どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
───なりたい自分になれるなら、誰も最低な人間なんて目指しはしない。
それでも、努力もしないでそれを笑う権利なんて誰にもない。俺なら余計だ。
今の自分が間違っていると、どうして簡単に受け入れられる?
その間違っていないと言えるつもりの自分が、誰かを泣かせる未来が想像出来たからだ。
なんで過去の自分を否定するんだ。
言い訳を盾に、努力を諦めようとしたからだ。否定も認めなきゃ、なにが人間だ。
昔最低だった自分を、今どん底の自分を認められないで、いったいいつ、誰を認めることが出来るんだ。
認めることなんてしないだろう? あのままの俺じゃ、自分の理想を押し付けて、勘違いして、まちがって、相手も自分も嫌いになり、失望していくだけだ。
否定して、上書きするくらいで変われるなんて思うなよ。
人とは違う行動を選ぼうとするだけで特別だって思い込んで、そのくせ自分は底辺って思い込んで、たまたま想定通りに事態が動いたからって悟ったつもりになって。それだけで、自分は正しいなんて思うなよ。
肩書きに終始して、誰かに教えてもらわないと自分の世界を見いだせないでいる。そんな状態を成長だなんて呼ぶんじゃねぇ。
だったら。なんでぼっちにこだわろうとした。肩書きに終始どころか固執しているのは俺だろうが。誰かに教えてもらわないと自分の世界なんて見えやしないくせに。……何度背中を押してもらった。何度後悔して、何度自分の行動を正当化しようと言い訳を口にした。
どうして、そのままの自分でいいと、そう言ってやれないんだ。
逆に。どうしてそのままの自分でいいって言えるんだよ。散々失敗して後悔して学んでまた失敗を経験して。そのままの自分が嫌だから変わったんだろ? ああそうだな、ガキの頃から考えりゃ、小学から中学卒業まで、一ヶ月やそこらの話じゃないさ。安易な変化じゃないんだろうさ。誰も教えてくれる人が居なかった。居たのは笑う人と言い触らす人、呆れる人……そんなやつらばっかりだった。
……。
時間を掛けようが一瞬だろうが、人が変わるのなんてそのきっかけの度合いにすぎない。泣いてばっかだった子供が、親の危機に立ち上がる姿を、陳腐って呼ぶか成長って呼ぶかのくだらない差なんだろうさ。それでも……今の俺は、その立ち上がった子供を勇敢だって褒めてやりたい。上から目線で言うんじゃなく、純粋にそうしたいって思う。
……。
人は成長する。安易な変化だろうと、その安易がその人の心をどれだけ揺らせるかで、成長は出来る。一ヶ月だろうが9年だろうが、ようは……俺が学ぼうとするか否かの話だったんだから。
……。
もっと早くに気づいておけばよかったんだ。相手のやさしさがどういった類のものだったのかくらい。知る努力もせず、そうに違いないって勝手に勘違いしたから失敗した。やさしさが向けられている内に、告白をするんじゃなく、知る努力をして、知ってもらっていれば、違った未来もあったかもしれないのに。そのくせ失敗すれば“やさしさの全て”を否定した。
……俺は。変わりたいのかな。
……あほ。とっくに変わってるだろうが。成長してるんだ、少しずつ。安易な変化を重ねながら、ゆっくりと。……人間だからな。
いや、そういう意味じゃなくて。
そういう意味だよ。誰かに教えてもらわないと、自分がどう立っているのかさえ判断出来やしない。安易な変化を望まず生きたとして、結衣に会わなかったら、奉仕部に入らなかったら自分はどんな性格だったのか。
……。
……ろくに話もしない。平塚先生に迷惑をかけるだけの男だったんじゃないか? 相手のこともよく知らないで敵だと判断して、実際は相手に抱いた印象とはまったく別の言葉を贈ったまま誤解をするだけして、無意味に敵を作っていく。人への悪口がどんな勢いで敵をつくるのかを想定しないままにだ。やがて敵しか居なくなって、いつか振り返る。……なんのために総武高校を受験したんだろうなって。そのままを愛して、努力を放棄して、来てくれる者を拒まずに、けれどいずれはそれも自分で潰すんだ。
……ああそうだ、たとえば彩加が声をかけてくれる日々に感謝しながら、けれど嫌われ者に声をかけ続ければそいつがどうなるかなんて知っているから、自分から潰すのだ。台無しにするのだ。彩加を散々傷つけた上で。
……そこまでして後悔もないんだったら、そのままの俺でいいんだろうな。けど、俺には無理だよ。同じ傷つくにしても、俺は最後まで馬鹿で居たい。自分で潰すくらいなら、信じ続けて裏切られるまで“仲間だ”って叫んでいられる、そんな馬鹿でいたい。
相手が信じ続けてくれるとは限らないのに?
