どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
日を幾つか跨いで、修学旅行がやってくる。
その前に、俺達は戸部に相談された。依頼、というかたちで。
修学旅行中、戸部は海老名さんに告白するらしい。
ずうっと気になっていた人なんだそうだ。当然、俺も知っている。
葉山のグループってこともあって、何回か話もしている、腐ったものがご趣味のお方だ。
けど、そんなことを……世間では引かれる趣味を、堂々と好きと胸を張ることが出来る姿に……少し、憧れた。
人前で鼻血を出すほどに好きだというのだから、その趣味も相当だ。
そんな人を好きだっていうんだから、戸部の覚悟も相当だろう。
上手くいってほしいけど、失敗したらどうなるのか、なんてことを考えてしまったら、いつも元気でうるさいくらいの戸部が哀しむ姿は、出来れば見たくないな……なんて思い至ってしまう。
同じ奉仕部員ってこともあって、結局は協力。
俺と結衣もなんだかんだで世話になったし、なにより“俺はいいけどお前はダメ”、が俺は嫌いだった。
だから協力して、結衣と雪ノ下、彩加と一緒に計画を練る。
電車で一緒の席にするためにアレコレしたり、いろいろなところを見て回る時に出来るだけ一緒に回れるように調節したり。
特に進展らしい進展がなくても戸部は嬉しそうで、そして……楽しそうだった。
青春ってそんなもんだと思う。
でも……海老名さんの目が言う。念を押すように。
海老名さんは戸部の依頼のあと、俺個人に相談をしてきた。
女性っていうのはそういうものに敏感なんだって聞く。なにか予感のようなものがあったんだろう。
実際に予感の通りだったわけだし、相談は無意味ではなかった。ただ、俺も言いたいことはその時に言った。
海老名さんの言いたいことは解った。でも、それで戸部の言いたいことを遮るのは違うから、俺達は深く踏み込みはしないけど、戸部のやりたいようにはさせると。
失くしたくないなら自分たちで努力しなくてどうする。なにもせずに他人に頼って、失敗すれば全部人の所為ってか、ふざけんな。
お前たちは独りの頑張りを知らないからそんなことが出来る。独りでやろうともしなかったことを人に願うなんて、ひどい押し付けだ。そこには信頼も信用もない。
いきなり頼られて、信頼に応えようとして、必死にもがいても失敗すれば鼻で笑われるような未来は、必死に生きた者への冒涜だろう。
急に押し付けられて倒れてしまったそれを、俺は共倒れだとも信頼だとも認めない。そんなものはただの押し付けであって、信頼とも信用とも違うのだ。
今の関係が好きなら、好きというかたちをもっと信じてから頼ればいい。
俺の宝箱は、持っている人になにかを与えてあげられるほど、何かが詰まっているわけではないのだから。
グループ同士の不安と希望を重ねながら、修学旅行は続いた。
依頼はあっても楽しまないのは嘘だってことで、結衣に引っ張られての旅行は続く。
自然、俺も笑える瞬間もあって、そのたびにそわそわしている戸部を見ると、申し訳ない気分になる。
そんな時、戸部が言うのだ。「ごめん、ヒキタニくん。告白のこと、もっと別の機会に相談すればよかったわ」と。
もちろん、結衣ががんばって引っ張ってくれるたび、そんなことを思わないでもなかった。
普通なら頑張る必要もなく笑えていたかもしれないのに、と。
けど、恋をする気持ちを知っているなら、それを否定なんか出来るわけもない。
成功してほしいから、こうして隣に立っているのだから。
だから俺も、「おう。全部終わったら成功失敗に関わらず、サイゼでミラドリな」と笑って返した。
すると戸部も笑って、「一番いいのを頼むって注文してみせるわ」と言うのだ。緊張は解けたらしい。
同じクラスじゃないけど、材木座が居たら随分反応してたんだろうなって思いながら、道を歩いた。
(………)
一日二日と日は過ぎて、予め決めていた場所へ海老名さんを呼んでの告白劇が始まる。
喉は……さっきから乾きっぱなしだ。マッカンが欲しい。
結衣は成功を疑っていないのか、目をらんらんに輝かせて海老名さんの到着を待っている。
雪ノ下は結果が見えているのだろう、あまり期待を込めた表情をしていない。
彩加は怖いものを待つ子供のように俯いて俺の服を抓んでいた。
……そうだな、たぶん……いや、確実に、戸部は振られるのだ。
今は興味がないからと、あっさりと。
けど……戸部の想いが叶う“今”なんて、いつくるんだ?
それをあなたは待っていてくれるっていうのか?
