どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話   作:凍傷(ぜろくろ)

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彼の弱さ、求める強さ①

 食事が終わると、軽く腸内を刺激する運動。

 小町も合わせ、消化を助ける効果のあるそれをしてやってからは、小町は相変わらず止まない雨を窓越しに眺めて「あ~……」などと呟き、俺と結衣は……連れ立って俺の部屋に。

 リビングから出る際、小町が怪しい目で、こう……“キラ~ン♪”どころか“ギシャアアァン……!”ってくらいの怪しい目の光らせ方をしていたため、二人で相談し合って部屋の鍵を閉めた。

 そうするとさすがに意識はしてしまうものの、“そういう行為”をしようというわけでもなく、いつも通り話し合って、傍に居たくなればベッドに座り、雨音だけが聞こえる静かな空間で、隣に居続けた。

 ふと甘えさせたくなって、結衣を手招きするようにベッドの端に寝かせ、ベッドに腰掛ける俺の膝を枕にしてもらう。

 見下ろし、見上げられる。

 なにがおかしいのか、なにがくすぐったいのか、くすくす笑う結衣は、俺のズボンのダボついた部分をぎゅーって握って、赤い笑顔のまま膝枕を堪能しているようだった。

 俺もまた、そんな結衣の髪をさらさらと撫でて、雨音だけをBGMにするみたいに穏やかな気持ちで過ごした。

 

「………」

「………」

 

 無言。

 ふと思い立って今時の軽い掛け布団を手に取ると、結衣にかけて……またなでなで。

 きょとんとしていた結衣だったけど、温度が安定してくると理由もわかったようだ。

 雨降りの日っていうのは、よほどの暑い日でもなければ、案外寒いものだ。動かないと特に。

 お互い赤くなったりなんだりで熱く……もとい、暑くはあったものの、やっぱり落ち着いてくれば寒くもなる。

 そうして静かな時間を過ごしていると、見下ろす結衣がうとうととし始めた。

 捻くれた口調ではなく、「寝ていいよ」とやさしく伝えると、ほにゃりと笑顔で見上げてきて、そのまますとんと眠ってしまった。

 

「………」

 

 溢れてくるのはやさしさばかり。

 恋人の寝顔を見つめていたくて、静かに眠らせてあげたくて、ただただやさしく静かに頭を撫でた。

 しかしベッドの端ってこともあって、寝返りとか打ったら危険だ。

 それには気をつけつつ、けれどやっぱりやさしい気持ちのまま、穏やかで可愛い寝顔を眺め続けた。

 

「……好きです。あなたが、好きです。……本当に、大好きです。一緒に居てくれて、本当に本当にありがとう」

 

 中学の時に失敗した告白とは明らかに違った。

 青春を求めては焦ってばかりだった気持ちは全然なくて、やさしさと、表現するための言葉が見つからない奇妙でも穏やかな感情と、なにより愛しさを込めた告白。

 “何度も付き合ってくださいでいいの? 頷いたらまた最初からみたいじゃない?”と小町に言われたことがある。

 けど、いいのだ。想いは更新されるものだ。

 好きがどんどんと大きくなるたび、そんな自分の傍に居て欲しいって思う。

 もちろん付き合う中で、小町が言う言葉を気にしなかったわけじゃない。不安一切なく人と付き合う、なんてのは当然無理だから。

 けど、信じたい、信じてみようって踏み出したなら、あとで馬鹿を見たって、それが最後でいいからって踏み出してみたくなる。

 人ってのは基本的に博打好きしか居ないのだ。

 踏み出せばなんとかなるって人と、現状維持を求めて変化を求めない人。

 変化を求めない人のどこが博打好きかって言ったら、危機的状況でも変化を求めない方向を選ぶこと。

 動かなければ危ないっていうのに、それでもそっちを選ぶなら、それは立派な博打だ。人命とかその後の人生かかってる状況だったなら余計に。

 だから、あとは一歩。踏み出すかどうかだけ。

 

「………、」

 

 たはっ、と笑みがこぼれた。

 この状況で踏み出す一歩ってなんだろう、って。

 つながりをより深いものに~だとか、一線を越えて~だとか、そんなものはマイペースなままでいい。

 いっそそれこそ新婚初夜に、なんていうものに憧れないこともない。むしろ憧れている。

 急ぐ必要はないと、よくある言葉を言いたいっていうのもあるにはある。

 そんな必要云々を誰が保証してくれるわけでもないのに、おかしなもんだ。

 

(静かな日って……考え事、増えるよな)

 

 目を瞑って、愛しい恋人の頭を撫でる。

 くすぐったかったのか顔が動いて、手から逃げたのだが……その拍子、つんと唇をつつく形になってしまった指が、ひとつの拍子ののちにかぷりと噛まれた。

 噛まれたっていうか……銜えられたというか。

 思わずわたわた。

 汚いよ、と言うのもあれだし、一気に引き抜いたら起こしてしまうかもしれなくて……ああいや、でもこれって、ええとどどどどうすれば……!