だから馬鹿でいい。きっと理想通りの裏切りを見せない人なんて居ない。どこかで誤解は生まれて、いつか泣く日が来たとしても……絶望を叩きつけられるまで、そんな夢を見ていればいいんだ。……元々、そんな常識が辛くて逸れた勇み足だ。一緒に、まちがったら喧嘩してぶつけ合って、泣いて謝って、自分たちが安心できる石橋を作っていけばいい。不安になったらそれを叩いて叩いて叩き壊して、また安心できるように組み立てていく。ただ信じるだけの関係なんて、きっと重さにしかならないから。
……。
……。
……小さく笑って、自問自答を終えた。
昔の自分と今の自分とで思考をぶつけ合って、心を固めたところで息を吐く。
もっと小さな子供の頃のように、衝動で動けた方が楽なんだろう。
過去と今とを照らし合わせて、ようやく出せる答えにも不安を乗せたままなんて、本当に我ながら面倒臭い。
それでも信じたいものがある内は、それを前提に置いて考えることくらい、いいと思えるようになった。いや、前からそうだったけど、その前提の向きが変わったのだ。
後ろ向きから全方向って感じで。
そうだよな、面倒な性格なら、いっそ思い切り面倒くさくなっちまえばいい。
そんな分析と常識をぶつけた上で、そこに俺と結衣をプラスして考える。振る舞い方の計算式は組み立てられた。なら、あとは答えを探そう。
こんなガキな俺じゃまだまだ出せない答えを、一緒に。……うん、“一緒に”、だ。
「…………」
「《なでなでぎゅうう……》はぷっ!? ひ、ひっきー……?」
抱き寄せていた結衣を、改めて抱き締めて、その頭を撫でた。
一緒がいい。そう強く思えた。隣に居て欲しいと、より強く。
好きになるって凄いな。
惚れ直し……は違うから、さらに惚れるってスゴイ。
直すな、もっと惚れろ。上書きじゃなくて、増やしていこう。
いいところばっかりを見ようとするな。全てを受け止めて、好きになる。
それがいい。うん、それが良いな、俺。
「結衣」
「う、うん、なに? ひっきー……」
「……好きだ。ずっと隣に居てほしい」
「ふえ───? ……ぇあっ、え……えぅぅ……!?」
腕の中の彼女が、どういう意味? と目を潤ませて見つめてくる。
意味の理解は……任せたい。
それがどんな意味でも、いずれはそういう場所に辿り着きたい。
でもそれを言うのは優柔不断なので、辿り着きたい場所は声に出そう。
わざと訊ねる形にして、相手の理想を口にさせるのはずるいって思う。
「想像した“喜べる未来”のぜんぶ、叶えたいって思う。そ、の……恥ずかしいって感情は出てるけど、まちがっても結衣と一緒なのが恥ずかしいっていうんじゃないって、わかってほしい……! 届けたいのは結衣で、聞いてるのも結衣だけなら、……~~……」
「……うん……」
「両親に認められてるけど……でも、それと俺達の気持ちは別だから、さ……。ちゃんと、言おうって思ってた。俺は結衣が好きで、大事で、一緒に居たくて…………そのくせ、そうやって変わっていく自分を気持ち悪いくらい冷静に見てる自分が居て……」
「うん……」
「……俺は、さ。人が……怖いよ。関わらないでいてくれたほうが安心できる。いつものことだって、いろんなものに壁とかシャッターとかつけられたらなって思ってたことがあって……それはさ、思い出しても違和感が湧かない今でも、同じなんだろうと思う」
「そんなこと……」
「……眼鏡を取るのが怖いんだ。今では生徒会奉仕部だとか言われて、たまにだけど俺を頼って寄ってくる人も居て。感謝されると嬉しくて、でも……冷静な俺がいつだって笑うんだ。“眼鏡取ってみろよ、目の前で。感謝もなにも全部吹き飛ぶぜ”ってさ」
「ひっきぃ……」
