どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
そうして、恋人同士ってものになった俺達はといえば───
「っべー! べーわぁ! ここが胞子部!? キノコとかマジ見てみたいんだけどぉ、どっかに隠してあんのー!?」
「戸部くん、静かにしなきゃ」
「ゆーてもこうして仲間内で部活に入るとかマジ青春しまくりんぐでしょぉ、テンション上がるわぁ~」
「むしろ戸部も彩加も、いいのか? サッカーとかテニス」
「べつにサッカー選手目指してるわけでもないし……いんじゃねっ☆」
「僕も、やるならみんなとやりたいから」
あれからいろいろあって、奉仕部に入部していた。
いろいろっていうのがまあ……あの日、恥ずかしさのあまり涙目になったどこぞの部長さんだったわけだが……
「どうしてこうなってしまったのかしら……」
「うん、とりあえずアレだ。見ていられなかった」
「いらないお節介をありがとう、告白谷くん」
「ガヤしか合ってないぞ、それ。……悪かったよ……その、急に入ってきて告白とか」
「~~~……それはもう忘れてちょうだい……!」
まあ、その容姿ならしょうがないなぁとは思う。
雪ノ下さんは幼い頃からいろいろあって、男子に告白とかされまくっていたんだそうな。
もちろん遠回しなものから直接的なものまで、ありとあらゆる告白を。
中には一目惚れとか、彼女が居るのに告白、なんてのもあったらしい。
そりゃしょうがない、勘違いもする。
まあそんな理由もあって、どうせ部活も入ってなかったしって理由で入部だ。
入部する旨を戸部や彩加に話してみれば、じゃあ俺も僕もってことになって、現在に到る。
結衣はといえば、なにやら雪ノ下さんといろいろ……ああいや、雪ノ下さん“に”話しかけまくっている。
どうやら仲間内に女子が居なかった分寂しかったようで、部活仲間という名目を存分に武器にして、また勘違いしてしまわないようにと話を最後まで聞く姿勢を取っている雪ノ下さんに、それはもう遠慮なく話しかけまくっている。
「ね、ねぇ雪ノ下さん。ゆきのん、って……呼んでいい?」
「いやよ」
『ダメとかじゃなくて嫌なんだ!?《がーーーん!》』
そして全員分のツッコミが、その部室に響いた。
「だ、大体、仲間に女子が居なかった、なんて……。そこに居るじゃない」
「え? あ、あー……えっと、僕、男です。戸塚彩加っていいます」
「!? ……、っ……えっ……!?」
「あー……まあ、驚くのは無理ないっしょぉ……誰でも最初は通る道だべ」
「男性三人の中に独りだけ…………苦労したのね、由比ヶ浜さん」
おお、雪ノ下さんがやさしい笑顔に……!
「ゆきのん……!」
「やめてと言ったでしょう、あなた耳でもおかしいのかしら」
あ、絶対零度の冷笑に変わった。
「あー、ところでえーとぉ、雪ノ下さん? 告白のあとのこの二人~、どんな感じだったのか……」
「そうね。顔を赤くして手を繋いで、人の目があるというのにべたべたしていちゃいちゃして、終いにはキスをしていたわね」
「うひゃっふぁひぃやぁあああああっ!? ゆゆゆゆきのんななななに言ってぇええっ!?」
「ちょぉ、告白したばっかなのに、それマジレベル高すぎでしょぉ……けど、グッジョブ? ヒキタニくん、グッジョブ?」
「わ、わー……八幡、それほんとなの……?」
「い、いやー……その………………だいたい?」
「ヒッキーも! なんで言っちゃうの!?」
「やー、でもガハマっちゃんの反応見てりゃ一発っしょ……。ガハマっちゃんがいっちゃん解りやすいわぁ」
「はうぅっ!?《がーーーん!》」
そう。告白から手を繋ぎ、見つめ合って恥ずかしくて、でもニコニコしながら見つめ合い、やがて……って感じで。
いやほんと、自然だった。引かれるみたいにそっと。だった。
俺でもあんなんなるんだな、なんて……した後に思ったくらい。
で、ラブラブチュッチュしたあと、いや正確には気づけば完全下校時刻のチャイムが鳴ってたくらいだから相当長い時間ちゅっちゅしてたわけだが、ハッと気づけば見ていられなくなったのであろう、顔を両手で覆ってふるふる震えていた雪ノ下さんが、「お願い……もう帰らせてちょうだい……」って涙声でお願いしてきていた。
それから何日か話す機会があって、俺達があの事故の当事者同士だって知って……それからは、まあその。むしろありがとう、みたいな感じで、結衣が雪ノ下さんに抱きついたりして……いろいろあって現在に到るわけだ。
「あー、ところでこの部活、依頼人が来るまでなにしてるん? 駄弁るん?」
「各自で時間を潰してちょうだい。小説を持ってくるのでも構わないし、ただあまり騒がしくはしないでくれるとありがたいわ」
「おっけおっけ! んーじゃあまずは親睦会っちゅーことで、軽いゲームでもしてみちゃう?」
「……戸部くん、といったかしら。騒がしくしないでと言ったのよ、私は」
「あんれー……? もしかして雪ノ下さん、ゲームで負けるの怖い系?」
「いい度胸ね、それは私への挑戦と受け取ったわ」
変わり身速っ!?
あの彩加をして、「うわー……」とか言わせるほど変わり身の速さよ……!