そりゃ、今がすべてじゃないだろう。明日にでもコロッと心変わりするかもしれない。
でもな。じゃあ戸部の今はどうなる。
海老名さんの今を考えれば、海老名さんが断るのは正しいのかもしれない。
どっちの今も考えたとして、突き放されても戸部はきっと諦めない。
海老名さんはまた葉山のグループで腐った世界を謳い、男を遠ざけるのだろう。
でも。なんでだ。それが解ってて、見せ付けていたくせに、どうして解らない。
やがて、海老名さんがやってくる。
戸部はごくりと喉を鳴らして、拳をぎううと握り締めている。
どう見たって本気で、今までのチャラい雰囲気なんてそこには微塵もない。
相手にしてみれば断る理由なんかを、無難なソレらをぐるぐると頭の中で組み立てているんだろう。
ああ、よく解る。知っている。中学の時に見た女子の目を、彼女はしていた。
だからこそ───
「……比企谷くん」
「……はちまん」
雪ノ下と彩加が、見ていられないとばかりに弱々しい声で俺を呼んだ。
俺になんとかしろとでもいうのか? ああそうだ、現段階で、戸部との関係が一番近しいのは俺だろう。
俺が説得できればなんとかなったのかもしれない。
けど、男が本気で、自分の思いを打ち明けようって時にどうして邪魔が出来る。
叶わないからやめろだなんて言葉、戸部こそがきっと一番知っている。
それでも一歩先の関係を求める勇気を、どうして“どうせ”なんて言って笑える。
だからこそ───
「あの……」
「うん……」
戸部は振られる。
それは、確かに関係としては仕方の無いことなのかもしれない。
好き合っていなければ成立しないものだって当然ある。
海老名さんがどうしても受け入れられないっていうなら、それも仕方ない。
言い訳に、自分が腐っているからだとか男子が苦手だからだとか、いくらでも言えばいい。
だからこそ───
「俺さ、その」
「………」
戸部が言葉を選ぶ中、海老名さんはもう返事を返したりはしない。
来るであろう言葉を予想して、頭の中にある言葉を言えばいいやと結論を決め付けている。
仕方の無いことだって言ってしまえば、“今”は納得出来なくてもいつかは納得出来るようになるのかもしれない。
だからこそ───
「あ、あのさっ」
歯を食い縛り、肩を強張らせ、俯かせていた視線を持ち上げ、ひゅう、と息を吸った。
そんな戸部の必死さを、海老名さんは透明な笑顔で見守っていた。
答えは出てるから、どうとでもどうぞとばかりに。
そりゃ、受け入れられないならしょうがない。
断る理由だって考えてきたもので、最大限傷つけないための真っ直ぐなものを用意したのだろう。
だからこそ───
「お、俺っ! 海老名さんのことっ、一年の頃からずっと見てましたっ! おぉおっ俺とっ、そのっ、付き合ってくださいっ!!」
“どうせ振られる”。
この場を見守る人のほぼが、どうしようもなく抱いていた結末。
それを知っていても胸に響く、力強く真っ直ぐな告白だった。
知らず、触れていた結衣の手が、俺の手をぎゅうっと握り締めるくらい。
届いてくれと願わずにはいられない。いや、届いて当然だと思うくらいの、普段の軽さからは想像できないくらいの想いが込められた告白だった。
これなら、って誰もが思っただろう。
でも、現実はそうじゃない。
だからこそ───
「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」
透明な笑顔のまま、表情を崩すことなくそれは差し出された。
用意してあったものを差し出すだけの、簡単な“お断り”。
ただ、それには戸部に必要なものが存在しない。
そんなものは逃げだ。それは許せない。なんだそれはと怒り狂いたくなる心を抑えつけ、それでも───俺は、歩む足を止められなかった。
「ヒッキー!?」
結衣の手が離れる。それでも進む。進んで、呆然と立ち尽くす戸部を追い抜いて、俺の顔を見て寂しげな表情を浮かべる海老名さんと対峙する。
「結局……こうなっちゃうんだね」
海老名さんは笑う。透明な笑顔のまま。
俺は睨む。伊達眼鏡を外した自分のままの目で。
「“そうじゃない”だろ」
「え?」
「人の告白を振る、っていうのは……“そうじゃない”だろ」
「あ……の……ヒキタニ、くん?」
自分がした告白を思い出す。
好きになることを好きでいた自分。告白することに青春を求めた自分。呆れるくらいに恥ずかしい黒歴史。でも、あんなものは本気じゃなかっただけマシなものだ。
友達じゃだめなのかと言われて言い触らされて、相手に失望した自分にこそさらに失望したいつか。
それでもそんなものは自業自得で済んだし、全て自分の恥として受け止めて、納得も出来た。相手への気持ちだって整理もつけられた。だって、希望なんて残されなかったから。
「“今は”ってなんだよ。期待を持たせるような言い方なんてするな。振るなら未練なんて残らないくらい、男が泣くくらいハッキリと振れ。そうじゃなきゃ進めない。戸部はずっと海老名さんを想って、それであんたは……少しでも気持ちを動かせるのか?」
「……それは」
「誰ともだとか誰に告白されてもだとか……そんな“みんな”の話なんて誰もしてないだろ。今告白してるのは戸部だろうが。だったら───戸部に向ける言葉で振ってやんなきゃ、っ……納得なんて出来ないだろっ……!!」
「っ……!」
だからこそ、俺は睨む。
なんだそれはと怒る。
ああそうだな、断るのは相手の勝手だ。
言葉だって、散々考えて用意してくれたんだろう。ありがとう、それだけ悩んでくれて。
で、なんだ? 出てきたのは誰にでも使える便利な言葉だって?