「一年の……小町の友達がさ、俺と結衣のことをお似合いだって言ったらしい。小町も同意したって聞いた。でもさ……それ、眼鏡取ってた時だったらどう思ったんだろうな。そう言われない上に、兄が腐った目をしてた所為で、小町との交友関係も考えたんじゃないかなって……そう考えたら止まらなかった」
「………」
「止まらなかったんだけど…………同時に笑えたんだ。“そんなもんか”って」
「……うん」
「“みんな”の意見なんて聞いてないんだ。俺は、結衣が好きだから。小町も、そんな事実に頷いてくれた。結衣が認めてくれてる。奉仕部のやつらも、腐ってるって引きはしても……肩を組んで笑ってくれる。義輝なんて、魔眼持ちとは羨ましい、なんて言ってくるくらいだ」
「うん」
「……三浦さんの“目、キモい”は本気で泣きそうになったけどな」
「うん……あのあとあたし、本気で怒ったしね……」
「涙目になってたな……まさか結衣が本気で怒るだなんて思ってなかったんだろ」
「ヒッキーの良さって、すっごい近くで知るか、離れた位置から結果だけ見て、いろいろ考えてみないとわからないんだよ。中途半端な位置からなんかじゃ絶対に見えないから」
ようするに厄介者である。
ほんと面倒な性格してらっしゃる。
でも……それも、中学後半ほどじゃあない。
「結衣」
「うん」
「結衣が好きだ」
「あたしもヒッキーが好き」
「周りに煽られてじゃなくて、ちゃんと言いたい。……俺と、結婚して欲しい」
「───~~……はい……はいっ……! あたしも、ひっき……比企谷八幡くんと、ずっと一緒に居たいです……! あたしを、あなたのお嫁さんにしてくれますか……?」
「っ!《グボッ!》」
カウンターだった。
まさかそんなふうに言ってくれるなんて、想定外もいいところ。
予想の外から来た反撃に、一気に顔に熱が溜まるのを実感して、口をぱくぱくして……けれど、腹に力を込めて、勇気を固めて、結衣を見つめて……言う。
「はい、もちろんです。俺の……俺の“生涯のたった一人”になってください。絶対に、意地でも、幸せにします」
「~~…………はぃっ!」
自分の言葉で笑顔が生まれた。
最初にそのことを喜んだのは何歳の頃だっただろう。
きっと最初の相手は家族だった。母親か父親か、どっちかだったらいいなって思う。
もし小町だったら少し悲しい。
小町が産まれるまで、俺は誰にも喜ばれなかったってことだろうから。
けど……きっと、そうだとしても、こんなに喜んでくれる人が居るなら……それまでの苦労も全部受け入れて、こんな自分になったことを感謝したい。
産まれてきて、成長して……こんな自分でよかった、って……呆れるような言い回しで、自分を喜びたかった。
その時こそ、“どうしてそのままの自分でいいって言ってやれないんだ”、って言葉に胸を張って言える言葉がある。
ああ、そのままの自分でよかった。けど、それはやっぱり過去なんだ。
これからの自分はそうじゃない。過去は過去だから、後悔はしても受け入れていく。過去は、そのままでよかった。これからは、そうじゃない。
変わっていくんだ。安易でも、安易じゃなくても。
裏切られるまで裏切らない。
相手に自分を押し付けたような、ひっでぇ言葉だと思う。
けど、それを本気で口にするのなら、その人は本当に相手のことを信じているのだ。
そいつになら託せると。そいつになら自分を預けられると。
俺は……いや。俺も、そうだ。
裏切られるまで裏切らない。自分が知るどん底を知って、誰にそんなものはまだまだマシだと言われようとも、自分の知るどん底に落とされようとも……それが裏切りであったって自覚して絶望するまで、阿呆みたいに信じていよう。
それが裏切りだったと知った時こそ、俺は俺の知らないどん底を知るのだ。知って初めて、“もう誰も信じない”を心から行えるんだろう。
八幡は正義と悪ならどっちが格好いいと思う?
