どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
ぬるま湯のIF
───俺がその人と出会ったのは、本当に偶然だった。
人生ろくなもんじゃねぇ、なんて、高校生男子は大体考えるもんだと思う。
俺ももちろんその中の一人で、家がまあどっちかっつーと裕福ってこと以外は、マシなものなんぞ特になかったと言える。
雪ノ下っつー建設会社で運転手やってるのが家族の一人。
兄姉は真面目で頭も良くて、末弟の俺だけが出来そこない。
不良だなんだって、家族の恥だとまで言われ、じゃあ真面目になりますって頷くヤツなんざ見たことがねぇ。
そんな俺だから、当然ガラの悪い連中ともぶつかるわけだ。
一丁前にツッパって、周囲を威嚇してばっかだった。
しかし、そんな俺にだってポリシーはある。
弱い者イジメはぜってぇしねぇ。
男女平等で殴りもするが、弱い者は守るもんだって思ってる。
だから、そんな出会いの引き金になったことだって、俺のポリシーとは関係ないところから来たものだった。
不良やってるからって、それだけの理由で絡まれることなんざ案外ある。
あいつが気に入らないんだ、やっちゃってよ! とか言い出す馬鹿は案外居る。
当然、降りかかる火の粉は払うよな? まあ、俺の場合はその前に逃げられるなら逃げる。当たり前だろ? ツッパってるからって痛い思いをしてぇわけじゃねぇ。
しかし囲まれちまったんじゃあ話は別だ。
「タイマンも出来ねぇのかよ……無様だなアンタら」
「るっせぇよ。勝ちゃいンだよ勝ちゃァよォ」
逃げ出した先で囲まれた。
アホみたいな話だが、相手が俺のことをよーく調べてる証拠だ。
誰が企んだのかは知らねぇが、どうであれ“強さ”を示したんならそいつが強者だ。殴るに値する。そいつ自身が弱かろうが、金で雇ったんであろうが、なんであれ強さは強さ。OK、首謀者は女だろうがぜってぇブン殴る。
その前にここをどう切り抜けるかか。まいったね、どうも。
「冥途の土産に首謀者、教えてくんねぇ?」
「やだね。前にそれを教えた所為で、退院直後に闇討ちされたヤツが居るらしいからな」
「なんだよそいつ、俺のファン? それともストーカー?」
「なんとでも言っとけ。どうせここで、復讐ってのも考えられなくなるくれぇ恐怖ってのを叩きこまれるんだからよ」
「あーそーかい。んじゃあ……冥途の土産は俺が選ぶわ」
道連れを決定する。
恐怖を刻み込まれるってんなら、相手にだってその覚悟はあるよなぁ?
「てめぇらぁっ! やっちまえぇっ!!」
『ウォオオオオオオオオオッ!!!』
「だーれーにーしーよーうーかー───なっとおっ!!」
「《ゴチャアッ!》うぶぅっ!?」
一番最初に殴りかかってきた男の顔面に拳を埋める。
鼻血と涙を散らしながら倒れようとするそいつを追って走り、追撃としてサッカーボールキック。
がぽぉん、なんて音が鳴って、後頭部から倒れる筈だったそいつは横倒れに崩れ落ちた。
「て、てめぇ!」
欲しいのは冥途の土産だ、出来る限りの数では断じてない。
なので、倒れたそいつ“だけ”をいつまでも殴りまくり蹴りまくり。
やがて、集団の力によって殴り倒され、情けないくらいボッコボコにされた。
「お、おいやべぇぞ! 気ぃ失っちまってる!」
「誰かそいつ病院連れてけ! ~~……やってくれたな都築ィ!!」
腹を殴られながら、呼ばれた苗字に「ンだコラァ!!」と返し、次の土産を殴り飛ばす。
ま、当然ながら長続きなんざ無理ってもんだ。
やっぱりボコボコにされて、しかし噛みつき、そのたびにボッコボコにされ、地面に転がった。
「はっ……はぁ、はぁっ……! ムカツく野郎だ……! 腰抜けの逃走野郎じゃなかったのかよ、オイ!」
「い、いえ! こいつはほんと、誰相手でもまずは逃げるとかで……!」
「チッ……無駄な戦いはしねぇってか。よっぽど場慣れしてるってことじゃねぇかよ、クソが……! けどまぁ……」
ドフッ、と。
倒れた俺の腹に、ボス格の野郎の蹴りが埋まった。
~……遠慮ねぇな、くそ……! 俺もだけど……!
「無様だなぁ、ええオイ? 都築くぅん?」
「はぁ、はぁ……! るっせぇ……! 顔近づけんな、口臭ぇんだよ……!」
「そういうお前は鉄臭ぇよ。血ぃ流しすぎてんじゃねぇの? ぎゃははははは!!」
「っ……!」
言う通り、額が割れてる。
出血ばっかひどくて、しかも中々止まらない。
手当でもしてぇところだが……あぁくそ、不良だからなんだってんだよ、俺は静かに暮らしてぇだけなんだ。
俺は元々降りかかる火の粉しか払ってこなかったっつーのに、てめぇらがほっとかなかったからこうしたんじゃねぇか。
体も鍛えた。威嚇の仕方も覚えた。なのにこれ以上俺になにを求めるってんだよ。
俺に構わないってんなら喧嘩だってやめてやるさ。けどな、いっつも襲い掛かってくるのはてめぇらからだろうが。
「オラ、なんか言い残すこたぁあるか?」
「あー……そうだなぁ……。おめぇら、正義は好きか?」
「大好きだ。勝者は常に正義だからな」
「あぁそうかい。俺は大嫌いだよ。天国に昇れ、そんで二度と戻ってくんな」
「はぁ? なんだそりゃ、地獄に落ちろの逆とでも言いてぇのか? ぎゃっははははははこいつ馬鹿だ!」
笑いながら、顔面を蹴られた。
ジンジンと断続的に走る痛みに、涙が滲む。
っつぅう……! こんの野郎……! 傷塞がったら覚えてやがれ……!?