「じゃあさじゃあさ、今日はゲームとか特に持ってきてないし、軽くじゃんけんとかから───」
「いやいやー、集団ゲームの基本はトランプでババ抜きでしょぉ! 安心して俺にまっかせなさーい! 俺、トランプとかマジ常備してるしっ! いんやー俺パーフェクトサポートすぎっしょー!」
「戸部くん、静かに」
「アッハイ」
「う、うー、うー……」
「……? 由比ヶ浜さんはなにを唸っているのかしら」
「ああ、えっと。由比ヶ浜さんはね、ババ抜きとかポーカー、顔に出ちゃうタイプだから」
「ああそれで。……トランプを出される前にじゃんけんにしたかったのね」
負ける未来を想像しているのか、やる前から悔しそうにしている結衣の頭を撫でる。
と、きゅっと寄り添うようにして密着してきて、見上げてくるからたまらない。
まるで、犬に“もっと撫でて”とねだられているようだ。
「こほんっ。……由比ヶ浜さん、撫で谷くん、ここはいちゃつく場所ではないのだけれど」
「安心してくれ雪ノ下さん。これは慰めているんであって、いちゃつきでは断じてない」
「そう。ならば寄り添う理由にはならないわね。由比ヶ浜さん、離れなさい」
「………《ピタッ》」
「………《ぎゅうう……》」
「いえあの……撫でなければ寄り添っていていいとは、誰も言っていないわよ……」
「まあまあ雪ノ下さん、ここは硬いこと言いっこなしってことで! したらもうゲームとか始めちゃいましょぉ、はい一枚二枚三枚……」
「……強引なのね、彼」
「あはは……でも、戸部くんが居ると居ないのとじゃ、いろいろと違うから」
「そう……騒がしいだけではないのね」
「え、と……うん……基本は騒がしい、かな。あはは」
「とべっちだもんね……」
「まあ、戸部だから」
「……はぁ。なんとなく解ったわ、彼の立ち位置が」
トランプが配られた。
そして座っている位置関係で回転方向を決めて、早速開始。
「ほんじゃあ俺から……おっ、早速一枚捨てられたわー、オープニングヒット取っちゃったわー」
「静かにしなさいと言っているでしょう……はい、由比ヶ浜さん」
「うん。えとー……これ。はい、ヒッキー」
「これだな。ほい彩加」
「えーっと……じゃあこれ。はい戸部くん」
「じゃあこれ……ああいやこっち? いやいやこっち? ……これだわ~、これしかないわ~───ぶふっ!? ないわぁ、これないわぁ……」
「ババか」
「ババね」
「ババだね」
「戸部くん、顔どころか口にも出しすぎだよ……」
「いんやぁ、こういうのも解ったほうが面白いってもんでしょぉ! ちゅーわけで雪ノ下さんっ! オナシャスッ!」
「《ごくり》……っ……! これ……、いえ、これ…………い、いえ……!《ぐぬぬ》」
(……わああ……本気だ……)
(本気の目っしょ……)
(わー……本気の目だよヒッキー……)
(……負けず嫌いなんだろうな……そっとしといてあげよう)
「───!《クワッ!》これっ! ……ぐっ!?《がーーーん!》」
その反応だけで丸解りだった。
そうして一枚一枚引いていって、戸部が上がり彩加が上がり、俺が上がって……舞台は結衣と雪ノ下さんの一騎打ちに。
「なんだか無駄に緊張しまくりんぐでしょぉ、これ……」
「な、なんか喉乾くね」
「雪ノ下さんが本気すぎるのが問題なんじゃないか……?」
「な、なにを言っているのかしら。私のなにを、どこを見て本気だというのか。まずはそれを説明したのち、私が納得出来るまでそれらを細かく砕いた上でさらに説明を───」
「ごめん悪かったからゲームに集中して!?」
「ふぅ……解ればいいのよ」
うん、ゆきのん、結構解りやすい子だ。
「あぁところでガハマっちゃん? これで勝ったら、ヒキタニくんがご褒美あげるって。こ~りゃ頑張るっきゃないでしょぉ!」
「へっ? ご褒美? なにそれ」
「ほんとっ!?《ぱあああっ……!》」
「エ!? ア、ヤー……ウ、ウン」
「ごほーび……《キラキラ……!》」
ウワー、目ぇめっちゃ輝いてらっしゃルーーーッ!!
(お、おいっ戸部っ、どーすんのあれっ! ご褒美なんて、俺どうしたらいいかっ……!)
「ガハマっちゃーん! ご褒美はなんと! NHの後の壁ドン顎クイ、最後にK……濃厚なディープキッスだってさぁ! いんやー、こりゃ勝たなきゃ嘘でしょぉ!」
「───!!《ぐぼんっ!》~~~っ!? ~~~っ!?」
あ、なんか終わった。
結衣が瞬間沸騰して、わたわたして、両頬を手で押さえて、ふるりと震えたあと……そこには、戦う女性の姿があった。
(わあ……! 本気の目だ……!)
(おー! これとかガハマっちゃんマジやる気でしょー!)
(おい……おい、どうすんだよこれほんと……)
ていうかNHってなに? あと……か、カベ・ドゥーン? どこぞの魔王さまがカツ丼につけそうな名前ですね。顎クイは……なんとなく解る、かな。
で……NHに……Kを並べるとNHK? 受信料取られちゃうの? え? 違う?
ふんふん……? 二の腕を(N)引っ張って(H)キスをする(K)の略?
……え? 俺、これで結衣が勝ったら、わざわざ壁の近くで結衣の二の腕引っ張って、壁に追い詰めたあと壁に手ぇついて顎をクイっとしてキスしなきゃならないの?
やだ困る! いやヴァンプ将軍やってる場合じゃなくてさ! 困るよ!
そんな───ひ、人前でキスだなんて! ……え? そういう問題じゃない?