 

「………」

 

 無心。

 とりあえず仰向けになった彼女の頭を、やさしくやさしく撫でることにしました。

 左手人差し指がかぷかぷされたままですが、無心です、無心になるのです比企谷八幡───

 

「…………」

「あ」

 

 目が合った。

 どうやら起きたらしく…………あぁあぁぁぁみるみる赤くなって……! 

 掛け布団を両手で引っ張って、頭まで被ってしまった。なのに膝枕はやめない。

 布団の中で声にならない声を上げてぱたぱた動いてる。なのに膝枕はやめない。

 ……やだ可愛い……! いや落ち着こう。ああもう心臓うるさい、少し落ち着いて、いやほんと、お願いですから。

 というか。この銜えられていた指はどうしたらいいのでしょうか。

 な、なんか無造作にティッシュで拭うのも印象悪いし、服の端でごしごしっていうのも印象悪いし……!

 ……え? な、舐める? 舐めて上書きした上で、ティッシュで拭う?

 あ、それなら結衣の唾液が汚いとかそういう方向には───ってなんかおかしな方向に頭が向かってる! 落ち着けってば俺! あ、口調……っていいから! もういいから!

 

「~~」

「え、あ、結衣?」

 

 そんな慌てた思考の途中、結衣がなにかに気づいたのか布団から顔を出して、バッと自分の鞄を見ると起き上がり───ぱたぱたと小走りに駆けて、ハンカチを持ってくると俺の指を拭った。

 あ、あー……ええと。

 

「ご、ごめんねヒッキー……あの、あとで洗って……ね?」

 

 そうは言うけど、べつに汚いと思ったわけじゃあない。

 なので仕返しに結衣の手を取って、その人差し指を銜えると、勝手ながら結衣が手に持つハンカチをするりと抜いて、その指を拭ってみせる。

 指を銜えた時点で「うひゃあっ!?」って声とともに硬直したお蔭で、ハンカチを抜き取るのはとても楽だった。……のだが、俺の行動を振り返り、結衣がじとーっとこちらを睨んでくる。

 

「……えっと、その。ごめん。汚いなんて感じてなかったって、わかってほしかったんだけど……」

「…………うん。でも、対処に困ってたんじゃないかなって……」

「あー……うん。正直なところ、拭うのは嫌な感じだし、舐めるのもどうかって思ったし……」

「あ、あはは……拭ってくれてよかったよ? あ、でもちゃんとハンカチとかタオルでね? 洗ってほしいのもほんと」

「まあ、俺も。…………洗いに行こうか」

「うん。そだね。……あと、口調。やっぱりそっちの方がいいと思うよ?」

「……二人きりの時だけね」

 

 恥ずかしながら、今さらこの口調はやっぱり男らしくないって思うんだ。

 ほら、彩加と友達な今だと、余計に。

 こういう口調は彩加の方がよーく似合ってるから、俺には……なぁ。

 苦笑をこぼすと、結衣に手を貸してもらってベッドから立ち上がる。

 べつに簡単に立てるけど、なんとなく手を貸してもらいたかったっていうか、繋ぎたかったというか。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 休日の過ごし方っていうのは人によって随分違う。

 俺の過ごし方といえば、読書したり勉強したりだ。

 なお、読書と勉強の時間は結衣が隣に居ること前提となっている。

 背中合わせに座って本を読んだり、肩を並べて座って読んだり、寝転がった俺の腹に結衣が頭を乗せて、本を読んだり。膝枕の時は、どちらかの足が痺れた時点で交代、なんてこともやった。

 俺の場合は結衣が膝に頭を乗せた時点で読書に集中など出来ず、結局は頭を撫でたりして……結衣もそれが心地いいのか、読書の途中でぽてりと寝てしまうこともあった。可愛い。

