どこにでもあるようなガハマさんとヒッキーのお話 作:凍傷(ぜろくろ)
そんなわけで。
自室に戻って勉強道具を持ってくると、お店の客席じゃあなく、中の奉仕部で勉強会。
パパはママのところに行ってしまったが、これはもう慣れたものだ。
懐かしいなあウフフ、パパやママにこの絆は出来るおなごなのだと自慢したくて、雪乃ママに必死で教わったあの日……!
……あの時パパやママに頼らず頭脳を鍛えてしまったがために、二人には俺やあたしが居なくても頑張れる子、みたいな認識をされた時は大ショックだった。
そして言われた。はるのんに。「親は子に一度でも安心を覚えるとそれを基準にするから、甘えられる内、弱い内は素直に弱い姿を見せておきなさい」って。
逆に雪乃ママは強くありなさいって言ってくる。誤解ではなくしてしまえばいいのだと。そこらへんがほら、感性とかの違いってやつだと思うのだ。人って簡単じゃないね。世知辛い。
そしてこの絆が取った行動は、自分のしたいようにする、であった。
だって褒めてほしくて頑張ったのだ、あの娘は大丈夫だ、なんて思われたかったわけじゃない。なので言った。褒めてくださいと。
両親はきょとんとしたあとに、互いを見て苦笑すると……「反省だな」「反省、だね」と笑って、二人同時にわたしの頭をわっしゃかわっしゃか撫でてきた。
良き思い出でごぜぇやす。絆は成長しやした。
「んん……疑問。勉強好きな人は、なにがきっかけで勉強が好きになる……?」
ふと、美鳩がそんなことを訊いてくる。
ハテ。何故? 何がきっかけ?
「とりあえず両親に褒められることから、この絆の一歩は始まったと言えましょう」
「Si.それは正面に同じく。褒められて伸びるタイプだったから、褒められるためになんにでも手を出した。誰に動機が不十分と言われようと、その在り方こそが比企谷的にわりとジャスティス」
普通なら器用貧乏で終わりそうな動機だろうけど、無駄に適度にこなせる比企谷の血と、思ったら一直線の由比ヶ浜の血に、そうそう挫折の文字は浮かばない。
想えばこそそれが力となり根気となり行動力となるのです。
「でも絆は、昔はパパのことが嫌いだった」
「うぬ、なかなか言ってくれおるわこの妹め。確かにこの絆、かつては父が嫌いであったこともあったという、名乗ることを許されぬ一人の修羅であったわ。しかし想いを知ったからこそ立てられる意思や誓い、というものもあるということだよ妹クン」
「……絆は───誰かと付き合ったり、とかはしない? んん……あの言い寄ってくる男とか」
「可能性はないんだろうけどね、うん。今のところはてんで。この絆……恋愛結婚とやらがしたいでおじゃる!」
「美鳩は父との愛という禁断を踏みしめてみたい。もちろん無理だとは理解しているから、恋が出来るなら普通に無難な恋でもしてみたいもの。しかし現段階では父への愛こそが原動力。実にジャスティス。言える内に言っておくなら今こそ不変。未来においてはいつかは変わるんであろう気持ちを、きっと親離れという」
「好きになっちゃったなら仕方ないよねー。まあ、いつかほんとに現実を知った時に諦めよう。うん。相手が悪かった。でも気持ちって簡単じゃないから」
「……二人して嫁き遅れとかしそう。でも、べつにそれが怖いって思いはない。この店に、骨と皮まで埋めたい。絆はどう?」
「わっはっはー、こりゃまた愉快なことを。べつにこの比企谷絆、独り身だろうと一向に構わん」
「Si.この身は夢に捧げた。そこに伴侶が現れるか否かなんて、今はどうでもいい」
「そりゃね、パパとママみたいな関係には憧れるけど、だからって絶対結婚したいかって言ったら……ねぇ?」
「あとでどれだけ後悔しようが、そういうものだといつかは受け入れられる。そうなったら仕事一筋、姉妹でこの喫茶店を盛り上げてゆく所存」
「……じゃあもし、えと。わたしと美鳩、二人のうち一方だけ結婚、なんてことになったらどうする?」