そ、そうだよな。遊びのご褒美でキスってなんかヘンだもんな。
それに条件が同じなのに、雪ノ下さんにはなにも無いって言うのは差別だ。
「あ、じゃあ雪ノ下さんには───」
「……え? な、なにかしら。私にもなにかがあるとでもいうの?」
「うーん……俺からなにか貰ってもうれしくないだろうし……あ、じゃあこうしよう」
「?」
「戸部g」
「ごめんなさいそれは無理」
『早っ!?』
まだ戸部しか言ってないのに驚きの速さで断られた。
あ、でも戸部爆笑。元気だなぁ。
「ところでヒキタニくん? 雪ノ下さんのご褒美ってなんて言うつもりだったん?」
「戸部が脱ぐ」
「ごめんなさいそれは無理」
「ちょぉそれ断られてもマジ当然でしょぉ!? ヒキタニくんキッツイわー! ちゅーか改めて断られるとか俺のハート、マジズタズタだわぁ……」
「じゃあ戸部がなんでも言うことを聞く、とか。あ、一度だけ」
「…………《むぅ》」
「だからヒキタニくーん、俺をご褒美にするとか、勝手にご褒美扱いにしたの謝るから───え? あの、雪ノ下さん……? なんで真面目に考えてるん?」
「……静かにしてもらう……いえ、この部室での発言を禁止……? いえ、口を開くことを禁止する……」
「え、えー……? なんか俺マジで風邪とか引いたら生命の危機になりそうなこと、真面目に考えちゃってる感ありまくりんぐなんですけどー……ヒ、ヒキタニくーん……」
やめて、俺に振らないで、巻き込まれたら俺もいろいろ禁止されちゃいそう。
「大丈夫だよ戸部くん、ご褒美って意味では八幡も変わらないし、それも戸部くんが先に言い出したことだし」
「あれ? 戸塚ちゃん? あれ? なんか怒ってる? え? なんでー?」
「遊びでキ、キスとか、女の子のご褒美にしちゃうなんていけないと思うんだ、僕っ」
「あ、あー……確かにちょっとチョーシ乗りすぎたかもだわー……あ、お二人さーん? さっきのご褒美のことなんだけどー……」
「───なにかしら。真剣勝負の途中で声なんてかけないでちょうだい《じろり》」
「とべっちちょっと黙ってて《じろり》」
「アッハイ」
戸部、沈黙。
い、いや、ご褒美の件に関しましてはとても魅力的ではございますヨ?
けれどもそれをご褒美としてしまっては、言われたからやったみたいな強制力が働いてしまい、どうにも納得できないと申しますカ。
いえ嫌ではないんですよ? 重ねて言いますが嫌ではないのです。
ただなんといいますかハッキリ言ってしまえば恥ずかしいと言いますか。
「では勝負よ、由比ヶ浜さん」
「うんっ、勝っても負けても恨みっこなしってゆーやつだよね!」
「嫌よ、恨むわ」
「恨むんだっ!?」
どんだけ戸部を黙らせたいの、雪ノ下さん……。
彩加と顔を見合わせて笑う中、やがて伸びた雪ノ下さんの手が、結衣のトランプを掴んだ。
───……。
……。
帰路を歩む。
普段の下校時刻とは違い、完全下校時刻ともなると家を目指す生徒自体も少なく、静かなものだ。
自転車は虫ゴムの劣化により空気が入らず、家で沈黙しているため、今日は歩きだ。
「あうぅ……あそこで右のを取ってたら……」
「俺としては、ああも二人ともババを引き続けられたことに驚いたよ」
結衣と雪ノ下さんの勝負は、あれから随分と続いた。
どんな奇跡だったのか、はたまた互いに表情を読み取ったのか、何度引いてもババ、ババ、ババ。
ようやくそれが終わった時っていうのが、集中しすぎていた二人が平塚先生の来訪に驚いて、狙っていたトランプとは別のトランプを掴んだ瞬間、っていうんだから……。
あれ、もし平塚先生が来なかったら、ずっと続いていたんじゃなかろうか。
「で、でもさ。でも……」
「………」
ご褒美がなかったことがとても残念らしい。
腕を引っ張られて壁に押し付けられて、顎を持ち上げられてキス……それのどこがいいのか、俺には解らないけど───
(まあその、なに? 好きな人がそれを望んでくれているっていうなら)
恥ずかしい。とても恥ずかしいけど……
(み、右良し、左良し……壁……よし、綺麗。汚くない。人通りもなし、と)
ごくりと喉が鳴る。あれ? これただの変態じゃない?
けど、恋人、こここ恋人っ、としてっ、相手がやってほしいことくらい、ででで出来るように……!
「───結衣」
「え?《ぐいっ》ひゃあっ!?」
隣を歩く結衣の二の腕を引っ張って、それほど勢いがつかないよう、俺と壁の間に押し込むようにする。
背中をドッと壁に当てた結衣は、状況がよく解っていないようで───けれど冷静になられても恥ずかしいから、それならばと俺も畳み掛けた。
ええっと、カベ・ドゥーン……じゃなくて壁ドン。
「え? え? ヒッキ《ドッ》……ぃ……」
結衣の顔の横、その先の壁に手をつき、腕を曲げる。
曲げれば曲げるほど顔は近づいて、そうすることで、顔を朱に染め、目を潤ませる結衣の顔がよく見えた。
それに気づいたのか、赤い顔を見られたくなくて顔を逸らそうとする結衣。
けれど俺はもっと見ていたくて、自然と動いた右手が結衣の顎をやさしくさすり、くすぐったさにぴくんと震えた時、その顎をクイッと持ち上げるようにして俺の方へと向けさせた。
……あれ? これって……あれ? これが顎クイなんじゃないですか? やだ、無意識にやっちゃってたよ俺。
表情には出さないように腹筋に力を込めて、けれど俺を見上げる結衣から、恥ずかしそうな「あぅう……」という声が耳に届いたら、もうダメ可愛い。自分を押さえられない。
「……結衣」
「……は、ぃ……」
ご褒美ではこれからなにをする、とかそんな考えは浮かんでくれなくて、ただ自然に……壁についた左腕を曲げていった。
曲げて曲げて、やがて肘が壁に密着する時。
俺と結衣の口も、静かに密着していた。
啄ばむようにして、くすぐるようにして、なめ上げるようにして、吸い付くようにして、やがて……空気が逃げないようにして。
「んゆっ……ぷあっ……あぅう……ご、ご褒美って話だったのに……っ……これじゃあとべっち、黙り損だよ……」