「んじゃ、これからお前の指、一本一本ゆ~~っくりと折っていくからな」
「───!? っは!? てめっ……なにを───!」
「復讐なんてしたいとも思わねぇくらいの恐怖、ゆっくりと覚えてもらうぜ?」
「……!!」
小指を握られた。
ぞわりと寒気が走り、途端にみしみしと、ゆっくりとした圧力が加えられてゆく。
思い切り力を込めて抗うが、どずんと腕を踏みにじられ、その衝撃で力が散る。腕を圧迫されると、手への力が抜けるアレだ。
「ふっ……ざけんな! 勝手に人の平穏ブチ壊しといて、人の指を折るだ!? 俺はただ降りかかる火の粉を───!」
必死に抵抗しても、圧力は増すばかり。
やがて小指が、曲がる限界以上をミシリと描こうとした瞬間。
「おぉおおおまわりさぁあああああんっ!! こっち! こっちですよぉおおおおおっ!!」
そんなバカでかい声が、路地裏先の広場に響いた。
「警察って……おいやべぇぞ!?」
「お、俺行くからな!? 捕まるとか冗談じゃねぇ!」
集められただけの雑魚がさっさと逃げてゆく。
が、俺を押さえつけたままのそいつは、ニヤニヤ笑うだけで逃げようともしない。
「~~……んだよ……! てめぇは逃げねぇのか……!?」
「おまわりさーんなんて叫びを聞いて逃げるかよ。そういうのは大体がその場限りの声だけだ。ザコどもはさっさと逃げたけどな、俺はそういうの、怖かねぇんだ。……見ろよホレ、叫ばれても、居るのは女二人だけだぜ? おまわりさんはどこかなー?」
みしり、みしりみしり。
指が悲鳴を上げる。
やばい、痛い、寒気がひどくなり、望んでもないのに喉が悲鳴を上げようとする。
「しっかし情けねぇなぁ都築さんよォ!? 女に、しかも典型的なおまわりさーんなんて言葉に助けられそうになるとかよぉ! しかもお巡りさんなんて来やしねぇ! 結局よぉ!? はみ出した馬鹿なんざ、だぁれも助けてなんかくれ───」
「秘技!
「《マチュー!》ギャアーーーーーッ!!」
「……へ?」
突然だった。
すぐ近くに人の気配がして、顔を上げてみれば……俺を押さえつけていた男が、顔面を両手で覆って俺から飛びのいた。
「目が……! くっそ誰だてめぇ! ……っつーかなんだこりゃあ! 水……じゃねぇ! ぬめぬめして……くそっ! 取れねぇ!!」
「グフフハハハハハカカカカッカッカッカッカ……!! 我が誰とは面白い……! ……名前を聞くならまず自分から。そんなルールも知らんのか、このたわけが」
「あぁ!? 女ぁ!? 女が俺に攻撃……っ!? てめぇ誰だ! ザコの分際で俺に歯向かうんじゃねぇよ!」
「……歯向かってはいない。ただ急にガムシロップを発射したくなっただけ。そこにあなたが立っていた。偶然としては出来過ぎている……そんな出会いはそこはかとなくジャスティス」
「くっそがぁ! 恥ずかしくねぇのか都築ィ! 女に助けられるなんてよぉおお!!」
「いや……べつに俺、平穏だったらなんでもいいし。それよかよぉ、小指折られそうになった仕返しをしてぇんだが……」
小指の具合を確かめる……が、握りこもうとすると激痛。
あぁ、こりゃ無茶出来ねぇな。
どうしたもんか……と思ったら、サイドテールのジャスティス言ってた女が、スカートのポケットから……何故か結束バンドを取り出した。
それをもう一人の黒髪ロングの女に分けて渡して、
『秘技───』
がむしゃらに拳を振るう男を背中からトンと押し、倒れたところへ腕を極め足を極め、呆れる素早さで結束バンドを通すと、キチチチチと最後までを結束した。
『───
その在り方はまるで、本部以蔵にベルトで拘束されたガイアのようだった。
「なっこらっ! てめぇらなにしやがった! このっ! こっ……!? う、動けねぇ……!?」
「お前は強かったよ……」
「でも、間違った強さだった……」
「ふざっけんなほどけコラァ!! 女が男を見下しやがって! 後悔することになるぞコラ!!」
『………』
騒ぐ男を、立ち上がってから静かに見下ろす二人。
俺はといえば…………ちょっと状況についていけない。
目を封じたとはいえ、男をあの速さで封殺とか何者だよこいつら……。
「聞けば、復讐すら考えられなくなる恐怖を、とか言ってたねぇキミ」
「あぁそうだよ! 俺ァしぶといぜぇ……!? 言っておくがよぉ、声、覚えたからなぁ!? 似たような声したやつ、片っ端から攫ってよぉ……人前歩けなくなるくらい───」
「ギルティ。姉様、姉様、この男、女の敵」
「ギルティ。丁度こんなところに買い出ししたマヨネーズが」
「まあ姉様、それはとてもジャスティス」
「フフフハハハハハ……! 時にそこな男よ! ……カラスって肉よりマヨネーズとか、脂身が好物だ~って話、知ってるかなー?」
「へ? 俺? いや……知らんけど」
「そーかそーか、いかんぞいかんぞ勉強不足だ! で、そんなカラスさん大好きなマヨネーズを、この身動き取れない男にた~~っぷりかけるわけですよ。主に素肌が露出しているところに」
「《マヂューヂュヂュッ! ニュルルルル……!》お、おいっ! なにしやがんだ! おいっ! おっ…………おい? カラス? 素肌? ……は、はっ!? おい、冗談だろ!? おいっ!!」
「……鳥葬を知ってる? 知らないなら身を以て知るといい。運が良ければ結束バンドも千切れるかもしれない。偶然を信じる心、実にジャスティス」
「わはは、だーいじょうぶだよー? キミは女に負けるんじゃあない、カラスに負けるのさ! よかったねー、女には負けないよ!」
「ふっ、ふふっふふふざけんなっ! おいっ! 外せっ! 外せよコラ!」
「だめだ」
無慈悲だった。