「どうするもなにも」
訊ねてみれば、美鳩はきょとんとしたあとにこほんと咳払い。
わたしも、自分の質問で自分が思ったことを素直に口にした。
『祝福しつつ、とりあえず一方を追い出す』
ハモった。けど、同じ意見でなによりである。
「結婚したならここは場違いだしね。子供が産まれても世話出来る人が居ないしさ」
「Yah.過去において、ママのんやおばあちゃんがそうしてくれたのは、ここがパパとママの店だから。娘である私たちにはそれが関係ない」
「やはは、さすがに“曾孫の面倒もヨロシク!”とは言えないしね。ていうか…………子供? この絆に……子供? ……想像できないや」
「ん、同じく。でもきっと、想ったら一直線の子に成長する。それが由比ヶ浜の血であり比企谷の血」
「ウムス」
話をしつつ、姉妹で勉強を続ける。
想ったら一直線といえば、パパとママは今頃なにをやっているやら。
……らぶらぶちゅっちゅしてるか。くぅ、羨ましい。
「しっかし最近の気温はどうなっているのやら。朝は寒くて昼は妙にあったかかったり」
「ん……。で、夜はまた寒い」
ちらりと見れば、机の上に置かれた電気あんかの上で丸まっているヒキタニくん。
こたつで丸くなる、どころじゃない。宅のヒキタニくんは寒いのが嫌いなのだ。
そのくせ、人の部屋の布団にやってくる、なんてことはない。あくまで奉仕部の机の上が、この子の定位置だった。
背中をもみもみすると、閉じていた目を開いて見つめてくる。
けど、すぐにフスーと息を吐くと目を閉じて、また眠りについてしまった。
……一日のほぼをここで過ごしてるけど、退屈じゃないのかなぁ。
たまに、ママが“専業主夫になったヒッキーってこんな感じなのかな……”なんて言うと、その日のパパが張り切る。めっちゃ張り切る。
昔はどうだったかは知らないけど、今は間違い無く働き者のパパだから、ママもごめんねって謝るんだけど、しばらく拗ねてたりするのはほんとパパっていうか。うん。
「よし、勉強終わりっと」
「Da.これからどうする? お風呂? それともお風呂?」
「お風呂しか選択肢ないじゃん……まあお風呂だけどね」
お風呂の擬音、かぽーんって、よく考えると怖いよね。
ほらほら、漫画とかだとさ、一人でお風呂入ってる時でも擬音といえばカポーンなわけですよ。
あれって桶がどこかにぶつかって鳴る音なのだよ? 一人で湯船に浸かってるのにな~んでかぽーんとか鳴っちゃうかな。
……わからない時はノストラダムスの所為にしとけってキバヤシさんが言ってた。うん。
……。
そんなわけでお風呂、完了。
思いっきりあったまってからしっかり体を拭いて、きちんと寝間着に着替えて。
しっかり拭いても汗は出るし、その汗は温かいままだから湯気に変わってモシャアアアと空気に消えていくけど、なんかこういうのってこう……
「ククク……この絆の闘気も猛っておるわ……!」
「魂の、叫び……!」
一緒にお風呂から上がった美鳩も付き合ってくれるこの気安さ、大切です。
やー、無駄な行動とかって無駄ではあっても、その無駄を楽しめるかが重要だと思うのですよ絆的には。
何が言いたいかっていうと娯楽最強。
「さぁて、ホットミルクを用意してー、ストレッチもきちっとしたら、吉良吉彰のように穏やかに眠るとしようか」
「Si」
振り返ってみると、日々というのは案外早々代わり映えなんてしないものだ。
仕事は、そりゃあ違うことばかりが起こるけど、することはそう変わらない。
それに飽きたかっていったらそうでもなくて……そう考えると、自分は本当にこの仕事が好きなのだと実感できる。
仕事を継ぐにせよ別の未来に惹かれるにせよ、楽しめている内は思い切りだ。
恋も仕事も。
初恋は眩しくてわくわくして、した途端に失恋してた。
だからきっと実感なんて一生湧かなくて、パパとママの仲を基準に抱いたまま、これは違うあれは違うといろいろな恋のかたちを否定していくんだろう。