「う……まあ、その……たまにはいいんじゃないか……? て、いうか、だな……その」
「……? う、うん……?」
「してほしいこととかあったら、その……ご褒美、とかじゃなくて……普通に言ってくれ。出来るだけ、ええと……がんばるから」
「ヒッキー……う、うん。……うんっ」
あ、笑顔。
なんか……やすらぐ。
好きな人の笑顔って、自分もうれしくなるから不思議だ。
「じゃあ、ね……あの、ヒッキー……? さ、さっそくなんだけど、さ」
「ウェッ!? あ、う、うん。じゃなくて、おう……」
「……手、繋いで……帰りたいな」
「………」
「………」
「…………《かぁああ……!》」
「…………《かぁあ……!》」
あんだけ濃厚なキスをしておいて、手を繋いでの下校さえしたことがなかったことに気づいた。恥ずかしい。
それでもそうしたかったから、壁ドン状態を解除。彼女の手を引っ張って壁から離してから……お互い横に並んで、手を繋いだ。
けれど結衣はムーと口をへの字にすると、一度手を離してから組み位置を変えて、腕に抱きつくようにしてから恋人繋ぎで手を繋いできた。
「ア、アーアーアウアウ……!? ゆ、ゆゆゆゆ、結衣……!?」
「え、えへへ、えへへへへぇ……♪ あ、あの、ね? 一度……もし、好きな人が……恋人が出来たら、一度やってみたかったなって……」
こてりと肩に頭を預けてきて、けどなにかしっくりこないのか、何度か位置を変えて……ハッとすると顔を少し下げて、俺の腕にこしこしと顔をこすりつけてきた。
途端、パッと俺を見上げた顔が、目が、らんらんと輝いていた。
……ああ、うん。どうやら安心出来る安定のポジションを発見してしまったようです。
恥ずかしくて、もう行こう、とばかりに歩を進める。
急に歩いたもんだから結衣はびっくりして「ひゃんっ!?」と小さな悲鳴を上げるけど……俺を見上げるその顔は、とても嬉しそうだった。
「……ねぇヒッキー?」
「お、おう? なんディスか?」
「なんでちょっと巻き舌なの……? えっと、えっとさ。もっと……どんどん、さ。……恋人同士で出来ること、たくさんたくさんしていこう……ね?」
「……お、俺が……その。俺が……恥ずかしさで死なない程度でお願いしたい……」
「えと……わかった。じゃあ、あーんとかは……?」
「どっか二人きりで食べられる場所、探すか……」
「わ……ダメ、とかは言わないんだ……。えへ、えへへへぇ……♪」
「うぐっ……い、いや、俺だってその……嬉しいんだから、拒否するとかないだろ……」
「うん……おべんととか、一緒に食べたい。もっといっぱいお話して、もっといっぱい遊んでさ。それで、それで……」
「ん……」
「もっと……いっぱい、一緒に居たいよ……」
「……そだな。来年、同じクラスになれるといいな」
「うん……」
繋いだ手にきゅっと力を込める。
その分だけキュッと握り返された感触に、くすぐったさと嬉しさが湧いてくる。
「ゆきのんともなれるかな」
「雪ノ下さんは無理だな。そもそものクラスが違うんだ。国際教養科って覚えてるか?」
「あ、うん。頭のいい人がいっぱい居る───……え? もしかして?」
「まあ、そうだな」
「うー……じゃああたしたちが国際教養科に……」
「やめて、クラスメイトがほぼ女子とか俺死んじゃう」
「えっ……女子ばっかりなの? や、やめっ、やっぱりやめようっ、うんそれがいいっ!」
結衣も反対してくれて、心底ほっとする。
いやほんと、目移りはしない自信は怖いくらいにある。あるんだが、相手がそうとは限らないだろ。
俺がモテるとかそういうアホなこと言ってるわけじゃなくて、女子にはそういうことを捏造してでもぼっちを貶めることを好む存在が居る。
だから、女子がほぼを占めているクラスになんて近づくアホな男子は、それこそアホな男子だ。
小中とそういった経験を積んでくれば、嫌でも理解出来るってもんだ。
……希望だけは捨てなかったから、今こうして隣に、考えられないような綺麗で可愛い恋人さんが居るわけですが。
「んー……ねぇヒッキー。あたし、髪とか染めたら似合うかな」
「似合うだろうけど、派手になっていろんなやつに声をかけられるようになったら俺が嫉妬しそうでキモい」
「キモいところまで確定しちゃってるんだ!?」
「黒髪でいいよ。周りに合わせるとか、そういうのはしなくていいから。俺は、その……そのままの結衣が好きだから」
「そのままの………………うん。えと……あたし、結構ずるいし、欲張りだよ?」
「ん。知ってる」
「知ってるんだ!?」
ずるくない人間、欲張りじゃない人間なんて居ない。
それでも信じるって決めたし、本当に好きだから。
そんなずるさや欲張りな彼女がどうであれ、その感情のすべてが自分に向いてくれているなら、こんなに嬉しいことはない。
あ、いや、怒りとか悲しみとか落胆などなどの感情はどうかと思うけど。
「じゃあ……あたしも、もっともっとヒッキーのこと知らなくちゃだ」
「知られたら知られるたび、成長できる自分で居たいな。飽きられたら捨てられないように」
「捨てるって……あはは、それはないんじゃないかなぁ」
「いや解らないぞ? 案外───」
「ヒッキーのどこを、とかじゃなくてさ……ヒッキーだから好きになったんだ。だからね、暴力とかひどいことされない限り、あたしからヒッキーと別れる、なんて言うことは……絶対にないんだ」
「………」
あ、だめ。これだめ。
「~~……《かぁあああああっ……!!》」
顔、熱い。あっつい。
な、なんば言いはらすばい、こんお子は。
ああいや落ち着け俺、頭の中に軽い言語妨害ジャマーが発生した。
え? え……と? じゃあ? 俺が結衣のことを好きで居続けて、大事にし続ければ……その、将来、とか……。
「…………っ」
もうだめほんとだめ、好き、大好きすぎる。愛しすぎているまである。
なにこの“付き合ってた筈なのにまた心の底からオトされた”みたいな気持ち。
え……? これが俗に言う惚れ直したとかいうやつなの?