ふざけんな、戸部翔が海老名姫菜に向けた言葉を、そんな気持ちで用意した言葉で中途半端に流されて、黙っていられるものか。
「自分が腐ってるからだとか、男が苦手だからだとか……そういう理由だったらまだ頷けた。それでも言いたいことはきっと山ほどあって、全部は納得出来なかっただろうけど、まだ飲み込めた。戸部の何がダメだとかどうしてもそれがいけないとかだったら、苦しくても戸部の肩を叩いて素直に戻れたよ……けどっ!」
「っ!」
「なんでどれかを選んだら“今”の全部壊れるって決め付けるんだよ……! 壊れることを怖がってるのを自分だけだなんて思うな……! この瞬間だって“戸部”の今だろっ……!? 誰にだとか誰がだとかそんなの関係ないだろうが……!」
自分の口からこぼれる纏まりきっていない言葉に、無力を感じる。
「確かにこれは他の誰でもない、戸部と海老名さん二人の問題の筈だ……! それでも、趣味がどうとか腐ってるからとかっ……なんでそんな理由で断るんだよ……! 一年の頃から見てた相手だぞ……!? 全部知った上で……全部を好きだって言ってるんだぞ……!? そんな想いを中途半端な言葉で突き放すな……! 今の関係が好きならそれでいい……! そこにどうしても戸部を入れられないならそれでいい……! でもな……! だったらっ……!」
こんな言葉じゃきっと届かない。こんなものは、それこそ相手の気持ちを考えていない。振る方だって辛いのだと聞いたことだってあるし、実際それはそうなんだろう。
「……だったらっ……! ちゃんと突き放し切れよ! 中途半端な言葉や理由で人の精一杯を否定するなっ! 絶対に振られるって知ってても振り絞る勇気を冷めた目でなんか見させてたまるかっ! 男子が怖いならっ! そうなる理由があったんだろうがっ! だったらっ……そんな経験があるなら! 散々期待を持たせておいて他人の今を潰してから断る未来なんて作るな!」
震える声を必死に繋げて、纏まりきっていないのに、どうか届いてくれと叫ぶ。
結果はきっと、想像する通りなのだろう。
こんな言葉じゃ届かない。こんな理屈、相手には関係ないと。
それでもさ……それでも───
「人の気持ちっ……もっと考えろよっ!!」
それでも、叫ばずにはいられなかったのだ。
こんなんじゃ誰も救われない。そんな言葉じゃ次を目指せないから。
けど、どれだけの理屈や正論を叫ぼうと、振られた男の前で相手を罵倒するなんて、振られた男にしてみればひどく惨めなものだ。
だから、無力を感じながらも、肩を掴まれ後ろに引かれた時には……“ああ、殴られるな”っていうのは……想像がついた。
でも、頬に届いたのは、ぺちん、なんていう軽い拳。
どうして、なんて思ってると、
「……自分のために泣いてくれるダチ、殴れるわけねーっしょ。サンキュな、“八幡”」
自分の拳についた水を指差し、情けない顔で笑う友人の姿が、そこにはあった。
気づかなかった。泣いてたのか、俺。
「……海老名さん」
「《びくっ》あ……あの」
「ヒキ───いんや。八幡の言うとおりなんだわ。振るなら盛大に振ってやってちょーだいよ。じゃないと俺、いつまで経っても吹っ切れないんだわ。あ、けど、もし可能性があるなら……希望、持たせてください。だめなら……今ここで、お願いします」
「っ……」
戸部は笑う。笑って、真っ直ぐに海老名さんを見た。……拳は、ギチギチに握り締めたままで。
後ろで葉山が止めようとする。けど、それを雪ノ下と結衣が黙らせた。
「あ、あの……私、ほら、腐ってる、から……」
「知ってる。知ってて好きになったからそれじゃあ足りんのですわ」
「っ……だ、男子が苦手で───」
「知ってる。だから必要以上に近づかないようにはしてたっしょ」
「……ひ、人自体が苦手で……」
「それなー。いっつも一歩引いて葉山くんのグループを見てる感じだったし」
「~~……」
「……別に怒ったりなんかしねぇし、俺の嫌なとこ、どどんと言っちゃってくれって。俺、もう覚悟できてっし。……ほら、泣く覚悟とか」
「───…………」
「さ! 一思いにやっちゃって!」
「…………」
変化は、きっとそこから。
必要だったのは、きちんと考える時間で……振り返る時間と、頷ける時間があれば、それは───
「…………《きゅっ》へ? あ、あの? 海老名さん?」
「……信じる……ところから……で、いい、かな……。知る努力からしか……たぶん、そこからしか始められない、けど……」
「え? え? それって……」
「~~~……《かぁあっ……!》」
「はぁ……戸部。あーいや、その……“翔”、あれだ。“言わせんな恥ずかしい”」
「───……え? ほんと? え? いいの?」
「……まだ、私が戸部くんを知らないから……。それで振るのは、たぶん……違うから。……だから」
きゅうっ、と。戸部の服が海老名さんの指に引っ張られた。
途端、戸部は震え、赤くなり、目に涙を浮かべ、両腕を天に掲げ、叫んだのだ。
「おぉっしゃぁああああああああっ!!」
燈籠がぼんやり灯る竹林の道に、戸部……ああいや、翔の声はよく響いた。
海老名さんはぴくんっと肩を弾かせ驚いたけど、それが喜びの絶叫だと理解すると……どこか“仕方ないなぁ”って顔で笑った。
「べっべべべべべー! べーわぁ! テンションべーわぁああ!! ちょ、ヒキッ、八幡! お前ほんと親友だわー! ちゅーしていい!? 友好の証のちゅーしていい!?」
「へっ!? おわちょっ! やめろばかっ! 俺にそっちの趣味はねぇよ!」
「ブハァ! 至近距離でトベハチキマしたわぁああああっ!! いい! いいよとべっち! そのままやさしく脱がして───!」
「ちょ、姫菜!? ヒッキーでそういうの禁止! とべっちもだめぇえ!」
「っつーかいきなりとべっち呼ばわりですんごい関係進んでるでしょぉこれー!! っべー! レベル高いわぁこれー!」
「だから離れろっての翔っ! おぉおお俺はこんなことのためにあんな青春ドラマみたいなことしたわけじゃっ………………ぐああああ……! 恥ずかしい死にたいバッカじゃねーのバッカじゃねーの!? なに独りで熱くなってんのああもうほんと馬鹿俺の馬鹿死にたい死にたい死にたいよぉおおおっ!!」
「やぁあっ! だめっ! ヒッキー死んじゃやだよぅ!」
「その時、生きなきゃ嘘だと悟りました《キリッ》」
「……なんなのかしら、この茶番……。結局全員、考える時間が足りなかっただけじゃない……。はぁ、風情ある景色が台無しね、まったく」
「あはっ、あははははっ……よかったぁ……戸部くんっ、よかったねっ!」
「おー! 戸塚ちゃーん! あんがとー!」
自分でも意外な形で、依頼は完了した。
結局大多数の人間が成功するだなんて思ってなかったし、俺自身も、きっと海老名さんが戸部自身への言葉を向けていたなら何も言わず、この告白劇は終了していたんだろう。
(人の気持ちを考えろ、か……あー、恥っずい……!)