歩く先のかたちがどんなものなのかはハッキリとはわからないのに、そういうのがなんとなくわかるっていうか……うん、ちょっと難しい。
頭が良くてもわからないことはたくさんだ。それは経験して失敗して、積み重ねていくしかないんだと思う。
「失恋かぁ……次なんてあるのかね」
「それは……わからない。でも、今すぐわかる必要はないと思う」
「……そだね。わかった時は、精々パパに嫉妬してもらおっか」
「人を見る目がある“家族”が多すぎるから、きっと紹介した時点で止めてくれる」
「おお、そういった意味ではいろいろ安心なわけか。その時にわたしたちが反発するか頷けるかだろうけどね。ていうかたぶん美鳩が誰かと付き合ったら、ママのんが即座に相手の調査を始めると思う」
「Nn……
あの人、自由だから。
昔はそうでもなかったらしいけど、わたしたちにすればあれがママのんだし。
きっと相手の過去や性格なんかを散々調査してからダメ出しするのだ。
あれ? 想像の時点でダメ出ししかないや。まあ、ダメ出ししかしないんだろうけど。
でもママのんが認められる相手って相当少ないと思う。
美鳩は苦労しそうだね。わたしは………………うん。やっぱり、まだわかんないや。
「じゃ、明日もよろしくだ、マイシスター」
「明日も良い恋をしよう。噛みしめて、自覚して。受け入れられたら、また笑顔で」
「おうともさ。ていうか一緒に寝よう」
「Si.妙案。今日は寒い」
「こういうのも人肌恋しいっていうのかな」
「断じて、それは、違う」
「いや、そこまで噛み砕くみたいに言わんでも……《すりっ》ほわうっ!? ……おおうヒキタニくん? どうしたどうした、キミが奉仕部から移動するとは珍しい」
なんでかヒキタニくんまでやってきて、わたしの足に頭をこすりつけてきた。びっくりした。
けれど一緒に寝るというのならどんとこいだ。
姉妹とヒキタニくんとでヌクヌクと眠るとしよう。
「猫型ゆたんぽさん、来日」
「来日はちょっと違うんじゃない?」
美鳩にツッコミつつ、いつも通りのわたしで自室へ。
…………失恋は、とっくにしている。
それはわかってるし、それを毎日自分達に言い聞かせている。
自覚が追いつかないから何度でもぶつかって、パパにへいへいと苦笑されるたび、少しずつ少しずつ受け入れている。きっと、受け入れられている。
いつかそれが大きな“失恋”って形になったら、泣くんだろうな、きっと。
痛みがわからなくちゃ離れられないから、わかるまではきっとこのまま。
わかってからは───…………どうなるんだろうね。
(……わかった時は、大泣きだね)
なんとなくだけどわかるんだ。今が大切ってことは、それを失うってことだ。
でも、そんな涙はパパにもママにも見せる気はない。
ひとりか、もしくは美鳩と泣いて……翌日にはいつもの自分でやっはろー。
多少の変化に気づけても、きっと周りはなにも言わない。言わないでくれることが一番なんだ。
そう思える自分が、今はちょっと……悲しい。
いっそ反発出来たらなーって思うのに、両親が好きすぎるのだ、わたしは。
こんな想像をしてしまった時点で、もしママが失恋していたら、きっとその想像の通りのことをしていたんだろうなって思っちゃって、もうだめだった。
(……明日もがんばろう)
小さく沸いた気力を大きく膨らませて、翌日を思いながら寝た。
明日も元気だ。
元気でいられる内に、せいぜい思いっきり今を謳歌しよう。
失恋が心に追いついたら、その時はその時だ。
自分の知るたくさんの女性は、もうそれを受け入れて歩いている。
わたしもそうなるのか、必死になって理想以上を探すのかはわからない。
でも、いつか心が落ち着いた時には……傍に居てくれる誰かに寄りかかるのも、いいのかもしれない。
……え? それって誰かって? やだなぁ美鳩に決まってるじゃないかね。
よし元気出た。
明日も頑張ろう! おー!