なるほど、すとんと来た。これは惚れ直しだな。大好きだ。
「ゆ、結衣」
「う、うん……」
改めて自分の気持ちを打ち明けてみて、きっと恥ずかしかったのだろう。結衣も真っ赤になってどもりつつ、俺が見下ろし、彼女が見上げる形で立ち止まる。
「な、なんでも言い合えるって関係……最初は目指したよな」
「うん、そうだったよね」
「ええっと……逐一報告してるとキリがないんだけど……さ」
「? うん……」
「……俺、結衣が好きだ」
「……、……───ふえっ!?」
「さっきから惚れ直しまくっててやばい。押さえとかないと今すぐにでもキスしてキモいとか言われて引かれるくらい好きだ」
「い、言わない言わないっ、キモいなんて、人が傷つくことなんて言わないったらっ! ……そのために、相模さんのグループの誘い、断ったんだから……」
「ん……ごめん、そうだった」
「でも……えへへ、そっか、そっか…………~~♪」
あら上機嫌。自然とふんふーんって鼻歌歌っちゃうくらい、上機嫌な恋人さんが、すぐ隣にご光臨。可愛い。
「ええっと、ん、んんっ、その」
「うん」
もうほんとご機嫌。俺を見上げる顔が笑顔のまんま崩れない。
しかも“うん”って返事が、これ語尾に“♪”ついてるよ絶対ってくらい弾んでる。嬉しいって体全体で表してるくらい嬉しそう。
そしてそんな彼女を見ている俺も、相当に嬉しい。
「今度……その。お前の……手作り弁当、食べたい……って言ったら、引く?」
「───………………、…………い……」
「い?」
「いいのっ!?」
「うわっと」
驚いた顔で訊き返された。
なんで……とは言わない。俺と彩加と戸部とで、もう散々味見もして大変不評だったことは、結衣自身も知っている。というか“そんなひどいかな”と自分で味見した瞬間に納得に変わったのだ。あれは仕方ない。
「恥ずかしながら、実はちょっと、いやかなり憧れてたもんで……その、結衣さえ良ければ」
「~~~っ……う、うんっ! 作るっ! がんばるっ! 今度はちゃんと、上手く作るからっ!」
「ていうか……お料理教室でも開くか? 俺もそこまで得意なわけじゃないけど、小学六年あたりまでは家事を任されていた腕ではあるし」
「そうなんだ……じゃあそこからは小町ちゃんが?」
「ん、そうなる。たった三年で追い抜かれた気持ちは察してほしい。……あー、でも今から家に来るんじゃ時間がないか。学校の家庭科室を、ってわけにもいかないだろうし」
「あ、大丈夫。今日は別に遅くなってもいいんだ。パパとママ、居ないし」
「」
言葉が出なかった。
え? 今……なんて? ご両親、いらっしゃらない?
いや待て勘違いするな比企谷八幡。これはそういう意味で言ったんじゃない、純粋に両親が居ないと言っただけだ。
つまりこのまま結衣を帰したら彼女は一人で、それを知っていて計画を立てていたクズが宅配を装って扉を開けさせて一気に───
「───」
漫画とか小説の読みすぎだな。そう、大丈夫。とは言わない。
実際にそういう事件もあるから、そういう話も出てくるのだ。
だから……つまり……ようするに……。
「結衣」
「ん?」
「今日、うちに泊まってけ」
「………」
「………」
「………」
「?」
「……はうっ《ぽむっ》」
俺を見上げた状態のまま、固まりつつも歩いていた彼女が停止。
少しすると顔がぽむっと赤くなって、それから盛大に慌て出した。
「ひ、ひひひっひっきー!? にゃななにゃにゃなにいってんの!? あたっ、あたしたちには、まだそーゆーの、はやっ、ひゃややっ……! あ、でででも高2になっても処……なのは遅れてるとか周りの子が……じゃあ高1の今……!? でででもっ! でもぉっ!」
……ハテ。なんでこんなことになっているんだろうか。
俺はただ、結衣の身を案じて提案した筈なんだが。
えーと……? 女性、泊める。男の家…………ア。
「いや違うっ! ちょっと待ってくれ! そういう意味じゃなくて! ~~……結衣が、一人で居る時に変質者とか来たらって思ったら……!」
「…………ヒッキー……」
「……ごめん、それにしたっていきなりだったよな。あ、でもほんと泊まっていってくれ。いっそ家では俺の傍じゃなくて、ずっと小町の部屋に居てくれていいから」
「………」
「…………~~……頼む。本当に……心配なだけなんだ……」
「……うん。わかった。あたしもさ、実はちょっと……怖くってさ。明日から土日休みだし、パパもママもそれで遊びに行くっていってて……」
「え……じゃあ明日も明後日も?」
「うん。だから、今日から少し、ヒッキーの家にお邪魔しちゃっても……いいかな」
「いい、全然構わない。あ、でも着替えとかは」
「そんな遠くないし、今から取りに行くね。あ、じゃあここで待ってて───」
「一緒に行く」
「え? でも」
「行くから」
「…………あははっ、うん」
ほにゃりと笑ってくれる姿に安心する。
他の誰が見ても過保護というか、正直キモいくらいなんだろうけどな……いや、実感もあるし。俺だったらここまでされると困ると思う。
でもな……なんて思っていたら、曲がり角を曲がった先で騒ぎがあった。
「……ヒッキー」
「………」
聞こえる声を拾ってみれば、変質者が出たとか。
なんとも言えない気持ちのまま人だかりの横を通って、結衣の家に行って……お泊りセットと、独りぼっちは寂しいので連れてきたサブレをお供に用意して、いざ出発。
帰る途中でスマホを使い、小町に事件のことも含めて説明すれば、なにを当たり前のことをとばかりに「さっさと連れてきて!」って言われた。いやお前、兄に向かってさっさととか……。
……。
で。
「いやー結衣さんよく来てくれました! 変質者とか現実味ないですけど、いっそ捕まるまでここに居てくれて構いませんからっ! あ、なんなら永久就職でお兄ちゃんの部屋に住んでもらっても……《でしっ》いたっ」