顔がじんわりと熱を持つのを感じる。
耐えられなくて左手で口を覆うように隠すと、結衣が右腕に抱き付いてきて、何を言うでもなく笑顔で俺を見上げてきた。
「………」
「………」
なにも言わずに理解してもらおうなんて、きっと無理。
それでも、付き合いの長さや深さで想像することも予想することも出来るのなら、そんな関係に到れるだけ、人っていうのは面倒でも心地良い。
口を覆っていた左手で結衣の頭を撫で、お団子をくしくしといじって……頬を撫で、こつんと額同士をぶつけた。
なんか、お疲れ様とありがとうを同時に言われた気がしたのだ。
「……知らなかった。きみ、結構熱い性格だったんだな」
恥ずかしい空間から、ひとり、またひとりと歩いていく中で、葉山が俺にそうこぼす。
俺は結衣を逆側に逃がすと腕をしっかりと抱かせ、守るようにして葉山を睨んだ。
「い、いや……べつになにかをするつもりはないんだけどな……」
「俺も、自分があんな恥ずかしいことをするだなんて思ってなかったよ」
「え? ああ……ははっ。恥ずかしいって……まあ、予想外ではあったけど。……でも、これできっと……変わってしまうんだろうな」
「……まあ、そうだろうな。こっちのグループもそっちのグループも、変わっていくだろ」
「俺は、変わらないままがよかった。好きだったんだ、あの関係が」
「……。なぁ葉山。お前、三浦さんのこと好きか?」
「…………。きみは」
「お前の言う変わらないままってのは、そういうことなんだろ? だったら今度は海老名さんがお前に言うかもしれないぞ? 興味ないなら振ってやれって」
「………………。きみには。選べたきみには、解らないさ」
葉山はそう言って歩いていった。
溜め息ひとつ、同じ立場になったらどうなっていたかを想像する。
でも、その時に自分の手を伸ばせる位置に大切なものが一つ以上あるイメージが沸かなかった。
情けないな、おい。
「……えっと」
「……帰るか」
「うん、そだね。お疲れ様、ヒッキー」
「いや、やめて。今日はそれ言われたくない。めっちゃ恥ずかしかった。青春しすぎちゃった」
「そんなことないよ。きちんと言いたいことを言ってくれたよ? あの病室に居た頃のまま、やさしいヒッキーだった」
「う……」
「でも驚いた。ヒッキーが人の気持ちを~とか言うなんて」
「…………死にたい」
「だめだってば!」
───青春とは嘘であり、悪である。
青春している者はなんもかんもを肯定的に捉え、なんもかんもを青春の二文字を前に、笑みをもってこれを許す。
逆に言ってしまうなら、青春を謳歌していない者は正義だ、という理論を組み立ててみても、そこに解は降りてこない。
たとえその説が正しくとも、青春を謳歌していない者が正義でも、そんな正義を勝ち取ったところで……俺達の生活にはなんの価値も降りてはこないのだから。
だからまあ、その。なに? 嘘だろうと欺瞞だろうと、ぬるま湯だろうとなかろうと。青春してみて見えるものもあれば、得られるものだってあるのだと。
そんなことくらい、認めてやってもいいんじゃないかって……今さらながら、思う。
世界の在り方なんざどうでもいい。変われるなら勝手に変わればいい。変わらないならそれでいい。いちいちそんなものに変わってくれ変わってくれと願ったところで、それが自分の思うようには動いてくれないことなど、とうの昔に知っている。
人が変われば変わる世界も、どれだけ似ていても自分が願ったものとはどう足掻いたって一致しない。
そんな世界で生きていくしかないんだとしたら、自分を曲げてまでだのなんだの、独りで出来るようになって初めて人に頼っていいだの、どれだけの理屈をこねたところで、結局俺は誰にも頼れないし救われない。
それでいいならそれでいい。でも、俺がそんな自分を目指したとしたら、俺は今日……翔の笑顔は見れなかった。
……いいじゃねぇか、それが答えで。
死にたいくらいに恥ずかしい思いをしても、青春の二文字で“しゃーない”って苦笑できるなら、そんな言葉に今は救われていればいい。
「結衣」
「ん? なに?」
「青春の名残で悪い。……ずっと前から好きでした。これからもずっと好きです。……これからも、俺の傍に居てください」
好き、っていうのはかたちが無くて曖昧だ。
人を好きになる自分を好きだった中学の頃に比べれば、こんなにも気持ちが違うものかと笑えてくるけど……知っているからこそ大事にしたい気持ちは数倍だった。
「……はい。あたしも、ずっとずうっと大好きです。嫌われるまで絶対に離れませんから、覚悟してくださいっ」
「む。それは俺の台詞だ」
「えぅっ!? あ、あはは……えとー……言った者勝ちじゃないかなぁ……とか、えへへ」
「じゃあ、その…………け、結婚を前提に付き合ってくださいッッ!!」
「《ボッ》ひゃうぅっ!? ………………ひっきぃ……それ、はんそく……《ぷしゅううう……》」
どんな過去を経験しようが、肯定出来る今が出てきて、それを経験したならそれはもう過去だ。