悲しみを背負った北斗神拳伝承者のような顔をして、黒髪ロングはあっさりと吐き捨てた。
そして100円ショップの買い物袋から洗濯バサミとボールペンを取り出すと、サイドテールの眠たそうな女に頷いて見せて、そいつが手で吹矢のように軽く握った両手を口につけ、しゃがれたような声でカラスの鳴き声を真似すると、底意地悪い声で言ったのだ。
「さ、言ってる傍からカラス様の到着じゃー! ……では、やすらかに眠りたまえ」
言いながら、脱いだブレザーをばさばさと揺らすと、その直後に洗濯バサミで男の手の皮を挟んだり、ボールペンでゾスゾスとつついたりと、芸の細かいことをやり始める。
当然目の見えない男にとっては恐怖以外のなにものでもないわけで。
「ヒ、ヒィイイイ!! いやだ! やめろぉお!! 死にたくねぇええっ!!」
半狂乱。っつーかもう狂乱。
洗濯バサミの数が増えて、ボールペンで刺したり洗濯バサミをブチーンと引っ張って取ったりと、追い詰める作業は続き───
「ぎゃああああああああっ!! ママーーーーーーンッ!!」
男はやがて、悲鳴をあげたのちに……気絶した。
いや……つーかママーンって。
あ、あー……小便垂らして泡吹いちゃってるよ……。
こりゃこいつ、もうここらへん歩けねぇな……。
『成敗!!《どーーーん!》』
で、女たちは女たちで勝利のポーズ取ってるし。
はぁ、なんか滅茶苦茶だなこいつら。
「やあやあ少年、危ないところだったね! 我らが通りかからねばいったいどうなっていたことやら!」
「どうなってたって……ま、指折られて入院ってとこじゃねぇの? 退院したら復讐するってだけで」
「おお、状況分析出来てるね、結構結構」
「男は多少ひねくれてるくらいが丁度いい。……ん、かなりジャスティス」
「つーかお前ら、俺のこと怖くねぇの?」
「へ? なんで?」
「誰であろうと人は人。外見で判断するのはとても失礼。人は中身で勝負。それは我が血に流れる誇り高き血統を重んじる、譲ることの出来ないジャスティス」
血統って…………なにこいつら、もしかしていいとこのご令嬢とか?
ここいらだと雪ノ下とかか?
「……お前らもしかして、雪ノ下とかいうところの娘かなんかか?」
だとしたら目障りだ。
ウチが都築だと知りゃ、鬱陶しい態度でくるかもし───
「No、違う。比企谷。そして由比ヶ浜」
「その通り! 我らが身に流れるは恋とともに生きる血統、由比ヶ浜ぞ! そして家族を何よりも愛する血統、比企谷!」
「……聞いたこともねぇんだが」
「広めてるわけじゃないしねー。おっと、早く帰らないとパパに怒られる」
「買い物が遅い、ではなく、美鳩たちを案じての怒り。とても暖かいジャスティス」
「結局怒られるなら普通に戻らねばでしょ! ではな少年! 気をつけたまえよ!」
「
急いでいるのか、二人はさっさと行こうとしてしまう。
ちょ、待て待て! 俺は不良だが、きちんとお礼もしねぇままで逃げられるとか、そんなの許さねぇぞ!
「ちょ、待て! おい!」
「礼ならばいらぬ!」
「無駄に男らしいなおい! じゃなくて! なっ……名前くらい聞かせろ! 知らねぇやつに助けられるとか、格好悪ぃだろうが!」
「格好悪くてなにが悪い!《どーーーん!》」
「……!!」
格好悪くて…………なにが…………!
あ、やべ……胸に来た。そうだ、俺はいつから格好なんてものに拘って───
「じゃ、さいなら!《ダッ!》」
「ってちょっと待てそれただてめぇがさっさと帰りてぇだけだろ!! 俺の感動返せてめぇええっ!!」
台無しだよこの野郎!
ともかくなにか言ってやりたくて、久しぶりに“相手の顔”を見た。
他人なんてどうせ、なんて思い、深く関わらないためにも、すぐ忘れるためにもまともに顔も見なかった俺が、久しぶりに。
そこには───
「ごめんよ少年! わたしたちは悪であるが故に己の心を貫かねばならんのだー!」
「何人たりとも、美鳩たちの悪を挫くことは出来ない……! それは一部を除いて譲ることの出来ない貴きジャスティス……!」
「───……」
そこには。天使が居た。
髪型と輪郭しか認識していなかったことを後悔するくらいの美人。美人っつーか、可愛いっつーか……その二つが幼さを残しつつも混ざりあってるっつーか……。
「…………」
呆然。
かける言葉も忘れ、俺は立ち尽くし、やがてぺたんとその場へ尻もちをついてしまう。
顔、あちぃ。
なんだこれ、心臓がうるせぇ。
でも……なのに、嫌な気分じゃなくて。
「………」
ひきがや、とか言ってたっけ。
ゆいがはま、とも。
つまり親の苗字がそれで、サイドテールの女が自分のことをみはと、だとか言ってて…………。
「……また会いてぇ」
会って、なんでもいい、話したい。
熱でも出たみてぇに頭がぼーっとして、二人のことしか考えられなくなる。
……ここらへんに住んでるんだろうか。
あんなに天使なら、知らねぇやつは居ねぇよな……? あ、俺知らなかった。
いや、だったら訊きゃあいい。
んでもって、んでもって───…………
「お、おぉおおし!! なんかやる気出て来たぜぇええっ!!」
黒髪だったよな! おし! 髪元に戻すぞ! 外見から入った不良もおさらばだ!
おぉおやべぇ! 今めっちゃくちゃ気分いいぜ! 今までこんなのなかったぜ!
ガッツポーズを取って、この出会いに感謝した。
女なのに男に立ち向かえる胆力も気に入った! 少ない材料で相手を負かすところも実にいい!
人によっちゃあ小賢しいだの言うんだろうが、限定された手段で勝とうとするのは小賢しいってんじゃなくて努力って言うんだ!
いいじゃねぇか! 最高じゃねぇか!