…………ちなみにわたしに女色のケはないのであしからず。パパラブ。
「気持ちが落ち込んだ時は、暗い気持ちを何かにぶつけるのがいいのだとか」
「んん……一応の発散にはなる……?」
「そうそう。なので暗い時こそなにか奇妙なことを書いてみるとかどうだろう」
「……チョ☆チョニッシーナマッソコぶれッシュ☆エスボ☆グリバンバーベーコンさん」
「ポエムを書く趣味はないなぁ」
「………」
「…………ていうか普通にポエムって言おうよ」
「わかるほうがどうかしてる」
わかるものはしょうがないじゃないか。わかっちゃうんだから。
さて、馬鹿なことやってないで寝よう。うん寝よう。
───……。
……。
からんからん、と。
今日もぬるま湯の扉が開かれた。
開店直後だというのにやってきたその人は、今日も笑顔でセットメニューを頼む。
隣には、もう妻となった三浦氏。うーぬ、仲の良いことよ。
想い続けて念願叶って、というのは、見ていてこう……感無量? おめでとうを素直に届けたい。
とか思ってたら、リーフマウンテンさんに心配されてしまった。
いやーははは、今日はちょっと夢見が悪くて。
ほんと…………悪くて。
涙を流しながら起きた時、隣の美鳩も泣いていて。
わたしたちは、部屋が防音なのをいいことに、抱き締め合ってわんわん泣いた。
なんであんな夢を見たのかはわからない。
でも……本気で目指した恋の終着点は、どうやったってラブコメなんかじゃ終わらないんだろう。
それがわかっちゃって、わたしと美鳩は朝っぱらからママとパパに心配された。
やー……目が真っ赤なんだから仕方ないよねー。
「美鳩ちゃん?」
「……えと。いまさらですけど、おめでとうございます」
「へ? え、あ、ああ、うん。ありがとう、美鳩ちゃん」
「あんがと」
葉山夫妻におめでとうを届ける。
特に、三浦……もとい、葉山夫人。ミセスジュビコ、もとい優美子さんに。
……報われる恋っていうのは、とても……とても嬉しいものだ。
想い続けて、その全てが無駄に終わった時、あんなにも苦しいことを夢で知ってしまった。
泣いたのは……ママだった。
由比ヶ浜結衣。
スキー合宿。
どういう経緯でそこに行ったのかはわからない。
ただそこへ行って、合宿して、雪乃ママが……ママにパパのことが好きって告白して。
ママは、文句を言うことも怒ることもせず、雪乃ママを抱き締めて……応援した。
雪乃ママは合宿のあと、パパに告白して受け入れられて。
ママは……ママは、泣いたんだ。
合宿の時にはもう、パパの気持ちがどこに向いているか知っていたから、雪乃ママの背中を押した。
……やさしいっていうんじゃないんだ。ほんと、違う。
諦められない気持ちなんて誰にでもあって、でも……壊したくないって思ったら、笑うしかないじゃないか。
だから笑った。ママは、笑った。
でも……家ではおばあちゃんに抱き着いて、大声で泣いたんだ。
あとは、歩くだけの日々だ。
辛い事全部飲み込んで、友達を応援して。
日常を壊さないために、好きだった人の前でも自然に振る舞って。
「絆ちゃん?」
「………」
失恋の痛みは知った。
夢でだけど、あんなに辛い想いはこの先、絶対に味わうことなんてないんだろう。
だから……。
「歩け、って……ことなのかなぁ」
「?」
呟きは空気に消えた。それでいいんだと思う。
報われない恋を追って、その果てに辿り着いて泣く前に、あんなにも苦しい現実を夢で見た。
ママ……ママは───……よかった、笑ってる。パパの傍で、笑ってる。
「葉山さん」
「え? あ……な、なにかな?」
「失恋をしたとしても、人はファザコンでいられると思いますか?」
「───……もしかして、比企谷となにかあった?」
「質問を質問で返すのはNGですよ」
「……そっか。じゃあ…………そうだね。いられると思うよ。それは恋じゃなくて家族愛だから」
「……そうですか」
なら、よかった。
人の言葉の全てを受け取って納得したいわけじゃない。
ただ、このからっぽになりそうだった心に、誰かの声が届いてほしかった。
そうですね。