過去を肯定したいなら、それだって受け取らなきゃそれこそ嘘だろ。
だから、まあ。
……たまにはいいんじゃねぇの? 青春、してみるのもさ。
ほれ、黒歴史とかなんか儲かってそうじゃん。赤字よりもよっぽどさ。
……ごめん八幡うそついた。恥ずかしい死にたい。
× × ×
で、後日。
「そんでさーはちまーん、海老名さんがさー!」
「はちまーん、今日お昼一緒にしようねっ」
「はっちまぁああああん!! 今日こそは我が魂を込めて書き上げた物語を前に、貴様を涙させてやるぅううううっ!!」
……八幡呼びが三人になった。
あと、翔と海老名さん絡みで、葉山グループとの付き合いが増えた。
「お、結衣ー、そのネックレスいいじゃん。ちょっと見せろし」
「? やだよ?」
「なっ……」
「ぶふっ!」
「隼人っ!?」
二年になって同じクラスになった、葉山グループの女王、三浦優美子はクラスのトップカーストでもある。
その発言力と影響力は凄まじいの一言であり……あり…………えーと。
「いや、え? あーし、べつにとったりするわけじゃ───」
「やだよ?」
「………」
嫌なことは嫌と言える女になりつつある由比ヶ浜結衣は、なんというかスタンドで言うなら成長率がAランクなのかもしれない。
ちなみにそのネックレスは俺が誕生日にプレゼントしたもので、結衣にとっては“宝物”なんだそうだ。
「優美子、無理強いはいけない。ごめんな由比ヶ浜さん」
「あ、うん。べつにネックレスとチョーカー以外だったらいいよ? ほらほら、これとか結構気に入ってて───」
「そ、そう? そうなん……? 実はチョーカーも気になっ───」
「───やだよ?」
「わ、解った、もう言わないからあんま睨むなし」
……うん、言いたいことを言えるようになってきたのはいいけど、笑顔で“やだよ?”は結構怖い。
結衣ったらたまに容赦ないから。ちなみにチョーカーもプレゼントしたものだ。
サブレ用にプレゼント渡したら、その首輪を自分でつけちゃってね、この娘ったら。そんなこともあって、じゃあ、って改めてプレゼントしたのがチョーカーだ。
結構気に入ってくれているらしい。
「で、隼人はなんで笑ってんの」
「い、いやっ……優美子が言い負かされるとこ、初めて見たからっ……ごめんな?」
「むぅ……べ、べつに言い負かされたわけじゃねーし」
唇を尖らせて拗ねる女王の図。
まあそれよりも……
「あのさ、それよりもだろ」
「あん? なんだし」
「あんじゃなくて。……なんで俺の席の周りに集まってんの、お前ら」
「そりゃヒキオに訊きたいことがあるからに決まってんじゃん。んなことくらい察しろし」
「説明もなしにどっから情報を得ろってんだよ……で、なに」
「くくっ……ぶつくさ言いながら、結局は聞くんだな……」
「うっさいよ葉山……なんなのお前、修学旅行からやたらと突っかかってきてない?」
「いろいろと考えることと思うところがあってね。“選んだ先”っていうのを近くで見たいって思った。……これは、俺の我がままかな?」
「……お前、人畜無害な顔してすっげぇずるいな」
「人がずるくないなんて、ありえないだろ」
「…………腹が立つけど同感だ」
溜め息ひとつ、やいのやいのと騒がしくなる周囲。
青春の結果がこれだっていうのなら、喜んでいいのか悪いのか。
ただひとつ、確実なのは……静かであったぼっちの日々は消えた。そこには深く静かな平穏が約束されていた。
騒がしくなった今を思えば、あの日はあの日で確かに尊いものだった。
けど、選んで得た先がここなら、俺はここも肯定する。楽しいなら笑ってりゃいい。それが作り笑いじゃないなら、曲げた自分なんかじゃねぇだろ。
「そんでヒキオ、あんたさ、どーやったん? あの海老名とあのうっさいのをくっつけるとか」
「どうやったって。そら、思春期の男女がくっつくきっかけっつったらアレだろ。ほれ、あー……青春?」
「…………あんた、結衣と一緒で奉仕部ってのに入ってんだよね? あんたに頼めばなんとかなんの? その……恋愛、とか」
「ああ無理だ。修学旅行をきっかけに、部長様が恋愛相談は二度と受けないって部の条件として書き出して、顧問の平塚先生もイイ顔で判子押して承認してたから。恋愛相談は受け付けない」
「はぁ? なにそれ。あのうっさいのの相談は受けたんしょ? いいから受けろし。なんだったらあんた個人でもいいし」
「余計に断るわ。大体な、恋愛相談や恋路の応援なんてのは面倒ごとにしかならないって昔から解りきったことなんだよ。応援してても失敗すりゃ人の所為にされるし、応援しなけりゃ応援してくれないからとか訳の解らん逃げ道を勝手に作るし」
「べ、べつにそんなこと」
「ああ……それはあるな」
「隼人!?《がーーーん!》」
それでも時々静かになりたいって思うときって、どうしてもあるよなー……。
ああ、友情を否定するわけじゃないけど、結衣と二人きりだった頃に戻りたい。
などと思いつつちらりと結衣を見ると、“だよねっ”て感じでほにゃりと笑った。
……。え? なに今の。え? 目だけで会話した?