っしゃあまずは情報収集だ! 誰かに聞いて、まずは───
「……って、あのブレザー、総武のだったよな」
残念ながら高校は同じじゃねぇらしい。
親にはそこを受けろって言われてたが、親の体裁のために受験とかアホかってんだ。
だが総武とはなにかと係わりのある海浜に、俺は通っている。
これはなにかの運命ってやつじゃねぇのかね。
「っし、会ってきちんと礼と、あと自己紹介と、名前も聞かなきゃだな……!」
やることはいっぱいだが、難しいことを考える必要はねぇ。
真っ直ぐ言ってキッチリ礼を尽くせばいいだけのことだ。
不良ではあるが、物事ってのは弁えているつもりだ。
憧れの人物は8823先輩な。
「んじゃ定番としてダチにでも訊いてみて───…………」
…………。
「…………ダチ居ねぇ」
前途多難だった。
───……。
……。
その日からあの二人を探す日々は続いた。
見知らぬ男や女に声を掛け、知らねぇかとメンチきってみたり───いや切っちゃダメだろ! なんですぐにこんなことに気づかねぇんだよ!
もう散々切っちまった所為で妙な噂流れてるよ! 誰も近づいてこねぇよ!
あと染髪剤買うの忘れてたから、不良に目ぇつけられるって状況しか作れてねぇよ!
と、とにかく黒に戻してからだ! なにやってんだよ俺ゃあ!
……。
で、黒に染めた。
黒髪も懐かしいなオイ……あぁ、あと眉間に皺寄せんのも直さねぇと。
さってとー……今日も探すかね。
……。
情報のじょの字も手に入らねぇ。
なんだこりゃどうなってんだ?
……。
めんどっちかったから総武高校で待ち伏せた。
校門前で待ってりゃ出てくるだろ。
「………」
……。
「………」
……
「………」
…………ア゙ー……ア゙ー……。
「…………こねぇ……」
来なかった。
「あ、お、おいそこのあんた!」
「ん? なんだね。というか大人に向かってあんたとは、口の利き方がなってないな」
「ンなこたどうでもいいんだっ! ここによ、その……ひきがや、とかゆいがはまって苗字の女子、居るだろっ!?」
「───……ああ、居るな。それがどうかしたのかね」
「会わせろ! その二人に用があンだよ!」
「口の利き方がなってない、と言ったがな。それが人にものを頼む態度か?」
「なんで関係のねぇあんたにンなこと教える必要があンだ《ヂパァンッ!》───……よ…………」
「教師だからだ。……次は当てるぞ、小僧」
「~~っ……!!」
は、速っ……!? 今、頬っ…………見えなっ…………え……!?
ヂョリッて……パァンって……お、音速拳でも使ってんのかこいつ……!
「い、や……~~……そいつらに、恩があるんだよ……! 囲まれてボコられてた時、助けてもらって……! だから……!」
「ん……ああ、そういえば似たようなことを以前言っていたな」
「───! マジかよ! マジで知ってんのか!? 会わせてくれ! 頼む!」
「無理だな。彼女らの親に、私が恨まれる。それに礼なら言われたと聞いたぞ? 君は何を願っている」
「だからっ……きっちり礼がしてぇんだよ! そのあとは───……あんたに言っても仕方ねぇかもだが、惚れた!! 初恋だ! 当たって砕けてぇ! だから、頼む!」
「………」
「………」
「……いや、待て。まっ……ぷふっ! くっ……くふふはははは……! な、なんだ君……! 不良のくせに、女子に救われ、しかも惚れた……!? ぶふっ! くっふふふふふ……ふふふははははは!!」
「ぐっ……ああそうだよ悪ぃかよ! 惚れ方なんざそれぞれだろうが!」
「いやいや実に結構だ! すまないな、笑ったりして。だが生憎と素性の知れん男を女子に会わせるわけにはいかない」
「
「……君な、君が親だとして、娘を探してよく解らん男が別の学校まで来た、なんて聞いて、紹介するかね」
「…………しねぇな」
「それに頷けるなら話は早いな、諦めろ」
「ちっくしょぉお! じゃあもう偶然会うこと願うしかねぇじゃねぇか!」
「すまないな。彼女らの親は私の元教え子なんだ。そんな子たちを大して知りもしない男と会わせ、危険な目に遭わせたと合っては合わせる顔がない」
「……いや、あんたは正しいことをしてる。間違ってねぇ。悪かったなせんせ───へ?」
あいつらの親が元教え子? え? 娘? え?
「…………あんたいったい何歳だァアーーーーッ!?」
マジかよ信じらんねぇ! どう見たって20台で通用する若さだぞ!?
波紋使い!? 荒木先生なのかよ!
直後、拳は振るわれた。
……今度は外しちゃくれなかった。
───……。
……。
それから、周辺を徘徊する日々が続いた。
偶然を装って出会うしかもう手が残されていなかったからだ。
時には走り回って時には歩いて、ひきがやって表札やゆいがはまって表札を探して。
が、ものの見事に見つかりゃしねぇ。
おいおい、ほんとにここらへんの住民なのかよ……あの制服自体がフェイクだったって可能性はねぇのか……?
「かっはぁ…………! あー、もう嫌だ、走りたくねぇ……!」
そしてとある日、もういい加減探すのも疲れたある夕方の頃。
たまにはいいかって気分で偶然入った、喫茶店。
ぬるま湯、なんてヘンテコな名前は、以前からちっとばかし気にはなっていたが、結局は入らなかった店だった。
そんな喫茶店で───
「───……いらっしゃいませ」
ふわりと振り向き、言葉をくれる天使と再会した。
「えっ、あ、が、ががっ……!?」
当然不意打ちもいいところ。
顔が灼熱して声も上手く出てくれなくて、促されるままに案内されて、メニューと水をもらった。
つーか気づかれてねぇ!? ……あ、そういや髪戻したんだった、そりゃそうそう気づかねぇよな。
人はまず色で判断するところがあるってなにかに書いてあった気がするし。
よ、よーし、ならまずは落ち着こうなー俺。
ほ、ほ、ほれ、水とか飲んで……よ?
「…………《んぐっ、ごくっ……》」
「パパー! ブルマいっちょー!」
「ブブォオオファアッ!?《ゴプシャア!!》」
吐き出した。咄嗟に手で押さえはしたが、びしょ濡れである。
つーか……ブ、ブルマ!? 天使がブルマって……!