 と、まあ、読み方はいろいろだ。

 読書は小説に留まらず漫画にも参考書にも手を出すし、勉強はそれこそ将来のための勉強もそうだし、料理の勉強だって混ざっている。

 大学はそれぞれが好きなところを受けようってことになっていて、仲が良いから“全員でどこどこの大学に行こう!”なんて話が出る、なんてことはない。

 仮に出たとして、きっと全員で却下していたところだろう。

 今の関係は確かに大事だけど、大事だからこそ狎れ合いで潰すのは悲しい。

 目指すモノがあるのなら、目指したい場所があるのなら、自分たちの目的は果たさないとだ。

 ……で、休日の過ごし方って部分に戻るわけだが───

 

「………」

「………」

 

 勉強ももちろんするし、料理も作るし運動もする。

 雨ってこともあり、室内で出来る運動は限られるものの、一緒にやると楽しいもんだ。

 勉強も料理も運動も、とにかく一緒に。

 その方が不思議なほど頑張れるし、なにより“○○○と一緒だった所為で成績が落ちた”なんて言われるようなことは、あってはならないから頑張れる。

 自分でも呆れるほどに、今の関係を大事に思っている。

 あ、べつに現状維持がどうとかって話じゃない。

 人の関係なんてうすっぺらいものだって思っていた頃から比べて、確かに自分には変化がある。安易な変化であるとは思うあたり、成長ではないのだ~とかは思っているが、それもあの打ち上げの日に、結衣に頬をぺちんと叩かれた時と同じ感情で落ち着いている。

 

  後悔はしても否定はしない。

 

 いろいろと思うところは当然ある。が、俺はもう飲み込んだのだから。

 “もしも”なんだから、好きだと思うなら好きでいればいい。

 が、好きでいるなら、大事だと言うなら半端は無しだ。

 恋人と友人とを大事に思っている。

 そんな関係を構築したことで成績が下がっている、なんて見下されたくなんかない。

 大事だと思うからこそ、自分にはなかったそれらが出来たからこそ、自分は張り切れていると思いたい。

 現に今、無駄にやる気が満ち溢れてるし。

 ……溢れてるくせに、やってることといえばいちゃいちゃなわけだが。

 集中→休憩→いちゃいちゃ→集中、といった行動を繰り返している。これが思った以上の結果を生んでいるんだから、面白いもんだ。

 

「あのね、ヒッキー。あたしね? 中学の頃のこととか振り返ると、想像つかないなーってなる時があるんだ」

「ん……勉強のこと?」

「うん」

 

 “頑張ればギリギリだろうとなんとかなった”、という結果と現状があるっていう事実は、人を油断させる。

 また前のように頑張れば、自分は案外出来るんだからって……自分で自分を許してしまう。

 そんなことの連続ってものにハマってしまうと、元に戻すのは大変だ。

 まあその、ものすごーく自覚出来ることですし? 俺もかつては目や腕が疼いたり特別な存在なのですって感じなお年頃だった時もあったわけで。いや、それは関係ないか。関係ないことにしてください。むしろ忘れたい。

 けれどもそんな自分が“自分を変えよう”って立ち上がって、難しい場所を受験して受かることが出来た。出来てしまった、って言ってもいいのかもしれないが。

 

  成功にあぐらを掻いてしまうのは、人間の悪い癖だ。

 

 大なり小なり、誰だってそうすることで後悔することはあるだろう。

 人生において、成功のために要求されるハードルが同じであるなんてこと、ほぼ無いというのに。

 そうして失敗した人間は、大体が“しょうがない”とか“もういいや”を掲げ、自分を許し、努力を忘れる。

 逃げ道があれば、当然楽な方へ楽な方へと向かうのだ。

 俺の場合、それが“恋人や友人が出来たから”になるなんてことを許せないし許さない。

 大事に思えばこそ、逃げではなく成功のかたちとしてそこにあってほしい。

 重いかもしれないけど、青臭いかもしれないけど、誰にも話していない本音だ。

 あぐらを掻いて失敗するのは自己責任で自業自得でありたい。

 自分は、恋人も友達も、出来て良かったって本気で思っているんだから。

 それが後悔に繋がるなんてことにはさせたくない。

 

「………ほんと?」

「ほんと」

 

 結衣がきょとんとする。

 結衣が語ってくれた中学を振り返ってのことに、自分の気持ちを打ち明けてみれば、これがまた思ったよりも似通ったものが多いことに驚きを抱いた。

 もちろん全部が同じわけじゃないのは当たり前。細かいところで似ていたのだ。

 中学生が抱く不満や不安なんて、似ているものなのかもしれないけどさ。……そんな些細が嬉しいのだ。打ち明けられる相手が居るだけでも違う。

 そんな相手も居なくて、不満ばかりを積み上げていた中学の頃から考えれば、自分も変わったんだなって実感が持てた。

 

「………」

「………」

 