「………」
べーわ。
驚いてもう一度見てみれば、向こうも驚いた表情。
……なんつーか、どうしようもなく顔が緩んでしまう。
「……あんた、あーしのなにがおかしいんさ。あ?」
「ひえいっ!? い、いやっ……べちゅにこれはそういう意味じゃにゃくてでひゅね!?」
でもやっぱりまだ女性は苦手です。睨まれるとヒィってなる。
結衣なら平気なのになぁ。
「はぽぉおん……! ひえいと言われては黙っておれぬゥ! 邪眼の力をなめ」
「うっさい」
「あ、はい……」
材木座……せめてもうちょっと粘ってほしかった。
けどまあアレだ、なんと言われようと恋の手助けとかはガラじゃないし、そもそもしたくもない。
だから断る。どうしてもって言うなら雪ノ下を通せ! ……いや、通せどころか雪ノ下に言ってください。
単身で彼女を説得できたら考えなくもない。無理だろうけど。
などということを説明したら、次の休み時間にはあーしさんは消えた。
消えて……泣いて戻ってきました。
ちょっと雪ノ下さんなにやったのアータ! 女王泣かすとか何者ですか!?
そんな女王を葉山が慰めてる。その表情は、どこか楽しげだ。
え? 泣いてる子見るのが好きなタイプとか? いや違うか。
そんな葉山が俺の視線に気づいて、フフッと笑った。
そして言う。変わってしまったなら、変わらずにはいられないんだ、と。
……まあ、そうな。そうなると自分じゃどうしようもできないのが世の中ってやつだ。
あとは、その変化の先が自分に合っているかをせいぜい願うだけしか出来ない。
まあでもその……アレだろ。キミが変われば世界も変わるってとある歌でもあったし、リア充にだけは適応されるんじゃねぇの、それ。
だからまあ……足掻くことで変えられる範囲でなら、頑張れって応援だけはする。俺が支えようとしても、どうせ共倒れになって迷惑になるだけだろうから、勝手な応援だけをしとく。
───……。
……。
授業も終わり、部活も終わると、ようやく結衣と二人きり。
下校の時間だけは、誰にも邪魔されずにのんびりと歩けた。
腕を組むようにして恋人繋ぎで下校とか、青春すぎますかね。すぎますね。
しかしそれも長くは続かず、バスに乗らずにマンション前まで送ってみても、それほど長い時間は一緒に居られない。
「………」
「………」
なんとなく名残惜しくて、手が離せない。
こんな時はキスをして離れるんだけど……困ったことにマンションの出入り口の奥に、結衣と良く似たお姉さんを発見。あらあら~って感じで右手を右頬に当て、にぃっこにこ微笑んでいる。やだ、なにあれ。結衣にお姉さんとか居たの?
「……ヒッキー?」
いつもならするお別れのキスがないことに、結衣が不安そうに上目遣いを送ってくる。
そんな不安そうな声に、ニコオと微笑むお姉さん。
やだ困る、あれ絶対血縁者よ?
ほら、部分的にも血の濃さとか感じちゃうし。
……どことは言わないけど。
「い、いやほら、その……な?」
「……?」
恋人繋ぎから普通に正面から繋いだ手が、くにくにやわやわといじくられる。くすぐったい。
それを見て“まあまあ~♪”と嬉しそうに微笑むお姉さん。やだ怖い。
ていうかちょっとずつ近づいてきてる。なにあれ動く美人のホラーさん? いや意味解んないし。
とか思っているうちに、結衣の後ろに黒い影。いやべつにその人黒くないけど。
これは……あれですか? 試されているのでしょうか。
宅の妹が欲しくばお姉さんを納得させてみなさい、とか。
え? でも納得ってどうやって? さすがに姉の前で妹にキスとか八幡死んじゃう。
でもそれを結衣が望んでくれているなら?
……あ、だめだわ、こうなったらもうどうしようもないわ、断る理由とかゼロだわ~。っべー。
「結衣」
「あ……う、うん。あたしも好き」
「……なんで告白するって解ったんだよぉお……あぁああもぉお……!《かぁあ……!》」
「えへへ……なんとなく」
あーほら見なさい、お姉さん嬉しそうな顔して、“エアこのこのー”、とかやって肘を動かしてるよ。
「……ああ。俺も、結衣が好きだ」
「うん……好きになるたび告白してくれてありがとうね、ヒッキー。あたし、いっつも幸せだっ、えへへ」
「《かぁああ……!》い、や……~~~っ……好き……」
「うん」
「好きだ……」
「うんっ」
「好きで、ああもう、好きだから……!」
「うん、うんっ」
ぽすんっ、と結衣が胸に抱き付いてくる。
俺もソレを受け止めて、もはやお姉さんの顔は見ない。
ただ、家族が居るからと見栄を張ろうとする自分を殺し、あるがままでいこうと思った。
はっはっはっはっは! もうどうにでもな~~~れっ☆
───……。
……。
人目を憚らずいちゃこらしてたら気に入られて部屋に招かれたでござる。
世界って解らない。
(み、妙ぞ……こはいかなること……!?)