「てめぇ材木座いい加減にしろ! 出禁にするぞ!?」
「いいではないか八幡! 我とお主の仲であろう!? というか今回我は別にブルマをお願いしたりはしておらんぞ!?」
「Si,ザイモクザン先生はカプチーノを頼んだ。今のは絆が悪い」
「ギルティ」
「わわわちょっとたんまパパちょっとしたジョークジョギャーーーーーッ!!」
天使が! 天使がアイアンクロ……へ!? ザイモクザン先生!? あのラノベの!? おわぁわわ俺超絶大ファンなんだが!?
ああいやいや落ち着け俺! まずは───…………
「………」
……ザイモクザン先生の小説のあとがきには、編集さんのことがよく書いてある。
曰く、天使。絶対的な美貌を持つ天使。その二つ名こそ“銀色の生きる可愛い”。
い、今……今、ザイモクザン先生の前に座っている、あのめちゃくちゃ可愛い長い銀髪の人って……!
「…………」
ああそうか、ここヴァルハラだったんだ。
知らなかった……世界はこんなにも美しかったんだ。
「……ハッ!?」
だ、だめだだめだ! 俺にはもう心に決めた天使が居る!
俺は───
「………」
俺は…………
「………?」
あれ? 俺、どっちに惚れたんだっけか。
ロングの元気っ子? サイドテールの眠そうな子?
「ま、まあいい、とにかくまずは注文でもして、来てくれた方と話を───」
そんなわけで注文。
店員に声をかけて、来てくれるのを待って……やがて来てくれた方に───
「いらっしゃいませーっ、ご注文は?」
ほうに…………
「………」
えらい美人がそこに居た。
笑顔がめっちゃ綺麗で、人懐っこそうな雰囲気があって、なんつーのか、この人がここに来た途端、空気が一気に軽くなったっつーか。
やわらかいっつーのか、ええぇと…………胸でけ《ギンッ!!》ヒィッ!?
「……あの。そういうの、困る、かな……」
「え、あ、いやすすすすんませんっ! 悪気はなかったっす!」
つい見てしまった胸元を両腕で隠し、顔を赤くするでもなく困った顔をするその人に対して、ひどい罪悪感。
ああこれ、もう心に決めた人が居る人の反応だ。しかも、その人以外になんて絶対に嫌だってタイプの。
そして、先ほど天使にパパと言われていた男が何故か眼鏡を外し……なんかめっちゃ濁った眼でこっち睨んでるーーーっ!? な、ななぁあなななんだあの目! あれが人間の出来る目か!? あんなの初めて見るぞおい!
だっ……だめだ、勝てねぇ……! 完全に体がブルっちまってやがる……!
なんて怯えている内に美人さんはその男のところへ行ってしまい、その男に護られるように抱き締められていた。
「………」
大変信じられないことだが、あのお方が天使の父親らしい。……マジか。
くそっ、ビビるな! 俺の興味は天使たちだけだって思い知らせてやればいい!
「だ、大丈夫っす! 俺が興味あるのは娘さんたちだけっすから!」
胸を張って言える! ……言った途端、いろいろなところからガタッて音が鳴って、幾つもの視線を感じた。え? なにこれ。
中でも強烈なのは、一人の和服? 着物? っぽいものを着た、どこぞのお嬢様の母親って感じの人で……
「───」
あ、だめ。
目、合わせたら体が動かなくなった。
なんだこのプレッシャー……! いやそれよりも……! あの目は、数々の修羅場なんぞもうとっくに熟知してるって目だ……!
な、なにモンなんだこの人は……!
「フーーー……ッ……あなた、まさか美鳩さん狙いでこの店に……?」
「み、はと……そ、そうだ! ひきがやだかゆいがはまだか知らねぇけど、みはとって名前だけは憶えて───」
「喝ァアーーーッ!!」
「《ビビクゥッ!》ひぃいっ!?」
「言うにことをかいて、美鳩さんを呼び捨てっ……!? 母親である結衣さんの胸を舐め回すように凝視するだけに飽き足らず……この痴れ者が!!」
「いやちょっ……舐め回sえぇええええええええっ!? 母っ……母親ァアアーーーーッ!?」
うそだろ全然見えねぇ! いや美人だっつーか可愛い人だとは思ったけど……っ……母!? うそだろぉおおおっ!?
ていうかその母親さん、旦那さんとめっちゃらぶらぶしてらっしゃるんですが!? 目に毒すぎるだろ! あ、でも可愛い……ヒィ殺気が増した!
「ちょっ、待っ……話を聞いてくれ! 俺はただ礼が言いたくて! すすす数日前に不良どもに囲まれてたのを助けてもらって、その礼をっ!」
覚えてるよな!? とばかりに元気っ子の方を見る。
あの母親さんよりも、カウンターで紅茶淹れてる綺麗な人が母親って言われた方が納得できる子の方。
「───その話なら、確かに聞いたことね……そうなの? 絆さん」
「騙されるな鉄郎! そいつは機械の体を餌にお前を───!」
「……良い度胸、と褒めてさしあげましょう。よもやこの私を騙そうなどと。消え去る覚悟が出来ていると判断していいのかしら……オホホホホ」
怖ァアアーーーーーッ!?
待って!? ちょっと待って!? あなたこそが騙されないで!? つーか鉄郎って誰!?
あばぁあばばばば体が震えてきた……っつーかオイ! なんで誰もあの夫婦のイチャラブ止めねぇの!?
キキキッキキキスとかしちゃってますけど!? え!? これ普通のことなの!?(ぬるま湯では日常です)
なんかこの店やべぇ! でも初恋! 俺の初恋! 実らせてやりてぇ!
これっきりだなんて嫌だぞ俺は! だから───!