 過去を思うと、自分の情けなさやら不甲斐なさ、いろいろなものが恥ずかしく、“そのままでいい、変わらなくていい、それだって自分だ”と胸を張って言えないのが少し悔しい。

 安易な変化は成長とは呼ばない。

 “自分の過去や経験を受け入れ、成長という言葉に溺れない俺、大人である”……そんな普通の高校生男子から外れた意識を持つことに、奇妙な自信と力を感じるような高二病は、俺の中では薄い存在だ。

 尖るより、穿った意識を持つよりも、大事にしたいものが出来たからだろう。

 これが、いつまで経っても孤独で、さらに自分からそれに慣れ、埋没する方向に向かっていたのであれば、果たして高校生の俺というのはどんな人物になっていたのやら。

 ……とりあえず女子のやさしい言葉は信じない方向で、リア充どもは敵。体育は常に一人で、たまに声をかけてくれる彩加に心癒される日々だったのでは?

 結衣は……いや。結衣が居たらそもそも、そんな俺になってなかったんじゃないかと思う。どんな出会い方をするかにも寄るんだろうが、なんとなく……うん。どんな出会い方をしても、くっだらないことがきっかけで知り合って、自分が傷つかないために敷いた予防線とかあっさり踏み越えられて…………そして……そして。

 浸る想像は夢でしかない。

 なのに、純粋にそんな世界を期待して、信じることが出来た。

 そんなものでいいんだと思う。

 

「……ん。結衣、昼、どうする?」

 

 意識を思考の海から戻して、窓を叩く空模様に息を吐きながら訊いてみる。

 部屋に一緒に居る休日は、大体が断食日和だ。

 食事っていう三大欲求よりも優先されるらしい。言ってる俺も大賛成なんだから、らしいっていうのもおかしな話だ。

 

「勉強のノルマは達成したし……えと、ヒッキー」

「……そこで期待を込めた目で見られるとな……」

 

 最初の頃はご褒美ってものに近かった。

 出来ることが増えてきて、勉強が苦手だった彼女が知識を広げて、成績が追いついてくると、段々と褒美を得るのも難しくなってくる。

 それはなんだか寂しいので、ハードルを下げる自分はきっと、恋人に対して甘すぎるのだろう。

 いや、もう自覚してるからいいんだけどね? ご褒美云々以前に、俺がただ結衣になにかをしていたいだけなのだ。してあげる~とか偉そうなことを言いたいのではなく、したいのだ。

 ……むしろそういうのが待っていた方が、お互いに頑張れるため、“存在自体が需要と共有みたいな二人だな”と、隼人にからかわれたことがあるまである。

 

  そうしてまた、ごろごろ。

 

 クッションを二人して枕にして、問題を出し合って答えを言って、合っていたら指一本。

 正解が続けば指が繋がれ、不正解だと全て離す。

 そうして握ったり離したりを続けて、正解が十回以上続けば、結衣が仰向けに寝転がる俺の隣に来て、俺の腕を枕にして改めて寝転がる。

 そしてまた問題。

 正解すれば指一本ずつ頬に触れて、六回正解で引き寄せて俺からキス。

 俺から、というところが重要なのだそうだ。

 

「………」

「………」

 

 出す問題が無くなれば、仰向けで寝転がりながら片手ずつで本を開く。

 読むペースが違ったりは当然するものの、俺にしてみれば一度読み終わったものだから、問題ない。

 それが終われば、あの頃のように掛け布団へと手を伸ばし、自分たちにばふりと掛ける。

 掛け布団の中で抱き合って、穏やかに過ごし、他愛ない会話を交わして、愛しくなればキスをして。

 雨音も気にならなくなるほどお互いに集中し始めると、キスに夢中になり、満足するまでキスをすると、体を抱き締め合いながら長く長く息を吐く。

 やがて熱も冷めてくると、やさしく抱き締め合い、頭を撫で合ったりくすぐったがったり微笑み合ったりする。

 その頃にはクッションから離れてベッドに寝転がり、掛け布団を被ってごろごろ。

 彼女を抱き締めたまま仰向けになって、彼女の重さを感じてみたりもして、そうしたらまた首をかぷかぷされて、くすぐったがりながらも抱き締め、頭を撫でた。

 後で振り返って思い出すと、頭を抱えて叫び出したくなる状況である。が、毎度のことながら、それをしてしまっている時は気づかないものなのである。相手に夢中だし。

 まあつまりは。

 昼飯は、抜きになりそうだった。

 ……と、思ったら、急に結衣がうーうー唸り出し、バッと俺の胸から顔を離すと、

 