冷や汗が垂れる中、部屋には居ない結衣は未だにガハママさんと口論していた。ここまで聞こえてくる。
ええ、はい、お姉さんだと思ってた人が、実は結衣のママでした。
信じられねぇ……童顔ママンとか、漫画の中だけかと思ってたのに。
「《コチャッ》……ご、ごめんねヒッキー、あたしママが居るだなんて気づかなくて」
で、声が治まったからそろそろかなーと思っていたら、コチャッと開いたドアから顔を赤くして明らかに動揺してますって調子の結衣が、落ち着かない言葉を並べた。
「いや、あれはしゃーないだろ……ていうかほんとに姉とかじゃなくて? 若すぎだろ」
「あ、うん。よく言われる。あと……えっと。ヒッキーのことも……結構知ってる、かも」
「え? なんで? 初対面じゃなかったか?」
「え、えーと……あたしが、さ。ほら。教えたりしてたから……ね?」
「う……そ、そか」
恋人から語られる俺ってどんな感じなのだろう。
両親に引かれたりしてないだろうか。
ほら、目がキモいとか本を見てて笑うとキモいとか、あと、あと……!
ぐるぐると思考と一緒に目を回していると、ノックも無しに開かれる扉と……飲み物を載せたトレーを持った由比ヶ浜の母、由比ヶ浜マ。
「それでー……あなたがヒッキーくん、よね?」
「あ、はい。比企谷八幡です」
「そうよねぇ、結衣があんなに甘えた声を出すんだもの、ヒッキーくんじゃなくちゃおかしいわよねぇ」
「ちょ、ママ!? なに言ってるの!?」
「も~一年前くらいから急に可愛くなっちゃってねぇこの娘ったら。急に料理教えてとか裁縫教えてとか言い出して」
「ままままままぁあっ!? いいからぁ! そういうのいいからっ! もう出てってってばぁっ!」
「え~? ママもヒッキーくんとお話したぁ~ぃい~っ」
「ダメ!」
「ママが気に入ったら、そのまま結婚とか許しちゃうんだけどなー?」
「……!!」
おい。
結衣? 結衣さん? おーい!?
きみなんでそんな急にガハママさん側に立ってるの!? なんで俺と向かい合ってるの!? こんなの絶対おかしいよ!
いやそこで“ファイッ!”って軽くガッツポーズ取られたって、俺どうしようもないよ!
「それじゃ、ヒッキーくん?」
「……はい」
「結衣のこと、好き?」
「好きですね。好きすぎてやばいくらい好きです」
「それはどれくらい?」
「惚れる度に何度でも告白するくらい好きです」
「うーん……じゃあたとえば、ママに同じことしてみろって言ったら?」
「お断りします」
「じゃなきゃ結婚は許さないって言ったら?」
「お断りします」
「それじゃあ結衣と結婚できないって解ってても?」
「好きって気持ちを偽ったら、結衣を裏切ることになります。友達から始める時、最初に誓ったことです。俺は絶対に結衣を裏切りません。だから、条件に出されようと頷けません」
「……それで別れることになっても?」
「裏切られなければ、恋人じゃなくても友達から始めますよ。こう見えても俺、目は腐ってても信じた物は貫くタイプなんで」
曲がったことにさえ気づかない限りは、その捻くれた真っ直ぐさで突き進むだけ。どんだけ矛盾を抱えようが、困ったことにそれが俺だ。
大体、正しいだけで生きていける世の中なら、誰だって人生後悔してねぇだろ。
だから“俺は”これでいい。また友達から始めて、好きになるところから歩いていくのもいいだろう。
「むー……あたしがヒッキーのこと嫌いになるとかないからね、ママ」
「あらー……いつもはコンロの前でお玉じゃなくて包丁持って、ママーママーって言ってる結衣が、いっちょ前に胸張って」
「ひぃやぁああああっ!? やめてママやめてぇ!! カッコ悪いとこヒッキーに教えたらダメ! やめて!」
「………」
「………」
「すぐ見栄張るし失敗ばっかだし、なんていうかほんと馬鹿だけど、この娘でいいの? ヒッキーくん」
「結衣で、じゃなくて、結衣が、いいんです。最高の娘さんですよ。一緒なら頑張れます」
「おー……あ、じゃあ一緒じゃなくなったら?」
「目指すモノが一緒なら頑張れます。そりゃ寂しいですけど……これだって決めたら真っ直ぐな娘さんです。そこには素直に憧れるし、そんな姿にも惚れ直しました」
「あらー……!」
「ひ、ひっきぃ……恥ずかしいよぅ……」
いや、これ実際一番恥ずかしいのは俺でしょ? なにこの状況。
恋人の親の前で、どれだけ恋人が好きかを事細かに話さなきゃならない状況とか、もう顔からヨガファイヤーって次元じゃない。いやそれはそれで高次元だけど。
「………」
「……?」
……にこにこ笑顔が俺をじいっと見つめていた。
あれ? 質問は終わりかな……なんて少しホッとしたところに、次の質問は投げられた。
あ、この人油断ならない人だ、気を抜いたらダメな人だ。
それを理解したからには、退かない態度で挑んでいこうと心に決めた。
……。
決めて……
「それでそれで、ヒッキーくんはぁ、」
決めて……
「あら~……♪」
決め───
「そうそう、結衣ったらー……」
決……
……。
なっが!
質問なっが!!
いつまで質問するの!? あれ? 外真っ暗だよ!?
結衣!? なんでキミが「小町ちゃんに電話しといたよー」とか嬉しそうに言ってるの!?
