだかんだで奉仕部に入り浸ってたんで、雪ノ下先輩に結衣先輩から電話がかかってきたとき、ばっちり隣に居ました」
「~~~~……《ふしゅううう……!!》」
ちょっと? やめてあげて? 結衣が真っ赤になって悶絶してるから。
やんわりと家族に注意しつつ、俺の胸にぎうーと顔を押し付けて恥ずかしがる妻を、それはもう抱き締め慈しむ。
いやね、だってね、俺だって結衣が急に倒れたらそんくらい慌てるよ? というかまず電話する相手が小町になりそう。そして“小町に電話してる場合じゃないでしょうがこのごみぃちゃんはー!”とか怒られるのな。
……やだ、例えとしてあげたのにリアルすぎて泣ける。
けど、そうだよな。普通なら救急車だ。それか近くの頼れる人。普通ならそう思うんだろうに、結衣は……いや、結衣だけじゃねぇよな。きっと俺だって、それが正しいってわかってるのに救急車よりも先に、ここに居る誰かや、今は離れている誰かに電話をするのだろう。
そう思える今だから、思えることがある。
こんな俺でもこんな場所に辿り着けたことを、なにかに感謝したいと。
切っ掛けはなんだったんだろう。
総武を目指したからとか朝早くに出たからとか、理由はまあいろいろある。
それでもそのどれかが一つでも欠けていたら、俺達はこんな関係にはなっていなかったかもしれない。
それが時々胸を締め付けるのに……そんな世界の先を想像してみると、きっといつかは……ひっどい出会い方になろうと俺達は集まって……きっと、彼女に恋をする。
俺でいいよな?
漏れた苦笑と一緒に、自分の中に問いかけると、そいつは黙って引っ込んだ。
確かにな、俺じゃなかったならもっと別の幸せがあったのかもしれない。
金持ちと結婚して不自由ない生活~とか、俺じゃあるまいし専業主婦になって肥えてみたりとか。
「結衣」
「うん、ヒッキー」
額と額をくっつけ合って、くすくす笑う。
人の人生に“でも”は付き物だ。
ああであったならよかったーとか、こうであったらなーとか、そんな考えは行動のあとにいつだってついてくるものだろう。
“でも”。
こいつが望んでくれた幸せは俺との幸せで、ここに居る全員が望んでくれたのは、そこにある幸せを集めたからこその“全部”だったんだから。
「……恋する乙女って強いのな」
「えへへぇ、今さらだよ、ヒッキー」
「あー……はは、そだな。今さらだな」
「おおっと恋する乙女と聞いてはこの絆! 黙っていることなど出来ぬぅうう!!」
「聖夜の思い出が欲しい……熱烈に。一言で言うなら愛を誓い合ってほしい」
で、恋する乙女と聞いては黙っていない娘たちが、我こそはと名乗りをあげた。ええいちょっと静かにしていなさい、今いろいろと心に決めてる最中なんだから。
「結衣。俺は…………んんっ。結婚の時にも誓ったけど……な」
「うん……」
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、苦しいときも。お前を愛し、お前を敬い、お前を慰め、お前を助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓う。……好きだ、結衣。お前を、愛してる」
「……うんっ」
「パパ……!?《がーーーん!》迂闊だった……! 誰と誓い合ってと付け加えることを失念していた……!」
「美鳩のばかー! これじゃあ毎年と同じじゃないのさー!」
「学力がいいだけの天然馬鹿に言われたくない……」
「《ぐさっ》はうぐっ!? だだ誰が天然馬鹿だーーーっ!! 天然は血筋だい! わたしだけが特別なわけじゃないんだかんなーーーっ!?」
「ほらハチ、たまにはアルコールもいいだろう。ここに由比ヶ浜を狙う下衆い男は居ないんだ」
「いえ、シャンパンだけで十分っす」
「なんだなんだー、姉さんの酒が飲めないってのかこらー」
「毎度毎度、いきなり馴れ馴れしく絡んでくるのやめてくださいよ……」
……賑やかさの中に居る。
かつては眩しく思い、焦がれ、届かず、目を腐らせ心を捻じれさせた光景の中に。
自分には手に入れられないものなのだと諦めた筈なのに、引っ張ってくれる人が居て。
俺は───……
「───、……」
「ヒッキー? 今なんて……、───…………うん。幸せだね」