「……ご、ご褒美終了! お昼っ、食べよっ!?」

 

 と言った。真っ赤な顔で。ひっじょぉお~~~に名残惜しそうな顔で。

 

「結衣?」

「あ、の……ね? りょっ……~……料理も、勉強も、頑張るって決めたから……。あたしだって……さ、ヒッキーが原因で、また成績下がったー、とか……言われたくないんだよ? だから……」

 

 だから、頑張れることは頑張るのだと。

 成績は上がった。料理の腕も上がってきてる。

 友達も出来たし、空気を読んで人に合せてばかりな自分からも……大分離れることが出来た。

 それは成長じゃないのかと、心の中に生まれた自分が訊ねてくる。

 自分のエゴは押し付けるくせに、自分の基準で全てを決めようと穿って見ていたくせに、身近で見て来た大切な人の頑張りを……いつまで俺は。

 

「……なぁ。結衣は……成長って、どんなものだと思う……?」

「成長? んと、おっきくなるとかじゃなくて?」

「精神的とかそっちの方での。人として成長したいから~とか、あるだろ? ああいう成長って、どうなれば成長だと思う?」

 

 答えの出ていることを訊いて、なにをしたいのか。疑問が浮かぶが、それでも口にした疑問は撤回せず、一度離れた結衣を抱き寄せながら答えを待った。

 ひゃう、と声が漏れたけど、抵抗はされず、むしろ胸に頬をこすりつけてくる。

 

「ん……そだねー……。あたしはさ、安易な変化でも……良い方向に進んでいけたんならさ、成長って呼んでいいって思うんだ」

「……どうして?」

「だって、変わりたいって思って、努力して、変われたならさ……努力する前の自分とは違うよね? 小さな変化で、意識しなきゃ誰も気づかないような変化でもさ、なりたい自分に一歩近づけるんだよ? むしろ、安易じゃない変化で成長なんて、出来ないよ。それは成長じゃなくて、“人が変わる”って方向のものだと思う。積み重ねなきゃ変われないよ……あたしとヒッキーが、病室の中で少しずつ変わってったみたいに」

「………」

「ヒッキー?」

 

 思い出してみる。

 何度も失敗して、次こそはって思ってたくせに、その次こそにそれほど期待しなかった自分。

 どうせダメだを盾にして、ダメだったら“ほらやっぱり”って笑った。

 そこに希望なんてなくて、成功すれば首を傾げ、おかしいと思っていたに違いない。

 最初は信じていたなにかも、途中からなにを信じていたのかも忘れてしまった。

 踏み出したのは気まぐれでしかなかったのか、それともまた“どうせ”を盾に構えていたのか。

 それでも俺は“これが最後だから”と手を伸ばして、人を信じようとした。

 それは……諦めない努力だったはずだ。

 諦めるための理由はたくさんあったのに、それを選ばなかった。

 それは……知ろうとする努力だったはずだ。

 知らないってことは怖いものだ。

 不安でしかなくて、答えがわかっていれば楽なものを、あえて濃霧を満たして歩くようなものだろう。

 面倒なことでしかないだろうに、知っていくための努力をした。それを選択することが出来た。今ではそれに感謝している。

 あの病院から始めることが出来た。変わることが出来たのだ。

 そうして、仲間も友達も恋人も得ることが出来た。

 それは、俺が諦めようとした世界を、小さくだけど変えた。

 

  成長っていうのはそういうもんじゃない

 

 誤魔化す気もなければ欺くつもりもなく、一朝一夕、たかだか数ヶ月の期間で、人は確かに変わったのだ。

 だから、かつては思ったことがある。

 中学3年の頃には固まりつつあった自分の世界を眺めながら、小さく、だけど“それが世界の常識なんだ”と自分に理解させるつもりで。

 けれどそれも、結衣と出会い、最後でいいからと踏み出した世界で少しずつ変わっていったんだ。

 成長と呼ばないのかもしれないそれを実感しながら、翔に会って、彩加に会って、雪ノ下に会って……少しずつだけど、変わっていった。

 変わっていった筈なのに、心の奥底に居る目が腐った自分が、口にしたこともない言葉を投げてくる。

 そうじゃないだろう、それでいいのか、と。

 だから“今”の俺も、その言葉に対して気持ちを重ねる。

 そうじゃないだろう、今さらそうなりたいのか、と。

 




長かったので分割。
1万5千以上にいくようなら分割ようと思います。
1万5千3百、とかだったらご勘弁を。
そういう場合、大体よい区切りがありません。

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