わたしはパパが好きです。
でも……もうそれは家族愛なんでしょう。
ママの夢を通して、わたしは大失恋をしたんですから。
ママは雪乃ママを頑張れって応援して、一人ぼっちで泣いた。
わたしと美鳩が応援するのはママで……わたしたちの恋は最初から叶うことはなかった。
それだけのことです。
葉山夫妻にお辞儀をして戻った。
カウンター奥で待っていた美鳩と視線を交わして、傍まで行って……額をくっつけて、目を閉じた。
失恋が怖かったんじゃない。
関係が壊れるのが怖かった。
好きだって気持ちが無駄になるのはもっと怖い。
わたしたちは家族だからまだよくて。
でも、あの夢の中のママは……
「~~~っ……ママ!」
「《びくぅっ!》うひゃあっ!? え、ちょ、な、なに? 急に大声あげたらびっくりするでしょ? …………って、絆? 美鳩? ……ど、どうしたの? なんで泣いてるの?」
丁度軽食を作って持ってきたママに、叫ぶように声をかけた。
とっても驚いてたのに、怒るどころか心配してくれて、立ち止まるやパパがその手から軽食を受け取って、ママはわたしたちのところへ。
……なにを言えばいいのかわからない。
若い頃のママがあんなに泣く光景を見て、幸せなママになんて言えばいいのか。
なのに涙が止まらない。
なにかを伝えたいのに上手く言葉に出来なくて、届けたい言葉を口に出せない子供のように……わたしも、美鳩も、ママに抱き着いて泣いた。
「わっ……、…………ごめんね。ママ、どうしてふたりが泣いてるのかわかんないけど……。言いたくなってからでいいからさ、今は泣けるだけ泣こ?」
わたしと美鳩。片腕ずつで抱き締めてくれて、客席に一度頭を下げると、奉仕部の方へ促してくれた。
そこでわたしと美鳩は止まらない涙を止める気にもならず、涙が枯れるまで泣き続けた。
……わたしたちが失恋したわけじゃない。
けど、きっといつかはこんな感情に辿り着いてたんだと思う。
だから泣いた。
ママは……嫌がるでもなく、むしろようやく手を焼かせてくれるって感じで微笑んで……温かく、受け止めてくれた。
───……。
……。
世の中には不思議なことが起こるものだなぁってしみじみ思う。
結局あの夢を見てから、心を揺るがすみたいなパパへの愛はゆっくりゆっくり落ち着いていって、しばらく経った今では、家族としての愛があるだけとなった。
ただ、その家族愛が深いから、今までとそう態度は変わらない。
だっていうのに、とある日。
ママにはそれがわかったみたいで、夢の中で雪乃ママにやったようにわたしの頭を胸に抱き締めて、「ごめんね」って言ってきた。
謝るのと一緒に、どうして泣いたのかもわかっちゃったんだろうね。
誰も居ない二人きりの奉仕部で、しばらくそうしてから深く呼吸をすると、ママは言った。
「あたしはね、いろんなものをヒッキーや絆や美鳩にあげたいって思ってる。それはたぶん、幸せ~とか喜び~とかそれだけじゃなくってさ。悲しみでも辛さでも、いつか振り返っても、あんなことがあったなぁって懐かしめるようなものをあげたいんだ」
「……辛いことなのに?」
「うん。楽しいだけじゃきっとだめなんだ。喜びしか知らない人はね、喜びでしか人を理解できないから。だからいろんな経験をして、いろんなことで誰かをわかってあげられる人になってほしいって思うんだ。絶対にそれになれっていうんじゃ、もちろんないけどさ」
「うん……」
「悲しかったら泣ける人がいい。辛かったら辛いよって言ってくれていい。でもね、我慢して我慢して……それを大切な人に最悪のかたちでぶつけちゃうような人には、ならないでほしいんだ」
「っ……その人が居るから、大切なものを諦めなきゃいけなくなっても……?」
「……、……うん。そだ。大切だったら、飲み込んじゃうんだ。そしてね? 大切なものの目から外れた時に、思い切り泣けばいいよ。その時は、ママが一緒に泣いてあげるから。ママが原因だって絆がどれだけ怒っても、ママは絆のママで、あたしから絆の敵になることなんて絶対にないんだから」
「ママ……」