いつか、親父がヒーローが活躍するテレビを見ながら言った。
俺は迷わずヒーローと言った。今でもそれは変わらない。ダークヒーローとか胸熱だけど、結局はそうだ。
その時は言わなかったけど、悪の意思はそれはそれで好きだった。
正義は格好いい。けど、その全てを褒められるかといったら違う。
筝あるごとに迷ってうじうじする姿にイライラしたし、掲げた正義を疑われて迷う姿とかもうアレね、正義やめちまえって思った。貫けない意志なんて振りかざして、悪の目標叩き潰すとかアホかって。
だから、意志を貫くって意味では悪が好きだった。
だから、正義の言葉に迷いを抱き、正義の仲間になる中ボスっぽい存在とかふざけんなだった。
そんな中ボスに、裏切り者と言うでもなく、“自分の意志さえ貫けん未熟者め”と言ったボスにこそ心震えた。応援むなしく、やられてしまったが。
やろうと思って動いたことを、最後まで貫けるのは素晴らしいことだ。
そんなもん、子供でも知っている。知っていて、出来ない人が多い。
正義と悪だったものが手を取り、強大な悪に立ち向かう。胸熱だろう。
けど、ボスの目から見れば、結局は意志も貫けないで正義に染まったヤツでしかなかった。勝ち方も、自分のパワーを正義に託して、正義がボスを倒すってものだった。パワーさえ足りていれば倒せたのだ、つまり。それが、べつにそいつじゃなくてもよかったって言っているようで、ひどく悲しかったのを覚えている。
ボスはあの強さになるまでどれくらい努力したんだろう。
どんな理想を胸に、悪にならなきゃいけなかったんだろう。
常識でみれば、やっちゃいけないことを実現しようとしたから“悪”と見做された。
それでも、それに感じるものがあったから、中ボスだって協力したんじゃなかったのか。
そのヒーローものを最期まで見て、思ったこと。
正義のくせに迷って、その迷いに周囲を巻き込んで、そのくせ他人の言葉であっさり前向きになって、常識的には悪で敵なんだとしても、そんな手に入れたばかりの正しさで人の夢をぶち壊す正義とか最悪な、ってこと。
正義って肩書きに終始して、誰かに言われなきゃ自分の世界も見出せない。見出したら見出したでそれが絶対だと言わんばかりに悪を潰す。おい、せめて自分の意思を最後まで貫けよ。正しい義なのにあっさり迷って、他人の言葉で人の大願を物理で叩き折りに行ってんじゃねぇよ、と。
それならもう“俺が正義だ!”としか言わない、頭の中までパワーでいっぱいな脳筋ヒーローの方が好きだ。
「………」
「《さら……》ヒッキー?」
心に不安がよぎると、いつも自問自答を開始する。
明確な答えなんてなくても、それだけはと信じるものを計算式の傍において、なにをまちがってもそれはまちがえるなと心に決めて。
ただ、いい加減もうちょい前向きになってくれ、とは思うわけだが……まあ、なぁ。
「《なでりなでり》わっ、わっ……! ヒッキー……?」
誰かを笑顔に出来る人は凄いって思う。
俺がなにを言っても、引きつった顔をする人は居ても笑う人なんていなかった。ああ、嘲笑するヤツは居たか。クラスメートとかクラスメートとか。
だから、こんな俺の言葉に笑顔を向けてくれる恋人と友達が。
こんな俺だろうと笑顔に出来る恋人と友達が、俺は───
「~~~」
「《ぎゅー!》ふひゃー!?」
胸の中で暴れるなにかを抑えきれず、結衣を抱き締めた。きつくきつく。
お返しだとばかりにぎゅーっと抱き締められたけど、喜ぶ結果にしか繋がらない。
好きだ。大好きだ。また好きになった。もっと好きになった。
力を込め、けれどやさしさも忘れず。
戸惑う結衣が俺の目を見つめると、途端に結衣も一層にぎゅううと抱き締めてきて、それからはもう衝動に駆られて暴れ回る獣のように。
ベッドの上でドタンバタンと何度も寝返りを打つように、抱き締めたまま上下した。