「そのっ……都築槻侍! 17歳! 娘さんに惚れました! 俺にチャンスをください!!」
『愛している人が居るから絶対に無理』
「《ゴドッ……ドシャア~~……》」
速攻で断られた。他ならぬ天使たちに。
膝から崩れ落ち、やがて体が床に倒れるまで、時間なんて必要なかった。
───……。
……。
人生ってのはろくなもんじゃない。
改めて思う。マジで。
しかしながら彩が全くないのかといったらそういうわけでもなく。
俺に、行きつけの喫茶店が出来た。
あぁあと、久しぶりに家族と会話した。
なんかえっらい真っ青な顔して、“比企谷様、由比ヶ浜様の娘様だけはおやめなさい……!”と真っ直ぐに。
もちろん言われたからって誰がはいそーですかって納得するかって話だよな。
バイトして、金が出来ると、喫茶店。
奇妙な5・7・5みたいな言葉が出来たが、まあそれが自分のルーチンっつーの? 日々の行動みたくなっていた。
とりあえず来る度に違うものを頼んでみている。
なにが一番美味いかなと。
飲んで見て解ったが、ここのコーヒーめちゃくちゃ美味ぇ。あ、マイフェイバリッドは角砂糖二つにガムシロップ。入れる時にガムシロレジスタンスとか呟いてるのは内緒な。
紅茶もよく解らんけど安心する味だし、ケーキとかすげぇ。特にティラミス。
軽食もやべぇし、好物のクラブサンドとかほっぺた落ちる。
あ、胸を見ちまったことは、謝罪したら許してくれた。天使だらけだよここ。
マスターも「ま、結衣は天使だからな」って一応許してくれた。ただし次はない。濁って腐った目で睨まれて言われたら、俺も頷くしかなかった。上には上が居る。
そして悟った。ザイモクザン先生が出した喫茶店の話の元って、ぜってぇここだって。
眼鏡取ったら解放される邪眼とか、まんまあのマスターじゃねぇかよ。
「《もぐ……》ふぅうぉおおおおおおおっ!!」
そして現在、注文するものも大分進み、チャレンジ系のものに挑戦。
……したんだが、努力と根性だけじゃどうにもならないものがあると知った。
甘っ! 甘すぎる! 歯とか今すぐ抜け落ちそうなくらい甘い! つーかほっぺた痛ぇ! 甘いの食べるとじゅわーってなる、あれの数十倍のなにかが頬を襲う……!!
「ファイト! ファイトねジョー・ヤブーキ!」
「じゃぶじゃぶすとれーと……! わんつーわんつー……!」
バスターワッフル、と呼ばれるソレと、MAXコーヒーのセット。
これを完食することが条件なんだが、未だに成功者たった一人のモンスターセット。
ひとたびザクリと口にすれば、体験したことのない甘さが自身を襲う。
タイムを計るために天使(双子だそうだ)が両側についてくれているんだが、幸せと甘さで頭がどうにかなっちまいそうだ。
だが侮ってもらっては困る。
こう見えても俺はMAXコーヒーが大好きだ。
どれだけ甘いかろうが、これで流し込んじまえば───!
「《ぐびりズキィーーーン!!》ギィイイヤァアアアーーーーーーーッ!!」
甘っ……甘ァアーーーーーーッ!!
違う違うこれぜってぇMAXコーヒーじゃねぇ! 俺の知ってるマッカンと違っ……ギャアア頬痛ぇえええっ!!
だだだだが天使の前だ! 無様は見せられねぇ!
ようは我慢だ! 我慢して噛んで、飲みこんじまえばよぉおお……!!
「《ざくっ! さくさくズキィーーーン!!》ぎぃいやぁあああああっ!!」
ののの飲み物! 飲み物を《ぐびりズキィーーーン!》ギャアーーーーーッ!!
ああだめ、これやばい、地獄が見える。なんか脳がやばい方向に傾きかけてる気がする。死ぬ。甘さで死ぬ。
水……普通の水が飲みたい……!
甘いものがこんなに怖いものだなんて知らなかった……!
怖いものをこんだけ奨めてくるなら、俺は、俺はもういっそ…………!
「……《ピッ》ん、タイムアップ……」
───最後にお茶が怖い。
× × ×
……人生なんてろくなもんじゃねぇ。
人のつながりなんてものがどこにあるのかも解ったもんじゃねぇし、顔が広いっていうのは本当に厄介なものだとやはり考える。
だから、もう一度言おう。
俺がその人と会ったのは偶然だったんだ。
以前はたまたま居なかったってだけで、今回は普通にそこに居た。
バスターに敗北して大金を支払って出て行った日から数日後。
その日までも何度も足しげく通っていた俺の前に、その人は居た。
同じ苗字で、けれど俺とは出来が違う人。
和服? っぽいのを着た綺麗な人に付き従っていたその人は、俺がよく知る人だった。
当たり前だ、身内なんだから。
そして、付き従うってこたぁこの人が雪ノ下だってこと。
そんな人に大事にされている“ひきがやきずな”や“ひきがやみはと”が、俺の手の届く人ではないってことにも気づかされた。
「………」
いっそ、探しても見つけられなければよかったのに。
そうすりゃいつか諦めもついて、不良のまま、俺は……。
これで諦めるのかよ
心が悪態をつく。
仕方ない。
都築の家に産まれたモンにしてみりゃ、その関係者に手をだすのはご法度もいいところ。
親兄弟、その全てが世話になってる。ヘタすりゃ全員露頭に迷う。
好きじゃないし、顔を合わせりゃ出来そこないだの恥だの言われる俺だが、だからって一族が不幸になってほしいなんて考えない。
口ではどうとでも言えるが、実際にそうなれば本当に、最悪死ぬかもしれない。
だから俺は───
───……。
……。
人生なんてものはろくでもないものだと思う。
が、しかし、なんであれ出来ることはあるのだと、いつか気づけた。
ふさわしい人になろう、なんて考えがあったわけではない。
ただ、出来そこないと見捨てられたまま、見限られたまま、自分の価値を底辺に置いたまま、そんな自分を諦めたくはなかったのだ。
ただひたすらに努力した。
その過程、喫茶店に寄ることはなかった。
今さらだ、だのなんだのと家族に馬鹿にされようが、ひたすらに学び、走り、努力した。
不良に絡まれたって反撃はせず、ボコボコにされながらも帰宅し、勉強した。
最初に姉が声をかけてくれた。
勉強を見てくれるようになって、成績が上がって、テストでいい点取れたら、ガラにもなく泣いて喜ぶ俺が居た。
次に次兄。
出来そこないは努力はしない。人の目を気にして筆を取る者は二流。己のために拳を振りかざす者は三流。だが、守りたいなにかのために筆を、拳を構える者は、家族と言える。