「あたしは……さ。高校生だった頃にね? きっと自分は泣いちゃうんだろな~って思ってた時があったんだ。きっとあたしの想いは叶わなくて、ヒッキーは……」
「………」
振り返るだけでも悲しそうな顔をする。
そんなにも強い想いがあって、それでも……
「あたしさ、馬鹿だから……その時はね、ヒッキーがゆきのんを選んだら……ううん、ゆきのんがあたしに気持ちを伝えてくれたら、応援するつもりだったんだ。でもね、きっとゆきのんは言わないから。気持ちを押し込めて、口にはしないから」
「うん……」
「全部が欲しいって……言ったんだ。誰かが踏み出すことで壊れちゃうような関係がそこにはあって、あたしもゆきのんもヒッキーも……踏み出せばどうなるかを知ってて」
「うん」
「気づかないままっていうのは無理だと思ったから。それはただの気づかないフリだって知ってたから。ぎくしゃくしたまま、お互いが隠したまま歩くような偽物じゃ、嫌だったから。……彼が、泣きながら本物が欲しいって言ってくれたから」
だから踏み出せたんだと。
ママはわたしの頭を撫でながら、ゆっくりと聞かせてくれる。
「大切な人が大切な人と一緒になる。それって文字だけで見ればとっても素敵だよね。……でもさ、その大切な人はどっちもあたしの好きな人で、好きだから取られたくないのに、好きだから幸せになってほしくて、好きだからあたしを見てほしくて。……あはは。あの頃、何回同じこと考えて泣いたかわかんないや」
「ママ……」
「それでもさ。……好きなんだ。好きだから、仕方ないって……そうやって飲み込んで、飲み込み切れなくて、口にしてさ、そして……言ってくれたら、抱き締めて応援するつもりだった」
「───っ」
途端、ママの泣き顔が浮かんだ。
夢の中で見た、おばあちゃんに抱き着きながらわんわん泣くママの姿。
……言って聞かせるほど軽いお話じゃなくて。
笑って話せるほど楽しいお話でもない。
ただの、犬を助けてもらった女の子の恋のお話。
「大切だから、黙ったままでなんていさせられなくてさ。自分をずるい人にしてでも守ろうって思えるものを見つけてさ。それが好きで、大切で、失いたくないって思えたら……向き合って、選ばなきゃいけないんだ。だからね、絆。泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑って……大切なものを大切だって言える人になってほしいな。空気を読んで黙るんじゃなくて、教えてもらった一歩を、真っ直ぐにぶつけてくれたカッコよさを、ちゃんと返せるような自分でいてほしいな」
「ママ……ここでかっこよさって……」
「……あたしには大事なことだったんだ。うん。……一番最初に、親友に教えてもらったものだから」
「かっこよさが?」
「うん。厳しさとか怖さとかキツさとか、言いたいことなんてきっといっぱいあったんだ。でもね、そんなものを吹き飛ばすくらい、あたしにはかっこいいって思えたことがあったの。だからあたしにとって、それが一番最初で……最高の贈り物だった」
「雪乃ママも───」
「ん?」
「雪乃ママも、ママには教えてもらうことばっかりだったって……救われてばかりだったって言ってた」
「あはは、そだねー……。あたしたちはお互い、助けられてばっかりだったから。いろいろなものが足りなくて、足りないから補い合って。……高校生の時に全部を完璧にー、なんて、無理に決まってるのにね。でも……あの時は、それだけあの瞬間が自分の“今”だって思えてたんだと思うから。だからね、足掻いてもがき苦しんで、散々悩んで……そうして辿り着いたここが、こんなにも大切だって思えるんだ」
「雪乃ママといろはママに我慢をさせることになっても……?」
「絆~? 仲良しだけが親友じゃないんだよ? 喧嘩だってしたし、泣いたり泣かせたりもしたよ? 謝ることだけはしなかったけど」
「え……なんで……?」