やがてその、妙な衝動が治まってくると、二人してぜーぜー言いながら顔を見合わせて、思いっきり笑った。
「好きだ」
「好きです」
「大好きだ」
「大好き」
言い合ってはキスをして、抱き締めれば首をかぷかぷ。
いつの間にか立派な痕になってしまっていたキスマークを手でさすり、赤らんだ笑顔をほにゃりと見せてくれる彼女を一層好きになって、またごろごろ。
……で、そんな彼女のお腹がきゅーって鳴った。
途端、何も聞こえずお互いに夢中になっていた俺達の耳に、大雨の音が届く。
「昼……どうする?」
「…………断食《プイッ》」
そうしてそこに、意地が生まれたのでした。
たぶん、悪の中ボスをも説得する言葉だろうと無視できる、力強い意地が。
昼食は無しである。当然俺も付き合う方向で。いやいいけど。
───……。
……。
さて、そんな穏やかな昼だったのだが。
突然鳴り出したドアチャイムによって、崩れた。
大雨が屋根や窓を打つ中、こんな日にチャイムって、と思うと、どうしても配達の人、お疲れ様ですと思ってしまう。
しかしながら本日やってきた来訪者はそういったお方ではなく───
『おにいちゃーん! お客さーーーん!!』
階下からか、はたまた途中まで登った階段からか、大きく叫ぶ小町の声に、結衣と顔を合わせて起き上がる。
ハテ、誰だろうと悩みながらも、
「面倒な相手だったら困るから、俺が出たら鍵かけといて」
「ヒッキー、それはさすがに心配しすぎだと思うんだけど……」
ともあれ部屋を出て、階下へ降りて、いざ玄関へ。……何故か結衣も同行で。
するとどうでしょう、玄関には、雨合羽や傘を脱いだり置いたりして、チョリーッスと手を挙げる翔や彩加、義輝に隼人が……! あ、あと川なんとかさん(弟)も。
「え、あ……あれ? どした? 今日なんか集まる予定とかあったっけ」
「いんやー雨降りでさー、暇だから…………ほい戸塚ちゃん」
「え、えと……あの、八幡?」
「お、おう?」
「…………来ちゃった♪《ポッ》」
「《きゅんっ》」
目の前に天使がおりました。雨合羽を縫う途中だったのか、ダボついたそれから覗く上目遣いでそんなことを言われると、さすがにトキメくものがあり……けれど先ほどまで結衣に溺れていたワテクシにはそれほど通用はせんかったのです。……いや、ほんとだよ? キュンとはしちゃったけど。……ダメじゃねぇか。トキメいてるじゃねぇかよ。
「来ちゃったって……」
「んお? ガハマっちゃんも来てたん? んやぁそりゃ来るかー、来まくりんぐかー! あ、それとも昨晩は《ゾス》おごっ!?」
「言わんくていいこと、わざわざ言ってないでさっさと入れし。結衣、ヒキオ、邪魔するよ」
「優美子も? って、ゆきのん!? いろはちゃんも……」
翔が隼人に脇腹を肘で突かれる中、三浦さんがげしげし翔の尻を蹴りながら押し入ってくる。
その後ろからは傘を畳む雪ノ下と一色が。
「あっ、由比ヶ浜さん、僕らべつにみんなで話し合ってここに来たわけじゃないんだ。雨もひどくて、勉強も終わっちゃって、することないなーって……で、そういえば八幡どうしてるかなーって」
「そうそう、戸塚っちゃんとは偶然そこで会ってさー。あ、ちなみに昼ってことで、どうせなら~って材料とか持ってきたんだわ。これで一品作らね?」
「うん、僕も材料とか持ってきたからさ」
「ぬう、考えることは皆同じであるか……我の材料を見よ!」
「俺はその、両親が持っていけってうるさくて……。恥ずかしながら、こんなに深い付き合いの友達とか、今まで居なかったから」
「あー、それってばあれでしょお? これからも息子をよろしく的な、両親の方が張り切っちゃう《ドス》おごっ!?」
「翔、そういうことはわかってても言わない」
「ちょ、八幡~、そこさっき隼人くんに突かれたとこ……!」
だから狙った。