あれ!? 俺の意思は!? ていうかなにこの状況!
「あら、パパも帰ってきたわね。大丈夫よー? パパには予め電話入れておいたから、急なお客様に激怒、とかはない筈だから」
(ギャアーーーッ!!)
顔は平静、心で絶叫。
あ、平静って平塚先生の略みたいダー……だめだ話にならない! 比企谷八幡は混乱している!
自分で言っちゃうくらい混乱していた。たすけて、小町たすけて。恋人まで敵に回ったこの状況で、パパンと対面とか俺どうしたらいいの。
───……。
……。
……数々の質問と涙と悲しみが交差する中、ようやく終わった質問地獄。
いろいろな条件を涙ながらのパパンに突きつけられて、もはや引けなくなっていた俺も望むところだ男じゃわしゃあとばかりに受け入れて、これで勝ったと思うなよと去ってゆくパパンの居た位置に、結衣が「パパのばか!」とファブリーズを噴射して話し合いは終了した。
えーとその……つまり、ええっと。
まず一。結衣を大切にすること。これは問題ない。むしろ俺の中の優先順位なんてとっくに変わっていて、結衣が大切すぎて怖いくらい。
二。結衣の勉強の面倒を見ること。これも問題ない。普段から一緒に勉強をして、奉仕部でも苦手な分野をフォローしながら自力を高めあっている。彩加も翔も雪ノ下も一緒だし、たまに会話に脱線することもあるけど、やることはきちんとやっている。
三。大学で悪い男に騙されやしないか不安だから、同じ大学に行って守ってやってくれ。なんかこれもう託されてませんか? ああいえ、娘さんが大事なのはよく解りました。ええ俺も不安なので絶対に同じとこに行きます。
四。それらの証明として、高校卒業まで全力で結衣を守って、依存じゃなくて高め合える関係であること。それが守れるなら在学中の婚約だろうがなんだろうが許してやらぁ! だそうで。これも望むところだと啖呵を切ったら、パパン泣いちゃった。
それからは売り言葉に買い言葉というか。次々に出る条件を飲み込み、無茶苦茶な条件にはきちんとツッコミを入れて、話し合いを続ける内に、どれだけ結衣が好きなのか語ってみろというので、それはもう事細かに、ねちっこいくらいに語った。
すると……なんということでしょう。結衣は真っ赤になって顔を覆ってしまい、パパンは固まって目をぱちくり。ママンは「幸せ者ね、結衣は」なんて言って結衣をいーこいーこしてた。
そののちにパパンが去ってゆき、ファブリーズに繋がるわけで。
「よかったわね、ヒッキーくん。条件を満たせば、晴れて結衣はお嫁さんよ?」
「その条件が多すぎなのが問題なわけですが……いえ、もちろん全部満たしますけど」
「……本当に、結衣が好きなのね」
「嫌いになれとか無理ですよ」
その娘さん、パパンにぷんすかだったくせに、俺に抱き付いてきてしばらくして寝ちゃってますし。あああったかい。抱き締めていいですか?
いやママンの前では無理か。マンション前でやったけど。
ともかく、自然とずりずりと下がっていった結衣を、今では膝枕して頭を撫でている状況。
そんな俺と結衣を見て、由比ヶ浜マはくすくす笑って、「今日は泊まっていきなさい」とか言い出す。
「あの、それはいろいろと問題が」
「ヒッキーくん知ってる? 親同士が認めていれば、13歳から子作りは可能なのよ?」
「訊いてませんよねそんなこと!!」
「まあおてつきしちゃったら、これから先、なにがあろうとも結衣を幸せにしてもらわなきゃ怒るけどー……こんな娘を見せられたら、応援しないわけにはいかないじゃない《にこー》」
あ、笑顔。
その笑顔は、当然といえば当然なんだが結衣によく似ていた。
「難しく考えることなんてないのよー? ただ、結衣を幸せにしてヒッキーくんも幸せなら、私たちはなにも心配なんてしないんだから。パパの言ったとおり、在学中の婚約だって認めるし……あ、そうね。ヒッキーくん、来年の誕生日はうちに来て? あ、判子忘れずにね?」
「え? あ、はあ……?」
え? なに? 誓約書でも書かされるのん?
今はちょっと頭を休めたいから、考えるのは遠慮させてください。
けど、そっか。条件さえ満たせば。
「………」
綺麗で可愛い寝顔を見下ろす。
……頑張らないとな。いや、頑張ろうな。
恋人の無防備な寝顔を見て、守らなきゃって気持ちが強く湧いた。
これからしていく覚悟と、立ち向かう困難の数とか数えてはいられない。
だから、つまり、ようするに、由比ヶ浜マの言う通り、難しく考えるのではなく、訪れた困難をきちんと破壊して進んでいけばいいだけのこと。
考えるのはそれだけでいい。あとはひたすら、結衣を幸せにすることを目指せば。
簡単ではないんだろうけど……出来ることを全力でやっていけば、いつかは届くだろう。
そのいつかが本当に在学中に満たせれば……その時は。
「うふふふふふ……♪ それじゃあヒッキーくん? これからはわたしのこと、ママって呼んでね?」
「え゙っ……ほ、本気、ですか?」
「呼んでくれなきゃ認めな~いっ☆」
「───……」
イ、イヤ、出来ることを全力で…………だ、大事、デスヨネ?
やべぇ早速つまづきそう……!
けど、まあ、そんなところから始まる苦労も、いつかは笑い話として肯定できるようになるだろう。
だったら今は、恥ずかしいことだろうとなんだろうと、全力で。