そう言って、都築としての振る舞い方を教えてくれた。
随分とスパルタだったが、それでもよかった。
不良に殴られるほうが痛かった。
喧嘩慣れなんて、こんな時にしか役に立たない。
そして長男。
挫けるようならそれこそ鼻で笑うつもりだったが。
そう言った彼は、俺の努力を認めてくれた。
次から次へとあれやれこれやれって加減ってものを知ってくれと思ったが、むしろそれくらいが丁度よかったんだろうな。
がむしゃらになれたら、自分を振り返ることもなかった。
やがて───
大学を卒業した。
都築の名に相応しい場所、とやらをきちんと修め、あとに待つのは頭の固そうな務め先。
そこまでしてようやく自分に自信を持てた俺は、のんびりと歩いて、とある喫茶店の扉を開けた。
……家族に話してみれば、相も変わらずあの家族には手を出すなと釘を刺した。
それでもいいのだろう。
俺はただ、いつかのお礼をきちんと届けたいだけなのだから。
その過程で想いを打ち明けようとも、きっと叶うことはない。
ただ、俺は頑張ることが出来たのだと。
知ったつもりで、諦めていた世界を知る努力が出来たのだと。
そんな努力を、彼女たちに感謝し、届けたかった。
誰かとの出会いで人は変わることが出来る。
いつか、もう一度会いに行った高校で、やたら格好いい女教師に教わったことがある。
それは、とある事故から始まった、三人の青春のお話だった。
誰かとの出会いで変わった人達が、そこに集って幸せを形にした。
ぬるま湯、なんて名前のそこが、彼ら彼女らの青春のカタチなのだと。
からんからん
あの日に聴いたベルが鳴る。
中に入ると、いつかの従業員の服ではなく、ベストを着たサイドテールの彼女が居た。
眠たげに見えるのに、あの日とは違って人懐こそうな穏やかな笑顔で迎えてくれる。
カウンターには紅茶の葉が開く様を見守る元気っ子が居て、楽し気に鼻歌なんぞを。
同い年だったらしい彼女たちは既に大学を修め、この喫茶店を継ぎ、仕事に汗水を流す日々だと聞いた。
親は裏方に専念して、よほど忙しくなければ姿もあまり見ない。
バイトが何人か居るようで、忙しい風情のままぱたぱたと走り回っている。
明らかにバイトするには早いだろって子まで走り回っているが……なるほど、案外彼女らの子供なのかもしれない。
「………」
穏やかな気分だった。
ああ、これで完全に吹っ切れた、と。
小さな店員さんに席まで案内されて、メニューを見ては水を飲む。
小さな店員さんは注文を待っているのか、メモとボールペンを片手ずつに、そわそわしている。
「可愛い店員さん。家の手伝いかな?」
「違います。社会勉強です」
「そっか、偉いな。……俺は都築槻侍。店員さんは?」
「葉山翆といいます。あの、ご注文はお決まりですか?」
「───」
葉山。
あの葉山グループの。
本当に、ただの喫茶店に見えて、とんでもない繋がりのある場所だよ、ここは。
「そうだね……カプチーノとティラミスを頼めるかな」
「ケーキセット、カプチーノとティラミスですね? 以上でよろしいですか?」
「ああ。よろしくね」
「はい。それでは出来上がるまで少々お待ちください。───おねーちゃーん! カプチーノとティラミスー!」
元気に注文を伝える少女は楽しそうだ。
それに返事をするサイドテールの彼女も。
思わず笑ってしまい、それを誤魔化すみたいに水を飲み干す───と、いつの間にそこに居たのか、さっきの……翆ちゃんと同じくらいの背格好の少女が、背伸びしながらグラスに水を注いで渡してくれた。
「あ、ああ……ありがとう。俺は都築槻侍。キミは?」
「なんでしょうか初対面で店員の名前を訊くだなんて頭が腐っているのかしらもしやナンパですかやめてください気持ちが悪いですごめんなさい」
「………」
「けれど名乗られて名乗らないのは無礼にも程があるのでお応えするわ。比企谷
「そ、そっか…………うん? 比企谷、というと……キミはあの姉妹のどちらかの子供だったりするのかい?」
「あなた本当に失礼ね。私は姉さん達の妹であって子供ではないわ。私の両親はこの喫茶店のマスターとその妻よ」
「───」
おい、おいマジか、どんだけ歳離れてんだよおい。
少なくとも16~18くらいは離れてるだろおい! ああいやいや心を乱すな槻侍、冷静であれ。都築の一族は狼狽えない。
「まあ、ゆっくりしていきなさい。ここは平和を愛する者のお店だから。争いをしないというのであれば、誰であろうと迎え入れるの。……ようこそ、喫茶ぬるま湯へ。歓迎するわ」
「………………ああ。ありがとう、可愛い店員さん」
どこか背伸びした笑顔を見せて、可愛い店員さんはてこてこと歩いていった。
その先で、葉山の娘となにやら言葉を交わしては、なにやら賑やかに騒いでいる。というか葉山の娘が一方的に突っ込んでは、言い負かされて涙目になっている。
しかしすぐに仲直りをすると、サイドテールの彼女と楽し気にコーヒーやトレーなどの用意を始めた。
「………」
平和の香りか。
……うん、なるほど。悪くない。
突っ張っていたかつての頃を思い浮かべながら、店に満ちた平和の香りに目を閉じる。
そうしているといつかに戻れる気がして。
けれど、声をかけられ目を開ければ、見える景色は変わらない。
「はいはーい、カプチーノとティラミスお待ちっ!」
持ってきてくれたのは元気っ子。
素早くトントントンっとケーキ用のフォークやカプチーノ用の長スプーンなどが一緒に置かれ、その手際の良さに感心。
元気なのは変わらないようだけど、やっぱり変わってる。
そりゃそうだ、もう随分経つ。
十と数回程度しか来れなかった俺だ、覚えてもらえているわけもない。
少しだけしんみりしながら、俺は───
「ほいほい角砂糖2つにガムシロレジスタンス、っと」
「え───」
「あ、悪いけどママの胸をガン見するのは、もう絶対にさせないからね?」
「………………ぁ」
元気になーんちゃってー! と笑う彼女は、あの頃の笑顔のままここに居た。
カプチーノを頼めば、いつも同じ量を入れていた俺。
彼女の母の胸をじっと見つめてしまったいつか。
呆れることに、って言えるのに…………俺は。なんだってこんな、覚えられ方をされてるってのに…………泣きそうなくらい嬉しくて───……!