ありがとうが自然と口からこぼれた。
次いで、“幸せだ”とも。
……幼い日に抱いた光景がこれだ、とは言えない。
あの日に眩しいと感じたそれは、きっともう二度と手に入れられないもので、あの時のあの自分でなければ嬉しいと感じられなかったものなのだろう。
傷ついて痛みを知って、濁って腐って捻くれてしまった過去を持った今では、あんなにも輝いて見えたものから輝きを奪ってしまった。
それでも…………ああ、それでもだ。
俺が欲した場所にはもう、別の輝きがあるのだから。
もがき苦しみ、足掻いて悩んだ先に得た輝き。
欲しかったものがあって、それが一人じゃ手に入れられないものだったからこそ今があって。
それらのすべてが、ひとつピースがずれていれば手に入れられなかったかもしれなくて。
考えて考えて、まちがえてまちがえて、苦しみもしたし悲しみもしたし、孤独ってものを心が捻くれるくらいには味わって。
そうして残されたものの中にこそ、答えはあったのだから。
自分ひとりじゃ届かなくて、結衣とだけでもきっとダメで……叱って、注意して、支えてくれて、時に一緒に笑ってくれるような人達が居たから……俺は。俺達は。
「………」
聖夜になにかを誓うことで、もしその想いが叶えられるなら。
俺はなにを願うだろう。
それはきっと、誰であろうと願うことで、世界から見りゃちっぽけなもの。
なのにそれはとても温かく、欲しても簡単には手に入らなくて。
……俺は、そんななにかを手に入れられたかな。
満足にはきっとまだ遠い。
だって、満たされて足らしてしまったら、願うことをやめてしまいそうだから。
きっとちっぽけだったものでさえ、望むことすら嫌悪され笑われたいつかは遠く。
手に入らないのならと、嫌うことで興味の無いフリをしたところで、わかってもらえたら嬉しくて。
俺は結局……こいつが全部を願ってくれなかったら、欲しかったもののほとんどを見ることも感じることも出来ず、いつかどこかで泣いていたのかもしれない。
強制的に渡される高校のアルバムを開き、ある部活の写真の中で、カメラも見ずにそっぽ向く黒髪の少女と、目を腐らせカメラを見つめているようで微妙にズレた位置を見て移ってる男と、その中心で二人を一生懸命引っ張って、頑張って真ん中に寄せようとしているお団子の髪型の少女を見つめ……泣いていたのかもしれない。
なぁ。俺……お前にしてやりたいこと、いっぱいあるんだ。
感謝ばかりが浮かんでくる。
言葉じゃ足りないから抱き締めて、抱き締めて…………ただ、抱き締めた。
「……ひっきぃ……?」
急な行動に驚くでもなく、背に腕を回して抱き締め返してくれる。
理由を訊かないやさしさにもありがとうが浮かんだ。
……時々、ひどく悲しい気持ちになることってあるよな。
俺にとっては今日がそうで……結衣にとってはきっと、サブレの…………いや。
きっかけがどうとかは特になかったのだ。
本当に、ただ久しぶりに、心の中の黒い部分が浮かんだだけ。
だからこんなものはシャンパン飲んで騒いでみれば、案外簡単に消えるのだろう。
「んっ……よしっ!」
気合一発、シャンパンをゴッフと一気飲みすると、結衣を抱いたまま立ち上がって歌おう友よ!
「おお! パパがやる気だ!」
「ならば我らも本気を出さねばなるまい……! 父の背を見て成長する娘……実にジャスティス……!」
そうして、叫べるような歌───ではなく、楽しげな歌を歌った。
次いで結衣が歌って、俺も低音で歌って。
……いつかの話はいつかでいい。
結果がその時に到った現在に辿り着いた時にこそ、また思い出して……それでも、そこにあってほしいものがあるのなら、俺達はまた額を合わせ、笑うのだろう。
幸せだな、幸せだねと伝え合いながら。
というわけで選択肢11、終了。
こもれびさん、済まぬ。とりあえず1万5千以下でいけるようにしよう、そうしよう。
……いえね? こんなに長くするつもり、なかったんですよ?
というか長いって感じなかったんです、書いてて。
これくらいじゃあまだ5千くらいだろうなーとか思って字数みたら1万7千とか。
いえもうほんと……ごめんなさい。
ヘレン・フィッシャーさんの恋は3年、愛は4年に関しては、こもれびさんの“コク・ハク”を見ればわかりやすいかもですよ!
したらな!