迎るなりネジがぶっとんだことを言い出す小町の額に軽くチョップ。
「なに言ってんだ。ほれ、客人玄関に立ちっぱなしにさせてんじゃない」
「あ、こりゃ小町としたことが失礼をっ! さぁさ結衣さん! どーぞどーぞ! あ、カーくんと衝突するのはまずいので、ワンちゃん……サブレちゃんでしたっけ? は、こちらへっ! ……お兄ちゃんの部屋だけが汚い家ですけど上がってください!」
「おい待て、俺の部屋綺麗だっての。小町ちゃん? なんでそこでわざわざいらないこと言うの」
「はいはいほらほら先に汚いとか言っておけば綺麗だったら喜ばれるでしょ、いーからお兄ちゃん、ちゃっちゃと着替える。あ、結衣さんはこっち来てくださいねぇ~♪」
妹の態度が俺と客人で違いすぎる件。
まあ、いい。
家に彼女を連れてくる、なんて一大イベントではあるが、そんなことに喜べるような状況でもない。
さっさと着替えてのんびりしよう。遠慮があったら、結衣もゆっくり出来ないだろうし……なんならいっそ、さっき言った通りずうっと小町の部屋に居てくれてもいいのだから。
というわけで、着替えてから自室でゴロゴロしていたわけだが。
小町が掃除してくれたんだろうか、異様に綺麗になっている自室に呆れつつ、なんかベッドで寝転がる気分でもなかったのでクッションを枕に床に寝転がっていたら、チャッと扉の開く音。
小町かな、と思いつつ小説に集中していた。
気配が近くなって、あれ? と思ったら……ぽすんっ、と仰向けに寝転がっていた俺の腹に重みが。
あんれー、カマクラだったん? それともサブレ? と思って見てみれば、恋人が寝転がりながら、俺の腹に頭を乗せていた。やだ可愛い。じゃなくてアイエエエエ!? ガハマ!? ガハマナンデ!?
「えちょっ、え!? ゆ、結衣っ……!?」
「あ、ウゴクヨクナイ、ノーウゴク、ノー」
「……それ、平塚先生から?」
「うん。パンナコッタ……なんとかも」
「まあ……あんまりラノベの真似はしないようにな。笑ってくれるならいいけど、別の意味で笑う人の方がたぶん多いから」
「じゃあヒッキーにだけすればいい?」
「う……まあ、その……そうかも」
「えへへぇ……♪」
横向きに寝転がって、俺を見つめる顔に見惚れる。
小説から視線を外してつい、じいっと見てしまうけど……ああもう、なんでそんな嬉しそうな顔するのか。構いたくなるじゃないか。
「……ヒッキー、どきどきしてる」
「腹まで心音届いてるのか……すごいな俺の心臓」
「うーん、集中してると聞こえ…………あぅ……これ、あたしのどきどきだ……」
「うぐっ……それを俺に言って、どうしてほしいと……!」
「どう、っていうか……えと。こうしていたい……かな。……ダメ?」
「……ちょっと待ってて」
寝転がった体勢のままなんとか手を伸ばして、ベッドにある毛布を引き摺り下ろす。
それを結衣にかけてやると、俺も掛け布団をばふりと腰辺りまでかける。
全部被ると結衣が埋もれるし。……と、ちらりと結衣を見てみれば、なにやらポ~っとした顔で、薄目のまま真っ赤になっていた。
(……ひっきぃの匂い……)
「え? 結衣? 今なんて……」
「…………すぅ……」
「え? や、え? 結衣? ちょ……結衣っ!? …………まじか、寝てる」
すげぇ、のび太くんもびっくりの新記録なんじゃないか? いやさすがに彼には勝てないか。
「………」
「…………すぅ……すぅ……」
うわわわわわ寝顔めっちゃくちゃ可愛いぃいい……!!
え、ちょ、どうしたらいいの、俺どうしたらいいの、助けて小町、助けて。
「………」
「……すぅ……すぅ……」
「………」
「んんゅ……んー…………すぅ……」
大丈夫です、なんの心配も要りませんよ。自分を戒めることに関しては心得のあるベテランボッチャーの八幡さんが、こんな安心した顔で眠る恋人にやましいことなどするわけがないじゃないですか。まあ今じゃぼっちではないし、病院生活から今日までぼっちだったわけでもないから、プロを名乗れるほど優秀なぼっちではなかったけれど。
きっと病室でもぼっちで、学校でもぼっちだったら、プロどころかエリートだったんだろうね。結衣と、彩加と戸部に感謝だ。
ていうか……ね。なんか、欲望なんか湧かない。いや、もちろん一瞬湧きかけたけど……なんて言えばいいんだろう。守ってやりたいって気持ちがあっさり勝ってしまった。
父性っていうのかな。ちょっと違うか。でも、結構似たなにか。
安心してくれたんだ。俺なんかの傍で、寝てもいいって……思ってくれたんだ。
嬉しいじゃないか。本当に……嬉しいじゃないか。
そんな人に、どうしてひどいことが出来る。
「…………静かだな」
呟いて、俺も目を閉じてみた。
腹の上に大事な大事な重みがあるって、不思議な感覚だ。
カマクラが乗ってくる重さとはまるで違う、くすぐったいのにどけたいとはちっとも思わない、大切な重み。
もちろんカマクラがどうでもいいってわけじゃない。けど、大切ってものの……その、方向性? が違うのだ。
「……すぅ」
呼吸を落ち着かせていく。
うるさかった心臓も段々と静かになっていって、嗅ぎ慣れた自分の部屋に、別の香りが混ざってくると……それを自然と受け入れて、俺もまたゆっくりと静かに……眠りについた。
───……。
……。
…………で、朝。
呆れたことにそのまま朝まで眠ってしまった俺達は、気づけば寒さから逃れるように毛布と掛け布団を重ね、二人仲良く抱き合って眠っていた。
起きた瞬間が同時で、俺は“はうあ!?”と驚愕、結衣は逆にねぼけていたようで、「ぁ……ひっきぃだぁ……」なんて呟いて、んちゅりと俺の口にキスを───……朝から天国が見えた気がした。