「ま、ゆっくりしちぇけ! 我らぬるま湯の使徒は逃げも隠れもせーーーん! 記念日には休むがなー! わーっはははははは!!」
「………」
なんだよこれ、反則だろおい……。
なんでこんな、不意打ちみたいなこと……。
「あ、ちなみに貴様を覚えていたのは貴様が都築だったからであるからして妙な期待は必要なぁーーーい! まあ、もう吹っ切れてますって顔してるからさ、この際だからズバッとね」
「……もう、結婚はしましたか?」
「おおぅ……敬語? 丁寧語? みたいなこと言われると調子が狂うなぁ。まあそうだね、“同棲”はしてるね、うっふっふ」
「そっか。幸せそうで安心した」
「そーでしょうともそーでしょうとも! なにせまた妹も出来て、そのお友達も居て! 毎日が超充実!」
「Si、実に愉快に過ごしている。翆はとても勉強熱心。コーヒー、教え甲斐がある」
「スィー、お姉ちゃん。あーし……けふんっ、私はとても勉強熱心だし」
「翆、また“し”が出てる」
「あぅ……ママの所為だ……」
「No,親の悪口はよくない。ひどいことをされた時だけは言うべき」
「う、うん。スィー、お姉ちゃん」
葉山の娘はサイドテールの子にコーヒーを習っているらしい。
和香ちゃんは紅茶を。ただ、可愛い上に綺麗な子になるだろうって解るのに、なんというか……男の弱いところ? 女に甘い部分を見透かしてるっていうのか、そんな部分があるような気がする。
ずうっと内側まで調べるような視線を向けられていた。
……将来、男とか手玉に取りそうな気がする。
でも惚れたら一途そう。
冷静に人を見る目と、男を操るのが上手そうってのと、なのに人を愛せば一直線っぽい雰囲気というのか。
なにやらいろいろと混ざっている気がしてならない。
どういう育てられ方をしたのやら。
「……? なにをじろじろと見ているのかしら馬脚さま。まさか己の本能を遠慮もせずに表し始めたとでも言うつもり?」
「お客と馬脚をかけるのはやめてくれ。べつになにも隠したりはしていない」
ていうかなんてことを言うのだ、このロリっ娘は。
「ただ、楽しそうで安心したんだ。ちょっとの間だったけど、青春ってものを感じられた。だから変わることが出来た。……ありがとう。今日はそのお礼を言いに来たんだ」
「おう受け取った! だからな~んの憂いもなく次を目指したまへよ! 青年よ! タイキックを抱け!」
「タイキック!? なんで!?」
「おっと違った。まあなんとなく伝わったと思うけど、大志をいだけとか言いたかったわけですよ絆的には。わたし達はそんな人達の姿を、ここでこうして見守るのが役目なのさ」
「…………」
そっか、と返してティラミスをつつき、カプチーノを飲む。
いつかを鮮明に思い出させる、とても懐かしい味だった。
「………」
ようやく、自分の中で凍てついて動かなかった歯車が動き出す。
さあ、歩き出そうか。
もうあの頃の自分にはさよならだ。馬鹿みたいに一途でいられればいいけれど、生憎と家族にはもう期待されている。
叶わない恋を追ったりは出来ないんだ。
だから……
「……ごちそうさまでした」
手早く食べて、この幸せを忘れないようにと、“最後”に喫茶店を見渡した。
それからゆっくりと会計を済ませ、迎えてくれた四人に感謝を投げ……頭を下げる。
人生っていうものはろくなものじゃない。
けど、きっかけをくれた人が居たから。
知ることの意味を、努力の価値を手にすることが出来たから。
もう、ここには来ないだろうと今は決めておく。
いつかまたきっかけが欲しくなったら───その時は、また俺のきっかけになってほしい。
笑いながら、からんからんと扉を開き、やがてろくでもない人生を送ることの出来る世界へと歩み出した。
さて、まずはなにをしてやろうか。
恋愛結婚は……無理っぽそうか?
いや、知るところからでも構わない。
政略結婚だろうがなんだろうが、相手を知るところから始めてみよう。
そして、また恋ってものを知ることが出来たなら───臨終の時まで、アホみたいに一途でいてみようと。
……そう、思うのだ。
*キャラ紹介っぽいアレ
◆都築槻侍───つづきつきじ
不良。元は兄たちに憧れた努力家だったが、常に兄たちに比べられ、目つきが悪いために学校では絡まれ、鬱憤溜まった末に爆発。
早々に自分を諦め、しかし自分から暴力をふるったりはしない、基本は逃げの不良。不良連中に囲まれ、ボコられていたところを双子に助けられ、惚れる。
のちに親が選んだ女性と結婚することになるが、相手を随分と大切にし、相手にその気は無くても生涯愛し続けた。
◆葉山翆───はやまみどり
葉っぱで山、ならばミドリ。単純な名づけである。
いつか隼人くんがヒッキーに言った通り、ぬるま湯にコーヒーを習いに来た。
美鳩をお姉ちゃんと呼んで慕っている。
時々自分をあーしと言ったり、語尾に“し”がついたりする。
縦ロールはポリシー。
◆比企谷和香───ひきがやのどか
ゆきのんといろはすが宣言した通り、二人に育てられる。
お蔭で、口調はゆきのん仕草もゆきのん、躍らす手腕はいろはさん。
でも想い始めると一途。
ツーサイドアップがお気に入り。
◆永遠のアラサー───ジ・オールマイティ
そうぶこーこーの生き字引。
次期校長でもいいんじゃないかな! とか言われている。全校生徒に慕われ、教師からの信頼も厚く、でも格好良すぎて惚れてくれる男が居ない。
なんか見た目が変わらないからハイデイライトウォーカーだとか波紋使いだとか言われている。もちろん尊敬を込めて。
傍で、わざと結婚がどうとか言うとスマッシュされる。
即興で思いついたものをガーっと書いてみました。
別に都築もとい続きとかはありませんし、ここだけの物語。
約二万文字近くですが、なんとも自己満足できました。