翔は脇腹を押さえながら、それでも楽し気に笑って、「こういうやりとりってTHE・友達っぽくて好きだわー」と言った。
……恥ずかしいやつだ、まったく。顔が緩みまくるからやめてください。
「へ~~~……ここが先輩の…………《キョロキョロキョロキョロ……ハッ!?》……あの、雪ノ下先輩雪ノ下先輩、やばい、やばいです……!《ポショォ……!》」
「? なにかしら、一色さん《ぽしょぽしょ》」
「結衣先輩の首見てください……! あっちの端の……!《ポショォ……!》」
「? ……? ……………………《ぐぼんっ!!》」
「ね……? ねー……!? あれって間違い無くアレですよね……! 虫刺されとかじゃなくて……あの、わたしたちほんといいんでしょうか……! お邪魔なんじゃないでしょうか……! いえ、そりゃ、確実にそうだと決まったわけでもないですし、この雨の中を今すぐ帰るのは正直うんざりですけど……!《ポショポショ、ポッショォオオ……!》」
「いえ、落ち着きなさい一色さん、まずは、そう、まずは紅茶でも飲んで……!《ガタガタガタガタ……!》」
「雪ノ下先輩がまず落ち着いてくださいよ……!《ぽしょぉり……!》」
『?』
その横では一色と雪ノ下がなにやら赤い顔できゃーきゃー言い合っていた。
小声だからよく聞こえなかったが、首がどーたら《ハッ!?》
「結衣、ちょっと」
「《ぐいっ》わっ、ひ、ひっきー?」
「すまん、二人きりで話したいことがある」
「えっ……《ぽっ》」
「みんな適当に上がっててくれ。小町、案内任せた」
「え? 小町に? んっふっふ~、お兄ちゃんの部屋でもいいの~?」
「やめれ!」
焦りのあまり、方言っぽいのが出たけど気にしちゃいけない。
ともかく引っ張って、洗面所に辿り着くと、丁度そこに置いてあった箱から絆創膏を取り出して、結衣の首にぺたり。
「ヒッキー?」ときょとんとされたけど、ぽしょりと「キスマーク」と呟くと、「あっ!」て言って真っ赤になった。可愛い。
「えとあの……ひっきぃ……さっきのゆきのんといろはちゃんって……」
「気づいてたっぽいな」
「……うひゃぁあああ……!!」
そして顔を両手で覆って蹲ってしまった。うん、気持ちはわかる。すごーくわかる。
周囲に誰も居なかったら、俺も叫んでた。
そして困ったことに、隼人が俺の首筋を見て赤くなって軽く咳払いしていた。あれは気づいた。絶対に気づいた。
「結衣、恥ずかしいけど、行こう。話題振られても方向転換する方向で。ほら、お料理会するつもりでさ。あいつら材料持ってきてたし」
「あぅう……でもひっきぃ、あたし、断食───」
「あとで捕まって根掘り葉掘りか、今混ざってぼかしつつ誤魔化すか」
「………」
……のちに。
中ボスを味方につける言葉を凌駕する意地は、キスマークの前に敗北したのだった。
/次回、なにかが起こる! そりゃそうだ!
「なぁなぁ八幡~、これすごくね? 俺ってばスゲくね?」
「あの……優美子。ヒッキー、期待してくれてるのかな」
「なんでもないからっ!」
「……。デザート、そんなに気に入らなかったか?」
「会話に混ざったの、そんなに嫌だったか?」
「ち、ちがっ……」
「やだよ……こんなかたちで喧嘩なんて……あたし、やだ……」
次回、お互いが好きすぎる男女のお話/第六……な、七話?:『そして、一歩一歩』
「デッ……デザァーーートォーーーッ!」
「よせっ! もう手遅れだ!」
「離せっ! 離せよぅ! デザートが! デザートがぁあっ!!」
「くっ……ひでぇ……! 転落からの水責め……!」
デザートは水に流れた。
グラスとスプーンが無意識のうちにとっていたのは『敬礼』の姿であった───
右手ではなかった。
左手での敬礼、それは即ち敬意も礼も尽くさぬ叛逆の意志を込めた姿だった。
Q:叛逆するんですか?
A:いえ、なにもありません