ええまあ、その少しあとに完全に目が覚めた結衣が赤面、叫び出しそうになったところを、彼女の顔を胸に埋めることでなんとか阻止。賑やかな朝を迎えることになった。
や、まあその、それだけならよかったんだけどな。
「ゆうべはおたのしみでしたね!《ぺかー!》」
『ひゃんひゃんっ! ひゃんっ!』
……この、階下に下りた先のリビングで、今か今かと待っていた妹とサブロー……もとい、サブレはどうしてくれようか。
新しいおもちゃを買ってもらった子供みたいにぺかーって目ぇ輝いてるよ。妹が怖い。サブレはサブレで俺を見るなり走ってきて、足元で腹を見せて服従のポーズ。やめて、お腹なでなでしたくなる。
「おたのしみ…………ああまあ、新しい体験ではあったな」
「ふおっ……!? おぉお……あのお兄ちゃんが大人な余裕と発言を……!」
溜め息ひとつ、屈んでサブレのお腹をなでなで。毛並みいいなこいつ。
「なんてーのかね。大事な人の重さって、すげぇ心地良いのな」
「重さっ!? 重さって! ……あわわ、こここ小町にはさすがにちょっと早いような知りたいような……! ……あ、あれ? そういえばその当事者である結衣さんは……」
「まだ真っ赤になって悶えてる。そろそろ降りてくると思うぞ」
「……お兄ちゃんっ! ちゃんと責任取らないとねっ!」
「なんの話をしてるんだお前は」
一通りサブレを撫で終えると、とりあえずコーヒーを淹れる。既に湧いていたポットのお湯を使い、インスタンティブに。
そしてそこに練乳と砂糖を流し込む喜び……ステキ。でもちょっぴり物足りなさを感じるのは、俺の腕が黄色の理想、僕らのマッカンに届かないことを意味している。
「《スズ……》んー……やっぱマッカンには勝てん。レシピとかないもんかな」
「いや、そんだけ練乳とか砂糖とか入れてれば小町的には十分だと思───」
「あ、あの……ひっきぃ……小町ちゃん……おは、おはよ……」
「───あぁああん! おはようございますお義姉ちゃーーーんっ!!」
「《がばしー!》ひゃああっ!? わっ、えっ!? 小町ちゃんっ!? いきなりなにっ!?」
遅ればせながら、リビングにやってきた結衣に、まるでタックルでもするかのような突進。いやあれもうタックルでしょ。腰から下ではなかったけど、八幡的に高ポイントの鋭いものだった。
……ていうか、話し途中で人にタックルとかやめなさい、はしたな───…………はしたないのか? これ。
女の子が女の子にタックルするのははしたないのか否か。……OK、べつにはしたなくない。欲望にまみれてなければ。
「自室でお義姉ちゃんの分の布団を用意して、お風呂だって沸かして待っていた昨日……! とうとうお兄ちゃんの様子を見に行って以降戻ってこなかった結衣さんを、小町は小町的にお義姉ちゃんと認識させていただきますっ!」
「え? えっ? えっ!? お、おねっ!?」
「まあまあまあ積もるお話は散々とありますが、まずは乙女の事情が優先事項! さあさあさあお風呂が沸いておりますので、積もる話はその後で!」
「ヒ、ヒッキー!? 小町ちゃんなんかへんだよ!? ヒッキー! ひゃあああぁぁぁぁ……!!」
「………」
妹の謎テンションにぽかーんとしている内に、あれよという間に結衣が風呂へと連れていかれた。
で、少しして戻ってきた小町は自室へダッシュすると、結衣のお泊まりセット入りバッグを手に脱衣所へ。
ああ、着替え取りに行ってたのかーとか思いつつ、つまりは今結衣は、ひとつ屋根の下で……は、はだ……カッハァッ!?
いやいや忘れろ、いけませんよ八幡。大事にすべき対象にいきなりそんな感情を向けてはいけません。
サ、サブレ……っ……サブレおいで! 落ち着きたい! 撫でていいですか!?
『ひゃんひゃんっ!《なででででで》ひゃふっ!? ひゃっ……きゅぅ、きゅぅ、くぅーーん……』
「………」
無心で撫でた。撫でまくった。ああ、心が洗われるようだ。
「ふぃー……! やー、いい仕事したー……!」
しばらくして戻ってきた小町は額に浮かんだ汗を拭って、さわやか好青年みたいな笑顔を向けてきた。
俺もサブレのお陰で余裕を取り戻せたから、そんな我が妹に真実を告げる。
「昨日な、結衣と一緒に寝た」
「んもう! 解ってるってお兄ちゃんてばー! どうせお兄ちゃんが結衣さんの魅力に我慢できなくなって───」
「小説読んでたら、結衣が入ってきてなー……。俺の腹を枕にして寝転がってきたから、ベッドから毛布と掛け布団とって、まったりしてたら眠ってた」
「………………」
「………」
「ま、またまたー」
「あほ、そうでもなけりゃこんな話、妹に出来るか」
「………」
「………」
「………ヘタレ《ぽしょり》」
「やかましい耳年間」
いきなりなんてこと言うのお兄ちゃんに向かって。
お前アレだからね? 俺がヘタレだったら全国の草食系男子なんて、名前だけの肉食系男子だからね?
「だって今のお義姉ちゃんの反応見たら、もうOKだったってことくらい解ったでしょー!? なんなのあのリビングに入ってきた時にお兄ちゃんを見つけた時の信頼しきってる顔! 思わず小町、きゅんってトキメキかけたよ! なのにこの兄は……!」
「あの、やめて? なんかとんでもなく情けないように聞こえるから。ていうか大事な人を大事にして何が悪い。あんな可愛い寝顔見せられて、ヘンな欲望なんか湧いてくるもんかよ」
「……あ、そっかー、お兄ちゃん、父性が勝っちゃったかー。まあ正直小町も、急にそんな事態になったらどう対処していいか解らなかったから、無駄にヘンなテンションになっちゃってたわけだし……それにお兄ちゃんだしね……」
「だからやめろって」
「あ、でも結局は一緒に寝て、おはようのチューとかしちゃってたりしたら、小町的にポイント高いっていうか」
「おいやめろ」
この妹ったらどこまで知ってるのん?