「好きになっちゃったんだもん、仕方ないよ。似てる誰かじゃダメで、ヒッキーだから好きになって、親友だから喧嘩した。思ってること打ち明けて、叫んで叫ばれて。最後には抱き締め合ってわんわん泣いて。それでもね、嫌いになんてなれないんだ。好きで、大切で。そりゃそうだよね、じゃなきゃそんな関係を守るために、泣くことになっても自分は応援しよう、なんてこと、思えるわけないよ」
「………」
雪乃ママは気持ちを隠して、ママは……隠すことはしなかった。
口にこそ出さなくても、アピールは散々していたって……いつか雪乃ママが話してくれた。
気づかないフリをしていたのはパパで、もっと早くに受け止めるなり向き合うなりしてくれていたら、と……ママは溜め息混じりに言った。
それに関しては雪乃ママもいろはママも言っていたらしくて、そうであれば人の恋人を好きになるようなことなどなかったろうに、とこぼしていたとか。
うん、これはパパが悪い。
思ったことを呟いてみると、ママはくすくすと笑う。
「あはは、絆は女の子だねー。……あのね? そうじゃないんだよ? 言える勇気があれば、相手がどれだけ横を向こうとしたって伝えることは出来た筈なんだから」
「……それは、そうだけど」
「あたしはもっと自分から行くべきだったんだ。関係を壊したくないって思っても、相手を親友だと本気で思ってるなら、遠慮なんて逆に失礼だ。だからそれに関してはあたしも怒った。めっちゃ怒った」
「……それってつい最近?」
「絆と美鳩の妊娠祝いをしてもらって、少し経ってからだったかな。なんかゆきのんもいろはちゃんも急によそよそしくなっちゃって。だから───」
「踏み込んだ?」
「……うん、そんなとこ。何度も何度も踏み込んで、そのたびに想いをぶつけ合ってね? 喧嘩もしたけど……うん、もう大丈夫だから」
えへー、って感じでにっこりと笑うママ。
そんなママを見上げるわたしを見つめて、うん、なんて改めて頭を撫でてくれる。
「元気でた?」
「え? あ……、……うん。ありがと、ママ」
「気にしないの。ママは絆たちのママなんだから。ていうかたまには頼ってくれなきゃ、ママが寂しいの。……ねー? 美鳩ー?」
「《びくっ》……ママ、気づいてた……?」
「って美鳩!? き、貴様いつからそこに!?」
ママが後ろを見ながら美鳩の名前を口にすると、なんと奉仕部通路側から美鳩が……!
ば、馬鹿な……この絆が彼奴の気配に気づけんとは……!
「いつからと言われれば、絆がわんわん泣き始めてから。先を越された気分。でもママが絆に言った言葉が全部、美鳩にも届けたい言葉だったって気づいてたから、余計な横やりはしなかった」
言われて見てみれば、美鳩の目は真っ赤で……泣いた痕も。
……不覚だ。泣いてる妹に気づけないとは。
「絆? それでいいんだってば。なんにでも気づけるなんて無理だし、泣かせないなんてやっぱり無理だ。だからこそ、泣いちゃった人の気持ちに手を伸ばせる人になってほしいって思うの。絶対に手を伸ばさなきゃいけないんじゃなくて、言葉が無くても傍に居てくれるやさしさだけでもいい。その時は意地悪だって思えても、気持ちが落ち着いてからやさしさだったって気づけるようなずるさでもいいんだ。ちゃんと、心と向き合える人になってほしいって思う」
「………うん」
「……Si」
「うん。じゃあ……美鳩、おいで」
「……! ~~……ママ……!」
ママが手を広げ、言うや、ぶわっと涙を溢れさせた美鳩が突撃してくる。
抱き着いてきた美鳩をわたしもママも抱き締めて、感情のままに弱音を吐いた。
そんな時に思うのだ。
やっぱりわたしたちは、まだまだ子供で……成長したってきっと、親にしてみれば子供は子供って言葉は本当なんだなって。
早く大人になりたいって思ったことは何度だってある。
お店を盛り上げるために~とか、パパの隣に立つために~とか、思い返してみればほんといろいろ。
でも今は……ゆっくりと時間が流れてくれたなら、その中でもっともっとたくさんのことを学んで成長したいって思った。
ゲーム・俺ガイル続のゆきのんルート……ゆきのんを抱き締めて、応援出来るガハマさんを……その。なんて言えばいいんだろ……うん。
“……すげぇ……”って……思いました。