脱衣所で結衣になに聞いたの、ちょっと。
「あ、それよか小町にもコーヒーちょうだい? 兄のお嫁さん候補のためにテキパキ動いた妹を、兄は労うべきなのです」
「~~……言うと思ったから、ほれ」
「おー! さっすがお兄ちゃん!」
「はいはいさすおにさすおに。んでお前、今日予定とかは?」
「んえ? んや、べつになーんもないけど。どしたのいきなり…………あっ」
はい待ちなさい小町さん。あなた今なにを察したの?
「やーやーやー小町としたことがっ! 大丈夫だよお兄ちゃんっ、お兄ちゃんがそんな積極的な気分なら、小町すぐに予定とか作って外に出とくからっ!」
「アホ、余計な気を回さんでよろしい。むしろ変質者のこととかで不安になってるかもだから、一応女なお前が一緒に居てやってくれ」
「あ、そっか。でも一応は余計だよお兄ちゃん」
「そか」
「うう……今まで散々尽くしてきてあげたのに、恋人が出来た途端にお兄ちゃんが冷たい……!」
「シスコンしてたら突き放しまくってたくせに、勝手なこと言ってんじゃありません」
そんなことを、互いにヘラっと笑いながら話す。
朝食は久しぶりに俺が作ることになって、それはもうたっぷりと心を込めて作った。
真心込めすぎたら時間がかかって、出来上がる頃には結衣も風呂から上がり、髪も乾かし終えて戻ってきていた。
「ほえー……どしたのお兄ちゃん。しばらく料理なんてしてなかったのに、腕上がってない? もしかして小町に隠れて料理の勉強とかしてたりした?」
「いや、気分が向くままにやったら上手くいった。あれだな、料理は愛情」
「うー……! あたしもそんなこと言ってみたい……!」
「まあ、ゆっくりな、結衣。俺も手伝うから」
「あ……う、うん……《かぁああ……!》」
「……兄の“男の顔”を見てしまった……。今の小町的にポイント高いよお兄ちゃんっ」
「いいから座れって……ほれ、テレビ消せとか言わんからこっち来い」
と言いつつ、テレビに目を移した。
するとどうでしょう、知っている景色を見た気がして、つい二度見なんてことを実際にしてしまった。
「あれ……? ヒッキー、ここ総武高校の近く……」
「だな。しかも変質者が出たあたりの───」
『先日、この場所で起こった事件の際、逃げ出した変質者が───』
「うわ……ニュースになるくらいの話だったんだ……。よかったねお兄ちゃん、お義姉ちゃん……鉢合わせなんてことにならなくて」
「だな……」
「うん……やっぱり泊めてもらってよかったかも……」
ニュースでは総武高校付近で起こった事件についてを話していた。
それは重い話…………だと思っていたのだが、むしろ逆に犯人が捕まった、という話に流れていった。
「えっ!? 捕まったの!? 早っ!」
「お巡りさんが近くに居たりしたのかな」
「そりゃ助かるな。さすがに変質者がうろつく場所付近に結衣を帰すわけには───」
『変質者を拳で気絶させた高校教諭、平塚静さんは、今回のことについて“人として当然のことをしたまでです”と語っており───』
『ぶふぅううううっ!?』
変質者が捕まった、という話に安堵した矢先の驚愕が、僕らを襲った。
え? ちょ、平塚先生!? アナタいったいなにしてはりますのん!?
ていうかニュースキャスターさんも! 拳で気絶させたとか言わなくてもよかったよね!? なんでちょっと顔赤いの!? 生き様に惚れ込んじゃったりしたの!?
やめて! ただでさえ男よりも男らしいとか言われて貰い手がアレでアレなのに……!
「平塚先生……」
「ン……まあ、その……なんだ。……よ、よかったなー、平塚先生。これで話題になって、守られたい系男子に……その……」
「言って!? ちゃんと最後まで言ったげてよお兄ちゃん!」
小町も俺の見舞いに来た時とかに先生とは会っている。
会っていて、しっかりと結婚したい……という呟きも耳にして、どうしていいか言葉に詰まっていた。あの小町がだ。
つまり、今もなんかそんな状況。
「……今日、休みでよかったって心底思うわ……」
「うん……あたしも……」
「あ、それで二人の今日の予定は? 変質者も捕まったみたいだし、デートとか」
「デッ!? ……あ、あぅ…………《ちらっ?》」
ぐっ……あの、やめて? そんな期待を込めた目で見られると、八幡トキメいちゃう。
「あ、それとも外には出なくて家デートってやつですか? 誰の視線も気にせず、たーっぷりお兄ちゃんの傍にとか───」
「……!《きゃらぁあん!》」
「あ……」
「あー……」
決定した。家デートだこれ。
言われた時の結衣の目が、それはもうきゃらんと輝いた。
あの小町が言葉に詰まるくらい、それはもう綺麗な輝きであった。
「あの、お義姉ちゃん? ほんと、変質者とか気にせず休み中泊まってってくれていいですからね? 小町もお義姉ちゃんが居てくれると嬉しいです」
「え、そ、そっかな。……えへへ、そっか。邪魔しちゃってないかな、とかちょっと不安で……」
「不安だなんてとんでもないですよ。むしろやっぱり永久就職として兄の傍に……!」
「だから、身内からの催促みたいなものほど関係を壊すものはないんだから、そこんところを少しは考えろ、あほ」
「む。それは確かに……ん、わかった」
それからはきちんといただきます。
恋人とサブレを混ぜた家族の食事に、なにやら湧き上がるなにかを感じながらも食べ終えて、ごちそうさま。
結衣においしいおいしい言われて頬が緩みっぱなし。あと妹にキモい言われまくった。ほっといてくれ、今素直に嬉しいんだから。